仙燐眼

仙燐眼

英語が話せなくなってから


丁度バブルの絶頂期で、
たやすくそういう仕事への門は開かれていた時代。
で、計画としては、
高卒の後、専門学校に行き、
私は、その専門学校時代から、あちこちの外人のベビーシッターをしていて
つても結構あったので、
いずれにか、自分ひとりで外国に渡って・・なんて考えていた。

ところが、
恋に身を投じてしまったツケでそんな願いは全て失ってしまった。

気がついた頃には、
出産と育児と家事によりすっかりと英語のえ、の字も忘れていた。
英会話の講師までしていたのに、
再び、講師を目指そうとしたときに
試験の後に
「あなたは、まず、英会話スクールの生徒募集ということで、営業から始めたほうがいいでしょう」なんて言われてしまった。

ショックだった。

でも、どっちにしろ、
教室を持つためには
夜の時間や土日という休日に仕事をするのが必須になるため
家庭を持つ身にはその勤務時間は到底考えられないものだったから、
仕方がない、縁がなかったのね、と諦めてしまった。

夫は、
大学の英語学科を専攻して卒業していた。
し、フランス語もちょっと出来る人だった。
なのに、仕事で落ち着いたところは、化学系だった。

仕事場で化学を専門とする高校出の新入社員にどんどん追い抜かれる
そんなわけで、随分と自信をそがれる事が多かったよう。
一生懸命仕事しても、畑が違うから、自分には理解できないことが多い
なのに、高卒の年下の部下は素早く理解してる。
それが辛かったようだ、
でも、その仕事を選んだのは夫なのだ。

夫はそれでも、
家族のためにその仕事を選んだと豪語していた。

時間的にも残業は少ないし、
手取り給料も安定している。
これは、全て家族のためなのだと。

でも、お願いした覚えは私にはない。
いつも、自分に合った仕事で長く出来そうならどこでもいいんじゃない?
なんて言っていたつもりだ。

夫は会社でのストレスを常に家庭に持ち帰った。

合わない仕事でのストレスを毎日酒を飲み、
何も家ではしなかった。
眠れないと言って、安定剤を飲み、酒も飲んでいたからかなり酔いが回っていた。
そうして、眠る毎日だった。
機嫌が悪いときは家族に暴言を吐いていた。
自分が好きな番組を見るときは
必ず一緒に見て横で笑ってあげないと
興奮してさらに機嫌が悪くなった。

会社では、人気もあるくせにいつも孤独を感じていたようだった。
その分、家庭で十分に愛されていると確信したかったようだ。

でも、私も仕事をしていたから、
そうそう毎日一緒にいてあげれない。

そんな時の言葉は、
「高卒しか出ていないただのバカが、何をえらそぶって仕事してるんだ」

これは、ことごとく日常のように言われていた。

確かに私は仕事しかしないし、
家事しかしなかった。
ニュースも感心持ってゆっくり見たこともなかった。
英語を忘れた私は、バカ一直線だった。

でも、
学生時代はこれでも頑張っていたほうよ。
こんなんで終わるもんか。
そんな気持ちが日に日に増していった。
見返してやりたい。

いや、違うかもしれない。

私は、自信を失って疎外感に浸る愚かな人になりたくなかった。
もっと、堂々と私はただのバカではないって自信を持ちたかった。

その後、私は、突然、法律の勉強に燃えた。




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