全14件 (14件中 1-14件目)
1
毎回、一流の音楽家たちが集まるコンサートが明後日に近づいてきました。 私がお手伝いしているFORMOSAコンサート協会が主催で、私は、毎回、感動で幸せな気分になります。 9月2日(土)13時半開場。豊洲シビックセンターホールで行います。一緒に感動を味わいましょう。
2023.08.31
コメント(0)
私が初めて訪台した1978年、ナローゲージ(軌間762mm)の阿里山森林鉄路では、まだ、蒸気機関車が現役で活躍していました。蒸気機関車はシェイ式と呼ばれる機関車で、一般的なSLと異なり、直立したシリンダーと傘歯車(ベベルギヤー)を使用し、ボギー台車を持った山岳用の特殊な設計が行われています。 嘉義駅からは、ディーゼルカーで阿里山駅へ向かいます。途中ループ線やスイッチバックを組み合わせて、山を登って行きます。熱帯林、亜熱帯林、温帯林と異なる景色が垂直に分布している様を楽しみます。渓谷を見下ろす雄大な景色は圧巻です。 阿里山森林鉄路は、1906年から民間により建設が開始されたものの難工事と経営難から運営権を放棄したことから、結局、1910年から官営事業として建設がすすめられ1912年に開業しています。 写真は、阿里山機関庫とその周辺で撮ったシェイ式蒸気機関車です。
2023.08.31
コメント(0)
私が初めて訪台した1978年の台湾の鉄道は丁度、縦貫線の電化が、始まった時でしたが、まだまだ蒸気機関車があちこちで走っていました。日本で見慣れたD51、C57、C12、キューロク、ハチロクなどが走っていて、まるで日本の鉄道風景の様でした。改めて、日本が台湾の鉄道整備に力を入れていたかを実感しました。 日本は台湾の発展のためには鉄道整備が欠かせないと考え、1908年には縦貫線の基隆 - 高雄間404.2kmを全通させました。また、軽便鉄道規格の台東線(東花蓮港 - 台東)や、阿里山森林鉄路なども敷設し、砂糖、米、石炭等を輸送し、台湾の近代化を進めてきました。 なお台東線は、1982年に軌間を軽便の762mmから1067㎜に改軌されましが、スムーズに改軌が進みました。その理由は、台東線はナローゲージながらも、隧道や橋梁、築堤などが将来の発展を踏まえて日本統治時代に縦貫鉄道と同じ規格(1067㎜)で整備されていたからです。 写真は、嘉義機関区、嘉義駅付近を走るDT650形(日本のD51)、DT580形(日本のキューロク)を撮ったものです。
2023.08.30
コメント(0)
1895年下関条約により清国から割譲された台湾は、当時、「化外(けがい)の地」(=文明の外の地、中国の権力・法律が行き届いていない地)、「瘴癘(しょうれい)の地」(=疫病、伝染病の地)と呼ばれていて、大陸の人々にとっては意味のない土地だったそうです。 1898年児玉源太郎が台湾総督に就任し、後藤新平が実務を取り仕切るようになると、次第に台湾の情勢も安定していきました。貨幣統一等を通じて、社会資本の整備が行われました。治安維持、衛生状態の改善、教育面の整備などが優先されました。1911年の「辛亥革命」に刺激を受けた人々が1915年頃まで台湾各地で武装蜂起を行うなどの事件も起こりましたが、阿片の撲滅、上下水道の導入、港湾や鉄道整備、製糖等の産業振興など、終戦までの間に、さまざまの社会資本が蓄積され、近代国家の行政能力は社会の末端まで浸透しました。 A氏は、生まれた時から日本語が共通語で、日本の教育を受けてきましたし、生まれた町では日本時代に始まった製糖産業が盛んでしたので、終戦のときに、自分が日本人ではなかったのだと知った時は衝撃でどうしたらよいのか呆然としたということです。 写真は、蘭嶼島(ランユイタオ)の海岸で遊ぶ子供、台南―嘉義間のCT150形(日本のハチロク)、貨物を牽引するDT580形(日本のキューロク)、すれ違うCT270形(日本のC57)、嘉義付近で客車を牽引するCT270形を撮ったものです。
2023.08.29
コメント(0)
写真は、昨日(2023年8月27日)朝の田んぼの様子です。 まだまだ青い田んぼもありますが、頭が垂れて黄金色になっていて稲刈り間近の田んぼがどんどん増えています。 田んぼの所々に案山子が見えます。案山子が一人で寂しくしている田もありますが、たくさんの案山子が賑やかな田んぼもあります。 Season for harvesting rice is coming. You can see scarecrows in rice fields for frightening birds away.
2023.08.28
コメント(4)
初めて訪台した1978年に、台東から操縦士を含めて10人乗りのプロペラ機に乗って、蘭嶼島(ランユイタオ)を訪問しました。 島民は、日本語と現地語を話します。与那国島も近いので、このあたりの島では、大昔から、日本語が話されていたのだろうと思っていましたが、実際はそうではなくて、日本統治時代の教育により日本語を話すようになったということでした。蘭嶼島に住む人々の元々の言語は、フィリピンのバタン諸島に暮らすイヴァタン族のイヴァターヌン語と同じ言語で、通訳無しでコミュニケーションが可能だそうです。文字は持たないため、その表記にはカタカナやローマ字を用いています。 島にある唯一のホテルの前で島のお年寄りの女性3名がたむろしていました。彼らと日本語で話をしていると、いつの間にか日本語を話せない旅行者たちが我々を取り巻いていて、コミュニケーションを取っている我々の様子を見学していました。 島民の男の服装は、日本の褌と同じです。海岸でふんどし姿で岩の間で何かを取っていました。彼らは、漁労とタロイモなどの作物を食料として自給的な生活を営んでいるそうです。タバコを所望されましたが、残念ながら私はタバコを持っていませんでした。 写真は、蘭嶼島でタタラと呼ばれている漁船を撮ったものです。彫刻がとても美しく、丸木船のように見えますが、竜骨を持つ寄せ板造りのボートです。
2023.08.27
コメント(0)
私が初めて台湾を訪問した1978年(中華民国67年)、台湾は、戦時体制、1947年以来の戒厳令下にありました。日本文化の台湾への持ち込みは厳しく禁止されていて、日本の雑誌や新聞、日本に関する本、テレビ番組などの録画テープは入国の際に全て没収されてしまいます。とは言っても、台湾の人々は、時々集まっては、日本のテレビ番組を録画したビデオテープをアングラで密かに見て楽しんでいました。 当時政治活動や言論の自由が厳しく制限され、大陸からやってきた中華民国政府による市民の逮捕・投獄が横行していたということですが、そのような場面には行きあたりませんでした。 軍事施設の撮影は禁止されていて、憲兵が目を光らせていました。空港、港湾、海岸線などにカメラを向ける事はご法度です。また、中国共産党の軍事力に対抗する必要から、1949年には台湾全域で徴兵制が導入されました。たまたま台湾大学を見に行った時も、キャンパス内で軍事教練のようなものが行われていました。 写真は、高雄駅構内で撮った蒸気機関車CT270形(日本のC57)と台東駅で休車中のナローゲージの蒸気機関車LDK50形を撮ったものです。
2023.08.26
コメント(2)
アミ族のA氏は花蓮市の光復に住んでいました。彼は自分自身を日本人だと認識していましたので、終戦で中国人になることに大きな戸惑いを感じたとのことでした。私が訪台した1978年当時、光復には製糖工場があり、日本式の家屋が残り、集落には日本式の大きな共同浴場もあり、私も入らせてもらいました。光復という町の名称は戦後に改称されたもので、「光復」の意味は、中国語の古い言葉で固有のものを回復すること、とりわけ失われた国土の回復失われた国土や主権の回復ということだそうです。 日本に割譲された時の台湾の祖国は満州族の清国(最後の皇帝は溥儀)でした。終戦時には、祖国である清国は1911年に既に滅亡していて存在せず、結局、漢民族の中華民国に帰属することになりました。台湾が中華民国の主権下に置かれた10月25日を記念してこの日を光復節と呼んでいます。1949年には、中国共産党により北京を追われた蒋介石率いる中華民国政府が台北に逃れて来て遷都しました。1971年には、国連における中国の唯一の正当な代表が中華民国政府から中華人民共和国政府とされることが決定しました。1972年には日中共同声明、1978年には日中平和友好条約が結ばれていますが、国際法上台湾の帰属は曖昧だとする説もあるようです。 写真は、新北市五堵駅から伸びている友蚋炭坑人車軌道(軌間495mm)です。人車軌道と並行して、1977年に廃止されレールが外された基隆炭坑鉄道の廃線の跡も写っています。
2023.08.25
コメント(2)
アミ族のA氏は、高校は埼玉県の与野の学校に通ったとのことです。驚きました。台湾の人が与野の学校へ?A氏によれば、当時、学校は日本国内どこでも自由に選べたというのです。驚きです。確かに、甲子園にも100年前の1923年、初の台湾代表として台北一中が出場していますし、1931年には、台湾の嘉義農林学校が甲子園で準優勝しています。台湾は日本だったのですから、不思議ではありません。 私が学んだ農業経済学科の先輩にもたくさんの台湾人がいて、当時の教授たちと台湾の教授たちとの間には強い絆があると感じていました。これも、おそらく一緒に学んでいた仲間だったのだろうと想像します。 写真は、五堵駅に貼られた鉄道電化の公告、新たに導入された電気機関車、台東駅構内で清掃中の762mmゲージの列車。
2023.08.24
