全16件 (16件中 1-16件目)
1
倉敷の「とんとん」という博多ラーメン屋のサイドメニューにある卵かけご飯です。ラーメンも絶品ですが、このラーメンたれをかけて食べる卵かけご飯がまた絶品です。一緒に食べるとさすがに腹にもたれるので今度は単品で頼もうかしら。一食200円なんですが。昨日の朝日新聞に「最小不幸」というけど という記事が載っていた。なんでも管首相が今月8日の就任会見で「政治の役割は、国民や世界の人々が不幸になる要素をいかに少なくしていくか、「最小不幸の社会」を作ることだと考えている。貧困、戦争をなくすことにこそ、政治は力をつくすべきだ」と話したそうだ。自民の小泉進次郎も「自民党が目指すのは最大幸福社会」と語るなど、どうやらこれらの表現に反発も出ているということで書かれた記事らしい。「何を基準に最小不幸というのかわからない」と戸惑う仕事を転々とせざる得ない親子3人生活の独身女性(32)の声を伝えている。時給800円で月収は10万円。派遣とパートで勤めた仕事は30以上。「経営が苦しくなるとすぐに切られました」教師を目指す大学3年は、親の遊興費で高校を辞めざる得なくなり、親の離婚後、17歳で定時制に入りなおし、郵便配達で月12万稼ぎ、大学へ。今の学費は年110万。利子つき奨学金を月12万借りてやりくりするが、卒業時には約500万円の借金を抱えるという。兵庫県北部の山間の集落でひとり暮らしをする女性(77)。娘三人は嫁いで町を離れた。夫は脳梗塞で倒れ、去年春特別養護老人ホームへ。収入は夫婦の国民年金だけ。2人とも満額給付だが、月13万。約半分は夫の利用料でなくなる。手元に残るのは月数万。冠婚葬祭の付き合いもあり、貯金も底を尽き始めたという。若い頃も細々と農業を営み、貧乏だったが、今より楽だったと思う。「政治の変化は、こんな山奥には来んのかねえ。みんなが普通の生活を送れるのが「最小不幸」じゃないかねえ」と、ちょっとはしょって大体こんな記事です。政党はこの表現を批判しているが、的外れもはなはだしい。「一国の総理大臣が「最小不幸社会」などという小さな志で終わってはいけない。「最大多数の最大幸福」を求めるのが政治家の姿だ。「3%の経済成長をさせる」と言ったなら、明確なビジョンと行動力で日本をリードするのが政治主導。本当の政治主導は幸福実現党から始まる。」と選挙公示の初日に第一声を発したのは静岡幸福実現党の中野雄太氏。3%の経済成長の中味が問題だ。大企業栄えて国民滅ぶの中味としか思えない。自民党も同じ発想に思える。「民主党は「最小不幸社会」というが、本当に元気になるには、ナンバーワンを目指さなければならない。県内の農業にしろ、観光にしろ、中小零細企業にしろ、それぞれがナンバーワンを目指せる、希望を持てる施策を考えた」「福祉や医療、津波に対する施策を進めるにしても、観光振興や農林水産業の競争力強化にしても、すべての面でインフラ整備、特に道路整備が最重要だと考えている。」と言うのは尾崎要二・和歌山自民党県連幹事長。つまりインフラ整備=ゼネコンなどの大企業さえ儲かれば、最大幸福社会が出来ると信じているらしい。民主党の発想も同じだとしか思えない。消費税を上げるといって一方では法人税の減税をするといっているのがその証拠。彼らは人が最低限の生活をするには2万ほどあれば何とか食べるだけは食べていけると思っているのではないだろうか。10万ほどあれば最低の住居は確保できると思っているのではないだろうか。彼らに言いたい。それで本当に一ヶ月生活してみろと。最賃生活で証明したように、月収10万円では人間として生きていけない。大学を出て、500万の借金があったならば、もしすぐに安定した正規のの職に就くことが出来なければ、一挙にホーレスに落ちたり犯罪に走るのは「先進国」アメリカが証明している。憲法25条にあるように「みんなが普通の生活を送れるのが「最小不幸」じゃないかねえ」まさにその通りだ。卵かけご飯がご馳走でも構わない。しかし、それは安心できる普通の生活が前提にあってこそだ。
2010年06月26日
コメント(4)
