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5月31日(木) 旧暦4月 24日 六輝は「先負け」 お休みしている間の3日間、とても良いお天気でした。 やろうと思えばなんでもできちゃう日でしたね。でも残念ながら、私の気分はブルーで何も手に尽きませんでした。家仕事・庭仕事・農園仕事すべてにおいて気が沈み、息が詰まり、気が滅入ってしまったのです。 そういう時にブログに向かうと、きっと暗~い文章になってしまうと思い、あえてパソコンを開きませんでした。 そんな昨日、友達のAKKOから 「体操教室、見学に行こう」 と誘われて、気持ちしぶしぶ出かけました。気分転換をしないと、ブルーワールドから抜け出せそうにない気がしましたので。 見学者3人(みな同い年)で出かけてみると、体操教室のわりにゆるいストレッチとウォーキング(会員の皆さんは小走りジョギング)で、誰にでもできそうな運動でした。他の二人はすぐに参加を決め、私も一応参加をしても良いかと言う感じになってしまいました。多分年齢から言って、私たちが最高齢かもしれません。 すでに会員になっている一人は同級生で、情報は彼女からのものでした。 「おお、やば、同級生が4人になったら、平均年齢引き上げちゃうね」 若い方もいましたが、皆さん50代か60代くらいです。 普段から、歩かない生活ですので、毎回歩数は1000歩弱からたくさん歩いて3000歩くらいです。運動不足は痛いほどわかっています。続くかどうかはわかりませんが、この機会に運動を取り入れても良いかもしれないと思いました。運動という言葉は私の中ではこれまで皆無でしたから、この機会に世界を少し広げてみても良いかもしれません。 何もやりたくない時は誰にもある事ですが、今の私の場合は原因がわかっています。 治療がきつくて、起きあがれないらしい娘の事が気がかりで、気持ちが落ちてしまうのです。携帯を操作するのもきついようです。 上の娘の報告だけで、状況を知る日々が続いていましたから、気分が晴れないのは当然なんですが・・・ 苦しいだろうな、ご飯食べられないのかな、などと色々考えてしまうと、何も手につかなくなってしまうのです。先生に任せてあるんだから大丈夫と、と思いつつも、気が滅入ってしまうのです。 ああでも、大丈夫、だいぶ気持ちが落ち着いてきたので、今日から動けそうです。 3日間分取り返します。 ガレージセールの後始末をして、NPO解散の為の総会の準備をして、今日一挙に片付けました。後は微細な仕事です。 気を取り直して「ガレージセール」は、来月2回目を開催します。儲けはあまりないのですが、小さな反応はありました。今日は朝ごはんをしっかり食べましたし(昨日はおジャガだけでした)、今夜は「焼肉」を食べます。元気が出ないわけはないです。 今朝は、好きな島ネギたっぷりのカツーユーで、サケの中落ちメイン、昨日は気が沈んでいましたので、侘しくジャガイモだけのヒラヤーチーでした。 明日は晴れだろうと、雨だろうとチビチビと一緒に店舗の間取りを考えます。
2024.05.31
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5月27日(日) 旧暦4月20日 六輝は「大安」 昨日は40年ぶりの自由販売「ガレージセール」をしました。 一応、古物商免許も持っていますから、そこそこの物は売る事が出来ます。そこそこの物は今回ありませんけどね。 売り上げはどうだったかと言うと、笑うしかないです。 人様に言わせると、「宣伝はどうした?」 「商店街だし、入口に1週間ほど手作りのチラシ貼ってあったよ」 「友達には告知したの?」 「いや特には・・・」 「あんた商売の才能ないわね」 「・・・でも今日も開けるから・・・・」 それに売れなかった訳ではなく、商品が安すぎたのです。後付け理由ですけど、お皿が5枚セットで100円とか、よほどの新品か大型商品か預かり品以外は、ほとんど100円にしたのですから。 フェイスブックやインスタグラムで宣伝する時代、それを使った方が良いよ、と言う事を言われているわけですが、使い方がわかりません。 長年やっているブログがせいぜいで、今どきの媒体にはついていけていないのです。何しろスマホを使う事が億劫だと思っていて、いまだにガラ系を使用しているので、仕方がないかもしれません。 商売しようとする私には大きな課題ですね。 さて朝ごはんを食べたら、再度セールの準備にかかります。 朝ごはんだけは抜かせません。朝一番の元気を得る秘訣ですから。 今回は1回限りのセールのつもりでしたが、まだ捨てるには惜しい商品が残っていますので、当分ショップとして開ける事にしました。それにこれから、お客様と接する仕事していくわけですから、心臓も鍛えておかないといけないです。 道行く人が、いぶかしそうに中を覗き込みながら通るのですから、気恥ずかしくてつい目をそらしたりします。 いけませんいけません、見つめ返してニコッとすればいいんだと、思いつも、きっと口元が引きつっているでしょう。 まあ、通りを観察しつつ、人の行きかい、車の通行を観察・調査をしています、と言えば聞こえがいいですね。 さて、興味の売り上げは、3,200円でした(拍手!!!)。
2024.05.27
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5月25日(土) 旧暦4月18日 六輝は「先勝」 「第4課」のプランターへの日照時間は1時間です。 やはり1時間では普通の作物は育ちません。2階のベランダのプランターは、雨・風の影響を考えなければ、日当たりがよく順調に育つことが出来ます。 ベランダでは、苗が出来損ないで心配だったナスが、元気に育ち始めました。シソも大きくなりました。 気が付かないうちに、月下美人もつぼみが付き、1花は咲き終わっているほどです。ベランダから外へぶら下がっている状態でしたので、上からのぞき込まないとわからない所で咲いてしまったのです。 <ナス> <青ジソ> <月下美人1番花を見逃してしまいました> たいてい夜は雨が降っていますので、この時期の月下美人は、人に見てもらえません。 やはり、陽が当たる事の差はとても大きいです。「第4課」にもシソを植えましたが、成長の度合いがまったく違います。 台風時の片付け労力を考えて、ベランダには最小限の鉢しか置いてないのですが、「第4課」のプランターは、2階へあげるか、日陰作物と交代するかしかなさそうです。 鉢に挿し木したレモンが根付いたようです。新芽が出てきました。でも今後、これを生かすことが出来るかどうかが問題なんです。私、種まき・挿し木下手なので。 <レモン 4月14日に挿し木、節から新芽が,手前の双葉は雑草かな?> 何故なら、別の箱に60本くらい挿したレモンは、次々枯れてしまいましたから。 <挿し木したレモンたち・・・ほぼ枯れました> ケイさんみたいに上手に生かせる人もいるのに、私ときたら、園芸好きな割に、いつまでたっても上手になれません。不器用を治す薬が欲しい・・・・
2024.05.24
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5月24日(金) 旧暦4月17日 六輝は「友引」 今朝は、ムジ(芋茎)の炒め物、ニンニクの醤油漬けを刻んで混ぜた納豆、アーサのカツーユーと、パパイヤのデザートです。 お昼はと言うと、簡単にパン食です。普通は朝がパン食かもしれませんけど、私はどっちも好きですので、気の向くままに食べています。 <朝> <昼> 今日も雨のせいで?1日ゴロゴロでしたから、用もないのにお台所に出たり入ったり。紅茶をいれたり、コーヒーを入れたりして過ごしました。 何だか1日中、胃の中に食べ物が入っているようで、夕飯は簡単に済まそうと、冷凍してあった切り落とし野菜を、豚コマ切れ肉と一緒に炊飯器で煮もの炊きにしただけにしました。毎日食事は作っているつもりですが、考えてみると、私って最近ほとんど料理をしていませんね。なんせ料理しなくても済むものが多いので・・・少し反省です。 <夜> 「第4課」のプランターを2階に移そうと思いましたが、雨のうえ、水分を含んだ深型プランターが重すぎて持てません。サニーレタスはこう毎日雨に降られたら、成長は難しいです。最近は農園で収穫できる葉っぱ類もありませんから、サラダ系が少なくて野菜不足です。かろうじてスプラウト野菜で凌いでいますけれど、今は食べつくして種子を蒔いたばかりです。 今日はでも、何もしなかった訳ではなく、日曜日に予定している「ガレージセール」の準備をしていました。我が家では使用しないものがかなりありましたので、「ガレージセール」をやってみる事にしたのです。 昔昔は、時々フリーマーケットに出品していましたけど、あれから40年近くなりますから、少々勇気がいりますね。 値付けも終わり、今日でほぼ準備は完了です。 映っていませんけど、ウォーキングマシンや、カメのはく製、ノンフライヤー、ガラス玉、ベビーベッド、トレリス等も提供してもらっています。明日は1日カーテンを開けて外から「見える化」しておきます。遅いかしら?
2024.05.24
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5月23日(木) 旧暦4月16日 六輝は「先勝」 朝から雨で今日は1日降り続きそうだと思ったのですが、午後は陽が出てきました。しかしなんだか疲れてしまって動けません。夕べも9時過ぎには寝てしまいました。 たかが那覇往復でこんなに疲れるとは、つくづく年齢を感じてしまいます。 今日は1日、なにもせずゴロゴロしていたいと思います。 娘が東京へ旅立って2か月が過ぎました。今、2クールめの抗がん剤治療中で、きつい思いをしているようです。病気は体力と気力の勝負でもありますから、どちらかのバランスが崩れると悪化してしまいます。 私でもそうですが、時々ふっと弱気になる時があります、そんな時は言いようのない闇に突き落とされるような感じです。でも家族がみな頑張っているのだからと、自分に言い聞かせて気を取り直します。 当事者の娘は、これから何倍も苦しい思いをするはずですが、決して一人ではないと信じて欲しいです。有名無名にかかわらず、同じ病で戦っている方たちも大勢います。苦しみを背負っているのは私達家族だけではありませんものね。でも背負っているのは多分、皆さん「苦しみ」ではなく、今はきっと「希望」のはずです。 私も「希望」を持って娘を東京に送りました。だから寛解・完治を信じています。一人でいる事もちっとも苦になりません。 今は上の娘や孫たちに任せて、家を守る事が私の仕事ですから。 そうそうチビチビの面倒も見ないといけませんしね。これだけはしっかり娘に頼まれました。 娘は生きるための挑戦の真っ最中です。ファイトです。 今頃また農園の菜園は水没しているでしょう、でも何度でも植えます、そのうちそこに合う植物が見つかるはずです。里芋が育ってくれる事を期待しているのですが、収穫が少なくても良いです。植物が育ちづらい場所に緑が育っていてくれれば、それだけで虫さんとかカエルさんとか何かの役には立つはずですからね。 明日の農園行きはお天気次第ですが、できればもう1日くらいゴロゴロ日が欲しいと思っています。 階下の「第4課」では(「第4の農園」なんて言えないので、最近「第4課」と呼んでいます)、パセリが遅い芽を出しました。でも残念ながらサニーレタスは雨で総倒れです。 <やっとパセリ> <サニーレタス徒長しすぎ> これは、やはり何とかしたいですよね。 ゴロゴロ日でしたから、今日は何もしませんでしたが、明日はゴロゴロでも何とかするしかないです。
2024.05.23
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8月22日(水) 旧暦4月15日 六輝は「赤口」 沖縄ヒヌカンの日 ツイタチジュウルクニチー 火の神様の御願日です。 今日は眼科診療の為、沖縄本島那覇市へ日帰り往復です。那覇は大雨でした。飛行機の中で電源を切ったはずの携帯が一斉になりだし、大雨警報レベル4、該当地域に避難警告を出していました。今年は高温多雨との事ですので、過ごしづらい夏になりそうです。 手術の方は経過良好で、ひとまず安心です。 帰りの飛行機の時間まで余裕を持たせ、買い物をするつもりでしたが、病院に時間を取られました。 本屋さんに寄って、スーパーに寄り、食材を買って帰る・・・、買い物リストが無駄になりました。 梅雨って、昔はしとしと雨が続く感じでしたけど、最近の梅雨は豪雨が多いです。 昨日ストレリチア畑の左ラインの草取りを終了し、「東の農園」の菜園に里芋を植えて1マスを完成させました。 ストレリチアの刈り草の中の可愛い雑草、オッタチカタバミの花が咲いていました。 <オッタチカタバミ> 雨が止んだ合間の作業で、直前まで雨が降っていましたので、畑の土は粘土になってしまい、服も長靴も泥だらけになりました。今も雨は容赦なく降っています。 この分だと農園通いに支障をきたしそうです。
2024.05.22
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5月21日(火) 旧暦4月14日 六輝は「大安」 チビチビは残念そうに、網戸越しに外を覗いています。理由は隣の手すりに止まっているスズメです。 この若いスズメの子、どうしたわけか我が家に飛び込んできました。出口がわからず迷っている内に、チビチビに見つかり、一撃で仕留められてしまいました。さすがに私もびっくりして大急ぎでチビチビから奪いましたが、スズメは死んだようにぐったりしていました。 しばらくして目が開き、身体はケガをしている様子がありません。よほど驚いたのでしょう。目と口は開きましたが、動くことが出来ず2~3分私の手の中でショック状態でした。 やっと少し動いたので、外のパッションの葉の中に置いてやりました。 <まだ若いスズメのようです> 15分後、スズメは気を取り直したと見えて、飛び立っていきました。 無事で良かったけれど、チビチビはごめんね。せっかく大興奮して、自分で捕まえた獲物だったのに。 「まだまだ素早いね、びっくりしたよ。」 一応褒めてあげました!(^^)! たまに、まともに顔を撮らせてくれます。いつもはカメラに映しても顔がわからない。 このごろ良くこんな格好で寝ています。 <片目を閉じる事が出来ない障害を持つ我が家のチビチビ> 最近、入院中の娘はかんばしくありません。メールもないのでダメージが強いようです。2クールめの治療中です、きついのでしょう。 でも、みんなの為に頑張って欲しいと願っています。完治するのが目標ですから。 いつか島に戻れるように、そのために家族もせいいっぱいサポートしています。ドナーが見つかる事を祈りながら、あなたの事を毎日思わない日はないのだから。 今日から沖縄梅雨入りです 。
2024.05.21
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5月17日(金) 旧暦4月10日 六輝は「先負」 昨日、お店のキッチンをよく見ましたら、かなり傷みが激しく、流し台も漏っていました。流しの下が水漏れで腐ってしまっています。蛇口からの水漏れも上下階合わせて4か所もありました。床は剥がれて床板が見えています。電気だけでなくキッチンの補修も考えなくてはいけないようです。 築50年余、全てに補修が入る時期です、店も動いている間は良かったのですが、いったん止めてしまったので、弱い所に故障が一挙に噴きだした感じです。電気やら流し台やらは素人で出来る工事ではないので、どうしても業者さんに任せるしかありません。流し台は取り換えないと無理だそうです、困りごとがいっぱい出てきました。 お店をやるぞと決めましたが、どうやらオープンするまで一筋縄ではいきません。 神様、道を示しておいて、これは少し意地悪ですよ。無職の私にあんまり負担をかけないで下さいな。 修繕費は予定金額をはるかに超えそうです。 さあ、困りました。しかし補修しないと開店できません。何事も事業を始めるには資金が必要なのはわかっているつもりですが、お店がこれほど傷んでいるとは・・・ そういえば娘は流しを使っていませんでした。カウンター前にある三槽を使って、収納棚の少なさをカバーするために流し台は棚に作り替えていました。 娘の店は「お料理持ち込み自由」でしたので、キッチン仕事が三槽で十分だったのです。しかし私には流し台が必須です。 どちらにしてもこのままと言う訳にはいきません。もう使える状態ではないのですから。 ここにきて進路を少し変更せざるを得ません。 まあ、あまり考えすぎても何ですし、ちょっと一休みして後で悩むことします。 農園も待っていることですし、すでに朝から作業スタイルで待機していますからね。 ほら、ずいぶん遠くまで草取り出来ました。草取りをしながら小石も拾い集めます。 <刈り草を小さなパパイヤにマルチ> <今日拾った小石> 拾った小石は、小石集積場所に移動して今日の作業を終わりです。ストレリチア残り15本分、このライン後3回程で終了できそうです 今朝の朝ご飯は、いつものようにご飯とお味噌汁、サバ缶にスプラウト野菜を足して、MCTオイルかけです。だいたいが「沸す・温める」だけの手のかからない簡単なもの。 最近カツーユーはお出汁を別鍋でとるようになりました。カツオ節がすごく高くなっている事に気づいてしまいましたので(今更)。 今まで一回こっきりで、カツオ節も食べちゃっていましたが、2度出汁を採る事にしたのです。節約節約。よっしゃー、ネットにあふれる「月5万円生活」挑戦するか~!!
2024.05.17
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5月15日(水) 旧暦4月8日 六輝は「大安」 農園は、アガパンサス開花の時期です。昨年までに「東の農園」に移植を予定しましたが、できずにまたここで咲いてしまいました。薄紫の色が奇麗な花です。株も余計に増えてしまいました。 農園とお店を両立させるには、農園の作物を変えるしかありません。これからは毎日行けるようになるからと、もっとたくさん野菜の種類を増やすつもりでした。 それを、また最小限にし、手のかからない野菜を選ぶことになります。そのつもりで、毎日の葉野菜は家の庭のプランターに切り替え「第4の鉢物農園」としたのですが。 プランターはすでに種子を蒔いたので、じつは芽が出始めています。 <サニーレタス> <苗で植えた青ジソ> <バジル> ところが、一つ誤算、こちらも日照時間がわずかだったのです。サニーレタスが徒長してしまいました。半日影どころか、こちらも1日1時間程度の日照のようです。これで野菜が育つかどうか気になるところです。成長を見ながら考えるしかありません。 確かに、我が家と隣の隙間は、ほんの少しです。今日は12時15分から陽が当たり始め、1時20分前後には陰ってしまいました。ちょうど1時間です。 、 <この隙間からの太陽は、真上に来た時だけ陽が入ります> 2階のベランダは陽が当たりますが、このところのお天気異常(突然の大雨と風等)で、プランターを出し入れするのが大変です。異常すぎて置けないので、たくさんあった植物を全部片づけた経緯があります。 それでも、置く場所がないので、今は最小限置いてあります。台風時の出し入れの労力を考えると、これ以上は増やせません。 日照時間1時間で野菜が育つかどうか・・・・全く困ってしまいます。 せっかく雨があがったのに、今日は予定があって農園には行けませんでした。作業をしなくても、しっかりお腹が減ってしまいますね。ただいま夕食準備中。 今朝の朝食は、鶏を飼っているUさんの卵、野菜をいっぱい作っているYさんのトマト、Kさんのジャガイモ。同じイニシャルのKさんの実家のレモンと、養蜂趣味のNさんのはちみつを使った「ちみつレモン」、孫が作って冷凍してくれていたラカンカ糖入りのパン、私が作ったのはスプラウト野菜だけでした。たくさんの方のコラボでいただいています、幸せですね。
2024.05.15
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5月14日(火) 旧暦4月7日 六輝は「仏滅」 6月まで余すところ半月、この半月で店舗開店の準備を急ぎます。 最終的にはハーブティーを中心とした「茶屋」が目標です。でもすぐに完璧なお店は目指せませんから、最初はノンアルコールのドリンクバーオンリーになるかもしれません。 以前は、ブログ表示ページの写真のような店でしたが、10年もたつと雰囲気も変わります。これを出来るだけ昔に戻しながら片付けを行ってきました。昔風でないと安心できないのですね。 友人たちは、職もなくなり一人暮らしを始めた私が、急に老け込まないか心配しています。ですが私は、娘が戻ってきた時のためにと、食の勉強も始め、自分で実践もしていますので、老いも止めるつもりでいます。 正直72歳を過ぎてから、新しい世界への挑戦はしんどいですが、今まで自己啓発書もたくさん読んできましたので、70代でどこまでできるか、興味もあります。 もちろん、自己啓発書を読んだから成功することはないですよ。ああいった本は常に抽象的で、これをすれば成功しますよと言う事は書かれていませんからね。一種の気休めです。 娘たちが頑張っている以上、私も頑張らねばと思って挑戦するのです。 何故か店がある、農園がある、ハーブがある、なんだか決められたレールのようじゃないですか。 レールの先は決まりましたが、ただ一つ手直ししなければいけないことがありました。それは、農園に没頭すると決めた私の意思と計画です。 お店を始めると、農園にかかる時間が極端に減ってしまいます。あれこれ計画したことが出来なくなってしまうのです。農園をするからこそ「グランババの農園」ブログでしたから。 農園をどうするかは私にとって大問題でした。 しかし、自分の生活と入院費用を考えると、今は何とかできても長期戦では持ちません。つつましく守りの生活だけでは、いつか支障が出てくるのです。 結果、70代からお金を稼ぐ道に入りました。 今の方は、頭で稼ぐ方が多いようです。うらやましいですが、私は身体で稼ぐ時代の人間ですので「農園」と「お店」を両立させる方法を考えながら「茶屋」を目指して頑張っちゃうのです。 ケイさんからもらったハーブ、農園に植えてきましたが、名前が定かじゃありません。オレガノっぽいんですけど、「う~ん、だったと思うんだけど、うん多分・・オレガノよ」と・・・・ <オレガノ??> 夕方から、またポツリポツリ雨が降り始めました。 今日は「赤瓜」と何か他のも植えたのですが、「う~ん、思い出せない、冬瓜だったけ?」。 あ~あ、やっぱみな同じですね。いやいや頑張れ70代!! 草取りは順調に進み、ストレリチア5本分、さらに整理出来ました。
2024.05.14
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5月12日(日) 旧暦4月5日 六輝は「友引」 のっけから朝ごはんとなりました。 このところ朝ごはんを食べないと、力が出ないのです。ですから朝ごはんは、簡単ですけどしっかり食べるようにしています。 今日は、味噌汁と梅干とキュウリの酢の物とショウガをのっけた温豆腐です。 孫たちがいましたので白米を買いましたから、それを消費するのに、十八穀米と人参の切れ端を入れて炊いています。味噌汁もいつもは削りカツオを入れて湯を注ぐだけですが、今日はお豆腐を温めたかったので、別鍋でカツオ出汁を取りながらお豆腐も一緒に温めちゃいました。 ある時、カツーユーを友人に出したら、中に入った削りカツオの感触が苦手で、食べられなかったのです。奇麗に漉さないと、削り節がそのまま残る味噌汁はだめだったんですね。 ですから、カツオ出汁は別鍋で作って出汁だけをかける事にしました。 食は人それぞれ好みがありますから、同じものを誰もが美味しいとは限りませんでした。 私は食材もだいたい決まってきましたので、メニューも定着してきています。 入院している娘は小康状態です。 ゴールデンウイークはつかの間の休日を過ごし、明日からまた2クール目の抗がん治療が始まります。 長女家族の支えもあり、支障なく過ごしていますが、「退院したらお姉ちゃん達には、いっぱい恩返ししなくちゃ」と口癖のように言っています。 確かに、長女家族がいなければ、中央の病院になんて連れていけせんでしたから、私自身もとても感謝しています。 庭の片づけをして出た、ボロボロのよしずやパッションの葉っぱを、土作りに使おうと思い、よしずの方をはさみで小さく切るのが今日の仕事のひとつでした。 捨てればいいものをと思ってるんですが、ついもったいなくて・・・ 土に混ぜたらよさそうじゃないですか。1時間ほどチョキチョキ切って、疲れて・・・明日に回しまーす。 <よしずを処分> <パッション処理葉> パッションは、あまりにツルの勢いが強すぎましたので、結構切り取りました。すでに草袋いっぱいです。こちらは後日農園に運びます。 今日の農園に移植する植物を準備しました。夕方から農園です。 前回植えたキダチアロエは、雨が降りすぎたのが原因なのか、かんばしくありません。ピンクの可愛い花は地植えの方が増えそうなので、農園に引っ越しです。 そのほか、あまりうまく育たなかったナスの苗も、一応農園に移してみたいと思います。 晴れ間が続いていますので、農園はカラカラ、土が固くしまって、草もなかなか抜けません。「西の農園」のストレリチア畑は、ほんとにひと月前に草刈りしたの?と思わずにいられないほど、草が伸び切っています。 <草に覆われたストㇾリチア畑> さあ、農園に行ってきます。
2024.05.12
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5月11日(土) 旧暦4月4日 六輝は「先勝」 小鳥たちが休む我が家の裏庭のカニステルの木は、小さな空間の中で空に伸びています。 屋根より高く伸びているので、空から見るとオアシスのように小鳥たちを呼びよせるのでしょう。 裏庭と言ってもほんとに小さな空間です。横幅約4メートル、奥行きは10メートルくらいでしょうか。 2階へ上がる階段の脇に布袋様がいます。この裏庭は我が家を含めた4方を2階以上の建物で囲われていますので、表側からはここに小さな空間がある事はわかりません。 埋立地なので土質も良くないのですが、不思議なことに、昔から植えた植物がよく育ちました。バナナ・パパイヤ・カニステルしかり、今階段を覆うパッションもそうですが、何も与えなくても実物が立派に育つのです。育ちすぎて少し目を離すとジャングルになります。 手入れをすると素敵な空間になりそうと常々思っていましたが、なかなかその機会がなく、引退してやっとその時間が取れるようになりました。 ただ極端に日照不足で、日照時間は地面近くで1日1~2時間程度です。ほとんど上に伸びたカニステルやヤシの木で遮られてしまうのです。 何度かここで花を育てたのですが、インパチェンスやベゴニアでさえ徒長してしまいました。 ここを店の自慢の裏庭にするにはセンスが必要です。センスのない私がどうやって知恵を絞りだすか大問題です。 ですが、窓から緑の眺められるお店を作りたいので、何とか庭を生かしてみたいのです。 お店を引退して10年、コロナで変化した社会で、70代の私が娘が戻るまで店を守っていくのは、正直簡単ではありません。
2024.05.11
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5月10日(金) 旧暦4月3日 六輝は「赤口」 今日も予定がいっぱいですから、朝をしっかり食べないと動きが鈍くなります。 農園のサラダ系野菜が終わりですので、しばらくスプラウト野菜にチェンジです。3個の豆腐の空きプラ容器を使って、順次使えるように楽しみながら作っていますが、結構重宝しています。 今朝は、フレンチトーストでしたので、飲み物は紅茶にショウガを入れたショウガ紅茶でいただきました。サラダの下にお肉も隠れています。 今日は古いクーラーの取り換えです。これから夏に向かってクーラーがないとお店は営業できません。1台新しいクーラーに取り換えます。クーラーの取り換えも電気の工事も痛い出費ですが、やむを得ません。 仕事は業者さんに任せて、私は第4農園(お店の入口のプランター菜園)の作成にかかりました。 Kさんよりいただいたプランターを配置し、一か所は、残してあった青ジソの苗を植え、他はリーフレタス・パセリ・バジルの種子を蒔きました。隣の建物が我が家より高いので、陽あたりは良くありません、半日陰で育つ野菜を選びました。バジルは例外で、苗が出来るまでの仮の宿です。 <まず入口の4つのプランターから> 少しづつプランターを増やし奥へつなげていきます。また、あちらこちらに散らばっているランの養生場所も作り、ランの手入れ作業が出来るようにしました。 今までは、何もしなくても、何鉢かは花を咲かせてくれていましたが、やはり良い花とは言えませんでした。ここしばらくはカトレアも咲いていませんし・・・、こんなふうに目の前にあると、いやでも目につきますから、手入れもやらざるを得ません。 ところで、農園では、また新しい発見です。農園に新顔登場です。 「コンロンカ」です、今まで私の農園にはなかった植物です。どこから入ってきたのでしょう?大きくなるまで全く気づきませんでした。 先日海岸沿いで「ショウジョウソウ」の群生を見つけ、今度農園に連れてこようと思っていて、それなら「コンロンカ」も欲しいなあと思っていたところでした。まあ、なんと良いタイミング。 <海岸沿いで見つけたショウジョウソウ> 良いお天気で、家周り仕事には👍グッド日和でした。
2024.05.09
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5月7日(月) 旧暦3月29日 六輝は「先負」 眼瞼下垂の手術後でもあり、孫たちや孫の友人がいた事もあって、自宅にいる時間を余儀なくされている間に、幸い店の整理・片付けは、予定通り終了です。 これから店外の清掃にかかる予定でしたが、昨日はあいにく雨で持ち越しになりました。今日は孫たちがゴールデンウイークを終えて帰りますので、午後から通常の生活に戻れそうです。ただし今日は少し、休憩をしたいと思います。 都合2週間、私事が出来ていませんけれど、一服入れて明日から本腰を入れようと思います。今日は農園に行く余力もなかったです。いやですね、体力(年齢)の壁は。 でも、予定を組み直すには良いチャンスです。一人で静かにじっくり考えることが出来ます。なにしろ、年初から急速な運勢の変わり方ですので、ついて行くのがやっと。細かい所までの調整は全く出来ていません。 「ハイ、ではお店をしましょう」と決めても、どんな店をどういう風になんて考える余裕はありませんでしたから、自分でやりたい事を店に落とし込んで融合させるなんて事は、じつは頭の中だけで、まだ出来てはいないのです。 それでも「なんくるないさ(何とかなるさー)」と思うのは沖縄的思考ですね。そうそう、良く友人のケイさんと「なまからどー(これからだぞー)」と息巻いていましたから、ほんと歳も忘れて「なまからどー」です。 明日は久しぶりに農園に出かけましょう。きっと植物たちが待ちくたびれているはずです。 これから活躍してもらう裏庭のパッションも、どんどん花が咲き始めました。階下の通路のランも何もしてあげていないのに、一番乗りのナゴランが咲いています。 <パッションの花が次々と> <ナゴランの良い香りが> <庭の月桃達もやっと開花を始めました> <カニステルの実は散乱です> ここは、もう何年も小鳥たちの住処になっています。以前はフクロウ(もしかしてミミズクだったかもしれません)も住み着いていました。その頃は今のパッションでなくてヤハズカズラが絡まっていました。 <隣の屋上から見る裏庭> お店の裏庭も、もちろん「なまからどー」です。
2024.05.07
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5月5日 旧暦3月27日 六輝は「大安」こどもの日、立夏 人生死ぬまで何が起こるかわかりません。私も仕事が終わった今年から農園に籠り、農園を仕上げるつもりでいました。昨年再度ストㇾリチアを育てるチャンスに恵まれ、農園の大改造に踏み切りました。それに伴って犠牲になった植物もあり、(特にバナナが激減、パッションが枯れるなど)また農園の土地の変化(木の伐採の為の強風・雨時の水没地帯の出現など)と言う思わぬ副産物もあり、どう農園を回し、どう農園を切り盛りしていくかが、私の老後のライフワークだと思っていました。 しかし、娘の病気をきっかけに、道は思わぬ方向へ向いてしまいました。 無職になっても時々ガイドをして、商店街沿いの空いている部屋を、何かの店舗か時間貸しルームにして日々を過ごそうと軽く考えていたのです。それなら農園時間をたっぷり取ることができますから。 しかしそれはもちろん、娘が元気でいるからこその話だったのです。 正直、週3~4日働いていましたが、ほぼアルバイトです。傍らでNPO法人の運営をしていましたが、貧乏法人でしたので、職員に給与を払うのがやっと。働き手がなくて、仕方なく自分がアルバイトをしていたのが実情です。したがって年金は国民年金のみですから、娘なしでは老後の生活は安定しません。 そんな中の娘の発病でしたから、病気の対処が先でした。 骨髄移植と言う現代医学の治療が、大きな病院では普通に行われていることを知り、ほんとに安堵したものです。 しかし、同時に入院・治療・ドナーの存在の有無・手術など、長期入院に備えての金銭的な問題や、退院後の生活など多くの問題を抱えての、見切り発車でもありました。 それぞれの立場で、出来る事をすると娘たちと決めた時から、おそらく店に関わるであろう事を、予感していましたが、農園の事もあり、時間に縛られないものを模索してきました。 でも、どれをとってもすんなりいかず、2か月を過ごしてしまいました。 最近、上の娘と会話する中、頭の中で思い描いた計画が、一つ手直しすることで、むしろ「店」にいた方が、可能になる事に気づきました。 手術後また退院後の生活を考えると、店を継続していく事も流動的です。しかし今は店を開けた方が良いと言う頭の中の声に従って、娘の店を引き継ぐことに決めたのです。 まあ、出る事出る事!! 不要なものが部屋いっぱいになりました。これらはもう一度精査して処分です。
2024.05.05
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5月4日(土) 旧暦3月26日 六輝は「仏滅」みどりの日 実のところ私の看病に来ていた長女が帰った翌日30日から孫とひ孫が、2日から孫の夫が、3日には孫の友人がと、我が家はひっきりなしに人の出入りがあります。孫たちは帰省ですが来客みたいなものです。あれこれ出来ないことを頼みたかったのですが、そんな余裕はなさそうです。 猫のチビチビも、1日中家に人がいるので、階下に逃げ込んで2階に姿を見せません。心なしかここ数日で痩せてしまったような気がします。夜も2階に上がってきません。 昨日の午後は、みんな船釣りに出かけましたので、私とチビチビはつかの間の休憩が出来ました。 今日で店舗内の片付けがほぼ終わりました。 明日は、店中から出した不用品を仕訳して分別します。食器やコップなどは半分に減らし、余分な椅子やテーブルも処分することにしました。もったいないですが使いきれません。 私はカウンター席だけのドリンクバーで十分だと思っているのです。 孫達の帰る7日までは農園に行く余裕がありませんから、細かい時間を見つけて店舗オープンの準備をしています。あれもこれもやることが山ほどあって、ほとんど同時進行で進めなくてはいけないので、かなり疲れます。 眼瞼下垂の手術の後遺症なのか、1時間あまり労働すると軽いめまいが起こります。以前はそんなことはなかったのですが、歳をとって身体をいじるとダメージが増えていくのかもしれませんね。 手術から後の食生活も乱れてしまいました。困ったものす。 裏庭は屋上より高く木が伸びて、相変らず小鳥たちの楽園になっています。 うっそうとしていますが、逆に商店街の中では見られない雰囲気が出せそうなので、店内から眺める「緑の風景」が作れそうです。刈り込み手入れが必要ですけれど・・・ この辺りは海岸の埋立地に急速に発展した場所で、すでに50年あまり。ほとんどの建物が、昔ながらのセメント作りで老朽化しています。海の傍ですからサビやすく、海砂の混ざった我が家のセメント建物も、内部からサビてきて、屋上は水が染み込み水漏れがひどい状況でした。1昨年やっと屋上に防水を施し、漏れは止まりましたが、天井板は湿気でヨレヨレになっています。でも今は直す余裕がありません、まずは稼ぎませんと。 そのつもりでお店を整理しているのですが、すべてが収まるべきところに収まった後でないと、方向性が決められません。 今日は娘のお店によく来ていただいていたKさんから、プランターをいただきました。第4の農園の件を読んで下さったようです。ご実家から送られてくるおミカンもいつも頂戴しています。いろいろ便宜を図ってくださって感謝しています。 今年は、私の行く先が勝手に流れているような、いえ、むしろ勝手に決められていくような、妙な運を感じます。ストンストンとツボにはめ込まれていくような感じです。 理解不能ですが、まあ、ただいま開店に向けて準備中です。 今朝から見かけない鳥が、玄関の前を行ったり来たりしています。どうやら新顔さんのようですね。
2024.05.04
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5月2日(木)旧暦3月24日 六輝は「友引」 5月1日は「眼瞼下垂」手術後の抜糸の為、沖縄本島へ日帰り診療でした。 診療費は僅か300円程度ですが、往復の交通費は11,000円余り。これが離島の医療の現実です。小さな手術さえできないので、命に係わる病にはとても対応できません。娘が危険な病気と感じた時、早めの対応を望んだのですが、沖縄本島の病院に繋いでもらうのにひと月もかかりました。 ですから東京の病院は、自分たちで探しました。娘の病気は特殊でしたから、当然久米島での治療はできませんでしたが、年を取り、病院との付き合いが多くなると、あるいは持病を抱えていると、離島に住むことが難しくなってきます。 のどかで平和な生活を望むなら健康という切符を手に入れておかないといけない訳です。田舎の弱点です。 とは言え、私の方は無事に抜糸もでき、何だか目が軽くなりました。娘も抗がん剤治療の経過が良く、規定通り明日から一旦退院になるそうです。でもすでに、5月からの2クール目の抗がん剤治療も予定されているので、ゴールデンウイークのつかの間の休憩というところでしょうか。 娘は久しぶりの外出で、一時退院を楽しみにしているようです。 しばらく雨が続き、昨日まで抜糸も済んでいませんでしたから、農園の方は10日もご無沙汰です。支障がなくなれば、少し菜園をずらしながら(雨で水没場所が半分もあるため)新しい苗を植えていきたいと思っています。 また、今後の生活を考えて家の入口を「東・中・西」に続く第4の農園に仕上げる事にしました。農園と言うにはとても大げさですが。 こちらは鉢物だけの農園、プランターや鉢で野菜を育てる「農園」にしたいのです。じつは1階には娘の経営する店があり、娘が入院してからはずーっと閉めっきりです。 <この辺りから整理して、鉢物農園に> 娘の入院が長引けば、金銭的な必要に迫られてきます。今まで後回しにしてきた、お金を稼ぐという問題を考えなければいけない時になりました。5月から給料もなくなりましたし。 あれやこれやと考えましたが、今後の生活を支えていくには、お店を開けるのが一番かと思ったのです。そうなれば、すぐ手の届くところにキッチンベジタブルがある事は、とても重宝しますし、販売用の観葉植物を作ることもできます。需要があるかどうかはわかりませんけれど・・・ ここ数日でお店も大分片付けました。後は不要なものを処分し、クーラーと電気器具の入れ替えをするだけで、遅くとも来月初めには開店出来そうです。 しかしながら、10年近く離れた喫茶を再開するのは、意外に勇気がいるものです。 第4の農園を開拓する気分で、勇気を奮い起こしている所です。もちろん鉢物農園なんて滑稽な考えも、内内の喫茶名「グランババの農園」に紐づけられるようにしているつもりです。 正式名は娘のつけた「天龍館」ですが、しばらく店内は「グランババの農園」で、私にとっては第4の農園です。
2024.05.02
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4月30日(火) 旧暦3月22日 六輝は「赤口」 24日に勇んで本島に向かいました。 眼瞼下垂の手術の為でしたが、「1時間くらいで日帰り手術だから簡単よ、二重瞼ばっちりの目になるわよ」と言う(何人かやった方たちがいて、それを聞いたことのある友人たちの言うには)話しに後押しされ勇んで出かけたわけです。 ところが、とんでもない。確かに1時間ちょいの手術でしたが、手術中は緊張して疲れるわ、麻酔が切れたら痛いわ、頭痛がひどいわ、めまいはするわ、吐き気はするわ・・・ 長女が心配して、わざわざ埼玉から来てくれなければ、一人で島に帰るのはとても無理でした。ホテル1泊で一晩痛みを我慢し、翌日病院で消毒し、吐き気止めの注射も打ってもらって、空港で車椅子を用意してもらい、何とか家に帰り着きました。 長女は、抗がん治療で入院中の妹の面倒を見ながら、合間をぬって私のために来てくれたのです。彼女がいなければこの1週間どうなっていた事やら・・・ 人によって術後は違うんです。このお岩さんみたいに腫れた目を持って行って、「どう?これでも目をぱっちりしたい?」って聞いてみたいものです。 まだ右目の腫れが引かず、右と左が片チンバになっていますが、何とかめまいだけは良くなりました。都合2回の手術と言っていましたので、後1回を思うと気が重くなります。 ただ、確かに左目の隅はよく見えるようになりました。 抜糸をし、完全に傷が塞がるまで、時間がかかりそうです。その間農園に行けないのが気がかりですが、ここは我慢のしどころです。 入院中の娘の抗がん治療1クールめが終了し、たまたま2クールめの合間に私の手術が入りましたので、長女である上の娘が来ることが出来ました。 上の娘には、妹の一切合切をしてもらっていますので、ほんとに申し訳なく思っています。何しろ1クール終了後は病院の決まりで、検査結果によっていったん退院しなければならないそうなので、その引き受けは長女家族しかできません。 娘の容体は、病気のわりに進行が穏やかだそうですから、一時退院があり得ます。長女は昨日帰りましたが、息つく暇もないでしょう。 私が体調を崩せば、みんなに迷惑がかかります。健康で病気をしない事が、私の役目ですから(ただ今回の事は以前から予定に入れてあったことで、やむを得なかったのですが)1日も早く正常に戻る事が先決です。 農園の事は気がかりですが、農園作業のできない分、家の裏庭の植物たちの整理をしたいと思っています。 慰めは、階段に絡んだ我が家のパッションフルーツです。少しづつ実が付き始めました。
2024.04.30
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4月23日(火) 旧暦3月15日 六輝は「大安」 ツイタチジュウルクニチー 火の神様御願日 朝から雷が鳴って雨模様でした。夜中もかなり降ったようです。玄関外廊下に置いてあった、芽が出たばかりのハツカ大根が雨の吹き込みでやられました。農園に植えた昨日の苗たちも心配です。 最近のお天気は見当がつきません。昨日は暑くて熱中症になるかと思ったのに、今日は雷雨、雨降り特有の風が吹き、ベランダの植物たちも避難させました。 こんな小さな我が家でさえ、20年前にはなかった気象の変化が感じられるのに、日本や世界であれだけ起こっている災害に、どうしてもっと焦点を当てないのでしょうね。世界の滅亡は近い??。 ありんこのような私は、その日まで平穏を願いながら、今生きる人生を歩むだけしかできません。 ・・・今生きる人生に戻ると、 先日種まきしたブロッコリースプラウトの芽が出ました。\(^o^)/。豆腐プラ容器はちょうど良いスプライト栽培容器で、毎回栽培に使っています。 隣の種まきセットは外国製ですが、うまく使いきれずどうもなじめません。 <ブロッコリー> <ストック(花)> 残してあったナスとシソも少し大きくなりました。私が植えるとどうしてもバラつきが出てきます。大きくなったものから順に農園に移していますが、種まきの難しさを痛感しています。 これらの苗は、ストック同様みな種まきセットで蒔いたので、その影響もあるかもしれません。苗床が固すぎて根が伸びづらい気がするのです。中玉トマトなどまったく芽が出てきません。 今日は暇を持て余しそうですので、やーがんまいをしました。馬鹿げたお遊びのようなものです。キャベツを挿し木してみましたが・・・・当たり前に枯れるだろうな。 <キャベツを挿し木、液肥は自家製> リボべジで、根が出たことがあるので、もしかしてと思って。 あの時は頭なしの茎だけでしたが・・・。 昨日は疲れすぎてお夕飯を作らず寝てしまいましたので、今日は朝昼兼用ブランチで、お肉で腹ごしらえをと思いました。チキンのみそ焼きと、バナナ2本分のサラダ、キノコのカツーユーです。 ところが、ブランチのメインは食べきれなくて、なんとか夕飯でサラダに作り変えて、具入りのケミカルスープと一緒にいただきました。どうも最近はやっぱり「ごはんと味噌汁とお漬物」だけで十分なような気がします。 明日・明後日は瞼の手術の為、本島へ行ってきますので、ブログはお休みいたします。友人達には「整形手術のようなものだから、奇麗になれるよ」と言われています。期待します。
2024.04.23
