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昨日の午前中は軽く仕事に出かけ、その帰り道に「ランチでもどう?」って友人からメールが来た。さっそく段取りをしてその後合流し、なかなか1人では入れないようなお店へ行った。ランチを食べながらよもやま話をしてあっという間に夕方になり…話してすっきりしたらしく、帰ると言うので別れた。よもやま話の内容は、主に恋バナ。…といっても、実はこの友人、既婚者男性。しかも自分より年上。いわゆる不倫というか、複雑な家庭環境に疲れて色々な事から逃げ出している最中とでもいいましょうか。そういう話を随分聞いてきた。一度奥様に浮気がばれて、修羅場を経験したのにまた繰り返している事を反省しながらやめられない。まず私は否定も肯定もしないで話を聞く。相手が答えを求めている事には答えるし、そうでないなら聞いている。だけど、いつも心の中では「早く気づくといいな」と思ってる。不倫や浮気をする人には、必ずその人なりの理由はある。それがどれだけ非道徳でも、自分を肯定しようとする。そうやって、正当化する事で自分の心の中でバランスを取るんだ。自分にも遥か昔にそういう気持ちがあったので、わからなくもない。いつ目覚めるかのタイミングは、周りが決める事ではなくふとした事から「このままではいけない」と感じるようになる。悲しむ人がいる事を自覚するのには時間がかかるもの。それでもある時「なんて浅はかだったのか」と反省をして悔い改める時がある。自分がそこに気づくまで、周りが何を言っても聞く耳はない。昨日もそんな感じで、彼の最近の悩みを聞く。家庭が崩壊している事を気にしていながら忘れられない恋に思いを馳せて、代わりを求めているのかも。私は家庭修復を薦める。夫婦間の亀裂は、片方だけが悪いという事はあまりないような気がする。必ず何か原因があって、話し合う事が出来なくて、心が離れていく。もしくは譲れない何かがお互いにあって、修復が出来なくなる。彼は離婚は考えていないと言いながらも修復にエネルギーを注ぐ事を嫌がる。「そんなの出来るわけない」って。頑張る前から諦めているのに、離婚はしたくないと言う。だけど、非道徳な行為がやめられないと言う。ただ良くわかるのは、単に彼は寂しいだけなんだという事。家の中でもメールでしか会話をしない奥様とのやり取りに疲れて、なんとかしたくても思うように話が出来なくて、たわいもない話をする相手をほかに求めているだけ。ちなみに私は彼にとってあらゆる部分で対象外なので(笑)私にたいして、彼はかなり言いたい事を言っているようで、それがまた彼にとっては貴重な存在らしい。たまに私と話をする内容も、本来なら夫婦でも出来る事だったりする。自分の事はまるっきりダメダメなのに、どうして人の事になると色々と話せるんだろうか(^_^;)と自分で思ってしまうくらい彼の悩んでいる事の解決策はすんなりと出てくる。奥様との溝を埋めるのか、このままもっと距離を作るのかどうしたいかによって答えが変わってくる。奥様を欺き続けるには、相当な覚悟がいるし、悟られないようにする為の努力はかなり必要だと思う。ただでさえ、女性は一般的に勘が鋭いし、男性が思う以上に意外と怖いから(笑)夫婦の関係を修復したいなら、歩み寄らなくてはいけないと思う。一度信頼関係が崩れた事で、奥様は傷ついている。それをわかっているようで彼はわかっていないので関係修復は大変だけど、もう一度彼女の笑顔を見たいなら少しずつでも頑張るべきだと言った。皆ハッピーでいられるのが一番良い。極端な話、もしも彼が不倫を続けてもそれが本人にとって一番幸せだと思うならそれも良いのかと思う。夕方に帰宅をして、ブログアップして早起きだった事もあってかなり早めに寝てしまった。ところが…深夜に彼から電話が来た。昼間に話をした事が引っ掛かって、また聞いて欲しいと言う。自分の周りのガールフレンドは皆打算的でまともに話せる人がいないんだと弱々しい声で訴えてきた。本当は夫婦間の亀裂を修復したいのに臆病で出来ないから、きっと勇気が欲しいだけなんだと思った。頑張ればなんとかなるかもしれないのに、せっかく夫婦でいるのに、何もせずに諦めるなんてダメだって思った。忘れられない恋は…願っても叶わない恋は時間が忘れさせてくれるだろうから。まずは出来る事から始めていこうよと私は励ました。話の内容は甘えているとも思うけれど、そんなこと本人が何より一番わかっているので複雑に考えすぎている気持ちを解く事が出来れば良いかと思い、まずは深夜に結論を出すような事はせずにとにかく寝て、明日の朝考えようって言った。今日、友人は何を思い一日を過ごしたのかわからないけど、せっかく夫婦になったのに、もったいないと思う。だからこそ、うまくいって欲しいと思う。そして思ったのは、私もまだ誰かの為にお手伝い出来るんだ~って事。実際に関係修復をするのは私ではないし後は本人の意思だけがすべてを動かすわけだけど、そのきっかけにちょっぴりでもなれるのは何だか嬉しいなとか思った。友よ、残り少ない人生をハッピーに生きていこうよ!なんて感じかな。角松敏生 ALRIGHT【送料無料】角松敏生/TIME TUNNEL
2010年05月04日
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今日は水曜。映画のレディースデーだったからミポリンの「サヨナライツカ」を観てきたです。昨日は大桟橋と博物館見学という、横浜観光をしてました。すっごいたくさん写真を撮ってしまったのでまだ整理が済んでおらず…近日アップするです。マクロスFもある程度見てから途中経過をレポします。今週の私は、久しぶりに「理想的ないつもの月末」という雰囲気で、来月の予定を考えつつ、メール中心でのお仕事。時間の余裕があって、朝ちゃんと起きて3食食べてそれなりの時間には床につく生活復帰です\(^o^)/「サヨナライツカ」を見終わってから、帰り道の頭は…「…これ…ブログにどう書こう」でした(笑)かなりのネタばれにつき、相当改行します。映画をこれから見る方や、私の毒づいてばかりの発言に免疫がない方(笑)は絶対見ないでいただけると良いかと…まずはヤホーの作品紹介をコピペします。「愛されることがすべてと思っていた女性が、運命的な出会いを経て、愛することが本当の愛だと気付くラブストーリー。『私の頭の中の消しゴム』イ・ジェハン監督がメガホンを取り、監督から熱烈なラブコールを受けた中山美穂が、『東京日和』以来12年ぶりの映画主演作で愛に生きる強く純真な女性を熱演。原作は中山の夫・辻仁成。バンコクで始まった恋が東京、ニューヨークと場所を移し、25年の時を超えて愛へと変わる過程が切ない。」さらにあらすじもコピペします。「1975年、バンコクの高級ホテルに暮らしている沓子(中山美穂)は、お金に不自由なく、男性から愛される満された日々を送っていた。ある日、沓子はバンコクに赴任してきたエリートビジネスマンの豊(西島秀俊)と出会い、二人はたちまち惹(ひ)かれ合うが、実は豊には東京に残してきた光子(石田ゆり子)という婚約者がいた。」さて…私は原作を読んだ事がない(辻氏の本は何一つ読んだ事がない)のですが、どうも話によると、原作とは内容が多少異なるらしいです。原作が売れたという事は、恐らく原作は良い話だったのかな。結論から言うと、私の中ではまったく感動のない映画でした。だから、話についての感想が書けない。ミポリンがダメだったのではなく、映画の作り方が、とでもいいましょうか。うんちく語るほど、私は映画ツウではないのですが、だからこそ見えた部分が多かったというか、時々見る映画にしてはなんとも物悲しい気持ちが残るものでしたね~劇中のシーン、ラストシーンなどで隣の席の人がえらい泣いていたし、周りから時々鼻をすする音も聞こえたけれど、私は瞳が潤む事や、胸が熱くなる事は一度もなく、消化不良な気持ちだけが残ってしまったような映画でした。まずバンコクの町や高級ホテル、衣装や小物達が沢山出てきましたが監督が細かいディテールにこだわっているという事は大変良くわかるものでした。美しかったです。バンコクにも興味が持てました。沓子の衣装、光子の着物、彼女たちだからこそその美しさは引き立つな、と思う部分もありました。やはりミポリンは美しいです。スクリーンの中から時折見える彼女の笑顔にノックアウトでした(笑)沓子と豊は互いに一目ぼれの出会い。男女が惹かれあって、どうしようもなく恋に溺れていく様子…例えば仕事をさぼってまで沓子に会いにいってしまう豊の行動自体はわかるし、肉体関係から始まった恋について何の意義もございません。そういう恋愛はあるでしょう。きっかけが何であれ、男女が惹かれあうのに理由はないと思ってますから…ただ、豊が恋焦がれてどんどん沓子にのめり込んでしまう過程がわからないのです。彼女の何に、そこまで惚れこんでしまったのか、ほんの少しの会話だけで、「沓子とは日を増すごとに会いたくなる」と思う豊の心情が描き出されていないのです。その為、ただベッドで愛し合っている二人ばかりが映され、沓子も豊の「夢に惚れた」というシーンはあれどそれ以外については、まったく描かれていない。あれではまるで、沓子は豊の身体だけが欲しいと思っているただのアバズレです。沓子の心情はそうではなかったのに。ミポリンの復帰作が、こんな浅い内容だったかという事がとっても勿体無いと思うし、残念でなりません。お見合い結婚が決まっている豊が遠く離れたバンコクで沓子と落ちた恋には期限があって、断ち切る為に葛藤する場面の描写もほとんどない。だから豊が空港で沓子と別れる時のあの涙がわからない。ならばなぜ、本当の気持ちをしっかりと沓子に伝えないのかと。豊の気持ちは、軽いものではなかったはずです。二者択一をせまられ、自分の名誉と社会的地位を取った事は男としてまっとうな選択なのかもしれないです。そこにずるいという気持ちのみは持てないですが、映画での豊はただのずるい男に成り下がっているように見えたんです。25年の歳月を経て、再びバンコクで会った二人の切なさはもっと丁寧に作って欲しかった。老け顔の特殊メイクが、あまりにも雑でした。出会ってから25年って事は、一体二人は何歳で出会っていたのかと年齢設定が見えないし、おかしいと思ってしまいました。そのくらい不自然で、無理のあるものでしたね~そしてラスト。それまでを見ていて、ラストの展開に対しての私は「そりゃないでしょう!」というのが率直に思った気持ちでした。涙の一粒すら出てこない。130分は長いよ!って思ったくらいでした。沓子が「愛される事が全てだと思っていた事から愛する事が本当の愛だという事を学んだ」という描写もなし。豊もまた同じで、25年も思い続けていたというそこまでの思いの描写がなしなので、やはりここでも沓子の身体が恋しい、若かった頃のみずみずしい情欲が美しい、懐かしいと思っても、今を捨てきれない、そしてそんな存在だった沓子を失くした事が辛い。そんな風にしか見えないのです。ほんと勿体無い!!主役は中山美穂と言いながら、あんな描き方では豊目線の話に見えてしまいます。そこまで沓子を愛していたのなら、そんな風に美化出来ないだろうと思うです。優柔不断な言動から最後に痛く取り返しの付かない目に合う切なくて愚か過ぎる男を作者は描きたかったのかはわからないのですが、仮にそうだったとしても、その切なさや愚かさすら描かれていないので、きっと「あんな優柔不断な男なんて最低!」と、平たく男性を批評してしまう、無性に腹の立つ感情を持つ女性も多いでしょう。ミポリンの濡れ場が話題になってましたが、R指定にするほど濃い内容ではなかったです(^_^;)「ええっ、軽っ」って…映画を観るまでは「ああ、ミポリンはどこまで頑張ったんだろうか…」とちょっとそわそわしていたので、その部分は微妙な心境です。二人のSEXシーンは、綺麗過ぎちゃってリアリティなくて…綺麗というのか、変に作っているというのか…その部分の細かい話始めると、ちょっと止まらないんですが(笑)情慾にまみれる凄みとか、愛しつくす様子を観る事が出来たらそれ以外のアンバランスさが少しは良い方に出てきて、私の見方は多少変わっていたのかなと。西島さんの妙にいい身体(笑)も、そんなに何度も出さなくてもいいのに…と。そういう場面が多いから、沓子は身体目当てだけで恋に落ちたのかという薄い内容になってしまうような…登場人物それぞれの心理描写が何もなく、豊の悲しくて苦しかった恋の過程が描かれておらず、沓子はどうして序盤で愛される事で満たされていて、やがて愛する事が大切だと気付いたのかの作りこみも薄い。ゲームやドラマ、映画で感情移入しやすく、泣き虫な私ですが、今回は誰にも感情移入が出来ませんでした。一番自分と近いと思った登場人物に思いを重ねてみましたが、あの描き方では物語の中に完全には入り込めませんでした。25年も一途に一人の人を思い続ける事が、沓子にとってどれほど長くて苦しい思いだったのか、それでも貫いて生き抜いていったというその純真さをもっと描いてくれないと、納得出来ないのです。あの映画から沓子の純真さを読み取れた方、いたのでしょうか?読み取れなかったのは私だけっすか?って聞きたいくらいに。ああ、書いちゃった(笑)レンタルで観る位なら良いのかもしれませんね~うーん。Dr.パルナサスの鏡を観る方が良かったのか?!とついつい思ってしまったのでした~
2010年01月27日
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今日はお友達からこんな素敵な物をいただきました! ネックレスなんだけど、涼しげで色に深みがあって、超綺麗でしょ~実物はもっと綺麗なんだよ~ヽ(^o^)丿超嬉しかったです。…って書くと何だか軽いけど、本当に嬉しかったし、元気が出ました。ありがとうっ着用するとこんな感じこれ(真ん中のモチーフ)は、トンボ玉で出来てるんです!すごいでしょ。手作りよ!完全オーダーメイドでしょっ器用だよね~このネックレスをプレゼントしてくれた友達、昔っから器用だし仕事が丁寧!それでいて可愛くて優しいし、サバサバして話しやすいしグチグチと余計な事言わないし、もう尊敬の一言なの。彼女の前では一度も言った事ないし、面と向かっては絶対言えないけど、本当に私にとってお手本のような素敵な女性であります。私は自分が日頃使っているお手製バスボムをプレゼントしたんだけど、このネックレスの前では霞むわ~(^_^;)絶対どう考えてもネックレスの方が手間がかかるし、ガラスを加工するのって熱くて大変だろうし…とか思いました。でも私に出来る事ってこれくらいしかないから喜んでくれたらいいなと思いながら、夏らしいさっぱりとした香りでまとめてみました~この夏はこのネックレスをつけて仕事頑張ろうっと。
2008年07月09日
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以下、フリーページにもいれときました~------------------------------------------------最近のいろいろなニュースを見ていると、「病んでる人多いなぁ…」と思う人が多い気がしますね~なーんて言ってる私自身もちょい前までは荒んでいたりもしましたが…私の良い所はかなり客観的に自分を見る事が出来て、自分以外については出来るだけニュートラルに物事を見ようと意識をしている事かなとか思ったりします。自分の弱い所を否定はしないけれど、正当化するつもりもなく、まずは素直に聞こうという意識だけは持ち続けていたいと思っているのであります。以前読んだ記憶がある文献の事が頭にずっとあったので、記憶を辿りながらちょっと話そうと思います。インターネットの普及で、人間関係がずいぶんと変わってきているなと実感をする出来事も年々増えているような気がします。核家族の多さ、人と人とのふれあいやご近所さん同士のつながりが薄くなり、隣に誰が住んでいるかもわからない状態。頼りない大人が増えて一人で立ち向かっていかなければいけないという事、その立ち向かう術がわからずに間違った方向へ流れてしまう人の心。誰かと繋がっていたいし、友達は欲しいけれどコミュニケーションを取るのが苦手もしくは身近に出会う機会がなく、誰かとわかりあいたいそんな現代人にとって、ここ数年のインターネットの普及はかなり有難いものと感じられるのかもしれません。私がこの世界を知ってからずいぶん長い年月が経ちますが、始めた当初は「インターネットって何?」という人が大半でしたからね~こんなに普及するとは思ってませんでした。はい。寂しいけどあんまり深入りしたくない、されたくない、人間関係の形成は苦手だけど友達は欲しい。誰かに思いをうちあけたい。自分の素性をあまり知られずにそこそこ言いたい事が言えて、いざとなったらすぐに去ってしまえば跡形もない。そんなツールにもなっているのがネットですね。実社会よりもネットの方が何かとトラブルが多いのも事実で、しかもややこしく面倒で場合によっては殺人事件まで引き起こされてしまうような恐ろしいものになってしまいました。男女のトラブルは特に多いですよね。私自身も幾度となくトラブルを目の当たりにしました。男女間も、同性同士のいざこざも、どれだけの人と出会ってその中からどれだけの人が去ってしまったかなぁと振り返ると、その数は数え切れないと言っても過言ではないものです。ネットではない世界では、通常人間同士を判断する時には、多くの事を見聞きしますよね。肩書きとか見た目とか声とか表情…実際に会って話をしている時はもっと多くの情報を使ってコミュニケーションをとります。言っていることの信憑性やユーモアの度合いなどヒントになる要素がたくさんあります。電話や手紙なども同様で、声の調子や筆跡などである程度の情報を得る事ができます。ところが、ネットだとヒントになるものなんてないんです。皆が見るのは無機質な文字だけ。顔文字や絵文字などを使っても、ほとんどは想像で解釈をするしかないわけですな。さらに文字を見て、イメージをするわけです。物事をありのままに見ている、というよりも、自分の見たい物を見ているんですね。自分の理想の人、理解してくれる人、愛してくれる人など、文字の向こうに自分の理想像を見てしまうとでもいいましょうか。かく言う私もかつてはすっかりこのあたりを把握するということを忘れ、現実を見ずして文字だけにとりこまれ、ドツボにはまって散々な目にあった物の一人でした。メールなどは特に、電話や手紙よりも頻繁にやり取りをすることが出来ますね。男女の間だと、一日に何度もやりとりをしていると、現実の社会よりも当然親密度が増して、感情の交換が密になるわけですわ。ネットがなかった頃は実際に異性に会ったら容姿を見て、話す内容を実際に聞いて、恋愛対象になるかならないかを自分が求める基準を踏まえて頭の中で審査するわけで、良いと感じればそこからさらにアプローチをしたりという次のステップに発展していくわけですが、メールだとそんな必要もなく文字だけ打てば良いのでお手軽ですよね。現実の世界で仮に異性との交際経験がなかったり、経験する機会がない人でも、方法を知ればすぐにメル友は出来ますよね。昔に良くあったのは、ネット上だととても魅力的な人が、実際に会ってみると話もせず下を向いているだけ、などという落差が激しい人が実に多かった事。良く遊んでいたゲームのオフ会などにちょくちょく参加していた頃、文字の印象と実際に会って話をしてみても付き合いが続いた人は数少なく、1万円貸したままトンヅラされたり、漫画を貸したままトンヅラされたり、引っ越した後に連絡が途絶えたり、まあとにかくいろいろありましたわ。いつだって私達は物事を正しく見て判断をしようとはしていると思うのですが、ネットの場合だとこのあたりは若干、いえかなり歪んでくるわけです。現実の社会でだって歪むんですから、ネットだったらかなりその歪みが大きくなるでしょう。特にインターネットの掲示板やチャット、メールなどのトラブルはもはや日常茶飯事ですな。楽しく遊んでいた場所が不意に荒らされてしまったり、ちょっと心理を語るとブーイングになっていわゆる火事が起きたり、かなり激しい非難を浴びるなんてことになるわけです。面と向かって言われた事がないようなことを、ネット上だと平気で言われてしまう事もしばしばあります。中にはネット上で激しく傷ついて現実社会での生活がままならずひどい時には事件へと発展するという事もあります。以前ありましたね、バスジャック事件を起こした人。掲示板で傷ついてその怒りをバスジャックという形でぶつけてしまったという事。文字の世界だと、情緒よりも理論がより強調されやすい気がします。相手の言っている事をこと細かに見て反論したくなり、反論された人はさらに反論していくでしょう。面と向かって話をしている間だと、仮に反論があったとしてもとりあえず話を聞き、相槌を打って時には同意したり意見を述べたりすることで、相手の感情を和らげる効果があるんですが、文字だけの世界だとこれがないので、その場で考えて文字を打ち、送信ボタンをポンとクリックしてしまえばすぐに相手に届いてしまうお手軽さがより書きやすい環境を作ってるのでしょう。さっき人は見たい物を見ていると書きましたが、(自分が)悪意を持っている相手と感じられる発言には悪意のあるものだと判断してしまうという傾向も強い気がします。相手の気持ちを考える為のヒントが少なければなおさらのこと、想像力が発揮されてさらに悪化してしまいます。こういう悪循環が憎しみを倍増させて非難や中傷に満ちた文字の羅列になってしまうんですね。自分の傷ついた心を癒す為に、相手をなんとか負かしてやろうという気持ちになり、さらなる悪循環を繰り返してしまいます。私自身の話をすると、この手の話が出た場合には、とりあえず謝罪をします。四の五の言う前に、とにかく謝罪。だって相手は謝って欲しいわけですし、そこに言い訳をさせてくれるような寛大な気持ちで意見をしてくるとは思えませんもの。相手がどのような人であれ、人間関係がこじれそうな予感を感じたらとにかくお詫びをするようにしています。これは現実社会でも同じ。早い段階で謝れば長引く事がないような気がします。心が傷ついたら心を守りたくなり、一生懸命自分の正しさを主張したくなるのが心理だと思います。文字のやり取りは相手の言葉の細かい事にまで言葉の応酬をして、ますますお互いの心が傷ついていってしまいます。争いを防ぐには相手の心をなだめるのと、自分を癒す術を必要とします。戦うのは口論している相手じゃなく、自分自身の心なのかもしれません。マイナス面ばかり書いていますが、実際には良い事も多いと思います。現実には年齢や社会的地位などで偏見や差別をされてしまう事でも、ネットの世界だと自由だからです。ストレートに思いをぶつけることが出来、場合によっては現実で起きた事を報告する場として有効活用している時もあります。私自身が先日自分の現実の話をしていなかったら、読み手には全くわからないことばかりだったでしょう。ネットを通じてたくさんの仲間を作ったり、私のようにゆくゆくは恋愛へと発展する人はとても多いですから、その事を否定する事はないです。ただ、ネットというツールを使う事に慣れていない人が多いのは事実ですね。うまく活用するためにはネットの特徴を理解しておおいにネットの世界を堪能していく必要があると感じます。誰だって弱いし、傷つくことが多い世の中です。心の傷がネットで癒える事もあれば、逆の場合もあります。現実の世界でもネットの世界でも、自分自身を見失わずにいたいものです。人間関係での勝ち負けは意識しますが、本当に勝つというのは相手を負かす事ではなく、自分らしさを失わないという事が大切なのではないかと思います。そしてもしも自分の心から振り払えないほどのダメージになってしまった場合、そのダメージを最小限に抑える事ができるよういつもと同じ様に行動が出来るように気持ちではなく行動をいつもの状態に近づけようと意識すると良いような気がします。暗い気持ちになっても立ち直りが少しは早くなるのかなと思います。ネチケット(ネット上でのエチケット)を知らない人、知っていると言う人、ネット上級者のつもりでもあらためてネチケットを見直してみるという機会を作るのも良いかもしれません。もちろん、私自身も。ネットを始めた時から常にブックマークをしているサイトです。文字をクリックしてください。ネチケットガイドライン
