撮影日記 0
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185系OM08編成:団体列車「湘南日光」※本記事は、平成24年10月7日に投稿したもので、当時の表現になっています。悪乗りとも言えなくない団体列車。157系を髣髴させる塗装から人気の185系OM08編成が、団体列車として「湘南日光」を名乗り、走ることになりました。でも、おじさん的には大歓迎!運転区間は小田原~日光。本来なら伊東であるべきでしょうが、まあ団体列車ですから仕方ありません。※撮影は、平成24年10月6日です。回9550M 185系 「湘南日光」送り込み回送今回は発駅が小田原と遠いため、いつもならおいしい回送列車も早朝と言うより未明です。殆ど景色の見えない真っ暗な中、「ISO12800 SS1/60 F5.8」という悪条件で撮ってみました。まあ、絵になるなんて初めっから思ってはいませんが・・・。9013M 185系 団体列車 「湘南日光」これが本番。列車番号が団体じゃなくて特急ですね。相変わらずのデカ過ぎヘッドマークですが、良いんじゃないの?結構なスピードでぶっ飛んできました。こちらは後部。振り返ったらNEXが来てたんですよね。タテ位置で構えていたんですが、NEXなんて来るから待っちゃいました。お陰でタイミングずらされてピン甘&大幅なトリミングになってしまいました。返しは夜になってしまいますので、今回は往きだけですね。次は何を走らせてくれるのでしょうか?
2022.10.21
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583系:団体列車 大曲花火大会臨(2016)※本記事は、平成28年10月10日に投稿したもので、当時の表現になっています。平成28年10月、昨年に引き続き「大曲花火大会」臨が運転されました。昨年度はどうだったか忘れてしまったので過去ログを検索したところ、『583系:団体列車 大曲花火大会臨』のとおり、今回の記事は必要ないと思われるほど同じ内容であることに驚いてしまいました。平成28年10月9日 9814M 583系 秋の大曲花火大会レーダーによると、間違いなく雨模様。家を出る時間までは大丈夫だったのですが、列車通過10分くらい前からポツポツと降り出し、昨年と同じような絵面に。ポジションがやや違っただけでした。ヘッドマークも同じ「臨時」。今回はコントラスト注入してクリアにしてみました。今回も運用変更があったようですが、まさかの事態に気が付くことなく、返しの回送も待ちました。が、時間になってもやって来ず。結構な降りの中もう一度ダイヤ情報を確認すると、なんと尾久入庫になってました。その後の情報で、またも岩倉高校が貸し切り、夕方に北へ旅立ったようです。返しの時間は変わっていましたが、何から何まで昨年と同じシチュエーションでの出来事となってました。
2022.10.12
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蕨駅発 12系お座敷列車:「蕨市民号」過去に何度の企画があったか分かりませんが、私が国鉄にいる時代に蕨駅発のお座敷列車「蕨市民号」を目撃したことがあります。関東近県の方はご存知だと思いますが、蕨駅は京浜東北線しか停まらない駅です。京浜東北線は東北・高崎線から線路が独立してしまっているため、お座敷客車を運転させるなんてことはまず有り得ません。じゃぁ何かと申しますと、かつて貨物の取扱いが行われていた時代(廃止になった直後かも)に、中線(貨物列車の蕨駅の発着線)に12系お座敷列車(オク座)を停車させ、乗車させて出発したのです。まぁ、何はともあれ、あまり良い写真はありませんが見てください。※写真は、昭和59年10月18日、蕨駅貨物中線にて。撮影時期が謎だったのですが、この横断幕を撮っていて助かりました。まさかこんな写真が役に立つとは思いませんでした。私が現地に着いたときにはお客さんは乗り終わっていたようでした。中線にはもちろんホームがありませんので、乗降用の踏み段をたて掛けて乗車させました。ちなみに、添乗職員が立っている位置は下りの本線です。警報もないし、命懸けの乗降ですね。コレだけ強い朝日が出ているということは、朝6時半くらいの早朝ですね。団体客は年寄りばかりでしょうから、朝は得意なので問題ないということでしょう。(笑)蕨駅貨物中線に停車中の12系オク座。今となってはこの姿さえ懐かしいですね。この列車を撮ったきっかけというのが、たまたま局報の臨時列車に載っていたのを見つけたからです。それまでは、この沿線で団体列車があったとしても、大体は大宮駅辺りから乗せ込むのがセオリーだったので、京浜しか停まらない蕨駅に客車列車が客を迎えに来るなんて有り得なかったのです。そんな珍しさもあり、早朝から撮りに行ったのでしょう。多分、このような取扱いをしたのはこのときだけだったのではないかと思われます。
2022.10.10
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583系:団体列車 大曲花火大会臨(2015)※本記事は、平成27年10月12日に投稿したもので、当時の表現になっています。大曲花火大会関連の団体列車が583系により運転されました。583系はかなり頻繁に上京しますが、殆どはTDL臨による京葉線経由の東京まで、それ以外のイベント臨でも殆どが大船又は横浜方面の発着であり、今回のように上野駅発着となることは特に近年では珍しい設定となっています。朝から荒天となりましたが、それなりの絵を期待して沿線へと足を運びました。平成27年10月11日 ????M 583系 大曲花火大会臨期待はしていませんでしたが、ヘッドマークは「臨時」でした。10月10日に大曲を出発し、羽越本線・高崎線経由で上野までやってきました。リバイバル列車以外では、583系が本線を走るのは極めて珍しいかと思います。朝から良い降りの雨模様で、7:30過ぎの良い時間帯でありながら、撮影者は私以外に見当たりませんでした。返しを期待して待ちましたが帰ってくることは無く、その後の情報では「岩倉高校臨」として帰路を利用した団体列車が15:00上野発で設定されていたそうです。※荒天を表現するため、コントラストは最小限の注入といたしました。
2022.10.05
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583系:団体列車 特急「ひばり」リバイバル運転53・10改正まで運用されていた583系による特急「ひばり」。583系が激減する中、最後の力を振り絞って運転されたリバイバル運転で、地元を特急「ひばり」として走った記録があります。正しい企画名・列車名は不明です。平成14年9月22日 583系青森車 団体列車「リバイバルひばり」当時辛うじて残存していた青森車の9連で運転されたリバイバル列車です。既に定期運用は無かったと思いますが、臨時の「はつかり」や「はくつる」の運用が細々と残っていた頃と記憶しています。この時点においても殆どの583系は廃車され、既に希少な存在となっていました。国鉄時代の姿に近づけるため、JNRマークを復活させ、クハネのJRマークを青いステッカーで隠すなど、ファンに配慮した対策が取られました。愛称幕は国鉄時代のものが残っていたらしく、本物のようです。平成19年12月16日 583系仙台車 団体列車「リバイバルひばり」秋田車がまだ仙台でN-1+N-2編成としてバリバリ活躍していた頃。青森運転所での運用から全面撤退してしまった583系は、波動用として転属した仙台運転所の6両と、南秋田運転所へ転出した9両のみとなり、これらを使用したリバイバル運転が何度か設定されました。仙台車はその地域柄からか、「ひばり」については字幕とイラストマークの両方が設備されていましたが、リバイバル運転は思ったより設定されませんでした。平成19年12月15日 東大宮操車場にて上りの運転後、東大宮操車場に留置された583系。仙台車はディズニー臨として上京することは多いものの、上野口に姿を現すことは殆どありませんでした。上野方にはイラストマーク、仙台方には文字マークが設定され、懐かしい姿を見ることができました。
2022.09.30
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185系B6編成:185系に乗る 上野⇔黒磯 日帰りの旅185系 上野~黒磯間(ツアー)クラブツーリズム「185系に乗る 上野⇔黒磯 日帰りの旅」が運転されました。※撮影は、令和4年9月25日です。185系 B6編成 9523M 185系に乗る 上野⇔黒磯 日帰りの旅リレー色が使われるのかと期待しましたが、ここはやはり出し惜しみでしょうか?ヘッドマークは「団体」・・・お色気無しでした。しかし、185系も今年度いっぱいくらいでしょうか?9523M 上野 9:15~黒磯 12:349526M 黒磯 14:50~上野 18:23
