小説 こにゃん日記

小説 こにゃん日記

夜を走る



深夜2時。
東京都S区郊外、延々と麦畑が続く道を、一台のタクシーが走っていく。
おそろいの外観をした、薄っぺらな小さな住宅地を過ぎると、また畑だ。
私は、ちらとラジオのチャンネルを動かした。

 ザー ザーザーザー ザー ザーザー

ちっ!私は小さく舌打ちをした。
どういうわけだか、ラジオの調子が悪い。
眠気覚ましにタバコの火を灯す。
暗闇に、ポッと一瞬赤い光が燃えた。

霧雨が降っていた。
ろくに明かりもない道だ。
車のヘッドライトに照らされぬ先は、ぼんやりとした闇。
まるで黄泉の国に行くようだ。
私は思わず苦笑した。
こんな日は、早く家に帰って、酒でも飲んで寝るにかぎる。

ぐんとスピードを上げようとして、思わずはっとした。
ほんの数メートル先に女がいる。
細い道だ。
避けもせず、車のほうに身を乗り出している。
飛び込みかっ?!
一瞬心臓が縮み上がった。

 キーーーッ!!

車が止まると、女はコツコツと窓を叩いた。
『○○町まで。』
開いた窓から、女の白い顔が覗く。
まるで蝋のように白い。
『寒いんです。』
女の言葉に、あわてて背後のドアを開けた。
するりと、妙になまめかしいしぐさで、女が入ってきた。

再び車を走らせながら、私は背後の女をうかがった。
女は俯いているため、その表情は読めない。
長くつややかな黒髪が、その顔ばかりか胸までも覆っている。
雨に濡れてピッタリとした赤いワンピースが、ほっそりとした柳腰と、むっちりとした太もものラインを見せていた。
けっこう美人だったな。
女を轢くかと思ったショックはもう遠い。
私は好色な眼を女に向けた。

私は左手でダッシュボードから、ビニールに包まれたタオルを引き出した。
会社のロゴが入っている。
いつから入っていたのか、ビニールは薄く茶ばんで擦り切れているが、中のタオルはまっさらだ。
『良かったら使ってください。』
私は背後にそのタオルを差し出した。
小さく礼を言う気配がして、受け取る女の指先が私の指に触れた。
氷のようだ。
触れた指先から、しびれるような感覚が伝わる。
雨が降っていて肌寒いとはいえ、まだ秋になったばかり。
これほど冷えるには、どれほどこの雨の中にいたのだろう。

『なかなか車が通らなくって・・・。』
私の考えを読んだかのように女がポツリと漏らす。
『この辺は、東京とはいえ畑ばかりですからね。』
私は軽く笑って答えた。
『ここいらにお住まいですか?』
女からの答えはない。
しまった。
気を悪くしたかな?
『いやあ。この辺はごみごみしてなくって・・・。』
『彼の家があるんです。』
女は私の言葉をさえぎるように言う。
『バイクで、いつもこの道を走っていたわ。いつも違う女の子を後ろに乗せて。』
『はあ。』
振られたのだろうか?
恋人が家に他の女を引き込んだところを、乗り込んで行って・・・。
『寂しい道ね。行き交う車すらいない。』
本当にそうだ。
いつも車通りがあまりない道だが、今日はいつもにまして、もうずっと他の車を見ていない。

『だから、誰も気がつかなかったの。』
女の髪がゆらりと揺れる。泣いているのだろうか?
『タクシーと正面衝突。二人とも吹き飛ばされたわ。
彼も、後ろに乗っていた女も。
でも、誰もそれに気がつかなかった。
まだ暑い夏の頃の話よ。』
私は自分の足が震えだすのを感じた。
『近くを通りかかった人が気がついたのが、次の日になってから。
ヘルメットを被ったままの彼と女の首が見つかったのは、夕方になってからだったわ。
スイカ畑でね。熟れて割れた果実のように。
血みたいな夕日が、空を染めてたって。』

頭の芯が痛い。
ずきずきと痛むこめかみに汗がにじんだ。
女の髪の間から、瞳が覗く。
泣いていると思ったのは、気のせいだった。
女の瞳は濡れてはいなかった。
濡れているのは女が身に纏った赤いワンピースだ。
滴る雫が赤いような錯覚を覚えて、ふと、バイクに乗っていた女というのは、彼女自身だったんではと思った。
ああ・・・喉がひりつく。頭が痛い。
この道はなんて暗いんだろう。
私は、鼻の奥につんと錆びついた金属の匂いを感じた。
鼻血だ。
ぽたぽたとヌルつく雫が顎をつたい、膝に落ちる。
女の視線が私に張り付いていた。
喉の奥にも血の味が溢れ、私は車を急停車させた。
『す、すみません・・・鼻血が・・・。』
ドアを開け、よろめくようにして車から降りる。

 ガホッ!

降りたとたん大量の血の塊が、私の喉から溢れ出た。

ああ・・・当たり一面真っ赤に染まっている。
まるであの日のように。

猛烈なスピードで、気勢を上げたバイクが、私のタクシーに飛び込んできた日。
割れたガラスが、私の頭と喉に食い込み、スローモーションのように赤が広がって、私の意識を飲み込んでいったあの日。
ああ・・・あれは、私の血の色だったのか。
ふらりと空中に、赤い私の体が漂っていく。

女の悲鳴が夜を引き裂く。
車の明かりが突然消えた。












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