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そこには偏見、悪意、理解しようともせずに誹謗排除する…そんな言葉も溢れてました。
…運転手がてんかんの診断を受けてまだたった4年くらいだと知っている人は
殆どいなかった…少なくともそこにそういう文は載っていなかった。
たまたま自分の近くで起きたてんかんの大発作を見て、
「あんなのに車運転させるなんて、ダメダメダメ、絶対ダメー!」と叫ぶ人。
…大発作がまだ起きる人に免許を許可する法律 ではない
ことを 知らない
のです。
ルーちもやってみて分かったけど、法律…めちゃくちゃ探しにくいし。
そもそもてんかんというと大発作の存在しか 知らない
人が多い。
多くの人にとっててんかんは患者にとってと同様、 謎の病気
なのです。
ルーちのように患者でもない限り、なかなか自分の時間を削って
多くの情報を集めようという気にはならないのも無理ないでしょう…
でも、ルーちも同意できる言葉もあったんだよ。
かたや、てんかん患者の集まるところでもこういう事故の話が詳しく集められ、
討論されているところがなかなか見つからない。
それどころか、自分の子供のことを気が狂うほど心配しつつ、
「可哀想だから、免許を取るまでは医者にも発作の事を言わずに置こうと思うのですが…」
という親。
こちらも 知らない
のです。
それでどんな事故が起こり、どういう結末が生まれているのか。
そういう事故が起こるたび、てんかん患者が何と言われているのかも 知らない
。
そして、子供さんの命が大事なら、他人様の命が大事なら、発作が治まらないのに
車に乗るとか、医師に言わないなんてやめるべきだとたしなめる大勢の患者。
その存在も一般には 知られていない
。
意識のない人間が暴走させる車に対するてんかんではない人の恐怖。
てんかん患者の認識がなぜ甘めになるのか、その実感的理由。
患者に病の存在そのものを隠す医師や家族の存在。
そんな事が お互いに知られていなさすぎる
。
このギャップをそのままにしておく事に、ルーちはものすごい危険を感じるんだよ…
渡らねばならない川はあまりにも幅が広い…
対岸でそれぞれがのびのびと、「クソ」だの「偏見だ!」だの陰口たたいていても進展がない。
ならば、いきなり一方が「こっちの岸まで来てくれー!」というより、
向こうの岸に出かけていって相手を船に乗せ、共に中州で話し合う方が
話が始めやすいのでは?とルーちは思う。
反吐が出そうな偏見や悪意が跳梁跋扈するところへ行って傷つきたくはない。
他にもてんかん患者の事故があったなんて、わざわざ探したくもないだろう…
でも、患者がきちんとそんな現実を見つめなければ、
自分に関係ないと思っている人との溝はいつまでたっても埋まらない。
どこが誤解されているのか、どこが無理からぬ思いなのか…
事故を冷静に説明、批判できるようなものを内に蓄え、
てんかんを知らない人への気遣いを持つ患者として、個人として、社会に参加したい。
ルーちはそう思う。
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