マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2017.04.19
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カテゴリ: 東日本大震災


 決行するなら明日だ。そう思って準備をした。天気は良い。体調もまあまあ。疲れも体の痛みもあるが、50kmのサイクリングなら、何とかなるはず。そう信じて眠りに就いた。眠ったのは5時間半くらい。朝食はしっかり食べ、菓子パン、バナナ、飴3個、デジカメ、飲み物などを確認。




 上下ともバイク用の服装にしたが、その下にロングタイツと長袖Tシャツを着た。これは風対策。手袋はメッシュのバイク用。念のためにヘルメットも被った。今日はこれから海へ向かう。東日本大震災の津波で大きな被害を受けた宮城県下の街の復興具合を確かめる旅。それは今年の自分の課題であり、今日はその第一歩なのだ。距離は50kmと計算したが、帰宅後に測定したら45kmちょっとだった。




 途中コンビニで3個のお握りを買いリュックへ。たどたどしい日本語を話す中国人のお嫁さん。その一生懸命さが可愛い。ザル川に沿って下り、名取川へ出る。これはザル川の土手。9時過ぎと言うのに、早くも花見客が集まっていた。きっと付近の町内の方だろう。いかにも長閑な風景だ。




 名取川に架かる太白大橋の上から川上を観る。春霞の中にぼんやりと見える白い山が大東岳(1366m)だ。私は二口峠を越えて、山形の山寺まで走ったことが3回あった。距離は53km。あの麓を通る楽しいコースだ。




 これが橋の上から見た名取川の下流方面。この右手の堤防沿いに海まで行く。今年川の水が多いのは、雪解けが早いせいだろう。何せ2月頃から水嵩が増えていたのだ。土手の道は車が少なくてスムーズ。旧4号線を越え、4号線のバイパスも越え、海へとまっしぐら。




 太白区四郎丸の「落合観音堂」で休憩したのは、ちらっと桜が見えたから。トイレを済ませ、水を飲み、境内を散策。堂宇は江戸時代に伊達家の家臣である佐々某が建立した由。地元の人が、もっときれいな桜並木があると言うので、歩いて見に行く。確かに15,6本ほどのソメイヨシノが満開だった。寺の境内と桜並木についてはまたの機会に紹介し、今日は先を急ごう。


 行燈松

 風は右手、つまり南側から吹いて来る。緩い下りの上東に向かうため全く気にならない。河口が近づくと、川の中に何人かの人が見えた。きっとシジミ漁をしているのだろう。前方に20本ほど背の高い松が見える。藩政時代、浜名湖周辺から取り寄せた種を植えて育てた行燈(あんどん)松。松の右手に仙台から閖上(ゆりあげ)に向かう街道が通っており、この松は防風のために植えられたもの。樹高は30mほどか。




 行燈松の南側で、新しい道路と宅地が造成されていた。この辺りは東日本大震災の津波で大きな被害があり、大勢の方が亡くなった。仙台市の隣の名取市閖上地区。この港町で入院中だった私の従兄も、津波に飲まれて死んだ。重機がある辺りにはたくさんの流された車が重なり、泥田状態。そんな中で大勢の自衛隊員と警察官が捜索活動をして姿が、今も鮮明に蘇る。




 閖上は仙台藩の魚場(いさば)つまり重要な漁港で、毎朝取れた新鮮な魚介が仙台城下へと運ばれていた。またここには政宗公が開いた運河が通り、米の集散地でもあった。そんな重要な機能を持つ古い街も、海辺のために津波で壊滅した。その恐怖を忘れられない旧住民が、市の復興計画に長年賛成出来ずにいたのだ。

 それがようやくまとまり、海岸には海産物を扱う工場と、6m以上嵩上げをした地盤の上に高層の住宅を建てることで安全を図ることになったようだ。人々の恐怖の残像はなかなかぬぐい切れないのだろう。<続く>





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Last updated  2017.04.19 06:39:11
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