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全然誕生日でもないんだけど、アオイの出産記は残してないことが気になったので。。。
平成19年5月29日
予定日ピッタリのこの日の夕方、仕事から家に帰り夕飯の準備をしようとしたらその日仕事がオフだった旦那が「ご飯作ったよー」と言うのでマツリとのんびりしていた。
マツリにご飯を食べさせようとしていると、ドーンと腰が痛くなってきた。
「これはマツリの時と似てるなー陣痛きたなー」とすぐ分かった。
張りはあるけどまだ全然我慢できる痛み。
ご飯を食べさせてマツリと2人でお風呂に入った。
お風呂に浸かると陣痛の進みが良くなると聞いていたので、いつもよりちょっと長めのお風呂。
お風呂から上がるとやっぱり痛みがジワジワと強くなってきていた。
旦那に「陣痛っぽい。病院電話して指示仰いでもらう」と伝えて病院に電話をしてみた。
「経産婦さんなのでお産の進行が早いと思うので、用意が出来たら向かってください」
と言われたけど、マツリがグズグズしだしておかしいなーと思っていると微熱が(´д`;)
嘔吐まで。。
熱のあるマツリを病院に連れて行くわけにはいかない。
けど、旦那に送ってもらわないと困るのでマツリは病院へ行く途中にある私の姉の家にお泊りをさせてもらえることに。
結局それから15分ほどで病院へ到着。
まだ夜の9時にもなっていない。
熱のあるマツリが心配で姉に連絡してみると、「熱なんてないよー!?ハイテンションで遊んでますけど^^」と。
何で!?
アオイが産まれることに気付いて熱が出たのか何なのか。未だに謎です(笑)
でも熱が下がったおかげで心おきなく陣痛と向き合える!!
でもでも、陣痛の感覚は5分までいってから8分、10分と遠のいていった…
19年5月30日
立会い希望だったので、旦那には「とりあえずまだまだ産まれないだろうから寝ておいて。」と寝てもらった。
それにつられて私も睡魔が(^-^;)
痛みと痛みの間つい寝てしまう。。
これじゃあ陣痛も完璧なくなってしまう。
お腹も減ってきたし。
病院の向かいがコンビニなので助産師さんに買い物に行ってもいいか聞いてみた。
私「お腹減ったのでコンビニに行っていいですか?」
助「はい。誰がですか?」
私「私ですけど」
助「はい^^ダメです^^」(すごく笑顔)
ですよねーって感じでした。
暫く我慢して段々痛みも強くなってきたので、旦那を起こしコンビニへ走らせました。
1人でこんなに食べれるのか!?っていうぐらい買ってきて、人一倍バクバク食べる旦那。私の分も食べそうな勢い。
何しに来たんだろうかこの人は。
トイレで出血。
期待したけど、お産の進み具合とは関係ないと言われて落ち込む。
朝になり痛みも強くなってきたけど、1度出産を経験しているので「これぐらいじゃうまれない。まだまだ」と分かると余計に恐ろしくなってきた。
9時、10時と時計の針はどんどん進み、短くなる感覚の割りに痛みがMAXまで強くならず不安を抱く。どうなっちゃうんだろう…
12時前頃、どうにかしてほしくてナースコールで助けを求めると「子宮口見てみましょうね」とのことでLDRへ。
期待もあったけど「どうせまだだ」っていう気持ちが強かった。
立会い希望の旦那は簡易白衣を着て嬉しそうに自分をデジカメで記念撮影していた。
本当にこの人は何をしに…。
でも1人ぼっちの出産は寂しい。
頼りなくても旦那が側にいてくれるだけで、1人じゃないと思って頑張る力が沸いてきた。
子宮口ほぼ全開。
全然まだ産まれないよ!と心の中で思いながらも、本当に産まれるなら最高!とまだまだ余裕な感じです。(ここまでは)
お昼をまわり、健診も休憩時間なので先生もすぐ来てくれた。
そこからトントン進んでいきます。
2人目だから切開なしだと嬉しいと淡い期待を抱いていたけどすぐさま切られた。
全然痛くないのでいいんだけど。。
息んでもいいよ!!
と、この時点でも本当にいいのか不安だったぐらい痛み的にはまだ上があると思っていた。
掛け声に合わせて力を出しきる!
出てこない。
それでも息が止まりそうなぐらい力を入れて息む。
出てこない。
私は必死で聞こえなかったんだけど「切開追加!」と旦那はちゃんと聞いていたらしい。
この頃旦那は先生の必死な姿や私の辛そうな姿をみて「ヤバい。死んでしまうかもしれない」と本気で焦っていたらしい。
(ちなみにマツリの時も立会いだったけど、息んでからは結構早く、特別な処置もなかったので大丈夫だろうという気持ちでいたみたい。)
頭は出たのに肩が引っかかって出ない。
何が何だか分からないけど、助産師さんか誰かにお腹をグイグイ押されていたり、先生が一生懸命赤ちゃんを出そうと引っぱってくれていた。確か…
そしてそして、皆さんが頑張ってくれたおかげでやっと産声が聞こえた☆
19年5月30日 pm0:46
4.148g 52.5cmの大きな大きな赤ちゃんが産まれた。
先生も助産師さんも看護師さんもビックリ。
前日の健診では推定3.500gぐらいだったから。
1人の看護師さんが休憩中の看護師さんたちのいるナースステーションに向かって「大きいよー!」と叫ぶのでゾロゾロと看護師さんたちが…(^-^;)
産まれてくれて良かった、本当に良かった。
本気で死ぬんじゃないかと思うぐらい辛くて、無事産まれてくれたことに感謝してその後ただただボーーっとしていた。
世の中のお母さんは本当にすごいと思った。
その頃旦那は、私の希望で出産後の赤ちゃんの様子などをパシャパシャ写真におさめていた。
後で写真を見ると、計測中や初めてのオムツをつけるところなどキチンと上手に撮れていた☆
いい記念に残せてとても嬉しい!(この日一番の大仕事!?(笑)
後で聞いたら、胎盤の平均的な重さが500gだけど、私の場合は800gもあったらしい。
先生に「赤ちゃんもこれだけ大きくなれるわけだ^^」と言われた。
その後は普通ならカンガルーケアを2時間ほどして病室へ帰るんだけど、私の出血が多くてお腹の上に赤ちゃんを乗せれないということで、小さなケースの中に入った赤ちゃんをベッドの横に置いて眺めるだけだった。
2人だけにされたLDR。
そこにいるのは疲れきった私と紫色の赤ちゃん。
何故か「メ゛ーー。エ゛ーー」と羊のように泣く赤ちゃん。
心配になって看護師さんに聞くと「きっと寒いんだわ!手を握って温めてあげてちょうだい!」
忠実に手を握って温める。
段々と普通の肌色らしくなってきた。
しばらくして看護師さんが入ってきた。
「あらまー!」大騒ぎ。「横向いちゃダメって言ったでしょー」と。
言われてません!赤ちゃん温めてって言ったでしょー。って感じです。
あらまー!と驚かれたのは血が大量に出ていたみたい。
全然気付かなかった私って…。
結果大丈夫だったみたい。
私の母がLDRに入ってきた。
赤ちゃんの写真をパシャパシャ撮ってるんだけど、笑ってる。
何故…。
横顔しか見えない私には鼻がぺちゃんこだということぐらいしか分からない。
正面から撮った写真を見せてもらうことに。
!!!
あまりのおじいさん顔にお腹が痛くなった。
笑う意味が分かった。
浪越徳治郎さんソックリでした。
「指圧の心は母心、押せば命の泉湧く」って今にも言いそうなぐらい。
って、知らない人多いか…。
そんなこんなで失礼な母に文句を言いながら病室へ。
「ところでこの子の名前は??」
私の父に名付けを頼んでいたのでこの日まで知らず。
父に「蒼」と名前をつけてもらいこの時から赤ちゃん改めアオイになりました。
ドタバタな出産でしたが、まわりの全ての人に支えられ助けられ励まされ、辛いながらとても良いお産ができたなと思っています。
元気に泣いてくれた時を、初めて握ってくれた指の小ささを、産まれてきただけでたくさんの人を幸せにしてくれたことを忘れず育てていけますように。
産まれてきてくれてありがとう。
長くなってしまいましたが、一応出産時のエピソードはこれぐらいで終わりにします☆