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にほんブログ村 名古屋市 日泰寺の浅野祥雲作品、続きです。先日の2体の兵士像が見つめる方向。そこには次の兵士像があります。腹部から上の像です。像のみの大きさは、高さ50cm,幅30cm,胴部厚さ18cm。まだ顔には幼さも残っています。この像も含め、多くの兵士像が日泰寺の近くにありました。その場所が売却され、多くは中之院に引き取られました。今回の像などは、日泰寺の墓苑に移されたものです。[中之院の兵士像]【過去の記事1】 「中之院1」【過去の記事2】 「中之院2」破棄寸前だった浅野祥雲の兵士像は、かろうじて守られました。今回の記事の日泰寺の兵士像は、その一部です。破棄されかけた高見彰七の仏像群は、50体強が妙楽寺にあります。そして日泰寺には、高見彰七の観音像もあります。日泰寺には、浅野祥雲と高見彰七両名の作品があります。一歳違い、同世代のふたりに交流があったと考えるのは、ごく自然なことに思われます。[日泰寺の高見観音]【 名古屋コーチン さんわの手羽先 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.08.11
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にほんブログ村 先にご紹介した名古屋市 日泰寺での高見観音の現地確認。日泰寺では、鯖弘法、化粧地蔵もご紹介しました。日泰寺では「アレ」は観なかったの?そう思われている方もおられるでしょう。ご心配なく、もちろん観ています。「アレ」、つまり浅野祥雲作品です。二体の兵士像が、日泰寺の墓苑にあります。日泰寺の墓苑ではありますが、背景に見える西蓮寺と隣接しています。いつもの様に、兵士像の寸法も測定しました。兵士像は草木に隠れているため、上着裾から上の見える部分の寸法です。上着裾から上 73cm兵士2体分の幅 65cm厚さ 20cm兵士は兄弟で、日中戦争に関連した戦没者の慰霊像です。氏名もわかりますが、個人情報ですので伏せます。まだ若い命が戦争で失われました。8月になると、戦没者の無念さを想わざるをえません。この兄弟が見つめる先、目視できる距離にも兵士像があります。次回はその兵士像についてもご紹介します。【 名古屋 風来坊 手羽先唐揚げ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.08.09
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にほんブログ村 先日の謎の石像。この石像は、下記のコンクリート像と同じ人物を模したと思われます。こちらも初めの石像と同じく、愛知県日進市の岩崎御嶽社にあります。このコンクリート像、私は浅野祥雲作品ではないかと思っていますが・・・。これらの像に似たコンクリート像が、愛知県日進市の五色園にあります。こちらは、浅野祥雲作品です。この像は「名僧・皇円」。皇円は、法然の師です。皇円は静岡県の桜ヶ池(御前崎市浜岡)で大蛇の身を借りて、入定しました。衆生を救うためです。こちらは、その大蛇。岩崎御嶽社の石像なども、皇円を模したと思いますが如何でしょうか?コンクリート像の比較では、岩崎御嶽社と五色園でデザインが異なります。その点では、同じ作者・浅野祥雲かの疑問は残ります。如何でしょうか?【 多分、これは皇円じゃない 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.03.06
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にほんブログ村 愛知県日進市の米野木明神社。それに隣接して、米野木御嶽社があります。位置としては日進市東小学校の近く、米野木明神社の裏山辺りになります。御嶽社特有の人の気配がない寂しい場所。そこには、浅野祥雲作品と噂されるコンクリート像があります。弘白龍神とあります。周囲は木々に囲まれています。銘板から、昭和11年11月19日に57才で入信した人物をモデルにしたことが分かります。また、像は昭和33年3月に建てられたとあります。作家名はありませんが、作風は浅野祥雲。おそらく祥雲作品だろうと、私は感じました。【 ハロウィンゴースト 125cm 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2021.09.28
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にほんブログ村 浅野祥雲のコンクリート像が立ち並ぶ、愛知県日進市の五色園。今回は、探し出すのが最高難度レベルの浅野祥雲作品をご紹介しましょう。それは「先祖供養像」として知られる、小さな作品。その小ささと設置場所から、この像に出会えるのは愛好家のみに限られます。まず「板敷山弁円狙撃」に向かいます。すると、坂を上る階段で、次の方に行く手を阻まれます。そこで少し下に降りて、上りに向かって右をご覧ください。赤丸の部分にコンクリート像が見えています。しかし、黄色の線は、土手を固めるコンクリート塀の端。数メートルの落差があり、落ちれば無傷では済みません。それにも関わらず、ご覧のとおり足元は極めて悪い。突き出た鉄筋が怖く、土と塀の間の溝にも足を取られます。もし行かれるなら、自己責任でお願いします。私は再び行く気にはなれません。崖下からのアプローチ法もあるかもしれませんが・・・。では、浅野祥雲作品のご紹介。そこにあるのは、まずは鳥。カラスかと思いますが、くちばしが黄色く塗られているのは謎です。そして、高さ20cmほどの小さな人物像が、草をかき分けると出てきます。人物像は5体。崖を滑り落ちながら、草をよけて撮影します。そして、この人物像。この人物像に肩を並べるようにして、婦人像があるはずでした。しかし深く草に覆われ、私は見落としてしまいました。いや、見落とすというより、私は崖を滑り落ちていきました・・・。もう一度警告します。この像をご覧になる方は、自己責任でお願いします。落下、受傷、毒虫、ヘビ、あらゆる危険が待っています。五色園の鑑賞難度最高レベルには、それなりの理由があります。【 夏の和菓子 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2021.06.27
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にほんブログ村 名古屋市緑区の緒畑(おばた)稲荷神社。そこにも大きな白狐のコンクリート像があります。作者は不明。ペンキは塗り替えられて間がない様子です。口元はペイントで、やや雰囲気が変えられています。この白狐、名古屋市中区の豊福稲荷堂(安用寺)の白狐と似ていると思います。比較してみましょう。左) 緒畑稲荷神社、右) 豊福稲荷堂【関連記事】 「豊福稲荷堂の白狐」いかがでしょうか。双方の白狐ともに、作者不明のコンクリート像。作者はだれか。双方、同じ人物の作品か。謎は、いまだ解明されません。【 レアチーズ大福 】 にほんブログ村
2021.04.10
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にほんブログ村 いつもは平気で1年以上前の写真を使っている私ですが、今回は最近の写真でお届けします。五色園の浅野祥雲作品を花とともに。☆「今日は良い天気じゃなぁ」「えぇ、桜もとてもきれいですわ」「つつじも咲いてございます」「ととさま、おそとは気持ち良いですね」「みなさん、お経の時間ですよ」「おや、だれか走ってくるぞ」「すみません、おくれました!」「けしからん。おつとめに遅れるとはなにごとぞ!」「ええぃ、そこになおれ!」「まぁ、みんな、良いではないか。 過ちはだれにでもある」「仏の御心は、慈悲の心じゃ」「というわけで、わしは疲れた。 寝る。 おつとめは頼んだぞ」「そういうことでは、私、だめだと思うの」☆春らしく、ほのぼのとした五色園。ですが、祥雲作品の近くには、あまり桜はありません。あるのは雑木や紅葉ばかり。花とともには、ごく一部の祥雲作品しかご紹介できません。ましてや一眼レフではなく、いつものコンデジ撮影。写真サイズの違いは、2台のコンデジで撮影したため。加えて私のウデでは、お見苦しい写真ばかり。ご満足いただける記事ではなくて、すみません。ごめんなさい。・・・・・・・・・・・・・・・・【 桜咲くさくらゼリー 】 にほんブログ村
2021.03.29
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愛知県日進市の岩崎御嶽山。石仏だらけのその地を離れ、奥の院へ徒歩で向かいます。岩崎御嶽山の小山を降り、隣山の山頂を目指します。上りばかりで移動は大変です。途中、浅野祥雲作品らしい軍人像もありました。奥の院の浅野祥雲作品候補を紹介します。獅子は如何にも、浅野祥雲作品と思います。浅野祥雲作品か?さて、如何でしょうか?・・・・・・・・・・・・・・・・※ 愛知のおいしい えびせんべい【 坂角総本舖・ゆかり 】にほんブログ村
2021.01.21
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浅野雲岳(祥雲)作品でしょうか。愛知県春日井市の勝川大弘法を見た後のことでした。周囲を探索中、ひとつの出会いがありました。春日井市の地蔵寺の門の前に、彩色された弘法大師像がありました。勝川大弘法の近くでもあり、浅野雲岳(祥雲)作品かもしれません。スマートな八頭身の弘法様。ちょっと浅野雲岳(祥雲)作品らしくありません。しかし、弘法大師像の背面には、驚きの文字があります。「山口悦太郎」は、勝川大弘法に並ぶ不動明王像にもありました。山口悦太郎は、浅野雲岳に不動明王像の製作を依頼した人物。不動明王像の文字を再掲載します。製作者が刻んだ、文字の筆跡も似ていますね。さて、この八頭身の弘法様。浅野雲岳(祥雲)作品でしょうか?・・・・・・・・・・・・・・・・※ この像は地蔵菩薩との指摘がありました。 その通りと思いますので、訂正します。・・・・・・・・・・・・・・・※ 非常に厳しい状況。お気をつけて。【 ハンカチ / 財布まもり 】 にほんブログ村
2021.01.15
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名古屋駅太閤通り口を出て左に5~10分進む。そこには、浅野祥雲作品かもしれない像があります。これらは、ロータスビル傍の駐車場にあります。これらの像は、この場所に以前あった寺が経営する幼稚園にあったとのこと。浅野祥雲作品か否かは、わかりません。小さな像もあります。しかし、この場所で一番インパクトがあるのは象でしょう。私は象に魅かれました。象の背中には、穴があります。きっと普賢菩薩様が、乗っておられたのでしょう。浅野祥雲作品に似た点もある像。みなさんは如何思われますか?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・※ 象の陶磁器製フィギュリン【 ヘレンド / リサ・ラーソン 】 にほんブログ村
2020.12.27
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愛知県犬山市の成田山。成田山入り口の駐車場前の丘とは別に、数多くの浅野祥雲作品があります。成田山本堂裏の丘の上。そこには、不動明王と三十六童子の像があります。もちろん、これらも浅野祥雲の作品です。以下の写真で、ご覧ください。この場所は高台ですので、落ち着いて拝見できます。中央には不動明王様。やさしさを感じる、童子様達でした。来年の初詣は、皆さん混雑時は自粛かと思います。神様や童子様達は逃げませんので、密を避けて御参拝ください。【成田山の浅野雲岳作品①】 「浅野祥雲の仏像 (成田山の五大明王と八大童子)」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・※ 成田山といえば交通安全【 リサ・ラーソン / 無事帰る 】 にほんブログ村
2020.12.16
