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ボクらのカリカチュア
カノン日和
クロノス城下街は、街路のあちこちから聞こえる「じわじわ」と云う蝉の声で溢れていた。人々の喧騒を飲み込むようである。
風の吹かない、暑い日だった。
アクナーは人通りの少ない路地を歩きつつ、蝉らの行為に「何故そうまでして子孫を残そうとするのか」という疑問を浮かべた。まるで彼らが死に急いでいるように思えたからだ。
だが、そんな事に思いを巡らせたとして、喉の渇きが潤うわけでもなければ、預金の額が増えるわけも無い。即物的な意味で生産性が無い。
故に、無為に哲学などするような人間は貧しい者ばかりなのだ。
「俺は哲学もしなけりゃ、金も無いけどな」
アクナーは持っていた酒瓶を陽に透かして揺らしてみたが、中身の無いことを確認すると近くの植え込みに投げ捨ててしまった。
暑さに耐えかねて、うめきに近いため息が漏れる。
「どこかで休もう」と、あたりを見回す。けれども、このあたりには休憩ができるような店舗も、酒が買える露天の姿も無かった。
暑さで呆けているのか酔っているのか。気がつけば大通りから随分外れた小道を歩いていた。
わずらわしい蝉の声を避けるようにふらふらと歩き続ける。おぼつかない足取り。
暫くすると見慣れない大きな建物が正面に見えた。目を細めると、扉の横にはコエリス教団のモノグラムがあつらえてある。
-教会じゃねえか。どーりで見慣れない景色のはずだ。
教会には、もう何年も来た事が無かった。この街に来てからは一度も無かったはずだ。
休日は近隣の信徒や、合唱団が集まるこの教会も、今日は平日。建物に人の気配は無かった。
-丁度いい。中で休ませてもらうとするか。
おそるおそる扉を開けて、中へと入る。教会の中はひんやりとした空気で充満していた。扉を閉めると、あのやかましい蝉の声も遠くの方へと消えていった。
正面にはクロノス三主神の偶像、手前には祭壇が見える。燭台の蝋燭は消えていた。
そこから一段下がった石畳のフロアには、祭壇から出入り口まで伸びている陽に焼けた絨毯が、左右に並ぶ長椅子をモーゼの如く別っていた。
小さい頃。生まれ育った村の教会に、母親に連れて行かれた記憶がある。最後に通ったのは何時だったろうか。
特段「懐かしい」などという感慨は湧かなかった。アクナーは教会の中を祭壇に向かって進む。
見上げると、高い天井。偶像の後ろの壁には嵌め殺しのステンドグラス。いかにも協会然としていて、何の面白みも無い。歴史的な調度も、高価な装飾も無い。
-まあ、鍵も閉めないくらいだしな・・・ん?
アクナーは祭壇の右、壁際に見慣れぬものを発見し、立ち止まった。
小さな小屋のようなものがあった。どうして屋内に小屋などあるのか。近づいてみたことろ、小屋には入り口が2つ備えてあるようだった。
-そうか。これが懺悔室か。俺の村の教会には無かったな。以外に凝った造りでやがる。
その時、入り口の方に人の気配がした。アクナーは咄嗟に懺悔室のドアをくぐり、中へと入った。
別に物盗りに入ったわけでもなく、隠れる必要など無いのだが。
自分の知らぬところで、自分のような人間が教会にいることを後ろめたく感じていたのかもしれない。
懺悔室の中は狭く、人1人が入れる程度のスペースしかなかった。すぐ目の前には、懺悔室を真ん中から半分に別つ壁がある。
胸の辺りに、ひじが置けるような板が壁から張り出して、机のような形になっていた。引き出しもあり、開けると十字架と聖書が入っていた。引き出しはすぐに戻した。
正面の壁には小さな小窓がついている。低い位置にある為、おそらくお互いの顔はおろか、薄暗い小屋の中では姿もろくに認識できないであろう。
目を閉じて耳を澄ましてみる。懺悔室の中では、蝉の声は一切聞こえない。
外には人の足音も、気配も無いようだった。