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4月17日(水) 旧暦3月9日 六輝は「大安」 ほんとに最近食べ過ぎですので、食事の量を減らさなければと思っているのですが、なかなかうまくいきません。 ただひと月ほど食事に取り組んできましたから、あまり凝らずに済むものを作れるようになりました。使う食材も決まってきましたし、定番をぐるりと回すようにしたのです。 ファイトケミカルスープを作ると、残った野菜の使い道に困り、あれやこれやと頭を悩ませていましたが、今はあっさり、ハンバーグやミートボール、カレーやシチューの具材にするだけにしました。それ以上に余る野菜は、思い切って処分することにしたのです。 農園の野菜も同様に、その日で食べる分を持ち帰るようにしました。 すべてを食べ切ると思うと、私の胃が持ちません。 ですから例えばお夕飯でも、このくらいがちょうど良いようです。 <お味噌汁はボリュームたっぷりですけれど、やっぱりお湯を注ぐだけの奴> お味噌もお醤油もお砂糖(すべて完全無添加)も、先日届きましたので、さらに身体を清めます。 ちなみに、かなり食べてきたような気がしますが、体重が2キロも減っていました。仕事をしていた時より動いていないはずですが・・・ 明日は大雨だと言うので(知り合いの農家さん予報)、今日はクヮンソウラインの草取りをすべて終えてきました\(^o^)/。「東の農園」では試し蒔きしたヒマワリが咲き、「中の農園」では白大玉のグワバの花が咲き出しました。やっぱり春ですね。 ピタンガの実も今日は赤くなりました。良い色合いです。枝を振るとポタポタと落ちる落ちる・・・ 農家さんのお天気予報が間違っていたら、明日はノリ面の草取りです。
2024.04.17
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4月15日(月) 旧暦3月7日 六輝は「先負」 土曜日に剪定した「レモン」を挿し木してみました。剪定したレモンも挿し木でもらったものでした。何年も育てて大きくしましたが、実のならない所を見ると、もしかして接ぎ木をする必要があったかもしれません、あるいは肥料をやっていないからかもしれません。鉢植えなので、無肥料是か非か毎回悩むところです。一応鉢物は少々肥料を入れようと決めてはいるのですが、あまりやったことがありません。 <レモンの挿し木、どのくらい成功しますか・・> レモンの挿し木も初めてですが、枝を持ち帰っていましたからやって見ました。 時々、たま~に挿し木で何かが成功することがありますので。ただ、種まき同様苦手な部類です。 その点、友人のケイさんは、なんでもほぼ成功させてしまいます。この違いに迫ろうと最近しっかり観察するようになりました。 何しろ食べた後の、水レモンや柿やラ・フランスまで発芽させていました。私は出来ませんでした。 今日は朝から大雨でしたので外出できず、夕方は少々晴れましたが荷物が届く予定でしたので、農園を見合わせまました。 今頃農園の野生のトマトは、地に落ちてしまったに違いありません。蒔いたハツカ大根もまた流れてしまったでしょう。なかなかうまく回りません。 仕方なく、レモンの挿し木を終えた後は、明日の為に台所でファイトケミカルスープを作り、カボチャを煮て、今日届くはずの無添化調味料を待ちました。 今日は「レモンの挿し木」しかしていませんから、いつにもまして1日が長く感じられます。 でも、まあ、たまに何もないのも良いかもしれません。 台所の窓辺のカイワレ大根を摘んでお夕飯のサラダに。 ドレッシングはいつものオリーブオイルではなく、今日はごま油です。レモンの実が採れれば絞れるのにな、なんて考えながら。 カツーユーは単純に農園の島ネギだけ、何もなくてもネギの香りだけで十分美味しいお味噌汁の具です。 何というか、のんびり休日風な1日でした。
2024.04.15
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4月14日(日) 旧暦3月6日 六輝は「友引」 ? 日曜日、雨の予報はハズレと思っていましたら・・午後は雷を伴う大雨となりました。 娘は抗がん治療をしながら、骨髄移植の為の準備に取り掛かるところです。ドナーバンクから適合できる方が見つかれば、手術に臨むことができます。本来は親族から出来れば良いのですが、親子姉妹の親族間でも適合率は4分の1と確率は低いそうです。そして残念ながら私の親族はみなドナーになれませんでした。 30年近く前、私の妹の腎移植の際、バンクからのドナーが見つからず、家族の中で一番適合率が低かった父が腎臓を差し出しました。私と母はATLのキャリアだったため、ドナーになれなかったのです。 時が過ぎ、形を変え、再度「移植」と言う問題にぶつかるとは思いませんでした。 そして、厄介な事に娘の血液は白血球が特殊で、ドナーバンクに全適合者が一人もおらず、かろうじて適合する確率の高い人が10人だけいると知らされました。 この方々が、今もドナーとして協力してくれるか否かは、今後打診していかなければわからないとの事ですが、運を信じて待つしかありません。移植がなければ完治の道は開かないのですから。 過去の家族の病、そして今の娘の病に向き合い、健康と言うのは、なんと尊いものなのか、改めて思い知らされます。 普段当たり前にあって気づかず、自分自身の健康に感謝する事さえありません。もっと身体に気を使うべきだとつくづく思います。 娘はたまたま病院に恵まれ、姉夫婦がいて、本人の娘夫婦も病院まで1時間半と言う距離内で、移植できるというチャンスにも恵まれています。それが狭いチャンスであっても、幸運には違いありません。 幸運がべったりくっついて離れないよう、接着剤を買ってお仏壇にお供えしたいくらいです。 結局、身体を作る食事は気を使って使いすぎる事はないものと思います。いろいろな食品添加物が蔓延している中、出来るだけ良質のものを見分ける目を多くの人が養ってほしいものです。きっと病気も減るし食の生産・流通構造も変わると思います。 今日は、久しぶりに切干大根の煮物です。作りすぎて昼・夜食べることになりましたけど。 <昼> <夜 メニュー変わらず>
2024.04.14
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4月10日 旧暦3月2日 六輝は「仏滅」 めまぐるしくお天気が変わると、気温の高低差も出てきますから、体調を整えないとすぐ風邪を引いてしまいます。ケイさんは、内地から帰って風邪を引きっぱなしです。昨日病院へ行ったら肺炎を起こしていると言われたそうです。危ない危ない。 今朝は急にお豆腐が食べたくなって、冷蔵庫を開けたんですが、買い置きがすでに無くなっていました。 ああでも、豆乳がありました。無調整ですし「にがり」があったのを思い出し、豆腐を作りました。朝ご飯「ゆし豆腐」でいただきました。後は玄米といつもの胡麻和え、ちょうど良いくらいです。 <朝ごはん> <夕ご飯> その代わり、お夕飯は昨日の農園の野生トマトをデザートにし、デカキュウリの三杯酢、間引きした一口分のほうれん草、手作り豆腐にショウガを乗せて(これ美味しかった)、ちょっとだけ豚レバの甘辛煮、いつものカツーユー(豆腐とわかめ)で。 お腹がいっぱいになりました。 あるものを利用して食事を作るのはケイさんのオハコ。野草の天ぷらも良く食べさせてもらいました。これから見習う事多しです。 早く元気になってもらわないと困ります。 農園で今一番元気な植物「明日葉」は、抗酸化作用もあり、風の予防にも良いとか。でも苦いのが難点で、今まで食材に使った事はありませんが、だいぶ育ってきましたので、そろそろ収穫できそうです。 季節の変わりめ、ちょっとした気温の変化、夜風夏冷え、風邪の原因は山ほどあります。身体を守るための心強い薬草系も、農園に多く取り入れたい植物群です。 まずは明日は薬草の天ぷらなど? <農園の明日葉は赤茎、赤茎は伊豆大島系だそうです>
2024.04.10
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4月8日(月) 旧暦2月30日 六輝は「先勝」 あいにく雨が上がりませんでした。お天気マークは朝からです。残念ながら農園行はきは。 昨日はさすがに食べすぎましたから、今日から程よく食べようと、朝昼兼用のブランチとお夕飯だけにしました。作り置きだけで済ませられたので楽ちんでしたね。 お夕飯のお味噌汁は、お湯をかけるだけの楽々仕様。このあたりで言う「カツーユー」です。 私のお味噌汁は、ほぼカツーユ―仕様です。一人分ですから作る手間が省け、お鍋も使いません。削りカツオとお味噌、具を入れてお湯を注いで混ぜるだけ。カツオだしの効いた美味しいお味噌汁が出来ます。具は豆腐やワカメ、茹でて作り置きしていた根菜なども使います。お味噌を煮すぎる事もないですし、お味噌汁が残る事もありません。私のお味噌汁のお椀がいつも大きいのは、混ぜるのに楽だからなんです。 <カツオと味噌と刻んだネギを入れてお湯を注ぐ・・・・> <混ぜるだけ、カツオ風味の味噌汁が即出来上がり> 若い方はどうかわかりませんが、私くらいの年齢の方はよく作っていると思います。「カツーユー」はなかなかイケたレシピです。 雨のおかげで、逆に家仕事がはかどりました。一緒に下に降りたチビチビは、寝てしまっていたので、いまだに上に上がってきません。 今日も娘が頑張れますように。 そして支えてくれている上の娘や家族に感謝。孫たちに感謝。昨日もそれぞれが病院に出向いてくれたようです。上の娘は妹が病院生活が快適に過ごせるように、いろいろと整えてくれています。
2024.04.08
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4月7日(日) 旧暦2月29日 六輝は「赤口」 あいにく朝から雨・雨・雨 週末は家仕事と決めていましたから良いのですが、明日も雨だと困ります。農園の予定が崩れてしまいますもの。 では今日も階下の片付け頑張りますか。 でも、その前に冷蔵庫を見ると、食材が残っています。冷蔵庫の整理もしたいので、今日は階下の片づけと一緒にこれも片付ける事にしました。 ファイトケミカルスープの出がらし野菜・そろそろ実りだしたピタンガ・農園の野菜・作り置きのパパイヤシリシリー等、1日分は十分ありです。 <野菜は十分> <朝はケミカル出がらし野菜豆乳スープ・ピタンガ><昼は軽くポテトフライ・自家製ケチャップ> <夜は野菜たっぷり味噌汁に鶏むね肉の塩麹漬けを足して> やっぱり食事量多いなあと思いつつ・・・・・・完食してしまいました。 自分が元気でないとだめだから、しっかり食べなきゃという思いが過ぎ過ぎています、反省反省。 昨日・今日の土日は治療予定も入っていないので、娘もラクそうです。最短期間で完治目標を頑張っていますから、こちらも頑張らなければいけません。 骨髄移植という壁はありますが、「乗り越えられない壁はない」と、どなたかが言っていました!!。
2024.04.07
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4月6日(土) 旧暦2月28日 六期は「大安」 昨日は、農園はお休みでした。 小雨が降っていたこともありましたが、週末は家の、特に階下の片づけをしたかったのです。階下には娘の店と、私が関わっていたNPO法人の事務所があります。 貧乏NPO法人で、以前の事務所(無料で借りていた)から立ち退かざるを得なくなり、よそでは家賃代を捻出できませんでしたので、階下の部屋に移ってもらいました。その時借主さんがいましたが、事情を話し出て行ってもらいました。それ以来4~5年、階下はNPO法人の事務所になっていました。 事務職員がいるわけではなく、たまに会議や事務仕事をするのに人が出入りするだけで、多くは書類やその他の保管場所として使っていましたので、商店街と言う一等地にありながら、家賃はなしです。 サビれた商店街ですので、人の通りもありませんけど・・・。 今回、私の仕事の終了と共にNPO法人も解散する事となり、部屋がやっと戻ってくる事になりました。 と言っても、10年来の書類をすぐに処分するわけにもいかず、規定の年数を保管しますから、2部屋中1部屋は当分保管庫に、通りに面した一部屋(主に会議室として使用していた)を片付ける事にしたのです。 つまり、外で稼ぐことは難しいので、ここでオフィスか店舗を構えようと、おぼろげながら考えていたのです。ただ、具体的にどんな事務所か店舗にするかまで、考えが及んでいなかったので、動けませんでした。 とりあえず、片付けられるものを片付けてカラにしてしまえば、何か良い案が浮かんでくるかもしれません。 小雨曇りを理由に、今日も1日片付けに終始。春に向けて処分する物を大量に集めていたので、かなり時間かかりそうです。軽トラ2回分はありそう・・・。 <このビフォーアフター、どうなるのか自分でも楽しみです> 農園に植える予定の苗が、少しづつ成長していますが、お天気が安定していないので、まだベランダに出せず、日照が不足気味です。 我が家のチビチビはと言うと、四六時中私にまとわりつき、どうやら疲れたらしく、テーブルの上で寝そべってしまいました。今日も猫と二人・・・・・。
2024.04.06
