考える面白さはこの上なく美味/意識・人間・心・世界・なんでも・霊魂研究/世界は大激動し始めた

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注目すべき


そういったコンピューターは、その内部で、空間的にも時間的にも、ものすごい分散処理・並列処理(局所的処理)を行っている。
*(その処理を統括しているプログラムのもとに、である。脳と意識の器においては、その統括するプログラムというのは、意識の器の規格・性能・性質からでてくるソフトウェアのようなものであるだろうし、それに基づいて脳は設計されつくられているのだろう。その立場が正しいとすると、変換作業は意識の主体内で自動的になされる可能性が高いだろう)。*


(参考:
脳内では、局所的処理をされた情報は統合されない?

脳の活動と意識を例えるのに、すでに何度かコンピューターをもってきた(当てた)が、意識というのは、モニター画面に当たる。

コンピューターの演算装置や記憶などは、時間的なズレや位置の違いのある情報処理、を行っている。

それらの結果がモニター画面でモニターされる。

さらに、超多並列処理のコンピューターシステムで例えると、もっとよく理解できる。

そういったコンピューターは、その内部で、空間的にも時間的にも、ものすごい分散処理・並列処理(局所的処理)を行っている。
(その処理を統括しているプログラムのもとに、である。脳と意識の器においては、その統括するプログラムというのは、意識の器の規格・性能・性質からでてくるソフトウェアのようなものであるだろうし、それに基づいて脳は設計されつくられているのだろう。その立場が正しいとすると、変換作業は意識の主体内で自動的になされる可能性が高いだろう)。

それら処理された情報は、モニター画面で統合され一体化され、その情報の全体像を表す・現す(実際はモニター画面内で情報が走査放出され映し出されている。つまり、ほんのわずかな時間差のある情報たちを、時間差が見えないようにして見せている)。

コンピューター本体の内部で、それら情報たちを統合し、一体化した全体像にすべく変換しても、それは「すべく変換」であって、モニター画面の中でしか一体化・全体化はなされない。

それは、まったくもってほんとに、脳と意識の主体、の関係に似ているといえる。
よって、その例えは的をいているといえる。
そのように似ているから脳と意識の関係を、コンピューターの本体とモニター画面に例えたのであるが、
それとは別に、コンピューターを先にもってきて、脳と意識の関係もそれと同じなのではないか、という主張もありうることである。

そこから人間について考えると、
情報が統合されるのは、意識の主体内で、ということになるだろう。
そして、意識の主体は脳の中には見当たらない。


以上は、脳の中で局所的に情報処理された情報は、脳の外にある意識の主体(外といっても脳に重なっている可能性を含めています)に送り込まれた時点で、統括され一体された全体像をもつ情報「波動パターン」になる、というイメージを浮かび上がらせる。

つまり、仮に、脳の内部で、局所的処理を行った情報たちを統合・一体化した全体像にすべく変換しても、それは「すべく変換」であって、意識の主体の中でしか統合・一体化・全体化はなされない、ということになる。

以上、参考)


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