全69件 (69件中 1-50件目)
さ・・さ・・さ・・寒い~~!!!さっきはみぞれがちらついとったぞ!暑さ寒さも彼岸までって誰が言うた!責任者出てこい!東北も雪ちゅうやんか!地球温暖化なんだろう、一体どうなっとんねん。と、一応前置き。今夜はヒロキの高校の合格祝いとして、家でステーキを焼いた。丁度配偶者が飲み会で居なかったので。いや、一人居ないとお肉のお金が安く付くでしょう。口減らしみたいなもんよ。だって、このステーキ肉1枚○千円もするんですもん。お肉以外に、ホタテ、スズキなど焼いて、最後は鉄板の上でピラフ。う~ん、せっかくの炭水化物除去のダイエットが無駄に・・。まあ、いいか今日ぐらい。しかし、凄い煙と言うか油煙と言おうか。終わったらフローリングの床がつるつるになっていた。これって油だよね。ちゃんと拭いた方が良いのかしら。でも、このフローリング、張り替えてから約3年、一度もワックスがけしてないから。丁度これで良かったのかも。相変わらずいい加減な我が家なのでした。
2011.03.25
コメント(2)
早川義夫さんの新刊読了。と、言っても本職の物書きではないので、再デビューして2冊目のエッセイ集。彼のHPの日記を集めた本だ。そういう意味では最初のエッセイ「魂の場所」には密度が劣るかもしれないが、これもまた早川節と言おうか、彼の人柄がそのまま出たステキな本だった。その作者そのものが暖かく迫ってきて、読んだ後にその人が好きになってしまうのがステキなエッセイだと思っているのだが、この本もそう。奥さんとの暖かいやりとりにクスッと笑いながらも、その手のひらの上でドタバタしてる早川さんが可愛い。そして愛犬のチャコの死や、仕事上のパートナーだったバイオリニストのHonjiの死。それら身近なものに捧げられる彼のほとばしるような気持ち。自分を飾らず、弱さも愚かさもさらけ出している。裸のまま、歌と同じ。だからステキなのである。
2010.12.19
コメント(0)
今日の徳島は、断続的に雨が降って、気温が20度とかに下がった寒い1日だった。人間の最適温度は16度とか、どっかで読んだことがあるけれど、昨日の最高気温が30度だったりするので一気に10度も下がると、とっても寒い気がするね。何でもそうだけど、絶対値ではなく相対的変化が大事ってことか?今日の午後は、ヒロキが塾で居なかったけど、残りの家族でシネコンへ出かけて「海猿~ラストメッセージ3D版」と言うのを見てきました。佐藤秀峰のマンガがあるのは知っていて、それがテレビドラマで人気があるのは知っていた。ミドリが伊藤君のファンで、前にアマゾンで中古のDVDを買わされた事もあったが、僕自身は今までマンガも映画もテレビも見ていなくて、今日が初めてだった訳。祝日のシネコンは結構人がごった返していたけど、配偶者があらかじめネットで座席を取っていたのでスムースに入場できた。3D眼鏡を貰って予告編を見ているうちに何故か爆睡してしまい、気が付いた時には映画は佳境に入っていた(笑)。いや、なかなか楽しめましたわ。ところどころ、ポセイドンアドペンチャーの場面を思い起こすようなところがあって、笑ってしまったけれど。配偶者も同じように感じたようで、さらには設計者が出てきて関わるところは、タワーリングインフェルノと同じだと深い洞察をしておりました。でも、映像、話の展開などそれなりに山もあって、泣けも出来て、良い娯楽映画だと思いましたぜ。前に子どもと一緒に見た映画は、ジャニーズが出ていた「黒サギ」で、この下らん映画に比べたら10倍は良かった。(ジャニーズが出ていないと言うだけで好感度アップなのよ)伊藤君はなかなか好青年で、松潤にはうちの娘はやらんと思うけど、伊藤君にならやっても良いと思ったりして(爆)。原作がマンガってのが気に入らないけど(マンガを超える映画やテレビドラマは無いと思ってるので)、最近のドラマや映画は本当に漫画が原作が多いよね。オリジナルの脚本って出来ないのか?でも、佐藤秀峰の漫画を読んでみたいと思わせる映画でした。
2010.09.23
コメント(6)
僕が定期購読している雑誌は2つある。ひとつは音楽雑誌の「ミュージックマガジン」、そしてもう一つは自動車雑誌の「NAVI」である。最近は忙しさもあって、どちらもそれほど熱心には読んでいない。前者は、新譜の情報を得るために読んでいるようなものだし、後者は新車の案内を読むと言うよりは、色々と連載されているコラムが好きで読んでいた。読んで居た・・と過去形になるのは、後者のNAVIが2月末に発行された4月号を持って休刊になってしまったからだ。休刊と言っても、事実上の廃刊だと思う。ナビはちょいと変わった雑誌だった。自動車雑誌と言うと、普通はメカの紹介とか新車の宣伝とか、半分メーカーの提灯記事のようなのが多いけど、この雑誌は自動車と人間がどんな風に関わっていくかとか、自動車を巡る社会と文化に焦点を当てているようなところがあった。だから、エコの話題にも積極的だったし、自動車雑誌の癖に、人間の未来に本当に自動車は必要かなんて内容もあった。それ以外に、交通事故の検証、安全性のテストなどがあり、さらには古い車を大事にするような「10年10万キロストーリー」なんて企画もあった。これは名前の通り、10年以上10万キロ以上愛車に乗っているユーザーを取材に行くもので、考え方によっては新車購入を抑制するような企画でもあった。2代目編集長のスズキさんは、若い頃学生運動をしていた左翼の慣れの果てのような人で、フランスが核実験をやった時には、フランス車に乗ってフランス大使館へデモに行こうなんて企画を出したりした。小説を連載していた矢作俊彦がこのスズキさんを主人公にした小説を書いたり、浅田彰と田中康夫が「憂国呆談」と言う対談をやっていた時期もあった。このあたりがこの雑誌が一番面白かった時期だと思う。スズキさんが編集長を更迭され、他社へ移り、何人か編集長が替わるうちに、少しずつこじんまりとした雑誌になっていったように思う。そして、折からの不況による自動車購入の抑制、広告収入の減少があり、さらにはwebで活動を始めた事により、最終的には自分の首を絞め落としたようになったと言う。webと紙媒体との関係は、これからも色々あるんだろうなあ。さて、次はどうしようか?スズキさんが編集長をやっている「ENGINE」を読んでみようかどうか思案中である。
2010.03.25
コメント(2)
正月明けに始まった恒例の徳島駅伝も今日が最終日。もう正月気分もすっかり抜けた今更になるけど、年末年始を振り返ってみよう。紅白歌合戦。目玉は矢沢永吉の出演だったようね。偶然テレビで見ていたけど、あのNHKらしいわざとらしい演出はどうよ。「あ・・今矢沢が門をくぐって廊下を歩いてきます」だって。そんな訳ないじゃん。プロの歌手がリハーサルも無しにいきなりやって来てすぐに歌い出す訳がない。あまりにもお粗末な演出のように思ったけどね。おまけに矢沢、歌詞間違いすぎてテレビの字幕が消えちゃうし。思わず笑ってしまった。それにしても矢沢さん、なんで紅白に出たんだろう?詐欺に騙されてお金に困ってるとか?矢沢よりも何よりも、紅白でインパクトがあったのが森光子さん。ああ小さくなっちゃって・・。アナウンサーの質問にもしどろもどろ。舞台なんかの決まり切った台詞は言えるんだろうけど、もうアドリブで喋るのはちょっと辛そう。こんな場に(トイレに行けないらしいね)呼び出さずにそうっとしておいてあげたらいいのに。彼女を見ていて思い出したのは、去年19歳で死んだうちの花子。小さくなって頼りなさげな目の感じとかそっくりなんです、本当に。紅白の目玉は、嵐と矢沢だったらしいけど、TBSのダイナマイトは、それに魔裟斗の引退試合をぶつけてくると言うこれまた浅ましい構成をしていたね。僕は格闘技が好きなので、大晦日になんで格闘技?と言う疑問はさておいて、毎年格闘技を見ながらコマーシャルの間に紅白と言う感じだが、今年は嵐が命のミドリちゃんがチャンネルを変えさせてくれなかったので、魔裟斗の試合は合間合間に見る感じになってしまった。でもさあ、魔裟斗の試合はメインイベントの一番最後の試合だったわけで、あれ??もうダイナマイトは最後か?なんて誤解をしてしまった。録画なのに任せて、紅白の一番目玉の部分に自分の所の目玉を持ってきたわけで、そんな事して一瞬の視聴率取っても全体でどうよ?と思えば情けないわけで、目先のことより全体の構成を考えて欲しかったな。そもそも、幾ら魔裟斗の引退試合があるといっても、ダイナマイト自体はドリームと戦極の対抗戦もあり、K1甲子園もありと盛りだくさんだったわけで、最初から魔裟斗で煽りすぎ。過去の試合なんか流さなくてもいいんだよ。それよりもその日の他の試合をちゃんと放映してくれよ。そして紅白も山も過ぎた最後の方に魔裟斗の試合をしたら良かったと思うんだけどね。そもそも、魔裟斗って「反逆のカリスマ」とか言われているけど、一体何に反逆したんじゃ?K1マックスだって、魔裟斗の為に作られたような大会だったし、ずっとスター街道を歩んできたんだし、このコピーも意味分からんって前から思っていたんだけどね。このダイナマイトで一番衝撃だったのは、お互いドリームのチャンピオンの青木と、戦極のチャンピオンの広田(だっけ?)の試合。青木が一方的に責め立てて、最後は広田の腕をへし折ったんだけど、それは勝負なんだからタップをしなかった広田や止めなかったレフリーにも問題があるとして、骨を折られて横たわっている相手に、中指を突き立てて「ファックユー」のゼスチャーをした青木の態度はひどいと思う。あれはスポーツマンとして最低の態度だと思う。ああいうのするのって日本人だけのような気がするんですけど。青木は上手いし強いとは思うけど、もともと顔が負け犬だし、リングコスチュームは下品で派手だし、負けるときは結構一方的に負けちゃうし、あまり好きな選手ではない。今回の件で余計にそう思ったね。自分なりに一番面白かったのは、コマンドサンボの郷野が、桜井マッハに勝った試合。あれはなかなか見事だったと思う。さて、お正月になると正月前に録画したのが見え見えのあほらしいバラエティー番組ばかりで辟易するので、テレビを見るとしたらやっぱりスポーツ中継ぐらいになるよね。箱根駅伝。駅伝やマラソンって退屈な気がして全部は見ないんだけど、何故か何人抜きするような選手が走っていたり、故障で脱落しちゃう選手が出たりするときに出くわすのよね。今年は新山の神の柏原選手が5区で区間新の力走を見せて大逆転。そのまま復路も東洋大が守って優勝となった。その後の各チームの監督の言うことがふるっている。「山の区間で優勝が左右されるのがおかしい」とか、瀬古に至っては「他の区間は要らないんじゃないの?」とかどっかの監督は「山の神は育てるものじゃなくて出会うもの」だって。自分たちの指導力の無さを棚に上げて、よくぞまあここまで負け犬の遠吠えをしたもんだと思うけど。まあ、個人的には箱根駅伝って一人の距離が長すぎると思うけどね。他の駅伝ではこんなに長くないのに何で箱根だけこんなに長いの?って思ってしまう。それでも条件はみんな同じなんだから、それで勝敗が決まってからぶいぶい言うなって思うよ。前の山の神、今井選手の時にもこんな議論が出たんでしょうかね?2日の大学ラグビーの準決勝。慶応も明治も負けて、結局対抗戦グループはどこも決勝へ進めなかった。結局の所、高校時代の有名な選手を集めて、彼らは有力だけど早稲田や明治のセレクションに入れるほどの頭の無いのが殆どだから(それでも一般の学生ほど頭の良さを要求されないんでしょう?)その次のランクの学校に多く集まられるんでしょう。そういうのが多い学校が強くなってきてる訳で、当然と言えば当然か。で、帝京大だったか、そんな選手が色々事件を起こしたりして居るんだから、スポーツで大学へ入れてやるって事がどうなのよって問題が出てこないのが不思議ですね。なんか一気に思いつくままに書いたので、ちょっと過激で独りよがりの表現もあるかも。でも、正月のテレビなんてこんな感じでつっこみを入れながら見るのが楽しかったりするんですね。
2010.01.06
コメント(6)
今日は久しぶりに映画を見てきました。「徳島で見れない映画を見る会」と言うのに、もう十年以上入会しているのは前に書きましたが、その例会と言うのが月に1回あります。今徳島には、シネコンがあるぐらいで大手の映画は配給されますが、ちょっと通好みの映画は、あちこちで賞を取ったような映画でも上映される事は無いです。だから去年か音年のカンヌで賞を取ったもがみの森(だったっけ?)もこの会での上映でした。でも、いつも忙しかったりしてなかなか例会に行けない。最近は日曜日が多いけど、家族残して一人だけで行くのもちょっと気が引けて・・と言う事だったのですが、昨日案内の封筒を開けてみてみたらちょうど開催は翌日。家族の予定は何も無いし、昼前に出て行く配偶者が昼過ぎに帰ってくるので、4時前からの上映に間に合うじゃんと言う事で急遽の出撃になりました。まあ、もともと僕と配偶者の好みは少し違っていて、彼女は拳銃がバンバン鳴って、爆弾が炸裂して、血や首が飛んで、それでも主人公は絶対に死なないと言うような映画が好きなんですけど、僕はどっちかと言えば人間が主人公で、しみじみと胸に迫るような映画が好きです。今までに印象に残ってる映画’と言えば、「ソフィーの選択」「戦場のピアニスト」「ショーシャンクの空に」「アイアム・サム」「祭りの準備」「竜二」う~ん、他にもたくさんあるけど、映画を見なくなると忘れてくるんだよね。で、今日見た映画はディア・ドクター結構話題になったので、見た人も多いのでは?医療関係の映画と言うのは、結構身近な事が多いので、ある意味作り物臭さが見えるんだけど、この映画はなかなかそういう意味では良かった。鶴瓶が医者?瑛太が医者?井川遥が医者?なんて言い出すとキリがないけど、皆さん良い味を出していました。井川遥って色っぽいですね。惚れちゃいました。あらすじに関しては、あまり書くとネタバレになるけど、ニセ医者として無医村にやってきた鶴瓶は、それなりに一生懸命に勉強し、村人に向き合うことによって彼らの信頼を得て居たが、ある一つの嘘をきっかけに心理的にじわじわと追い詰められるようになり、とうとう白衣を脱ぎ捨てて村を飛び出して行った。ニセ医者として彼を追う警察が、彼の周囲にいた人たちから彼の診療ぶりを聞き出して行く形でエピソードが綴られていく・・。医者の居ない無医村の現実、患者自身と向き合おうとしない現在の都会の医者に対してのアンチテーゼなど、色々な問題を含んでいるけど、結局この映画のテーマは何だろう?嘘から出た真実・・それは偽物か?って事なのかな?そして、人は何かになって誰かと関わり合いながら生きていかないといけない・・そんな事を考える映画だった。前田有一の超映画批評でこの映画が語られています。
2009.12.13
コメント(9)
桑名正博と言うと、何か色物のロックシンガーのように思われている節がある。「哀愁トゥナイト」や、「セクシャルバイオレットNo1」のヒットがあるからだと思うが、本当はもっと評価されて良い不世出のロックシンガーだと思う(ギターも上手い)。ちょいとハスキーな声、豊かな声量と情感を込めた歌い方、最近はどうも節回しのタメが効きすぎて、ひとつ間違えば堀内孝雄になりそうなところでググっと止まっている。髪の毛の白髪具合も素敵だなあと思う。やっぱり何歳になってもやんちゃなイメージがあって良いよね。こんな不良っぽい中年になれたら良いなと思う。彼の歌を沢山聴いてる訳ではないが、やっぱり代表曲と言えば下田逸郎が作詞した「月のあかり」ではないだろうか、これは僕もカラオケの愛唱歌にしてる美しいミディアムバラードである。そしてもう一つ、湘南のブレッド&バターが歌ってヒット、桑名の妹の晴子のカバーが素晴らしい「あの頃のまま」と言う歌がある。桑名の歌と言う気がしないので彼の代表曲にしなかったが、彼もこの歌を唄っている。作ったのは呉田軽穂となっているが、実はこれはユーミンの作者としての名前(加山雄三の団こうさくのようなもの)なのだ。ノスタルジックなミディアムバラードでだ。先日PTAの飲み会の2次会でカラオケでこの「あの頃のまま」を唄った。同じく副会長で一緒にバレーをやっている歯科医のTさんが後で「この歌をカラオケで歌っている人を初めて見ました。」とわざわざメールをくれた。彼は稲垣潤一の歌でこの曲を知ったそうだ。稲垣潤一のバージョンはYOU TUBEで探したが見つからなかったなあ。同じく下田逸郎と桑名のコラボで作った曲で「夜の海」と言う曲がある。これも桑名晴子の傑作カバーアルバム「ムーンライト アイランド」に収録されたのを聞いたのが最初だ。もちろん兄貴の桑名が歌っていた曲のカバーである。この曲も胸に染みるスローバラードなんだよね。これもよくカラオケで歌うのだ。さすがYOU TUBEだ。桑名が歌っている画像は沢山あるね。桑名が歌い(あまり堀内孝雄してない歌い方)、妹の晴子がコーラスを付ける。そんな素敵なライブを2つ見つけた。テレビ番組の収録のようだが、彼のギターのうまさも堪能出来るライブ映像だ。夜の海月のあかり
2009.03.30
コメント(3)
いやあ、凄いですね。鳥肌が立ちそうでした。何って?格闘技です。K1 World Max ファイナル!優勝したのは魔裟斗。準決勝の佐藤嘉洋戦も決勝のキシェンコも相手にダウンを奪われながら、微妙な判定で延長へ突入。延長では完全に場を支配していましたね。合計で8ラウンド動きっぱなしの体力も凄い。倒されて立ち上がって、更にアグレッシブに相手を倒しに行く。K1背負っている責任感、数年越しの2回目の王座獲得の執念、それらが浮かび上がるようでした。何のスポーツをやるのも気持ちが大事だなあと教えてくれました。個人的にはあまりファンじゃなかったけど、今日は魔裟斗のファンもそうでないひともあの戦い振りには感動したんじゃないかな。おめでとう、魔裟斗!
2008.10.01
コメント(4)
昨夜何気なくテレビを点けたらERをやっていた。ああ、再放送ね・・と見ていたら・・おおおおおお新シリーズじゃん。これで??(文字化けしてると思うので、13のローマ数字と見てください)となる。本来ならこの4月から始まるはずだった新シリーズだが待てどたっても始まらず。NHKに電話でもしてやろうかと思っていたのだが、こんな予告もなく始まるなんてひどいぞ。偶然テレビを点けてなかったら(普段滅多にテレビなんて見ないのよ。昨日は帳簿を付けながらニュースを見ようと思って点けていたわけ)見落としていたジャン。前のシリーズはとんでもないところで終了していたのだ。看護婦のサムの元夫はならず者で刑務所に入っている。その元夫が務所内の喧嘩で相手と共にERに治療に訪れた。その治療中、喧嘩がやらせで男二人の脱走する為の共謀と判明。止めようとした医師のコバッチュだったが、出来の悪い見習い看護婦が実は喧嘩相手の情婦で、彼女に筋弛緩剤を打たれて呼吸停止をしてしまう(意識のある呼吸停止でこれは辛い)。犯人たちはサムを人質に連れて脱出しようとする。サムは懇願してコバッチュに気管内挿管をさせて貰う。犯人たちが出て行こうとしたとき、怪しい雰囲気を察した警官、スタッフを巻き込んでの撃ち合いになり、受付の大男ジェリーが被弾。更にコパッチュの彼女で臨月のアビーが倒れて流産の危機。処置室で気管内挿管されて転がっているコバッチュに誰か気づくのか?(人工呼吸器に繋がらないと呼吸が出来ない)そして、車に乗せられたサムの目に入ったのは、さるぐつわを噛まされてとらわれている糖尿病の持病がある一人息子だった。なんか医学ドラマと言うよりもう巨大サスペンスでしょう。さあ。これをどう収拾つけるのか・・。結果は言えないけど、すごい経過だったのよ。でも見始めた時点で半分以上終わっていたから残念。早く再放送しろよ~~。まだこのドラマの事を知らない人はNBCのERのサイトNHKのサイト wikipediaなどもどうぞ。
2008.09.30
コメント(10)
大草原の小さな家と言うテレビドラマを覚えてるだろうか?知っている人には解説不要だが知らない人の為に一応解説しておくと、南北戦争の頃のアメリカ北部を舞台に、大草原の小さな家で暮らす家族を主人公に、大自然や社会の変化に翻弄されながらもスーパーマン父さん、美人で聡明な母さん、そして3人の姉妹の家族が結束し、逞しく暮らして成長していく様子を描いた人気ドラマだ。何度も続編が作られて、最後の方はちょっと迷走した感じもあったけど初期の頃は我が家でも家族がみんな揃ってテレビに見入っていたものだ。このDVDボックスを入手してうちも家族で見ているのだけど、ミドリちゃんがすっかりはまってしまい自分は長女のメアリーになりきっている。違うでしょ。聡明で勉強好きなメアリーとは似ていないと思うんですけど。まだ次女のローラの方が似てるか?いやいや、こんな体型の奴はこの時代にいないよ~。ドラマの中で、子供たちの返事が良い。「はい、父さん」「はい、母さん」「はい、先生」。まあ原作の台詞をそのまま訳しただけなんだろうけども。彼女も二言目には「はい、父さん」「はい、母さん」を連発してる。でも、返事だけで中身が伴ってないんだよ~。しかし、もう30年以上前のドラマだけど今見ても色あせてないし、やっぱりウルウルきてしまうんだよね。現在はシーズン3まで。その後もどんどんリリースされるみたいだから、過去に見た人も、まだ見てない人も一度は鑑賞あれ!
2008.09.11
コメント(12)
しかし、暑いんですけど・・。今日の午後のフリータイムはプールを止めて久々に映画へ行った。「徳島で見れない映画を見る会」と言うのにもう10年以上入ってる事は以前からなんどか日記に書いたけど、今日もその例会だった。何のこっちゃと言う会の名前だけど、要するに知名度はあるのに、メジャーな配給で無いために徳島で見れない映画を自主上映しようと言う会だ。今までに何度も感動する映画をここで見た。最近(と言ってもかなり前だけど)の映画では、「月はどっちに出ている」「初恋の道」とかこの前の「約束の旅路」も良かった。今日の作品はこれ4カ月3週と2日2007年のカンヌ映画のグランプリ作品である。例えこういう賞を取った(これだけじゃなくて、色んな賞を総なめ状態)映画でも、徳島のような地方じゃ「相棒」やら「ポケモン」の方が人気があって上映の予定が無い訳ね。とまあ、映画の前宣伝を見て多分の期待を持って行ったのだが・・・.う~ん、ようわからん映画だった。いや、分からんことはない。分かりやすい映画なんだけど。これがカンヌグランプリ??ワシの感性はもう世間じゃ通用せんのか・・とか?思ってしまったのよ。別に配偶者様のように、分かりやすくて勧善懲悪であとに何も残らずスッキリなのが良いと言うつもりはない。やるせなさや不条理感が残る映画だって構わない。こっちへ何かを投げ出されて、後で落ち着かない気分になる映画だって好きだ。要するに自分の中へ何かが残るような映画であれば良いのだ。チャウシェスク政権末期のルーマニア。産めよ増やせよ政策の元、中絶が禁じられ違法行為となっている世の中で、禁じられた堕胎行為を闇で受けようとするルームメイトの女性を支えようとする女性の話は、確かに息詰まる緊張感や、すさまじいまでのリアリティはあるんだけど、何か映画の余韻という物がない。まあ、それは終わり方にもよるんだろうけど。何とか無事に中絶が終わって、ルームメイトとホテルのレストランで二人で向き合って安堵している?ところでこの映画は終わるんだけど、いきなり画面が暗転してブツっと言う感じで終わるのよ。こちらは、あれ??フィルムの入れ替えでもするのかしら?なんて思っていた訳さ。せめて二人が段々と遠景になっていって、そこへエンドクレジットが出て終わり(そういうのもこの映画ではなかった)として欲しい。ずっと前にも、フランス映画だったか、イタリア映画だったか・・この会で見た映画で、ラストがいきなりブチっと終わって、え???と思ったことがあった。ヨーロッパ人はこんなの好きなんですかね?ま、何とも言えない映画だったわけで、泳ぎに行った方が良かったのかしらなんて思っている。誰か見た人、またご意見ください。来月の例会は、イギリス映画の「つぐない」こちらの方が面白そうな気がする。
2008.07.18
コメント(7)
ふむふむ。昨日の日記は結構興味深かったね。若草物語や赤毛のアンを夢中になって読んでいたのは僕らと同世代、やや少し上の世代と言うことがわかった。ちょっと下になるだけでも見事にずれちゃうんですね。しかし、僕が漬けたらっきょはどうして色が茶色いのよ!あ・・いきなり話が飛んですまん。今年は梅干しさぼったけど、代わりにらっきょうを漬けてみたんですよ。漬けたと言ってもそんなご大層なものじゃなくて、スーパーで買ってきたらっきょうを文字通り、買ってきたらっきょう酢に漬け込んだだけだけど。普通、らっきょって色が白いよね。僕が漬けたのは何か茶色いのよ。う~ん、どうしてだろう?考えられるのは、買ってきたときにもっとしっかり洗っておかないとあかんかったのかな?泥が付いてる訳では無かったけど(今、瓶の底に沈んでる訳でもないし)。う~んわからん。そういう訳で、今夜も僕が作った夕食のメニューで日記ね。茄子とオクラの炊いたん。茄子は油で炒めてから出し醤油を薄めたタレで煮込む。オクラは、ガクを取って、茄子の汁を薄めた汁で(色がついたらいやらしいので)さっと茹でて合わせる。かぼちゃの煮たん。これは「ぼっちゃん南瓜」と言う品種らしい。果肉の色がレモン色で、炊いたらウラの皮と混じって黄緑色になっていた。この写真はちょいと画質調整が効いてるね。茄子と豚肉の味噌炒め。子供達はこっちばっかり食べていたなあ。3つとも冷えても美味しいのよねえ。あ、もらい物のテールスープも出しました。ああ・・もう7月だ!
2008.07.01
コメント(11)
人気テレビドラマ「相棒」の劇場版が空前の大ヒットを飛ばしているらしい。と、言っても僕はテレビの古い奴のDVDを2回ほど見ただけなのであまり色んな論評をする資格はない。でも、たまたま見たその2回が「それほどのものか~?」って感じだったので、自分としてはまあどうでも良い映画だと思っている。世の中は相棒を絶賛する人と、そうでない人に2分されるようで、後者の僕は楽天の友人のサイトでもそういう旨の発言をして、「それは数を見てないからだ」とか「伏線が分かってないからだ」と色々と言われて片身の狭い思いをした。でも、少なくとも次々にシリーズを見たいとは思わなかったと言うことはそういう事だと思うんだけどね。まあテレビの方はさておいて、映画版相棒に関して、先日よっこさんが、テレビと比べると突っ込みどころが多くてイマイチと言う旨の日記を書いていたので、それみたことかと少し溜飲を下げたのだけど、まあ彼女もテレビの相棒は絶賛派なんですね。まあ、この際テレビの方は置いておこう。映画の方だって自分は見てないので、今日はあくまでそれを見てきた配偶者の談話と言うことにしておこう。我が家でも僕を覗いて他の4人は相棒派なんだが、子供達はGWの高知でプー子ちゃんの姉ちゃんに連れられて映画を一足先に見たらしい。で、配偶者は満を持して自分の仕事がお休みの今日相棒鑑賞に臨んだと言うわけだ。僕との楽しい昼食を放棄してまで出かけたその映画は・・彼女が見ても突っ込みどころの多い映画だったらしい。まず彼女が突っ込んだところ犯人役の西田敏行。胃ガン、それもスキルス癌の末期で余命数ヶ月の男が何であんなにまるまると太ってるのだ!!有り得ない!寺尾聡とか緒方拳ぐらいならわかるけど・・。彼女と、あらすじを聴いた僕が突っ込んだところ自分の子供を殺した相手ならともかく、いくら子供の死を自己責任として誹られた、また撤退勧告の時間をごまかして子供を救出しようとしなかったと言っても、それで何人もの人間を殺害する動機になるのかどうか?設定に無理がある。確かに僕もそうおもう。他にも色々と彼女は突っ込んでいたけれど、まああらすじを聴いただけで詳細を見てない僕としてはあまりコメントのしようがないところが多かった。まあゴーマンを承知で言わせて貰えば、大ヒットする(大勢の人が良しとする)映画はエンターテイメントを供給する事はあったとしても、繰り返す感動とか自分では説明しきれない不思議な感情を後に残すことは少ないんじゃないかと思う。あまのじゃくと言えばそうですが。ちなみに、配偶者が絶賛する相棒は2時間スペシャル枠で、えん罪を扱っ話だったらしい。そして、僕が見てイマイチだったのは一つが蟹江敬三が犯人のバーテンダーで、カクテルの名前が何じゃらと言う奴、そしてもう一つが細川隆之が神父さんの役をしている奴だった。ついでに言わせて貰うと、うちの阿呆どもが熱心に見ている人気ドラマ「ゴクセン」に対して、どっかの精神学者が勉強が出来ない事を賛美する内容だとか、うちの配偶者があれは極道を賛美しているからいけないと言っていたけど、それ以前にあれはドラマになってないじゃん。単なるジャニーズの顔見せドラマ。何よりあの不良達が出来てない。頭染めて洋服の襟をはだけて乱暴な言葉を使えば不良って訳じゃないでしょう。顔がジャニーズそのままじゃん。せめて不良というなら、辰吉丈一郎とか大八木(神戸製鋼の)みたいな顔の役者を連れてこいよ~。顔だけじゃなく、話ももっとリアリティーのあるものにして欲しいね。(極道の先公と言う設定自体が無理か・・)まあ話がずれていったけど、今日の映画版相棒の論評は配偶者様談なので、くれぐれも僕を責めないでくださいね。
2008.05.26
コメント(14)
自分が入れなかったのが余程悔しかったのか、ミドリちゃんが家を増築しました。これでヒロキもミドリも家に入れるようになって、3人が入れ替わり立ち替わり入っています。表に表札が付いてるの分かる??さて、以前に山本シンの「Live at拾得」を紹介したけれど、このアルバムは非売品ではないけれど、一般のレコード店では手に入れる事が出来ないというややこしいCDだった。もともと、シンさんは自分の作品を残すことに無頓着だったけど、拾得での演奏があまりに素晴らしかったのでプライベート録音をもとに支持者のみんなが集まって作ったCD-Rがそれだった。勇造さんの掲示板で知って欲しいな~と書き込みをしていたら制作者のひとりで勇造さんのファンでもある「マンマさん」からお便りを頂いて手に入れるに至ったわけだ。その内容は以前の日記でも紹介したけれど、ブルースという枠を越えてシャンソンやジャズの香りも持ち、荒々しかったシンさんの歌が見事に(良い意味で)ソフィスティケイトされたものだった。以前は魂の赴くままにシャウトしギターをかき鳴らすと言う感じだったが、今は周りの様子も見え、押したり引いたりしながら見事にコントロールを効かせている。確かに軽くなった・・と書けばイマイチのように思われるがそうではない。中身が無くて軽くなったわけではない。重い歌を歌い続けて30年、その後に手に入れた重みのある軽さなのだ。今年買った新譜は勇造さんの新しいアルバムと、このシンさんのライブだけど、希少価値と言う事をさしおいても今年のN01はこのアルバムだと断言できる。そのCDが幻にならずにきちんと販売網に乗ることになった。発売するのは地底レコードと言う会社。何曲か試聴も出来るよ(でも、僕が一番お薦めの3曲は聴けないんだよな)。CD-R盤と違うのは、7曲目の「ヨコスカブルース」が「船長気分」に差し替えられているところだ。この「船長気分」と言う歌は、これこそが「マンマさん」が世に出したかったと言う曲らしい。じゃあ、どうして最初から入ってなかったんだろうと思うけど。昔のシンさんの荒々しさがかいま見える曲だね。ギター背負って人生と言う海に漕ぎ出すって感じ。まあ、ヨコスカブルースだって凄く言い出来なんですけど、両方収録するのは無理だったのかな。それとも著作権(これはシンさんのオリジナルじゃないので)の問題だろうか?本当にこの名盤(と、断言しよう)が幻で埋もれずに流通に乗ってこのブログを読む皆さんでも手に入れる事が出来ると言うのは素晴らしい事だ。ジャケットワークも元のまま素晴らしい!ほれ、借金してでも買うのじゃ!
2007.11.18
コメント(9)
何を隠そう(何も隠してないけど)僕はハルキストと呼ばれる村上春樹愛好者である。彼の新作は必ず買っているけれども、それはもう惰性・・と言うのでは決して無くて、その都度新しい発見や新鮮な感動を貰っている。その彼の新作がこの本である。村上春樹著 「走ることについて語るときに僕の語ること」もちろんタイトルは、彼の敬愛するアメリカの短編小説家、レイモンド・カーヴァーの「愛について語るときに僕の語ること」から取られている。(村上さんは、一応カーヴァーの未亡人にこのタイトルについて承諾を得たそうだ)村上春樹がジョギングが好きなのは広く知られているところである。いや、ジョギングと言う可愛らしいものではない。彼は何度もフルマラソンを走り、100kmのウルトラマラソンも走り、最近ではトライアスロンもやっていると言う、作家としては珍しいランナーなのである。そのように、走ることが既に人生の一部分になっている彼が、走ると言うことについて自分自身を振り返って書いたのがこの本である。狂言回しに使われているのは走ることであるが、彼は走ることについて書くことで、自分自身がどんな風に作家となり、どんな風に小説を書き、何を考えて生きているかについてまで言及している。まさにバイオグラフ?メモワールとも言うべき作品である。語り口はいつもの春樹調だけど、結構語られている事は深いと思う。なかなか読み応えがありましたで。文庫になるまでなんて言わないで、すぐに買って読むべし。そう言えば、村上さんの一人称も「僕」だったな。今日の徳島は冷たい雨。昨日の3試合が堪えたのか、今日は1日中疲れが残っていたな。11月からは健診が終わったと思ったらインフルエンザの予防接種が始まった。高い熱の風邪の人も多い。健診結果の集計と、レセプトのチェックと、書類仕事が山積みで頭が痛い。風呂に入る前にTシャツと下着だけと言う寒い格好で書類仕事を1時間したら、シンシンと体が冷え込みました。今年初のデロンギを付けて寝ることにしよう。小樽の見知らぬ人から絵はがきを頂いた。勇造さんのファンで、僕がアップしたYOU TUBEの画像をたいそう喜んでくれたお礼のハガキだ。何で住所がわかるの?と思ったら勇造さんのサイトにライブの案内が載ってるもんね。そう言えば宛先の名前は病院の名前になっていた。こういのは嬉しいな。小樽も今夜は雪が降りそうだとのこと。みんな風邪などひかぬようにね。
2007.11.05
コメント(6)
と、言うわけで本日2つめの日記です。運動会の翌日が祝日と言うのはありがたいもの。ゆっくりと9時過ぎまで布団の中でうだうだとする。今日は病院の電話もあまり鳴らない。こういう時にはゆっくりとモーニングでもと思って家を出たら既に11時も廻ってしまいもー煮具どころかランチになる。駅前のアグネスホテルへ。ここは数年前に古いビジネスホテルを買い取って新装オープンしたところだが、ケーキやレストランで女性客に評判が良い。1階のレストランは内装も綺麗で、スタッフの動きもキビキビとして非常に好感が持てた。カズの食べたパスタランチは、マリネしたサーモンがのっかったクリームスパゲッティ(かなりの量)にサラダ、パン、スープがついて1100円だし、ミドリちゃんが頼んだアメリカンハンバーガーはどうやって食べるんじゃ?と言うぐらいに何層にも重なっている。他の3人が食べた1800円のランチもとても綺麗で味も良くリーズナブルだと思った。ただ、食後の珈琲の入ったカップがでっかくて・・手首が疲れた。小さなカップでお代わりを勧めてくれる方が良かったね。このレストラン、さすがにオシャレなだけあって、お客さんも若いカップルや女性の2人連れが多い。家族連れは我が家だけ。僕らは入り口に近い席で、特に僕が座っていた席は入り口を向いていたので入ってくる人や会計のカウンターに居る人を次々に観察。思うに・・若いカップルで女性はみんなオシャレな格好をしているのに、一緒に居る男性はなんでみんな煮染めたような安物っぽいTシャツにジーンズなんだろう?女性との服装は完全なミスマッチである。こういうカップルの大半は、会計も女性がしていたんだけどね。この男性達は、将来有望な(医学部の学生とか?)学生で、青田買いなんだろうかと思ったりして。で、僕らの服装??配偶者は黒のノースリーブのTシャツ(どこへ行っても寒いという癖に、何でそういう服を着る?)に黒に近い七分丈のジーンズ、派手なポールスミスのストライプのベルト、僕はカールヘルムのワッペンの付いたベージュのワークパンツに、金魚のガラの季節外れアロハと言うまた完全なミスマッチだったのでした(子供達は、もちろんお煮染め)。10周年のお祝いのお返しを求めてデパートへ。こうなると、やっぱり洋服売り場をうろついてプチイメルダ状態に陥ってしまう。ポールスミスのXLがきつくなっていることに愕然。やっぱりワシは太ってきたのだ。お返しはロイヤルサロンに腰をかけてお茶を飲みながら外商の人を呼んでいただいて注文していたわけだが、このロイヤルサロンには色んな人がやってくる。飲みものタダだしね。一応、そごうのカードでも一番グレードの高いカードを持ってる人しか入れないことになってるのだけど、買ってきたケーキを持ち込んでお茶や珈琲を入れて貰ってるオバサン達が居てびっくり。それならケーキを買った店でテイクアウトせずに珈琲も頼んでそこで飲めよ~。それから、店員を指さして「あれ、呼んで」という人。店員さんだって人間なんだから、「アレ」って言うなよ~。夜、紀伊国屋で買ってきた「いつまでもデブと思うなよ」を読む。著者はオタク評論家みたいな人だけど、ひとかどの人だけあって、分析も素晴らしく文章も上手い。でも、やっぱりダイエットに関しても凝り性だね~。基本はまず自分の食べたものを徹底的に記録すること。次にそれがどのぐらいのカロリーになっているかを考えること。そして自分が決めたカロリー内で収まるように工夫することなのだ。これは所謂、認知行動療法だね。この人みたいに1年で50kgも痩せようとは思わないが、あと10kgぐらい何とか痩せねば。せめて誰やねん君よりは下になるように・・。やるぞ・・。
2007.09.24
コメント(16)
「徳島で見れない映画を見る会」と言うのに10年ぐらい前から入っている。文字通り、大手配給の映画しか上映されない(いや、最近はそれさえも上映されない)徳島で、良質の映画を何とかみんなで見ようじゃないかと言う会だ。毎月1回の例会は楽しみなのだが、この数年は殆ど参加できずに会費ばっかり払っていた(自動引き落としなので、退会手続きをしない限り毎年落ちていくのだ)。別に映画が嫌いになった訳じゃないが、例会がずっと土日ばかりだったので、1人だけで映画に行くと言う状況にはなかなかならなかったのだ。今月の例会は金、土曜日だったのでカズが土曜の午後にスイミングに行きだしてフリータイムも出来たことだしと言うので久々に1人で映画に行ってきた。ちなみに、配偶者は大手配給で派手にドンパチがあって、主人公が絶対にしなないと言う映画が好きなので(スティーブン・セガールとか)この手の会には入会していない。今月の例会はこの映画だった。約束の旅路。ベルリン映画祭パノラマ部門観客賞他、数々の映画賞を受賞してるらしい。最初の方は一体何の映画なのかよく分からなかった・・。エチオピアの北部には、ソロモン王とシバの女王の末裔として黒人のユダヤ人が古代より暮らしていた。彼らは太古の昔から、出エジプト記にしるされた聖地エルサレムへの帰還を夢見ていた。アフリカが飢饉に襲われた1984年、彼らは混乱したエチオピアを離れて、スーダンの難民キャンプへ移動する。そこにはイスラエルからの飛行機が到着し、アフリカのユダヤ教徒を次々にイスラエルへと運んで救助していたのだった(これをモーセ作戦と言うらしい・・こんな事が実際にあったのだ。これで8000人のユダヤ教アフリカ人が救われたと言う・・その何倍もがスーダンまでたどり着けずに亡くなったそうだが)。その中に、ユダヤ教徒ではない1人の少年が紛れ込んだ。父を、妹を、兄を混乱の中で失った少年を生かす為に、母親が少年を無理矢理そこに潜り込ませたのだ。「行きなさい、行って、生きて何かになりなさい」(原題はこういう意味らしい)と言うのが母親の最後の言葉であった。イスラエルへ渡った少年は、アフリカの大地と実の母親を捨ててきたこと、ユダヤ教徒だと偽って養父母を騙していることの両面から悩み苦しむ。そして白人社会における様々な差別・・・。それらと戦いながら成長していく少年。成人して医師となりアフリカを訪れた少年が見たものは・・・感動のラスト・・。と、文字で書いても何のこっちゃら全然分からないだろうけど、まあこういう一大叙事詩なのであった。親子の絆とは?人間のアイデンティティとは?色々と多方面から考えさせてくれる映画だった。次回は日本映画、しゃべれども、しゃべれどもこれからはまたどんどん例会に以降と思う。
2007.09.15
コメント(6)
2月4日に映画「橋の上の娘」(監督パトリス・ルコント)の事を書いた。マリアンヌ・フェイスフルの歌う挿入歌が素晴らしくこの曲(Who Will Take My Dreams Away?)を色々と探したけどどうも彼女のアルバムには入ってないみたいだ。ルコントの映画音楽ばかりを集めたCDをアマゾンで発見したけど、結局見つからないと言うことで手に入らなかった。不思議な巡り合わせだ。早川義夫さんのオフィシャルサイトのブログを読んでいたら、ジェーン・バーキンのYOU TUBEが素晴らしいと言う記事があって、んん?それならマリアンヌ・フェイスフルもあるんじゃないかと探したら、彼女の動画もたくさんあって、その中に「橋の上の娘」のあの歌の場面がアップしていたのだ。これって、よく考えると自分が持っているDVDの中の場面だからこれを見ても仕方ないと思うんだけど、まあ皆さんにご紹介できると言うわけで。この匂い立つようなエロティシズム。女を見据える男の目がギラギラと光る。視線が突き刺さって官能的に上を向く女。バックに流れるマリアンヌのハスキーボイス。そしてナイフの突き刺さる音。う~ん、やっぱりR指定だわ。と、言うわけでこのクライマックスの場面をみんなでお楽しみください。大人専用しかし、こういうのって著作権はないのか?話変わるけど、YOU TUBEに画像アップするのはどうしたらええんでしょう?勇造さんの動画をアップして欲しいという人がいるのだが(僕の日記の常連さんじゃなく)。そう言えば楽天も動画をアップできるのね。あれって携帯の動画だけなんでしょうか?段々システムについて行けなくなってるこのごろ。そう言えば管理画面のお気に入り日記の表示数がうんと増えてる。これは嬉しいことです。
2007.07.19
コメント(8)
好きな青春映画は?と聞かれたら迷わず「祭りの準備」と答えることにしている。青春映画にも色々あろうかと思うが、やっぱりこういう時期というのは、自分でも言葉に出来ない鬱屈したエネルギー、言葉に出来ないような欲望、そういうものがどろどろと自分の中でマグマのように渦巻いている、そういう時期だと思っているので、あたり一辺倒の淡い恋愛映画のようなものはあまり推したくない。先日DVDで見た映画も、同じようにこの時期の鬱屈したエネルギーを凄まじいまでに描ききっており、自分の中では「祭りの準備」と肩を並べる映画だった。この映画に出会ったのは偶然だ。浅川マキさんの歌う「グッバイ」と言う曲はジャズピアニストの板橋文夫の作品だが、板橋の「渡良瀬」と言うアルバムを聴き、更に他の板橋作品をアマゾンで検索していたときに見つけた映画だった。十九歳の地図この映画の音楽を板橋が担当していて、ラストにこのグッバイが流れると言う。これは見るしかないではないか。更に他にも偶然が。このDVD単独でもあったけど、監督の柳町光男のボックスセットで買った。同時に収録されている映画の1つがこれ。さらば愛しき大地。シャブに身を持ち崩して落ちていく男(根津甚八)と、それを何とか支えようとする女(秋吉久美子)の愛憎をリアルに描いた作品だ。その昔、ツアーの合間に偶然入った映画館で見て感動して勇造さんが同じタイトルの歌を作ったと言う映画だ。以前、テレビの深夜劇場で見たけど、夏の暑い日一面緑の田んぼに風が吹き稲穂が揺れて熱風が舞い上がる。それが凄まじい人間の噴出する業を描いているようでその映像だけでどきっとしたのを覚えている。そしてもう一つはこれ。ゴッド・スピード・ユー/ブラックエンペラーこれは実在したブラックエンペラーと言う暴走族に密着して彼らの(歪んだ?)青春を撮影したドキュメントである。この映画は未見だが、以前読んだ映画を作る人たちを主人公にした漫画「夢工場」(原作:山崎十三、絵:弘兼憲治)と言うのがあって、これも好きな漫画だったけど、内部から人材を発掘しない業界に見切りをつけて自分でカメラ一本担いで暴走族に密着して撮影したドキュメントでデビューした助監督と言うのが登場していて、ああこれは柳町光男のこの映画を参考にしたのだなと今分かった次第。もとの「十九歳の地図」に戻るが、主人公の青年は19歳の予備校生。新聞店に住み込みながら新聞配達をして予備校へ通い大学への入学を夢見ているが、実際には生活していくのに精一杯でなかなか予備校へは行けていない。新聞店はいろんな人間の吹きだまり。青年はシニカルな目で同僚を見ながら、俺はお前達とは違うとつぶやく。青年はあらゆる物を憎む。自分が配達してる町の地図を書き、そこに得意先を書き入れる。気に入らないことがあるとそこの家に×印を付けていく。電話帳で電話番号を調べて、×が溜まってきた家に電話をして脅迫、暴言を吐く。青年の暴言は次第にエスカレートしていき・・最後は・・。まあ、後はお楽しみと言うことで。原作は中上健次、これは彼の紀州3部作の処女作であり、代表作とも言える短編だ。同じ19歳の頃に出会ったら良かったろうな。
2007.07.02
コメント(6)
最近読んだ本(と言っても殆ど読んでないけど)の中で面白かったのがこれ。ちょっと刺激的な題名だけど、副題の「学ばない子供達、働かない若者達」と言うのがタイトルにふさわしい。どうして子供達は学校で学ぶことを拒否するのか、どうして若者は働こうとしないでニートになるのかと言うことを、筆者の意見だけでなく他の人の意見も紹介しながら、日本の教育、社会に潜む元凶をえぐり取ってみせる。昔、中村とうようが、若者をダメにしているのは社会に漂うどうしようも無い閉塞感だと書いていたが、ここでは1歩進んでその閉塞感をもたらしてるのが何かと言うことに踏み込んでいる。今の子供は物心付いた時から消費者マインドにどっぷりと浸っている。そういう子供達は、学びではなくて商取引として学校へ来ている。だから出来るだけ安く値切ろうとするのは当然の行為なのだ。学校に経済観念を持ち込んだところが問題なのに、今の学校問題は経済を語るように語られている。このあたりは目から鱗でしたな。後半のニートに関しては国の雇用情勢のような周りの議論はさておいて、働こうとしない若者のそれを正当化していく思考回路を示してみせる。そして、これらの問題を解決して行く方法は・・。残念だが、著者にも一発逆転のような必殺技を示すことは出来ていない。当たり前で簡単な事だが、おせっかいな隣人の居る社会に戻ること。これが筆者の示したひとつの解決への道標である。大学でやるべき事はやったから、自分で道場を開いて武道を教えながら(ウチダさんは合気道の先生もやっているのだ)勉強も教えて、学校や家で上手くやっていけない子供も受け入れて、そんな寺子屋みたいな事をやっていこうか・・と。思わず、戸塚ヨットスクールか?と思ってしまうけど、それはウチダ先生の事、肉体と頭脳を駆使した面白い場所になるのではないかな?内田氏の書く本は、結構難しい漢字、専門用語が多いのだが、この本は比較的難しいことを平易な言葉で書いてくれていて今まで読んだ彼の著作の中では一番すっと入ってきたのだ。僕も、参観日に私語をする親たちに「静かにしんさい」ってお節介な事を言ってやらなあかんかなとふと思ったりして。
2007.06.11
コメント(9)
いやあ、しかし1年生って可愛いですね。あっちの先生方と言うと一斉にあっちを向くし、後ろに座ってる上級生のお兄さんお姉さん達と言うと一斉に後ろを向く、みんなの周りのお友達と言うとあっちこっちをきょろきょろ。なんか自分が牧羊犬になった気分でした。でも、さすがに祝電披露のあたりになると、他所っぽを向いたり後ろを向いて両親を捜したり。担任の先生が背をかがめて駆け寄る姿も見えました。と、言うわけで入学式の挨拶も無事に終了しました。式の前に校長室で来賓が集まっていたんだけど、先日の選挙で落選したご本人と、当選した人のお父さんが僕を挟んで座っていて、一見和やかに会話をしてるのが怖かった~。この2週間ほどは、平日のみならず日曜日も外へ出てない(配偶者が出れないので)事が多かったから、そんな時はもっぱら積む読のDVDを見ていた。ショーン・ペン主演の「アイアム・サム」とかデ・ニーロ主演の「レナードの朝」とか。前者はラストが明るいのでスティーブンセガールの映画をこよなく愛する配偶者にも結構受けていた。後者はちょっとラストが重いから彼女は途中でお昼寝に行ったね。この2つは同日に一気に見たので、この際一緒に日記に書こうと思っていたけど、こないだの日曜日に見た奴が凄くて、未だにぞくっと鳥肌がたったりするのでこちらを紹介。「ルーツ・ロック・レゲエ」レゲエをあまり聴かなくなってもう随分と経つ。ボブマーレーが死んでからもしばらくは聞いていたし、ピータートッシュが死んでからもまだ聞いていた。あまり聞かなくなったのは、90年すぎからラップが台頭してきて、レゲエが持っていた強いメッセージが見えなくなっていき(ラップを聴かないので、それがラップの方に移動していったかどうかは不明)、単にリズムを強調したダンスミュージックになってしまったように思えたからだと思う。この映画は70年代にジャマイカへ乗り込んで、レゲエがジャマイカと言う島国から一気にワールドワイドにブレイクし始めた瞬間を、ミュージシャンの演奏やインタビュー、そしてその当時のジャマイカの社会や普通の人々の様子まで含めて切り取った映画だ。ちなみに、完成後最初にフランスで上映されたのは78年で、同時上映は「七人の侍」と「市民ケーン」だったらしい。30年の時を越え、2006年に本邦初公開された。この映画には、ボブマーレー、ジミークリフ、サードワールド、ジェイコブミラー、トゥーツ・アンド・ザ・メイタルズ、Uロイなどレゲエシーンで重要な役割を果たしたミュージシャンが殆ど登場する。リー”スクラッチ”ペリーが踊りながら録音している映像だってある。そういう映像の貴重さは置いておいてこの映画には、今のレゲエが失ってしまったスピリチュアリティーが溢れている。貧困に苦しみ、差別に怒り、現状に絶望しながらも未来に希望を見いだす、そんな悲しみを経る事によって得られる力強さが歌に溢れている。そう言えば、勇造さんがジャマイカへ渡ったのもこの頃だった。レゲエと言うのは歌詞を読めばすごく過激な事を歌っているのに、あのリズムに乗るとその過激さを包み隠してしまう大らかさが得られる。今の日本で過激な歌を唄うとどうしても窮屈になってしまう。そんな自分が嫌で、レゲエの持つ過激さと大らかさを求めてジャマイカへ旅立ったのだった。そして向こうで半年暮らして現地のミュージシャンとセッション(アル・チナ・スミスも参加している)しながら作ったのが「血を越えて愛し合えたら」と言うアルバムで、傑作の「大きな自由」と言う歌が収録されている。と、話が飛んだ。この多くの映像と歌の中で、最も心に響いてきたのが、レゲエの父と呼ばれるジョー・ヒッグスがアコギをつま弾いて歌うナンバーだ(残念ながら曲名不明)。オリジナルウェイラーズに、ボーカルや曲の作り方を教えたヒッグス。ボブマーリーが映画「Time will tell」の中で、アコギを弾きながら「redemption song」を歌ったときも鳥肌が立ったけど、この歌もそれと並ぶ白眉だ。「レゲエとはメッセージだ。自由は・・願いそのもの受け入れることは・・不可欠だねそして理解こそがレゲエのメッセージだ」「愛とは長い苦難との戦いの末に訪れることもあるんだその愛は苦しみから生まれてもいつかやってくる自由への希望と繋がって居るんだ」「この曲もれっきとしたレゲエなんだよ。」そう言いながら、この歌は始まる♪毎日悲嘆にくれてしまう♪自分の貧しさを見つめると♪でも簡単には諦めない。♪いつの日か報いは訪れる♪いつの日か報いは訪れる♪恥辱にうちひしがれても♪誰も責める事は出来ない♪でも簡単には諦めない♪いつの日か報いは訪れる♪みんな報われる日が来ると言っている♪母親が居ない子供の気分だ♪誰も構ってはくれない♪同情の意味も知らない♪でも笑顔でこの世界を見つめる♪俺の歌が聞こえるか♪毎日悲嘆にくれてしまう♪自分の貧しさを見つめると♪でも簡単には諦めない。♪いつの日か報いは訪れる♪いつの日か報いは訪れる♪心を開いて♪皆に伝えたいんだ♪手を叩いて明るい未来を見つめて♪母親が居ない子供の気分だ♪誰も構ってはくれない♪同情の意味も知らない♪でも笑顔でこの世界を見つめる♪みんながそうあって欲しいから♪毎日悲嘆に暮れてしまう♪自分の貧しさをみつめると♪でも諦めない決して♪むくわれる時は必ずやって来る♪いつか報われるさレゲエに興味を持った人にも、レゲエが好きでダンスホールで踊りまくってる兄ちゃん、姉ちゃん達にも是非見て欲しい映画だ。