締め切ったはずの懺悔室に、風が吹いた気がした。この狭い空間の中で、不思議と涼しくさえ感じる風だった。
物音が聞こえ、アクナーは目を開く。気がつくと、正面の部屋から人の気配がするではないか。
-眠っていたのか?まいったな、まさか神父が、
「神父様・・・」
僅かにだけ開いた壁の小窓から、声が聞こえた。女の声であった。
アクナーは返事をしなかった。が、女は構わず話を続けた。おそらく気配で、対面の部屋にも人がいることを察しているのだろう。
自分が神父ではない事を申し出ようかと、アクナーは逡巡した。しかし、それでは神父でもない自分が何故ここにいるのかという事になる。
結局アクナーは黙って女の話に耳を傾けることにした。
「この前、パーティで狩りへ出かけたんです。何度も通った場所でしたが・・・」
衝立を挟んでいるため多少くぐもって聞こえはするが、雰囲気からして若い女の声であった。口調は丁寧であったが、語尾や発音はどことなく幼く感じられる。
僅か以上に間がおかれた。彼女の息継ぎの為のものではない。
アクナーは他に方法が思いつかず、この場をやり過ごすために神父になりすますことを決めた。
「・・・ご職業は?」
アクナーは咳払いをひとつしてからそう言った。
「バルキリーです。そこで、私はダメージエンチャンターを何度か切らせてしまいました」
-なんだそんな事か。俺なんかエンカレイジはおろかライフアップやホーリーアーマーだって切らすことがしょっちゅうなんだが。
糞みたいに真面目なバルキリーだ、とアクナーは心の中で笑いながら思った。アクナーは他人の支援魔法はおろか、自分がかけた支援魔法の効果時間すら確認しないことがほとんどである。とても支援パラディンと名乗るには足りないことばかりである。
「何か体調が悪かったりしたんじゃないですか?」
「そうしたことはありません。ただ・・・いえ。言い訳をする為にここへ来たわけではありません」
「それで、パーティの連ちゅ、いや。パーティの方たちからは咎められたのですか?」
「パーティの中には気心の知れたギルドの仲間もいましたし、叱られるようなことはありませんでした」
だったら小難しく考える必要など無いだろう。次から気をつければいいだけの話だ。
アクナーは眉根を寄せながら、つい口に出しそうになってしまう。
「世の中には支援パラディンであっても平気な顔で支援魔法を切らす輩がいます。攻撃職であるバルキリーの貴女が、そんなにも気に病む必要は無いですよ。それに、あなたは今悔いている。ならばそれで十分ではないですか」
-支援を切らす聖騎士ねえ。我ながらどの口が言えたものか。
女はひとつ嘆息をしてから続けた。
「ええ、そうですね。でも、疎かにして良いものでは、決してないはずです。事実、攻撃力が下がったことに気づかなかったウォリアーが、モンスターを倒し損ないました。おかげで別な仲間に怪我をさせてしまったんです」
「(それはお前じゃなくて、仕留めそこなったウォリアーの所為じゃねえのかよ)・・・例え、あなたに責任の一端があったとしても、仲間はそう思っていないんじゃないですか」
「どうでしょうか。今となっては知る由もありません」
「・・・」
-そろそろ帰ってくれないか。
身から出た錆だとも思いながら、アクナーは相手に気づかれないようにゆっくりと足を組む。話の中に何か思うところ、合点のいかないところがあったのかもしれない。それともただ飽いただけかもしれない。
懺悔や告解と呼ばれるものは、悩み事や過去の罪悪を誰かに告白するだけのもの。悔い改めるのは告白した者自身で、神父は主を騙り神に代わってそれを聞くだけなのだ。
つまるところ赦しを与えるものは己しかいない。
アクナーはそう考えた。
-話を聞くだけの楽な職かと思ったが。どうにも退屈でいけねえな。
「ところで狩りには、どこへ行かれたんですか?」
