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私が産んだ産院は、出産後、低体温症にならにようにということで、異常がなくてもカンガルーケアなしで保育器へ直行、低血糖症にならないように砂糖水を与えます。産後すぐには母乳は出にくいということで、入院中5日間はきっちり3時間起きに母乳→ミルクでした。そして、3カ月検診で、同じ産院で1日違いで産んだママさんに会いました。「完ミになっちゃったから、荷物が重たくて…」話を聞いてみると、搾っても全然出ない(といっても30mlとかは出たらしい)から母乳が出てないと思って、産院でしてたように母乳→ミルクを続けていたら、自分の乳首を吸ってくれなくなっちゃったとのこと。私も搾っても出ないよ(15mlとかの時もあったと思う)、でも基本的に預ける時以外は母乳だよと言うとびっくりしていました。私も初めての子供なので、最初の1ヶ月間は迷走しました。おっぱいは小さいし、搾っても出ないし、足りてるか本当に心配で、おっぱいにいいと言われるハーブティーやたんぽぽ茶を買った時もありました。インターネットで調べても、混合→完全母乳にいたった経過が書かれているような情報はなくて、ミルクの減らし方等、どうしたらよいものか迷いました。何も特別なことはしていませんが、参考例の1つになればいいなと思い、これまでの経過を、そして今後の毎日をアップしていきたいなと思います。ちなみに、私はアンチミルクの立場ではありません。母乳育児に至った理由も、産後実家に帰らなかったこともあり、「洗ったり、煮沸したり。赤ちゃんが泣いているのに作ったり、冷ましたり。何かと面倒くさいし、ミルクはお金もかかるし」という感じです。また、搾っても出ないおっぱいなこともあり、預ける時はミルクを飲んでもらっています。楽しい初めて育児を、たくさんの人と共有できたらな、と思います。
2011.08.17
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朝、日本人男子を連れてクリニャンクールのマーケットに行った。盗品市から始まったと言われれるクリニャンクール。私はあまり気に入りませんでした・・・。広けりゃいいってもんじゃない。ガラクタが多すぎる。金もらってもいらんわ(--)ってものまで売っている。まぁパリに住みなれてて、どこに何の店があるってわかってる人には良いマーケットかも。連日の吹雪で私のスニーカーはよろしくない状態になっていて、新しいスニーカーを買おうと探したけれど、23、5センチというのは「小さすぎる」と言われるばかりで購入には至らず。適当におみやげ用にマグネットを買ったけれど、どこのどいつもまけろと言ってもまけてはくれなかった。まぁ購入する金額も小さいんだけど、複数買うときは1つくらいただでよこせよ、みたいな。けちなマーケットは嫌いです。あの価格交渉が楽しいのに。。。あ、でもワイン入れ用に購入したバックパックは2ユーロ負けさせた。私:「10ユーロね、はいはい。で、このサイズってワイン入るの?ワイン入れる為のリュックなのよ。」おじさん:「ワイン?ワイン入れるの????」私:「だからワイン入るサイズじゃないといらないよ。」おじさん:「ワイン・・・」私:「じゃあ、8ユーロね、いいでしょ?(入りそうやな、しめしめ)」ってな感じで。マーケットでぶらーりした後はホステルに戻りオルリー空港に向かった。入国時と違う空港だからちょっと早めに出た。もうこのときから死にかけだった。気力で歩くのがやっと。列車の確認するのがやっと。列車の中でベサメムーチョを歌う2人組に遭遇して、また彼等が意外と上手で、ラッキーやわー!!!と思ってもぐったり・・・(--)そしてこういうときに限って空港のカウンター奥にある荷運びベルトが故障。easyjetなだけに人は異様に増える、出発の時間はせまる、みんな大丈夫か?とざわつきだす・・・。そんな中、立つのがやっとの私。人に状況を尋ねる気力すらこのときはなく、ただ黙って立っているのがやっと・・・。そして出発時間になった頃、やっとカウンターが働きだした。さっさと飛行機に乗れと、免税店なんか見てる暇はないぞと・・・(--)まぁガンガン見てやろう!という元気はなかったけれど、ちょっとくらいのぞきたかったな。パリでは母子連れを結構見かけた。写真を撮り合っている母と子を見ると、どうしても一緒に撮ってあげたくなって、「写真撮りましょうか?」と申し出た。「いや、こんな大雪の中いいですよ・・・」とみんな一回は娘のほうが遠慮して、「いや、撮りますよ☆」と私が再度言うとお母さんのほうがノリノリになるというパターン。だって、せっかくの母子旅行だろうからね。一緒の写真があったほうがいいと思うんだ。フランスではたいした買い物をせずに終わった。セフォラでボビーブラウンのアイライナーを買った。これ、いい!フランスっぽいポストカードを買った。そうだ、ワインだ!ワインは1本100円くらいから数えきれない程たくさんの種類がスーパーや専門店に並んでた。これからスペインに行くことも考えると、荷物は増やしたくない。そう思った私は1本1000円程度のまぁスーパーにしては中くらいの値段のワインを1本だけ購入することにした。山ほどあった8ユーロくらいのワインの中から私が選んだワイン。・・・。妹の部屋に着いて分かったこと。それはサントリーかアサヒかが普通に輸入販売しているワインだった(--)あんなにいっぱいの中から、どうして、どうして(TT)ボトルデザインもスペインよりもフランスのほうが可愛かった気がします。結局このワインは妹宅においてきました。他にもお酒あったし。。。私は2日目~4日目に活用しようと、美術館の何日間かのフリーパスを買ったのだけど、あのフリーパス代金ほど活用できはしなかった。スペインに旅立つとき、「お前は今日からRISAOだ!」と交通パスと一緒に日本人男子に渡してきた。あーいうのって記念に持っとくべきだったかな?と今になっては思うけど、どうせそういうの整頓しない私だから、ちょっとでも有効活用してもらってよかったと思うことにしよう。今もお友達なわけだしね。まぁ、そんなこんなで私のパリは終わりました。
2005.04.19
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そうそう、そういえば1日目、ひとりでシャンゼリゼを夜12時前頃うろうろしていたら、フランス人じいさんが話し掛けてきた。何故かじいさんが話しながらずっとついてくる、というか向かう方向が一緒だったらしく、韓国経由で日本に行く予定があってどこに行ったらいいか?などという話をした。で今から一緒に目の前にあるレストランで夕食をどうか?と言われた。目の前のレストランは普通の高級そうなレストラン。普通に話してる分には別に恐ろしくはないが、うーん、それはどうかな・・・、とさすがの私も思ったので、ホステルの門限があるから帰る!と言い張り帰った。帰り際に「明日の夜8時にここにおいで、一緒に夕飯を食べよう、待ってるよ」と言われたが、翌日の夕飯は友人と食べた。本当に普通の善良なじいさんだったら悪いことしたなぁとちょっと心は痛んだけれど、旅先で何か危ないことに巻き込まれるよりはマシだし、だいたい夜の11時に普通のじいさんは歩いてませんよ、とマドリッドで出会った男の子に諭された。そういうこともあるんですよ。行く人、気をつけて。3日目のパリはとりあえず意気投合したらしい私、日本人男、アメリカ人2人でピカソに行くことにした。フランス語でいろいろ説明書きがあったけれど、フランス語もわからない、絵画に関しての知識もない私は一体誰が何なのかがわからない。多分ピカソ一家みたいなものがあるらしいんじゃないかと予想。私の絵に関するレベルなんてたかが知れているので、「めっちゃかわいいわ(>
2005.04.17