2007.04.10
コメント(6)
3月20日、鴨ちゃんが死んだ。最後の本となった、「酔いがさめたら、うちに帰ろう」の表紙イラストは驚く程痩せていたし、最後の最後で癌が発見されたと書いていた。あれはフィクションか?と思ったけど、やっぱり本当だったんだな。アルコールによる肝臓癌かと思ったら腎臓癌だった。あれほど入退院を繰り返していたのに。医者も、肝臓や食道静脈瘤やアルコール依存を診るのに精一杯で腎臓まで目が届かなかったんだろうなあ。でも、癌にならなくても近いうちに肝臓で帰らぬ人になるのではないかと思っていた。鴨ちゃんの肝臓は、それぐらいもう不可逆な地点へ行っていたと思う。僕は鴨ちゃんが好きだった。文章も好きだったし、その不器用な生き様も好きだった。西原の漫画に助けられているとか、文章のヘタウマと言われたりしていたけど、西原の絵の無い本も面白かったし、鴨ちゃん独特の味わいがあった。僕にはちょっと人には言えない性癖がある。いや、別に不健康だとか不道徳だとかそういうのではない。人に言うと恥ずかしかったり、驚かれたり、感心されたりするそういう性癖だ。鴨ちゃんの本を読んでいて、おやこの人も同じ性癖を持ってると分かったとき、何故かとても嬉しかった。ああ、自分だけじゃないんだと。鴨ちゃんは心の弱い人だった。若くて純粋だったろう時に戦場を経験して、そのフラッシュバックから逃れる為に酒を飲み絶えず何かを忘れるため、何かから逃れるためにアルコールに逃げたのだろう。その弱さを自分で冷静に見てる視線を感じていた。僕も心の弱い人間である。優柔不断で、意気地がなくて、それなのにずる賢かったりする。どっか、弱い方、悪い方へ流れていこうとする自分を感じている。そんな事ないやん、あんたは医者だし、家庭がちゃんとあって子供も配偶者も居て何を気取って言うてんねんと言われるかも知れない。でも、自分だけにしかそれは分からないことだ。僕はたまたまボロを出さずに上手く行ってるだけだと思う。そして僕には鴨ちゃんのように自分の弱さを隠さず、それをじっと見つめるような強さはない。アルコール依存を克服しようとした矢先の運命のいたずら。人生ってそんなもんなのかな。上手くやろうとしたときに、上手く行かない。そう言えば、橋田さんが先に行ったんだったね。向こうで戦争取材はせんでもええから、好きなメコンウイスキーでも浴びる程飲んで西原が行くのを待ってたらいいよ。さよなら、鴨ちゃん。
2007.03.23
コメント(10)
東京へ行く前に今日の日記を書いておこうという魂胆である。今日の徳島は4月上旬の気候らしい。カズを自転車に乗せて保育園に連れて行き、帰ってきたら汗が滲んでいた。ボタンダウンシャツの上に中綿のないマウンテンパーカーを着ただけなのに。関西では春一番が吹くという。花粉も凄いし・・。こういう時には着る物に迷う。モンクレールのダウンを着ていくのはやっぱりアホだろう。正月に買ったトレンチも結構重厚で重いし暑い。まあ裏のライナーを外せば良いんだけど。色が玉虫グリーンなのでちょっと重いかなあ。カールヘルムのフード付きベージュのコートが良いかもしれない。ずず汚れているけど・・。でも明日は平年並みで最高気温が8度ぐらい下がるそうだ。こういう時には体調を崩すオバサンが多いから困る。この数日、目眩の患者さんとかが多いのよ。やっぱり気温や気圧の変化についていけないのだ。今夜の衛星名画劇場は禁じられた遊び」である。のどまるさんに「泣けるの?」と聞かれたけど・・。もうこういう映画は名前しか知らない世代がどんどん増えて来ているのね。まあ僕もリアルタイムで見た訳じゃないんだけどさ。第三の男は昨日初めて全部通して見たし、カサブランカはビデオで持っているけどまあ見たのは数回。この禁じられた遊びは、テレビの金曜ロードショーなどで何度も放映されているので、僕は小さいときから何度も見た。泣ける??そりゃあ泣けますとも。僕が今までに見た切ない映画の中でも最右翼に属する作品だ。最後の少女の言葉がミッシェールからママへと変わっていきその姿が雑踏に紛れていくラストが胸を打つ。そりゃあ、泣けますよきっと。これで泣けるか泣けないか、お友達になれるかどうかの踏み絵みたいなものだ(冗談)。一昨日からの3作品は、いずれも第二次大戦の頃のヨーロッパを舞台にした作品だ。カサブランカは、話の展開と俳優の台詞が洒落て粋だけど、一つ間違えば反ナチの国威高揚映画ととられかねない側面を持っていた。第三の男は、映像が素晴らしいけど、戦争を時代背景として用いているだけでそれに対する作者の感情移入は感じられない(まあ、戦後のオーストリアが列強に4分割されていたと言うのは初めて知ったので勉強にはなったが・・)。戦闘の場面を出さずに、戦争の悲惨さを怒りを持って伝えようとしてる点で、この3作品の中では一番秀でてると思う。まあその分エンターテイメント性は薄いと思うけど。前の2作の時には、子供達が寄ってきたら「大人の時間を邪魔するな、子供は早く寝ろ」と言っていたけど、この映画なら子供達と繰り返し見たいと思う。これは余談だけど、この日本語タイトルってまあ良いタイトルだと思うんだが、丁度小学校高学年の頃に初めてこの映画を見たと思うけど、この「禁じられた遊び」と言うタイトルを見て、これはエッチな映画じゃないかなと変な期待をした自分を思い出した。しかし、この3作品、白黒で第二次大戦の頃が時代背景で、そして素晴らし音楽がバックに流れていると言う共通点を持っている。アマゾンで検索したら、どれもDVDが500円で出ているのだ。ツタヤで借りたりせずに500円出して買いなさい。一生繰り返して見る映画になると思うよ。さて、このシリーズまだ続くのかな?明日は何があるのだろう?
2007.02.14
コメント(3)
前々から思っていたけど、冬にはどうして夏ほど美しい夕焼けが少ないのだろう?ネットで色々と検索してみたけど、夕焼けの色の出方や、どんな状態で赤く見えるかと言う事は書いてあったが、夕焼けの季節による変動と言うことは分からなかった。要するに、夏の方が光を散乱させる不純粒子が多いのか??ま、難しい事は誰やねん君あたりが調べてくれるだろうから・・。(アオエさんあたりかも知れない)。この2ヶ月ほど、夕焼けらしい夕焼けを撮れていなかったけど、今日は久々にちょっと綺麗な夕焼けが撮れた。夕暮れが遅くなってきたので丁度カズのお迎えに行く頃が撮影に適した時間になる。久々の●チンコ看板はのどまるさんを癒す事が出来るか?南の方へ目を移せば、ツブちゃんが喜びそうな飛行機雲。これからの季節、こんな夕焼けが増えるのかな?昨日に引き続き、衛星シネマ劇場で「第三の男」を見る。これも言わずと知れた名作。映画ベスト100なんかしたら必ずベスト10に入ってくる映画だ。有名なラストシーンは何度も見てるけど、実は映画そのものをしっかり見るのは初めて。しかし映像美の凄い映画だね。白黒なのに、と言うか白黒だからこそその光と影、そしてその彩の織りなす美しさを存分に引きだしている。こんなに白黒が美しい映画と言えば、黒澤の「羅生門」でしょうか?あと、影を大きく見せたり、画面を傾けて撮影したり、乏しいライトで明るさを出すために地面に水を撒いたりと、凄く映像のテクニックが光っていると思う。ただ、ストーリーとしては胸をぐっと打つような話ではない。ミステリーとしても弱いし、場面場面の美しさは残っても、ココロの中にじ~んと残る話では無いなあ。まあ、ラストの余韻は凄いけど。音楽もエキゾチックだけどちょっとクドイと思う。個人的には昨日の「カサブランカ」の方が好きだ。明日は「禁じられた遊び」。今回のシリーズは、白黒の名作をやってるのだろうか?この映画は涙無くしては見れない。子供達にも見せてやりたいと思う。あ・・僕は明日東京のホテルでこの映画を見ることだろう。
2007.02.13
コメント(4)
連休2日目。昨日は僕の行事に子供達を付き合わせたので、今日は僕の方がお付き合い。2つとなりの町の遊園地へ子供達を連れて行く。配偶者様は旅行疲れみたいなので、武士の情けで置いていく。この遊園地はまあこじんまりとした古い遊園地で、遊具もそんなにハードじゃなくて対象年齢は小学校ぐらいまでだ。でも、その分安心して親が見ている事が出来る。でも、ぼろい癖に高いのよ。4人の入場料とフリー券を買えば合計9000円になった。でもまあ、上の二人はコースターだけで20回ぐらいは乗ってると思うので十分に元は取っているだろう。フリー券を買う必要があるかなと懸念したカズも廻るブランコとか、上下するヘリコプターとか簡単な遊具には一人で勝手に乗りに行っていたし、ゴーカートには僕や上の2人と一緒に15回ぐらい乗ったんじゃないかな?十分に元は取れている。この元を取るという発想が既に中年的なんだろうなあと思うけど。いや、小市民的と言うべきか。元を取ると言うからあかんのやな。代金に見合う喜びが得られると言えば少し高尚になった気がする。昨日のリベンジのおでんを食べて、夜は衛星映画劇場でやっていた「カサブランカ」を見る。今更この有名な名画の筋を書く必要も無いと思うけど、何十年ぶりかで見て気づいたことを少々。この映画は洒落た恋愛映画だと思っていたけど、タフな時代を生きたタフでセンチな男達の映画でもあったわけだ。今回一番良かったと言うか、前には気づかなかったのが、ボギーと警察署長であるルイの間に芽生えた友情だ。ラストがこの台詞になってるんだよね。新たな発見があると言う映画はいいね。CGなんか無くてもいいじゃん。では、「君の瞳に乾杯!」明日は第三の男らしいよ。
2007.02.12
コメント(4)
今日は久しぶりの休診=そしてソフトバレーの試合。配偶者も居ないし(笑)。今朝の朝食はすき家である。ごはん、豚汁、納豆、生卵、海苔、塩鮭、漬け物の定食で540円。ごはん、生卵、海苔、みそ汁だけなら290円。茶店のモーニングより安いんでないかい?朝からカレーを食べるカズとミドリ。鶏そぼろ丼を食べるヒロキ。子供には勝てんね。試合の方は準決勝で負けてしまう。自分の出来も不完全燃焼。徳島市の大会だけど、参加チームが少なくて(県南の方が盛ん)なんか寂しい。夜は帰ってくる配偶者をお迎えしようと、おでんを煮込む。鶏肉も、スペアリブも、大根も、里芋も全部下ゆでして完璧なおでん。煮込んでいる間に見た積ん読DVD。Tommorow・明日(監督:黒木和雄)「祭りの準備」で敬愛する黒木監督の戦争3部作の第一作目。描かれるのは、長崎原爆投下前日の普通の市民の日常。祝言を挙げた夫婦。出産をした女性。友達の結婚式に出席した日に、外国人(捕虜)の友人を亡くした男性。赤紙が来て駆け落ちしようかどうか迷った若いカップル。市電の運転手の夫を弁当を持って停留所で待つ人妻。市井の人々の淡々とした日常が抑制されたタッチで描かれる。この映画には起承転結が無い。あるのは結だけである。淡々とした人々の日常をこれでもか、これでもかと描いているだけだ。家を焼かれて逃げまどう人々も、銃弾に倒れる兵士も登場しない。それぞれの人には、それぞれの明日があるはずだった。それが8月9日、一瞬にして彼らの明日は無くなったのだ。その最期の一瞬を描くためだけに淡々と描かれる市井の人々の日常。終焉に向けて少しずつ走る人々。抑制が効いている分監督の怒りが沸々と感じられる演出である。配偶者が見たくない理由がわかるなあ。一つ苦言を。原爆の落ちたのは11時2分と映画の中にも文字で出ているのに、パッケージの解説では11時20分になっていた。気をつけろよ。おでんが煮えた頃、配偶者から電話。お買い物に興じていて最終の徳島行きに乗り遅れたと。これ幸い。明日は休みだし、羽田でホテル取って明日の朝帰ってきたら?と助言をして、みんなが集っている打ち上げに出席。おでんは明日食べたらいいし(まだ里芋も練り物も入れてないし)。打ち上げ会場で配偶者から電話。高松行きに乗れたので、高松経由で帰ってくると。そんなに急がなくても良いのに。子供達はジンジャエールを飲んで、アイスクリームを食べてご機嫌。僕はお湯割りを6杯のんでへろへろでご帰還。配偶者はまだ着かない。んじゃ、また。
2007.02.11
コメント(10)
今日は寒くなるかなと思ったけど相変わらずの暖冬。インフルエンザの患者さんは木曜日に1人出ただけで、その後に続かない。けれど、●○中学校の1年生は1クラスで15人休んでいるとか、××中学校の2年生で流行っていると言う情報が入ってきているのでいずれ急激に増えるのは間違いないだろう。昨日の夜は当院の新年会。1月は僕ら夫婦の色んな行事で忙しくとうとう2月になってしまった。港の見えるホテルの最上階でフレンチの特別メニューを楽しんできました。体重増えたけど・・。午後はのんびりとまた積ん読DVDを鑑賞していました。配偶者はさっさと寝室に引っ込んでお昼寝。今日鑑賞したのも、先週に引き続きフランスの巨匠?パトリス・ルコントの作品。橋の上の娘(主演 ヴァネッサ・パラディ ダニエル・オートゥイユ 1999年作品)「仕立屋の恋」や「髪結いの亭主」で官能的な女性を描いたパトリスルコント監督。この映画でも女性の匂い立つようなエロチシズムを存分に画面に振りまいている。前2作は悲劇的な結末だったけど、この作品はそうじゃないのがまた良いかも。男運が悪く人生に絶望した女は飛び込もうとした橋の上で、同じく人生に絶望したナイフ投げの男に声をかけられる。男の引き留めを無視して川に飛び込んだ女だったが男に助けられ、「君には的の素質がある」と意味不明の説得を受け、彼のナイフ投げの的となって二人の旅が始まった。それからは何もかもツキまくった二人だったが、やがて彼女はまた別の男に惹かれてしまい彼の元を去る。何もかも上手くいかなくなったナイフ投げの男はまた橋の上にやってきた・・・。とまあ最後が予想される展開と言おうか、髪結いの亭主で全く予想していなかった結末を見さされていただけに、この素直な結末はまた別の意味で予想外だった。絶望した二人の人間が、ナイフ投げと言う死と背中合わせの状況で限りある生をギラギラと燃やす。極限の状況で再生されていく生。そのエネルギーに圧倒されそうだ。しかし、この映画の魅力は話の筋と言うよりは、画面から匂い立つ官能美だと思う。男がナイフを投げる前の女をじっと見る視線。ナイフが身体のすれすれに刺さった時の女の官能的な表情。その表情に浮かんでいるのはエクスタシーそのものだ。まるでナイフは彼女の体を貫く男根のようだ。どんな激しいラブシーンよりも(実際二人のラブシーンは全然無い)激しいエロチシズムを感じてしまう。R18指定だぜこれは! いや、R30指定でもいい!挿入される音楽がまた素晴らしい。このしわがれ声はどっかで聞いたぞと思ったら、マリアンヌフェイスフルだったのね。何枚か持ってるCDを調べたけどこの曲(Who Will Take My Dreams Away?)は入っていなかった。この曲、元々は映画「ロストチルドレン」の為に書かれた曲で、この映画のエンドクレジットで流れているそうだ。ロストチルドレンのサントラや、パトリス・ルコントのサントラ(彼の映画に使われた曲を集めたCD)で聞くことが出来る。
2007.02.04
コメント(7)
今朝は娘のベッドで目が覚めた。昨夜飲み会から帰ってきたとき、娘がまだ起きていて寝かしつけようと一緒にベッドに入ってスプーンが2つ重なったような格好で寝ていたら、不覚にも僕が先に寝てしまいシングルベッドでスペースの無くなった彼女は僕のベッドで寝たそうだ。まあ、こんな事が許されるのもあと数年だろうな。今日はヒロキのベッドが来た。部屋から2段ベッドが無くって部屋は明るくスッキリ。窓際に置いたベッドに寝ころんだら窓から青空が見えて、白い雲が流れて行くのが見えた。これはやみつきやな~。今日の午後はワックスがけだった。ヒロキは遊びに行き、ミドリとカズは昼寝をしていたので僕は久しぶりのDVDタイム。本程じゃないけど積ん読が貯まっていたのだ。配偶者は、僕の買う映画は重い奴が多いからな~と言いながら別の部屋に逃げていく。彼女は主人公が絶対に死ななくて、映画館から出てきたら何も残ってない映画が好きらしい。一番好きな映画は、スティーブン・セガールの「沈黙の艦隊」って言うからな。今日の1番手は、アオエさんに教えて貰ったこれ。ジャケットが如何にもB級ホラーみたいな感じなんだけど、なかなか見応えのあるサスペンスでした。トラボルタって、あのたらこ唇と言おうか、フレディ・マーキュリーの様な暑苦しさがあって好きな俳優じゃないけど、なかなかの好演だったと思います。主人公がもと刑事の映画の音声技師で、映画の小道具や狂言回しの道具として録音機材や、映画の機材が沢山出てくるのも良い味付けになっていました。ラストのパレードの中を主人公が走り回るのは、「タイトロープ」のイーストウッドを思い出したし、バックに花火がドンドン上がるのは「ポンヌフの恋人」を思い出しました。まあ、ポンヌフの場合は花火は希望の象徴みたいな感じだったと思うけど(学生時代に見たので内容が怪しい)、この映画の花火は悲しみの象徴のような感じね。大筋はアオエさんが語ってくれているのでそちらを読んで頂くとして、米国映画の癖にこのラストは無いんじゃないか~って思ってしまうけど、それだけに余韻が残るのだとも思う。トラボルタの悲しみがぽーんと置き去りにされた感じね。(ちょっとネタバレになるけど)、冒頭のシーンで主人公が求められていた「叫び」の音声。この音声の完成されたのがラストで使われる。監督に「これこそ叫びだ」と言わせたその叫びの主は・・・。原題の「Blow Out」ってのが凄く良いタイトルだと思うんだけど、この日本語タイトルはちょっとじゃないのと思ってしまいます。パッケージのようなトラボルタの叫びは出てきませんが、彼の心の中の叫びは聞こえてきます。B級ホラーじゃなくて、なかなか味のあるサスペンスだったな。そして次に見たのがこれ。年末に「愛と青春の旅立ち」の事を書いたときに、学生の頃に見た青春映画(少年刑務所が舞台だった。別にそんなに感動的でも無かったけど、これも青春映画だったよなあと思い出した訳)の主役がショーン・ペンじゃなかったっけ?と彼の映画を検索していて、結局その映画は分からなかった(彼の主演では無かったのだろう)けど、その際に面白そうと見つけたのが「ミスティックリバー」とこの「デッドマン・ウオーキング」だった。これもかなり有名な映画らしいので、わざわざ筋を書くこともないだろう。って言うかそんなに筋自体の無い映画なのだ。凶悪犯罪を犯して死刑を待つばかりの死刑囚と、そのカウンセリングを引き受けた尼僧のココロの交流を描いた映画だ。多分、先にサスペンスを見てなかったら寝ちゃうかも知れないなと思ったけど・・。実際に見ていると、地味な展開にもかかわらず寝ることもなくどんどん映画の中に引き込まれて行くのだった。これはひとえに俳優の演技力のせいだろうなと思う。裁判関係、犯罪関係と言うと最後にはえん罪が晴れて・・と言うことも多いけど、これは決してそういう映画ではない。制作者の方には恐らく死刑制度に対する疑問とか死刑制度反対のメッセージが込められているんだろう。僕はどちらかと言えば死刑賛成と言うか、賛成と言うより「しゃあないけど、死刑しか無いか・・」ってやむなし派なんだけど、この映画を見ているとやはり死刑は計画された殺人だと思う。まあでもそういうメッセージが表だって目立っている訳ではない。キリスト教的考え方もかなり入ってるんだろうけど、そういう事を抜きにして僕がこの映画を見て感動したのは、どんな人間とも死を前にしたギリギリのところでココロは通い合い得ると言うことだった。そして、許し許される事によってしか救われない魂があると言うことだった。しかしミスティックリバーと言い、この映画と言い、ショーンペンって凄い俳優やな。しかし、字幕の嫌いな僕が2本も続けて字幕を見るとは思わんかった。こうなりゃやけくそである。家人が寝静まった10時過ぎから3本目に突入。これは以前に「仕立屋の恋」の日記を書いたときに、蘇芳色さんに教えて頂いていたこの映画だ。髪結いの亭主(パトリス・ルコント監督)しかし、いつも思うけどフランス映画って独特の映像だよね。ちょっとフィルターを通したような色彩。フィルムの質や保存する空気が違うとこうなるのかしら?と思ってしまいそうだ。主演女優のしみ出すようなエロティシズム、そして主人公の軽妙なアラブダンス?がこの映画を引たてている。少年の頃から髪結いの亭主を夢見ていた主人公が、大人になり念願がかなって美人の髪結いの亭主になった。初対面で「結婚してください」と言う男も男なら、それを受け入れる女も女。毎日が愛と抱擁の日々。静かな狂気とも言える愛が蓄積して10年が過ぎ、その最後の結末は・・。誰もが予想できない結末。ルコントは、観客を驚愕の海に突き落とす。突き落とされて何とかはい上がった観客にはジワジワと余韻が広がり・・。愛とは何かを否応なしに考えさされてしまう。しかし、これだけタイプの違う映画を3本立てで見たのも久しぶりだな。頭沸いとるで・・。
2007.01.28
コメント(9)
冬だと言うのに何か生暖かい。おまけに雨だし・・。関東の方は爆弾低気圧が来ていると言う。みなさん大丈夫かな?今日は今年最後のピアノレッスン。ここ数ヶ月は忙しくて家で練習する暇があまりなく、従って練習曲もずっと同じ物ばかりを弾いていた。「涙そうそう」と「ビー玉坂」、「デスペラード」に「大阪で生まれた女」だ。後の2曲なんて同じGのコードでコード進行が似ているので、俺ってほんとにGの付近の歌しか歌えないし弾くのもCかGだよなあ(要するにシャープやフラットが沢山付いてるとダメと言うことだ)と思ってしまう。年末だしそろそろ新しい曲をと考えていたら、車のCDでかけていた「クルセイダーズボーカルアルバム」でジョーコッカーが歌う「明日への道標」がええなあと思って、急にジョーコッカーとジェニファ・ウォーンズの「愛と青春の旅立ち」が歌いたくなった。そう言えばこの曲のイントロはピアノだったよなあと思って、急遽今度の練習曲はこの曲に決定した。ああ、でもまた結局弾き語りになるのかよ~~。この愛と青春の旅立ちと言う映画は、確か大学生の頃に見たけど典型的な米国製青春映画と言うべきか、今から考えたらもう予定調和と言おうかひとつの典型パターンを地でいくような映画だったな。士官学校へ入学した学生は、学生の間近くの工場に勤める女の子を恋人として付き合う。男は学生の間だけの相手と割り切ろうとしてるし、女の方はあわよくば玉の輿を狙っているわけだ。航空隊の士官と言うのは選別が厳しくて本当のエリートしか残っていけない。主人公の親友はもう少しで卒業と言うところで落ちてしまい自主退学する。そして付き合って居た女の子に結婚してくれとプロポーズすると、士官じゃ無くなった貴方には用はないと言われて自殺してしまうわけだ。色々と紆余曲折があった主人公も何とか無事に卒業が決まる訳だが、彼と付き合っていた女の子はどうせ捨てられるだろうと思っていたが、ピカピカの制服を着た主人公が彼女の勤める町工場へ入っていき、彼女をお姫様抱っこで抱き上げて、バックのエンディングにこのテーマ曲が・・と言うわけだ。まあこれだけ読んでも凄く甘ちゃんの青春映画だと思うけど、当時は結構これにはまっていたりした。実は僕ら医学生の間でもよく似た事があって、看護学生や地元の女子大生と付き合っていたけど国家試験が終わって卒業したら相手に連絡先を告げずに下宿を引き払った奴とか(僕じゃないです)、反対に何となく付き合ってるうちに卒業と同時に結婚する羽目になってしまった奴など周りに結構居たような気がする。だから余計にはまったのだろうか?この「愛と青春の旅立ち」にしても、同時期の「フラッシュダンス」にしても、この頃の米国の青春映画って何となく甘いような気がする。でもその分どっぷりと浸れると言う楽しみもあるのだろうけど。「卒業」あたりがお手本になっているんだろうけど、卒業の方がもっと屈折していたぞ~と思う。個人的には青春映画ってのはもうちょっと惨めだったり、暗い部分があった方が良いと思う。だから、僕は「真夜中のカーボーイ」や「イージーライダー」の方が好きだし、同時期の映画でも「アウトサイダー」の方が好きかな。そう言えば「ストリート・オブ・ファイアー」なんてのもあったね。これはロックミュージカル仕立てだったけど、主人公があまりにタフで強すぎてリアリティーがなかったな。この作品、アマゾンで調べてみたら中古しか無かった。廃盤って訳か?もう自分から進んで見ることは無いと思うけど、これを見るとあの頃の自分を思い出すと言う意味でとっても懐かしい映画だと思う。
2006.12.26
コメント(10)
数日続いた寒さもちょっと和らいだ冬の雨の日だった。昨日は固いバレーのミックスの忘年会。帰ってきてお風呂に入って寝たのが午前3時過ぎ。普段のように朝の6時半に起きてご飯作って(今朝は手抜きでお茶漬け)往診に行って午前の診察をした。全然眠くなかったけどカズと一緒に1時間弱お昼寝をして、夕食(今夜は汁ビーフン)を作り、漢方の勉強会へ。大分回復したけど寒い風にあたると体調を崩す配偶者は勉強会をお休み。なんで僕はこんなに元気なのかわからんけど、ひょっとして後で反動なんか来ないかな?そんな事を思いながら、昨日は忘年会へ出かける前に40分踏んだステッパーを、今日は勉強会から帰ってきてから30分踏んだ。これだけ脂肪を燃焼させているのに体重が増えているのは何故、何故、何故だぁあああああ。忙しいとストレスからか?つい本とかCDをアマゾンで注文してしまう。しかし忙しいから積む読が増えて益々ストレスがたまると言う悪循環があるような気がする。そんな訳で、今日はその山を少し崩している。いけちゃんとぼく(西原理恵子)この本は西原の「パーマネントのばら」を買おうとしてアマゾンで検索してるときに、ああこんなのも出てるんだと思って一緒に注文したのだ。「のばら」ももちろん素晴らしかったけど、瓢箪から駒と言おうか、ついでで注文した本から宝石を拾った気分になった。今日の午後はこれを読みながらぼ~っとしていた。少年が少しずつ大人になっていくとき、辛いこと淋しいこと、怖いこと、嬉しいことなど色んな出来事がある。そんな時にふっと現れて少年をはげまし、慰め、友達になってくれる、そんな存在がいけちゃんだ。そして少年が大人になっていくにつれていけちゃんは時々しか現れなくなり、少年に恋人が出来たときについに見えなくなった。うしろの百太朗のような背後霊みたいな存在やなあと思いながら読んでいた。いやいや、いけちゃんと少年の会話を読んでいて思い出したのは百太朗ではなくて、サンテグジュペリの「星の王子様」で読んだ王子ときつねの会話だ。星の王子様には「かつて子供だった全ての大人に捧ぐ」とある。これはかつて少年だった全ての大人に捧げた西原版星の王子様なのだと思った。(そう言えばよく似た構図の挿絵がこの漫画にある)そして、星の王子様だけではない。いけちゃんは、かつての恋人の少年時代を見に来た恋人だったのだ。 わたしあなたのさいごの恋人だったの ただ あまりにも短い恋だったから わたし もういちどあなたに あいにきたの ありがとう わたし あなたの子供のころをみられてしあわせだった さよなら わたしたち とても短い恋をしたの 忘れないでね すきだと かならずかえってこれるの野生時代連載中の「ぼくの わたしの まえのこと」と言うタイトルの方がいいかなと思うんだけどね。この本に出会えてよかったな。
2006.12.09
コメント(11)
こんな本があるのを知ったのは偶然だった。何だったか忘れたが(年なので忘れっぽい)、音楽関係の何か別のものをネットで探していて偶然この本に行き当たったのだった。早川さんの本と言えば「僕は本屋の親父さん」が有名だ。これはジャックスと言う今は伝説のバンドを率いて居た早川さんが、音楽業界を引退して本屋を開業したばかりの頃のエッセイである。「就職しないで生きるには」と言うシリーズの中での1冊であるが、内容は本屋開業のノウハウではなく、一見本屋家業の苦労話のように見えて実のところ早川さんのその頃の自分をありのままに語っている本である。この前著が発売されたのが82年、そしてこの「魂の場所」が発売されたのが2002年である、その間20年の歳月が流れた。その間早川さんは何と本屋を閉店し、なんと音楽シーンに戻ってくるのだ。25歳の時に本屋を開業し、その20数年後、40代も後半になってまた歌い出した。1994年に出たその再出発アルバムが傑作「この世で一番キレイなもの」だ。その歌い出してから、あちこちに書いたエッセーを集めたのがこの本だ。一旦音楽を廃業して20数年、また歌い出したのは何故か?僕はそれが知りたかった。もちろん、歌いたい願望は誰だってあるだろう。でも、仕事をしながらの日常だって歌は歌えるはずだ。余暇で歌っても良いし、別に誰が聞いてくれなくてもお風呂で歌った鼻歌だってりっぱな歌だ。しかし、今の職を捨ててまでまた歌い出すほど彼を突き動かした衝動、それは何なのか?それが知りたくてこの本を買った。結論から言えばそれはこの本には書かれていない、いや書かれていた。変な書き方だが、これがこうなってこうなったから僕はまた歌い始めたと言う具合には書いていない。ここに書かれているのは、歌い出した頃の前後の早川さん自身だ。飾ることなく、自分を素直に見つめて書いている。だから、はっきりした理由がなくても彼が歌い始めた理由がわかるのだ。理由がわかると言うのはおかしいかも知れない。彼が歌い始めた事に納得がいくのだ。前著でも、そしてこの本でも早川さんのスタンスは変わっていない。色々な事を語っているようでも、結局語っているのは自分自身についてなのだ。この本の中でもそれは何度も繰り返されている。 歌うと言うことは自分を歌うと言うことだ。 作品を批評をすると言うことは、それに対峙した自分を批評すると言うことだ。 (正確に同じ言い回しとは違うと思うけど、こういう内容の事だ)この本の中には、熱いマグマを持った一人の男が封印されているのだ。ちょっとご無沙汰だった彼のアルバムを、また引っ張り出してじっくり聞こうと思う。
2006.11.06
コメント(6)
朝夕はぶるっと寒いのに、昼は冷房が欲しくなるような気候が続いてます。10月で徳島市の基本健診も終わって患者さんの波が少しましになりました。でも、11月からはインフルエンザワクチンの接種が始まっています。一家でど~んとまとまって来るお家が多いので急に待合いに人が増えるんですよね。毎年の流れとしては、もうじき嘔吐下痢症(ウイルス性胃腸炎)が流行って、それが終わる頃にインフルエンザが流行ってきます。そう思ったら、先週の末ぐらいからど~んと嘔吐下痢が増えました。いつもなら12月に入ってからが多いんだけど。この調子で行ったらインフルエンザの流行も例年より早い時期に始まるかも。今朝は自転車にカズを乗せて保育園に送りがてら、身の回りの小さな秋を探してあちこちデジカメ(正確にはDVの静止画像)でパチパチして来ました。患者さんにいただいた菊の鉢植え。こんなのを色違いで3鉢も頂きました。となりにあるのは、11月になってもまだ咲いているハイビスカス。去年は8月で枯れたのに。今年は朝夕に水をやってるのと、鉢の下に皿をしいて水を満たしてるのが良かったのだと思います。用水の上に枝を突きだした柿の木。もうちょっと熟れたら食べ頃だな。僕は熟して柔らかくなった柿が大好き。配偶者は固いのが好きらしいです。こんな実のなってる木を植えてるお家が結構たくさんありました。何でしたっけ?この木?小鳥たちの餌にはなってるんだろうなあ。秋とは関係ないけど、神社の大きな楠は、年中緑に繁って威風堂々としてる。大きすぎてなかなか綺麗に撮れません。皆さんも、身の回りの小さな秋を探してみましょう。
2006.11.02
コメント(10)
鬱々とした気分で過ごした1週間の間に解ったことが幾つかある。鬱っぽくなると眠くなるのである。鬱になると不眠になるとも言われるが、自分の場合はもう眠くて仕方がなかった。夜になって子供と添い寝したりしているといつしか眠りに落ちているし、昼間でもソファで寝そべったりしているといつしか寝入ってしまう事が多かった。まあ、これは言い換えれば無気力になっていただけかも知れないが。思うに、普段はいつも2時前後に寝て6時半頃に起きる生活をしてる訳で、慢性的な睡眠不足が何層もの地層のように積み重なっているのに違いない。普段は気力充実してるのでそれが前面に出てこないけれど、鬱っぽくなって気力が落ちるとその睡眠不足の地層が1枚、また1枚と剥がれるように顔を出してくるのではないかと考えた。まあ、もっとも朝までぐっすり眠れるかと言うとそうではなくて、普段より早く明け方には目覚める事が多かった。これは鬱の時に現れやすい早朝覚醒である。まあ、自分の鬱なんて期間限定で、本当に鬱で苦しんでいる人からみたら何じゃそりゃ?と思うぐらいのものだろうとは思うが、それでもまあしんどいのはしんどかったわけで、ああ患者さんと言うのはこういう思いをしてるのねと言うのがかいま見える感じだった。ぼ~っとしてる間に何冊か本を読んだが、馬鹿っぽくて笑える本に救われた。休みの国(中島らも)実はこの本はまだ未読である。何のこっちゃ?と思われるであろう。いや、実はさわりを読んで後書きを読んでいたら、その後書きで大笑いしてしまったのである。この本は、1年365日がそれぞれ何の記念日になってるかを調べてコメントを加えた作者の蘊蓄好きが出た1冊みたいだ。後書きをらもさんの娘さんが書いてある。その中で、「記念日勝負」と言うのを提案している。双方が歩み寄り、お互いに自分の誕生日が何の記念日かを言い合って勝負を競うのである。もちろん、判定は主観。例えば、中島さなえさん(らもさんの娘さん)対、美代子さん(奥さん)の場合、せえの!!「鉄人の日(さなえさん)」!vs「女性に対する暴力廃絶の為の国際デー(美代子さん)」!になる。お母さんに負けた・・・暴力廃絶の4文字、そして国際デーとグローバルに来られると太刀打ち出来ない。まあ、そんな感じだ。で、これがらもさん本人になると「インゲン豆の日」!って事になってなんじゃらほいと言うことになる。ああ・・診察中に書いていたら時間が・・。夜に追記します。で、追記なのである。もう深夜近く。なんでこんなに遅くなったのかと言うと、拓郎とかぐや姫のつま恋コンサートのドキュメントを見ていたのだ。90年ぐらいまではよく拓郎を聞いていたんだよね。別に嫌いになった訳じゃないけど、あの頃はジャズやワールドミュージックを聞いていたからな。でも、今日見ていて思った。ずっと歌い続けてきた拓郎だから、「落陽」や「今日までそして明日から」のような古い唄が生きてるのだなと。懐メロになってない。NHKの「思いでのメロディ」状態のかぐや姫とは偉い違いや。ギターちょっとぐらい弾けよ、南こうせつ!持ってるだけか?しかし・・ムッシュかまやつって化物やな。67才やで・・。中島みゆきだけ、なんで年齢表示が出んのや?不公平じゃん。う・・本題の続き。で、我が家の場合どうかやってみた。第一試合。ドクター悠々対配偶者。せ~~の!「愛と希望と勇気の日」(1月14日:配偶者)!!「良い夫婦の日」)4月22日:ドクター悠々)!!う~ん、負けてるような気がするけどちょっといなしてるような気もするな。ちなみに、配偶者は他の記念日にもなっている。タロとジロの日(なんのこっちゃ?)どんと焼きの日第2試合。カズ対ミドリちゃん。せ~~の!!「ゴムの日」(5月6日:ミドリ)「横町の日」(4月5日:カズ)何じゃあそりゃあ!!ダジャレ合戦かい!この勝負引き分け?いや、共に負けやな。ちなみに、ヒロキ君(4月27日)は、哲学の日、悪妻の日、婦人警官の日、国会図書館開設記念日だそうな・・。診療終わり間際。受付のYさんを調べてみたら、「蚊の日」だった。怒っていた。看護婦のKさんは「米騒動の日」だった。ほ~ら、なんか面白いっしょ。ご希望の人はコメント欄に誕生日を書いておいてくれたら調べるよ!
2006.10.23
コメント(8)
今日の徳島新聞の1面の記事。「ナカちゃん死亡」いくらローカルな新聞と言っても1面に載せるか?普通。ナカちゃんのご遺体にすがりついて泣いている中年のご婦人達。旦那さんが死んでも同じように泣くんだろうなあ!ヤフーのニュースで毎日新聞の記事を読んだけど、なんか変だ。「「ナカちゃん」は28日、徳島市渋野町の市立とくしま動物園で解剖された。腐敗が激しく、死因の特定はできなかった。栄養状態はよく、深い外傷がないことや直前まで元気に泳ぐ姿が見られたことなどから、暑さや疲労などによるショック死の可能性が高いという。」普通さあ、この文脈なら直前まで元気だったんだから、暑さによる疲労などは考えにくい、だから事故死などの可能性が高いと言う続きになると思うんですけど・・。徳島新聞の最初の記事では、顔面に激しい損傷があって(だから、顔でナカちゃんとは同定できなかった)、船のスクリューに巻き込まれたのではと言うことだった。そっちの方が話が合うよね。どっかの船がナカちゃんをひっかけた・・・と言うことになると犯人捜しが始まるかも知れないので、こういう方向へ話を持っていこうとしてるんじゃないかと思う。剥製にして記念プレートを作るんだって。死んだのは残念だけど、それほど大げさにしなくても。そう言えば、タマちゃんってどうなったんだっけ?現在、楽しみに見ている唯一のテレビドラマ「ER救急救命室」(配偶者の場合、この上にチャングムが入る)のシリーズ11が今回で終了になった。シリーズ初期の終わり頃から出演してきた唯一の生き残り、カーターが恋人の居るアフリカへ行くことになって、ERを去るところで終わりだ。最初医学生で登場したカーターがレジデントとなり、その研修の途中で精神科の患者に刺されて自分は重症、自分に付いていた学生は死亡。そのショックで麻薬中毒になり、麻薬の更正施設に入って克服した後にERへ復帰、スタッフドクターとして今度は若いドクターを育て11年このERに居たことになる。1回の放送でめぐるましく登場する救急患者とその治療、そのリアルさは他の追随(特にちゃっちい日本のドラマ)を許さないし、それだけでなくその現場に携わるドクターの人間としての不完全さ故の悩みや人間的成長、そういうものがしっかり描けていて大好きなドラマだった。今日の放送も、ロックバンド仲間のパーティー会場で、いきなりそのロフトの床が抜けて3階→2階→1階と大勢の客が墜落、そこに居合わせたレジデントドクターのレイが、25人の患者をトリアージ(重傷度別に分類すること)してERへ搬送。カーターの送別パーティーでスタッフが誰も居ない状態の病院で、レイをはじめレジデント(卒業1年目のドクター)達だけで、足の血管損傷を伴う粉砕骨折、胸部の外傷、外傷を負って出産が始まってしまった妊婦の帝王切開などを、必至になりながらやっていく。そして連絡はスタッフにも届いて、パーティーのみんなが駆けつける。トイレで挨拶を考えてカーターが出てくると、みんな現場に急行して誰も居なかった・・そんなところが凄くERらしくて良かった。最後の最後で、初期のメンバー、グリーン先生やベントン先生、看護師長のハサウェイなんかが声だけど出演していてカターに声をかける。まるでこのドラマそのものの終わりのような感じだった。まさかなあ。また春になればシリーズ12が始まるんでしょう?頼むよ。ところで全然関係なく話は飛ぶけど、先日自分のページの足跡をたどっていたら可愛いサイトを発見。ネコの写真の好きな人は是非見るべし。まあ写真だけなんですけど、それでも可愛らしすぎ~~。
2006.08.28
コメント(9)
お盆の休日に、デパートの紀伊国屋で衝動買いした本の1つがこれだ。何がおかしい(中島らも:白夜書房)らもさんの死後、未発表の原稿が続々と発表されているが、この本もその一つ。色んな内容が含まれている。論座』(朝日新聞社)連載、笑いの評論『笑う門には』より、未発表分も含む全原稿を一挙掲載。最後のロングインタビュー。コント、漫才の台本。未収録の対談(上岡龍太郎etc)。そして何よりの目玉がこの秘蔵音源CD。放送されなかった、らもさんの幻のラジオ音声(『末井編集長の対談番組』中島らも出演の2回分(2003年収録))73分めいっぱい収録されているのだ。その中には、らもさんが番組で歌った曲も2曲収録されている。その中の1曲があの名曲「いいんだぜ」だ。この歌の事は今まで何度か日記で書いた。先日も、ライブで歌われる様子を収録したDVD+詩集を紹介したばかりだ。しかし、この演奏も残念ながら「ぴ~」が入っていた。今回の秘蔵音源では、全くの「ぴ~~」無しの歌が聴ける。DVDの方はバンド演奏だったけど、このCDに収録されているのはらもさんが番組の中でアコギをかき鳴らしながらソロで歌ったライブだ(そりゃ、放送されなかったろうなあ・・・)。あほらしい自主規制をする出版社が多い中、敢えてそのままの形で出した出版社に敬意を表したい。しかし、この間のDVDもこのCDが付録に付いた本も同じ白夜書房なんですけどな。早速セットしてこのCDを聞く。トラックが刻まれてないので、どこに歌が出てくるかわからないので少しずつ飛ばして聞く。らもさんのだみ声が流れて歌が始まる。2003年のらもさんの歌声はまだ力強い。あの春一番で聞いたとき(あのときもバンドだったけど)の感動が、あのときの青い空と共に蘇ってきた。何か心が詰まりそうになった夜、このCDと一緒に歌おう。いいんだぜ!いいんだぜ!
2006.08.17
コメント(5)
今日は徳島市の休日夜間診療所へ出務の日だった。前回は夜間であったが、今回は祝日昼間、9時ー5時の8時間勤務である。前回が暇だったのに味をしめて、今回は暇な時間を有効に使うべく、大量の書物を持ち込んでいた。日経メディカル7月号ロック画報ベッドサイドで役立つ英会話砂をつかんで立ち上がれ(中島らも)keep on(南正人自伝)普通これだけ仕事中には読めんやろと思うが、まあその時の気分で何が読みたくなるかわからないので万難を排した訳だ。しかし、あに図らんや・・・今日は忙しかった。午前中は休む暇無し。午後もまとまって読む時間は無かった。小児科と合わせて120人ほど。小児科が多かったので僕も5才以上の子供は引き受けた(親が内科医でも良いと承諾した患者に限り・・・まあ普段の診療でも子供を診てるんだけど、一応内科で登録してある)。僕が診たのは40人ほどだろう。時間超過で5時半頃に帰ろうとしたらまだ小児科の先生は働いていた。ご苦労様。夏風邪(急で高い発熱、他に症状無し)、下痢(たまに嘔吐を伴う)のが多かったけど、酷い日焼けの人が2人。海で焼けたのかと思ったら、いずれも子供の野球の試合の応援をしていたお父さん達でした。海だったりすると用心してるけど、ああいう場所は無防備なんだろうね。子供に夢中になってるし。(誰やねん君ご用心)日焼けもとにかく冷やすことです。一晩水風呂に入ってたらちょっとは違っただろうにね。(僕は昔それをやって下痢ぴーになりましたが・・)この状況で1冊読み終えた本がある。どれでしょう?じゃ~~~ん、お答えしましょう。中島らも著、「砂をつかんで立ちあがれ」が正解なのでした。この本はらもさんによる書評と言おうか、愛着のある本に対する覚え書きみたいなものである。本読みエッセイと言うのが正しいのだろう。本に関するらもさんのエッセイと、らもさんが寄せた後書きを集めたものだ。特筆すべきはその長さである。1つが大体見開き1~2ページで終わっているので、患者さんが空いた継ぎ目に読むにはぴったりの長さだったのだ。途中で中断される危険が非常に少ないと言う意味で良かった。まあ、中身はいつものらも節である。「本と人との出逢いは、運命だ。偶然、手にしたように見えても、しかるべき人に、しかるべき本が巡りあうようにできている」と言うのが共感したな。ところで、この夜間休日診療所と言うのは、処方が原則として1日しか出来ないのだ。原則としてと言うのは、例えばこの3連休で、土曜日なら3日、日曜日なら2日、そして今日月曜日は1日のみ、要するに休みで一般の医療機関が休みの間だけの処方なのだ。これって患者さんにとっては不便じゃないのだろうか?1日で治る病気はほとんど無いだろうから、今日来た患者さんは明日にはかかりつけ医に行ってもう一度診察と投薬を受けないといけない。もう一度見て貰った方が良い場合もあるけど、今日診ただけで3日分も薬を出しておけばそれで終わりと言う病気もたくさんあるに違いない。これって、時間と医療費の無駄じゃないのかな・・。でもまあ、沢山処方するとなるとその分薬剤の在庫も必要だし、在庫管理の面から言うとイマイチなのかも知れない。と・・思っていたら理由は別のところにあったみたいだ。休日診で何日も薬を出すと、結局かかりつけ医のところに行かない(と、言うか行かなくて済む)人が出てくる。そうなれば、かかりつけ医の生活を圧迫する・・と言う文句が出たらしい。アホか!それならあんたが自分で診い!あんたんとこが休みやから、患者さんは苦労してるんやんか。休日楽できたんやから、その分少し収入が減るのはしゃあないやろう。そこまでみみっちい事言うなよ~と言うのが僕の素直な感想だ。しかし、積ん読の山は凄いでんな。将棋の山崩しで言えば、まだ端っこが崩れたぐらいだ。まあ、しわしわと崩していこう。
2006.07.17
コメント(6)
♪それは絵なのに アダンの木の 向こうで波が揺れている♪それも絵なのに ビロウの茂みで アカショウビンが鳴いている。2005年の徳島ライブ、第2部のピアノ演奏が終わって、再びギターを担いで勇造さんが歌いだした。田中一村と言う画家が居たことを知ったのはその時が初めてだった。歌から、旅の果て奄美にたどり着いてそこで死んだ画家であろうと言うことはわかったけれど、それ以後も勇造さんの歌の事以上は知ろうとしていなかった。先日、スピッツのチャーさんのサイトでもこの画家に触れていて、思い出して色々と検索してみて興味が沸き、手に入れて読んだのがこの本だ。田中一村。本名田中孝。明治41年に生まれる。父親は仏像彫刻家だった。父親の血を引いたのか、幼いときから絵に関しては神童の名前を欲しいままにした。学業にもすぐれ、芝中学には授業料免除の特待生として入学。18才で東京美術学校(現在の東京芸大)に入学。花の6年組(卒業が昭和6年だったので)と呼ばれ、同期生には東山魁夷が居た。入学時から、教授達には「教えることなし」と言われる天才ぶりであった。しかし、父親の病気と自分の結核の悪化が重なりわずか3ヶ月で退学を余儀なくされる。その後母親、弟が相次いで逝去、一家を支えるために色紙、木魚、帯止めなどを制作して糊口をしのぐ。更に父親ともう一人の弟が逝去。自分の芸術を理解し陰に日向になり支えてくれる姉の喜美子と共に千葉へ移り住む。この年30才。39才で青龍展に初出品で入選するも、選者の画家と意見を異にして翌年から絶縁となる。以後中央画壇からは遠ざかり、売るための絵ではなく自分のための絵を描くために精進するようになる。中国、四国、九州へのスケッチ旅行で南国のエネルギーに魅せられる。50才。奄美の地で自分の集大成となる絵を仕上げるべく、全てを売り払い単身で奄美へと旅立つ。奄美では職工として働きお金を貯めながら絵を描く生活を繰り返す。服は着の身着のまま、家で自給した野菜を主食とし、赤貧洗うが如くだった。2度の脳卒中や心臓発作を乗り越えて、数十点の作品を残す。奄美では絵の上手いへんてこなじいさんで通っていたが、誰も一村を優れた芸術家とは知らなかった。背が高く、眼光鋭く、はきはきと歯に衣を着せず物を言ったが、誰にも誠実で思慮深い態度で接していた。ある画家志望の青年は、一村の眼光が鋭いために正面に立てなかった。ある青年は、なんでこんな爺がこんな凄い絵を描くのだと怒り出した。1つの鳥や虫を描くために、その生態を図鑑や文献で調べて、何日も何日もその対象を観察し、何枚もスケッチを重ねて全てが頭に入った後に描き始めた。♪感じたことを 形にしたい 願いはそれだけ♪一輪の花を 一本の草を 一匹の虫を 一個の石を 描く晩年、焼き物の窯元である宮崎夫妻と親交を厚くして、彼らの薦めで、個展を開こうとする。しかし、そのささやかな希望も突然の一村の死によってかなうことはなかった。享年69才だった。彼の死語、残された絵を見た人たちは、あのじいさんがこんな凄い絵を描いていたのかと驚き絵の前に立ちすくんだ。♪人知れず 報われず 奄美に果てた♪田中一村 人は今気づき 残された絵の前に立つ一村が死んで3年後、宮崎夫妻などの尽力によって、一村の個展が奄美で開かれる。芸能、芸術に造詣の深い奄美の島民に大きな衝撃を与える。鹿児島では、普段1万人も集まれば良い方の美術関係の展覧会に4万人以上の人が集まる。これが元になりNHK教育テレビでの「日曜美術館」で「黒潮の画譜―異端の画家田中一村」が放映され大きな反響を呼びこの番組は何度も再放送される。南日本新聞に一村の生涯を書いた「アダンの画帖」が連載される。それをまとめたのがこの本だ。平成5年、6年。一村の絵が中学、高校の美術の教科書に採用される。平成13年、奄美に田中一村美術館が建立されて一村の殆どの作品を見ることが出来る。全国を旅している勇造さんも恐らく奄美で一村の絵に出会ったのだろう。そして、絵の前に立ちつくた時にこの歌が出来たのだろうと思う。絵も勇造さんを引きつけたが、何より彼を引きつけたのは一村の生き方だったに違いない。。京都洛星高校と言う名門校に入りながら、フォークソングに出会った事により学生運動に参加、運動の挫折後も大学に残っている事に矛盾を感じて大学を自ら辞めた勇造さん。商業ベースに乗ることを嫌い、自分が生きるための歌を作り歌って全国を旅している勇造さんが、中央画壇に決別し、売るためではなく自分を納得させる為に絵を描き続き異邦の地に果てた画家の生涯に自分を重ねたに違いない。一村の絵を見た多くの人々が感じた感動も、その絵の精緻な美しさだけではなくて、その絵に込められられた一村の生き方そのものに対してだったのだろう。いつか奄美に行くことがあったら、一村美術館に立ち寄って彼の絵の前に立ちつくしてみたい。そして自分の生き方を問うてみたい。♪それは絵なのに アダンの木の 向こうで波が揺れている♪それも絵なのに ビロウの下で アカショウビンが鳴いている。
2006.07.08
コメント(8)
ぷー子ちゃんはきれい好きだ。どのくらいかと言うと、新婚当初に旦那様に「座ってしっこせえ」と言って、それがもとかどうかは知らないけど、以後独身生活を送っているぐらいのきれい好きだ。彼女が来て最初にやったことは、我が家の全ての部屋の掃除。配偶者は毎日ちゃんとやっていると主張するけど、彼女に言わせると19世紀頃から掃除をしていない状態らしい。おかげで僕の部屋まで何となく綺麗になった(あまりに物が多いので片付かないから、そんなに綺麗に思えない)昼食や夕食も彼女が作ってくれるので、何となく豪華な気がする。彼女はタマネギが好きなので、農家をしてる家から大量の新タマネギを持参。それに生で食べられるほうれん草を混ぜたサラダがとっても美味しい。今日のお昼は地鶏の卵をタップリ使ったチャーハン。黄色の色が違うんだよなあ、普通の卵とは。よし、明日は新タマネギとイカ薫のマリネを教えてあげよう。今夜から衛星放送でERがまた再開された。これでシリーズ11作目となる。春から秋まで放映して、秋から次の春までの間は新しいシリーズの収録と言うパターンが定着している。(と、言うか本国ではその逆かも知れないけど)。始まったのが94年なので、もう足かけ12年目に入ることになる。登場人物も随分変わって、最初から残っているのはルイス先生ぐらいだけど、救急救命室で起こるドラマを描きながらも、題材に寄りかからず、人間を描こうとしてるところがこのドラマの秀逸なところだと思う。まねされて日本で作られた同名のドラマとは重さが違うのよ~。これで毎週月曜の夜の楽しみが帰ってきたぜ。
2006.04.03
コメント(7)
遅ればせながらこの本を読んだ。配偶者が以前に読んで、これはあんたが気に入るわよと僕の机の上にぽ~んと放り投げておいてくれたものだ。そう言われると、意地になってちょいと後回し~なんて思っていたけど、春の宵に抱かれてついつい手にとって一気読みしてしまった。最近読んだ小説と言えば、ちゃとさんお勧めで楽友界隈で盛り上がっていた「東京タワー」だけど、あれはとてもまっすぐな熱さを感じる小説だった。直球ね。まず思い出したのが、海援隊の「母に捧げるバラード」である。それの小説板っちゅう感じだ。最後の、些細なことをひとつひとつあげていく遺書のところが泣けたね。この「博士の愛した数式」は、たとえて言うならじわっとくる暖かさだ。静かに静かに、いつ火がついたのかわからないけど、気がついたら胸の奥深くに暖かい塊をいつのまにか持っていた、そんな感じね。まず驚いたのがその設定だ。事故の後遺症で記憶が80分しか保てない老数学者。そこへ派遣された、独身でシングルマザーの家政婦。そして、博士によって「ルート」と名付けられた家政婦の子供。博士の義姉である未亡人。登場人物はその4人である。(メインは3人)その3人を結びつける役割を果たしているのが数字、数式である。まるで生き物であるかのように数字や数式を愛して説明する博士。博士の口から語られる、素数、友愛数など、はじめて聞く数学用語もあるけどそれがとても美しく親しみを持って読む読者にも響いてくるのだ。文学と一番相容れそうにない数学。それを狂言回しに使って、こんな素晴らしい作品に仕立て上げた作者の手腕は凄いと思う。その数式を通して博士との距離が近づいていく家政婦とルート。特殊な障害を持つ博士、シングルマザーの子供として生まれ、そして自分もシングルマザーになった家政婦と、父親に抱きしめられた事の無いルート。何かが欠けた3人の間に奇妙な友情が育っていく。そして、数学と並んでもう一つ、物語のスパイスとして振りかけられている阪神タイガース。なんと博士のこよなく愛する江夏の背番号28が完全数であった。これを発見したのは作者の小川さん自身だという。これはもう偶然の奇跡と言うしかない。いや、この物語を書くためには必然だったのかも。ラストは決してハッピーエンドではない。しかし、登場人物全てに燦々と降り注ぐ、暖かい太陽の光を感じてしまうのは僕だけだろうか?読んだ後に、決して火の消えない暖かい塊を残してくれる物語だと思う。
2006.03.25
コメント(11)
今日は配偶者様が何か身体の調子が悪いと。熱は無いのにしんどいし、寒気がするとおっしゃって、早々に天の岩戸にお隠れになった。子供達を風呂に入れて、洗い物をして(食器洗い機大先生にお願いした)、お風呂に入って洗濯物をしかけて(洗濯機大先生にお願いした)。勉強会のスライドを少し作って洗濯物を出して乾燥機大先生にお願いしようとしたところ、洗濯機の底に自分の携帯を発見。そりゃ、即死だわなあ。まだ買って2ヶ月ぐらいなんですけど・・。まあ、メモリにも殆どデータは入ってなかったし(主に患者さんからの連絡用)被害は少ないと言えば少ない。殆どタダみたいな値段だったし。(P506と言う少し古い機種だった)明日新しいのを買いに行こう。これもタダみたいな値段で大丈夫なのかしらん?トリノオリンピックの開会式と引き続いてモーグルを見ながらチャンネルをパラパラやっていると、懐かしい映画をやっていた。仕立て屋の恋(監督:パトリス・ルコント 主演:ミシェル・ブラン)この映画を見たのは、外回りを終えて大学の医局に帰って来てしばらく経った頃。僕より2年遅れて帰ってきた配偶者と出会った頃だと思う。だから、93年ぐらいかなと思うんだけど、映画の制作が89年、日本公開が92年とあるからそんなものだろう。新聞の映画評を見て見に行ってきた訳だけど、配偶者と雑談をしてるときに、先日映画を見に行ったと言う話になって、何の映画と聞かれてこの映画を答えたのだった。地味な映画だけど、配偶者には、おお、渋い映画を見る人なのねと印象づけたようだ。ま、そんな思い出のある映画である。これは後から知ったことだけど、「メグレ警部」シリーズでおなじみのジョルジュ・シムノンの原作をルコントが映画化したものらしい。地味な映画と書いたけど、もう少し正確に書くなら美しく悲しく切ない映画である。見終わった後に、切ない固まりの球のようなものがずっと胸の底に落ち込んでいく。そんな映画だ。ちびで頭髪も薄く、かんしゃく持ちの中年仕立屋のイールは誰からも愛されない、愛そうとしない男だった。ある日、彼の住む部屋の向かいに魅力的な女性アリスが越してくる。自分の部屋から彼女の部屋が丸見えだと分かったイールにはひとつの楽しみが出来た。仕立て屋の仕事が終わって家に帰ってくると質素な食事をして、部屋を暗くして、ブラームスのレコードをかけながらアリスの部屋を覗く事だ。彼はたちまち彼女に恋をしてしまう。しかし、彼の行為は単なるのぞきにとどまっていた。ある日、彼は彼女の部屋で彼女の恋人が起こした殺人事件を目撃する。しかし、彼はそれを誰にも言わなかった。彼女が共犯者として彼の前から消えてしまう事が耐えられなかったからだ。彼の覗きに気がついたアリスは、ある思惑を持って彼に接近してくる。彼女の思惑や裏切りを感じながらも彼が貫いた愛の結末は・・・。サスペンスとラブロマンスを織り交ぜながら進展する物語。ラストにこの二人の目が合う場面があるが、凄い演出だと思う。モノクロに沈んだイエールの世界、そこに登場する鮮やかな色彩のアリス。全編を通して静かに流れるブラームスの旋律。抑制とコントラストが効いた演出も素晴らしいと思う。DVD買おうかな・・。
2006.02.13
コメント(12)
楽友のミドリツブコさんの書いた日記で「水源のある村」と言うタイトルの文章があります。この文章は、僕の大好きな文章で、今まで読んだあらゆる文章の中で最も美しくて切ない文章の一つだと思っています。(僕のページの左下のメニュー「心に残る日記、お友達編」からも、ツブちゃんのサイトの左メニューからも行けるので、一度はこの文章に触れてみてください。)ツブちゃんの相方のきんまるさんは漫画家だと言うことですが、彼が企画したらしい絵本が1冊もうじき世の中に出ます。虹の橋(宙出版)翻訳:湯川れい子 イラスト:半井肇 装丁:北野怜僕はこのお話は知りませんでしたが、オリジナルは、ペットを亡くした人たちのために書かれた作者不詳のアメリカの詩らしいです。ネットで話題になり、たくさんのサイトもあるらしいけど、まとまって1冊の本になるのは初めてということ。愛猫のまるお君を亡くしたツブちゃんときんまるさん達が、まるお君の為にも出したいと思ったのが出版のきっかけだと言うことです。湯川れい子さんの後書きの前に、ツブちゃんのこの「水源のある村」と「T駅を降りて」が載っています。現在予約受付中(アマゾンでも出来ます)。今から楽しみにしています。
2006.02.10
コメント(2)
今日は1日遅れの豆まきをした。本当は昨日するはずで、ちゃんと豆も買っていたのだけど、子供達の態度が悪かったので無期限延期を言い渡していたのだ。と、言ってもそんなにずっと延期出来るわけでも無く今夜決行。反対したのはカズである。彼は・・実は鬼が怖いらしい。保育園の豆まきが昨日だったらしいけど、彼はずっと担任のりつ子ちゃんの腰にしがみついて逃げ回っていたそうだ。鬼と言っても美人の先生が化けていたのだけど・・。我が家では鬼のお面として、新婚旅行のバリで買ってきたこのお面を愛用している。お面を付けているのはヒロキで、頭にかぶっているのは何かの景品で貰った時代劇のカツラのお面である。このお面がカズはたいそう怖いらしい。ん?やっぱり怖い?年の数だけ外へ豆を投げて鬼は外!と言うらしいけど、僕ら夫婦には豆投げ禁止令が出された。夫婦で合計80個も投げると豆が減ってしまうからだそうだ。彼らにとって豆は投げるものではなくて食べる物らしい。投げるはしから、次々に口に入れている。床をはいずり回って豆の奪い合いである。何かに状況が似てると思ったら、公園の鳩ですな。あの鳩の群れに豆を巻いている感じ。鳩の中でも一段と食い意地の張っている奴が集まってきていると思えばよろしい。夜11時からのNHKのニュース番組??@ヒューマンはホントに面白い。今日はデーモン木暮に代わって美輪明宏がコメンテーター。久しぶりに西原理恵子が画面に登場していた。のみならず、大阪のテントハウスに住むおっちゃん達に突撃取材。実際にテントの中で1泊してゴミ拾いにも同伴。「騒ぐ元気があったら働け」と億ちゃん達に面と向かって言えるのはあんただけだよ、西原さん。確かにそう言えばそうだけど、まあ事はそんなに単純ではないだろう。登校拒否と同じ社会拒否だから・・ときっぱり見抜くのは鋭いけど。登校拒否なのは、本人に問題があるのかガッコに問題があるのかと言う問題があるように、社会拒否だって、本人だけの問題か?社会に問題はないのか?と言う問いかけがあるはずだ。「今のホームレスは贅沢だわねえ。あたしらの頃は新聞を、上にかけると盗られるから体に巻いて寐ていたのよ。」とは美輪明宏の弁。この人も一時本当にホームレス生活をしていたらしい。西原と美輪のように言いたい放題の人たちが居る番組は面白い。司会者って要らないと言うか、収集をつけようと思えば大変だ。NHKの番組って、変に収集を付けようとするところがあるから、こんなコメンテーターを呼んで収集つかなくした方がずっと面白いね。でも、このプロデューサーはデーモンと言い、美輪と言い、塗りたくった人がお好きなようで・・。今日から暦は春だ。でも、またちっと寒いぞ。天気予報では寒波が来るそうだ。2月になって急に診療所は暇になったけどまだまだフルは多いので皆さんご用心!
2006.02.04
コメント(6)
雑誌「雲遊天下」(ヴィレッジプレス)の休刊が決まった。ちょいと前に届いた41号の編集後記に書かれてあるのに昨日気がついた。休刊と言うけれども、実質は廃刊だろうなあ。後記を読むと、編集者の個人的事情と書いてあるけれども、恐らくひとつの区切りがついたのとやっぱり疲れて来たのだなあと思う。ネットで色々な情報が得られて、ネット出版も普及してきた現在、マイナー出版社がこつこつと小さな雑誌を作っていくことは想像しがたい苦労があるのだろうと思う。けれど、大手とメジャーばかりが幅を効かせている昨今、小さいけれど確実な流れを作ってきたと思う。何よりも、テレビや新聞で知らされる情報以外に、もっともっと知らない素晴らしい世界があると言うのを教えて貰ったことが大きい。季刊で発行されたこの雑誌、10年のところを12年かかって41号までの発行を達成した。多分、勇造通信か大塚まさじさんのファンクラブニュースであるムーンライトニュース(そう言えば、これも発行停止になって、現在はファンの人が発行している)でその存在を知ったと思う。僕の手元に残っているのは16号からだけである。多分引っ越しに紛れて無くなってしまったのだろうと思うが寂しい限りだ。12年と言うから、初刊が恐らく94年か、勇造さんのアルバム「雲遊天下」が出たのが99年だからこの雑誌の方が早かったわけだ。勇造さん、大塚まさじさん、友部正人さん、いとうたかおさんなど、多くのミュージシャンがこの雑誌に執筆した。そして今まで知らなかった色々な出会いを提供してくれた。勇造さんの「歌旅日記」に再会したのもこの雑誌での事だ。これからは、歌旅日記はどこで読めば良いのだろうか。この雑誌から生まれた単行本は、勇造さんの「歌旅日記アジア編」をはじめとして、大塚さんの「月の散歩」、友部さんの「ニューヨークの半熟卵」、中島らもさんの「啓蒙蒲鉾新聞、微笑家族」、森下ヒバリさんの「カラワンソングブック」など、多分この雑誌を読んでなければ出会うことなく通り過ぎてしまっただろうと思う。最後の単行本は、糸川燿史さんの写真集「グッバイ・ザ・ディラン」になる。あ、大塚さんの「続月の散歩」が春頃に出る予定だとか。今後も単行本の発行は続ける予定だし、もう一つの雑誌「ぐるり」も続けていくそうだ。発行者の村元武さんは、プレイガイドジャーナルの時代からずっと頑張ってきた人だ。最後に後記の村元さんの言葉を。「74年に糸川さんと出した写真集をこのたび復刻しましたが、あのころは「グッバイ」と言うのは平気でした。そうする事で階段を1つずつ上り、また道を選び直していったのでしょう。30年がすぎ、前に開ける道はそうないんだけど、何度目かのグッバイです。」村元さん、お疲れ様でした。ありがとう。
2006.01.31
コメント(3)
今夜の徳島は霰の様な雨(雪?)が断続的に降っています。風が強いので体感温度は低いけど、でも氷点下にはなってないみたい。新潟では3・8mも雪が積もっているとか。新潟新幹線作る前に、電車を全部地下鉄にせんかい!え~と、年末に何度か日記に登場させたDVDの紹介です。淋しいのはお前だけじゃない。これは1982年TBSにて制作放映されたドラマだ。脚本は市川森一、プロデューサー高橋一郎、音楽小室等通称、「さびおま」と呼ばれ、業界人からは絶賛されたらしいが、視聴率はさほど上がらなかったそうだが、同年のテレビ大賞、第一回向田邦子賞を受賞している。西田敏行扮する主人公沼田薫は、大手サラ金からも見放された債権者を相手にする場末のサラ金、パラダイスローンズの主兼取り立て屋である。彼から怖い取り立てを受ける焦げ付き債権者(お焦げさん)には、河原崎長一郎、山本亘、潮哲也、萬田久子、矢崎滋などが居る。沼田は暴力団をバックに持つ大手サラ金の経営者である国分(財津一郎)から、個人的な取り立てを頼まれる。彼の情婦である常子(木の実ナナ)が旅芝居の役者市太郎(梅沢富美男)とかけおちした、その慰謝料として2000万円を取り立てて来いと言うのだ。任務を果たすつもりで現地へ行った沼田だが、常子が沼田が子供の時に恩を受けた旅芝居の一座の座長の娘だと分かって、彼らに同情して一計を案じ、一芝居打つことにする。しかし、その企みは国分にばれてしまい、沼田はパラダイスローンズを乗ったられた上に、彼ら2人と共に2000万円の連帯保証任人にされてしまう。常子と市太郎の芝居や踊りがかなりの人気があり、おひねりを貰っているのを知った沼田は、彼らと共に芝居の一座を結成して借金を返そうと計画する。しかし、団員を集められず、沼田が考えたのは、彼のお焦げさんたちを役者に仕立て上げる事だった。白浜の温泉宿にお焦げさん達を集め、市太郎や常子と一芝居打って彼らをだまして芝居に出演させ、沼田は彼らをその気にさせて芝居の世界へと引っ張り込む。こんな風に2人のプロと残りの素人からなる大衆演劇の一座ができあがったが、やはりプロの世界は甘くない。国分からの要求はどんどんエスカレートして彼らは窮地に陥ってしまう。窮鼠猫を噛むが如く、国分に立ち向かうしかないと考えた沼田達は一世一代の大芝居(スティング)を国分相手にやらかすのであった・・。と、まあこれが大体のあらすじだが、全13話の1つ1つには、「一本刀土俵入り」「名月赤城山」「四谷怪談」「瞼の母」など、有名な大衆演劇のタイトル名がつけられ、ドラマの筋立ても、ひとりのお焦げさんのエピソードを題材にして、その演劇のエッセンスを含んだものになっている。そして、更にドラマの冒頭では、タイトルになった芝居そのものがマジに(ドラマの中で演じられる素人芝居とはまた別に)演じられて、ちょ~んと拍子木が鳴ってドラマのタイトル(淋しいのはお前だけじゃない)が出て、その日の話が始まると言う凝った筋立てである。このドラマが出来た当時、社会では「サラ金」が問題となっていた。更に、梅沢富美男などを中心とした大衆演劇の急速な復権、流行があった。それをバックボーンに組み合わせた市川森一の手腕は見事と言うしかない。何と言っても白眉であるのが、ドラマ初出演となる梅沢の熱演であろう。僕は「夢芝居」しか彼の踊りと歌を見たことが無かったけど、ドラマの中で踊られる「矢切の渡し」や演じられる演劇の数々、彼無しにこの一座の芝居は成り立たなかったに違いない。また、主役の西田も、アクの強い借金取りが芝居にのめり込み、お焦げ達と仲間になっていく様子を熱演している。彼の女形としての踊り、お芝居もなかなかにたいした物、怪優西田の面目躍如である(このパッケージに写っている女性は、西田の女形姿なのである)。上に書いた登場人物以外にも、西田の女房に押さえた演技の泉ピン子、国分の用心棒を演じる尾藤イサオの狂気、西田の瞼の母を演じた新劇の北林谷栄など、芸達者な俳優が周りを固めている。このDVDには付属として、脚本の市川と制作の高橋の座談会「さびおま」制作秘話と、出演者が20数年後に集まって語り合った「さびおま」同窓会の様子が収録されている。心筋梗塞になった西田はさすがに顔が老けているけど、いやあ俳優ってのは化け物だね、泉ピン子も木の実ナナも若い!。更に化け物なのが梅沢富美男、彼は全然変わってないもんね。実は僕はこのドラマを当時には見ていなかった。正確に言うと、最終回の終わりの方だけを偶然つけたテレビで見たのだ。長年、全部見たいと思い続けてきたドラマである。このドラマのタイトルの意味は、その最後の最後で明らかにされる。それは見てのお楽しみである。僕が好きなドラマのベスト1は、今でも山田太一の「男たちの旅路」である。このドラマでは、脚本家である山田が主演の鶴田浩二の口を借りて、自分の言いたいことを思う存分しゃべっている。この「さびおま」は、脚本家は徹底的に後ろに隠れて姿を現さない。「男たちの旅路」とは対極にあるドラマだと思う。エンターテイメントに徹して出来た素晴らしいドラマである。実はこのドラマの中に登場するテレビのブラウン管に、同じ金曜ドラマで放映されてた山田太一のドラマが流れていたりするのである。彼も、このドラマを凄く絶賛していたらしい。どうです?おひとつ。
2006.01.05
コメント(9)
