「10分の8」
中四国は今年は第10回記念大会。私はそのうち8回に参加している。結構積み重ねてきたなぁと思う。最近では私がラクロスを始めるきっかけになった先輩とメールの交換をしたりして、島根のころのいろいろな思い出が思い出されるようになった。そういえば、いよいよ重い腰を上げて中四国ラクロスに関わるだろう島根男子のHCさんも、思えば島根の同期の一人。今の4年生が卒業してしまうと、私たちの代を知る人が全くいなくなるという事実を知るとはっとする。もうそんなに経ってしまったのか・・・という思いと、結構成長したかな?というちょっとした自負と。
思えば、私たちが1年のころは、島根大学女子部(女短も含めて)には一つ上の先輩しかいなかったから、他のチームが羨ましかった。そのころは中四国の運営はもちろん私の知らないところで進んでいたし、当時は立派に自主運営をしている風な感じもあった。4年までラクロスをする風潮も一部のチームでは見られたし。当時(7年前かな?)は川崎はもちろん愛媛・山口が強かった。運営も山口や愛媛や岡山が中心だった。川崎は運営にあんまり関わらないって評判だった(先輩の話によるとね)。しかも運営は男子が中心だった(今では考えられないよね)。1年の私には会議の内容に多少の疑問はあったけど、すごいなぁという思いで見ていたような気がする。先輩たちは「上で決めていることがなかなか伝わって来ない」ってよくぼやいていたっけ。それから私が2年生になると、普及部(今の新人委員会みたいなもの)という部署の代表をして関西のフレキャンに関わるようになった。それで関西との運営レベルの差を感じるようになった。まぁ「中四国でも似たものが作れる!」と直感するのに時間はかからなかったけどね。そのころ中四国では「学生時代の思い出」として運営を引退してしまった先輩たちの世代が終わり「衰退」が目の前に見えてきた。後任の役員をきめさえすれば組織は続くものだという誤解が蔓延していた時代だったようで・・・。
先輩に「君は何物だぁ?」と聞かれるくらいラクロスづけの日々を送る今、なんでラクロス始めたんだろう?と思いかえす。運動はしたかったけど、女の子のするスポーツで外でする種目ってほとんどなくて・・・。ソフト部が普通に頑張ってやってたらソフト部に入ったと思うね。ただ、島根では適当にしてるサークルだったんだよね。それでやめた。ラクロスって知らなかったんだけど、きれいな先輩が(それも2人)「彼氏なんていなくても十分楽しい!」って言うから、「絶対うそだ」と(笑)。「確かめるか」くらいの気持ちで(笑)。いやいやホントは「朝連とかするけど上手くなりたい!!」って一生懸命言うから「ついて行こうかな」と。やっぱり最後はハートだね。「一緒に頑張りたい!」って思いが伝わって始めたわけです。まぁパスキャッチとか体験会をしばらくやってて、パスキャッチは結構すぐにできて楽しかったから、私としては「早く入れろ」って勢いで(笑)。そういや、なかなか正式入部って言ってくれなかったなぁ・・・新勧の作戦か?それでも、私は当初1年くらいでラクロスをやめようかと思ってた。他にもやりたいことがあって(やめる理由NO1!)。まぁそれができるか分からなかったし、そんなに深刻に考えてもいなかったんだけどね。でも2年生で普及部とかしてラクロス界での目標を見つけなかったら、ここまではまってたかどうか分からないから不思議なもんだ。
ちょうど5年前、関西のうるおぼえな組織を中四国に当てはめて活動を始めた。あのころは理解ある同士が集まってあれやこれや試行錯誤を繰り返したっけ。当時の運営の仲間の多くは松山にいた。島根の松江から愛媛の松山まで山と海を越えて何時間?何回足を運んだだろうか。今は島根の子達が松山に行く機会なんてそうそうないんじゃない?審判では松江から山口で吹いて、広島を回って岡山で吹いて松江に帰ったこともある。キップは「松江~松江」。駅員さんもびっくり。結構楽しかったね。学生時代の遠征に関する一番の思い出といえば、台風でも参加率の落ちない「松江ラクロスフェスティバル」。3年のときは、早朝、高知に台風上陸寸前なのに松山の友達が「とりあえず行くわ」とまるで近所にいるかのように言ったこと。そして台風に追いかけられながら本当に海と山を越えて3万以上もかけて松江に来たこと。その日はテレビゲームをして遊んで、夜になって台風が過ぎたのでカラオケに行った。私の誕生日のカウントダウンもしてくれた。神戸の須磨の少年殺人事件の犯人が少年だったと報道した日だった。4年のときは選抜チームを松江に招集して、日曜には皆で大阪の国際親善試合を見に行ったこと。今度は台風の翌日にあたり、靴も泥だらけになった。それでも参加者は結構いた。松江からのバスは予約して貸しきり状態だったっけ。今思えば、岡山や愛媛の奴らがなんでわざわざ松江から大阪にいくん?って思うよねー・・。あのころはそんなアホウがたくさんいたってことです。懐かし。
今では学生組織が私の手を離れて活動を始めているし、事務局活動でも目標が明確になってきた。この成長はちょっと嬉しい。こうして思い出や歴史は積み重ねられて今に至るということを感じる今日この頃。今年は中四国リーグが第10回記念大会。ということで、初代からの中四国ラクロス卒業生の皆さん、リーグの閉会式に一堂に会して「大同窓会」でもやりたいですねぇ。