まゆの部屋

まゆの部屋

与謝野晶子の思想


ポイントを書いておきます。

与謝野晶子の歌の奥に流れる彼女の思想を捉えることは歌の解釈のためにも、あるいは日本女性の解放を願った彼女の人生を理解するためにも重要だと思われます。多くの人が赤裸々な恋愛感情を読んだ歌人としてのみ彼女の活動を理解することは残念なことです。彼女は読書家でありましたので自学で歴史、文学、思想の勉強をしました。その当時の女学校では裁縫の授業がほとんどであったため学校ではそのような学習はできなかったのです。江戸時代からの儒学的な考え方が明治の人を支配していましたから女子の貞操が重んじられ、自由恋愛が禁止されていた時代に人間らしさや自我の解放を願い与謝野鉄幹の元に行くために家を捨てたのでした。それは鉄幹の個人主義やローマン主義の思想に感化されたことと異母姉の不幸な結婚に影響されたものでした。晶子がそのことを決心するまでにかなり悩み苦しみぬいたそうです。晶子の母は晶子が気が狂うのではないかと心配したそうです。

歌にきけな誰れ野の花に紅き否(いな)むおもむきあるかな春罪もつ子(みだれ髪)

”春罪もつ子”とは恋愛をしている人のことを表します。
当時は恋愛は罪であったのでしょう。

椿それも梅もさなりき白かりきわが罪問わぬ色桃に見る

椿も梅も白くて私をせめているように見えます。私の罪を問わないのは桃色の桃だけです。

道を云わず後を思わず名を問わずここに恋い恋ふ君と我と見る

道は道徳、後は宗教、名は世間体を表します。
晶子は鉄幹との結婚が道徳、宗教そして世間体に反することを知っていたのです。

花にそむきダビデの歌を誦(ず)せむにはあまりに若きわが身とぞ思う

”花”は青春の恋愛の意味です。タビデは聖書の中の人物でイスラエルの基礎を築いた王でもあり、詩編に歌を残しています。
古の歌を読むだけでは満たされない若き晶子の姿が浮かびます。

晶子は鉄幹の思想に影響され自分の言葉で自分の思想を語ろうとしました。それとともに晶子には平安時代的なローマン趣味がありました。

柳ぬれし今朝門すぐる文づかい青貝ずりのその箱ほそき

自然主義文学の台頭によって浪漫主義は衰退し、"明星”は百号で終刊し、鉄幹の文学活動は行き詰ってきました。晶子は夫婦が同じ仕事をすることの辛さを感じながらも生活のために歌を書き続けました。

わが家のこの寂しかるあらそいよ君が君打つわれをわれ打つ

お互いに自己を攻めていたのでした。

鉄幹はフランス語の勉強のため晶子と子を置き日本を離れます。その資金繰りのため晶子は百篇の歌を屏風に書き続けたのでした。

男行く我捨てて行く悲しむ如くかなしまぬ如く

海こえて君さびしくも遊ぶらん遂(お)はるる如く逃るるごとく

晶子は一人残された寂しさを歌いました。

ねがはくば君かへるまで石とじてわれ眠らしめメヅサの神よ

メヅサは髪の毛が蛇のようになった女神です。メズサを見たものは石になると言われていました。

鉄幹からのフランスに来るようにとの手紙を読み晶子は子を置いて夫の元に行くことを悩みますが周りの人の助けにより旅立ちます。船でウラジオストックに行き、ロシア鉄道を利用し二週間かけて仏蘭西に行ったのです。

ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君もコクリコわれもコクリコ

(コクリコは漢字で書かれていますが漢字が見つからないのでここではカタカナにしました。)コクリコはポピーのことです。ヨーロッパではポピーは戦場に咲くと聞いたことがあります。ポピーの赤は血のようでもあり火のようでもあるのでしょう。再会した二人の喜びを表しているように思います。

子をすてて君に来たりしその日より物狂ほしくなりにけるかな

晶子は再会の喜びに浸りながらも子供のことが気になって仕方なかったのでした。

何(いづ)れぞや我かたわらに子の無きと子のかたわらに母のあらぬと

晶子は滞在中カルチャーショックを受けます。それは夏目漱石が受けたカルチャーショックと似ていたのでしょう。ただ晶子の場合はヨーロッパでの女性の生き方に驚いたのでした。日本の女性は造り花のように生気を失っていると感じました。この体験の後晶子の関心は芸術的なものから生活的思想へと移っていきます。晶子は独学で心理学、社会学、哲学を学びました。
女子教育の重要性を感じ文化学院を作ることとなります。それは日本女性に自分の頭で考え行動する女性達になってほしいという晶子の切なる願いの表れでした。

メズサ

メズサについて知りたいと調べていましたら医学の分野でこの言葉が使われているのを知りました。

[院長のおしゃべり]
 今月の「病気の話」の中にメズサの頭という言葉が出てきました。これはギリシャ神話からでたものです。少し医学の用語の中に出てくるギリシャ神話を述べてみましょう。
 全能の神であるゼウスが巨人族と戦ったときに、彼らに味方した巨人神のアトラスは罰として両肩で天空を担って、永久に空が落ちないように支えることを命じられました。頭蓋骨のすぐ下にある第1頚椎は環椎とも呼ばれ、両手を広げたような形をして頭蓋骨を落ちないようにしっかりと支えています。ベルギーの解剖学者のベザリウスVesaliusが上の話から第1頚椎をアトラスAtlasと名づけたのです。
 昔、ゴルゴーンとよばれる3人姉妹の妖怪がいました。一番末娘のメズサはアテーナの女神と美を競い、怒りをかって醜い顔にされてしまい、髪の毛の一本一本が蛇で出来ているようになりました。肝硬変になると胃腸などの臓器からの血液が門脈を通って肝臓から心臓にもどることが出来なくなるため、腹壁の細い静脈を拡張させて心臓に戻るようになります。そこで腹壁の表在静脈が臍を中心にして怒張して曲がりくねってみえる様子が蛇のようなので、セベリウスという学者がメズサの頭Caput medusae(カプート メズサ)と名づけました。
 メズサの顔を見たものは石になってしまうことを知った先ほどのアトラスはメズサ退治にやってきた英雄ペルセウスに退治したら一目見せてほしいと頼みます。永遠に天空を背負っているのに耐え切れなくなったアトラスは石になることを望んだのです。アフリカ西北部のアトラス山脈は石になったアトラスの姿といわれています。アフリカに旅行されたら是非、この物語を思い出して下さい。






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