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ボクらのカリカチュア
無口な旅人
木の根に腰掛けるダニエラに向かってカチュアが声をかけた。
ダニエラは木漏れ日に目を細めながら、空を眺めている。返事は無い。
「たまには口をきいてくれてもいいんじゃないかな」
言いつつ、カチュアはつまらなさそうにフンと鼻を鳴らす。
反応するように、ターラの草原が風にそよいだ。
初夏である今の時分は、日頃湿度の高いこのパトリア地方にとって、一年で最も過ごし易い季候である。
雲の少ない快晴にくっきりと浮かぶエフェルス山脈の稜線が、空と大地を隔てている。本当に清清しい天気である。
カチュアに背を向けるダニエラの、ブロンドの髪が揺れていた。頬にあたる風はチャクラの方から吹いてくる。この時期だけは、湿ったこの風が冷たく、心地よく感じられるのだ。
「そろそろ行かない?」
カチュアは言うが、やはりダニエラは反応を示さないでいる。
町にいても、彼女は起きてから寝るまで誰とも話をすることが無い。時折聞こえる野良パーティを募集する声にも、まるで退屈な歌にでも耳を貸すようにただ一瞥するだけ。ダニエラはいつも1人で旅をしているのである。
ギルドにも所属していないし、冒険者が主導で行う催しやユニオンウォーにも参加したことが無い。それがおそらく、この大陸に降り立ったときからの、彼女の性質なのだろう。
今日ターラの草原に来たのは、この時期に多く発生する暗沼ゴーレムを狩るためである。
ターラの村から南に行くと、段々と背の高い草が目立ち始める。この辺りに住んでいる者や、冒険者たちの間では俗に「草刈り」と呼ばれている狩りの1つだが、今はその狩場に向かう道の途中であった。
腰を上げたダニエラは1度大きく背伸びをしてから荷物をまとめはじめた。休憩は終わりのようだ。
カチュアがダニエラと出会ってから2年近くが経つ。ダニエラと旅をする中で、カチュアは様々な事を彼女に話した。天気の話、以前に訪れたダンジョンでの出来事、最近テラの支配権を手に入れたユニオンの噂。この大陸の歴史や、タルタノス戦争についても話して聞かせた。ダニエラは最初こそ戸惑っていたが、次第に感心そうにカチュアの話しを聞くようになった。
カチュアは会話の中で質問をすることはあるが、そもそも返事は期待していない。勿論返事をもらうに越したことは無いのだけれど。
ダニエラの方はといえば、街で遭遇する勧誘とは別で、時折カチュアの方に視線を寄越したりはする。だから、まるきり無視というわけではない。ただし、それきりなのである。相槌を打ったり、ダニエラの方から声をかけてくるということは無かった。
出会ったときから今に至るまで、こうした関係は続いている。
カチュアが初めてダニエラに話しかけたとき、彼女は驚いたような表情を見せた。そして彼女は、少し迷ってからそっと微笑んだのだ。今でもそのときのことは覚えている。
彼女は時折そうした表情を見せるのだが、カチュアはそれだけで満足であったから、会話は無くともコミュニケーションは成立していると言える。お互いとも、今の関係に不満は無い。
そんなダニエラであったが、カチュアは1度だけ彼女の声を聞いたことがあった。
狩場に到着するまでにはまだ少し時間があったので、カチュアはそのときの事を思い出してみることにした。
その頃、私は未だ彼女の名前を知らなかった。
当然、私が彼女の名前を口にしたことは無かった。彼女が私の名を呼ぶことも無かった。
それ以前に、私はそれまでダニエラの声を聞いた事が無いままでいた。
現在もそうであるように、ダニエラはいつも一人でいたからだ。