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愛知県小牧市の杲洞寺(こうどうじ)にある浅野祥雲の四天王。四天王の配置が間違っていると書きました。では、正しい四天王の配置と比べましょう。四天王は守るべき方角が決まっています。北の守りは多聞天。東は持国天。南は増長天。西は広目天。しかし通常、仏像は南を向いています。正面に増長天が来るのを避けるため、45度配置をずらします。(北西)広目天 (北東)多聞天(南西)増長天 (南東)持国天これが正配置となります。次に、杲洞寺の四天王の配置を見ましょう。観音様に向かっての配置です。(左奥)増長天 (右奥)持国天(左前)多聞天 (右前)広目天実は杲洞寺の観音様は、南東を向いています。その方角を反映すると、杲洞寺の四天王は次の配置になります。(西)増長天 (北)持国天(南)多聞天 (東)広目天やはり配置がバラバラです。本来あるべきは次の配置です。(西)広目天 (北)多聞天 (南)増長天 (東)持国天お寺にある仏像が、なぜ誤配置なのか、わかりません。浅野祥雲作品の謎のひとつです。それぞれ違う配置で、観音様を守護する四天王。きっと戸惑っているに違いありません。【前の記事】 「浅野祥雲のお恵観音と四天王」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・※ お正月も近くなりました【 巫女 / 丑 】 にほんブログ村
2020.12.10
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愛知県春日井市の慈眼寺。その寺を訪れたのは、確かめたいことがあったから。慈眼寺には、浅野祥雲作らしいというコンクリート像があります。この弘法大師は、別体の笠をかぶっています。2m以上はある大柄の像は、祥雲作品に思えます。手前に不動明王も見えますが、コンクリート像か石像かもわかりません。傍に小さな弘法様を祀った祠があります。その手前の香炉も、祥雲作品かもしれません。シンプルな形ですが、卍の造りが祥雲作品に似ています。香炉の裏にも作家銘はありません。今回の祥雲像は、駐車場から参拝すると見逃しがちな場所にあります。下記の正門から入ってすぐ右に弘法大師像があります。みなさんは今回の弘法大師像、浅野祥雲作品だと思いますか?・・・・・・・・・・・・・・・・※ 和風と洋風の融合、シノワズリから。【 シノワズリのしおり / ヘレンドのシノワズリ ティーカップ 】 にほんブログ村
2020.12.04
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写真は、愛知県小牧市の杲洞寺(こうどうじ)から。観音様を中心に、四天王が並びます。観音様の名前は「お恵観音」とあります。祠の背面には作者の銘板があります。作家は皆さんもお気づきのとおり「浅野祥雲」です。昭和34年、祥雲68歳の作品です。香炉の裏に、浅野祥雲の妻、俊子の名前があります。四天王の配置は、なぜか間違っています。祥雲の作品ではこの様な誤配置がありますが、理由はわかりません。しばらく後の記事で、四天王の配置について検討してみましょう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・※ 四天王つながりで陶器くらべ【 九谷焼 四天王柄水指 / 陶器製毘沙門天守り 】 にほんブログ村
2020.11.23
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今回は、弁財天をご紹介します。こちらの弁財天も、愛知県春日井市の観音寺におられます。ご覧の通りの浅野祥雲らしいお顔です。しかし、作者の銘は浅野雲岳。この弁財天を見ても、「浅野雲岳」=「浅野祥雲」と思えます。じっくりとご覧ください。作り手が誰としても、伝わる気持ちは同じです。弁財天は音楽の女神、そして水の女神。筆が奏でる、書の旋律。風になびく、柳が魅せる水の流れ。弁財天は、道風の傍に在るにふさわしい。【春日井市 観音寺の浅野雲岳作品】 「浅野雲岳作 小野道風」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・※ 弁財天の陶器くらべ【 瀬戸の陶器製弁財天 / 信楽焼 弁財天茶碗 】 にほんブログ村
2020.11.17
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こちらは三跡の一人、小野道風。愛知県春日井市 観音寺にあるこの像も、浅野祥雲作品です。観音寺は道風公園に隣接しています。浅野祥雲と書きましたが、正確には浅野”雲岳”作品です。道風像の台座の裏、左下に「雲岳」の銘があります。寄付主「山口悦太郎」の名前は、以前もありましたね。小野道風は、小野妹子や小野篁の子孫でもあります。春日井市出身という説があり、平安時代に宮中に勤めました。小野道風といえば、柳とカエル。(出典: https://www.post.japanpost.jp/kitte_hagaki/stamp/furusato/2000/1020_kaeru/index.html )何度も柳に飛びつこうとし、そして願いが叶い飛びつくカエル。道風はそのカエルの姿に、あきらめずに努力することの大切さを知ったと言われます。道風像の傍にある、このカエルも浅野祥雲(雲岳)の作品でしょうか。一方で道風は、空海の書を激しく批判したとも伝わります。芸術家らしい逸話ですが、当然に道風を嫌う人も少なくはありませんでした。道風像の傍には、道風記念館があります。その展示説明では、道風を嫌う絵師により、次の明治時代の道風の絵では、あえて醜く描かれたらしいとありました。(画像出典: ウィキペディア )その絵に比べ、浅野雲岳の小野道風は凛々しいお顔でした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・※ 萬古焼は三重県四日市の陶器です。【 小野道風 刺繍しおり / 陶器 カエル付き萬古焼 急須 】 にほんブログ村
2020.11.10