2007年12月03日
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今年は平日にバレンタインだから何かとあわただしく過ごしているカップルが多いのかなぁ~ちなみに私は既にゆうべ日付が変わってから渡してしまっているし、今日はバレンタインディナーはできなかったので、ケーキを焼くのも中止して後日何かするとしました(^_^;)しかも、今は特定の会社と契約をしているということがないので、出社して義理チョコを渡すというわずらわしさからも開放されて、超気が楽。だいたいクリスマスだってハロウィンだって根本的に何の日なのかわからないでただ騒いでる人って結構いるように見える(~o~)日本古来の文化よりも、外国の文化を結構何でも受け入れて使っちゃってるじゃん。クリスマスに一人でいることやバレンタインに告白されないことが人生の中でとてもマイナスなことのように周りがしちゃってる感じがするのよね。別に今日しかないわけじゃないしさ。まあこういう日でもなかったら思い切って行動ができないってのはあるだろうけど、告白するとか、感謝の気持ちを表すとか、そういうのっていつしてもいいんじゃないかな。とか思うんだよね~…って自分もいろんな行事はこなしてますけど(^_^;)
2007年02月14日
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なかなかアップできない(それ以前に原稿ないけど(^_^;))ですが、私には取り戻したい時間、やり直したい時間が山ほどあり、その後悔の念を吐き出したい時があります。恐らく人生をやり直したいと願う人は私だけではないでしょう。本当に今の経験値で高校生くらいからやり直せたら、どれだけまともな人生歩いていただろうか、と時々思います。そうかと思うと、過去は振り返りたくないと感じる時があったり、そう言い聞かせたりする事もあったりして…でも、取り戻せるものもあります。愛情だったり、友情だったり、上司と部下の関係しかり、ふとした誤解から離れてしまった人と何でもない事で打ち解ける事もあります。人を傷つけてしまったと、随分たってから気づく事があります。それに気付けば良いですが、きっと未だに私自身が気付いていない事も多いかもしれません。同時に、人から傷つくような事を言われたりされたりする場面もあります。大きくなると我慢するということを覚え、その場で笑っている自分に嫌気がさす時もあります。相手はさほど何も考えないで言った言葉が、ずっと消えなくて悩まされる時もあります。そんな時、みんなはどうするのでしょう。私は以前なら誰かにその思いをぶちまけて、お酒でも飲んでその場をしのいでいました。(最近お酒弱いので極力飲まないけど(^_^;))もしくは一人で悶々として、ずっとずっとそのことばかり考えて落ち込んだり暗くなったりを繰り返していつしか忘れていくまでそのままにしていました。「ま、いっか」で済ませる事もある程度はできるようになりました。でも、例外もあります。自分が大切だと思う人に対しては、神経質になってしまい、なかなか切り出せずにいたり、その反対に相手に自分の気持ちを理解して欲しいあまり、余計な事までプラスして言いたい放題言っていた事もありました。どちらが良いのか、わからないです。相手の気持ちをできるだけたくさん知りたいと思いますし、相手にも同じように自分を知って欲しいと願います。けれど、それが自分が傷ついていると相手が知らなかったら…または相手の傷つくことをわからずに言っているとしたら…ドウドウ巡りです。いくつになっても難しい問題です。まずは明日を後悔せずに生きて、反省したことは同じ間違いをしないようにしようと誓う事ですかね。
2006年09月12日
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