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チーム内でちょっとばかり波風がたったのを潮にいいチャンスとばかり決めました
まあ波風と言ったって他愛のないもので、若い人に出番を奪われた老人組が不満を抱いただけで、勝つためには若い力が必要なのは当然なのです
いまさら老人組に入ってプレーする気もないので、まだまだ動けるうちにとの気持ちから退きました
思えば今のチームに加入して33年間、ずっと一線でやってきたのですからもういいでしょう
私が野球を始めたのは高校生からと遅かったです
草野球チームを作るからと人数あわせに誘われたのがきっかけでした
やってみて意外な才能に自分でも驚きました
肩がめっぽう強くて足も速かったのです
もっとも確実性に欠けていましたが^^;
最初は見栄でピッチャー志望でした
チームで一番球が速かったでしょう
でも出番はありませんでした
コントロールがイマイチだったこともありますが、なにより身長が低かったからです
私よりも長身のピッチャーが3人もチームにはおりました
背が高いということは球に角度がつきますので、180もあろうかというエースの球はスピード以上に打ちにくかったのです
それでもお客さんが見えると監督は私にピッチング練習をさせて見せました
たいていのお客はちっこいのが凄い球投げると感心して帰ったからです
「もう少し背があればプロだって狙えるなあ」なんて言うお客もいました
でもこの自信もあっけなく吹っ飛びました
新入団の中学3年生の左腕投手は私より凄い球を投げたからです
であっさり内野手転向^^;
自分でも言うのはなんですが、めちゃくちゃ守備範囲は広かったです
でも送球が悪い
投手をやっていたせいでモーションが大きかったのと、アンダーハンド投手だったせいで下から投げると球が変化したのです
一塁手がポロポロ落として嫌われました
象徴的だったのが某試合で、ここでヒットを打たれると負けという場面で守備がために遊撃手に起用されました
打球は三遊間ど真ん中のヒットコース、これを飛びついてノーステップスロー
見事に暴投でした^^;
足も速く1試合で5盗塁を決めたこともあります
ただ塁に出れたらということで、当時体格も考えずブンブン振り回していた私は大きなファウルは打つけどヒットは多くはありませんでした
じゃあ競争の少ない捕手へとまたまた転向です
強肩をいかして座ったまま投手に返すふりをして顔を投手に向けたまま1塁手に投げて走者を殺すというのを得意としていました
1塁主がフイをつかれて顔面で球を受けるというオマケがたまにありましたが^^;
でも技術的には先輩捕手の捕球技術には及びません
で肩比べを挑みました
投手の球を受けてそれを定位置のセンターに投げるというものです
もちろん私の方が凄かったです
でも十球目ぐらいに腕がギクッとなり肘の筋を痛めてしまい、以後1年間は5メートルも投げられなくなりました
その頃からです、ソフトボールと二股かけ始めたのは
新生チーム創立に合流したのは33歳でした
以後楽しくやってきましたが、同年代のほかの人よりはマシとはいうものの、年齢と共に肩と足が劣ろえてきたのは自然の摂理です
打球の飛距離も落ちました
そしていよいよ今回の引退です
昔は40歳になったら引退しようと考えていましたから、予定より26年間も長くできたことになります
あとは社交ダンスを楽しみます
やることはまだまだありそうです
でもあと何年・・・・
たはは^^;
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