「エンタイスの森です」
-どっかひっかかると思って聞いてみたら。そういえば俺も最近森へ狩りに行ったんだったな。味方は使えねぇ上にろくな成果も無い。うだつの上がらないパーティだったぜ。
「森ですか。支援パラディンはパーティにいなかったんですか?」
外に原因を見つけてやれば罪悪感も薄れるだろう、アクナーはそう考えた。彼の指は苛立たしげに膝を叩いている。
アクナーの呼気のせいで、室内は酷く酒臭い。締め切られた懺悔室は、いかに静謐な教会にあるとはいえ、中に入った人間の放出する熱で温度が上昇していたから尚更であった。
逡巡の後、アクナーの問いにバルキリーはこう言った。
「いませんでした」
それなら話は早い。支援がいなければパーティとして万全な状態とは呼べない。傷を負う確立は高くなるし、怪我人への対応も自身で行わねばならない。
「それならばなお更、気に病む必要はありません。あなたにも、そして勿論そのウォリアーにも罪はありません。もし到らぬことがあったとして、それはパーティの編成に問題があったのでしょう」
「・・・」
「ですが、そんなことで神は貴女を咎めたりはしません。次に狩りへ出かけるときには、きっと支援パラディンをパーティに加えることです。あなたの真摯な姿勢に、きっとコエリス神は祝福を与えるでしょう。あなたの罪を赦しましょう」
「そうですか・・・」
バルキリーは息を吐きながらつぶやく様に、力無く言った。
これでやっと終わりか。アクナーは組んだ足を解き、背中を伸ばす。ため息を吐きながら、さっきのは中々様になっていたなと自讃する。
「あの、」
「・・・は?」
突然の問いに、アクナーはハっとする。「まさか、ばれたか」
「神父様は昔冒険者だったのですか?」
「(どうやら大丈夫みたいだな)・・・何故そんな質問を?」
「狩りのこと・・・パーティの事について、随分詳しいご様子でしたので」
再び気の抜けたアクナーは身支度を整えながら答える。
「ああ、その。昔支援をしてたんですよ」
「どうして今の職業に就かれたのですか」
「向いていなかったんでしょうね」
すると、目の前の衝立の隙間-隙間というよりも、元々そのように作られているようだった-からクロが差し出された。バルキリーの白い指が覗いた。バルキリーは何も言わない。
-これが喜捨、お布施ってやつか。ひーふー・・・6クロか。まあ帰りに酒くらいは買っていけそうだな。
アクナーは気づかれないように、そっと小銭を懐に忍ばせる。
向かいの部屋で人が立ち上がる、衣擦れの音が聞こえた。
そして、バルキリーが再び口を開く。
「時に神父様。私の罪は先ほど神父様が、いえ・・・コエリス神がお許しになってくれました」
「ええ、ですからもう、」
「では、神父様の罪は誰が赦してくれるんですか?」
「な、何を言っているんですか?」
「・・・先ほどお話をした、怪我をしたという仲間は私の恋人でした。彼はその怪我が元で、先日死にました」
「!?」
「それから神父様。私は先ほど嘘を話しました」
「ざ、懺悔に来て嘘は、その、良くありませんね」
「ええ、私も同感です。本当のことを言うと、パーティには支援がいたんですよ」
バタン
バルキリーのいた側の、扉の開く音。油の切れた蝶番の音が細く響き、静かに扉は閉まった。
同時に静寂を取り戻す教会。
「なんだっつうんだ、まったく・・・」
アクナーは暫くしてから、バルキリーが立ち去った頃合を見て自分の部屋を出た。
懺悔室を出て顔を上げると、女が一人立ち尽くしていた。
アクナーが「しまった」という顔をした刹那、女が口を開く。
「最後まで、あなたは懺悔をしてくれませんでしたね」
そう言うとバルキリーは、腰に下げたショートソードをアクナーの胸に突き立てた。
カノン日和了
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