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2013.08.30
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2013.08.29
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2013.08.27
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2013.08.13
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2013.08.12
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2013.02.21
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2013.02.20
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2013.01.18
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2013.01.17
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2013.01.16
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2012.08.17
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2012.08.16
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2012.08.15
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2012.08.14
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2012.08.13
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2011.09.06
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2011.09.05
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ものすごいご無沙汰になってしまいました。仕事上、毎日毎日、企画書を書きますが、プレゼンテーションがうまくいく(つまり企画書に書いてあることが相手にうまく伝わる)たびに思うことがあります。それはコトバのチカラです。私がやっていることは、ひらがなや漢字を組み合わせてコトバをつづっているだけ。映画を作っているわけでもないですし、工場があって何かを作っているわけでもありません。ただパソコンに向かってコトバをつづっているだけです。でも、人のアタマは、映像でもなく、モノでもなく、そんなコトバに左右される。コトバはカタチもなければ、手で触れるわけでもないのに人のアタマは、コトバを理解しようとして想像もするし、創造もして、感動を巻き起こしたり、納得を生み出したりするのです。これ、企画書を書くときのコツにもなるんです。企画書に書くコトバをわざと人の創造力を掻き立てるコトバにするのです。言いたいことを全部書くのが良い企画書ではありません。言いたいことのエッセンスを探して探して突き詰めて、そしてシンプルなコトバでそれをドンと書くのです。すると読む方は、そのシンプルなコトバからいろいろな想像・創造が膨らみ、結局、こちらが言いたいことの全体像を感じてくれます。しかも、自分の創造力を使った分、印象強く感じてくれるのです。スゴイですよね、コトバのチカラ。
2006.05.21
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ヒットしても、あたかもブームだったかのごとくすぐ売れなくなる日本の資本主義。100年売れ続けるビジョンは立てられないものなのでしょうか?たとえば東京タワー。当時は経済成長の象徴だったのだろうけど、今は、そんなココロの支えにもなっていません。ふもとには水族館がありますが、もしかしたら当時はすごい人気だったかもしれない。当時の水族館といえばスゴかったのかもしれないですが、平成の世の中では陳腐化するとは、その当時では予測できなかったことでしょう。本当に長い間価値を発揮し続けるビジョンはムズカシイものです。
2006.01.24
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世の中にインパクトある出来事が起こると、それまでの社会的なルールが変わります。例えば、産業革命。人間にとって便利なはずの機械が、労働者という人間を排除しました。そこから時代は一斉に効率化へ走る。効率化は合理性を求め、それまでの社会的な秩序を壊しました。ゆるく繋がっていた共同体はなくなり、地位や身分に変わって、契約がヒトを縛ります。昨今、情報革命が起こりました。社会のルールが変わります。経験のある年長者から未熟な年少者に情報が流れる「タテ」の動きがなくなり、情報は「ヨコ」へどこまでも一斉に広がります。個人主義は行き過ぎ、個人はとうとう自分自身にこもります。効率化を求め、モノが溢れれば幸せだった時代は終ったのです。さあ、新しいルールを見つけないと!時代は待ってくれません。
2005.12.30
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最近、村上ファンドだの、ライブドアだの、そして、このブログを展開している楽天だの、株によって会社の枠組みを変えていく話をよく聞きますよね。あぁ、時代は変わったな、と思いますよね。そうです。変わったんです。この動きをあまり自分に関係ないように思っているとマーケティングはできません。どうです、みなさん。時代は変わったと思うけど、自分の今日の買物、食事、あらゆる消費行動が変わったと思います?クールビズが流行ったのも、スローフードがブームになったのも、寒天が売れるのも、全部、村上ファンドや楽天が頑張っているのと結びつきます。こうした大きな目、俯瞰した視点でマーケティングしないと、小手先のマーケティング、今だけ売れりゃいいや的なマーケティングになっちゃいますもんね。
2005.12.03
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夫婦喧嘩をしますか?夫婦喧嘩をしたとき、それをどうやって収拾しますか?特に、会社で働いている男性に問いたいです。どうやって収拾しますか?それはロジカルに説明することではないはずです。論理的に正しいかどうかが、喧嘩を収めるツボではありません。もっと感情的、ヒトとして本質的、ココロがこもっているかどうか、ココロが動かされるかどうか、だったりします。市場もそうです。ある商品を売ろうとすると、すごくロジカルに、いわゆるマーケティングを振りかざしますが、それでモノが売れるかというとそうでもありません。それで売れるならば、世の中ヒット商品だらけです。もっとヒトの本質に迫らないと!今日やった夫婦喧嘩もマーケティングに役立つのですよ。マーケティングの本を読むよりも。
2005.12.03
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勝ち組と負け組。みんな勝ち組になりたくて、いろんな努力をします。またニートやひきこもりは、努力しても勝ち組にはなれない、というあきらめ、希望を捨てることで起こっている現象だと言われています。しかしこれらは資本主義社会、貨幣経済というものを大前提にしていませんか?今のようなマーケットはアダム・スミス以降の数百年の話です。それまでの日本は贈与の文化で、いただくものに見合った物品(自分の家業で生産されるもの)を贈与することで経済が成り立っていたわけです。たとえば、寺子屋でモノゴトを習うためのお支払いとして、八百屋が野菜を持ってくる、こんな感じです。そんな社会では今みたいは勝ち組、負け組はありません。彼らの関心事は、野菜がちゃんとできるように天気を気にすることだったり、寺子屋で教わる和算術だったり、儒学だったりするわけです。今より、生きることに近い領域に関心があり、株で儲かっただの、IT進化に追いつけないだの、そんな資本主義を成立させるための表層的な現象とは、まったくレベルの違う関心の持ちようでした。(もちろん、その時代にはその時代の悩みもあったとは思いますが)ところで、今の日本は、どうやったらこの閉塞感から抜け出せるのでしょうか?今、考え始めたあなた!資本主義を前提にモノゴトを考え始めませんでしたか?
2005.11.17
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ターゲット分析をするために、よく調査をします。例えば、ターゲットが高校生ならば、高校生にアンケートをとったり、グループインタビューをかけたりするわけです。でもそうした分析は、大人(客観的な第三者)が子供(ターゲットである高校生)を分析するという構図。これはどんなターゲットであっても、そう。ターゲットと別の第三者的立場の分析者がいて、その第三者が分析を行うというもの。本当にそれでいいのでしょうか?私は最近、「ターゲットになる」ことを心がけています。例えば高校生がターゲットならば、自分が高校生だった頃の思い出をポストイットに書き出すんです。大量に。尽きるまで。そうすると、分析する前に自分が第三者ではなく、当事者になれるんです。分析というより、共感とか、反感とか、対抗心などといった感覚でターゲットを見ることができるんです。圧倒的に深い分析ができます。
2005.10.29
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ブランドコンセプトづくりに関わっています。ブランドコンセプトを紙の上できれいに作ろうとしている人があまりにも多い。誰のためのブランドなのでしょう?誰のためのコンセプトなのでしょう?ブランドコンセプトの紙を見て「いい仕事をしたね!」と社長に言わせるために仕事をしているわけではありません。そもそも社長のため(視点がインナーに向いている、内向き)だとブランドどころの話ではありません。
2005.10.12
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前回のブログの続きです。広告の大きな役割は2つ。一つが前回お話した「新しい認識を作る力」です。もう一つは、「差を差で見せる」です。どういうことか。今、日本は資本主義で生活しています。資本主義は資本によって設備を揃え、モノを大量に効率的に作り上げ、それまでには考えられなかった安い価格でモノを提供します。販売した利益で従業員は給料をもらい、その給料で他のヒトが作ったモノを買うわけです。これでモノがどんどん開発されて、ヒトはどんどん給料をもらえて、未曾有の豊かな経済社会が訪れたわけです。しかし、モノには限界が来ました。正確に言うと技術革新が止まったわけではないので限界は来ていないのですが、モノをどんどん作ればどんどん売れるという状況には終りが来ました。資本主義は、いかに資本を有効に使ってモノを効率的に作るのか、という原理なわけですが、結果、誰が作っても同じようなモノばかりになってしまったわけです。こうなるとむしろ資本を使わず家内手工業で作っているようなモノの方がありがたく感じてしまったりするわけです。モノは、他のモノにない「差」がないと売れなくなってきたのです。なので、広告は「差」を見せることがその役割になりました。しかし、その「差」も普通に広告にすると「差」に見えないのです。広告もあふれる現代では、モノに差がなくなったように広告にも差がないのです。テレビを見ていて、そこに流れる広告に差を感じないのです。なので、見ていても広告を覚えないのです。差を感じないので。みなさん、今日見た広告覚えていますか?結局、広告自体も「差」が必要になってきました。何百メートルもあるポスターとか、本物の商品が張り付いたポスターとか(分かりやすい例でポスターばかりになってしまいました)。つまり、差を差で見せる、こととなったわけです。