私がダニエラと出会う前に旅をしていた冒険者も、彼女と同じパラディンであった。そして同様に、ギルドには所属していなかった。
けれど、少なからずは他人との交流があった事を覚えている。
私がダニエラと出会って、丁度1年程経った頃だったと思う。
拠点にしているシティス=テラを離れ、ホリドー探索へと向かう途中であった。ホリドーはフレヌゥルと同時期に開拓された土地、狩り場であると聞いた事がある。
ホリドーとフレヌゥルに出現するモンスターの力は同程度であったが、多くの冒険者たちは専らフレヌゥルの探索と、そこでの鍛錬を好んでいた。
あの時も、そう、やはりターラの村に立ち寄ったのだった。
混み合っている狩り場は、まず、モンスターたちを狩る数に制約を受ける。必然、得られる経験やアイテムなどの報償にも同じ事が言えた。
ダニエラは、そのどちらへの関心も薄い。が、人気の多い場所に身を置くことを好まない性格であったから、ホリドーでの探索を決めたのは必然だったと言える。
テラからホリドーへと向かう途中。ターラに着く頃にはすっかり陽も暮れ、ひんやりとした夜気があたりを包み始めていた。どこか遠くからは、エヌゥムたちの遠吠えが聞こえてくる。
ダニエラと私はターラの村で1泊の宿を取ることにした。
今でこそすっかり錆びれたこの村も、4~5年程前までは多くの冒険者たちの拠点となっていたと聞く。
錆びれた宿場町には、今はもう以前程の宿屋の数は無い。
連日の様に「狩りの成果」として村の中央に吊るされていたトリゴヌット。今は、ただその為に組まれた木材だけが残っているだけだった。
そんな村の様子を眺めつつ、ダニエラは1軒の宿屋へと入った。この村で、彼女がいつも利用する宿である。
慣れたやり取りで宿泊の受付を済ませたダニエラは、くすんだ色の鍵を受け取るとまっすぐに部屋へと向かった。
お世辞にも綺麗とは言えぬ外観を持つ宿の、1番安いシングルの部屋。この部屋も、いつも彼女が利用しているものであった。
あまり裕福でない冒険者のダニエラにとっては、まあ分相応の部屋である。
彼女自身は自分の収入にも、今の生活にも不満は無かった。屋根のある場所で休めるだけでむしろ満足しているようであった。女性にしてはなかなかの逞しさである。
そんな彼女が、この宿を良く利用するにはある理由があった。
それは店主が密かながら、唯一の自慢としている露天風呂にあった。この村で、露天風呂を持つ宿は他に無い。
しかし店主はそれを集客の目玉にしようとはしなかった。ただ冒険者の一時の安らぎにでもなればと慮ってのことだろうか。
はたまた元来無頼漢の多い冒険者たちが、風呂になど興味を持たないからか。ターラで1番とダニエラが評価しているこの宿に、彼女はいつ訪れても好きな部屋に宿泊することが出来た。
エフェルス山脈の木材で造られた浴槽と、それを囲う東屋。独特の木の香りと肌触りが、旅や狩りで疲れた冒険者たちの心と体を癒してくれる。
この宿は村の中でも小高い場所に建っている。その為、村を取り囲む防護柵を越えて外の景色を楽しむことが出来るのであった。
立ち上る湯気の向こうを月が照らす景色。テラでは見られない雄大な自然と、この地を囲う山脈の峰々を見渡せるこの露天からの眺望が、ダニエラは好きだった。そうしたところには、ダニエラの女性的な拘りが見て取れる。
冒険者が減少を続ける昨今。裕福な旅人や、観光を目的とする旅行客の獲得に営業の形態を大きく変える宿も多い。そんな中、最低限の持て成しに、料理などのサービスに特別な嗜好を凝らすでもないこの店は、時代に取り残されているようにも見える。けれど、またそこが良いともダニエラは思っていた。
その日。この宿の宿泊客はダニエラ1人であった。
事件はこの宿で起こった。
道行く者の多くは、すれ違うダニエラを振り返る。
彼女の美しいブロンドと、当時は現在よりもずっと手に入れることが難しい、成長武器を所持していたからだった。
そして、人の気配の少ない、この宿の立地条件が、彼らを増長させたことは間違い無い。
彼らは宿の向かいにある、建物の暗がりに身を潜めていた。辺りの様子を伺っていた影が2つ。闇と同化しながら宿へと真っ直ぐに歩み出した。
私はいつの間にか眠りについていた。
気がついたとき、部屋にダニエラの姿は無かったが、窓の外から気配を感じた。
ガタリと音がした後、窓がその枠ごと外される。そこから2つの黒い塊が部屋へと侵入してきた。どうやら盗賊のようだ。
私は眠ったふりをしながら、その2人を注視する。「気が付かれませんように・・・」
音を立てないように、部屋の中を慣れた手つきで物色していく2人。体躯や様子からして、2人とも男らしかった。
彼らはダニエラの荷物を漁り、金目のものを見つけては持ってきた麻の袋に詰めていった。私は元いたベッドの影からその様子を静かに伺っていた。
目出し帽をした男がこちらに振り向く。「まずい」視線が合ったように感じた。
「見つけたぜ。おっとラッキー。大人しく眠ってやがるみたいだ」
もう1人の、布で口元を覆った仲間の肩を叩きながら、目出し帽が囁くように言った。
男たちの表情はわからないが、笑っているように思えた。大きな麻の袋と縄を持ちながら近づいてくる。
「荷物は貴重品まで全て置きっぱなし、用心の無いにも程がある。おまけに人目につきづらいこんな角部屋の、1階の部屋を選ぶなんてな」
「偶ぁに居るんだよなー。何を安心しているのか、それとも他人を信用しているのか。意図せず無防備なヤツってのは。冒険者のクセに警戒心が無さ過ぎるぜ、へへ」
「成長武器なんか持って1人で堂々と道ぃ歩きやがって。自慢のつもりなんだろうが、次からはもうちょっと遠慮を知ることだな」
「どの道、盗まれてもしょうがないって事だ。くっくっく」
男たちはやはり笑っていた。
「違う。あの子はそんなんじゃない!」
「!!」
「こいつ、起きていやがった・・・!」
私は、姑息な彼らに今までに感じた事の無い怒りを覚えた。見つかるのは時間の問題であったろう。どうせなら一言の罵声でも浴びせてやりたかった。何より、主人を馬鹿にされて黙ってなどいられなかった。
「彼女は他人の事を、お前たちみたいに汚い目で見たりしない。自分がどんなに良い装備でいようと、自分が誰かから妬まれていたりするなんて考えない。まして盗みや詐欺に会うなんて事は・・・あの子は優しすぎるだけだ。それを笑うことは私が許さない・・・!」
「それが無用心って言うんだろうが、世間知らずめ。知った事かよ」
「止めろ、取り合ってる暇は無い。持ち主が戻る前に、さっさとコイツを縛って袋に詰めろ」
しかし、悔しいことに、私はこの状況を打破する術を持っていなかった。私には、ここから逃げ出すための足も、彼らを振りほどく腕も無い。
「成長武器っていうのは皆こんなにお喋りなのか?」
男が、私を鞘ごと縄で縛りながら言った。
「知らねえな。それよりさっさと荷物を運びd」
バタン
部屋の扉が音を立てて勢い良く開いた。反動で締りかけた扉を制し、ダニエラは黙ったまま部屋へと踏み入る。
「ちぃっ。言わんこっちゃ無い。殺すつもりはなかったが仕方無い」
盗賊たちは素早くダガーを構える。窓から差し込んだ月の光を鈍く反射するそれが、ダニエラに向かって閃く。
ダニエラは首にかけていたタオルを鞭の様にして、飛び込んできた目出し帽の手首を絡め取る。そのまま自分の方に手繰り寄せ、思い切り股を蹴り上げる。
低く呻きながら前のめりになった男は、首筋を手刀で打たれてその場に倒れこんだ。
「っく、くそぅ!!」
