小説 こにゃん日記

小説 こにゃん日記

act.29『菜の花とお月様』



おいらが川に落ちたとき、
ママはちょうどお手洗いに入っていたんだって。
トイレの小窓の外は塀、その向こうはおいらが落ちた川になっている。
ママは、
『あら。今日は鯉がよく跳ねるわね。』って思ったって。
川のすぐ上にはため池があって、すっごく大きな鯉、おいらより大きな鯉がいるんだ。
ママがのん気にそう思っていたとき、おいらは大変だったよ。
水は少なかったけど川は泥でいっぱいだった。
だからおいらはおぼれちゃうことは無かった。
代わりにおいらは、尻尾の先までどろんこだらけになっちゃった。
それに川の幅は狭いものだけど、
両脇はしっかりコンクリートの壁になっているんだ。
壁は垂直に川を挟んでいて、おいらが、爪を立てて登ろうとしてもどうにもならない。
壁の高さは1メートルぐらい。
それでもおいらにとっては、とってもとっても高かった。

おいらは思いっきり飛び上がった。
でも、もうちょっとのところで前足が届かない。
後ろ足がずぶずぶ泥にはまって、おいらうまく力が入らないんだ。
おいらはブルブル震えた。
泥はひんやりしていたけど、空気はあったかかった。
だから寒かったわけじゃない。
おいらは泣き声も出なかった。
なんだかすごくびっくりして、声を出すのを忘れていたんだ。
おいら何回も何回もジャンプした。
でも、届くどころか、ますます壁が高くなっていくみたいだった。
おいら疲れちゃったんだ。
おいらがそうやっている間。
白猫の尻尾がちらちら見えた。
どうやら上から、おいらのこと覗き込んでるみたい。
その尻尾を見たら、おいら初めて声が出た。
 にゃ~にゃ~助けてよ~ママ~ッパパ~ッ!
そしたらね。
川の下流のほうから何かがやってきたんだ。
黒いの。
忍者猫だ。

忍者猫はヒーローみたいに、困っているおいらのところに現れた。
かっこいいなあ。
でも待てよ。
忍者猫はどうして川の中にいるの?
そうか!おいらみたいにおっこっちゃったんだ・・・。
おいらのおひげがしおしおになった。
『おい。大丈夫か?』
忍者猫はおいらの方に鼻を寄せてふんふんした。
『怪我はしてないな?』
おいらは情けなくあ~んと泣いた。
忍者猫はおいらの顔をざらりと舐めると、首根っこを銜えるようにして、ずるずる泥の中から引き上げた。
『大丈夫だからついて来いよ。』
忍者猫はそういうと、さっき来た方向へ向って、泥水をまるで気にしないで駆けて行った。
おいらはその後を、おいていかれないよう必死でついていく。
 ずぶっ!びしゃ!びしゃっ!じゃばじゃばっ!ずぶっ!
時々泥に足を取られ、水を跳ね返しながらしばらく行くと、そこには丸いトンネルがあった。
おいらがにゃ~にゃ~泣くと、トンネルの中でわ~わ~って響いて消えた。
その中をおいらと忍者猫は、光のほうに向って駆けていった。
トンネルを抜けて月の光の中に出ると、そこには大きな大きな河が広がっていたんだ。

トンネルから水がじょろじょろと、大きな河に向って流れ込む。
そこは土手になっていた。
土手の上は菜の花がいっぱいだ。
黄色い菜の花を縁取るように、月の光がぼんやりと溢れてる。
忍者猫は丁寧に自分の泥を舐めて落としている。
でもおいらは、ぶるぶるっと泥を跳ね除けた。
『まったく世話がかかる奴だなあ。』
忍者猫に言われて、おいら泣きべそかきそうだった。
おいらかっこ悪すぎるよ。
そこへ白猫が駆けてきた。
忍者猫は白猫に気づくと、
『お~い!』と声をかけた。
白猫はおいら達のところまで来ると、おいらを見て笑ってるみたいな顔をした。
でも何にも言わなかったし、笑い声も立てなかった。
おいらはなんだかむかむかした。
無性に白猫の笑いが気に入らなかった。
わかってるよ八つ当たりだって。
でもね。
笑いたけりゃ笑えばいいじゃないか!
こんな風に黙って、おいらのこと見ているのってなんだか嫌だ。
おいらはぷいって白猫から顔をそらした。
その時、なんだか、白猫が寂しそうな顔をしたみたいに見えたけど、きっと気のせいに違いない。
『さ~てと。どうする?こにゃんはやっぱり家に帰るか?』
忍者猫が聞いてきた。
おいらもなんだかおうちに帰りたくなってきた。
でも、白猫に馬鹿にされたくなかった。
だからおいらおなかにぐっと力を入れて答えたんだ。
『おいら行くよ!』
菜の花がさわさわと月の光に揺れていた。


act.30『しま姉さん』  に続く





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