コメント(0)
私がA氏と話をしたのは、今から45年前の1978年。当時、私の知人が台湾人の女性と結婚し、A氏はその女性のお父さんです。恐らく1920年頃の生まれだと思います。 A氏は、先住民族のアミ族の出身で、日本語を話しますが、中国語を話しません。A氏は中国語の新聞は読んでいるようでしたが、実際は漢字を見て意味をくみ取っているだけとのことでした。A氏に限らず、中国語を理解できない人が多い様子で、テレビ番組も、中国語で行われる放送には必ず中国語の字幕が出ていました。A氏は、中国語が不自由なために、自分の考えていることを日本語で伝えることはできるが、中国語では、なかなか伝えることは難しいと言っていました。家族内でも子供たちは日本語より中国語が得意ですので意思疎通は充分に取れないようでした。 写真は、花蓮から台湾中央山脈に向かう途中にある大理石の渓谷「太魯閣渓谷」、台東の街中、台東駅構内で洗車中の鉄道車両を撮ったものです。
2023.08.23
コメント(0)
「台湾は日本だった」というテーマでこれから何回かシリーズで書いてみたいと思います。台湾に関して、みんなで共有できるといいなと思うことがたくさんあります。それを一緒に考えていきたいと思います。 この「台湾は日本だった」という表現は、私が初めて台湾を訪問した1978年に、台湾で会った台湾先住民族のA氏が、私に語った言葉でした。この言葉がとても印象に残っていますので、この言葉をテーマとして使うことにしました。 写真はA氏が住んでいた台湾東海岸にある花蓮市光復で撮ったものです。ナローゲージの鉄道、サトウキビ運搬トラックなどの光景です。
2023.08.22
コメント(0)
写真は、川口自然公園(川口市差間1355)内にある池周辺を写したものです。 朝から、多くの人が釣りをしています。 私も、子供たちが小さい時によくこの公園に行きました。池だけでなく、遊具、芝生広場、湿地帯などもあり、自然がいっぱいあります。もっとも、この公園の周辺も自然だらけです。 池には、フナやクチボソだけでなく、タイリクバラタナゴもいます。 Many people were enjoying fishing at Kawaguchi Shizen Koen in Kawaguchi City, Saitama Prefecture.
2023.08.21
コメント(0)
毎回、新たな感動を呼び起こし、評判の『台湾と日本のハーモニーTAIWAN GRAND CONCERT』がいよいよ近づいてきました。 さて、今回はどのように感動させてくれるのでしょうか? 楽しみです。
2023.08.20
コメント(0)
Photos show the situation of rice field in Saitama City on August 19, 2023. The colour of rice has been becoming yellowish. You cannot wait the time of harvesting, can you?. 写真は、今朝のさいたま市荒川河川敷の稲作の様子です。かなり色づいてきました。収穫が楽しみです。 今年の作柄がどうなるのか、美味しいお米がとれるのか楽しみです。埼玉県には、「彩のかがやき」という品種があり、これが、他のどの品種よりも美味しいので驚きます。「彩のきずな」という品種もあり、これも同様に他のどの品種より美味しいです。今年も収穫が楽しみです。 令和5年産水稲の早期栽培の作柄は、徳島県及び宮崎県で「平年並み」、高知県及び鹿児島県で「やや不良」が見込まれ、沖縄県の第一期稲の作柄は、「平年並み」が見込まれる(7月15日現在)と発表されていますが、他の地域はどうなることでしょうか、楽しみです。【Bon appétit !】 The taste of Sainokagayaki rice is due to its strong stickiness and moderate graininess when cooked, followed by its softness and a slightly sweet taste that fills the mouth followed by Umami. The taste of rice is related to protein and amylose (a type of starch). Sainokagayaki has a relatively low protein content, which makes its flavor stand out. It also has a moderate aroma, making it perfect for delicate Japanese cuisine.(https://j-r-e.com/senda-mizuho-2)
2023.08.19
コメント(0)
全14件 (14件中 1-14件目)
1