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愛知県犬山市の成田山。そこには茶色一色に塗られた、数多くの浅野祥雲作品があります。場所は成田山入り口にある、駐車場前の丘。斜面に五大明王と八大童子の、計14体が置かれています。茶一色で塗られると、まるで陶器製の仏像の様です。斜面に階段があり、比較的近くで見ることができる仏像もあります。牛の乗る大威得明王。倶利伽羅明王は独特のデザイン。阿耨達童子は龍に乗ります。やはり、金剛夜叉明王は目を惹きます。成田山の本殿に向かおうともせずに、ひたすら写真を撮り続ける私。駐車場前ですから、車中からの冷たい視線が私の背中に刺さります。長々と撮影後、私はようやく本殿への階段を上がります。目的は、次の浅野祥雲作品。実は成田山には、さらに37体の浅野祥雲作品があります。その紹介は、またいつか別の機会に。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・※コンクリート像と下記の陶器(せっ器)をくらべてみましょう【 常滑焼 / 備前焼 (木南知加選) 】 にほんブログ村
2020.11.03
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浅野祥雲の作品を御紹介。それは愛知県津島市の身代山弘法寺の入り口にあります。可愛らしい獅子。その獅子がいるのは、この場所。身代地蔵様が祀られています。手前にある香炉,獅子,花瓶が、浅野祥雲作品。背が高い花瓶。花瓶は持ち手もユニーク。この近くの香炉2個も祥雲作品。昭和36年、祥雲70歳の折の作品です。身代地蔵様は道路沿いにあり、雨風に耐えています。浅野祥雲さんが石材や陶器ではなく、コンクリートで造形した理由。それは石材より彫刻しやすく、陶器より長持ちすると思ったから。しかし実際は、コンクリートは内部の鉄筋の腐食などにより、劣化しやすい材料でした。そのため、今ではコンクリート像はあまり作られません。今後、浅野祥雲さんほど多くのコンクリート像を作る作家は、現れはしないでしょう。【身代山弘法寺の浅野祥雲作品】 「浄め地蔵菩薩」【 今では獅子舞も珍しくなりました / ハンナターナーの陶器の獅子 】 にほんブログ村
2020.10.27
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にほんブログ村 今日は、この方をご紹介しましょう。ここは、愛知県津島市の身代山弘法寺。ご紹介するのは、「浄め地蔵菩薩」様です。笠を手にした高さ約2.5mの大きな地蔵菩薩様。見慣れたお姿の浅野祥雲作品です。では浄めて戴きましょう。地蔵菩薩様の近くにお進みください。笠を仰いで、しばし黙祷。浄められたでしょうか。地蔵菩薩様の手前の手水台も、浅野祥雲作品。彫刻が見事です。迫力のある龍。地蔵菩薩様に浄めて頂き、心和やかになりました。【 なごやかに 】 にほんブログ村
2020.10.20
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愛知県犬山市の桃太郎神社。多くのコンクリート像が印象的な神社です。ここのコンクリート像は、浅野祥雲作として知られています。しかし注意が必要です。ここには祥雲以外の作品も多くあります。以下に、祥雲以外の作品を示しますのでご参考に。「神社入り口」うつむいた鬼らしいけど、酷い造形。「ももくぐり付近の鬼」「拝殿前」「本殿裏」 見落としがち「有料エリア」「悪運はサル」 ある意味、面白い浅野祥雲の真作は、以前に一部ご紹介しましたのでご参考まで。【桃太郎神社の記事】 「ボク、わるいオニじゃないよ」祥雲作とそれ以外、違いはおわかりでしょうか。桃太郎神社に行かれる方は、御注意を。【定番ですね】
2020.10.13
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生みの親に確証がないというのは、寂しいものです。そして会ってくれる人も少ないとしたら、なおさらでしょう。聖願寺の境内、本殿裏の石仏群とともに待つ者達がいます。その者達は浅野祥雲の作品”だろう”と言われます。作者の銘が確認できませんから、正確な作者はわかりません。聖願寺は以前紹介した、 名古屋市緑区姥子山の弘法大師像の傍にあります。弘法大師像からは、歩いて数分の距離です。【名古屋市緑区姥子山の弘法大師像】 「あの白い顔がわすれられない」制多迦童子様は、やはりこちらを見ています。でも怖い目ではありません。矜羯羅童子様は少し遠い目。やはり寂しいのでしょうか。弘法大師様もおられます。作風から、浅野祥雲の作品で間違いはないでしょう。これらの寂しい者達に、だれか会ってあげてください。【持ち物には名前を】
2020.10.07
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愛知県の心霊スポットとしても有名な大慈山中之院。境内の多数の兵士像。たしかに特有の雰囲気があります。しかし心霊云々ということではなく、浅野祥雲の作品の特徴が影響していると思います。祥雲作品の特徴。それは祥雲の人物像の視線にあるでしょう。なにげなく撮る写真も、誰かと目が合うことに気づきます。それぞれの写真、誰がこちらを見ているか、探してください。その視線は怖いものではありません。時には優しく、時には何をしているのかと問うように、静かな視線が投げかけられています。彼らはもういないけど、変わらぬ止まった時がそこにあります。平和を守ると誓うから、いつまでも、やすらかに。【中之院の兵士像1】 「記事のリンク1」【中之院の兵士像2】 「記事のリンク2」【 進む道を誤った 】
2020.09.25