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4月5日(金) 旧暦2月27日 六輝は「仏滅」 階段の踊り場で、葉陰に隠れていた小さなパッションの実を見つけました。陽のあたりも悪いのによくぞ実ってくれたものです。これから毎日この子の成長を見ることが出来ます。今日も早速嬉しい発見でした。 1日に2杯ほど、ファイトケミカルスープを飲む習慣を続けています。カボチャと人参と玉ねぎとキャベツ各100gを1ℓの水で煮だすだけの簡単なスープです。作るのは簡単なのですが、煮だした後の野菜の処理が大変です。 ハンバーグに練りこんだり、野菜炒めに混ぜたり、カレーにしたり、味噌汁の具にしたり、たまには、ミキサー撹拌したりと、何しろ毎日の事ですから変化をつけるのが大変なんです。 ひと月でそれぞれを3キロ分消費すると思えば、結構な量を食べていることになります・・・大根もよく使いますし、おジャガや葉菜類もかなり食べますけどね。 私の年齢で考えれば、カロリーオーバーかなと思うほど、よく食べています。 <ある日の2食分、これにもう1食加わります> <プラス1食はこんな感じで・・・> 最近、さすがに食べすぎかな~と、思うようになりました。 玄米を食べるようなってからは、嚙まざるを得なくなったので、食事も時間がかかるようになりましたけど、いつも完食してしまうのでお腹もいっぱい、食後は動けなくなってしまうくらいです。 こんなにがっちり食事を作るのは、当然娘が戻ってきたら、添加物のない良質の食事を作ろうと思って、練習の為台所に立っているからですが、かれこれ20日間くらい続けています。 完全無添加食材を全部使っているわけではありません。今の段階では、調味料も食材も見極めが難しく、正直まだ半分くらいは、普通の食材です。 それでも、娘を東京に送ってから、自分の身体で「健康を作る食事」の実践をしています。 さすがに少し食べすぎですので、量は減らしますけど。 娘には、あれやこれやと食事の制限がかかると思いますし、どの書物を見ても食事の重要さを説いています。私はまだ取りかかったばかりで、わからない状態ながら、最近はほんとに、食品の裏側の表示をよく見るようになりました。 食事がどれだけ人の身体に影響を及ぼすか. 奇跡を起こし、病を克服した人たちは、徹底した食事管理をしていました。もしかして私の手でも奇跡を起こすことができるかもしれない。私が変われば可能性があるかもしれない、淡い期待かもしれませんが、そんな思いで毎日の食事をしています。 今は自分が無農薬・無肥料の野菜を作る明確な理由も出来ました。 2日に蒔いたカイワレダイコン(フラミンゴ)は、もうしっかり芽が出ています。 ですがマバラになりました。同じ日に蒔いた農園のハツカ大根は、まだ芽が出ていません。
2024.04.05
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4月4日(木)旧暦2月26日 六輝は「先負」 新しいステージに否応なく放り込まれた形で、4月から私とチビチビの新生活が始まりましたが、これを機に私の周りの「空気」を揺らしてみようと思います。 2月・3月の心の余裕のない時期は、普通を装っていても、一人になれば現実に押しつぶされそうになり、居ても立ってもいられない日が続きました。前に進む決心をしても、足どりは重くてなかなか思い通り動けなかったのです。 農園に通い出して植物と向き合い、家を整えて居場所を作ったりと、少しづつ変化をつけながら、気持ちの整理が出来てきました。 そして、もう一歩前へ向かい「空気」を揺らす・・・バタフライエフェクトを試みることにしました。一番身近にあるもの(一番身近にあるものは、ブログでしたので)を、揺らしてみようと。 食生活を改善したり、食材や調味料の勉強をしたりすることは、個人の事で内に向かう揺らしです。外に向かう(例えば、仕事を探すとか社会にかかわる)揺らしは、まだ一歩踏み出せませんでした。 その第一歩を夕べ「ブログ」で踏み出したのです。 タイトルを改変し、少しだけですが、変化をつけました。ほんのちょっとした揺らしです。現実に社会に一歩を踏み出したわけではありません。逆に社会から一歩引いたばかりですから。 でも、「それだけでも揺らしには違いない」と妙に自分で納得しています。 私の揺らしは蝶の羽ばたきに匹敵するのだろうか・・・なんてことはともかく、 「グランババと南国農園」が「グランババの農園から」とタイトルが変わります。よろしくお願いします。 グランババの農園から、今日も新しい発見がありました。 草で見えなくなっていた「タンスの引き出し」花壇、草を刈って周囲も片付けたら、この花壇のすぐ脇から芽が出ていた、自然発芽のウイキョウに花が咲いていました。 <自然発芽のウイキョウに🌸が> <他にもウイキョウが・・・・> 最初に見つけたウイキョウに花が咲き、おまけにこの周りで、また新たに4株のウイキョウを見つけました。鳥さん達に大感謝です。ただのウイキョウであっても、思いがけない発見はとても嬉しいものです。 そういえば、今日はアロエベラの花をウグイスさんが美味しそうに食べていました。 ピタンガも色づく準備を始めています。
2024.04.04
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4月3日(水) 旧暦2月25日 六輝は「友引」 突然、携帯の津波警報のベルが鳴りました。同時に町の防災マイクからサイレンと放送。我が家は埋立地にあってすぐそこが海です。訓練かと思いきやそうでもなさそう。 避難訓練は何度か経験がありますが、本気の避難は今日が初めて。用意が全くできていません。とりあえず猫のチビチビを洗濯カゴに入れて、火と水とガスを止めて(朝食準備中でした)、取るのもとりあえず避難指定の具志川農村環境センターへ車で避難。私は早い方でした。 サイレンが絶え間なく鳴るので、さすがにノンビリの島んちゅ達も、次々と避難してきて、センターの駐車場は満杯状態です。 10時10分ごろ津波到着と聞いていましたが、何事もなく、津波警報が注意報に変わった時点で、避難の人々が帰り始めました。 私もチビチビと2時間を車で過ごし、11時頃家に戻りました。さすがに、皆さんテレビを通して津波の被害を見ていますから、昔より防災への意識が高くなっています。 昼食後は、2日前からやりかけていた部屋の模様替えの後始末を。 家時間を楽しむために、窓辺にパソコンを設置したのです。しばらく無職のひとり暮らしですから、パソコンがないと暮らせません。いろいろ情報を引き出せるパソコンは、無知なお婆さんに何でも教えてくれる便利な道具ですから、とても重宝します。これから取りかかるさらなる模様替えにも一役買ってくれそうです。 <嬉しいマイコーナー> <テーブルも飾って?> 農園に行く前に、ちょっとおしゃれに?お野菜盛りを飾ってみました。花器はお鍋ですけどね。お野菜はグランババ農園製、センス無しですか? 最近少し心に余裕が出て来ました。娘たちが明るいせいもあるのですが、私なりに落ち着いてきたのでしょう。センスのないおしゃれでも、笑えれば良しです。 農園は看板を立てたら、グンと素敵になりました。これなら家時間も農園時間も気持ちよく過ごせそうです。
2024.04.03
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4月1日 旧暦2月13日 六輝は「赤口」 昨日の悪天候が今朝は見事に晴れてくれました、関東も晴れていてくれると良いのですが・・・。 今日は孫(上の娘の子)の大学入学の日なんです。法学部というと私などはいかつく感じてしまうのですが、見事にいい大学に入ってくれました。 お祝いに行ってあげられないのが残念なんですけどね。でも、あちらのお婆様もいらっしゃるので、安心しています。楽しい大学生活を送ってね。 私はというと、今日から無職のお婆さんです。 さて何をしようかと、夕べ思いっきり考えましたが、策はあれど具体策が浮かばずで、夕べは考え疲れて途中で寝てしまいました。 これからの主な生活の柱は3本です。「農園を続ける」・「食生活で健全な身体を作る」・「稼ぐ」です。「農園を続ける」「食生活で健全な身体を作る」は意外と出来そうな気がしますが、「稼ぐ」は、稼げない年代になった今、かなりハードルが高くなりました。なので、こちらが一番悩みどころだと思い、昨晩はその方法を考えるのに疲れてしまったのです。 コロナ後の世界は、社会や人の生き方が変わってしまいましたから、古い考えは通用しづらくなっています。70年の知恵を絞り出しても、出てくるのは常識に捉われた案ばかりで、うまくいきそうにありません。 ですが、動かなければ何も得られませんので、動いて空気を揺らしてみよう・・・空気が揺れたら何かに反応するかもしれない(風が吹けば桶屋が儲かる式、今風に言うとバタフライエフェクトとでもいうのでしょうか)と、とりあえずひとつづつ動かすことにしました。 つまり、まずはオフィスを作っちゃいましょう・・・か。 夕方から農園に出かけ、段々花壇周りの草取りを開始。だいぶ綺麗になりました。ブロッコリー以外は虫もつかず、無肥料地帯にもかかわらず、お野菜は立派に育っていました。 <綺麗なまんまです> 4月1日 始まりの日の食事は、「玄米・具だくさん味噌汁・パパイヤシリシりー・大根おろし・野菜サラダ」と質素に。 今日から娘の抗がん剤治療も始まりました。
2024.04.01
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3月31日(日) 旧暦2月22日 六輝は「大安」 私物を片付けに事務所により、最後のチェックを済ませました。一緒に数か月を働き、後を継いでくれるSTさんは、ほぼセンターの事情を把握してくれましたので、お任せ安心です。 小鳥たちの悲劇も、最後の1日を無事通過し、本当に犠牲ゼロを達成しました。 全て終了です。 とはいえ自由の身になるには、まだ少しばかり後始末が残っていますけど、それはおいおい片付くので、今度は今後のわが身のふり方を考えませんとね。 今はいろいろな問題を抱えていますから、そのどれもうまく回せるように、70年を生きてきた知恵を絞り残りの人生に活かしたいのです。 娘たちは、こんな状況でも二人とも明るく強く、すでに私を超えています。 入院中の娘も、それを支える上の娘とその家族も、娘の子供夫婦も、私の離婚したかっての夫さえ、それぞれの場所で出来ることをしてくれています。 私は娘が帰って来た時の居場所を、しっかり作っておくだけです。当然「完治」が帰る目標です。目標があるのですから、頑張れるのです。 3月の最後の1日は部屋の模様替えに費やしました。パソコンスペースをリビングに作ったので、さながら在宅勤務の仕事場屋のようになってしまいました。お婆ちゃんと猫の住まいにはとても見えません。 でも、勉強するのにとても便利な道具ですので、これからの生活にパソコンはかかせません。いろいろ引き出せる魔法の宝箱です。 今晩は、明日からの新しい生活の計画を練るのに、きっと遅くまでパソコンと向かい合っている事でしょう。 農園のピタンガ一番のりを見つけました、満熟しています。どの木もやっと小っちゃな実ができたところなのに、これは早い! <甘い美味い‼>
2024.03.31
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3月30日(土) 旧暦2月21日 六輝は「仏滅」 今日が最後の出勤となりました。勤務条件があまりよろしくなかったので、働き手がなくて、仕方なく代わりに入ったのがスタートでしたが、都合3年くらいセンターにいました。 今日で(正式には明日ですが、今日で私の出勤は終わりです)無事お役目を果たす事が出来ました。明日は私物を持ち帰るだけです。 いろいろありの3年間でしたが、一つだけ最高に良かったことがあります 前回「4月から翌年度末の3月31日」までに、じつに14羽(年度末最後の日に1羽犠牲が出ました)の小鳥たちがセンターの窓ガラスにぶつかって死んでしまったのです。 命を落としはしなかったものの、ガラス窓にぶつかって気絶したり、気絶は免れても、身体をぶつけてそのまま飛び去った鳥たちはたくさんいました。痛かったに違いありませんし、ケガをしたかもしれません。 それがなんと今年は、その悲劇を見る事がありませんでした。鳥たちの接触事故が一度もなかったのです。まるで奇跡のような1年でした。 悲劇を防いだのは、おそらく窓ガラスに張った猛禽類の透明シールのせいだと思われます。シルエットだけの小さなシールが、これだけの効果を発揮するとは思いもよりませんでした。 <猛禽類のシール> 接触事故ゼロ 鳥被害なしです。 ガラス窓に映る木々の姿を、本物だと思い突進してくるようです。又はカラスなどに追われるのか、2羽続けざまにぶつかったり、鳩だったり、アカショウビンもいました。ぶつかる衝撃が大きいので館内にいるとすぐわかるのです。 「小鳥たちの悲劇」 この悲劇が今年は一度もなかったのが、最高に良かった事でした\(^o^)/ 。 小さな命を守る事が出来ましたもの 。
2024.03.30
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3月29日(金) 旧暦2月20日 六輝は「先負」 予報と違い、青空とはいえないまでも、晴れとなりました。友人が言うには夜中はものすごい雨だったそうです。ぐっすり眠ってしまったので気がつきませんでした。 娘の治療スケジュールが決まったので、少しほっとしたのかもしれません。検査入院なので、もしかして一旦退院するかもしれないと聞いていましたが、そのまま入院で来週から抗がん治療に入る事になりました。 島から東京にたどり着くまで、1か月以上の期間を無駄にしました。それでも私たちは、運よく良い病院に巡り合えました。ここから先は娘の頑張りです。 当の娘は、入院も初めての経験で、病室も綺麗、食事も美味しい、同室のお姉さまたちは親切で、会話も楽しい、先生方の回診は「白い巨塔」のドラマのようだと、拍子抜けするくらいリラックスしています。今日はモヒカンカットをしたと写真を送ってきました。 3月最後の農園行きは、予定通り草刈り機が入れやすくなるように、菜園外周の草取りを終了させました。 段々花壇の方はまだこれからですが、植えたブロッコリーは見事に虫さんに食べられていました。今回の虫食い1等賞です。どうしたらここまで食べられるんでしょう??? <虫さんとても美味しかったらしいです> ところで、今朝はゆっくり食事を作る時間がありましたから、少し凝って豆乳味噌スープを作りました。残り野菜のアレコレを入れただけですけど、これは美味しかったです。 <>
2024.03.29
