2011年11月26日
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カテゴリ: 秋山真之伝記
 日露海戦の前半戦で真之の上司であった「島村速雄」によると、

 連合艦隊先任参謀秋山真之中佐の頭脳は、

 『明鏡止水(澄みきった静かな心境)の如くに

 一所にじっと静まり返って物の来るのを待ってこれを照らす』

 ようなものではなくて、

 『活動も活動、あたかも煽風器の如く回転しながら活動を続け、

 常にこちらより仕掛けていきて、物を捜し、何でも当たるを幸いにこれを照らし、

 これを研究して良きものと見れば直ちにこれを実用に供せんとする』

 ような能動的なものであったようです。


 明治38年4月、バルチック艦隊との決戦まで1カ月余りとなり、

 真之の頭脳は、煽風器の如くフル回転していたはずです。


 連合艦隊は、バルチック艦隊を撃滅するという戦略的目標を達成するために、

 4月12日に連合艦隊戦策「連隊機密第259号」を出した後も、

 4月21日に「連隊機密第259号の2」、

 5月17日に「連隊機密第259号の3」、

 5月21日(日本海海戦の6日前)に「連隊機密第259号の4」

 と、つぎつぎに戦策の改定を行ったのです。


 困ったことに、これらの戦策を撤回要求したのは、第2艦隊でした。

 第2艦隊は、日露海戦の前半戦で何回もウラジオ艦隊を取り逃がし、国民から「露探艦隊」と蔑まれたことが、

 第1艦隊への妬み、嫉妬へつながったのか、

 第1艦隊の発する戦策に対して少なからず疑心暗鬼になっていたような気がします。


 ここで板挟みになったのは、

 連合艦隊参謀長の加藤友三郎少将でした。


 加藤は、日露海戦の前半戦で第2艦隊参謀長でしたから、第2艦隊の受けた苦痛は痛いほど判りますし、

 連合艦隊参謀長の責任の重さは、

 第2艦隊参謀長に比べ計り知れないほど重いという事も実感していたことでしょう。


 このような状況から、加藤は、バルチック艦隊撃滅に向けた最終的な戦策を、

 連合艦隊司令長官東郷平八郎大将と戦策の考案者である真之以外には秘匿して、

 日本海海戦に臨もうと考えたのではないかという気がします。





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最終更新日  2011年11月27日 02時11分47秒
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