残された盗賊の片割れは躊躇うこと無く、仲間を残して窓から逃亡した。
暫くして、宿には村に駐留していた騎士団がやって来た。
ダニエラが取り押さえた盗賊は、すぐに騎士団によって首都クロノスへと連行されていった。後から知った話しだが、逃げ出した方の男も、数日後には逮捕されたそうだ。
店の主人はダニエラに何度も頭を下げ「宿代はお返しします」「他の良い宿を紹介します」と申し出た。彼は、盗人に入られた事は店の主人である自分の責任だと悔やんでいた。
けれどダニエラは首を横に振り、むしろ迷惑をかけてすまないとでも言うような表情で、差し出されたクロを受け取らなかった。
事情聴取の為に残った騎士団が部屋を出ると、宿はかつての静けさを取り戻す。部屋には私とダニエラだけがいる。
ダニエラは短く息を吐くと、膝に乗せた私を優しく撫でながら、
「ごめんね」
と言った。
それが、初めて聞いた彼女の声であった。その声は想像していた通りの、優しく思いやりに溢れたものだった。
私の身体に、暖かいものが数滴落ちた。彼女は泣いていた。
脱衣所で忘れ物に気づいた彼女はすぐに部屋に戻ってきたらしい。私が盗賊たちに向かって怒鳴り声を上げたときには、いつ部屋に飛び込もうかと扉の前で思案していたそうだ。
私は何だか恥ずかしくなって返事を出来ずにいた。代わりにダニエラが口を開く。
「あなたを譲り受けてからずっと悩んでいたの。私が持つには分不相応なあなたの存在を、どこか疎ましく思っていたのかも知れない。だから、名前も付けずに・・・」
「本当に、ごめんなさい」そう言って彼女は私を抱きしめた。
その後すぐに、私は「カチュア」と言う名前をもらった。私の前の持ち主で、ダニエラの親友であるパラディンと同じ名前なのだと彼女は言った。
前の主人は、事情があって既にこの大陸を去っているらしい。2人は元々、とても中の良い間柄であったそうだが、遂にこの大陸では共に冒険をすることがなかったという。
それからダニエラは、ホリドーへの旅が終わったら、私を置いて自分も大陸を去るつもりでいたとも話してくれた。
あの時の一言葉には、そうした意味も含められていたのだ。
カチュアが話し終えたとき、草原を一陣の薫風が吹き抜けていった。
「もう。ちゃんと聞いているの?」
主人に向かっていつものように問いかけるカチュア。思い出すに留まらず、いつの間にかカチュアは声に出し、主人に語りかけていた。
その言葉は、ともすれば風に消されてしまいそうなくらい小さいものだった。
ダニエラはあの後にすぐ心変わりをして、大陸を去ることを取り止めた。カチュアを手放すこともしなかった。
けれど、あの一件を思い出す内に、カチュアは少しだけ不安になっていつもの元気を無くしていた。
「聞いてるよ」
そんなカチュアに向かって、ダニエラは言いながら優しく微笑んだ。
はっとしたカチュアはすぐには反応できないで居たけれど、少ししてから嬉しそうに「はい」と言った。
「懐かしい、匂いがするね。まさかとは思うけど、これが最後の狩りだなんてことは無いよね?」
それでも未だ、カチュアは少しだけ不安でいた。久しぶりに訪れたターラの雰囲気と、思い出話を語る内にあの夜の一件が鮮明に思い出されたからだ。
今ばかりは、カチュアも主人からの返事を切望していた。
そんな気持ちを察してか、ダニエラは柔らかく彼女に、言い含めるように声をかける。
「大丈夫だよ・・・もう、私は1人じゃないから」
すぐ先に、今は無人の牧場が見えてきた。
狩場はもうすぐそこで、日が暮れる頃にはまたあの時の宿屋に向かっているんだろうと、カチュアは思いを巡らせた。
了
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