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3月27日(水) 旧暦2月18日 六輝は「先負」 入院中の娘からは毎日連絡が来るので、今は一安心です。毎日たくさんの検査をしているようで、こんなに調べることがあるのかと思うほど、多くの検査を受けているようです。 抗がん治療に入ると、弱い所に副作用が出てくるらしく、身体の弱点を知る事前検査でもあるようです。 来週には、治療方針も決まると思います。 一緒にはいてあげられませんが、中央の病院を選んでほんとに良かったと思います。これが地元ならとても希望は持てませんでした。一筋の光に希望を託して東京に送ったのですから、それぞれが自分の役割を果たして最善を尽くす・・・今はこれに尽きます。 私の仕事も、出勤は30日だけの残る1日です。明日からはセンターの私物を持ち帰るため(パソコンや印刷機類やチェアーなど)片付けを始めなければいけません。 家でのパソコン類の置き場所が、隣家のアパートとは真向いの窓際ですので、早い段階からグリーンカーテンを作っていました。 パッションフルーツを誘引していましたが、余りの勢いの強さに手の施しようがなくなってきました。 階段も玄関外廊下もパッションに占領され、光が入る隙がなくなってしまったのです。階段は頭を下げないと通れなくなりました(小さな私はまだ大丈夫ですけどね)。 おそらく屋上屋根も、前回の2倍ほどの広さを占領していると思われます。 でも、今カットしようにも、これが咲いてきちゃいました。 <パッションフルーツの花> パッションの花のシーズンに入ってしまったので、やたら切れなくなってしまったのです。今年はパッションフルーツの実を諦めて、剪定してしまうか。 ですが、農園のパッションは、移動の際の失敗で枯れてしまいましたから、あまり取れないとしても、切ってしまうのはもったいないですし・・・・ グリーンカーテンがとんだ悩みの種になっています。
2024.03.27
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3月26日 旧暦2月17日 六輝は「赤口」 ぼちぼち降るまばら雨は動きづらいものです。農園には行けそうもありません。長袖に一枚重ねないと肌寒く感じる日でした。 今日の午後は予定通り、先日芽の出ていた種ポットの苗を土に植え替えました。確か蒔いたのはシソとナスとタイムの種子だったことを思い出し、少しばかりヨレヨレになった彼らを、やっと植え替える事が出来ました。かわいそうに種まきをしたのに、すっかり忘れられてしまっていた子達です。 もう少し育ってから植え替えの方がよかったのですが、ま伸びがひどかったため、早めに移し替える事にしたのです。うまく育ってくれると良いのですが・・・。 朝の空いた時間に、先日から採れていたミニトマトでケチャップを作ってみました。チビチビは、この時間はぐっすり寝ていますので、邪魔も入りませんしね。 ケチャップは一応完成。朝ごはんは「カリフラワーのトマトソースがけ」みたいな妙なものを作って食べました。まあ、あり合わせで食べたみただけですので、美味しくないわけではなかったと言うところですか。ケチャップは悪くはなかったんですが、トマト自体に甘みがあったようで、砂糖の分量を少し減らせばグッドだったかもしれません。 朝ごはんが適当でしたので、お夕飯はしっかりいただきました。このところショウガをよく取っているので体温も順調に上がってきましたね。食事の力ってやっぱり大きいようです。 体調管理は子供たちから課された私の役割ですから、怠けずやっています。お休みの日は、しっかり体調管理で明日に備えています。3日坊主の私にしては上出来ですね。
2024.03.26
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3月25日(月) 旧暦2月16日 六輝は「大安」 何から始めたらよいかわからぬままに、とりあえず農園をと、「東の農園B」の菜園の中を整える事にしました。今は中も外も草だらけです。 まとまった時間は取れないので、少しづつでも草を引いておくことにしました。虫食いだらけの野菜たちにため息をつきながら、一列一列整理を始めていきました。 それにしても、肥料は何も入れていないのに、ここまで育つんだ・・・なら後は虫対策をすればいいのではない? 突然そんな思いが湧いてきました。もしかして今はまだ品種も少なすぎて、根っこ同士の意思疎通がうまく出来ていないから、虫への抵抗力が備わっていないのかもしれない。 植え合わせや品数(野菜の種類)の追加を考えれば、上手く回るかもしれません。虫食いもそのまま抜かずに地下を整えてもらおう、その上で余分な草を抜いて空白になった部分に補植していってみようと思いました。 そうと決まれば、5メート×6メートルほどのこの小さな菜園、早く整えてあげなければと気持ちが急上昇です。今はすぐ食べられなくても次はきっと大丈夫。 「生きるための食事」の材料は、安全な食材でなければいけませんので、無農薬・無肥料は絶対条件です。今はフリル系のサラダ菜やミニトマトくらいしかとれませんけど・・・。 そうそう農園で大きく育ったウティンミー(こぼれ種)パパイヤがありました。 パパイヤ=抗酸化作用=がん予防=健康効果ばっちり。生きるための食材に即加入です。 お隣でレモングラスがすっかり成熟し、たくさんの種子をつけていました。 <ウティンミーパパイヤ> <レモンングラスは熟れて> <今日も採れたサラダ菜とミニトマト> 忘れられても残ってくれる野菜たちが、生きるための食材作りを牽引してくれそうです。 昨日はじつは亡き父の15年目の命日でした。来客がありお線香をあげるのが遅くなりましたが、父の好きだったコークハイとつまみで、亡き母にも参加してもらい、3人でコーラで乾杯といきました。 我が家に居すわった「悪性がん」は強敵ですが、同じ病で亡くなった母に守護を頼み、父にしっかり支援を頼んじゃいました。あの世とこの世で協力すれば、奇跡は起こる!!
2024.03.25
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3月24日(日) 旧暦2月15日 六輝は「仏滅」沖縄ではヒヌカン・ウマチー等 お肉大好き人間ですので、昨日はタレに漬け込んであった鶏むね肉を焼いて夕食にしました。ほんとはむね肉やささみは、あまり好きでなくてモモ肉が大好きなんですが、食生活を変えましたから。 むね肉やささみは漬け込んでおくと、ぱさぱさ感がなくなることがわかってからは、よく塩麹や味噌などに漬けて作り置きをしています。 今日は醤油と味醂とお酒のタレに漬けこんでおいた胸肉です。昨日の農園の野菜を添えて、年寄りには少し重たいかなと思いつ、一応完食してしまいました。毎日3食がっちり頂いています。この調子でいくと太るかもしれません、少し心配なんですが。 後の2食は、毎回2食分ずつ作ってストックしていますから、それを組み合わせながら食べています。何しろ食生活の実験中ですから、市販のものは、しっかり記載表示を見ています。 昨日農園を見た結果、完全フリーになる4月中には何とか回復できそうです。 水菜やホウレン草やハツカ大根も植えてありましたが、一向に育っていません。つるなしインゲンも昨日少しだけ実は採れましたが、申し訳なそうに小さく生えているだけです。 無施肥・無農薬で育てる事はほんとに難しい事です。結局キャベツはほぼ全滅です。もう少しパートナープランツを勉強したほうがよさそうです。 ブロッコリーはすでに花が咲いていました。ですが何とか実をつけているのを見つけました。 <ぎりぎりですね> <なぜか少し紫?> カリフラワーも残っていましたが、少々紫の色つき。両方ともまだ食べられるのかしら? 大きくなりすぎたサラダ系の野菜は、種取りに期待したいところですが、F1種は遺伝子操作でほとんど1代限りという事ですので、無理かもしれません。一体世の中どうなってるんでしょう。 これでは我が家でなくても、病気になるはずです。 命を育める本物の「生命の野菜」を、どう作ればよいのでしょう。書物やネットを渡り歩き、今はただただ勉強をし、実践していこうと決心するばかりです。
2024.03.24
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3月22日(金) 旧暦2月13日 六輝は「友引」 昨日のファイトケミカルスープの残りの野菜を、ひき肉に練り込み、今日はハンバーグにしました。玄米とケミカルスープ、納豆とお豆腐のショウガ添えです。 このところ、自分の体温が36度に達していません。もともと低いので、36.4~36.5度を目指して体温の調整に気を使っていました。しばらくキープしていたのですが、最近の気温の上下差に、低体温に戻ってしまいました。 ショウガは体温の上昇にとてもよく効くのです。紅茶に入れても美味しく飲めますから、明日からコーヒーに変わり紅茶ショウガに切り替えです。もちろん「生きるための食材」の仲間入りです。 <玄米ご飯・ファイトケミカルスープ(キャベツ・人参・玉ねぎ・かぼちゃを煮出したスープ)・スープを煮出した野菜を練りこんだハンバーグの大根おろし添え・納豆・豆腐のショウガ添え(定番)> なんだか最近、お料理紹介ブログになってしまいました。そうじゃないんですけどね。 ただ、我が家の問題児「血液ガン」を大人しくさせるための方策を考えた結果、食べ物に行きついただけです。「私は私の食べたもので作られる」ならば、私の食べるものを変えて、私の身体を変えてみよう。私が変われば、きっと次の道が開かれる。そう信じて進むのが私のできる唯一の方法ですから。 私が農業に興味を持ったのは幸いでした。そして無農薬や無肥料に心を惹かれたのも幸いでした。まして、今まで特に興味のなかった野菜作りを始めたのも幸いでした。居るべきして居る場所に私は立っているような気がします。農園はこれから我が家の生命の源となるかもしれません。 淡い妄想をしながら、今はあれこれ食材を拾い出しているところです。 作るのはいたって簡単な普通の食事です。ですが身体を洗い直してくれる良薬となる食事を目指しています。 台所の出窓を見ると、お菓子の缶の中から小さな芽が飛び出していました。そう言えば、何か種蒔きをしたっけ・・・・・ 見れば種蒔きポットからかわいい芽が数本出ています。そうそうベランダにも確か種まきポットを置いたのを思い出しました。缶はカラカラになっていましたが、含んでいた水分だけで生き延びていました。 小さな種の生命力の強さに希望を見出します。明日は農園に出向きます。 皆が無事で過ごせますように。 入院中の娘は今日が誕生日です。来年は必ず家で祝いましょう。
2024.03.22
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3月21日(木) 旧暦2月12日 六輝は「先勝」 友人のケイさんが、しばらく内地へ戻ります。お孫さんたちが春休みなので、向こうで過ごす事になったのです。今日空港に送って行きながら荷物の重さにびっくりしてしまいました。食料品をたっぷり用意してあったのです。全てすぐ食べられる半調理品、大きなダンボール箱にぎっしりです。 羽田に着けば娘が迎えに来るから大丈夫と、制限荷物ギリギリでと言う事でしたが、とんでもない重さで、なんと規定より20キロも超過していました(いやいや彼女らしい)。 彼女は料理も上手で、部屋のインテリアから庭まで、生活全般において非の打ちどころがありません。 当然お金の使い方も上手で、これから自活生活に入る私の師匠になる人です。 私の娘は、今日検査入院の為、午前中で病院に入りました。今月末までかかるようです。今日は地震もありましたから気になっていましたが、無事に入院出来ました。強気にふるまっていた娘でしたが、今頃ホッとして疲れがドっと出ているのではなかろうかと思います。通院中ずっと預かって同行してくれていた上の娘も、少し休めると良いのですが・・・、島に残っている自分がもどかしくてなりません。 しかし、今は待つしかありません。 お休みの1日を、できるだけ身体を動かしながら、買い物をしたり、庭の水かけをしたりして過ごしています。猫のチビチビは、このところ誰も遊んでくれないので、すねてしまったのか、いくつかある自分のベッドを、転々と変えながら1日中寝てばかりです。うっすらと目は開けていますが、呼ばれても返事もしません。今遊ばないと、明日から4日間仕事ですから遊んであげられませんよ~。 昨日友人のY子ちゃんから、コスモスの花束をもらいました !(^^)!。とても鮮やかできれいな色です。そういえば苗をもらいに行く約束していたのに、すっかり忘れてしまっていたのです。気遣いありがとう、今朝はお花を眺めながらの朝食でしたよ。 簡単な朝食ですが、「健康になるため」のちょっと大げさですが「生きるための食事」です。 ケミカルスープ・自家製ローゼルジャム・自家製パン・友人が作ったお野菜(ドレッシングはエクストラバージンオイルに天然塩) ファイトケミカルスープは医師の高橋さんと言う方が提唱しておられました。昔よく作っていたので、思い出しながら我が家の「生きるためのメニュー」に加えました。 玉ねぎ・人参・キャベツ・カボチャ 煮だしたスープを越して飲む 残った野菜は明日の夕食へ 外を見ればすっかり陽が暮れています。今日もやっと1日が終わりました。次のメニューを考えながら、ゆっくり明日に備えましょう。
2024.03.21
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3月20日(水) 旧暦 2月11日 六輝は「赤口」春分の日 今日は地球上の昼夜の長さが同じになります。 新しい生活へシフトしていくために、やらなければならない事が山ほどあります。 今まで一人で暮らしたことのない私が、一人暮らしをしていくためには生活サイクルを全て変えなければいけません。今月で私の仕事も終わりですので、4月から農園一辺倒で行くつもりでいましたが、それも娘がいればこその事。家事のほとんどを娘がやっていましたので、私のすることは休みの時に料理を作るか、部屋の掃除をするくらいで、月半分出勤していた仕事の給与を農園に回したり、孫たちのお小遣いに使っていたりする生活でした。我が家の生活費はほぼ娘が担っていたのです。 農園も気がかりですが、ひと月ならまだ回復の余地がありますので、とりあえず生活を整える事にしました。 まず、 1 健康に気をつける(私が病気になったら、全て終わり) 2 自活をする(自分で稼いで生計を立てる) これからの治療費がどのくらいかかるかわからないので、この2つは必須です。 それを基準に生活を組み直すことにしました。いろいろリストアップした中で最初にしたことは、調味料を処分することです。 以前から塩や味噌は天然塩・無添加味噌に変えていましたが、今回を機にすべての調味料を入れ替える事にしました。 「医食同源」「自分の身体は自分の食べたもので出来ている」。 それならば良質なものを身体に入れよう、自分が病気にならないためにも、娘が帰って来た時のためにも必ず役に立つと思ったからです。 <調味料を全て出す> 良い食材を使っても調味料が添加物だらけでは何も変わりません。余命宣告から奇跡的生還した人達の多くは「食事」を挙げています。特に発酵食品の「味噌・醤油・みりん・酢・麹、天然塩、鰹節・昆布・干しシイタケなどの出汁」を使っていました。 小さな島ですから、良質の調味料が簡単に揃う訳ではありませんが、ネットという便利なものもありますから、出来るものからチェンジしていっています。 高血圧を含め身体中の痛みや不快、その他諸々を持っている私が実践し、身体で実験すればよい事です。 ちなみに夕べは、出来るだけ自然の物を使って作った結果、 カツオ出汁の味噌汁(わかめ、豆腐)・ジャガイモのきんぴら・インゲンのゴマ和え・パパイヤシリシリー・島豆腐のショウガ醤油となりました。ほぼ島産の食材が使えました。 当然お米は玄米に変わりました。毎回きっちりは自信がありませんが、作り置きを加えながら健康に取り組んでいきます。 自家製の無農薬・無肥料野菜は今後大いに役立つでしょう。 自身の目標も大きく変わってきましたので、ブログも変化していくと思います。ただ早く農園に戻りたいです。
2024.03.20
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3月19日(火) 旧暦12月10日 六輝は「大安」 どんより曇り空ですが、以前より心が軽くなりました。 娘は今日、最後の通院検査(ペット検査だったそうですが)を終えて、21日からより詳しい入院検査が決まりました。これからの検査だけで1週間以上スケジュールが組まれているそうです。 ネットをいろいろ検索していると、宮城県の前知事「浅野史郎さん」と言う方が、ATLを発症、入院・治療・骨髄手術を終えて仕事に復帰した記事が見つかりました。東京大学医科学研究所付属病院で治療していました。もちろんドナーの件もありますから、全てがこのようにいくとは思いませんが、自ら貧欲に情報を集め、病院へも自分で電話し、動くことで最高のスタッフに巡り会えたと書いておられました。「ATLの生存期間の中央値は11か月」と聞かされ、絶対にそれを超えて生きると強く決心されたそうです。 ご本人は「まだマラソンの途中だが、完治のゴールに近づいている」と言う具合に書いておられました。母の時代にはなかった「完治」と言うゴールがあるんだと知り、とても勇気づけられました。 私たちもゴールを目指します。 今後は病院の先生にお任せし、上の娘に世話を頼み、私はここで自分の役割を果たすことにします。自活をし、健康に気を付け、娘が戻るまで猫と一緒に留守を守り、いつか考えた「生命を育む野菜、細胞が喜ぶ野菜を作る為に農園に通います。 険しいけれど新しい道はすでに開かれました。もうもたもたしている時間はありません。やらねばならぬことが山ほどあります。明日からの日常が忙しくなります。
2024.03.19
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3月18日(月) 旧暦2月9日 六輝は「仏滅」 私が「ATL(成人T細胞白血病)」と言う言葉を初めて聞いたのは、今から30年近い前の事です。 当時私の妹は透析患者で、腎移植を希望していました。しかしドナーの提供も少ない中、それは非現実的な希望でした。最終的に結論したのは家族の誰かが腎臓を提供するという事でした。 家族とは私と両親の3人の事です。病院で検査の結果、私と母は「ATL」と言う南国に多い風土病の因子を持っているので、腎移植はできないと言われ、結局、適合率の一番低かった父が妹への腎移植を申し出て、手術に臨みました。 妹は4年ほど父の腎臓で生活を続けられましたが、また透析に戻ってしまいました。ですが、父亡きあとの現在も透析をしながら頑張っています。 その時初めて聞いた「ATL」を思い知らされたのは、数年後の母の「ATL」発症の時でした。 ヒト成人T細胞白血病、HTLV-1(成人T細胞白血病ウイルス)で感染する、完治不能の病気だったのです。多くは母から子への授乳で感染するため、遺伝のように一族間で継承していく形の病気になっていました。 母は発病後3か月と言う短い期間で亡くなりました。私は母の母乳で育ったため感染、7歳下の妹はミルクで育ったので感染はしませんでした。 母が亡くなった後、心配だったのは、母乳で育てた私の二人の娘たちでした。 しかし娘二人も感染という最悪な結果が出てしまいました。救いはATLのキャリアでも病気を発症するのはその中の5パーセント、ウイルスの潜伏期間は40年という事でした。 当時娘たちは20代になったばかり。まだ遠い話だったのです。医学もきっと進んでいるに違いない・・・とかすかな希望を持っていました。 ですが実際直面すると、期待に反し沖縄でのATLの取り組みはかなり遅れていました。本格的に対応できる病院は、週1回のATL外来を持つ琉球大学医学部付属病院のみ、待機患者への余裕もありません。 埼玉に本人の姉夫婦がいる事を理由に、中央の病院の紹介をお願いしましたが、病院からの紹介先は意に添わず、こちらから国立がんセンターか東京の大学病院を指名してお願いしました。通院範囲内である事と、ATL症例、骨髄移植の症例を多く持っている病院でしたから。 先生は難しいとおっしゃったのですが、ほんとに幸運にも、東京の大学病院に受け入れてもらえました。 娘は先週すぐに東京に向かいました。 私も一緒に行きたかったのですが、娘たちに断れました。彼女はまだリンパの腫れ以外の症状は現れていなくて、移動は大丈夫そうだったので、仕方なく私も後は上の娘に任せることにしました。 いろいろ検査の結果、入院の日取りは決まったようです。精密検査や治療方針はまだこれからですが、とにかく一歩進むことが出来ました。 娘はこれから治療に専念し、上の娘はそれを手助けする、私は島で家を守る。 娘たちはそれが最良だと言い、彼女たちの言葉を要約すると、当分私への手助けはできないので、自分で稼いでしっかり自活していて欲しい、まず健康でいる事、猫を世話する事、野良仕事をしておく事、などという注文でした。・・・全く注文の多い事です。 しかし、確かに今はそれが最良でしょう。やっと進むべき道が見えてきました。 実は当の本人を含め、2人の娘はこういう状況の中でも快活で、良く笑っています。ATLキャリアと言う重荷を背負わされていることを知ってから25年、いろいろな思いがあったでしょうに、娘たちはいつの間にかずーっと大きく成長していました。 私ももう迷う事はありません。
2024.03.18
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3月17日(日) 旧暦2月8日 六輝は「先負」ピタンガの花は全て散ってしまった事でしょう。 農園もしばらく見ないうちに荒れているかもしれません。植物も感情を感じ取れるでしょうから、ほおっておかれて怒っているかもしれません。多分「捨てられた~😢」と思い・・・でも、捨てた訳ではないのよ。まだもう少し待っていてほしいだけ・・・・・。 今回、神様はとんでもない試練を突き付けてきました。 私と同居してくれている娘が病気を発症してしまったのです。残念ながら生きる確率の低い病気です。2月からのこの間、検査の結果が分かるまで、恐ろしく長い時間でした。 この3週間は、正直どう過ごしたのかわかりません。 どうすべきかわからぬままに、上の娘にも内地から来てもらい、医師の告げる結果を聞きました。 娘に「お母さん泣かないでよ」と言われながら、医師から余命を告げられた時は、心が凍り付きましたが、当の娘は「良かった。今すぐじゃない」と云いました。 私は、娘と同じ病気で母を亡くしましたから、その時看病を手伝ってくれた娘たちも、おおよその結果を想像していたのです。母は病気の発症から死に至るまでたった3か月しかありませんでした。 それがとても怖かったのです。その病名が「成人T細胞白血病」であることを知っていましたから。 ただ、あの時と違う事が二つありました。一つは母のように急性ではなかった事。もう一つは医学が進み、「骨髄移植」をすれば、延命できる可能性があるという事です。それは私にとって大きな光でした。 残念ながら沖縄では琉球大学でしか対応できず、まず今は無理な状態だと言われ、担当の先生には、内地に身寄りがいるのなら、向こうの大きな病院で治療しながら、専門の病院に転院することを勧められました。 上の娘が情報を探し始めて、娘婿もいろいろと手伝ってくれているのに、私が落ち込んでいる場合ではありません。当の本人も含め二人の娘は、しっかり状況を把握して前へ進もうとしているのに、私が泣いてばかりいる訳にはいかないのです。事実は変えられないのですから、未来を変えていかなければいけません。 泣くのを止めました。母親の私が心を乱しては、今後の難局はのりこえられません。まず自分がしっかりしなくては・・・。 今やっと冷静に受け止める事ができ、自分のできる事をやって行こうと決めました。 農園に行くのも忘れてしまっていましたが、いつだったか、無農薬・無肥料の協生農法で作った野菜が、命を育む野菜、細胞を生き返らせる野菜になって欲しいと思ったことがありました。 なぜだか思い出してしまいました。いつかそういう野菜を作りたいです。
2024.03.17
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2月24日(土) 旧暦1月15日 六輝は「先負」沖縄はヒヌカン(火の神御願日)の日 朝ヒヌカン(火の神様)にはお線香をあげてきました。 明日はジュールクニチー(旧16日)で沖縄ではお墓詣り、この日はお墓のお正月と称されています。どの家も先祖のお墓に一族で集まりご馳走を備え、親戚の団らんを過ごします。そう言えば、毎年この日はお天気が悪いですね。明日だけでもお天気が良いと良いのですが・・・ 我が家は昨年までに、家のお墓も先祖のお墓も墓終いをしましたので、今はお墓に行きません。家のお仏壇で祖先の供養をします。 しかし、明日から本島へ出かけますので、今年は1日繰り上げて、今晩ジュールクニチーをする予定にしています。 あの世のご先祖様達を1日早くお呼びするのですから、皆さん慌てて下界に降りる準備をなさっているかもしれません。気を付けていらして下さいね。 さて、農園の方は、一応、インゲン畝のインゲンやオクラやラディッシュの合間に、水菜の種をバラマキしておくことにしました。下草変わりのつもりです。 ペンタスも多分生きてくれるだろうと想定して、合間にヒマワリの種を埋め込んできました。しばらくこの天気でしたら、水をやらなくても自力で芽を出してくると思います。 <中と東の境目のピタンガの木> 「東AとB」を分ける小さな通路は、ピタンガがまだ満開していませんが「中と東の境目の木」ほどに咲いてくれば、とても綺麗に見えてきます。 <今日の通路> ピタンガにつられてシークヮサーの花もほころび始めています。この木は今年初めて大人の仲間入りをしました。 明日から本島に出る為、2~3日農園はお休みです。 しばらく農園に出かける日が少なくなり、少々形は変わるかもしれませんけど、農園ブログは続けていく予定です。 ではまた数日後に。
2024.02.24
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2月14日(水) 旧暦1月5日 六輝は「大安」 →聖バレンタインの日 商戦に乗って、すっかり定着してしまったバレンタインデー、娘孫の誕生日でもあります。彼女は今まで友人からもらうプレゼントが、ほぼチョコレートだったそうです。まあ仕方のない事ですね。今は成人して夫と娘の3人家族、今夜は誕生日を家族で祝っているでしょう。 宮古島のお土産に、なぜだか名の売れている「渦巻きパン」を買おうと思ったのですが、残念ながらどこへ行っても手に入りませんでした。諦めて帰りの空港に着くと「渦巻きパン」の段ボール箱を何箱も抱えている皆さんがいました。久米島の昭和32年生まれの同級生の皆さんたちです。 さすが見事な買いっぷりです。 なにせ私が思うに、この方たち島では際立って目立つ同級生のグループさんです。豪快かつ団結力の強いメンバーさん達だと思います。宮古島旅行たまたま同じ日程で乗り合わせていました。彼らもだいぶ楽しんだようです。 そうそう、私達先輩に「渦巻きパン」を1個づつ分けてくれました。せっかくのお土産だったでしょうに、M子さん、ありがとうございました。 そういう訳で、娘へのお土産は「渦巻きパン」1個だけでしたが、もう1個だけ「ミズレモン」の実を買いました。 「ミズレモン」とは初めて聞く名前でしたので、店員さんに聞くと「パッションフルーツの原種」で特に美味しいというほどのものではないとの事でした。では、種を取るだけの1個でいいかと思い、1個だけを買って帰ったのです。 <表はパパイヤ風> <中は確かにパッション> 種専用のつもりですから、半分に切って残りの半分をケイさんのところへ持っていきました。「これ、美味しくはないって言うから種用ね。中身は食べん方がいいかもよ」 グリーンカーテンの代わりくらいにはなるだろう程度です。 ところが、種を取りながらちょこっとなめてみると、甘いじゃないですか!! 「えっつ? 甘い?、ウソ? 」 大急ぎで、ネットを検索してみると、美味しいって書いてあります。 どこにもパッションフルーツの原種なんて書いてありません。 パッションより酸味が少なく、パッションよりジューシーで、パッションより甘く、糖度もかなりあると思われます。パッションも色や形が色々ですが、こんな仲間がいるとは知りませんでした。知っていたら当然買いましたもの。 買い損ねたお土産二つ、また行く事になるのかしら?