2022.09.26
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EF8181+EF5889牽引旧型客車:団体列車「機関車撮影列車の旅」鉄道博物館 EF58形61号機 展示ということが正式に発表されたようで、やっと安住の地で休むことができるようです。今回の記事は、そんなお召機が主役では無くて、ゲストとして出演した撮影会の出来事です。国鉄時代末期、増収策として様々なジョイフルトレインが誕生するとともに、旧型の世代交代に伴うイベントも結構実施されていたように思います。基本的には有料イベントの参加を好みませんが、昭和60年、与野駅に勤務していた時に募集があり、増収策への寄与として友人と共に参加を申し込んだような記憶があります。運転日は昭和60年7月7日、クーポンがあったかどうか全く記憶にないのですが、ワッペンが配布されています。裏側はシール式になっており、かなり大きめのものでした。※当時は国鉄職員なので管内パスを持っており、身近な移動では切符を意識していなかった。運転区間は上野~常磐線~武蔵野線を経由し、大宮駅~東大宮操車場へと向かう路線でした。当時は団体列車でもこのような経路を辿る列車は珍しく、鉄道ファンの心をくすぐる企画でした。EF8181とEF5889の重連で、旧型客車7両を牽引しました。保存車として人気絶頂であったEF5889と、科学技術博覧会(つくば万博)で御召指定機として一躍ヒーローとなったEF8181、さらに、全国から淘汰され姿を消しつつあった旧型客車と、誰もが納得する組み合わせでした。現地では、東京機関区から別に回送されてきたEF5861が参加し、人気の茶ガマ重連を連結した編成が仕立てられました。返しの準備をしながらの段取りが見え見えなセッティング。EF5889に何故か「北陸」のヘッドマーク、EF8181にはお召列車を彷彿させる日章旗の掲出が行われました。せめて幻の「北星」や「つばさ」のヘッドマークなんていう方が喜ばれたのでは?と思います。そして前後は変わりますが、来た時と同様のシチュエーションが組まれました。残念なのは、乗車したこの編成での撮影がメインであり、他にも583系などの車両も居た筈なのですが、それらは一切参加せず、近くに居た廃車待ちのような車両を自由に撮ってくださいみたいな感じで、殆どの参加者が消化不良であったと思います。乗車距離も非常に短く、まだまだ企画としては十分なものではなかったと思いますが、今のように何かを売りつけて参加費を吊り上げるような悪どさはなく、ある意味まだ素朴な時代だったかもしれません。
2022.09.23
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EF5861牽引:14客車「サロンエクスプレス東京」EF5861が鉄道博物館に収蔵されることを記念して、現役時代に良く牽引していた「サロンエクスプレス東京」とのコンビ写真をご紹介したいと思います。鉄道博物館 EF58形61号機 展示昭和60年11月4日 岡部~深谷間にて昭和61年2月12日 栗橋~東鷲宮間にて「サロンエクスプレス東京」は、昭和58年に14系客車からの改造により誕生しました。また、当時は国鉄から絶滅してしまった展望車を備えるものであり、関西の「サロンカーなにわ」とともに大きな話題となりました。時は好景気、贅沢な旅を演出するジョイフルトレインが続々と誕生し、ジョイフルトレインという名前が出てきたのもこの辺りだと思います。牽引機を選ばない車両のため様々な機関車に牽引されましたが、その出で立ちや豪華さからEF5861が先頭に立つことが多かったように思います。
2022.09.21
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EF5861牽引12系お座敷客車「江戸」:団体列車「ジパング倶楽部」東京総合車両センターで保管されていたロイヤルエンジンEF5861ですが、令和4年9月18日未明に鉄道博物館に隣接した大宮総合車両センターまで陸送されたそうです。走り装置に故障があった筈で、本線での回送はできなかったようです。本来なら真っ先に鉄道博物館に収蔵されるような車両でしたが、まだ活躍の機会を狙っていたのか、入り損ねたという感じがします。さて、そんなロイヤルエンジンの現役時代の記事です。国鉄時代の最末期、増収策の一環と思われますが、「ジパング倶楽部」という会員制の割引制度が設定されました。