2005.10.04
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広告が世の中に果たす役目、それは2つあります。今日はそのうちひとつだけ書きます。結論から言うと、新しい認識を作るチカラです。カッコよく言うとソリューション。たとえば「金曜日は手巻きの日」と広告する。そうすると、それまでとこれからと何も変わらないのに、別に家にストックされている海苔が急においしくなったり、すし用のお酢が急に香り豊かになったりするわけではないのに、手巻きをする家庭が増えるのです。何が変わったか。ヒトの認識です。モノは何も変わっていないのに、ヒトの頭の中にある認識という誰も触ることのできないフィルターが広告によって変わったのです。広告はこうして誰もが持っているフィルターをモノを使わずして変える力を持っているのです。そうして世の中へ新しい価値を吹き込むのです。これが広告の一つ目の役割。
2005.09.30
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例えば、奥さんからもらったものをいくつでも挙げてください。ネクタイ、かばん、財布、靴、ジャケット、こども、愛、温かみ、家庭・・・いろいろ挙がると思います。でも、こんなのは挙がりましたか?鶏の唐揚げ、アイロンのかかったハンカチ、靴磨き、トイレ掃除・・・ヒトは気づかないうちに、思考の幅を狭めています。「もらう」というコトバに勝手に「買ってもらう」という解釈を加えてしまっています。企業に勤めている方、もしこのブログを読んでくださったなら考えてください。あなたが狙っているターゲット、思考の幅を広げて考えていますか?あなたの商品のコンセプト、思考の幅を広げて考えていますか?競合がこういう商品を出したから、自分たちはこういう商品を出そう!こういう考えはもちろん思考の幅が狭い考え方です。固定概念を取り去る。難しいことですが、これができるヒト、企業が次の時代を創ることになります。
2005.09.28
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最近思うんです。人の思考を活発にすることに貢献しなければならないのでは?と。資本主義で経済は発展し、モノはあふれ、幸せになりました。でも考えることが減りました。テレビを見ていたら考えないし、広告を見ていても何も考えない。雑誌はちょっと考えるかも。映画もちょっと考える。新聞も考える。でも昔はテレビも広告もないわけですから、かえるが池に飛び込めば、俳句を読むし、季節を感じて服を変えるし、お腹のすき具合で献立を考えたわけです。これからの産業は、人間を幸せにする=楽させる、ばかりではなく、人間が考えるチャンスをより多く与えてあげる必要があるのではないでしょうか?そして、そういう企業こそいい企業!と思える新しい価値観が必要なのではないでしょうか?
2005.09.27
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お昼の12時なると、あっランチを食べなくちゃ、と思ってみなさんご飯を食べに行きますよね。なので、ランチはお店がめちゃめちゃ混みます。ランチの時間帯というのもあって、12時前後の数時間です。お弁当を持っていて時間から自由でも、やっぱり12時から食べ始めます。これってスゴイ思い込みですよね。動物は、食べられるときに食べます。朝でも、昼でも、夜でも。食べたいときに食べます。時間の概念はありません。人間だって本来は動物です。食べたいときに食べればいいのです。でも、生まれてすぐ刷り込まれます。ご飯は、朝、昼、晩だって。すごい刷り込みです。本当はもっとスゴイ刷り込みがあります。例えば、時間。本来人間は、月の満ち欠けや太陽の位置で時間という「感覚」を体感していたのに、1日は24時間という数字に置き換えちゃったわけです。1時間という単位は、人間の鼓動のリズムにも、眠る周期にも、お腹がすく周期にも一致していません。もし、人間を尺度にして時が刻まれるならば、1鼓動、2鼓動、3鼓動と数えてもいいわけです。或いは、1睡眠、2睡眠とか。それを無味乾燥な、1、2、3、でカウントしていく。で、それを当たり前と思って受け入れている。すごい刷り込みですよね・・・。
2005.09.21
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今、世の中は「モノを買うことが生きること」という時代になっていると思います。昔は違いました。「稲を育てることが生きること」「魚をタダで捕ることが生きること」食べることなど、いわゆる「生の営み」が生きることでした。でも、今は違います。生きるためにはお金です。資本主義ですから。自分で食べ物を生み出さなくてもお金があれば解決するのです。資本主義ですから。モノを買うと、経済が豊かになり、自分の会社にもお金がめぐり、自分も給料を受け取ることができる。そうすると食べ物も買えるのです。資本主義は、「生の営み」を直接行わなくてもモノを買う行為を一生懸命にし、会社ではモノを作っていれば生きていられるのです。人間本来の何かが奪われています。いいのでしょうか?
2005.09.20
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私が最近、ココロが動かされた、もっとはっきり言うとその商品を買ってみたい!と思ったのは、アップルジャパンの社長の話を聞いたときにアップルのパソコンを買いたい!というできごとでした。みなさんはどうですか?私がここで言いたいのは、人のココロが動く瞬間は、もはや従来の広告ではない、ということです。つまりTV広告を見て、ココロが動いたことが最近ありますか?新聞広告を見て、ココロが動いたことが最近ありますか?チラシを見て、ん~これはあるかもしれない。交通広告、ラジオ・・・人のココロが動く瞬間は時代によって変わります。それに合わせて広告、情報の出し方を変えなければなりません。そのときに一番役に立つのは、自分の感覚・経験です。最近、あなたは何にココロを動かされましたか?
2005.09.15
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前回、これからのブランドは「プロセス」が大切だ、という話をしました。そして「プロセス」にこだわることこそ、日本人ならではの気質なのだ、とも。今回は、なぜ「プロセス」にこだわることが、日本人ならではなのか、をお話します。日本人は農耕民族です。土地の生産性をあげることに一生懸命でした。なので、島国なのに海運技術などが全く発達しなかったと言われています。そんな内向きの日本人が発達するチャンスとは何だったのでしょう?それは大陸です。大陸から学習することにありました。陶器の作り方、蒸留酒の造り方、ひいては文字まで。どれもスゴイのが、日本人は大陸から勉強したものをそのままではなく、必ず日本人向けにアレンジしているところです。文字なんて、漢字からひらがな、カタカナまで作り、読み方も音と訓があります。こんな複雑な言語体系って、他の国にあるのでしょうか?蒸留酒だって南から鹿児島に伝わり、鹿児島でよく採れたサツマイモを利用して、焼酎を造ります。今や焼酎はりっぱな日本のお酒です。カステラもそうです。カステラは鎖国時代にポルトガルから伝わりました。オーブンという技術が日本にはなかったにも関わらず、引き釜という発明をして、もはやカステラは日本の伝統的なお菓子となっています。そうです、日本人は完璧なアウトプットを作ることをゴールとせず、いろいろな要素を混ぜながら、オリジナルのプロセスを作ることを得意としているのです。もし、完璧なアウトプットを志向していたならば、今頃我々は中国語の漢字を見事に操っていたかもしれません・・・。でも、歴史的に単に模倣するだけのときがありました。それが、近代西洋化、資本主義の受け入れです。産業革命以降の、機会によって商品を作り、目指すは効率化、高い品質と安い価格。これをすんなりと受け入れ、邁進したのです。しかも、作る商品もそのまま受け入れた。例えば、クルマやビール。クルマ文化はもともと日本にはありません。元は西洋の馬車文化です。ビール文化も日本にはありません。日本にあるのは清酒文化です。ですが、日本人は資本主義に則って、高品質の商品を作り続けました。やがて、日本の製品は高クオリティなのに低価格、ということで世界を席捲していきますが、「ブランド」という壁にぶち当たります。大量に作った日本の高品質な商品を横目に、少量生産のヨーロッパの「ブランド品」が売れていくわけです。しかし、それがやっと再度ひっくり返るときが来ました。日本人は、やはり単にアウトプットの完成度を求めていただけではないのです。ひらがなやカタカナを生み出す努力をしていたのです。日本人らしい、いろんな要素を取り込んで、日本に合ったものを創り上げるプロセスを構築していたのです。それが最近のトヨタに見られる、トヨタブランドの世界ブランド化、です。私にはそう見えます。これからの「ブランド」。それは「高品質」にこだわるだけでもない、「意志」を持つことだけでもない、その「プロセス」にオリジナリティがないとダメなのではないでしょうか?いわゆる日本人が得意とする「道(どう)」というヤツです。
2005.09.14
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前回、これからの「ブランド」は今までのブランドとはちょっと違うかも?という話を書きました。今までのブランドとは、「意志」が必要である、というものでした。では、これからのブランドは何が必要なのでしょう??私は「プロセス」だと思うのです。今までブランドにしても、ブランドになりきれていない商品にしても、こだわっていたのはアウトプット、つまりハードとしての商品でした。それは商品を入手することの対価として貨幣を払うという関係が成立しているからです。大切なお金を使うのは、手にすることができるハードを自分のものにするためです。だから、消費者もメーカーもハードに目が行きます。でも、これからは違う気がします。そう思い始めたのは、トヨタが世界ブランドになろうとしていることがきっかけでした。トヨタは良いクルマを作っています。世界に向けて良いクルマを作っています。壊れない。価格も安い。燃費もいい。環境にもやさしい。こうした素晴しいアウトプットが生まれたのは、ハードにこだわったからでしょうか?そうかもしれません。(トヨタの社員の方、どうですか?)でも私には「プロセス」を大事にする文化があるからだと思うのですが、どうでしょう?トヨタのことを語るときに外せないのが「カンバン方式」です。プロセスです。また良く書店で見られるのが「トヨタの人事制度」の書籍。これも一種のプロセスです。私も何かの本で読みました、トヨタが強いのは「横展開」という文化があるからだ、と。横展開、つまり自分が「カイゼン」した「プロセス」を他のラインにも「横に展開」するのです。この「横展開」自体、プロセスです。この結果、トヨタのクルマは良いクルマができているのです。ベンツみたいに高級で安全なクルマ(アウトプット)にこだわってきたわけでも、BMWみたいに「人生を駆け抜ける人のために」クルマ(アウトプット)をつくってきたわけでもありません。ただ職人として、自分の働き方(プロセス)にこだわりをもって働いてきました。私は、そう思います。そして、私は、この働き方にこだわりを持つ、ということが極めて日本人らしいと思うのです。(続く)
2005.09.13
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「ブランド」と言うと、どんなものを思い浮かべますか?ソニー、ホンダ、マイクロソフト、コカコーラ、ルイヴィトン、ハーレーダビットソン、トヨタ、P&G、アップル、エルメス、キャンベル、スターバックス・・・ブランドとそれ以外の商品との間に、どんな違いがあるのか?それは今までこんな議論がされていました。違いは「意志」だと。これだけ資本主義が発達した現代です。品質やクオリティに大きな違いはありません。(もちろんブランドとなるには高品質は前提です。)高品質になればなるほど良いですが、それだけでブランドになれるとは限りません。そこには「意志」が必要です。何のために、こんなに品質を高めることに執念を燃やすのか?その「意志」が必要なのです。ただ単に競合よりもいい商品を作って儲かりたいから、ではブランドになれません。そういう商品は品質がよくても、ココロに刺さってくるものがないのです。お店の棚に並んでいて、光を放たないのです。BMWは「人生を駆け抜ける人のために」という意志があります。ナイキは「頂点を目指すアスリートのために」という意志があります。その意志を、全従業員が肝に銘じ働いているのです。だから商品からオーラが出ます。単にクオリティが高いだけではないオーラが。職人の魂や誇りのようなものを感じられるオーラが。と、ここまでは良くあるブランド論です。ですが、これからのブランドはちょっと違うのでは?と思うのです・・・。(続く。 ちなみに先日、ブランドはインターフェイスにもこだわるべき、という話を書きましたが、それとはまた違う論を展開します。)
2005.09.12
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広告をやればモノが売れる。もちろんそんなことはありません。もしそうだったら、毎日流れている何種類ものテレビコマーシャルの商品がすべてヒット商品になることになります。でも、実際に広告を出稿するとなるとモノスゴイお金がかかります。特にテレビになるとそうです。それなのに広告をやっても売れないかも、となると穏やかではありません。商品はいろんな理由で売れます。技術、デザイン、企業イメージ、ヒトの評価、広告・・・そう、広告は売れるためのほんの一部なのです。商品によって広告の果たす役割の大きさが変わってきます。100円で買えるような商品は広告の役割が大きいです。家やガソリンスタンド、クルマなどは役割が小さいです。いや~、モノを売るのはタイヘンです。
2005.09.03
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ブランドを作るにはこだわりが必要だと言われます。そしてそのこだわりは大抵、技術に現れます。クルマだったらエンジン性能、シューズだったら接地技術、テレビだったら画質技術、などなど。メーカーです。そりゃそうです。モノ(ハード)を作っているのですから。しかし、生活者から見るとどうでしょう?ハードにこだわってもらって幸せでしょうか?エンジン性能が分かるほどクルマの乗り心地の違いを感じられるでしょうか?陸上選手ならまだしも、こっちのシューズ方が早く走れるという人はいるのでしょうか?テレビの画質、色調などを意識しながら番組を見る人がいるのでしょうか?もしかして、こだわるところを履き違えているのでは??人が幸せを感じるのは、そのブランドとの接点、つまりインターフェイスなのではないでしょうか?クルマはエンジン性能よりもよっぽど乗ったときのシートの感じとか、ドアの閉まり方とか、インパネのデザインとか、外観とか、そういったものが気に入った方が幸せを感じるのではないでしょうか?テレビは画質よりも、薄さやデザイン、リモコンの操作性などのほうが気に入る気に入らないを分けていないでしょうか?インターフェイスこそ、生活者が感じるもの。これはちょっとした目ウロコです。マーケティングやビジネスに関係なく、ヒトの普遍な心理です。メーカーはもっとインターフェイスにこだわってもいいのではないでしょうか?それに早くから気づいているメーカーですぐ思い出すものが一つあります。アップルです。
2005.08.25
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最近、3年後の自分のあるべき姿が頭に浮かびます。前は「10年構想」というものを持っていて、10年後の自分を描いていましたが、ちょっと先なので、日常的に頭に浮かぶものではありませんでした。その10年も過ぎ去り、「10年構想」の多くを実現し、今は、3年先が頭に浮かびます。3年先は、あっという間です。なので、自分で自分を駆り立てることができます。これが気持ちいいですね。今日やらなけらばと朝思ったことを、きちんとその日に達成していく自分。もし、3年後の目標が見えていなかったら気が緩んでいたかもしれません。今日は、複雑に絡み合った仕事を単に進めるだけではなく、この仕事に関わる人間関係もすっきりとすることを目標としていましたが、クリアできました。朝、会社に来るまでに、3年後の自分から考えるとそんな問題はさっさと今日中に片付けなければならないと思い立ち、会社に着くなり行動しました。まず行動したのは、複雑な人間関係をほどくためにみんなをランチに誘うことです。これを朝すぐにやったことで、今日の目標の8割ぐらいは達成していました。3年後の自分が見えているというのは自分を駆り立て、自分の励みになりますね!
2005.08.24
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一日を振り返ると反省することがたくさんあります。今日は、嫌な役を演じ切れなかった、という反省がありました。私は今、あるプロジェクトのリーダーをやっているのですが、そのプロジェクトを協力してくれている外部機関の方に、フィー(支払い)に見合った仕事をしてくれ、とドライに頼むシーンでそれが言えない、というものです。言うには言うのですが、ドライではない。甘い。よく言えばやさしい。このままでは10やって欲しいのに、8ぐらいしかやってもらえないかもしれない。そういう反省です。相手も事情がある、などと妙に物分りがよくなってしまうのです、その瞬間。ビジネスなのだからドライに進行させればいいのですが、同じ人間の営みだと思うと、強く言い切れません。無理をお願いされるのも嫌だけど、無理をお願いするのも嫌だということです。しかし、周りを見ていると、それではリーダーシップを発揮したことになっていないのだろうなと思います。まあリーダーシップはリーダーシップかもしれませんが、強力なリーダーシップは、全体のために正しいという方向を見つけると、そこに向かって強く命令できたり、引っ張っていったりできるじゃないですか。私にはそれが弱い。むしろ、人間性で繋がっている和気藹々としたチームの方がいいと思ってしまいカリスマ性があるようなリーダーシップが発揮できず、合議制に近い、ゆるい進行になってしまいます。嫌な役もあえて演じるようなリーダーシップはどうやったら身につくのでしょうか??
2005.08.22
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ベストセラーの本ではないけれど、「小さいことにくよくよ」しなかったらずいぶんモノゴトがスムーズに進みました、今日。具体的に言うと、めんどくさい仕事があって、それをやれ!と強く言う上司がいて、自分はそのめんどくさい仕事に本質的な価値を見出していないので全然モチベーションが上がらないのに、やれやれうるさく言われる。こんな状況です。こう改めて書いてみただけでも「小さいこと」と思います。私が意識的に「小さいこと」と思うようにしたのは、1.その仕事は失敗しても世の中に影響は与えない2.その上司との人間関係は自分の一生に影響は与えないです。これで、私の気の持ち方が変わりました。めんどくさいと思っていた仕事も、とにかく終わらせればいいのだから、と思えば面倒に感じなくなりました。うるさく言う上司にも笑顔が返せるようになりました。ホントに、気の持ちようですね。
2005.08.19
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私は今、会社の中で2つの部署を兼任しています。1つは忙しい業務で、中身は仕事のための仕事的なところもあります。もう1つはすぐに結果が出ない仕事なのですが、世の中のための仕事になっています。私は後者の仕事の方が好きです。結果がすぐには出ないのですが、働いている感じがします。世の中のために貢献している気分になれます。充足感が感じられます。そして今日、気づいたのですが、前者の仕事をしているときは、ちょっと無口な自分がいました。周りの人とあまりしゃべっていない自分。よくないですよね、悪循環です。仕事に強いモチベーションを感じない、一緒にやっている仲間とのコミュニケーションも少ない、益々仕事が面白くならない・・・。この中で変えられるのは仕事の中身ではなく、自分がもっと周りと話すこと。これならば、自分のチカラで変えられます。悪循環を断ち切れます。明日から頑張ろうと思います。そう、いきなり明日から。
2005.08.16