「ハングルの愉快な迷宮」戸田郁子 講談社+α文庫読み始めると、なんと挫折中の「手の大きなお嫁さん」の文庫版だった。韓国に嫁いだ著者の韓国語エッセイである。持ち運び便利。ハングル勉強にちょうど良い。ハングルが載っている文庫は貴重です。学習になる。以下学習記録のために面白いと思った語句を抜き書き。(ひらがなの部分はハングルの日本語読みです)「まるるのうせよ→言葉を置いてください」「おむぬんでよ→いません」「きがちゅごった→がっかりだ」「まうみやっかだ→気が弱い」「きうんね→元気出せ」 (「気」は「き」である。重要な語句)「親の面倒を見る」は×「ぶもにむるもしごさんだ→両親様に仕えて暮らす」(こういう言い回しが徹底しているというのは凄いことです)「ちぇすおぷた→ツイてない」「ぴもんさもん→非夢似夢→夢うつつ」「あなむいん→眼下無人→傍若無人」「ぺがまんしん→敗家亡身→いちだいじ」「まんしんたんへった→亡身を受けた→恥」無条件降伏したわが国の人々よりも、かの国でははるかに高い頻度で「無条件」という単語を使う。必ず「むじょっこん!」と声高に強調してから、次の言葉が続く。「無条件たべろ」「無条件覚えろ」。もしこう言われたら、もう説明を望んでも無理。従うしかない。 「ぺくす→白手→失業者」「こんじゅびょん→公主病→お姫様病」「わんた→いじめ」(以上現代用語である)「あいご~ちゅっけった!→ああ~死にそう!」「さらむさるりょ→人を生かして→(命にかかわる)助けて」「ぷりや~→火事だ~→(緊急に)助けて~」(大げさな言い回しOKが韓国)「頭のフタが開いた→もりとぅこんいよるりょった→頭に血が上る」「耳が痒い→くぃがかりょぷた→誰か噂している」「鼻がぺしゃんこになる→こがなぷちゃっけじんだ→顔が潰れる」(微妙に日本の言い回しと違うのが面白い) 「口が短い→いびちゃるた→偏食気味であまり食べない」「首に力を入れて歩く→もげひむじゅごたにんだ→肩肘張って歩く」「首が抜けるほど待つ→もぎぱじどろっきだりんだ→首を長くして待つ」(誰か何故この違いが出るのか研究してくれないかしら)「肝が落っこちる→かにとろじだ→極度に驚く」「肝を熔かす→かねるのぎんだ→魅了される」「肝が豆粒ほどになる→かにこんあるまんへじんだ→縮み上がる」「血が乾く→ぴがまるだ→極度の緊張や心配」(肝や血の文字が多いのは牧畜民族だからか)「キツネは連れて住むことができるが、クマは連れて住めない→ようぬんてりごさらどこむぬんもってりごさんだ→ぼんやりしたお人よしよりも機転のきく女がいい」(私は見かけも性格もクマです。やっと読了)
2010年04月22日
コメント(0)
約束は韓国語では同じような言葉ではあるが若干違い最後の「ク」は「k」むしろ「っ」という発音になる。チルソkも同様である。今日は七夕。映画「チルソクの夏」を思い出す。1977年7月7日、釜山で行われた下関と釜山の親善陸上競技大会に、親友の真理、巴、玲子と共に出場した高校2年生の郁子は、同じ種目の韓国人青年・安大豪と恋をし、来年また大会で会おうと、チルソク(七夕)の約束を交わす。以来、ふたりは文通を通して絆を深め合うが、郁子の両親は韓国人との交際にいい顔をしない。それは、安の家族も同じことだった。やがて、安の手紙は途絶えるようになり、彼の母から文通を止めて欲しいとする旨の手紙が送られて来た。気落ちし、練習に身が入らなくなってしまう郁子。しかし、真理たちに励まされた彼女は、一年後、下関で開かれた大会で安と再会を果たし、楽しい一時を過ごす。そして、大学進学と徴兵を控える彼と4年後の再会を約束して別れるのだが、その後、それぞれの人生を歩き始めたふたりが会うことはなかった……。(goo映画より)さてどうして二人は約束を果たすことが出来なかったのか。映画では一切明らかにされていないが、実は彼の徴兵期間である78年から82年の間は、兵士には非常に厳しい試練のときであった。昨日「光州5.18」をみて思うのは、安大豪くんは光州に行ったのではないか、ということだ。それならば、その後普通の生活に戻れなくなったとしても不思議ではない。閑話休題高速通信の環境にある人だけへの情報である。NHKで編集された映像ではなく、韓国発のテレビ映像で、日本語字幕のはいっのを見つけた。わかりやすいロウソクデモの映像である。信じられるか。韓国で起るしごとだよ。このユーチューブの映像は、韓国の市民が肉声で作った日本人向けの映像である。テレビの映像より「本音」が出ている。「光州5.18」という映画を見たことがある人ならば、この映像との相似性をすぐに気がつくだろう。さすがに人を殺すような場面はない。今は機関銃の代わりに放水車が出る。しかしそれ以外の展開は昨日も書いたが、1980年の光州事件と非常によく似ている。改めてそう思った。
2008年07月07日
コメント(6)
日曜日に観た「春香伝(チュニャンジョン)」は非常に興味深かった。輝国山人のところに詳しい紹介があるが、そこによると、いままで14回映画化されたようだ。その他現代風にアレンジされたテレビドラマもあるそうだから、韓国民衆にとっては、日本の「忠臣蔵」のごとくの人気である。またそれだけ民衆に影響力のある作品でもある。「忠臣蔵」から語るべきことは多々あるように、この「春香伝」からも語るべきことは多いように思う。この物語は思ったほど単純ではない。日本の既存の物語と比較すると、それがいっそうはっきりするだろう。たとえば、講談ものとしての「水戸黄門」、あるいは恋愛ものとしての「曽根崎心中」と比べてみようと思う。クライマックスではほとんど「水戸黄門」になる。こじきの格好をしていた李夢龍が、部下を従え、悪徳長官の前に現れる。「この印籠が目に見えぬか」とばかりに「密使」の印を目の前に見せる。次の場面は白州の場面だ。改革はあくまで「上からの改革」として行われる。そこまでは日本と同じ。しかし、違うのは、このときクビを言い渡されたのは、下級官吏だけなのである。この不思議を今日のハングル講座のときに先生に聞いてみた。先生は答える。「下級官吏は、長官が民のための政治をしなかったことをいさめなかった罪でクビになったのでしょう。一方長官はその場ではクビにはならなかったけど、やがてはなると思います。なぜならば、最後は白装束だったでしょう。」私はさらに疑問をぶつける。「けれども長官は李夢龍に理屈をぶつけますよね。春香は二君に仕えないがごとく二夫に仕えない、と言ったが、長官の言うことに従わなかったと言うことだけで死罪に値するのではないか、と。それに対して夢龍はなんと答えたのでしたっけ。」「確か、(当時の身分制度のうえでは長官のいうとおりだと認めたうえで)無理やりにしたのは、人間として間違っている。といったと思う。」「それはつまり、春香を罰するのは、法の上では正しいが、情の上では間違っていると言うことなのですか。」「そうだ、と思う。ただし、長官の罪は春香に悪いことをしたからではなく、財をむさぼり、淫に溺れたからだ。春香のことはその中の小さなエピソードに過ぎない」古典としての「春香伝」は、明確な李朝時代の身分制度と、厳格な法体系の中での物語だからこそ、民衆に対しては大きな意味があったのかもしれない。日本では、法と身分に縛られた中で、道ゆかぬ恋はどうなったか。「曽根崎心中」では、町人通しの不倫でさえ、「心中」と言う形をとった。一方同じ19世紀に成立した「春香伝」では身分制度に穴を開ける。しかしハングルの先生の言うには、これは例外に過ぎない、という。ほかの古典の中ではドローに終わった例もあると言う。「春香伝」がいまだに韓国国民の中で人気があるのは、おそらくいまだに韓国国内の中で、厳しい「身分格差」があり、それを超えることがひとつの「夢」になっているからなのかもしれない。一方で主体的に社会を変えることのできない日本の物語しかもっていない日本国民は幸いなのか不幸なのか。私はたださびしい。
2007年11月20日
コメント(8)
今日はハングル講座でお世話になっている民団の文化デーでした。朝は「春香伝」という映画を見て、昼に韓国料理をごちそうになって、それからハングル仲間がスピーチ大会に出るというので応援しました。 韓国料理は手作りの本格キムチや、チャプチャ(春雨炒め)、チジミ、餅のお菓子などが並べられてちょっと韓国に行った気分。スピーチの合間にかわいらしい土曜学校の子供たちによる四物(サムル)遊び(ノリ)があった。日本の太鼓にも似ているが、和楽器にも似ている。子供たちの叩くリズムが次第と合ってきて、ドスンと腹に響いて楽しかった。映画もなかなか興味深かった。「春香伝」[監 督] イム・グォンテク[第97作][出 演] イ・ヒョジョン → ソン・チュニャン(成春香) チョ・スンウ → イ・モンニョン(李夢龍) イ・ジョンホン → ピョン・ハクド(卞学徒)数ある映画版の中で、これは2000年作成の最新版。「マラソン」のチョ・スンウが気のいい南原(ナモン)の長官の息子を演じる。退役妓生の娘だが、一般子女として育てられた春香がブランコ遊びをしているのを見て、李夢龍は一目ぼれ。若い二人はいとも簡単にラブラブの仲に。ところが、父親が出世して都に帰らねばならぬ。李夢龍は科挙に合格して必ず出世して帰ってくるよ、といって別れる。さて次に赴任してきた長官が春香に横恋慕。彼女が「二夫に仕えるは二君に仕えるのと同じ」と言って断る。長官は、命令を聞かないことそれ自体が死刑だ、といって10叩きの刑の後牢屋に。科挙に合格した李夢龍は喜んで南原に帰ってくると、事情を知って、水戸黄門よろしく春香を救い出す。これを現代のパンソリ公演と並行して描く。ハングルの先生に聞くと、本物のパンソリも二時間近くの長丁場らしい。途中で出てくる伝統の遊びや食べ物等、韓国文化を知る上でも興味深い作品であった。パンソリとは、まるで日本でいう浪花節のような人情ものである。節の付け方は日本のそれよりもさらに大げさかもしれないが、歌詞は非常に文学的。ある程度の教養がないと、分らぬところもある。歌舞伎と似ている?パンソリとはなにか、を知る上で、あるいは韓国の「情」と「法」の付き合い方を知る上で、参考になる一作であった。
2007年11月18日
コメント(11)
韓国語講座(民団主催)の入学式があった。今年は初級1を習う。ここは年37回授業で授業料が二万円と安いのが魅力である。去年は美人のチョン先生だったが、今年は美男のソン先生で私的にはがっかり。……いや、そんなことを言いたいのではなくて、ソン先生は入学式の挨拶で韓国のことわざを引いて、次の言葉を紹介してくれた。「シージャギパニダ」(始まりが半分だ)始めようと一歩踏み出した時点で、半分は達成している、という意味である。詩人茨木のり子は韓国語を習うとき、師を金裕鴻(キムユーホン)に仰いだ。そのとき、金氏が最初に言った言葉がこれである。というようなことを二人の対談本『言葉が通じてこそ、友達になれる』に書いてあった。去年は思う所あり、ハングルの勉強を始めたが、思ったより会話力は伸びなかった。けれども続けて行こうと思う。この決心だけですでに「半分」だと信じて。四月より、民主党も再出発をし、私もハングルだけでなくほかのことでも再出発をしている。(でもこの日記ではそのことは書かない。変な再出発日記ですね。)花は散り、三月決算は終わり、新生活や、新学期や、失敗してもまた始めるみんなの日本全国いたるところで再出発は始まっている。シージャギ パニダ
2006年04月10日
コメント(4)
昨日の私の記事に在日さんがコメントをくれて、知り合いが自分のルーツを調べているということを書いておられます。>私もルーツ探しには熱心ですが、皆さんも調べて見られたらビックリする事が分かるかもしれませんね。^^>そうゆう風にすると視野が世界に広がるかもしれません。私の考古学仲間の花嵐氏は一方では自分の姓(杉原)のことを詳しく調べていて、HPまでもっている。(杉 原 姓 物 語 )直接の祖先だけでなく、全国に散らばっている杉原姓を調べていくと、いろいろな杉原さんに出会えて、楽しいそうだ。例えばこんな風に全国分布を調べている。これはほとんど全ての姓に応用できるだろう。ちなみに私の姓は、少し珍しいらしく、岡山県でまとまっている地域はおそらく二ヶ所のみ。一つは私の村の回りで、何処もかしこも○○姓である。もう一つは清音村黒田というところ。ちなみにこの村には三輪という地域がある。奈良県桜井市に三輪山のほとりに箸墓古墳があるように、この三輪の山にも日本最古級の前方後円墳がある。つまりそれだけ古い村なのであるが、「黒田」はひとつ山を隔て、この村にとっては弧絶したところではある。なぜか小野小町の墓があることで有名である。(全国に幾つかある小町伝説の一つ。私の姓は小野ではない。)もっとも私の村と黒田の村との因果関係は不明である。ここが私の遠い本籍なのかどうかは分からない。杉原さんみたいに戦国時代までたどれるような家系ならいざ知らず、私の家はおそらく水呑百姓だから、明治時代の姓を持ったときにどこからか借りてきた可能性もある。ということは、私の祖先が2300年前くらいに渡来してきたとすると、せいぜい2100年の間の祖先はたどることは不可能であるということになる。だから私が天皇の男系DNAを持っている可能性は充分にある。どうでもいいけど。この点、朝鮮半島の家系図はものすごく充実しているらしい。数年前、伽耶の遺跡を見ようとして金海に行ったところ、首露王陵がありました。。首露王は韓国でもっとも多い姓の金海金氏と許氏の氏祖。今は墓の前に当時の御殿が復元されています。写真は首露王の墓です。本当の墓が本当に現存していたかどうかは不明。どちらにせよ、各人各人が何千年間のの家系図を持っているということなんでしょうね。いい悪いはべつとして、それが韓国の人たちの行動の一つの基盤になっていることは、覚えておきたい。
2006年03月16日
コメント(11)
アジアで共通の歴史認識を持つことは可能だろうか。それは可能で有るとも無いとも言えない、というのが現在のところではないだろうか。去年、近現代史で日中韓共通歴史教科書が出来た。努力した結果はよく見えて、良い本であったが、全ての重要な歴史事項を網羅しいるわけではなく、あくまでも副読本的なものであると感じた。日中韓の政治的関係が最悪になっているときにこの本が出たのが、去年のアジアの関係をよくあらわしている。政治は冷えてはいるが、経済は熱い。そして文化は人の疑心を解かすまでに温かくなろうとはしている。「単騎、千里を走る。」という映画や、日中友好のためのシンポジウムについてはすでに述べた。上記の教科書以外に、じつは広島と大邸(テグ)の教職員組合が3年の準備期間のうちに作った『朝鮮通信使』(明石書店)という歴史教材が有る。一度、この日記で取り上げたことがある。今日、両労組の助言者である常葉学園大学客員教授の金両基氏の「まえがき」を読んでいて、共通の歴史認識を持つことの困難と可能性を見事にあらわした文章だと思ったので、一部を抜書きをしたい。