Sky in Australia

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妊娠初期の大事件



ある日3歳になったばかりの息子カイがふざけていて横になっていた私のお腹の上にどすん、と落ちてしまったのです。

何か悪い予感がしました。お腹の張り(この時は鈍い痛みとしんどさ、という感覚でしかありませんでしたが)と涙が止まらず、ひとまず1時間ほど起き上がらずにそのままの体勢で横になっていました。決して今起きてはいけないような気がしたからです。息子にお腹の赤ちゃんを殺されてしまうとしたら、、そんなことが起こってしまっていいのか、息子に責任は問えないけれど、私はその息子を許すことが出来るのか、などとんでもない考えが次々と浮かんできました。一人っ子ではかわいそうなので兄弟をつくってやりたいと願い、やっと2人目を身ごもったのに、、、。

その日は病院の緊急病棟に家族で駆け込み、大変な夜になりました。でもオーストラリアの医療って本当にいい加減なんです。出血が続いていても、検査もしないで、一度スキャンして赤ちゃんが生きていることが確認できたらそれでお終い。それも予約が必要なのでその日にスキャンは受けれませんでした。何のための緊急医療なのでしょう。産婦人科医さえいなかったと思います。それくらいのことでは流産にはならないので、もっと血がドバッと多量に出ない限り、病院には来なくてもよい、と言われてしまいました。結局どうして出血が続いているかはわからないままでした。

ちなみに妊娠に対する姿勢は日本と全く違います。妊婦だからと言って男女平等、女の人は日本よりずっと無理をしているような気がします。流産率は日本では約10人に1人、オーストラリアでは4人に1人です。それもそのはず。検査もろくにしないし、流産や早産を防ごうとする姿勢もほとんど見られません。

今回のこのアドバイスだって、つまり流産したら来て、とそういうことでした。原因も調べなければ日本のように安静も言い渡されない。それでは夫や姑、周りの友達にも理解してもらえなくて、ある意味当然ですよね。流産なんて心配しすぎだ、もっと運動をするべきだ、みたいに周りから言われたこともありました。

でも、自分の体のことは自分しか理解出来ないんですよね。この感覚を言葉で説明するには無理がありました。もし今運動なんかしたら絶対に危ない、私にはそれがはっきりわかっていました。

ところで、カイは私を気遣って、長いことテレビを見せっぱなしでも文句も言わずに健気でした。今まで毎日栄養のある食事を作ってもらい、毎日公園に連れ出してもらっていたのに、いきなりすごい変化です。だけどそれにも限界がありました。だってまだ3歳なのです。

この出血事件の次の日、無理をして公園へ連れて行ってやると約束した私ですが、あまりのしんどざに横になったら何と1時間半も寝てしまい、起きたら大雨が降っていました。その間私を起こすこともなく一人で部屋にいたカイにも驚きでしたが、私が起きるとブラインドの間から外を眺めて悲しそうにたたずんでいました。私が、

”ごめんね、雨降り出しちゃったから公園に行けなくなっちゃったね、、、。”

と抱きしめると、何かをこらえるように泣き始め、私にすがりついてきました。

”いやだ、公園に行きたい。傘をさして行こう、、、。”

と泣き続ける姿にこちらまで涙が出そうです。まだ3歳なのに、こんなに無理をさせてしまってごめんね、、、、。でも私にはもう育児どころかどんな家事をする元気もありませんでした。毎日毎日起き上がれない程のしんどさ、無理をして出かけると、帰って来てから玄関で倒れ、そのままそこから何時間も起き上がれない状態した。信じられないかもしれないけれど、お茶碗や箸を持つことさえしんどい程でした。

普段とても聞分けが良く、毎日ハッピーだったカイにも変化が現れ、言うことを聞かなくなり、よく泣くようになりました。それは私の態度が原因だったのです。その時には自分のことで精一杯でそのことに中々気付いてやれなかったのですが、後から冷静に考えると明らかにそうでした。

もうこれ以上カイも私も無理は出来ない、そう確信して日本の実家に帰ることを決心したのは5月に入ってからでした。妊娠も何とか半ばに差し掛かる頃、私は無理矢理飛行機の長旅で息子を連れて日本に帰りました。この長旅を乗り切れたのは気力以外の何ものでもありませんでした。本当にそう思います。


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