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September 27, 2007
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このあいだ行ってきた、伊勢の旅を備忘録がわりに、アップしていこうと思います。

序幕「旅立ちの朝日」(伊勢への旅)はこちら

すぐ裏の神社に挨拶をして、向かった先は伊勢。

そして、伊勢について、はじめにむかったのは、外宮に向かうつもりでしたが、「猿田彦神社」が目に付いたので、寄ってみました。
ここは、2度目です。

ちょうど、みなさんで奉納というのでしょうか、儀式をしていました。

2007年9月23日(2)0040.JPG

インターネットからの引用ですが。
「本殿は二重破風(にじゅうはふ)の妻入造り(つまいりづくり)で“さだ ひこ造り”と称し、特殊な建築美を誇り、祝詞殿(のりとでん)は、優雅な平 安時代をしのぶ寝殿造りであります。」

主祭神は、「猿田彦大神」です。
「みちひらき」の神であり、「おみちびき」の神でもあり、ここに最初に立ち寄れてよかったと思いました。

この猿田彦大神は、謎の神ともいわれ、いろいろと言われているようです。
天孫降臨神話で、先導役の役割をしています。

神話部分を、引用ですが、みてみましょう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「邇邇芸命(ににぎのみこと)」が天降りしようとしたとき、天の八衢(やちまた)に立って高天原から葦原中国までを照らす神がいた。
その神の鼻長は八咫、背長は七尺、目が八咫鏡のように、またホオズキのように照り輝いているという姿であった。
そこで天照大神と高木神は天宇受売命(あめのうずめ)に、その神の元へ行って誰であるか尋ねるよう命じた。
その神が国津神の猿田彦で、邇邇芸命らの先導をしようと迎えに来たのであった。
邇邇芸命らが無事に葦原中国に着くと、邇邇芸命は天宇受売神に、その名を明らかにしたのだから、猿田彦を送り届けて、その名前をつけて仕えるようにと言った(日本書紀では、猿田彦が天鈿女命(あめのうずめ)に自分を送り届けるように頼んだとなっている)。
そこで天宇受売神は「猿女君」と呼ばれるようになったという。
猿田彦は故郷である伊勢国の五十鈴川の川上へ帰った。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

猿田彦大神の正体については、天孫降臨神話が、何の事実を象徴的に示しているかを、まず見ていく必要があります。
また機会があれば、天孫降臨神話についても、いずれ見たいと思います。

この猿田彦大神は、一説には、「天地を照らす神」ということから、天照大神以前に伊勢で信仰されていた太陽神であったとする説もあるそうです。

となると、天照大神と猿田彦大神は、ともに太陽神としての共通項があります…。
一般的に、天照大神(女神)とされますが、猿田彦大神(男神)と、陰陽の関係にもなっているのでしょうか。


また、こういう逸話もあるそうです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
猿田彦は伊勢の阿邪訶(あざか。旧一志郡阿坂村(現松阪市))の海で漁をしていた時、比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれ、溺れ死ぬ。
この際、海に沈んでいる時に「底どく御魂」、猿田彦が吐いた息の泡が昇る時に「つぶたつ御魂」、泡が水面で弾ける時に「あわさく御魂」という三柱の神様が生まれた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

興味深いのは、溺れ死んで、神が生まれたということです。

ここには、「死んで神になる」というパターンが見られますし、「三柱の神」が生まれたというあたりも、深い意味が象徴的にこめられているように感じます。

にわか勉強なので、さわりくらいしか、見ていくことができませんが…。

★★★

境内には、「佐瑠女神社」もあります。
祭神は、「天宇受売命(あめのうずめのみこと)」です。
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天照大御神が天岩窟(あめのいわや)にこもられたときに神楽をされ、大御神再び現れて平和な世を迎えられたと伝えられます。
天孫降臨の際は、猿田彦大神と最初に対面、大神が御啓行の後は詔(みことのり)により、ともに伊勢に来られ、功により、“媛女君(さるめのきみ)”の称号を受けられました。
俳優 (わざおぎ)、神楽、技芸、鎮魂の祖神(おやがみ)と仰がれます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

こちらは、方角を刻んだ八角の石柱。
拝殿正面の中央にあります。
2007年9月23日(2)0041.JPG

八角は方位を意味し、方位除の御神徳を仰ぐ当神社にちなんだものだといいます。
そして、興味深いことに、本殿の堅魚木・欄干をはじめ、佐瑠女神社神殿・大鳥居・手水舎の柱などは、 すべて八角となっているというから、「八」に対してのこだわりが見受けられます。

けんたま様のことたま解釈によれば、「八」=「ヨウ」=「陽」であり、「太陽」をも意味しますから、猿田彦大神の「太陽神」としての意味も象徴的に重なってくるのかもしれません。

そういえば、秦氏のメッカでもある、太秦に通称「蚕ノ社」という神社がありますが、ここにたつ、奇妙な鳥居、「三つ柱の鳥居」も、断面は八角形だったはずです。

神道や神社では「三」とか「八」という数字が特に重要視されている感がありますが、このあたりも見ていくと深い意味があるのかもしれません。

2007年9月23日(2)0042.JPG

2007年9月23日(2)0043.JPG

猿田彦神社境内は、意外にも、広々として、ひらけた感がありました。
そして、拝殿で参拝していると、頭上からくるエネルギーも感じました。
気のいい神社であり、光に満ちていたような気がします。


★★★

そして、次に目指したのは、これも予定外でしたが、時間があるから行けるだろうとみて、外宮、内宮に行く前に目指したのは、少し離れた「磯部」という場所にある、「伊雑宮(いざわのみや)」です。






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Last updated  October 4, 2007 02:31:06 AM
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