とりあえずバイク乗っています。

とりあえずバイク乗っています。

入院日記


表現にきつい所もあるかもしれませんが、それも私の一部分だと思ってご了承ください
また、自分以外のプライベートに関しては割愛しています

2004/11/27 事故当日

この日は朝から母が珍しく朝食を作っている。しかし、出来るのを待っていると時間的に間に合わない・・・でも、折角作ってくれたので急いで食べてると、「早くしないと遅れるわよ!」とせかされ、「いったい誰のせいで遅れるんだよ!いつも出て行く時間ならわかってるだろ!なんでその時間に間に合うように作ってないんだよ!」と言い争って家を出る。ほんと気分が悪い、母は自分の気が向く時にしかやらないのに、やったらやったで人がどうであれ押し付けてくる(-_-;)気持ちもささくれ立って、R6を操る手もいつもより少々荒い。いつものように街道沿いを走り、1キロぐらいの直線を甲高くマフラー音を響かせる。R6に乗っていてこの瞬間が気持ちいい。仕事前に荒れた気持ちを落ち着かせるリラクゼーション。
 直線の先は、信号が数百メートル間に3っつもあるので、その前にアクセルを戻して回りの流れにそろえる。歩行者信号が点滅していたので、止まれるようにブレーキに手を置きながら、交差点に進入した直後に青から黄色に変わったので、そのままの速度で通りすぎようとすると・・・

右折車が突然曲がってきた!

フルブレーキングするも、車の左後方に突っ込んでいってそこで記憶は途切れた・・・
(これで死んでいたら最後の風景はこんなつまらないものだったのかもしれない・・・)
(走馬灯のように記憶がよみがえるというのは、全てではないと悟った瞬間だった)
(好きな人を思い浮かべる事も無く、ただ記憶が途切れて終わる。これが「死」というものの入り口であるならば、生きている事がいかに偶然であり、僕という物を「大切に生きなくては!」と思った瞬間だった。)


次に目を覚ますとベットに寝かされていて、2・3人の人が僕をどこかに慌ただしく運ぼうとしている。
着衣はすでに別のもの(病衣)に着替えられていて、少しづつ自分の状況を確認していく
身体の各部分を動くかどうか確認すると、右腕にはすでに石膏で固められていて指先しか動かす事が出来ない!
左足は全く一本の棒のようで、動かす事は出来ない!
右足は動く!左手も動く!
起き上がろうとすると、背中に痛みが走って起き上がれない!

状況から各部に痛みがあることから、下半身麻痺はまのがれたみたいで一安心する
(本で見たことだが、脊椎に深刻なダメージを受けると、何も感じない、何も動かないというのを聞いていた)

運ばれた先はMRI室。ベットから機械の台への移動の時でも激痛が走る。
気が高ぶっているからだろうか、点滴に痛み止めが入っていたからだろうか、あまり背中以外は痛みを感じない
一通り撮影が終わると、また運ばれる・・・

そして、そこで記憶が途切れる・・・

次に目を覚ますと、そこは20畳ぐらいの大きさの病室で、僕だけが一人寝ていた。まるで何かの夢でも見ているような錯覚に陥る
白い天井に、白い壁。無機質な空間に自分だけ取り残されたようだ。
全身がだるく、また眠りに入る・・・

三度目を覚ますと、そこには家族と白衣をきた人たちがいた。
良かった~!という母の姿に、自分が事故で運ばれた事を認識する
珍しく弟も駆けつけていたから、よっぽど重症だったんだ・・・と思う
すると、夜勤から戻った父も駆けつけ、話をする
「必要なものは?」という母に、MDとノートとペンをお願いする

これで安心したのか、また眠りにつく・・・

2004/11/28

多分夜中だろうか?明け方だろうか?
看護士の気配で目が覚める。
病室は真っ暗で、扉の向こうで蛍光灯の明かりが見える。
なんだろうこの寂しさは?隔離されて、現実じゃあないみたいだ

白い壁や白い天井に押しつぶされそうだ・・・

見るのがイヤで目を閉じる・・・

また寝てしまったのか、今度は明るかった
朝の検温と点滴などのチェックを看護士がしていく
起き上がれはしないものの、両手は動かせる。
しかし、唯一自由な左手は点滴の管が入っていて、あまり自由とは言えない
トイレなどはすでに管が入っているので、自動的に出ていて尿意は無い

そして、事故したときに内臓を損傷していて、食べ物は全く食べる事が出来ないし、自由に飲み物も飲めない

この時点で左手には点滴
鼻から牛乳・・・いや、鼻から胃の中のものを出す為のチューブ
そして尿道に管が入って、3つも管が入っている

寝ておきてを繰り返して、午後?ぐらいに両親と共に医者がぞろぞろと入ってきた
病状を説明されたが、医学的用語が多くてわかりゃせん!
要は
骨折  :右手首の太い方(離れてしまっている為手術が必要)
     左手首(折れててもヒビに近い位)
     骨盤の左下(折れっぱなしで手術せず)
圧迫骨折:胸椎3番4番(早期復帰には固定手術が必要)
内臓損傷:右わき周辺の臓器(回復を待つ)
その他 :打ち身等々

後遺症として、「最悪、車椅子での生活を余儀なくされる」と言う事を医師から宣告される
僕はその宣告は最悪の事態であって、自分が知りえる状況ではまだ(歩ける)希望があると思って聞いていたが、他の家族はそうでもなかったようだ

といった具合で、CPU治療室にはいるものの、CPU患者の中では意識があるから一番軽い方らしい・・・(話に聞くと、他の方は意識が無い状態のようだ(^_^;))
手術は内臓が回復してから(2週間程度)始めて、予定手術日は12/14を予定していると言われた

医者はここらでは背骨に関しては権威らしくて、手術数も多くて県内外からも患者が来るらしい。事故に遭ったのは不幸だったが、運ばれた病院も執刀医も幸運だった。事故現場に一番近い病院は前に入院した事があったが、そこに運ばれてなくて幸運だったと運ばれた時に思った。

説明が終わると医者はさっさと出て行って、また眠くなってきた・・・
母から手帳とペン、MDを受け取って、眠りにつく

この後、何回も寝たり起きたりを繰り返し、1日は過ぎていく・・・

2004/11/29

留置所や刑務所という所に居るというのはのはこのようなものなんだろうか?

何も出来ない
何も変化がない
何も考えられない

ただ時間が過ぎていく・・・

午後の診察でリハビリが始まる事が告げられた
手と足で二人つくらしい。来月から始まるともいわれた

でも何も感じない・・・

それなのに、看護士や医者や肉親が来ると無理に元気なふりをしている
そんな自分に嫌気が差す・・・自分の性なんだろうか?
白い壁に囲まれていっそ真っ白く消えてしまいたい
なぜあの時(事故)終わっていなかったのだろうか?
起きて寝てを繰り返し、自問自答を繰り返す

どれくらいこの事を繰り返せば良いのか?

2004/11/30

アミノトリパー・・・これが僕の生きる糧。1日3パック点滴で入れられる
何も食べないのに鼻からのチューブは緑色の液体を出しつづけてる
内臓破損のせいで全く食べ物も飲み物も口から入れてない・・・
でも、全くお腹がすかないのはこの栄養剤のおかげなんだが・・・
まるで観賞植物のようだ。意識がある分たちが悪い
朝、昼、晩の検温以外はほぼ寝ている
でも、寝込んだ後の起きている間、いろんな事を考える。
それが憂鬱だ・・・答えの出ない迷路に毎回迷っていて出口が無い
唯一の光は手術の日取りだけだ。
なんとか細いのだろう・・・
術後にどれだけ回復するか?歩けるか?それともベットに寝たままなのか?

期待と不安と孤独感

終わる事の無い心のループ

2004/12/1へ続く


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