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コンクリート像作家、浅野祥雲。祥雲の神髄に迫りたいなら、ぜひご覧戴きたい作品があります。その作品は、愛知県知多郡南知多町の岩屋寺の傍の大慈山 中之院にあります。それは、他で見る祥雲の作品とは一線を画す軍人像です。昭和12年、上海上陸作戦が行われ、日本軍は中国軍の大群の眼前に出る愚行を犯しました。上陸したのは、名古屋第3師団歩兵第6連隊の兵士。大軍を前に、わずか8日間で150名の兵士が全滅しました。それは一方的な虐殺出会ったと言われます。石像は全92体。このうち、浅野祥雲が81体のコンクリート像を、11体の石像を4人と石職人が作製したと言われます。昭和12~18年に、兵士の写真を参考にして作られました。犬を連れた兵士もいます。一人は服を着ています。この像は、当初は名古屋市千種区の覚王山の霊園北側にありました。第2次世界大戦後にG.H.Qにより廃棄されそうになりましたが守られました。しかし近年の土地問題から廃棄されそうになりました。そこで、平成7年に中之院に移設されることになりました。一部、名古屋市に残る像もあります。浅野祥雲が作る仏像は、仏像らしくないと言われます。人間味のある仏像は、愛らしくユニークです。仏像を人らしく、そして人も人らしく作る作家。浅野祥雲は、そういう作家なのです。【 風化しつつある日中戦争 】※中之院の兵士像の日記、次回も続きます。
2020.09.21
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愛知県犬山市の桃太郎神社。ひさしぶりにこの神社に訪れました。先ほどの写真は「やさしい鬼」です。この神社にある多数のコンクリート像も、浅野祥雲氏の作品です。「ボク、わるいオニじゃないよ」と言っていそう。この神社は、昭和5年に観光促進を意識して築造されました。以前の訪問時は「鬼のミイラ」もありましたが、その後の宝物館の火災で失われました。「愛知県で桃太郎?」と疑問の方も多いと思います。岡山県や香川県に限らず、愛知県にも桃太郎伝説はあります。愛知の桃太郎伝説では、桃太郎は犬山市で育っています。やはりここでも桃太郎は、川を流れてきた桃から生まれています。当然、鬼も退治し、その鬼ヶ島は岐阜県可児(かに)市の可児川にあります。桃太郎はきび団子も持参し、犬、猿、キジも登場します。特徴的なのは、鬼ヶ島が川にある島というところ。それと、桃太郎は晩年は姿を隠し、神様となり神社に祀られたところです。犬山市の”犬”など、この地域には桃太郎に由来した地名が多くあります。この地の桃太郎伝説は、地名と深い関わりがあります。昔話の発祥の地はどこが初めかを、問うことは無意味でしょう。どの地にも英雄がいて、どの地にも救われた人々がいる。救いや喜びや笑いがある限り、その地に昔話は生き続けるのだから。【ここにも桃太郎】
2020.07.27
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猫はなぜ、そこにいるのでしょうか?先日、「キイロマン☆彡」さんが人物像の傍に猫がいる様子を紹介されていました。人物像の傍に猫がいる状況は、私もよく見ています。たとえば、岩崎御嶽社で見た猿田彦大神。作者はもちろん、浅野祥雲です。初め見た時には猫はいませんでしたが、周囲の人物像を見ている間に現れました。なぜ猫は、人物像の上にいるのか?猫がテレビやPCのモニタ前に居座るのと同じ理由でしょうか。猫がテレビやモニタの前が好きなのは、かまってほしいという気持ちの表れといわれます。皆さんはなぜ猫は人物像の上にいると思われますか?*かつて話題だった、下記の猫の場合は別の理由です。【この目立ち方は危険】
2020.07.01
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誰もが驚きました。まさか彼らに逆らう者がいようとは。彼らは近隣を荒らしていた荒武士達。彼らに抗議する命知らずは誰でしょうか。その命知らずは、なんと12歳の少年。奉公先を逃げ出し、橋の上で寝ていた日吉丸(豊臣秀吉)でした。日吉丸は一行が彼の頭を蹴ったから、詫びろと行っています。日吉丸は一行の頭の刀の鞘をつかんで離しません。血気盛んな荒武士達は、すでに臨戦態勢です。行く手も阻まれ、日吉丸に逃げ場所はありません。静かに成り行きを見守る者たちもいます。一行の後方の者たちは、まだ何が起きたかよくわかっていません。実は一行の頭は、蜂須賀小六でした。小六は荒ぶる一行を諭します。この件で、蜂須賀小六は日吉丸の度胸に感心しました。そのうえで小六は日吉丸を家来にします。これが後の豊臣秀吉の出世のきっかけとなりました。これは「日吉丸 矢作橋 出世の緒」。愛知県の五色園で、浅野祥雲の最高の力作と私は思います。なにしろ矢作橋まで作っているのですから。しかし、五色園という宗教公園に無関係な秀吉の話。しかも秀吉の時代には矢作橋はできておらず、後の作り話とされる逸話。想いの読めない祥雲さんの熱意に戸惑いつつ、私も唐突にピクチャー撮影中心でのご紹介でした。【日記1】 「魅力的なコンクリート像 ― 五色園 ―」【日記2】 「夏は厄介です ― 五色園2 ―」【日記3】 「踏みつけては駄目です ― 五色園3 ―」【日記4】 「迷う道で救いの手が ― 五色園4 ―」【日記5】 「名古屋の心霊スポット ― 五色園5 ―」 【日記6】 「森に埋もれて ― 五色園6 ―」【日記7】 「なにに驚いているの? ― 五色園7 ―」【爪切り 秀吉モデル】にほんブログ村
2020.05.07
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あの顔が忘れられません。名古屋市緑区の姥子山。住宅地の道路沿いに、3体の浅野祥雲の作品があります。弘法大師像は、祥雲の作品でも際立って完成度が高い像。台座の銘から、個人の依頼で銀婚記念に建てられたことがわかります。昭和7年建立。不動明王像も祥雲らしい作品。気になるのは一番左側の像。真っ白な顔が怖い。姿勢からは、弁財天像と思われます。姥子山の像は個人の管理なのか、保存状態がよくありません。それは、弘法大師像の台座を見ても分かります。コンクリートの外壁は崩れ落ち、鉄筋の心材がむき出しになっています。このままでは鉄筋が錆びて朽ち、像は崩落することでしょう。あの白い顔の弁財天は物言えず、崩落の危険を告げているに違いありません。そう思うと、怒りの表情に見えた白い顔が、いつしか悲しみを耐え忍ぶ、苦悩する忍耐の表情に思えてきました。【楽天】