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後輩を飲みに誘うタイミングを逸しました。そんなことがありませんか?なんか遠慮しているんでしょうね。おじさんが若いのを誘うことに。フラれるのが怖いのかもしれない。そんなことを考えながら誘うと硬い誘い方になっちゃうし。人間って、一瞬一瞬でいろんなことを考え、それがコトバや態度で伝わっていっちゃうもんなんですよね。素直に生きたいものです。
2005.08.09
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会社で隣に座っている先輩が、ホント、裏表のない人です。自分でもそう言っているのですが、ホントに裏表ない人なので、自分で言っていても嫌味でも何でもありません。私も裏表のない人間になりたい。そう思いました。人には言わず、そう思いました。その時点で、私はダメだなと思い直しました。人知れず裏表ない人間になりたい、と思っていることが裏です。そう思うならば、声に出して言っちゃえばいいのです。「今はダメだけど、裏表ない人間にオレもなりたいよ!」素直に言えばいいのです。そう言えないのは、人に好かれたいから、なのだと思います。「今はダメだけど・・・」などと自分の弱みをできることなら見せずに裏表ない人間だと回りから思われたい。そんな都合のいいことを思っているから、それが裏になってしまう。つまり裏表があるわけです。人の目を気にすることは悪いことではないですが、裏表ない人間がかもし出すカラッとした信頼感はまとえません、人の目を気にしていたら。もっと精進せねば!
2005.08.08
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デールカーネギーの「人を動かす」をバイブルにしている人も多いことでしょう。私も日々の仕事の中でヒトを動かすことの重要さをヒシヒシと感じる場面があります。でも、こんな葛藤もありませんか?今日の話です。出張先で空港に急いでいました。予約している飛行機に乗らないと会議に間に合わないからです。出張先でのプレゼンが押して、ギリギリになってしまっていました。タクシーの運転手に言いました、急いでくれ!と。しかし、渋滞していない道路に差し掛かってもスピードが上がりません。再度、言いました、急いでくれ、と。しかし、スピードは上がりません。分かるのです。なにせ時速80Kmは既に出ているのですから。(しかし道は高速道路のようなスカスカの道なのですが・・・)これ以上、一般道でスピードを上げるのは危険です。違反です。私は無言で考えました。急いでくれと言いすぎるのも、運転手にとって気持ちいいものではないんだろうな、と。いついつまでに着きたいんです。信じてお任せします!と言ったほうが実はスピードを出してくれるのはないだろうか、と。私は目的時間を告げて任せました。結果は・・・間に合いませんでした。でも、実は飛行機に遅れが出ていて最終的には間に合ったのですが、空港に着いた時間は搭乗手続きの時間から大きく遅れていました。急げ!急げ!急げ!と言った方がいい、と考えられる方々もいらっしゃると思います。でも、私には言い切れなかった。ヒトを動かすための心理として強制より任せる方がいい、という判断もありましたが、それ以上に私の場合、自分の都合だけを言い続ける姿がカッコ悪く感じたこともありました。むしろ、その方が大きな気持ちだったかもしれません。自分の美学として(美学というとカッコいいですが、単に弱気なだけなのかもしれません)自分の都合を一方的に押し付けることができませんでした。振り返ると、今日のちょっとした葛藤でした。みなさん、ヒトを動かすときに、こうした葛藤ってありませんか?
2005.08.02
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昨日、自分が責任者である仕事の打ち合わせに出ました。今まで部下に任せていたので、久しぶりに出ました。その打ち合わせとは、お得意先も入れた打ち合わせです。で、その打ち合わせでお得意先が不満を言い始めたのです。不満と言うと大袈裟ですが、もう少し踏み込んだ成果が欲しい、と。私は部下に任せていて、その報告も受けていました。踏み込んだ成果物を提出する必要はないと思っていました。で、ココロの中でふつふつと沸いてきたのです。かくかくしかじかの理由でそこまでの成果物はいらないと思っていました!と得意先に言いたい気持ちが。これは責任者だから責任をとらなくては、という正義感かもしれません。一方で、困ったときに助けてくれる先輩だと部下から思われたい、という偽善のココロかもしれません。しかし、そこでさらにまた別の気持ちが起こってきたのです。今まで任せていたのに、窮地でいきなり責任者ヅラして偉そうにするのはいかがなものか、と。自分が部下ならば、そう思うかもしれないと思ったのです。結局、どうしたか。黙っていました。一瞬、どうしていいか分からず、黙ってしまいました。後味が悪いです。話をしたかったのはココからです。なんで後味が悪いか、というと、そこが自分のダメなところと分かっているからなのです。小さなことは気にせず、言いたいことがあれば言えばいいのに、正義感や他人からどう見えるか、などを気にして行動が鈍る、そこが自分のダメなところと分かっているからです。そして、そこがダメなところだよね、と指摘されることも恐れています。その結果が黙るという行動となり、自己嫌悪するわけです。そんな日に、別のことが起こりました。それは、自分のダメなところを指摘されているのに、全く気にならないという状態です。最近では感じなかった感覚です。自分のダメなところを言われているのに、嫌な気分にならないのは。それは、相手がどう見ても圧倒的に自分の能力を上回っており、もうなんだか背伸びしたり、どう思われるか気にしても仕方がない、と開き直れたからだと思います。ホント、見透かされると思いました。世間体を気にしてカッコつけても、お見通しだろうと感じました。圧倒的な違いです。相手と自分とは。なので、ダメな自分をさらけ出し、指摘されることに恐怖がなくなったのです。変われたな、と思いました。自分が変われたな、と。いい一日でした。
2005.07.27
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最近、ブログの頻度が落ちてきてしまって反省しきりです。はじめのころ(2年半前)は、一種の義務感のようなものすら感じながらやっていたのに、不思議なものです、だんだんと気持ちに変化があります。はじめた当初にブログ仲間になった方たちの中にも既にやめちゃった、とか、私と同じように頻度が落ちている方がいらっしゃいます。でも、そういうものなのです。これが現実です。マーケットでいうとコレが現場なのです。日本人は飽きるのです。同じものをいつまでも消費する人たちではないのです。次々と進化を求めます、変化を求めます。刺激が少ないと、だんだんとココロが離れるのですよね。これはどんなマーケットでもそうです。お菓子でも、飲み物でも、クルマでも、・・・。楽天はその点、すごいですよね。刺激を絶やさず、機能をどんどん追加している。変化しています。進化しています。だから私も頻度が落ちたけれど、止められないのだと思います。いかがですか? みなさん。
2005.07.15
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机に向かって仕事をしていると、机の上で起こっていることが、世の中で起こっていることと一致しているように思えてしまいます。実際は、そんなことないですよね。机上ではとてもうまく組み立てられている戦略でも一歩世の中に出れば前々効果を発揮しなかったり。机上ではめちゃくちゃなロジックでも思い切って実践してみたら成功しちゃったり。机にしがみついていては、何が正解か分からなくなります。そんなとき私は、声をかけてくれる仲間を大切にします。いつもは一緒に仕事をしていない仲間。でも声をかけてくれるのは、自分のことを気にかけてくれているから。そんな仲間に聞くんです。今、こんなこと考えているんだけど、どうかな?ロジックより、戦略より、適切なアドバイスが返ってきます。それはお前らしくないよ、とか正義を感じないな、とか直感で面白いと思うよ、とか。自分のことを気にかけてくれる仲間からのアドバイスは本質を突いていることが多いと思います。大切にしたいです。
2005.07.05
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「ビジネスといえども人の営み」とは私の口ぐせです。ビジネスといったって、すべて計量化されるもので管理できるものではありません。むしろ、本質はいつも計量化されないところにあります。先日私とは違う部署で、会社の中の人間関係がうまくいかず、断らなければならない仕事があったと聞きました。受注額の大きさではないんです。仕事の難易度でもないんです。納期の期限でもないんです。人間関係がうまくいかないことですべてを失っているのです。逆の例で・・・。2日前、大学のころの友人10人ぐらいと久しぶりに会いました。みんないろんな会社で、中堅でがんばっています。その再会をきっかけに、ただ大学が同じだったというつながりで今までなかったコラボレーションが生まれそうです。ビジネスといえども人の営み。スキルやナレッジを高めるより、人間性を高めるほうが大事なのですね!
2005.06.26
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やっぱり個人の能力には限界がありますよね。自分ひとりでは10までしか考えられなかったものを、他人と一緒に考えると20にも30にもなる。それも同じような他人ではなく、まったく違う他人だといい!今日、そんな会議があったのです。私は10の考えを用意してディスカッションに望んだのですが、相手が持ち出してきたのは、ABC!そもそも考え方そのものが違ったのです。私は1とか、2とか、で考えていたのに、相手はAとか、Bとか、で考えていたのです。これは刺激的でした。考えが深まるというより、飛ぶ。新しい風が自分の中に吹きました。今までは目につかなかったことが目につくようになりました。今までは関係ないと思っていたことが関係あるように見えてきました。個人には限界があります。他人、それもまったく違う他人のチカラを借りたいですね、いつも。
2005.06.14
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