小説 こにゃん日記

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act.44『あるメス猫の話』




赤茶の縞柄をしたメス猫が一匹。
窓からそっと、体を乗り出すと、心配げに辺りをうかがう。
暖かな小春日和。
窓の外は、洋風の平たい屋根が鈍く光っている。
それを30メートルほどいくと、その下には、斜めにガレージのトタン屋根が付いている。
そこから塀に飛び移ると隣の庭に出れる。
隣の庭には、大きな犬がいつも離されているが、日がな一日日向ぼっこをしている老犬は、狩に興味があるようには思えない。

メス猫は、いつもより少し鈍い動作で、屋根の上を慎重に進んだ。
よく見ると、口元が小さく動いている。
まだ生後間もない、子猫を咥えているのだ。
メス猫は、トタン屋根の上に降り立つと、母屋の壁の際に子猫を置いて、もう一度来た道を引き返した。
二度目にそこに現れたメス猫は、もう一匹の子猫をそこにそっと置いた。
ようやく目の開いたばかりの子猫たちは、寄り添うようにしてぶるぶると震えた。
メス猫はまた、窓のほうへと平たい屋根を渡っていく。
メス猫に咥えられるのは一匹ずつ。
一匹を隠れ家に運んで、戻ってくるのは時間がかかりすぎる。
その間、残して置く子供が心配だ。
少しずつ、少しずつ、家を離れるしかない。
気が付かれない内に、早く我が子を移してしまわねば。

メス猫が産んだ子猫は、全部で五匹だった。
メス猫の飼い主は、子猫の貰い手を探して回った。
ようやく二匹の里親が見つかったが、他の子猫を引き取ろうとする人間は現れなかった。
この界隈は猫が多すぎるのだ。
庭に糞尿をし、飼っている鳥を狙い、ごみを荒らす。
奔放に増えた野良猫の害が、近所の住民の怒りをかっていた。

『保健所に連れて行くか。』
『保健所は後味が悪い・・・どこかに捨てて来たほうが・・・。』
飼い主たちの言葉の正確な意味は解らなかったけど、その口調や様子で、メス猫の母親としての勘は、我が子の危機を察知した。
実際、これから冬を迎えようというのに、小さな子猫が保護者もなしに、野良で生き抜く可能性は限りなく低い。
保健所に引き取られれば、なおさらだ。
子供たちを守らねば。
母猫は、子猫をどこか人間に見つからないところに、隠して育てる決心をした。

メス猫は最後の一匹を迎えに来て、その子猫の様子に思わず微笑んだ。
心配のため、凍りついたような顔をしていたメス猫が、とたんに母猫らしくなる。
そこにいるのは、驚くほどメス猫によく似た、赤茶の縞の入ったオスの子猫だ。
敷いてあった、擦り切れたタオルに、夢中で鼻を擦り付けている。
タオルに染み付いた、母猫の匂いに、おっぱいを捜しているのだろう。
他の兄弟より、少し小さなその子猫は、まだ目も開かぬままで、必死になって生きようとしているのだ。

『行きましょう。ぼうや。』
メス猫は、縞柄の子猫に向かって、顔を下げ口に咥えようとした。
その視界の隅を、黒いものがさっと通り過ぎた。
メス猫は、はっと窓に向かって走る。
カラスだ!
ここいらで増えたのは、野良猫だけではない。
カラスもまた増えた。
増えたカラスは、ごみをあさり、蛙やねずみなどの小動物を捕獲して生きていた。
生まれたばかりの、小さなねずみのようなサイズの子猫は、カラスには手ごろな獲物にしか見えない。

メス猫は稲妻のような速さで、置いてきた子猫たちの所へ走った。
子供たち!!
平屋根の下から、カラスが、ばたばたと羽を打ち鳴らす音が聞こえた。
メス猫は踊るように空中を切り、カラスの上に飛び掛る。

 アギャーッ!ガオゥ!ゥルルルル~ッ!!

すさまじい鳴き声と、うなり声に、家人が異変に気が付いた。
下から、
『コラーッ!!』と怒鳴りつけると、ばさばさと黒い羽が舞い落ち、そしてシンと静まった。
『何だ?カラスが何を騒いでたんだ?』
はしごを掛け、覗いてみると、血だらけになって倒れている飼い猫の姿。
そばには、すでに事切れている子猫が一匹。
もう一匹は、さらわれたのか、すでに食べられてしまった後だったのか、姿は見えない。

ただでさえ、産後の肥立ちもあまりよくなかったのに、カラスにつけられた傷は深かった。
飼い主は、メス猫をすぐ病院に連れて行ったが、
『もう助かるまい。』と言われ、どうせなら家で死なせてやろうと連れ帰った。
再び自分のそばに戻ってきた母猫に、残された縞柄の子猫は夢中でしがみついた。
何も解らないまま、無心に、自分の乳を探す子猫を見て、メス猫は思った。
『もし、自分が死んだら、ご主人様は、自分の代わりにこの子を、飼ってくれないだろうか?』
ああ・・・どうか、神様。
自分の体から、小さな小さなぬくもりが、引き離されていく。
その子を捨てないで!どうか殺さないで!
『その子には、その子には手を出さないで!』
私にたった一つ残された光。
どうか、どうか、幸せに生きて。



続く

番外編の
『キジ猫大将の青春』も是非お楽しみください。







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