2020.04.13
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なぜ、この女性は驚いているのでしょうか?それは目の前に、鬼が現れたからです。この像は、有名な「肉付きの面」が題材。やはり愛知県の五色園にある浅野祥雲の作品です。清は信心深い女性でした。不幸にも清は夫と子供に先立たれ、姑と一緒に暮らしていました。清は毎日、寺に通い、夫達を弔っていました。その姿を見た村人達は清をほめますが、それを姑は妬みました。そこで姑は鬼の面をかぶって、寺で清を脅かしました。脅かした後に清は面を外そうとしますが、なぜか外れません。涙を流して悔やむ姑。その姑に、清は念仏を唱えよと諭しました。姑が念仏を唱えると面は外れ、姑も仏への信仰を深めたとのことです。これらの像も最近補修されました。この清の像も悪戯で腕が折られ、最近、腕を作り直したそうです。そんな悪戯者には、鬼の面を付けてあげたい。【日記1】 「魅力的なコンクリート像 ― 五色園 ―」【日記2】 「夏は厄介です ― 五色園2 ―」【日記3】 「踏みつけては駄目です ― 五色園3 ―」【日記4】 「迷う道で救いの手が ― 五色園4 ―」【日記5】 「名古屋の心霊スポット ― 五色園5 ―」 【日記6】 「森に埋もれて ― 五色園6 ―」【楽天】
2020.03.17
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見事なアヒル口の童子様。愛知県尾張旭市新居町の大弘法様の横におられます。もちろん不動明王様もおられます。私の過去の記事をご覧になられた方は、違和感を覚えられたかもしれません。そうです、童子の配置が逆なのです。本来、「慈悲」を示す矜羯羅(こんがら)童子様は向かって右が正位置。そして、「憤怒」を示す制多迦(せいたか)童子様は左が正位置。不動明王様、気になりませんか?傍では阿弥陀如来様も、不思議そうに考え込んでおられます。昭和3年作の勝川の不動三尊は正位置なのに、昭和6年作のこの像はなぜ逆位置になったのでしょうか。”こんがら”と”せいたか”の童子を逆に配置。作者の浅野祥雲さん、”こんがらかって”しまいましたか?【日記1】「弘法大師様を守りたい」 【日記2】「幸せな街のアイドル」 【日記3】「大弘法様は高さ10メートル」 【楽天商品】
2020.03.08
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今日も大弘法様をご紹介します。今日、ご紹介するのは、尾張旭市新居町の大弘法様。尾張旭市は、先日御紹介した大弘法様がある春日井や勝川と隣接しています。こちらは退養寺の東にあり、「新居の大弘法さん」と呼ばれています。昭和6年建立の高さ10mの大弘法様。もちろん、浅野祥雲さんの銘もあるコンクリート像。塗装も塗り直され綺麗です。ちらほらですが、近隣の方が参拝に来れれます。尾張の浅野祥雲さんの弘法大師様。御紹介でき、満足な私です。【日記1】「弘法大師様を守りたい ー 春日井 ー」 【日記2】「幸せな街のアイドル - 勝川 -」 【楽天商品】
2020.03.06
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こちらの弘法大師像は、愛知県のJR春日井駅傍にありました。駅傍とはいえ、駅北口から見て右斜め前の道を入ったビル陰で、分かりにくい場所にあります。昭和7年建立のこの像は、浅野祥雲氏の作品と語られます。この場所は正栄寺とありますが、寺の建物はありません。訪問した際、女性がひとりでこの場所を整備していました。この像ができて間がない子供の頃、亡きご主人と遊んだ思い出がある場所とのことでした。一時期この像は、駅前の再開発で撤去が検討され、なんとか保存され残りました。平成19年には保守され、その時は地域の皆さんで寄付したそうでした。「誰かこの地の管理の跡を継いでくれればよいけど・・・」そういう女性に、「最近この像は知名度が上がっているから大丈夫」と私は答えました。しかし、女性は黙ったままでした。「弘法大師様の右手の細い道から裏に廻れる。 そうしたら、像の台座の下の御堂に入って、小さな大師様が見れる。」そう、女性は教えてくれました。「私は脚が悪くて、もう裏には行けないけど・・・」そういう女性にお礼を言って、細く荒れた砂利道を裏に回りました。御堂にはたくさんの大師様。地域の皆さんからの寄進仏の様でした。御堂内の大師様に一礼、そして振り向くと、一歩一歩確かめながら、ゆっくりと家路に向かう、あの女性の後姿がありました。【楽天商品: ねこの日の本日、劇場アニメ化「ねこねこ日本史」】
2020.02.22
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にほんブログ村 愛知県の五色園には、人知れず森に埋もれた像もあります。そのひとつ日光菩薩がある場所をご紹介しましょう。この像は意外にも、五色園で最も有名な「信行両座」の近くにあります。まずは「信行両座」のお話から。法然上人は、門弟たちに「信不退」と「行不退」のどちらの考えかを問いました。「信不退」とは、弥陀の本願を信じるだけで不退転が得られるという考え。「行不退」とは、信じるだけではだめで、念仏の行が必要とする考え。ほとんどの門弟たちは、「行不退」を支持しました。そこにひとり、遅れて駆けてきた門弟がいます。その門弟は、熊谷蓮生房。とても真剣な表情です。彼は迷わず、皆と違う「信不退」を支持しました。一同の意見がそろった後で、法然が自身の考えを述べました。「私は”信”である」と。それを聴き、門弟たちは”行”を支持した浅はかさを恥じたそうです。****さて、冒頭の日光菩薩は、この信行両座の後方を右の森に入るとあります。道なき草地に踏み入れて、森を目指します。草で隠れた足元には、マムシがいるかもしれません。穴があったり、沼地かもしれません。それでも信じて森を目指します。すると突然、けもの道が現れ、この日光菩薩に出会います。今回のコンクリート像も、すべて浅野祥雲の作品です。五色園にも、私が出会っていない浅野祥雲の作品がまだ森に埋もれています。楽しい探索ですが、やはり危険です。探索は、ほどほどに。【日記1】 「魅力的なコンクリート像 ― 五色園 ―」【日記2】 「夏は厄介です ― 五色園2 ―」【日記3】 「踏みつけては駄目です ― 五色園3 ―」【日記4】 「迷う道で救いの手が ― 五色園4 ―」【日記5】 「名古屋の心霊スポット ― 五色園5 ―」 【楽天商品: ひょっこり】 < ↓ ランキングクリックはこちらから ↓ >にほんブログ村
2020.02.04
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この場所は愛知県の岩崎御嶽社の本堂に向かって右側を下った場所にありました。逆光で露出を補正しているので明るく見えますが、薄暗い木陰になります。不動明王様は、今日もお怒りです。不動明王様を見つめていると、なにか視線を感じます。視線は左から??えっっ!!にらまないでください。なにも悪さはしていません、・・・たぶん、まだ。今度は逆から視線が・・・。・・・・・・。すみません。そんな目で見ないでください。もう帰りますから・・・。このコンクリート像、帰宅後調べると、やはり浅野祥雲さんの作品と推定されているとのことでした。作風からも、たしかに浅野祥雲さんの作品でしょう。東海地区に800体はあると言われる、浅野祥雲さんの作品。作風ばかりではなく、その無銘の作品探しも魅力です。無数の石像に囲まれて、若干の悪寒とともに、霊山で作品探しをしてみませんか?【日記1】 「石だらけの霊山は難所です - 岩崎御嶽社1 -」【日記2】 「不思議スポット『穴不動』 - 岩崎御嶽社2 -」【楽天商品: 猫は衆生を救う】
2020.01.20
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愛知県の五色園は、心霊スポットとしても知られています。それだけに、ちょっと怖さがある場所でもあります。特にそれは、先に紹介した「箱根権現御饗応」像からさらに奥に進むとわかります。樹木の間を暗い谷に降り、また登ります。道の除草もあまり良くなく、この道でよいか不安になります。丘を登り、明るい場所に出ると、突然に塔が現れます。そして、振り返り進むと拝殿らしき建物。相当に痛んだ様子。撮影時、何が水平が分からなくなりました。拝殿の脇を進むと六角堂があります。この六角堂の内部にも、浅野祥雲のコンクリート像があります。しかし普段は見ることができません。この場所にしばらくいると、不安になってきます。ただ、それは心霊スポットの”なにかいる”不安ではありません。”だれもいない”という”遭難しそう”な不安です。地図でほとんど人が来ない道を、白く示しました。この場所であれば、すぐに”遭難感覚”を体験できます。この他にも、地図にない道や像が多くあります。注意なのは、六角堂の場所。地図では黄色丸で示されていますが、実は橙の場所にあります。メインの通りを外れれば、遭難の恐怖が待つ五色園。霊感の強い方は、ヒト以外の”なにか”にも出会えるかもしれません。来場者を飽きさせない五色園。みなさんも、いかがでしょうか?【日記1】 「魅力的なコンクリート像 ― 五色園 ―」【日記2】 「夏は厄介です ― 五色園2 ―」【日記3】 「踏みつけては駄目です ― 五色園3 ―」【日記4】 「迷う道で救いの手が ― 五色園4 ―」【楽天商品: 遭難防止】
2020.01.13
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この表情は、どうしたことでしょう。関東からの帰路、親鸞聖人一行は箱根の山中で夕暮れを迎えて途方にくれていました。しかし一行らの目前に・・・。そこには鳥居の下で出迎える箱根神社の神官らの姿がありました。なぜ神官らは、親鸞一行のことを知り得たのでしょうか。神官らは親鸞聖人一行に驚きの理由を語ります。「夢で権現様が、尊敬すべき客人があるから、丁寧に饗応すべしとお告げを下さいました。」これらは「箱根示現」という言い伝えをモデルにした、愛知県 五色園の「箱根権現御饗応」像。もちろん、こちらも浅野祥雲のコンクリート像です。お正月らしく、鳥居や神官様が関係した場面を選びました。しかしこれらの像は、五色園の大安寺本堂の裏側の山道にあります。この場所はまったく人気(ひとけ)がありません。高さ2ⅿのコンクリート像の撮影中、徐々に不安になってきます。この押し寄せる不安さが、五色園が別の意味で知られている理由なのでしょう。【日記1】 「魅力的なコンクリート像 ― 五色園 ―」【日記2】 「夏は厄介です ― 五色園2 ―」【日記3】 「踏みつけては駄目です ― 五色園3 ―」文末になりましたが、今年もよろしくお願いします。【楽天商品】
2020.01.01
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この毘沙門天像、どこかで見たような気がしませんか。この像は、名古屋市の熱田神宮に隣接した、秋葉山円通寺にあります。実はこのコンクリート像も、作者は浅野祥雲です。毘沙門天の前の花筒に祥雲の銘があります。境内の南端にありますので、逆光で写真写りが悪い点はご容赦ください。毘沙門天が踏みつけている悪鬼をご覧ください。憎めないこの表情は、まさに浅野祥雲の作品です。毘沙門天の前には香炉があります。香炉を持つ小鬼が、実にかわいらしい。小鬼の表情をご覧ください。とても良い顔をしています。初詣で熱田神宮に行かれたら、ぜひ秋葉山円通寺のこの像もご覧ください。・・・今年はお世話になりました。また来年もよろしくお願いします。【楽天商品: 干支】
2019.12.30
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この怖いお方は何を踏みつけているでしょうか?この写真も、愛知県日進市の五色園の浅野祥雲のコンクリート像。ノーマルでは面白味に欠けたので、HDRモードでピクチャー効果をかけて撮影しました。実はこの方は夜盗。実に罰当たりなお方を踏みつけています。全体像はこちらです。なぜ、こうなったのでしょう。それは次の物語を題材にしています。・・・・・・・・・・・「夜盗耳四郎聞法の場」摂津の国の大盗賊、耳四郎は、法然の法話に心を動かされました。耳四郎は法然に罪を告白し、涙とともに念仏を唱えました。日々、念仏を唱える耳四郎でしたが、夜盗を止めることができずにいました。その姿を夜盗の仲間が快く思うはずはありません。耳四郎の寝こみをねらい、耳四郎の暗殺を企てました。刀を抜き、耳四郎に切りかかった夜盗。しかし、どうしたことでしょう。耳四郎の姿が、金色の仏様に代わっているのです。法然の念仏の功徳を知った耳四郎達。耳四郎と夜盗は懺悔して、法然の弟子となりました。・・・・・・・・・・・・・こちらは、法然の説法を聴く耳四郎。なんとも情けない表情をしています。味わい深い、物語でした。【日記1】「魅力的なコンクリート像 ― 五色園 ―」【日記2】「夏は厄介です ― 五色園2 ―」【楽天商品: イヤーフィギュリン 2020】
2019.12.23
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今回も愛知県日進市の五色園。浅野祥雲のコンクリート像を追います。聖人一行の正面に廻ります。更にその前に、もうひとりいるのが見えるでしょうか。次の写真の右端、中央よりやや下の草むらに白い服が見えます。では、道なき草むらに入りましょう。草で足元が見えず、しかも急坂です。滑落しないよう注意して撮影します。五色園のコンクリート像巡りは、夏は厄介なことで知られています。多数の蚊の群れ、マムシ、クモの巣が訪問者に襲い掛かります。さらに背の高い草が、足元を隠します。だから私は、秋を待って訪問しました。五色園には、さらなる難所が待っているのですから。【日記1】「魅力的なコンクリート像 ― 五色園 ―」【楽天商品: イヤープレート 2020】
2019.12.21
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大きな弘法大師様。ここは、愛知県日進市の岩崎御嶽社。コンクリート像作家 浅野祥雲作の弘法大師座像です。この地にも浅野祥雲のコンクリート像がいくつかあります。しかし、この場所は浅野祥雲ファンの間では”難所”として知られています。なぜなら、岩崎御嶽山は霊山。そのため山中には無数の神霊碑や石仏、コンクリート仏があります。その数は余裕で1000を超えるでしょう。一方で、浅野祥雲の作品は、大半が無銘。この霊山の無数の像の中から、作風だけを手掛かりに浅野祥雲の作品を探さなくてはなりません。それ故に、浅野祥雲ファンにとっては難所です。今日は山頂の大駐車場にある、誰でも見つけることができる浅野祥雲作品を紹介します。【毘沙門天】大きな毘沙門天が,邪鬼を踏みつけています。踏みつけられた邪鬼の愛嬌ある表情。そこはかとなく伝わる和みが、浅野祥雲作品の魅力です。この像の台座の裏には、珍しく浅野祥雲の名前があります。列記されたほかの方の名前はぼかします。難所といえば、この駐車場。駐車場入り口は、車幅一杯の緩く曲がった急坂。大型車で来られた方には、別の意味での難所でしょう。弘法大師坐像と毘沙門天像の間のこの像は違うのでしょうか。わかりません。岩崎御嶽山は、奥深い霊山です。【楽天商品: スワロフスキー 干支】
2019.12.17
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なんとも言えない表情。これも浅野祥雲が製作したコンクリート像です。この像がある場所は、愛知県日進市の五色園です。五色園は大安寺がある、日本唯一の宗教公園です。先日の久園寺の日記で、トンカツ1188さんからも五色園にも浅野祥雲の像があるとのコメントを戴きました。実はこの五色園の紹介も準備していました。五色園には約100体の浅野祥雲の像があります。浅野祥雲が昭和9年から10年かけて作り上げた像の数々です。写真の像は「身代わりの名号」。五色園の像は、親鸞聖人の伝説を表現しています。「身代わりの名号」は次の様な話。平次郎の妻おすわは、親鸞聖人を信心していました。しかし平次郎はそれを快く思わず、おすわは隠れて親鸞聖人を信心しました。親鸞聖人から授かった名号に、隠れて礼拝するおすわ。平次郎はそれを浮気と誤解し、おすわを切り捨てました。平次郎はおすわの遺体を竹藪に埋めて家に帰ります。すると驚いたことに、切り捨てたはずのおすわが家にいます。慌てて埋めた場所を掘り返すと、そこには血に染まった名号がありました。その名号は「帰命」の文字が、真っ二つに切られていました。名号がおすわの身代わりとなったのです。その後、平次郎も親鸞聖人を信心するようになったそうです。五色園の像は、最近の何度もの修復で、色が塗りが直されました。そのおかげで、鮮やかな像の数々を見ることができます。浅野祥雲の像は、よく見ると味わいがあります。五色園の像のご紹介は、今後も時々あるかと思います。 【楽天商品: 2020年イヤープレート】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2019.12.12
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名古屋市の久国寺にいあるのは、岡本太郎の梵鐘だけではありません。浅野祥雲の観音像があることも、愛好家の皆さんの間で有名です。浅野祥雲は、コンクリート製の像を多数製作したことで知られています。「浅野祥雲って誰?」という方、桃太郎神社や関ヶ原ウォーランドのコンクリート像なら、中部圏在住者はご覧になった方も多いでしょう。これらの多数の像の作者が、浅野祥雲です。【桃太郎神社】 (画像はウィキペディアから)【関ヶ原ウォーランド】 (画像は関ヶ原ウォーランドH.P.から)いかがでしょうか?B級感があるユニークな像ですね。では、久国寺の浅野祥雲作の観音像をご覧ください。大きくて、コンクリート製としては精緻な像。久国寺では浅野祥雲の作品もお見逃しなく。 【楽天商品: 2020年イヤープレート】
2019.12.07
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