Oh To Be Wicked Once Again

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麻雀



このページは麻雀をやっていない人には何のことだか分からないかもしれません(^^;でも麻雀って、結構色んな深いことを考えさせられるのです。

好きな打ち筋は雀鬼流です。桜井章一氏には、真面目な話、チョット人生観に影響受けています。以下敬称略(笑)


※以下しばらくは、麻雀知らない方は飛ばして頂いて結構です(^^;

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雀鬼流といえば、「第一打にドラや字牌を切らない」といった決まり事が有名ですが、「そんなこと実際やっても意味ないやん」とおっしゃる方もおられるでしょう。僕も時々そう思います(笑)。ただ、それは桜井章一が、麻雀の本質を追求した結果たどりついた、あるべき麻雀を打つための決まり事にすぎません(一応の合理性もあるんですがここでは省略)。つまり、それは表面的なものであって、重要なのは桜井章一が追求してきた麻雀の本質が何か、ということです。それは、 「どんな状況にあっても、一歩でも前に進む努力をする」 ということです。

たとえば、2人からリーチが掛かったとしましょう。このとき、ベタオリするのではなく、通る牌を見据えつつ、まわしながら、少しでもシャンテン数を下げるのです。

それでメンタンピンのはずが食いタンのみになったとしましょう。しかし、相手のあがりを阻止できたのですから、現実の点数以上の価値があるわけです(ただし、雀鬼流では点棒の損得は本質とは見ていませんが)。ただ、本来ならばもっと早い段階から仕掛けていれば、リーチが掛かることなく上がれたことも考えられるので、一概に結果オーライとも言い切れません。つまり、間違ったうち方をした可能性があり、今後の流れをしっかり見極める必要があるでしょう。

また、運悪く振り込んだとしましょう。しかし、そこで「やっぱりベタオリすればよかった」と考えるのはよくありません。自分なりに理由を持って真っ直ぐ打ち込んだのであれば、悪い流れにはなりません。ただ、全体の流れを見据えながら、あがった人に流れが行きそうであれば、次の局はあがりを取りに行くべきです。また、自分が間違った打ち方をしていなければ、あがれる手が来るものです。

最悪なのは、逃げ回ってベタオリしてたつもりが、振り込んでしまったという場合です。これは本当に流れが悪くなります。

正しい打ち方をして、正しい振込みをしていれば、自然と地運(たまたまついている天運とは違って、努力することによって自力で持ってくる運のこと)がついてきて、気がつけば1位になっているものなのです。

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※ここから再開

と、自分なりの雀鬼流の理解をもとに書いてみましたが、実際、完全に雀鬼流で打つのは常人には無理でしょう(笑)。しかし、桜井章一は現にそういう打ち方で負けてこなかったわけです。まあ確かに、そうした無敗神話の真偽は定かではありません。でも僕は、彼の書いている本や、彼が解説している麻雀漫画を読んでみて、無敗神話のかなりの部分は本当なんだろうと思っています。雀鬼流は、一見独善的で非合理的な打ち方に見えるけれども、実は最も本質的で合理的な打ち方なんだ、と本を読んで説得されたからです。

それで思ったのが、この雀鬼流麻雀を人生に生かすことが出来るんじゃないか、ということです。

「どんな状況下に置かれても、逃げ出すのではなく、常に最善の道を追求する。たとえ失敗したとしても、真っ直ぐに自分の道を進んでいたのなら、その努力は次に必ず生きてくる。そうして自分を磨きつづけることで、これまでの自分を超越したところに到達できるのである。」 雀鬼流麻雀を人生に置き換えてみると、このようになるでしょう。 桜井章一は、こういう人生の「理論」を、麻雀という「実験」を数多く繰り返すことで実証しているような気がするんです。

「しょせん努力したところで…」とか、「世の中ずる賢い者が勝ち」とか、そういう言葉って、否定的に受け取りたいけれども、かなしいかな、なかなか否定できない所があるじゃないですか。でも、そういうものを超越して、自分を磨き、努力をつづければ報われる(なんて古臭い表現)ということを現実に証明してくれたのが桜井章一・雀鬼流なんだと僕は思っています。

まあ結局のところ、雀鬼流は一種の宗教なんですかね(笑)



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