三崎真琴の「ぼちぼちいこか」

三崎真琴の「ぼちぼちいこか」

1人に1台





 はいはい、わては1月3日が仕事始めでした。
 ええ、昼にお弁当を持って行きましたとも。
 おせちの残り物を詰めて。

 おせち料理で残るのって、黒豆とか、ゴマメとか、たたきごぼうとか、黒い色のものが多いんですよね~。

 おかずが真っ黒のお弁当やで。

 さて、まだ1月も3日ということで、帰りの電車は空いていました。
 普段は満員の通勤電車も、4人が向かい合って座れる座席に、それぞれ1人か2人ずつ、お客さんの姿が見える状態でした。

 どこに座ろうかと、通路を進みながら周囲をキョロキョロ見回しているうちに、だんだん、背筋が寒くなってきました。

 なぜなら、座席に座っている若い人たちの姿勢が、まるでコピーでもしたかのように、全く同じだったからです。

 手には携帯電話を持ち、
 少しうつむき加減で、
 ケイタイの画面だけを見つめています。
 無表情で、
 ボタンを押し続けています・・・


 手持ちぶさたなのは分かります。
 友達とメール交換、楽しいですよね。
 大声を出す訳じゃないから、誰の迷惑にもなっていません。

 でも、客観的に見て、かなり異様な光景だな、と思いました。

 他の人が周りにいるのに、それには目もくれず、一人一人が携帯電話という自分だけの世界に入り込んでいるのです。

 しかも、楽しいんだか怒っているんだか、表情からは何も分かりません。

 その目には、向かいの席にいる人が生身の人間として映っているのでしょうか。
 すぐそばに人がいても、存在感のない影のように見えているのではないでしょうか?

 これが新しいコミュニケーションの形、と言われたら、そこでお話は終わってしまうのですが、何か違う。
 なんだか変。

 これだったら、車内でおやつをボリボリ食べるとか、雑誌を読むとか、居眠りしたりしている方が、ずっと人間らしい行動だなと思えてきました。

 2002年、携帯電話を使ったコミュニケーションって、どうなっていくんっすか?

 おしえてください。


(2002.1.3)


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