Oh To Be Wicked Once Again

Oh To Be Wicked Once Again

フレーム




 ともかく、選択の余地も与えられないまま、かなり長い間同じメンバー・同じ屋根の下で暮らしてきたと思いますが、時が経つにつれて外界のいろんな人たちと交流するうちに、「あれ、こんなことしてるのってうちだけ?」とか、「うちのおかんは前からここがおかしいと思ってたけど、やっぱりそうみたいや」とか、何か家族に批判的な眼を向けるような時期が来ると思います。考え方にせよ、癖にせよ、なんにせよ。それが例えば反抗期だったりするわけですが、そういうハッキリした形でなくても、なんとなく違和感を持ち、「自分だったらこうだよなあ」という自分なりの価値観が出来てくると思います。で、これで一人立ちの精神的な備えが出来てきて、見事家から巣立って、めでたしめでたしなわけです。


・・・ところがですよ、僕もそういう精神的な備えが出来てきているような感触を、なんとなく自分の中に感じていたわけですが・・・ 恐るべし「家族生活」 です。



たとえば自分の部屋。アニキの部屋とか見ていると、もうえらいことになっているわけですよ。どこから手をつけてよいのやらって感じで。それを反面教師として、自分の部屋をもらってからは、きれいにこまめに掃除しようと、小さいころから思っていました。そして10数年たった今(以下略)。

また、選挙のとき、親ってもうだいたいどこに投票するとか決まってますよね。で、自分が選挙権を得たとき、そういう先入観は抜きにして、自分なりの考えでもって投票先を決めようと思うわけです。で、考えに考えた結果(以下略)。まあ、こういうのは投票行動理論では「政治的社会化」といって、よくある話のようですが…。


なにか自分なりにいろんなことを一生懸命考えて、ある行動をとろうと決心したところ、何も考えずに家の中の価値観に従って行動した場合と同じ結果になってしまって、愕然とすることの多いこと…(^^;


結局、「これはオレひとりだけの考えなんだぜ!」とか言ってみたところで、「家の教え」を素直に聞けずに粋がってるだけのようで、逆に惨めな気持ちになったりします。何が自分で考えたことで、何が考えさせられたことなのやら…。


でも、考えてみたらそれが当たり前なんですよね。これまで人生の大半をその中で暮らしてきたわけなんですから。自分に定められた「フレーム」を無理に取り外そうと思っても、取り外せるわけがないんです。でも、それでもやっぱりチョットずつ変化しうるものなんでしょう。これから外の世界で暮らしていくわけですから。大事なのは、 いままで自分が生きてきた環境を変に否定しないこと、そのうえで、「やっぱここはどうかと思うよなあ」ということは、やっぱり変えていこうと意識してこれから生きていくこと 、これやと思います。ほんまの価値観っていうのは、そんな感じのことを繰り返して、それでも残ったもののことを言うんじゃないんかなあと今は思っています。




© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: