古代のロマンをたずねてpart.2

古代のロマンをたずねてpart.2

船岡山と建勲神社



以前から行きたかったところをたくさん行くことができました。

今回のコースは

船岡山→千本閻魔堂→釘抜き地蔵→千本観音堂→北野天満宮→平野神社

→木嶋坐天照御魂神社(蚕ノ社)→広隆寺→車折神社

というものでした。


全部よかったのですが、中でも木嶋坐天照御魂神社(蚕ノ社)は最高に良かったです。

詳しいことはあとで書きますが、まずは順番通り船岡からです。



船岡山は平安京の造都に際して都の北の基点となったとされています。
古来から、船岡山は景勝の地であったようです。


平安京の造営時には、四神相応の考えに基づき、

北の玄武(船岡山、都の守り)
南の朱雀(巨椋池、気を養う)
東の青龍(鴨川、都の繁栄)
西の白虎(山陰、山陽道、文化の交流)のひとつとされました。


都の守り、玄武なる船岡山を基点として、その南に天皇の居所たる大内裏を置き、そこから真南に、両側に柳の並木をたずさえた幅二十八丈(八十四メートル)の朱雀大路を通し、右京、左京を分けたのです。


平安時代、朱雀大路に立って北を見ると、背後に船岡山をいただいた大内裏が望めたはずです。


船岡山




頂上には三角点があります。




船岡山・頂上




船岡山の北には比叡山が見えます。




比叡山





南は京都の街を一望できるのです。



京都の町





船岡山は中世には山城として使われたようです。
応仁の乱では西軍がここに陣を置いたので、この辺りは西陣と呼ばれるようになったようです。
あの有名な西陣織の西陣です。



船岡山には建勲神社があります。
織田信長を主祭神とし、子の織田信忠を配祀しています。



戦国時代を天下統一、朝儀復興などを進めた織田信長を賛えるための健織田社(たけしおりたのやしろ)の創建されました。




紅葉でとてもきれいです。




建勲神社の紅葉




のちに、船岡山は平安京の四神相応の玄武に位置し、豊臣秀吉によって信長の廟所と定めたのだそうです。



建勲神社



さて、このあと北野天満宮を目指してとちゅう3か所ほど寄りながら歩いたのでした。



© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: