聖母寺とクスクス
三月二十日、金曜日、六時十二分、リヨン・ペラーシュ駅。
リュックの傍らに座り込み、吐く息が真っ白になるほど寒い駅の中、私は次の電車を待っていた。
早朝営業のカフェからは、ほんのりと珈琲の香が漂ってくる。
財布の中身をちらと見てみる。小銭ばかり、しかも六十サンチーム。日本円にすると13円くらいか。前日の夕方に、トゥールーズの駅でビールをひっかけたのがいけなかった。これでは何も買えない。
ひもじさに耐え、寒さに凍えること一時間半。ようやく列車に乗り込む。暖房の効いた車内でひと心地つく。
じんわりと、朝日が滲むようにあたりを照らしだしていた。
バルセロナで友人と別れてから一週間、ひとりきりの欧州旅行が続いている。マドリードからバスクを通ってフランス入りし、ルルド、カルカソンヌ、そしてトゥールーズと巡って、そろそろ、思うように通じない自身の仏語に嫌気がさしてきている。家に残してきた猫の様子も気になる。すると突然、日本にさっさと帰ってしまいたくなる。
革袋に入れたワインもすっかり無くなった。我が身を情けなく思いながら、列車を二回乗り換え、目的地へ向かう。
古くから司教座が置かれ、サンチァゴへの巡礼の出発点として栄えた古都、ル・ピュイ=アン=ヴレである。
十時、ル・ピュイの街が近づいてきた。市街地をぐるりと迂回するように駅へと向かう列車は、奇岩の上に立つ礼拝堂や、大砲を溶かして作られたといわれる巨大な聖母像の姿をゆっくりと眺めさせてくれる。本の中でしか知り得なかった中世フランスの幻想が、眼前に広がっていくのを目の当たりにしながら、しばし呆然としていた。十時十二分、ル・ピュイ駅着。
何はなくとも金である。リュックの重さに時々よろけながら市街地へと向かい、銀行でT/Cを400フランばかり両替。取って返して駅前に宿をとる。カメラとメモ帳を小さな革の鞄に押し込み、取材の準備完了。
目指すは赤褐色の聖母子像を頂く山の中腹、市街地から伸びる石段の先にある、ノートルダム・デュ・ピュイ聖堂。
…と、その前に、腹拵えをせねばなるまい。
十一時三十五分、サン=ルイ大通り。
宿から大通り(といってもさほど広くはないが)を抜け、石畳の坂をゆっくりと登る。空腹は頂点を通り越して、最早何も感じなくなっている。だが、頭に栄養が行かない分、思考力は極度に低下しているらしい。
くねくねと、幾つかの角を折れながら登る。と、小さな看板に「Couscous」の文字が。はたと立ち止まる。
クスクス。フランスへ来たら、一度は食おうと思っていた料理である。
店の名前も確かめぬまま、私はふらりと中へ入った。
「いらっしゃい。食事かい?」
小さな帽子に、色鮮やかなベスト。少し膨らんだズボン。まるでアラビアン・ナイトの絵本から抜け出たような出で立ちの、小太りの主人が現れた。
「はい、そうです」
「昼飯ならこれがおすすめさ」
と、主人はメニューの中ほどにある「Couscous Royal」を指差した。
最早考えるのも面倒臭い。「じゃあ、それ」と二つ返事である。
クスクスは、北西アフリカ諸国の所謂マグリブ地域では最もポピュラーな料理で、「クスクス」という言葉は、日本人にとっての「ごはん」と同義ともいわれる。
デュラム小麦を小さな粒に固め乾燥させた「スムール」を蒸し上げ、それに野菜や肉、ソーセージなどで作ったスープをかけて食する。マグリブを植民地としていたフランスでも、非常によく知られた料理である。最近では輸入食材の店でよく見かけるようになったとはいえ、日本ではメジャーな存在とは言い難い。私はフランスの旅行ガイドブックでこの料理を知り、何となく、ただ何となく、憧れのような気持ちを抱いていた。