それまでは駅ごとに高齢者(老人会等)を対象とした団体募集を渉外により獲得していましたが、そうした渉外によらずに固定客を獲得しようと目論んだものではないでしょうか?私も当時はまだ国鉄職員でしたが、そのような制度が考案されていたことなど全く知ることはなく、無駄な増収策(余剰人員を対象とした無意味な渉外等)に駆り出されたこともありました。そんな制度が走り出した頃、当時、各地で増殖しだした数多くのジョイフルトレインが日本全国を走り回り、この「ジパング倶楽部」を銘打った団体列車が走りました。昭和61年9月頃? 蕨駅にて EF5861+12系「江戸」 団体列車「ジパング倶楽部」詳細な撮影記録がないのですが、前後のコマから推定される時期です。人気のEF5861が牽引し、「ジパング倶楽部」のヘッドマークまで誂えています。事前の情報でもヘッドマークの掲出の情報があったかどうかは記憶がありませんが、それほど執着のなかったこの時代にわざわざ撮りに行ったのですから、事前の情報があったのかもしれません。客車は、南シナのスロ81系お座敷客車の後継として誕生した12系「江戸」が使用されています。「サロンエクスプレス東京」や「なにわ」で導入された展望室は普通のお座敷客車にも採用されるようになり、旅心をくすぐったと思われますが、若い年齢にはまだ手の届かないまだシチュエーションでした。65歳以上という高齢者向けの制度であった「ジパング倶楽部」は、対象があまりにも遠い話であり、全く縁のないものと考えていました。JR東日本でその後に設定された「大人の休日俱楽部」は既に対象となってしまい、いつの間にか40年近いの歳月が流れてしまったことに、ただため息が出るばかりです。
2022.09.20
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115系スカ色:団体臨時列車「もくせい」国鉄時代、地元で一風変わった臨時列車が走りました。東北本線の蕨付近、3複線区間の山側(西側)は貨物線で、この時代では臨時列車以外の旅客列車が貨物線を通ることはまずありませんでした。※3複線化直後は、東北本線と高崎線に振り分けられていたようですが・・・。線路際で写真をとっていると、背後から聞こえてきたスピードの遅い電車のモーター音。振り返ると、なんとスカ色の115系でした。同車は中央線専用みたいなもので、東北本線ではまず見掛けることのない車両でした。昭和55年10月頃? 西川口~蕨間にて 9531M? 115系「もくせい」?通過中の同列車の中は、どうも幼稚園の団体のようにでした。車両も編成ごと全検上がりのようで、足回りまでピッカピカでした。珍しいので、後追いで写真を撮ってみました。「ん?何か書いてあったな・・・。」現像から上がってきた写真を見てビックリ!・・・「もくせい」???ひらがななので、何を意味する「もくせい」か判断が付きません。木星のことですかね?でも、夜行列車ではないし、意図がわかりません。当時は、やっと特急列車にイラストマークが付き始めた頃で、団体列車、しかも普通列車用の電車にヘッドマークを付けるなんて、房総地区ぐらいしか考えられないことでした。編成は、かつて中央東線の普通列車で一般的だったクモハ+モハ+クハ+サハ+サハ+クモハ+モハ+クハの8両固定編成。しかも全車冷房の300番台です。東北線沿線で目撃した、非常に珍しい団体列車でした。
2022.09.12
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153系:修学旅行列車 急行「こまどり」急行「こまどり」は、主に東海地方と品川を結ぶ修学旅行列車です。昭和35年に153系で誕生しましたが、翌36年に専用の159系が誕生し、置き換えられました。159系:修学旅行列車 急行「こまどり」永らく159系を中心に使用されてきましたが、同系が昭和55年に廃車となってしまい、後継として153系による運転に戻っています。しかし、153系の活躍も晩年となっており、冷房改造された車両が中心となっていたため、学生からすればグレードが良くなっていたと思われます。※撮影は、昭和55年5月頃 品川駅にて。159系が廃車になると、急行「こまどり」には大垣区の153系や155系、165系なども使用されるようになりました。種別表示は「臨時」になっています。117系導入に伴い、新快速の座を追われた153系は、状態の悪いものは廃車、良いものは大垣区などへ転属することとなり、急行「比叡」や中京地区の普通列車に使用されました。その運用はまちまちであり、写真のように修学旅行列車である「こまどり」にも例外なく充てられました。東京で見ることができない車両なので、大変驚いたものです。日光方面などの修学旅行列車は純粋な臨時列車としてのスジになっていましたが、伝統ある東海道の修学旅行列車では「急行こまどり」として愛称付きの急行列車だったことが特徴的でした。「こまどり」はJR化後も引き継がれましたが、東海道新幹線三河安城駅開業に伴う利便性確保ができるようななったことから、平成に入って間もなく消滅しています。