(著作権無視)折り返し点を過ぎておぼろげにゴールが見え始めた頃、今回のテーマである文禄・慶長の役(壬辰・丁酉再乱)と修好回復をめぐって意見の相克が起きた。朝鮮王朝が徳川家康からの朝鮮通信使の回復要請を受け入れたのは、複数の要素が絡み合っていたと大邸側の執筆者が力説し始めた。(略)思えばこのプロジェクト最大の難所であった。相克は沈黙に変わり、大邸側の執筆者は天井を仰ぎ、広島側の執筆者は目を床に落とし、重い空気が会議室に漂った。「‥‥認識論ではなく、事実に基づいた議論に戻そう。民族や国家を背負わず、一人の教師として次世代を担う子供たちに何を伝えたいのかという原点にたちかえってほしい。皆さんは教師であり、学者ではないのだから、仮説をたてる必要は無いと思う。今手に入る資料をもとにして、教育者として歴史的事実と向き合って考察してほしい。今後新しい資料が出てきたらそれを元にして再検討する機会を作ればよい。」私は助言者としてこのように発言すると、大邸側から「これでは親日派といわれる。」と言い、広島側からは「私たちは親韓派と呼ばれる」と応じる。全員が爆笑し、会場にさわやかな空気がみなぎった。限りなく歴史的事実と向き合いながら進めてきたはずなのに、無意識のうちに民族や国家を背負い、発表後の社会の反応を意識していたようである。次は近現代史の副読本を作りたいという。(大丈夫だろうか)広島というところは浅井基文氏も広島平和研究所に赴任しているし、最近ちょっと面白い。ハングルの勉強をかねてよく出てくる単語を調べてみた。楽天ではハングル文字は使えないのでカタカナになる。もちろん正確な発音は日本語では書けない。歴史共通教材(ヨクサコントンキョゼ)日本の朝鮮侵略(イルボネチョソンチムリャク)両国関係(ヤングクガンゲ)歴史認識(ヨクサインシク)友好親善の朝鮮通信使(ウホチンソネチョソントンシンサ)両民族の平和と友好(トゥミンジョゲピョンファワウホ)なんか日本語の方言のような感じはしませんか。
2006年02月03日
コメント(4)
朝日新聞でアジアネットワーク「越境する文化」チームが執筆する「時空をこえて」という連載が始まった。一回目は日中韓で紋切り型の歴史表現を超えよう、という取り組みを紹介している。中国で「心優しい」日本軍人を主役級に据えたTVドラマ「記憶の証明」。平田オリザ氏が韓国の人たちと共同執筆・演出した「その河をこえて、五月」。ここではお互い悪口を言い、笑いあう場面があるという。満州を扱った「虹色のトロツキー」、近代朝鮮を扱った「王道の狗」等、意欲作を次々と出す安彦良和氏にも取材している。そういうものがあるのだよ、ということだけを今日は紹介したい。作品の批評は実際に私が見たり、読んだりした後にしたいと思う。最近私が実際に読んだ本に「歴史認識を乗り越える」(小倉紀蔵著 講談社現代新書)がある。この本は読み応えがあった。いろんな刺激をいただいた。しかし結論を先に言えば、哲学的言語で政治や社会を語るのはいいのだが、言葉の厳密性を感じないため、残念ながら説得力を持たなかった。ならどうしてそんな本を長文で紹介するのかというと、ところどころ「ハッ」とするような指摘があり、考えるヒントになると思ったから。特に右派も左派も「主体性」が問題であるという指摘は考察に値する。少し詳しく述べる。現在、日本人と韓国人は、対等な関係でものを語ることが可能か。否、と小倉は言う。一般的に言って、日本人よりむしろ韓国人のほうが「歴史観の土俵」においては、力関係でにいる。ところが(左派の)日本人は、韓国人による日本人蔑視を過去の反省もあり、ゆるす。このとき日本は現実には何の位階秩序の変更もないまま仮想的精神的なに立つ。ニーチェはこのようなあり方をはき捨てるように「奴隷道徳」といったそうだ。歴史認識を前進させるためには、自らの歴史認識にな韓国や中国に対して、歴史を認識するとしての「日本人」を立ち上げなくてはならないのに、それが立ち上がらない。他方でそれを性急かつ排他的に立ち上げようとする(右派の)運動勢力が存在する。そして無用の対立が繰り返される。ーーここまでは良かった。私は、ソウルの安重根記念館に行ったとき、パゴダ公園に行ったとき、国立独立記念館に行ったとき、いつも感じたのは韓国国民の強烈なナショナリズムだった。日本の軍国主義を糾弾するという意味では韓国内では右派左派の違いはない。一方、長崎原爆資料館には浦上天主堂のがある。日本は原爆を落とした米国さえもゆるす、いわんや韓国をや。それを「奴隷道徳」というべきかどうかはまた議論があると思うが、日本と韓国との関係を相対的に言えば、韓国、日本の左派と右派、三者の間でを巡り堂々巡りをしていると私も思う。しかし主体的な日本人をどう立ち上げるか、という点でこの本は一挙に説得力をなくす。今までの哲学的言語から急に浮遊して突然現れる「第三の道」を示している。「自由と民主主義」を基盤とした「謝罪し国際貢献する日本」。言葉自体はいいのだか、最も重要な部分にかかわらず、今まで流れから浮いているのである。磐井の乱を起こした人物の古墳結局主体的な日本人はわれわれがに作っていくしかないということだろうか。私の「九州平和と古代をを訪ねる旅」も実はそういう問題意識から発しているのではある。ただし問題意識のほうはまだ終わりが見えない旅なのではあるが。
2006年01月09日
コメント(2)
週一回の韓国語講座。今日は早めに切り上げて忘年会。「美人のチョン先生」ともしばしの別れ。といっても他の男生徒のように「あなたのような美人のもとで学べてよかった」などと恥ずかしくなるような台詞は吐くことができない。先生、大学院の比較言語学の学生ということもあるので「古代の朝鮮語は今の朝鮮語と同じか。たとえばナラという言葉は国という意味だけど、古代でもやはり国という意味だったのか」などと難しい話をしてしまう。つくづく損な性格である。ちなみに古代朝鮮語は今のそれとは相当違うが、ナラとか身体の言葉など「固有語」は今と同じものが多い。また、昔のほうが日本語との共通語は多かった。らしい。むかしは日本の方言の一つぐらいの位置づけで「からくに」の言葉を話していたのかもしれない。「冬ソナ」を観てハングル講座に入ってきた人、ソン・イェジンが好きで入ってきた人、ピース・ボートで韓国を回って入ってきた人、普通の社会生活では知りえない人とお近づきになれる。一年間の教室というのもなかなかいいものだ。
2005年12月12日
コメント(8)
DVD「冬のソナタ」1~17話近所のレンタル屋のDVDコーナーからやっと「借り出し中」の文字が消えて、遅まきながら初めて観ることができました。ちなみに私は韓国映画は大好きで、主なものは大体見ているし、見逃したものは今順次制覇している途中ですが、韓国ドラマに関して言えば、これが初めて見るものです。なぜ今まで見なかったか、世の「韓流ブーム」より4年位前から韓国映画の実力を認めてきたものにとり、ドラマは「ちゃんちゃらおかしくて」見る気がしなかったことがひとつ。韓国の実力者俳優はハン・ソッキュにしてもチェ・ミンスク、ソン・ガンホにしても、いかつい顔たちで、イケ面が出るドラマの俳優たちはやがては底がわれるだろうと予想していたことがひとつ。見たい(参考までに見ておこうかと思う)ドラマのDVDはレンタルが安くなるまで今までかかったという経済的事情がひとつ。で、見た感想。(あらすじは皆さんもう知っていますよね。知らなくても別にいいけど)結論から言うと、この「冬のソナタ」という作品はブームになるべくしてなった作品である。現代日本が失った純愛、純粋な若者、やさしさ。あるいは日本ドラマをよく研究した構造、三話までのジェットコースター的展開と幾つかの山場をはさんですれ違いのドラマ、べたべたなワンパターンとありえない展開。丁寧な映像。いろんな人が既に分析している通りです。私は正直二週間で17話まで見てしまいした。後は「二人の運命の関係」にどう決着をつけるか、だけという状態です。ワンパターンだからもうどうでもいいや、と投げ出させるようなことをしないというのはたいしたものです。「ブーム」には理由があった。では、それが続くということに関してはどうなのだろう。続くだろう、というのが私の予想です。このDVDに描かれている韓国は韓国の一部に過ぎない。しかし、日本との大きな違いも見事に浮き立たせている。子供と親との関係、上司と部下との関係、恋人と友人との関係、まるで見た目は日本と同じような風景と人物なのに、こうも人物の関係のあり方が違うとすれば、当然それは「なぜか」ということが問われるでしょう。その思いは相当大きくなるはずです。何しろ20時間以上、彼らと付き合うわけですからね。一回韓国旅行をしたくらいでは分かりきれない「疑問」をこのドラマを熱心に見た人は必ず持つはずです。このドラマには歴史問題は一ミリグラムも出てきませんが、このドラマを見た人はなぜ日本と韓国は違うのかということに必ず行き当たるはずです。そこから無限の窓が開き始める。イケ面の韓国俳優の底がわれるだろうという私の予想はしだいと外れつつあります。いまなぜイケ面は映画に進出できるようになってきたのか。いろいろな背景はあるとは思いますが、私の説は「韓国の映画ファンの世代交代が2000年前後に劇的に起きた」からだというものです。少し前までは、男の価値は「顔」ではなく、家柄であったり、経済力であったわけです。つまり既に決定していた。その価値の流動化が大統領選挙あたりから起こった。だから今韓国の人たちはもっとも分かりやすいもの「見た目」で価値を測っているわけです。それが今、上手いこと回っている。昔の俳優たちは追い落とされまいと、一作一作別人の役をやるし、新しい俳優たちは顔以外で勝負できるように日々精進して日進月歩上手くなって行く。私自身の事情で言うと、ハングルの勉強がこのDVDはしやすいということを発見したことも魅力のひとつです。みんなセリフをゆっくり発音するのです。しかも繰り返しのセリフが多い。「ミアナムダ(ごめんなさい)」に近いセリフが10通りくらいいろいろな場面で出てくる。会話体の勉強にぴったりです。韓国映画のバブルがはじけないよう祈りたい。しばらくはその兆しはないのですが。
2005年12月04日
コメント(0)
10月23日、岡山県牛窓で行われた秋季大祭に行ってきました。瀬戸内市牛窓は近世より風待ち・潮待ちの天然の良港として栄えた、海沿いの小さな町です。いつもは静かなこの町も10月の第四日曜日には江戸時代より伝わる盛大な祭りが行われ、老若男女、どこにこんなに若者や子供がいたのかと思うくらいに人で溢れかえり、祭りに参加しています。ここのだんじり(山車)は県指定重要有形民俗文化財になっているほどの古いもので、8基作られています。江戸時代末期から明治時代初期に作られ、中国の「四霊」(麟鳳亀龍)などをモチーフする精巧な彫刻が施されています。特に関町の竜の彫刻(写真)は見事の一語。子供が乗り、代官の正装をして太鼓をたたき、囃子唄を歌い、後を子供が笛を吹きながらついていき、大人が引いていきます。昔の遊郭があったためか、着物を着た男衆の彩が華やかさを演出します。男たちは変にはしゃいでいる。牛窓は江戸時代、朝鮮通信使が寄港したことで有名です。1592年豊臣秀吉が起こした「朝鮮出兵」文禄の役、1596年慶長の役で、朝鮮半島との国交は断絶してしまうが、徳川家康の時代、日本に連れてきた捕虜を返すこと、墓荒しの犯人の送付を条件に国交を回復します。以来江戸幕府は12回にわたり、善隣友好の使節を迎えるわけです。儒学者、医者、画家、サーカス技芸団員、楽隊等来ていたことが知られています。このいきさつを詳しく書いた教科書が今年日韓で作られ、そのことは以前書きました。それを読んで、私は「いったんこじれた関係の修復は簡単にはいないこと」「いったん国交が回復すると豊かな文化交流が出来ること」を知ったのです。豊かな文化交流のひとつの例として、この牛窓の唐子踊りがあると思います。唐子踊りは秋祭りのときに疫神社に奉納される稚児舞です。写真のように朝鮮風の衣装をつけた二人の男の子が、囃し方の小太鼓、横笛と、意味の分からない歌に合わせて踊るもので、朝鮮通信使についてきた小童画踊った踊りを民衆が真似たのだといわれています。当時、朝鮮通信使と一般人との交流は禁じられていました。けれども、それでも交流はあったのです。人間同士だものないほうがおかしい。その証拠がこの踊りなのではないでしょうか。歌の意味は少し朝鮮語に似ているとも言われていますし、最初の歌だけははっきりこう歌うのです「こんねん、はじめて、にほんへわたり、にほんのみかどはとおりません。ません。こころ。しょがん。こころ。しょがん。おんれいもうす」節といい、衣装といい、「唐子」は「韓(から)の子」と思えるし、まず朝鮮通信使ゆかりの踊りであると、いっていいでしょう。子供の一生懸命の踊りにたくさんの拍手が送られていました。
2005年10月25日
コメント(4)
『川辺の風景』朴泰遠 著 牧瀬暁子訳作品社2800円清渓川(チョンゲチョン)の川辺で生活する1930年代のソウル下町庶民の風俗小説である。本の表紙の写真を見て、ソウル郊外の田舎町の物語だと思ったら大間違いである。実際はソウルの街の中心部、現在でいうと鐘閣駅の南側の人々の生活を描く。そこにその頃下水も洗濯の川も兼ねた生活用水があった。母子世帯の母親、田舎から薬局店に住みこみで働く少年、散髪屋で使い走りをしながら街を観察する少年、妾を囲う街の有力者、飲み屋の女中、かどわかされて出てきた寡婦、全部で50章、主人公を時々換えながら淡々と描く。名もなき貧しい庶民の小説で、こういう構成の小説として私は藤沢周平の『本所しぐれ町物語』を思い浮かべた。しかしこの小説は藤沢文学とは実は対極にあるといっていい。藤沢文学が庶民の身体に寄り添うように哀切を描く『濡れた』文学だとしたら、朴泰遠のこれは庶民を客観的にドキュメンタリーのように突き放して描く『枯れた』文学なのだ。それが朝鮮文学の特徴なのかどうかは私は知らない。エピソードの中には嫁ぎ先で不幸になっていく娘を想う母親の話等、描きようによってはいくらでも泣かせることが出来ようものなのに、ここに出で来る庶民は打算的で、常に金と地位のことが頭から離れず、成功を夢見てはいるが、一方情に厚い人々で、私は正直あまり共感を持つことが出来なかった。しかし、これこそが賭け根なしの30年代ソウル下町の韓国の庶民なのだと著者はいいたいのだろう。それだけに民俗的な記録のように忠実に生活実態を写しているのは、読んでいてよく分かった。訳がいいのかどうか分からないが、文体は現代文学とほとんど変わらない。ただ、読み進めるのには当時の時代風俗に精通してないと難しい。ただ、この本には実に30ページに渡る詳細な『註』が付いていて、この注自体がちょっとした戦前ソウル下町事典の様相を示していて面白い。註釈や解説文の充実といい、朝鮮文学の入門編としては、なかなかいいテキストではあると思う。玉に瑕は少し高いことであろうか。今年10月いったん蓋をされて道路になっていた清渓川が整備されてまたソウルの街中を流れる『自然の川』としてデビューを飾っている。この本を読むと、おそらく誰もがこの川辺の風景を歩きたくなるだろうと思う。当時の地図も付いているので、現在の地図と比べるのも愉しいだろう。おそらく今では当時をしのぶ店構えはは見るものもないだろうが、新名所の河辺を散策して洗濯風景を想像するのもよいだろう。鐘閣駅前の和信商百貨店(現在の鐘路タワーあたり)やYMCAから鐘路5街へ歩いて、今も残る団成社の映画館へ足を伸ばし、田舎から出てきたチャンス少年が次第と街の少年に変わっていった様をしのぶのもいい。昔歓楽街だった貫鉄洞の辺りを歩いて、ミン主事が妾のもとに通っていた日々を想像するのも楽しかろうと思う。
2005年10月20日
コメント(3)
昨日は韓国語講座に行った。美人のチョン先生は秋夕(チュソク)のためまだ里帰りから帰ってこない。(赤ちゃんもいるし)よって留学生がこの二週間の講師。チョン先生は発音法則にたどり着くまで三ヶ月かけたが、この先生はまだならなっていない発音法則を14もどんどんどんどんやってしまって、隣の人と「絶対頭に入らないよねえ」といいながら適当に当てられてもとりあえず答えられたし(チョン先生ほど発音にうるさくないので緊張しない)まあ時にはこんなのもいいかな、と思う。10月からラジオ講座も一新するみたいだし、挫折していた勉強も始めてみようかな。目標は韓国へ長期間貧乏旅行をして(宿代と食費交通費で一日3000円目標)心から地元の人と交流ができるまで聞き取りと簡単な会話ができること、だ。あと最近は韓国のインターネット新聞「オーマイニュース」をチェックしたいという目標も出来た。
2005年09月27日
コメント(0)
出勤途中、大学病院の傍にムクゲが咲いている。7月の始めからずーと咲いている。本当はずーと咲いているわけではない。ムクゲは毎日花を咲かしては一日でその栄光の時を終え、次の日もまた新たなつぼみが開くのである。ムクゲは韓国の国花だという。これほど桜と対照的な花はない。そして、これほど韓国らしい花はない。韓国の60~80年代の民主化闘争はまさにムクゲのようだった。大弾圧にあっては花は萎れるが、次の日には別の花が咲き、その花は途切れることがない。私は桜を大好きな日本人である。最近は桜を観るごとにあと「何十回」見ることができるのだろう、と(人から見たら変でも私にとっては切実な)感想を抱く。しかし、ムクゲが好きならそういう感想を抱くこともないだろう。よかったのか。残念なのか。
2005年08月18日
コメント(0)
四月から始めていた週一回のハングル講座が今日で夏休みに入るのを記念して(?)講座を早めに切り上げてもらって、8:30より近くの居酒屋で打ち上げをやった。美人のチョン先生が、実は結婚していて、可愛い子供まであるという事実を知り、愕然となった。「私の口を見ていてください」と発音の「オ」と「オ」の微妙な違い、「ん」と「ん」の微妙な違い、「う」と「う」の微妙な違い、(ハングル習った人だけうんうんとうなずく事柄ですが)その他いろいろな微妙な違いを彼女の形のいい唇を見ることで何とか脱落しないでここまで来た私にとって、(これはもちろん発音をマスターしたという意味ではない)非常にショックな事実であった。それはそうとハングル講座の半年の総括は反省点ばかりだ。そもそも、私のこの一年間の目標の一つはハングルの日常会話をほぼマスターすることではなかったか。いつの間にやら、日常に紛れて、毎日のラジオ講座、アルクの通信講座も挫折したままだ。何をかいわんや!!だからといって明日からがんばるということではないのだが、生活の建て直しが必要であるということは確かだ。この四ヶ月の講座でとりあえず、ハングル文字を読むことだけは何とかできるようになった。(
2005年08月01日
コメント(0)
全16件 (16件中 1-16件目)
1