私が生まれて初めてそれを食ったのは、マラケシュの旧市街ではなく、パリのサン・ミシェル通りでもない、寒々とした山奥の古都ル・ピュイということになる。
グレイの洒落たスーツを着込んだ初老の男性が、店内に入ってきた。彼は迷うことなく、私の斜め右のテーブルに腰掛けた。主人が緑色のナプキンを運んできて、二言三言交わして厨房へ消えた。どうやら常連なのだな、とあれこれ想像していると、
「はい、どうぞ召し上がれ」
眼前に現れたのは、山盛りのスムールが入った大きな琺瑯のボウル、メルゲーズ(辛いソーセージ)とスムールが盛り付けられた銀色の平たい皿、そして赤褐色のスープがなみなみと入った小さな丼である。スープには賽の目に刻まれた野菜や、見たことのない豆(恐らくヒヨコ豆であったと思う)が入っていて、今まで嗅いだことのない不思議な香を放っていた。これにミネラル・ウォーター一瓶。締めて七十フラン也。
スープを皿のスムールにかけて、ひと口食う。辛いのかと思ったら、意外に優しい味だ。羊肉の風味は強いが、臭くはないし、何より野菜の味がよく出ている。小さな壷に入った真っ赤なペースト(ハリッサというらしい)を少しスムールに混ぜ、口に運ぶ。今度は強い辛みが口一杯に広がった。しかし旨い。こんがり焼けたメルゲーズを囓ると、パリッと音がして、中から旨味の濃い汁が溢れてくる。
久々の豪勢な食事を夢中でかき込んでいると、スープを含んだスムールは、ひと口ごとに、胃の中でずっしりと存在感を増してきた。ボウルのスムール全て食らってやろうと意気込んでいたが、銀の皿に盛られた分をようやっと空にし、ふた匙ばかりボウルから取ったところで、もう降参である。
「どうだい、もっと食べるかい」
と、主人が大きなボウルを持って現れた。とんでもない、もう食えないと、無言で首を振る。
こんなに腹が膨れる食い物だとは思わなかった。ふう、とひと息ついて傍らに目を遣ると、初老の紳士は悠々とボウルの中のスムールを平らげ、白ワインを片手に涼しい顔をしている。
この国の人々の健啖ぶりを目の当たりにし、私の大食も物の数ではない、と、少々自信を失った次第である。
思いの外贅沢をしてしまった事を少々後悔したものの、久々の人間らしい食事にありついた満足感が勝った。店を出て、重くなった腹をさすりながら、ゆるゆると坂を上り続ける。と、石段の向こうに、目指す聖堂のファサード(建物正面)が現れた。
様々な伝説を持つ「黒い聖母子像」を祀る、黒ずんだ厳つい大聖堂。銀色のドームといい、このファサードといい、素朴なフランスの古い街並みの上に聳える姿は、どこか異教的である。内陣を飾る柱頭の奇怪な彫刻や、紺碧の空に飛ぶ天使の壁画など、内観も十分エキゾティックだ。ここで私は、沢山の写真を撮り、メモを取り、そして暫しぼんやりと過ごした。
十五時、再びサン・ルイ大通り。
一軒の古びたカフェで、メモを眺めながら考えた。
ル・ピュイの聖母寺とクスクス。妙な取り合わせではある。しかし、オーヴェルニュ(フランス南東部の地方名)の教会堂巡りの一番目に選んだこの街で、異教の食事に舌鼓を打ち、聖堂の意匠に異教の香を感じるとは、なかなか示唆的ではないか。
贅沢をしたおかげで、その後の金のやり繰りには不安を感じたものの、この出会いは強ち悪いものではなかったようだ。と、自分の行き当たりばったりな行動を正当化しつつ、私は立ち上がり、宿への道を急いだ。
三月二十一日、土曜日、十時十五分、ル・ピュイ駅。
黒ずんだ山々を抜け、オーヴェルニュの中心都市クレルモン・フェランへと旅を続ける。
この後しばらくは、バゲットと安ワインの食事が続く。次に私が再びクスクスに出会うのは、四月、パリに到着してからのことである。