2022.08.05
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E257系 OM-53編成:団体企画列車「SDGsハローキティと行く!伊東温泉」鉄道コムの「SDGsハローキティ 大宮~伊東間(ツアー)」という企画を見つけ、せっかくの夏休みと重なったので行ってみました。令和4年7月29日が往路で大宮発10:20という遅めのダイヤ。伊東温泉で一泊し、翌30日に大宮へ帰ってくる行程。大宮着は19:00ということなので撮影は不可。使用車両の発表もないちょっと謎な列車でした。※撮影は、令和4年7月29日です。E257系 OM-53編成 企画列車「SDGsハローキティと行く!伊東温泉」思ったよりちょっと早く、10:28頃の通過でした。車両はE257系5500番台5両編成。企画が企画だけに何らかのアクションがあると思ったのですが、装飾等に何も変化はなく。ヘッドマークは「団体」のみ。比較的ゆっくりと走行していたので車内を見ると、1両目はなんと0!2両目も乗っているようには見えませんでした。「回送」かと思ったところ、3両目にやっとちらほらと。4両目はやや乗っているな・・・という程度。企画倒れな列車だな、と思っていたところ、日本旅行のパンフレットを発見→SDGsハローキティと行く!伊東温泉満員御礼!となっていました。途中の東京、品川、横浜、藤沢からも乗車できるそうなので、途中からは満員になるということなのですね。ちなみに、5両目はすべてのカーテンが下ろされており、車内が見えなくなっていました。往路ではキティちゃんが乗っているらしいので、これは大人の事情なんでしょうねwww。
2022.07.30
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485系:団体列車「特急やまばと」※本記事は、2012/7/17に投稿されたもので、当時の表現になっています。平成24年7月7日、485系を使用したリバイバル的な団体列車「特急やまばと」が運転されました。平成24年7月7日 485系 団体列車 9011M 「特急やまばと」485系仙台車(元あいづあかべこ編成)が充当され、懐かしい列車を再現しました。ヘッドマークはステッカーとなりますが、列車が廃止になってから20年以上も経ちますので仕方ありませんね。後部も撮ってみましたが、何故か露出がどアンダーになってしまい、ここまで再現するのが精一杯になってしまいました。後部も同じヘッドマークでした。奥羽本線は標準軌化されてしまいましたので、仙山線経由で山形まで運転される予定でしたが、東北本線の信号機故障により遅れのあおりを喰らい、郡山で運転が打ち切りになってしまったということです。
2022.07.21
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EF5861牽引 14系客車:臨時特急「つばめ」(昭和56年)国鉄時代末期、お座敷列車やいわゆるジョイフルトレインなど工夫を凝らした車両が誕生し、団体列車を中心に運転されましたが、いわゆるイベント的に企画されるものは限定的で、SLのさよなら運転や団体列車「銀河鉄道999」のようなミステリー列車が運転される程度でした。そんな中、突如として設定されたリバイバルトレインが、14系客車を使用した臨時特急「つばめ」でした。コンセプトは、当時人気沸騰のロイヤルエンジンEF5861と、電車ではなく余剰気味となっていた14系客車の活用。折からのブルトレブームを歩んだ小中学生が、中高生へと進学し、ブルトレブームから鉄道ブームへと移行してきたところも狙い目だったのかもしれません。これが大当たりで、沿線は大量の鉄道ファンで賑わいました。昭和56年7月25日 横浜~戸塚間にて 臨時特急「つばめ」(下り)牽引機はEF5861、客車は14系ですが、臨時列車らしからぬオシ14を1両組み込んだ編成となっていました。スキャニングはしていませんが、14系にはヘッドマークをかたどったテールマークも用意されました。運転区間は東京~大阪間ですが、所要時間の関係もあってか1日片道運転となり、7月25日に下り、翌26日が上りの運転となりました。沿線は撮影者が溢れかえっており、こんなアングルでしか撮影できませんでした。昭和56年7月26日 戸塚~横浜間にて 臨時特急「つばめ」(上り)翌日の返しも、当時撮影地として有名であった東戸塚駅付近のカーブに行っていました。しかし、情報の少ない当時はみんなが同じことを考えるので、沿線は隙間のない程の人出となり、アングルを選べるような状況ではありませんでした。写真のような状況となれば、今だったら警察出動どころか、沿線がすべて運転見合わせとなり、機動隊が出動しそうな感じですね。この人気を受け、翌年から連続で同時期に設定され、さらに全国へ広がっていくことになります。それにしても、2日連続で同じ場所に撮影に行くなんてマメだなと思いましたが、考えてみたら高校時代ですので夏休みになっていたんですね。翌年は就職したためか、臨時特急「はと」「つばめ」が運転されたものの、撮影には行けなかったようです。
2022.07.10
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159系:修学旅行列車 急行「こまどり」急行「こまどり」は、主に東海地方と品川を結ぶ修学旅行列車です。昭和35年に153系で誕生しましたが、翌36年に専用の159系が誕生し、置き換えられました。159系は、先に登場した155系をベースとした修学旅行用の車輌です。155系は、座席が2・3列のヨコ5列で、出入り台に洗面所を設けるなど、修学旅行用に徹した造りとなっていましたが、一方159系は、中京地区の修学旅行用車輌として増備されたもので、修学旅行閑散期は臨時急行への使用を考慮したことから、車内は急行型153系に準じたものとなっています。しかし、両者とも中央本線等への乗り入れ対策として全低屋根構造としたことから、外観が著しく似ています。また、製作費を抑えるため、コイルバネ式の台車としたことも特徴となっています。昭和54年頃 品川駅にて 159系 岡崎・大垣方面集約臨「こまどり」159系は、もっぱら中京地区←→東京地区の修学旅行用として使用されており、時間帯が良いと、このように品川駅で見掛けることができました。今では橋上通路が「駅ナカ」になってしまいましたが、かつては修学旅行生が待機する広大な待合所があり、時折りシャッターが開いていて、中を覗くことができたものです。写真は塗装変更過渡期の頃で、かなりな混成状態となっています。変更作業は、製作輌数の少ない同系の泣き所だったのかもしれません。クハ正面の塗り分けは、155系はオレンジ一色なのに対し、159系は113系に準じた帯びまわしとなっており、低屋根の顔と相まって、個性的になっているのがわかります。この後、全車が湘南色として出揃うと間もなく、冷房改造されることもないままこの写真の翌年には廃車されてしまいました。
2022.07.07
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185系:団体企画列車「新幹線リレー号」昭和57年6月、東北新幹線の大宮暫定開業に伴い、上野~大宮間の連絡列車として、新鋭185系200番台による「新幹線リレー」号が運転されるようになりました。あれから40年の月日が流れ、新幹線リレー号用に誕生した185系200番台もわずかな数を残して廃車・解体されてしまいました。5年前にリバイバル列車が運転された際は、40周年まで持たないだろうと思われた185系。40周年記念としてまた花を咲かすことができました。今回の「185系 新幹線リレー号(ツアー)」では、東大宮操から回送され、上野発が2本、さらには仙台発の新幹線から接続する上り1本に回送列車を合わせ、計3往復6本が地元を走りました。※撮影は、令和4年7月2日です。編成は宮オオB6編成です。回9550M 7:37通過9551M 「新幹線リレー号1号」回9552M9553M 「新幹線リレー3号」前回に続き、やはりリレー色にはなりませんでしたが、前回同様にヘッドマーク及び方向幕にはステッカー式ながら復刻表示が用意され、さらにサイドのJNRマークまで再現されました。3往復設定されたこともあり、地元は久し振りのお祭り騒ぎとなりました。11月には上越新幹線開業40周年を迎える訳ですが、また設定されるのでしょうか?団体列車 東北新幹線開業35周年:185系「新幹線リレー号」185系:アクセス列車「新幹線リレー」
2022.07.04
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485系K-1編成:団体列車リバイバル「ひばり」※本記事は、2016/6/19に投稿されたもので、当時の表現になっています。仙台セに最後まで残っていた原色の485系がとうとうラストランになってしまったようです。これを撮りに行く時間も覚悟もなかったので、静かに遠くから見送ることにします。まだ485系がそれなりに残っていた頃、リバイバル運転が頻繁に行われていました。そろそろ限界が見えてきた頃だと思いますので、現場でも最後の活躍という思いがあったかもしれません。今回は締めくくりとなる東北本線での活躍に鑑み、リバイバル運転された「ひばり」をご紹介いたします。平成22年12月11日 485系 新潟車 K-1編成 リバイバル「ひばり」団体旅行の企画で、「『特急ひばり』で行く仙台」というツアー名だったようです。使用されたのは新潟車で、当時は485系国鉄特急色も東日本では新潟車くらいしか残っていませんでした。6両編成で下り方が文字マーク、上り方がイラストマークで、いずれも幕がないためステッカー式となりました。それにしても、文字マークのバランスが悪いですね。こちらはメイン構図とした後部です。こちらはイラストマークでした。平成22年12月12日 485系 新潟車 K-1編成 リバイバル「ひばり」翌日、そのままのスタイルで戻ってきましたが、12月の16:20ですので、もう殆ど日没の時間ですね。流しがシンクロせずにボロボロ、お見せするほどの写真ではないのですが・・・新潟の国鉄色も既に無く、まさか最後に残ったのは仙台車でした。
2022.06.23
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485系仙台車:団体列車「特急やまびこ」で行く盛岡への旅平成23年、東北本線全通120周年を記念し、仙台の485系A-1・A-2編成を使用した団体列車が運転されました。企画名は『「特急やまびこ」で行く盛岡への旅』で、往年のヘッドマークが掲示されました。※撮影は、平成23年9月3日です。団体列車によるリバイバル「やまびこ」が走ると言うことで、いつになく早目に出場。もっとも、近所の自転車橋なんで、待ち時間を持て余してしまいました。反対側の定番立ち位置に7人。手前側には私含めて3人。しかし、私はここで撮るつもりはありませんでした。理由は、タテ位置で撮影した方がブログアップした写真を大きく表現できるから。そんな目論見が良い結果として出ました。まるで模型のようなヘッドマークですが、ステッカー式なので仕方ないですね。ここでは自転車橋上からの撮影。思いっ切り「あかぎ4号」とすれ違ってます。今回の「やまびこ」は、ある意味一番危険な時間設定だったんですね。橋上なので後部の撮影も出来ます。比較的にスピードが遅かったので、難なく移動攻撃が出来ました。しかも、湘南新宿ライン南行とカブってるし。結局、定番アングルからの7名様。全員撃沈でしたね。手前の2名はギリギリセーフで撮影できましたね。明暗が分かれました。この団体列車からも10年以上が経過。485系そのものが消滅してしまいました。
2022.06.20
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E653系勝田車:団体列車「リバイバル特急ひばり」号日本の旅、鉄道の旅 JR東日本びゅうツーリズム&セールスによる企画列車「リバイバル特急ひばり」号が運転されました。時代が進み、全国の電化区間を席巻した485系は既になく、その姿を再現することはもはや不可能になってしまいました。今回充当されたのは勝田区に所属する出戻りE653系。国鉄特急色にラッピングされた編成で雰囲気を味わおうという趣旨ですね。今の時代となっては仕方ありません。※撮影は、令和4年5月14日です。E653系勝田車 「リバイバル特急ひばり」号1日しか設定のない中での荒天。現着した時よりも雲が厚みを増し、さらに暗くなってしまったようで、ISO1600まで上げました。485系は全廃となり、全盛時を知る身としては茶番に見えて仕方ない企画ですが、この編成はまだ1度も撮影したことが無く、地元を通る同車を撮影できるきっかけを与えてくれたことには素直に感謝したいと思います。近年ではあらゆる企画列車でも体の良い名称を企画する割りにはヘッドマークを用意することもなく、あまり食指が動くものがなくなりました。JR車両しかなくなり、今後のリバイバル列車というのは興味の面においてももう難しいでしょうね。[鉄道模型]グリーンマックス (Nゲージ) 30541 E653系(フレッシュひたち・青)7両編成セット(動力なし)[鉄道模型]グリーンマックス (Nゲージ) 30540 E653系(フレッシュひたち・青)7両編成セット(動力付き)
