助産婦メモルの日常~Happy Birthな毎日~

阪神大震災から7年



阪神大震災から7年

1月17日 午前5時46分。
メモルはこの日付け、この時間を決して忘れない。

震災から7年。
今、メモルの周りにいる人たちは、震災のあった時間を覚えていない。

神戸の人じゃないから?

そんなもんなのかな・・・。

でもメモルは忘れない。

暗闇の中で、本棚の本がなだれ落ちてきた。
そのまま本と本棚の下敷きになった。

とっさに布団にもぐりこんだ。
電気が落ちてきたのが分かった。

お父さんが助けにきてくれた。

隣に住む3歳の女の子の泣く声が聞こえていた。

食器棚が倒れ、食器が全滅した。

グランドピアノも動いた。

割れた金魚鉢の横で、金魚が死んでいた。

携帯ラジオでの第一報は「近畿地方を中心に大きな地震。京都は震度5」
神戸の震度は伝えられなかった。

電話が混線して使えなくなった。
「公衆電話の方がつながるらしいよ」と聞いて、家中のテレホンカードと小銭をかき集めて、公衆電話に並びにいったお母さん。

神戸の震度が伝えられるまで、京都が震源地だと思い込み、京都に住むお兄ちゃんに必死に連絡をとろうとしていたお母さん。

家族全員でバケツを持ち、配水車を追い掛けまわした。
「いざとなれば、プールの水でも飲むしかないな。」とつぶやいたお父さん。

水とガスは3週間、とまった。
唯一、電気だけが通った。
ポットでお湯をわかして、髪を洗った。
それも1週間ぶりだった。
お風呂は、2週間目に学校で入った。

スーパーから、ものがなくなった。
ルートがとだえ、仕入れができなくなった。
やっと入ったのは、はんぺんのみ。
はんぺんを何袋も買ってきたお母さん。

伯父さんが、車で10時間もかけ食料をもってきてくれた。

学校は1か月休みになった。

いく場所のない遺体が、道路に並べられていた。

日付けがかわるたびに、100人単位で増えていく死者の数。

がれきの上に座り込む女性。

道路を横切るようにたおれた電柱。

「ガソリンに引火する恐れがあります」とはり紙がされた車は、家の下敷きになっていた。

一、二階部分がつぶれてなくなったマンション。

「なんでもっと水かけへんねん!!」と怒鳴る男性。
ぽたぽたとしか水の出ないホースを持って、申し訳無さそうにする消防士。

母の最後をみた友人。
「お母さんのことはいいから、早く逃げなさい」
建物の下敷きになりながら、叫んだ母。後ろには迫りくる炎があった。

妹を亡くした友達。
たまたま遊びにいっていた友人宅で亡くなった。

修学旅行に行っていて、帰ってきたら家がなくなっていた先輩。
家族をさがして、避難所を駆けずり回った先輩。

授業が再開され、家が燃えたため私服で登校してきた友人。
「ごめん、借りてたCD返せへん。燃えてしまった。」
とメモルに言った。

選抜高校野球の入場行進曲が、被災者のために『がんばりましょう』になった。

紅白で、『そして神戸』が歌われた。

日本シリーズが、地元オリックス対ヤクルトで神戸で行なわれて、
相手チームのオマリーがヒーローインタビューで「がんばろや、神戸!」と言ってくれた。

メモルはいつも泣いた。

そんな中でも新しい命は生まれていた。
電気も水もなくても、命は生まれる。
消えた命もあったけど、生まれた命もあった。

メモルはこれらの経験があったから、今、助産婦として働いている。
いつか、神戸に帰り、神戸の人たちのために働く。

神戸はまだ復興なんてしていない。

このおはなしを読んでくれた人だけでも、1月17日 午前5時46分、この日付け、時間を覚えていてほしい。
心から、そう思う。




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