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パリ1日目リーズからパリへjet2で飛んだ。リーズはあいにくの雪模様。搭乗開始時刻30分遅れで乗せられたあげく、飛行機に乗せられたまま離陸を待つ事2時間(--)やっとこ着いたパリは吹雪いていた・・・。小さな通りの名はガイドブックには載せられていないことが多いが、今回はガイドブックで発見できたので、発見にそう苦労はしなかった。受付を済ませ部屋に到着すると荷物もなく誰もいなかった。ロンドンでの2段ベッド上段の経験をふまえ、とっとと下のベッドを確保!夜のパリの街へ一人で出かけてみた。まず凱旋門よね~と思いながら地下鉄で目的地を目指し、エスカレーターを上がるとそこには☆凱旋門☆が!!!吹雪く中霞がかったように光っているのが余計に幻想的に見えた。じゃあ次はエッフェル塔?エッフェル塔に向かう私。地下鉄の中で「エッフェル塔を見るなら~ていう駅で降りて広場から見た方がいいよ」みたいな会話を耳にするも、とりあえずエッフェル塔に一番近い駅を目指す。そこで降りるとまぁ、近いのは近いけど、でかいのはでかいけど、全体図がイマイチ。というわけで~っていう駅に行ってみた。(「~」と記しているのは、現在手もとにガイドブックがなく、覚えてないからです・・・。)え?どこなの?とふらっと歩いていると広場が、人が。そしてその先には輝くエッフェル塔が!!!普通のライトアップに加えて、たまーにものすごい勢いでチカチカ光っていた。うぉ~・・・と感動していると、ひょっこり韓国男子が「写真撮って下さい」と。用心の為に2枚撮ってあげると、撮ってあげるよ~との事なのでお願いした。納得行かないらしく何度も撮りなおしをしてくれて、結構いい感じの写真が撮れていた。しばらくぼーっとエッフェル塔を眺めていたが、「今日は夜景の日」というテーマに何となくなっていたので、「ライトアップがされている」というコンコルド広場を目指した。うん、確かにライトアップはされていて、道路に囲まれた広場はあったさ。しかし、人が・・・。人が広場にほとんどいないのだ。ほとんどいないというか、誰かいた・・・?これってちょっと危ないよねぇ・・・とさすがに思ったので、もう1度凱旋門に戻り、シャンゼリゼを歩いてみた。シャンゼリゼのお店はだいたい夜中12時くらいまで開いている。便利だ。。。シャンゼリゼにあるモノプリというスーパーでヨーグルトとプラスチックスプーンを購入しホステルに戻った。部屋に戻ると、「私的に」ちょっとトキメキな男の子がいた。お!日本人?!とちょっとうきうきしていると残念、フィリピン系アメリカ人だった。部屋にはバケーションでヨーロッパ旅行中の彼・彼の同僚、そしてインドからロンドンに留学しに来ていて、現在ホステルに滞在しながらフランス語の語学学校に通っているという若者がいた。アメリカ人2人はその日の夕飯をヨーグルトで済ませる私に大ウケし、何となく一緒に行動した数日間、ネタにされた(^^;)パリ2日目翌日、私は凱旋門に登ろうと思い行ってみたが、残念ながら昼過ぎからだとはり紙があった。ちなみにずーっと吹雪いていた。仕方ないし、じゃあルーブル行っとく?と思った私はとりあえずルーブルを目指す。残念ながら私は方向感覚がイマイチない。同じ所をぐるぐるしていても3周目くらいでやっと気が付くような人である。そう、そして同じところを3周したあたりで、部屋が同じのアメリカ人2人を見つけたのだ!「もう自分がどこに居て、どこを見たのかわからんわ~。一緒させて。」と一緒に回ってもらう、というか彼等について回ることにした。彼等も私と同じく「美術品を見るのは楽しいけど、そう大して学はないよ」と言う感じだったので似たようなペースで見て回れてよかった。「ブルーメン、ブルーメン」等言いながらずーっとビデオを撮り続ける私好みの彼は、確実に私のパリの旅を楽しくしてくれたと思う。彼がこの日覚えた日本語は「岩」。彼からみた石像は「岩」から出来ているらしく、「rock,rock」と石像に向かって連呼していた。私からする岩のイメージってゴツゴツって感じで、石像になってしまえば「石」から出来てる感じなんだけどな。そう、そういえばこの日の朝、ホステルの受付で日本人の男の子と会って、サクレクールに行ったんだった。で、夕飯一緒に食べる~?とルーブルで待ち合わせをしていた。アメリカ人2人に「ちょっと数分人待ってもらってもいい?でご飯一緒に行かん?」と誘って日本人を待つ。日本人、片隅で絵描きにつかまっている。あら、あの子アホなの・・・?と不安がよぎる。あとから話を聞くと、「ただでいいから描かせてくれ」と言われ、高額請求され、最後には数百円でいいからくれと言われたらしい。うん、まず描かせるなよ(--)でもとりあえず彼とは今はいいお友達なわけで。その日は何を食べたかな。忘れてしまったかも(>
2005.04.11
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あまりアクセサリーを身に付けない私。そんな私が最近ずーっと身に付けているのは、プラハで出会ったてんとうくんブレスレット。ヨーロッパはてんとう虫グッズが多いなぁと思ったけれど、プラハには異様に多かった気がします。「てんとう虫、何なん??」となーんとなく過ごしていたプラハでの数日間。最終日になって突然てんとうくんとの別れが悲しくなった私は、偶然出会ったブレスレットを買ったのでした。そして身に付けること数日。紅茶が好きなの☆と言っていた姉さんに紅茶を渡した後、「あーん、紅茶よりこっちの方がよかったー(>
2005.04.10
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レストラン編いっときますか。到着の日行ったのは、前にも書いたけど広場に面した場所にある、日本語メニューがあるレストラン。表にメニューが置いてあって、日本語のページもあったので入りました。夜遅かった(10時過ぎ)こともあり、この辺のメニューしか出せませんよ、とマーティンに言われました。まぁ値段は日本のよいファミレス並なので、チェコ物価からすると相当なものになるでしょう。でもそのお肉の大きいこと!そしておいしい!質がいい!マーティンの笑顔においしい料理、かなりの満足でしたが、妹は久々のステーキにさらに満足げでした。ソフトドリンクを頼んだのだけど、ちょっと高めだったかな?パリとマドリッドもそういう傾向にあった気がします。ビールとか頼んだら安かったのかな。あんまり確認してないから分からないけれど・・・。2日目はムシャ美術館に行き、妹の友お勧めのムシャレストランに行く予定でした。店の前まで行きましたが、客が0。え・・・、大丈夫なん・・・?多分多少値段がはるから人がいないんだろうということで、翌日にまわしました。そしてチェコ物価のレストランを探そう!と郊外へ向かい歩いているつもりでした。やっと入ったそのレストラン、実は駅の真ん前。郊外に向かって歩いていると思っていた私達姉妹。実はぐるっと回って結局観光地街に戻って来ていたのでした。表に金額表示のないレストラン。大丈夫だろうと入って見たところ、昨日のマーティンの店と同じくらいの値段。しかも味はマーティンの方が上。ちょっと残念でしたが、いい勉強になりました。そう、その日の昼だったかな?妹が「お休みしたいよー。小腹がすいたよー」といらつきモードの中、ケチな姉さんは妹の顔色を伺いつつも現地民のカフェを探していました。観光客向けのカフェはコーヒーが1杯300~400円。ケーキも400~500円。この国の物価からしてそれはありえないはず。。。地球の歩き方、ホステルでもらったパンフに載ってるカフェ、どこも同様に高い。ケーキとセットで予算1000円?それは厳しい(>
2005.03.25
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プラハで意外にも良かったのは人形劇。劇団四季やら何やらに「行きたい!」と言っては実際に行ってしまう妹とは正反対の私。まぁはっきり言えばケチに生きてきたので一瞬で終わるものにお金を使うのに抵抗がある。だからチケットの値段を聞いたとき、日本で見るよりは安いだろうけど、この国の物価水準で行くとめちゃくちゃ高いなぁというのが素直な感想だった。そして案の定、会場には日本人だらけ、観光客だらけ。今まで日本人に全く遭遇する事はなかったのに、あなた達は今までどこに?!そのだいごろう並のざん切り頭は一体どうしたの?!(多分イギリス留学中とかで現地美容師に切られたと思われる。)そして何故か私達姉妹もその人達と一体化したように、日本人15人程が座席に固まって座っていた。「隣の人、カメラ気合い入ってるなぁ、 うぉっ、デジカメに特別なレンズはめたよ、すごいすごい。 うわ、自分撮ってるよ・・・」等、いろいろチラ見で観察していたら、ガイドブックが韓国語だった。日本人にしては気合い入り過ぎだと思ったんだ。ちなみに観劇中はカメラOKのようで、彼女はバンバンフラッシュをたいていた。フラッシュはやめましょうね・・・。途中まではまぁ普通の人形劇だったけれど、後々かなりウケる展開になっていく。せっかくだからここでは秘密にしておきます。ケチに生きてきた私でも支払ってもいいねってくらいに楽しめたよって事だけお伝えしときます。翌日の夜も劇のようなものを見に行く予定だったが、何故か会場が閉まっていた。チケットは買ってなかったので良かったが、チケットを持っているらしき女の人2人が会場の前でうろうろしていて、「あなたたちも見るの?なんで閉まってるの?」と尋ねられ、あらら~と思った。この事はとてもとても残念で、しかも妹が劇が好きな事を知っている私は「あーもう、ちゃんと計画立ててあげとけばよかった(==)」と落ち込んだ。「そういえばケビンがプラハ城の夜景キレイって言ってたよ!」ふと思い出した私。妹と2人カレル橋に向かうも変な人がついて来ている・・・。妹がいち早く気付き、そいつをまこうと珍しく遅くまで開いているみやげもの屋に入った。そんな努力の甲斐むなしく、そいつは気持ち悪い事にカレル橋付近で私達に何か話し掛けた。何だったか忘れたけれど、とにかく橋の入り口で景色に見入るフリをして、そいつを先に行かせた。しかし!振り返って私達を見ている・・・。やっぱりアジアの人はカモなのかな。結果何事もなかったけれど、何故かいつも私達姉妹が道を通るときに限って人通りは少なかった。プラハ城の夜景はきれいだったけれど、連日雪だったこともあって霞がかったようになっていた。まぁ見たという事実が大事なんじゃないの?と思うので良いとしよう。次はレストラン編とおみやげ編をかかなくちゃいけないような気がします。アフタヌーンティーに売ってるの発見してショックだったけどねぇ(--)
2005.03.24
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プラハに居たそのときはいろいろ覚えていたのだけれど、あまりに寒かったせいかかなり記憶が薄れてきている・・・。ということで、思い出すがままに書くことにする。有名な時計台。古い仕掛け時計らしい。どうせなら広場に面する方向にあればいいのに、広場から伸びる通りに向かって仕掛けはある。仕掛けはかなりの短時間、そして素朴。歴史があるんだねぇという感じ。しかしあまりの素朴さにパタンと終了した途端にざわめきが・・・。「That's it?!」おばちゃんが口々に言う。うん、終わりみたいよ。。。。素朴で素敵だったけど、「うぉ~」感では新天町の勝ち。。。読めないチェコ語を「だいたい文字どおりらしいよ」と妹がマックで注文にチャレンジ。上にソフトクリームがのったコーヒー。これ最高においしい!私のコーラ(おそらくM)は異様にでかかった。スモールサイズでよかった。。。そしてマックでトイレへ。案内の方向に沿って行くと一度外に出た。そして入り口に男の人が座っている、本を読みながら・・・。そう、チップを渡さないといけないらしい。そしてチケットをもらう。別に彼に支払った後にどっかにチケットを見せるとかそういう必要はないのでチケットの必要性に疑問を感じるけれどもまぁよい記念?国立博物館にも行った。始めは知らない人の胸像だらけで「へぇ、で誰なの?名前見ても知らんな」って言う感じで見ていた。途中石だらけになって、はじめは「あー、教科書で見たよねぇ」等言っていたけれども、あまりの同じような石の多さに、宝石系以外はかなりの早足で通り過ぎ出す「元地学選択者」の姉妹。ボールと棒で石の成分の結びつきを表している模型図を「何の石?」と妹に尋ねる姉(私)。そう、勉強したよね、あの模型、化学とかで。。。途中売店できれいな小石が安くてたくさん売っていて、あとからどっかで買えるだろうと思ったけれど、そんなくだらないおみやげは他の場所にはなかった。買っておけばよかった・・・。何のために?えっと、ガラクタを増やすために(--;;)世界中の動物のはく製も大量にあった。ちょっとくさかったとこもある。でも見たことのない動物がたくさんで、何なのこれ?あれ、やばくない?子供やん、可哀相やん・・・と意外にもかなり楽しめた場所だった。プラハ城。城の中におみやげもの屋さん通り(チケット要)がある商売上手な城。衛兵さんの交代はバッキンガムを想像してはいけない。素朴。そう、この国は観光客を相手に成り立っているように見える割に素朴な国なのだ。門の両脇に2人の衛兵さんがいる。顔評価、左いまいち、右まぁまぁ。みなさん素直ですね。右の人のばかり撮って、あらあら、衛兵さんのボックスの隣に行ってまで撮ってますよ・・・。左の人、どういう気持ちでしょうね?そんな感じで門の前で交代を待つ。ここで私は幸運にも3人のただぶらっと歩いている衛兵さんと妹が並んだ写真を撮る事に成功。左から仲良く兵隊(カメラ目線)、兵隊、妹(カメラ目線)、兵隊。そう、実は妹は彼等よりちょこっと前に立っていて、偶然にもとれた写真。おそらくこの1ヶ月の中でのベストショットはこれ!衛兵のパレードが行われ、休みに入る衛兵さんは列をなして門をくぐっていく。その後ろを私達も着いて行く。そう、それが許される(笑)門の中の方で道のまん中を開けて衛兵さんの列を待っている観光客は、衛兵さんと観光客の不思議な列を見る事になった。私のプラハ城での思い出はかなり薄れつつあり、みやげ物屋さんの通りでやたらすべって危なかったこと、一度知らない人に支えてもらったこと、物価が安いと言いながら意外と取るのねと思った事くらいか。。。でも、お金があったらバンバン買いたいわというくらいに可愛いかった。とにかく妹の住む地リーズの寒さにも死にかけていたのに、この吹雪。しかも城到着までに結構な坂道を登るのだ。記憶が飛んでも仕方あるまい・・・(--)途中にあった有名なカレル橋。せいぜい3つ先の像がなんとか見える程度の吹雪なので、城なんてほとんど見えない。いるはずの大道芸人なんていなかったし、出店も3件くらいなものだった。もちろん有名な像は手袋を外して触ったけれども、手を伸ばし触ろうと頑張ると同時に、みんなが踏み固めてツルツルになった足場(しかも軽く坂)にも注意しなければ危険だった。全くプラハは春ではなかった。つづく。
2005.03.20
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日本にいるとチェコに旅行だなんてあまり聞かない話だけれど、イギリスからだととにかくあの辺はどこに行くにも近い。妹がお膳立てしてくれ、二人でプラハへと旅立った。リーズ空港のカウンターで手荷物を見せろと言われているのがよく理解できず、こういうこと?と思いながらお尻をプリっと回して荷物を見せたこと、肩掛けのカバンなんだから荷物だけ回しなさいよと今となっては思ったりする。プラハにつくともう暗くて、チェコ語だらけの案内にちょっとビビりながらバス停へ。バス停から空港を振り返るとそこには「PRAHA」の文字が!!あなたは「PRAGUE」ではないのね?!日本語は正しいのね?!と、とりあえず記念撮影、バス停でね。撮影後、わらわらとバス停に人が増えて来るのを見て、早めに撮っといて良かったね、等話しながらバスに乗る。バスアナウンスはチェコ語のみ。ドキドキしながら降りるバス停を探し、地下鉄へ。そこのエスカレーター、いつか事故起こるよね、人死ぬよね?という長さ。福岡で一番長いエスカレーターは三越かな。その5倍以上はあったように思う。そんなに高所恐怖症じゃない私も危機を感じ、両手で手すりを持ち横のりエスカレーター☆ここでタイムリーにもスポーツ報知さんの記事発見「CMは2月中旬にチェコの首都プラハで撮影した。栗山が歩くシーンは、プラハにある地下鉄駅の全長約86メートルのエスカレーターを使用。」だろー?うっかりさんは死ぬだろー?地下鉄を降り、なんとかホステルに辿り着く。ホステルは通常1つの建物ではないことが多い。ビルの中の一角。螺旋階段を上がって扉を叩くが返事がない。受付が鍵しめて帰ったのか・・・。困ったね、どうしようか、と妹と話しているといきなり電気が消えて真っ暗に!!!地球の歩き方を読んだ人は分かるが、後ろの方に「お父さんが物取りに囲まれて・・・」という体験談があった。私の頭には「やばい!これはきっと物取りが電気を消して襲いに来るに違いない(>
2005.03.18
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帰ってきました。やっとこさ。到着から帰国までアホな私が丸出しな旅行だった気が・・・。香港空港到着後、カードをもらい損ねた私は降りてすぐの近場の係員に尋ねた。するとハイハイと乗り継ぎカウンターの中まで連れて行かれてしまった。。。「違うの!街に出たいの!」そう言うと「本気なの?帰ってこれるの?」と不思議な事を尋ねる若人。帰ってくるさ、目的地はここじゃないからな。「君、狂ってるなぁ」と言われながらもバイバーイと出国。しかし、あんなに念入りに下調べをして計画していたのにやっぱり迷子になり、観光客のいない大学のそばまで迷い込み、信号待ちでは大学生にまざり、街に戻ったときにはもうあたりは暗く、祖父の死後、引きこもりがちだった私の足はパンパンにむくんで疲れていた。さあ、空港戻るか?!以上、中心地の外周をぐるっと一周して香港終了。。。そしていざ、イギリス入国。過去2度、「あんた何しに入国すんのよ?日本のどこに住んでるの?なんて言う大学に通ってるの?何を学んでるの?お父さんは何してる人なの?」とどうせ聞いたって知らんだろーと思いながら答えつつ、嫌な思い出があった入国審査。今回はよいお兄さんを選んでみた。よかった。イギリス到着からコーチの出発時間まで2時間半。スーツケースを受け取る前にトイレに行かなかった私は馬鹿だった。朝の6時過ぎ、何故か地下鉄の駅まで歩いてきてしまった私(多分バスターミナルを目指したと思われる)。空港利用者しかいない駅でとりあえずスーツケースに座って時間を潰す私。トイレに行きたい私・・・。イギリスポンドを持たないで来たため札しか引き出せず、妹に連絡を取れないでいる私・・・。1時間程経った頃、駅内のインターネットカフェが開いたので、「インターネットを利用したいの。あと紅茶ももらえる?で、トイレ行くからちょっと荷物預かっててもらっていい?」「いや、それはちょっと・・・」「ほんと、すぐ戻るから!」トイレへの階段を駆け上がり、そしてかけ降り、「何で私、こんなとこでこんな朝からネットしてるんやろ、紅茶でかいわ、飲みきれんわ!」と思っているとコーチ出発の時間。しかし何か様子がおかしい。どうやら私が乗るべき場所はもっと空港に近い場所だったらしい。えらい地下道歩いたと思ったわぁ。途中渋滞に巻き込まれ、かなりの遅れをとりつつも休憩を取らなくてはいけない運転手。休憩の度に「あと○時間で到着します」といいながら、彼の予告が当たることはなかった。最後に「こんなに遅れたのは13年の運転経験の中で3度ありました」と意味のわからない言い分けをする運転手。いいよ、わかったよ、後ろで騒いでるアホガキ達は飛行機に乗り遅れるみたいだけどね。仕事とはいえ9時間の運転ご苦労様、ありがとうだよ・・・。到着まぎわにコーチの中から妹の後ろ姿を見たはずだったのに、駅を探しても妹はいなかった。そう、きれいにすれ違い☆そして迎えに来た妹は失礼ながらでかかった。夕食は妹のお友達と中華を食べに行った。この中華料理屋さんは何故か私のイギリス最初と最後の食事の場所になった。
2005.03.17
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