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『ポッター症候群』、あまり聞き慣れない言葉だろう。 『ポッター症候群』の赤ちゃんは生まれながらに両方の腎臓が欠損している。 そもそも妊娠中、子宮内の羊水は赤ちゃんの尿からできている。 赤ちゃんが羊水を飲み込む、それを尿として排出する。 その循環をくり返し、羊水量は保たれている。 よって、腎臓のない『ポッター症候群』の赤ちゃんは羊水を飲み込むことはできても、 その排出ができず、『羊水過少』となってしまう。 また『羊水過少』によって、引き起こされる二次的な奇形もある。 子宮内で羊水は赤ちゃんを守るクッションとしての役割を果たしている。 そのクッションがない状況では、赤ちゃんは外的な圧力を受けやすくなる。 つまり、その圧力によって赤ちゃんは顔や手足が変形することもあるということである。 そして何よりも大きな奇形は、『羊水過少』からくる肺の低形成である。 肺が本来の大きさまで成長しない。 つまり出生しても、肺が十分に膨らまず呼吸することができない。 それは赤ちゃんが子宮外では生きられないことを意味している。 『ポッター症候群』の赤ちゃんは死の運命を背負って、生まれてくる。 これはそんな『ポッター症候群』の赤ちゃんを身ごもったママのお話。 悲しいけれど、素敵なお話。 Wさんにとって、初めての妊娠だった。 不安なこともたくさんあったが、毎回健診で赤ちゃんの成長を見るのが楽しみで仕方がなかった。 最も流産の危険の多い妊娠16週までを無事に乗り切り、 これからの妊娠生活を楽しもう、そう思っていた矢先の出来事だった。 妊娠18週、いつものように健診でエコー診察をしていた。 胎動はまだ感じないものの、エコーの画面の中で手足を動かす赤ちゃんをみつめ、心踊らせていた。 「どれだけ見てても飽きないなぁ。」 そう思っていたとき、ふいに医師はエコーの画像を自分の方に向け、Wさんからは見えなくなった。 「おかしいな。いつもなら一緒に画面を見ながら、『ここが足だね。』『ほら、心臓が動いてるね。』って説明してくれるのに・・・。」 ふと不安がよぎったが、「性別を見ようとしてくれてるのかな。」 そう思って、不安をかき消していた。 とても長く感じたエコー診察がやっと終わった。 不安は的中した。 「羊水がとても少ないです。ほとんどないと言ってもいいくらいです。 前回までの診察では特に問題なかったのですが・・・。破水してるといった感じでもないです。 この病院のエコーではそれ以上のことは言えないので、もっと大きな病院に行って見てもらってください。」 医師はそう言って、紹介状を手渡した。 頭の中が真っ白になった。 「羊水が少ないと何がいけないの? 赤ちゃんの心臓は動いていた。赤ちゃんは生きてるんじゃないの?」 聞きたいことはいっぱいあるはずなのに、何も聞けなかった。 家に帰って、夫にも医師に言われたことを伝えた。 夫も混乱していた。 「羊水が少ないと、何があかんの? これから増えてきたりするんちゃうの?」 Wさんが聞きたかったことと同じことを聞いてきた。 「分からないよぉ・・・。」 Wさんは何も聞いてこなかった自分を責めた。 少なくとも大きな病院を紹介されたということは、普通ではないということは分かっていた。 夫もそれ以上何も聞かなかった。 翌日、夫も会社を休み、2人で紹介された病院に行った。 また長いエコー診察を受けた。 診察が終わり、他の妊婦さんとは別の部屋に通された。 「前の病院でも聞いてるとは思いますが、羊水はほとんどといっていいくらいありません。」 医師がWさんと夫に説明をはじめた。 羊水が少ないことにはいろいろ原因が考えられること。 まず原因として考えられるのは、破水。しかし破水の有無を検査したが破水した様子はない。 そして赤ちゃんの腎臓や尿管、膀胱などに問題があるのではないかということ。 羊水が作られる仕組みも詳しく説明された。 「今日エコーで見させてもらったところ・・・」 腎臓がエコー上見えない、とのことだった。 また、本来なら腎臓に向かう血管を流れる血流が見られるはずが、それも見えないということだった。 「おそらくポッター症候群と呼ばれる胎児の奇形です。一度入院して、もっと詳しい検査をしてみましょう。」 そして、医師は続けた。 「今の段階で100%ポッター症候群であるとは言い切れませんが、99%はそうだと思います。」 肺がうまく作られないこと、生まれてきても生きられないこと・・・。 このまま妊娠を続けても、赤ちゃんの腎臓がこれから作られる可能性はないに等しいこと・・・。 あらゆることを説明してくれた。 Wさんも夫も悲しい宣告ではあったが、十分な説明を受け、この病院に来たことを満足していた。 家に帰り、3日後の入院の準備をしながら、Wさんは考えていた。 医師の説明が暗に中絶を勧めていることは何となく分かっていた。 それでも今生きている命を中絶することには戸惑いがあった。 「あの先生ならきっと信頼できる。」 Wさんはたとえ診断が決定的になったとしても、自分の気持ちを正直に伝えようと決めた。 入院し、さらなる検査を受けた。 そして、診断は決定的になった。 夫とともに医師から再度説明を受けた。 生まれてから腎臓移植というのも不可能なことではないが、成功例はないこと。 顔や手足に奇形が生じるため、お産自体にも影響を与え、難産になる可能性が高いこと。 赤ちゃんを大きく育てることが、お母さんの体にも負担を与えること。 胎児側に奇形があっても、法律上は中絶できない。 しかし妊娠を続けることによって、母体に危険が及ぶと医師が判断すれば、中絶はできること。 さらに詳しく話をしてくれた。 「・・・中絶はしたくありません。このまま妊娠を続けたいです。」 Wさんは自分の正直な思いを伝えた。 医師は少し驚いた様子だった。 医師はもう一度、妊娠を続けることによる危険、今の医療では赤ちゃんを助けることはできないことを丁寧に説明した。 でもWさんの思いはたったひとつだけだった。 「少しでも赤ちゃんと一緒にいたい。」 医師はWさんの気持ちを分かってくれた。 そして、医師とWさん夫婦の間でいくつかの取り決めをした。 ・週に1度、健診に来る。 ・赤ちゃんにもしものことがあっても、母体優先で治療する。 ・母体に危険が及びそうになったら、すぐにでも分娩の準備に入る。 ・帝王切開はしない。 ・生まれてきた赤ちゃんが元気に泣き声をあげたら、生きるための処置を行う。 しかし、しんどい状態で生まれてきたら蘇生の処置はしない。 「わたしたちは、少しでも長く赤ちゃんがお腹の中にいれるよう慎重に管理させていただきますね。」 医師はそう言ってくれた。 それから数カ月後、予定日より4週間早くWさんは陣痛が発来し、入院した。 「なるべく赤ちゃんの体を傷つけないように、お手伝いします。 だんなさんもぜひ分娩室まで一緒にきて応援をしてあげてください。」 医師と助産婦から、夫にはそんな話がいっていた。 そして静かなお産が終わった。 泣き声をあげることなく、赤ちゃんは生まれた。 赤ちゃんが小さめだったためもあり、とてもスムーズなお産だったと助産婦は言ってくれた。 そして、生まれたばかりの赤ちゃんを胸に抱かせてくれた。 体にはいくつかの奇形があった。 「もっとショック受けるかと思ってた。かわいいわ~。」 そう言って、Wさんは赤ちゃんを抱きしめた。 Wさんの目にも、夫の目にも涙があふれていた。 それは悲しみの涙ではなく、満足感からくる涙だった。 分娩室を優しい空気が包んでいる、そんな気がした。 |