2024.02.14
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2月13日(火) 旧暦1月4日 六輝は「仏滅」 宮古島の夕日を見る機会はありませんでしたが、ホテルの窓から朝日を見ることが出来ました。しかし宮古島滞在中、お天気良好とはいえ、雲はたっぷりで、太陽も出たり入ったりでした。 夜は冷えましたが、まあ一応、暖かかい日で良かったです。 同級生5人の女性旅は手際が悪く、カギを中に入れたままドアを閉めたり(2日間で2度も)、朝食券をなくしたり、エレベーターは勝手に目的階につれていくものと、じっと立ちんぼしていたり、食事処が探せず右往左往したり、レンタカーは迷いに迷ったり(カーナビの扱い方がよくわからず)まあ、後から笑い話になるようなことばかりでした。 <ホテルの窓から朝日を。左端は多分UFOではありませんから> 上野ドイツ村の並びのホテルでしたので、きれいに整備された庭や浜辺・遊歩道も(もちろんお部屋もバイキングのお食事も)上級でした。 お気に入りの観光農園ユートピアファームでは、見事なブーゲンビリアを堪能してきました。今回訪問3度めですが、いつも風情が違います。 この農園はハウス農園で、バナナやマンゴー、パパイヤ、パッションなど色々な果樹が植えてあって、私の一番のおすすめ場所です。クロトンの種類も多くヒスイカズラもつぼみをたくさん持っていました。花咲く頃はきっと見事でしょう。 <ブーゲンビリア ほんの一部です> <年季の入ったパパイヤのトグロ巻き・お見事です> 今回は宮古ブルーな海は外し、熱帯果樹や植物園を中心に回りましたが、雲が多い日であっても、通りしなに見る奇麗な海の色には、目を奪われてしまいます。さすが宮古島でした。 リゾート付近の奇麗さと、そうでない普通の場所の違いも、ちょっぴり覗けて少しばかり勉強も出来ました。 <宮古島熱帯果樹園を代表して、優しい目の宮古馬さんがご挨拶>
2024.02.13
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2月11日 旧暦1月2日 六輝は「友引」 午後5時の便で同級生5人で宮古島へ出発、2泊3日の小旅行です。私はあまり同級生との旅はしたことがありません(なんだかその都度用事が出来て、参加できない事が多かったのです)。 昨年は10人ほどの同級生が北海道に行きましたが、その時も残念ながら同行できませんでした。 島では私たちのような年配の同級生の旅が、ままあります。いや、だいぶあるかもしれません。結構皆さん同級生模合の中で企画して楽しんでいるようです。 2~3日島を留守にしますので、ブログはお休みです。 ところで久しぶりに昨日は、夕日を見ることが出来ました。お正月の夕日です。夕方は曇ってしまいましたので奇麗な夕日とはいきませんでしたが、おぼろげにかすむ夕日が、農園から帰る途中の軽トラの窓辺から見えました。 <旧正月の夕日でした> そうそう、軽トラの合鍵が見つかったので、もう運転しています。 宮古島の夕日も奇麗ですから、お天気ならお土産にできますね。 出発前の今朝は西銘(にしめ)集落の散策を1時間ほどしてきました。嬉しい事に素敵な光景に出会えましたよ。 ツバキに夢中な蝶々さんと、葉陰で休む黄金虫さん。葉っぱの形がユーモラスでした。お天気は上々、よい旅の兆しです。
2024.02.11
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2月9日(金) 旧暦12月30日 六輝は「大安」 午前7時になってきますと、カーテン越しに外が明るくなってきたことがわかります。以前は部屋の二つの窓に遮光カーテンを取り付けていましたが、これだと夜明けがわからないため、しばしば寝過ごすことがありました。それで一つの窓を普通のカーテンに変えました。日の光が一番の目覚ましになるからです。 朝のアラームは全然聞こえないのに、光のアラームは確実に私を起こしてくれるのです。 このところお天気が悪いので、光の力も弱く朝寝しがちな日が続いています。 今日の友のお葬式も冷たい雨の中でした。気分は滅入りましたが、天の定める運を変えることは人にはできません。冥福を祈り静かに送りました。 残るものは自分の人生を全うするのみです。できるだけ楽しく幸せに、それが私たちの合言葉ですから。 夕方から近くのお店に種子を買いに出かけました。雨の日に買い物なんて滅多にしないのですが、なんだか種子がいっぱい欲しくて、つい出かけてしまいました。 結局買ったのは、ナス、タイム、大葉、二十日大根と花のマリーゴールドの5袋だけで、計画性もなく何となくの5袋です。 もちろん、植える場所も決まってなく、まだ苗床も作っていません。今晩寝ながらじっくり考えるしかありません。「どこに蒔こうか、どうするか」と頭の中で農園をいじるのも楽しみの一つですから、とりあえずこれで、幸せ気分もカムバックするでしょう。 今日は旧暦の大晦日、明日は新しい年の始まりです。新年の仕切り直しが出来ます。 出だしが悪かった方も、明日を機に良い方向に向かいますように。
2024.02.09
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2月7日(水) 旧暦12月28日 六輝は「先負」 小さな島に住んでいますと、ましてや生粋の島ンチュですと、知り合いもそこそこ多いものです。普段世間と接触していなくても、島の事情が色々な所から伝わってきます。特に訃報は早く瞬時に伝わります。 私も昨年何度友の死を伝えたでしょうか。何度お葬式に出席したか、覚えてもいません。近しい友や同級生が何人も向こうの世界に行きました。 ・・・今週も悲しい事ですが、二人の同級生が相次いで彼岸へ旅立ちました。 私たちは同年生や同窓生の事を、すべてひっくるめて同級生と言います。学校が違っても、よそから島に入ってきても、同じ年でお付き合いがある人はみな同級生になります。同じ年に生まれて同じところに住んでいて、生まれ年に絡んでいて、お互いが友達ならすべて同級生なのです。 島は同級生(同年生)のつながりが強固で、ほとんどの年代の同級生(同年生)が模合をしていて、月1の会を楽しんでいます。模合に参加していなくても、同級生としての心のつながりは切れません。 もちろん私たちの同級生もそうですが、月に1度(私たちは昭和27年生まれですので)、毎月27日に集まって飲食会をしています。 若いころは、大いに若さを謳歌する楽しい会でしたが、今は、残りの人生を楽しむための会になってきました。「逝ったみんなの分まで楽しもうな、それで、あっちでまた皆で同級生模合をやろうな」と言うような具合です。 さすがに、そこそこの人生を生きてきますと、かなりおおらかに生死も捉えることが出来るようになってきました。そして、 「誰が一番最後まで残るか競争するぞ」と、息巻けるのです。 お天気が下り坂になってきて、雨が続いています。 昨日少し雨の隙間をぬって「中の農園」の草刈りをしてきました。あまり奇麗に刈り取る事はできませんでしたが、何とか最後のドラゴン区に踏み入る事が出来ました。 虫たちが十分生きれるように、なるべく草は残します。 「東の農園」の苗床のオクラが、ほぼ芽を出していました。計算通りです。芽が出ても水かけが不要になるように種まきをしました。しかし「中の農園」のオクラは「東」より1日早い種まきでしたが、18 粒中1粒しか発芽していませんでした。 <「東」のオクラ> <「中」のオクラ>「東」の苗床から9本のインゲンを「中」のオクラ畝に移植。幸いの雨で根付いてくれますように。 地球に住んでいる限り、生と死は意思と関係なく授かり返納しなくてはいけませんよね。誰からもらい誰に返すのかわかりませんけれど、今は友を送る身の私も、いずれ送られる日が来ます。 きれいさっぱり生きたいものです。
2024.02.07
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2月4日(日)旧暦12月25日 六輝は「赤口」 1時間ほどガイドを頼まれて、午前中STさんと勤務交代。お相手はウォーキングメンバーのウオーキング途中のちょっぴり歴史散策らしいです。 勉強不足ですが実戦は大いに歓迎で、支障のない限りガイドをさせてもらっています。机上の勉強じゃなかなか覚えられないんですが、実戦だと必死になりますからね。問題はあまりガイドの仕事がないので、次のガイドまでに覚えたことをほぼ忘れてしまう事です。 儲けにならないガイドをもう十何年も続けていますから、年数から言えばアマプロくらいですが、実際は数年なかったり、あっても年4~5回あればよい方でしたので、素人と一緒です。 楽しみながらの趣味と思い続けています。 今日は一つアクシデントがありました。 愛用の軽トラのキーが割れてしまったのです。見事に半分から折れてしまいました。気が付けばキーの下半分がなくなっていたのです。キーを抜いて昨日までは普通でしたが、出勤しようとするとキーの下半分がありません。折れてどこかに落っこちてしまったようです。12月には、駐車場に止めた軽トラのタイヤが破損してしまう事が、11月にはバッテリーが上がって動かなくなった事がありました。タイヤも駐車場に戻るまではなんともなかったのですが、翌朝出勤しようとしたら、パンクどころか見事に破損していました。 私の運転が荒いのか、どうも軽トラに災難が続いています。お気に入りの軽トラなので、朝から晩まで通勤から私用・買い物まで毎日乗り回しているので、疲れてしまったのでしょうか。 いやはや車がないと農園にもいけません。 娘の嫁ぎ先のお父様の軽トラックだったのですが、使わなくなったという事で私がいただいて、埼玉から送ってもらったものです。お父様は昨年亡くなられたばかりで、まだ幾月も経っていませんが、まさか軽トラが悲しんでいるとか?・・・いやいやそれはさすがに。 <半分に折れてしまいました> <今は私の大事な相棒なんです> 軽トラがなくなると困るほど、依存していますので、早く合鍵を見つけないとほんとに困ったことになります。 「合鍵やあ~い」確かどこかに・・・・・・
2024.02.04
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