先日、床暖の工事でリビングの本棚を動かす必要があり、その為に中身の掃除をした。本棚と言っても大部分は料理の本とビデオ、そしてDVDだ。その中に見つけた積ん読のDVDを昨日から夫婦で干渉している。タクシーサンバ。脚本:山田太一 主演 緒方拳1981年NHK土曜ドラマで放映された全3話である。都内の中堅タクシー会社に採用された新しいドライバー浅田真一(緒方拳)。彼はかつて一流商社マンであった。会社の為、仕事の為、家族を放り出して海外赴任での仕事に没頭した結果、仕事は前進し、会社も大きくなったけど彼はその代わりに妻と子供に去って行かれる。そしていつか会社によって仕事も取り上げられ、タクシー運転手として第二の人生を踏み出した。毒蝮三太夫、岡本信人、花沢徳衛、坂上二郎、三浦洋一など芸達者な俳優が彼を取り巻く仲間の運転手として、脇を固める。彼と彼の仲間達、そして彼が乗せた乗客の持つ様々な悲喜交々を通して、人間の心の機微を描いていく、山田太一お得の手法だ。まあ、漫画で言えば、弘兼憲史の「人間交差点」みたいな感じだな。タクシーの運転手と乗客と言うのは、お金を貰って相手を目的地まで運ぶ、ほんのひととき、一期一会の出会いでしかない。しかし、その1対1の特殊空間故に、時にはドラマが発生しうる。このあたりの着眼は上手いと思う。このシリーズは3話で終わっている。土曜ドラマにしては比較的短命だ。あまり人気が無かったのか、脚本のネタが切れたのか、それとも主役の緒方拳が忙しすぎる人になってしまったからか・・。そのあたりの裏話はわからない。当時も面白いと思ったし、今見てもあまり古くささを感じずに面白く見えるんだけどね。以前から、日記の中で最近のドラマは面白くないって書いてるけど、実を言うと最近のドラマはどれも見てないのよ。だから面白くないなんて言う資格はないのだ。僕が最後にリアルタイムで見ていたドラマになると、もう10数年前の「ジェラシー」とか「振り返れば奴が居る」とか例の武田鉄矢と浅野温子の奴までさかのぼらなきゃならない。だから正確に言うと「最近のドラマは面白くなさそうなので見る気がしない」と言うことになる(何よりも、まず見る時間がない・・)。古いドラマが良かったなあと言うのは、単なるノスタルジーかも知れないなと思っていたけど、やっぱり今日のドラマを見ていても違うなあと思ってしまう。それは、昔のドラマにはドラマがあったからだ(何のこっちゃ!)。え~と上手く言えないけど、昔のドラマには確かに街が存在し、そこに生きている人間が存在している。登場人物には様々な年齢層が居るし、彼らは決してドラマの中で浮かび上がったりせずにそのドラマの中の街の中にそのまま生きているのだ。リアリティーがあると言える。最近のドラマは(予告編やコマーシャルで見るだけだけど)、やっぱり登場人物が浮いてるんじゃないのかな?格好いい主役を連れてきて、彼らがかっこよく見えるためにその周りの登場人物や背景を整えているだけ。あくまで主役は人で街(ドラマ)ではない。そのあたりが違うんだと思う。しかし・・・今日の第2話で出てきた大原麗子はやっぱり綺麗だわ・・。しかし、配偶者は冷めた目で曰く。「こういう美人女優は、年寄ってしまうと出来る役柄が無くなってしまって可愛そうだわねえ。」ま、いいじゃん。ひとつ言わせて貰うなら、タクシーサンバってタイトルはどうなんだろう?サンバじゃなくても良いと思うんだけど。エレジーなんかの方がピンとくるかな。大作ではないけど、そっと人の心を打つ佳作だと思う。年末、お正月にどうぞ。
2005.12.19
コメント(1)
また右手を挙げると首が痛い。これは何かの呪いか?いや、単なる老化か・・。久しぶりのソフトバレーの練習に行く。でも、来週、再来週の試合モードになっているので、試合に出ない僕は今ひとつモチベーションが保てない。こういうのはちょいと辛いな。積ん読の中に村上春樹の「東京奇譚」を見つけて昨日から読んでいる。不思議な物だ。前は村上さんの本が出ると速攻で買い求めて、その日のうちに読まなきゃ気が収まらなかったのに。「海辺のカフカ」あたりから、いや「ねじまき鳥クロニクル」あたりから少しずつ急がないようになってきた。これって、自分が少しずつ村上さんの小説を必要としなくなっていると言うことだろうか?それとも単に時間が無いと言うことだろうか?そう言えば、中学1年の時、明け方の深夜放送でユーミンの「ベルベットイースター」を聞いて彼女の虜になり、新譜が出るたびに胸躍らせて買っていたのが、大学生になった頃からは貸しレコードでいいやと思うようになって、30を過ぎたあたりから、もう買わなくてもいいやって思うようになった。これは卒業したって事なんだろうか?でも、去年だったか久々にオークションでユーミンのベスト盤を落札したけど、改めて聞くとやっぱり良いんだよなあ。でも、これは単なるノスタルジーなのだろうか?変わらないと言うことはある意味すばらしいけど、願わくは自分と一緒にミュージシャンも作家も年をとって変わっていって欲しいと思う。それが生きていると言う事だから。東京奇譚は短編集だが、やっぱり村上さんの比喩は面白く素晴らしいと思うし、あのちょっと乾いて透明な世界がとても好きだ。もう少しこの世界に没頭していよう。と、言うわけで残りを読んで来ます。
2005.11.24
コメント(6)
昨夜のK1グランプリは凄かった。優勝したセーム・シュルトの圧倒的な強さ。でかくて、スピードもあるから手に負えない。なんで今までこいつが出てこなかったのだろう?準決勝で武蔵は極真のクラウベの飛び膝蹴りで失神状態。上唇を6針も縫う裂傷らしい。う~ん、武蔵が勝っていたのは八百長じゃなかったのね。そのクラウベは、決勝でシュルトの膝蹴りで下段ロープに首をひっかけるような状態での失神KO負け。でも、このシュルトってプライドではノゲイラやヒョードルには負けてるんだよなあ。やっぱりストライカーよりもグラップラーの方が強いのかな?前からシュルトは、プライドじゃなくてK1に参戦したら良いのにと思っていたので、今回の優勝はやはり・・って感じだ。同じからだがでかくても、打撃が弱くて体重だけが重い曙やチェ・ホフマンはK1じゃなくてプライドへ行くべき。曙なんか相手を押しつぶして倒れ込んだらそれで相手は失神でしょ。ホフマンだって韓国相撲の横綱なんだからさあ。今日は東京国際マラソン。高橋尚子が復活の優勝。個人的にこの子はあまり好きじゃなかったけど、今回のことで見直したというか好きになった。小出監督の下を離れて、2年前にスランプの原因となったこの大会をわざわざ選択、肉離れにもめげずに出場して、前回失速した坂のところでスピードアップして後続を引き離した。そのレース展開にはちょっと鳥肌が立ったぞ。日本のスポーツ選手って、コーチや監督の乳母日傘の下にいて彼らに依存しすぎている選手が多すぎると思う。だから逞しさが感じられない人が多い。独立したからと言って必ずしも勝てるとはもちろん限らないけど、人間的に逞しくなることが競技に与える影響ってのは絶対にあると思う。そういう選手の変化を見るのもスポーツを見る楽しみの一つだ。もっと高橋尚子みたいな選手が出てくればいいと思う。マラソンって、以前からあまり見るのは好きじゃなかった。延々と2時間以上も走ってるのを写すのが退屈で。勝負の決まるのは短い瞬間だしさ。うっかり居眠りしていたりしてそれを見逃すと大後悔。でも、今日分かった。勝負の決まる瞬間を見るために序盤をじっと耐えるのが必要なんだと。ともあれ、高橋尚子に乾杯。
2005.11.20
コメント(2)
勇造さんの新しい本が出た。歌旅日記アジア編だ。最初の歌旅日記に関しては以前に日記に書いたと思うけど、検索しても出てこない。(楽天の検索機能ってザルだ)歌旅日記(ジャマイカ編:日本編)は81年にプレイガードジャーナル社から発行された。79年に勇造さんがジャマイカでのレコーディング(アルバム「血を超えて愛し合えたら」)と、その後の日本ツアーの合間に書かれた日記だ。日記を書き始めた動機について、勇造さんはそのあとがきでこんな風に述べている。「日本を、世界を旅して見たり聞いたりしたことは簡単に忘れられないことが多く、それを日記に記録することによって、ふっと頭が軽くなる。日記を書き付けるのは頭の中をリフレッシュする作業のようでした。」この日記、特に後半の日本編の方では、日々のツアーの様子が、勇造さんのワンナイトスタンドのライブの様子が手に取るようにわかる。そしてライブで訪れる土地の人から聞いた話、そこにすむ人たちが抱える問題、今(当時)日本で起こっている事に対する勇造さんの心の動きなど。同時代史とも呼べる内容になっている。「さだまさしをけなすブルース」など、楽屋落ちになった歌の歌詞も読めて面白い。今この本は手に入れる事ができないが、ここでデジタル文庫として読む事ができる。勇造さんはその後もずっとこの日記を書き続けている。もちろん毎日ではないが、数日分まとめてツアーの合間に、そして旅の合間に。その一部は、雑誌「雲遊天下」に創刊号からずっと連載されている。(一度だけ僕も登場させてもらった)彼のオフィシャルサイトでもその一部を読む事ができる(が、更新は遅い)そんな風に何年もにわたって書き留められて来た日記の、アジアを旅した時のものを主に集めたのが今回発売されたアジア編だ。具体的には94年から2005年にわたっての、タイ、カンボジア、ラオスを旅して歌った記録で、彼の友人であるカラワンやキタンチャリーとの交流、タイにすむ人々との交流、彼の歌が生まれる瞬間(アンコールへの道)などを読む事ができる。前回の出版と違うところは、いずれも既読の文章なので、懐かしくゆっくりと反芻しながら読めるという事だ。前の時はむさぼるように読んだけど、今度は少しずつ味わいながらゆっくり読もう。勇造さんに興味のある人、タイやアジア(メインは東南アジア)に興味のある人(リッチなホテルに泊まりたい人は別)にはお薦めの1冊だ。歌旅日記アジア編 ビレッジプレス1400円(目次より)●夢を見て旅に棲むタイで一番気になる男/タイ米ブルーズ顛末記/カラワン二十周年日本ツアー/ポンテープはまだ来ない/スラチャイ&モンコン日本ツアー●月よ風に伝えてナーノントゥム村の奨学生たち/踊り続けるラオ・ソンダム祭り/高松拘置所のタイ人女性に会う/田んぼの中を歩いて来たよ/四年ぶりのラオス/クンの住む町コンケーン/インドネシアから来た女優/魚取り名人スア・プラー●アジアの子供に帰り始めるバトパハ散歩/バンコクゴロゴロ/カオプラウィハーン遺跡へ/緑一色のイサーン/バンコクの雨宿り/石垣島カチャーシーの夜/バンコクのおじいさん/厚木のカラワン●唇かみしめてメーサロンは中国人の町/人とリキシャとベビーで大混雑バングラデシュ/母の死/母の居ない部屋/シャングリラ高山病/土の匂い●夢で会いたい沢山の人達が彼女のことを好きだ/ラングーンの氷水売り/サマーンは逝ってしまった/バングラデシュは雨季まっ最中/夢で会いたい/ラオス・ワンビエンの襲撃事件/アンコールへの道●まだまだ見たい河があるガタゴトの山道を揺られてラオス、西双版納/電力公社民営化反対コンサート/インドの天国はずいぶん寒い/十一番が来たぞ!/ヒロシマのカラワン/海の人/国境行きの夜行列車/メコン河のほとりに立って/新しい歌と旅の暮らしが始まる豊田勇造「歌旅日記アジア編・発売記念ライブ」9/20(火)7pm 京都・拾得(075-841-1691) 豊田勇造 with YUZO BAND9/22(木)7.30pm 吉祥寺・マンダラ2(0422-42-1579) 豊田勇造 with 続木徹(p)両日とも当日のみ3000円ドリンク別
2005.09.17
コメント(7)
8月の終わりから9月の頭にかけてこの3冊を読了した。一気にと言うか、ブログ~日記形式なので診療合間やプライベートな時間に少しずつコツコツと読んだ。フリーライターである作者は風邪をこじらせたと思って訪れた病院で、手術不能の進行肺ガンで余命2年前後と診断される。まだ31歳の若さである。編集者からライターとして独立した直後であった。その時から彼が亡くなる前日まで、彼のブログサイトでリアルタイムで更新されていたブログと、彼自身のサイトで少し遅れて数日分まとめた物を収録したものである。闘病記自体は多く目にするし、一般の人が日記サイトでそれを書いているのも目にするが、リアルタイムのブログであった点、作者が若い人であった点が他の癌の闘病記と異なるところだと思う。多くの癌の闘病記は、患者の年齢とも関係するところが大きいと思うが、癌と向き合い死を見つめて次第に死を受容していくことが多い。しかし70歳近くに癌を宣告された人と、30になったばかりで宣告された人とでは受け取り方が違うのは当然であろう。彼は最後まで死を受容しなかった。いや、自分自身が死に往くであろう事は冷静に理解していたけど、それでも自分は死なない、どんな事をしても生きるのだと思っていた。だから最後の最後まで入院も拒否し、ホスピスを勧める親の言葉にもそっぽを向いた。最後の記述は死の前日で「死にたくないな」と言う言葉で終わる。彼自身は闘病記としてこの日記やブログを書いているのではない(と、彼自身が言っている)。自分の生きている記録であり、たまたま状況として癌と言う病気になったのでその記述が多くなっているだけだ。彼は僕より11歳、約一回り年下である。一回り違うと完全に世代が違う。バイクに乗り、テクノミュージックを聴き、モバイルツールをフルに駆使してネットの世界を駆けめぐりながら仕事をする彼の書く文章に登場する固有名詞は僕の知らない物が多かった(1巻目の注釈は役に立った)。だからこれは彼の世代の同時代史としても読める。この本にずっと流れているのは、ロックミュージックの世代の持つスピード感、疾走感だ。本人の意図した物かどうかは別としてバイクに乗って風の中を駆け抜けていく疾走感が作者の30数年の人生に凝縮されている。彼は自分が生きた証として、この3冊を世の中に残した。いや、もう1冊、彼の死の2日前に出来上がった小説がこれだ。題名から想像されるように、これは最後のその瞬間を見据えながらそのラストポイントに向かって疾走していく物語である。(実はまだ未読。44の章が一つずつカウントダウンされていくらしい。)画像に映ってないけど、帯には彼の遺影になった写真が掲載されている。「俺を忘れないでくれ」と言う言葉と一緒に。彼はこの小説を書き上げて消滅してしまったけれど、この本によって彼は読んだ人の心の中に残っていくことだろう。もう一つ。これも未読なのに紹介するのもどうかと迷ったが。これは楽天から生まれた本である。スピッツのチャーさんのお友達、ケン・ザ・エアさんが生きた証だ。若い(奥山さんよりさらに・・まだ20代)ライター希望だったケンさんは、悪性リンパ腫の治療の為の骨髄移植の途中に感染症で帰らぬ人になった。彼自身にまだ死のイメージは直ぐそこまで来ていなかったに違いない。だから帯に記された彼の最後の言葉は「ちょっと行ってきます」だ。これは彼のサイトに残された文章をまとめた本だ。これも是非読んでみたいと思う。しかし、死ぬ前に自分が生きた証をこうして残せる事って、何と素晴らしい、うらやましい事だろう。これほどの墓標があるだろうか。自分は死んでいく時に、思い出以外に何を残せるのだろうな。
2005.09.09
コメント(12)
昨日日記に書いた「舟に棲む」の舞台は利根川だが、僕にとって川と言えばやっぱり野田知佑さんであり、野田さんと言えばこの本、「日本の川を旅する」だ。野田さんと出会ったのは椎名誠さんの「今この人が好きだ」と言う本だったと思う。椎名さんが彼の好きなひたむきに生きている人を尋ねてインタビューをすると言う企画の本だったが、そこで激流に生きるアウトローとして紹介されるのが当時44歳だった野田さんだ。職業のところには「カヌー業」となっている(爆)。そこで椎名さんはいきなり「弟子にしてください」と押しかけ弟子になってしまうのだ。野田さんは熊本県の生まれ、早稲田大学を卒業後に高校の英語の教員となるが2年で退職。結婚生活も清算して、単身ヨーロッパへ向かう。当時流行したヒッピー、放浪なのだが他の人間と違うところは折り畳み式のカヌー(ファルトボート)を持って世界各地の川を回ったところだ。子供の頃から川で遊ぶのが好きで、川を見るとじっとしてられないのだ。日本に帰ってきて、彼はそのファルトボートに乗って日本の川と言う川を片っ端から下っていく。その旅の様子は、「旅」と言う雑誌に「カヌー単独行ー川から見た日本」と言うタイトルで連載され、文庫になるにあたって「日本の川を旅する」に改題された。彼の川下りは、川を下る事が目的ではない。舟に乗るだけでなくて、片っ端から潜って魚を捕まえ、たき火をして魚を食べ、酒を飲み、読書をしてギターを弾いて歌を唄う。川べりに棲む人たちとの交流。川で遊ぶのが目的なのだ。野田さんが必ず川下りの旅に持って行く物。それは数々の本、ギター、そして犬である。彼の愛犬「ガク」がカヌーの前にちょこんと座って川を下っていく様は、確か何かのコマーシャルになったと思う。片っ端から日本の川を下って分かったこと。それは日本の川がなんて素晴らしいのだと言うこと。そしてその素晴らしい川の魅力を誰も気づいていないこと。それを良いことに、開発と言う名の下でどんどん日本の川は破壊されて瀕死になっていこと。今でも川で暮らしている人たちが居る、そしてその川を守ろうと闘う人たちがいる。長良川河口堰の反対運動をした天野礼子さんを後ろから支えたのも彼だし、河原で空き缶拾うのも良いけど、それより川を駄目にしてるダムに怒れと教えてくれたのも彼だ。そして川下りは思索の旅でもある。夜、たき火を前に自分の人生を思う。単独行・・たった1人、何をするか決めるのは自分、どのようにするか決めるのも自分1人。自由と権利が与えられ、同時に義務も負うことになる。それは人生の縮図なのかも知れない。この本は単なる紀行文ではない。人生を深く思索する助けとなる本であり、そして川を壊す人たち(主に建設省)を告発する本であり、川の生態や生き物の様子を教えてくれる科学の書であり、青年よ大志を抱け系の冒険小説なのだ。これから人生と言う名の旅に出ていく若い人に是非読んで欲しい。野田さんは残り少ない生きた川を求めてあちらこちらと住居を移しているが、今は和が徳島県の南部日和佐町と言うところに棲んでいる。そこは日和佐川と海部川と言うまだ壊れて居ない川があるところだ。彼が四万十川についてこう言った。「四万十川が清流で美しいのは、単にそこが過疎であったからで住民の川意識が高いわけで何でもない。」田舎ほど駄目なんだ。人間が大勢来るようになれば醜いバンガローが建ったりキャンプ場や船着き場が出来て川が駄目になっていく。」その言葉を噛みしめて、彼が徳島から出ていかないように僕らも川を守らねばと思う。来年は長男を野田さんの「川ガキ養成スクール」に入れる予定なのだから。
2005.08.30
コメント(13)
全69件 (69件中 1-50件目)