2022.05.16
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団体列車 東北新幹線開業35周年:185系「新幹線リレー号」鉄道150周年と東北新幹線開業40周年が重なる2022年。E2系新幹線にリバイバルカラーを施すらしく、久し振りにそれらしい話題が上がった新幹線。E2系200系カラー車両など 東北新幹線40周年記念号(ツアー)さらに、7月には185系 新幹線リレー号(ツアー)が設定されるそうで、こちらも久し振りに地元が湧きそうです。遡ること5年前、やはりリバイバルで新幹線リレー号が走りました。ブログ引っ越しで記事が無くなってしまうので、こちらでも復活記事を掲載しておきます。※記事は2017/6/24投稿のもので、当時の記述になっています。東北新幹線が開業してから35年経ちました。昭和57年6月、私が国鉄に入社した年であり、大宮を発車した200系試運転列車を3機のヘリが追いかける様子を、関東鉄道学園の窓から見ていた記憶が鮮明に甦ってきます。クラブツーリズムでは35年を記念した企画を打ち出し、団体列車を仕立てました。企画名は『昭和の名車両「リレー号」(上野~大宮間)と「東北新幹線開業35周年記念号」で行く!旅情が誘うみちのくノスタルジー2日間』だそうです・・・企画名が長過ぎます。※撮影は、平成29年6月24日です。185系B4+B7編成 回9572M 送り込み回送―――を期待しましたが、残念ながら///でした。185系B7+B4編成 9535M事前の情報で185系10連となっていましたので、グリーン車込みでA編成を使用するものとばかり思っていましたが、6+4の10連でした。ヘッドマークは既に消滅しているため、ステッカー式が前後に用意されました。「臨時」や「団体」だったらスルーしていたかもしれません。185系特急電車(踊り子 新塗装 強化型スカート)増結セット(5両)【TOMIX・98397】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」185系特急電車(踊り子 新塗装 強化型スカート)基本セットA(5両)【TOMIX・98395】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」
2022.05.12
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EF81138牽引 24系寝台客車:団体列車「鳥海」※2015/7/1投稿の記事で、当時の表現になっています。平成25年4月27日、上り「ニコニコ超会議号」の返却回送を兼ねた団体列車、寝台特急「鳥海」が運転されました。上野を夜発でしたので、関東では非常に条件が悪かったのですが、現役時代にこの列車を撮ることが出来なかったので、是非と思い夜間撮影に挑戦しました。※撮影は、平成25年4月27日です。EF81138牽引 9011レ 団体列車「鳥海」そのまま機関車ごと折り返しとなりましたので、青森区の138号機が牽引しています。前日の撮影で、高校の後輩に当たる人に逢った際、この列車の情報を教えてもらったことにより撮影が実現したものです。ISO10000、SS 1/125です。スピードは結構出ていましたが、あまりブレなかったので運が良かったです。無理だと思いましたが後部も覗きついでにパチリ。自動車橋の反対側からで欄干やトラスなどの障害物が沢山あり、まさか写るとは思っていませんでした。しかも、元々のテールマークが残っていたのか、ステッカーでは無かったようです。良く見ると柵が写っており、良くこの隙間を抜けたものです。青森車は全撤退となってしまったようで、もうこのような団体列車を見ることはできないでしょうね。
2022.04.17
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