Oh To Be Wicked Once Again

Oh To Be Wicked Once Again

中途半端なモノ


下宿先でぼんやりとRADIOHEADの「KID A」のラスト曲
「Motion Picture Soundtrack」を聴きながら考えたこと。
この作品って、CDの帯のところには「ロック」って書いて
ありますが、「ロックじゃない」ってよく言われます。
音を構成してるのは電子音なので、さしずめエレクトロニカ
プログレといったところでしょうか(なんだそれ)。
まあいわば「保守本流ロック」からすると「邪道」ですよね
(「道から外れてる」ってくらいの意味で、否定的な意味はないです)。


でも聴いてると、ハープのようなキラキラとしたストリングスの
音がすごくきれいなんです。そう思って聴いているうちに、
「・・・そういや室内楽とかクラシックとかあんまり聴かないよなあ」
ということに気づきました。だからといって室内楽のCDを買おう
ってわけじゃないんですけど、普段あんまりそういう方面の音楽の
ことって考えないのに、この曲のおかげで考える機会ができました。


最近は、たとえば伝統格式高い純和風の店よりも、和風に他の
テイストをプラスしてアレンジする店が流行しているようですね
(入りやすいっていうのはあるでしょうけど)。「伝統的和風料理」
からすると、こういう店も「邪道」なのかもしれないですが、
でも食べてみたら結構おいしいところもあります。普段何気なく
使っているマヨネーズでも、刺身醤油に入れて刺身を食べてみると、
「マヨネーズってマイルドなんだなあ」ということに気づかされます。


なんかそういうどちらとも言えないような
「邪道なモノ」、あるいは「中途半端なモノ」
(どちらにも属さないってくらいの意味で、
以下略)の存在価値を擁護するときって、
「それ自体に唯一無二の独自性があるんだ」、
「枠にとらわれず自由にやることがいいんだ」
といった主張になることが多い気がしますが、
でもそれよりも重要な存在価値があって、
それは、「ABというモノ」を示すことで
「A」のファンには「B」の良さを、「B」の
ファンには「A」の良さを教えてあげるいい機会
になる、ということだと思うんです。つまり、
「中途半端なモノ」には、その一方の「保守的世界」
に慣れ親しんでた人が他方の「保守的世界」に一歩
踏み出すのを、後押しする力があると思うんですよね。


人間って、根っこのところでは結構面倒くさがりで、
臆病で、事なかれ主義で、「保守的」だと思うんです。
いろんな事に積極的で、なんでもありなイメージの
アメリカですが、宗教の面では日本に比べて遥かに
「保守的」だし、文化導入の点でもとても「保守的」
ですよね。そりゃやっぱなにも変わらず平穏無事が
一番ですよ~(笑)。でもそんな狭い世界の中じゃ
得られないものが、外の世界にはたくさん転がって
ます。狭い世界の中でそのことには気づいているん
ですけれど、平穏無事が一番だから、「向こうから
きてくれたらいいのになー」程度には思っている。
だけど、そんなことはなかなか起こらないと(^^;


そんなときに「ちょっと踏み出してみようかな」という気に
させてくれるのが、「中途半端なモノ」なんだろうと思うん
です。なかなか自分からじゃ新しい世界に踏み込んでいけない
けれど、「中途半端なモノ」だと安心感も半分ありますしね。
それに「向こうの世界」からも「ちょっと踏み出してみようかな」
って人が来るので、その気になればそういうところで交流が
できるのも、またおもしろいところだと思います。


こんな風に世の中にいくらでもある「中途半端なモノ」
を見ていけば、自分が踏み込もうとしてこなかった
新しい世界への入口が見つかるかもしれませんね。
自分の世界を広げるための道具として、うまく
「中途半端なモノ」を使えるようになれば、
結構楽しい毎日を過ごせそうな気がします。




050430


© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: