全50件 (50件中 1-50件目)
1
ヤフーニュースでタイトルが真逆のものを見つけた。それは以前笑点に司会で出ていた歌丸師匠のことである。最初に見つけた記事はプラス思考の記事で、題名が「81歳歌丸が高座へ執念‥生きがいを持つと寿命は7年のびる」というものだった。その下の関連記事のほうの題名は、「病から這い上がり‥桂歌丸が命削ってでも高座に上がるワケ」という、全く違ったアプローチからの記事だった。こちらは2年前の79歳の誕生日の時の記事である。腸閉塞で入院&療養していた桂歌丸師匠が、国立演芸場で3ヶ月ぶりに高座復帰をした時のこと。79歳で高座に上がった歌丸師匠を見た観客のひとりの言葉が、次の言葉だった。「実物の歌丸師匠はテレビで見る以上にガリガリで、頬のこけぶりは尋常ではなく、骨が頬にくっきりと浮き上がっていて、見るからに痛々しかったです。」というもの。今回、81歳の誕生日過ぎの記事の時も、歌丸師匠の体は病気のオンパレードである。肋骨骨折、慢性閉塞性肺疾患、左肺炎慢性呼吸不全急性増悪等で入院し、高座も休み、そのたびに引退説が飛び交う状態なのである。「高座に出ると背筋がピンと伸びるんですよ」という話しは、関係者の言葉である。その記事の締めくくりは、「生きがいを持つと寿命は7年のびるという説もあるが、歌丸の現役力は高座、落語への執念だろう。」私は、生きることに対して貪欲であるかどうかが鍵だと思っている。ある意味、諦めたらその時点で命にストップがかかる事も、有りうることだと思うのだ。その逆で、やり切るまでは死ねないという貪欲さが、命を伸ばしていくキーポイントになると確信している。寿命は神様が決めることなのだが、寿命の多少の長短は、自由意思を持っている人間側でも決められるものだと、色々な人の人生を追っていくと、感じられる。
2017年08月21日
コメント(0)
「うわぁ~‥どうしてこんなことになっちゃったの?」チョッとした行き違いで、全然望んでもいない結果になってしまうことがある。そんな時は、滅茶苦茶後悔する。どうしてあの時、あんな心にも無い事を言ってしまったんだろう‥。どうしてあの時、全く考えてもいなかった行動を、してしまったのだろうか‥と、後悔が渦巻く。自分の蒔いた種の後始末が大変‥。自業自得かもしれないが、そんなに深刻に考えもしないで、口から出た言葉や後戻り出来ない行動に、我ながら唖然として、ただただ後悔する。でもふと考えるのだが‥、この結果は何を物語っているのかと。この結果の先には、何が待っているのかと‥。なんて言うか‥その悪い結果が、荒療治?的な場合が有る。荒療治して根本から壊してしまい、どうしても次の行動にでなければならない状態を、作為的に作り上げられているのではないだろうか?‥と。普通なら後回しにしてしまうことを、後回しに出来なくさせられる。どうしてもすぐに行動せざるを得ない状況を、作り上げられた?のではないだろうか。そう思うことがあるのは、大変だった時期が過ぎて一段落した後、思いがけなく良い方向に向かっていることがあるからだ。あの辛かったことが有ったからこそ、次に進むことが出来たわけで、それが無かったら、同じことを繰り返しているだけかもしれない。次に進むための起爆剤だったのかなぁ‥。私は平凡な人生がいいんだけど、成長が遅いと叱られているような‥。なにかしら自分だけの力だけでは無いものを感じる。そういう不思議さの中に包まれて、感謝の想いが生まれている。
2017年08月14日
コメント(0)
なんとなく上手くいかないだろうと思う事があり、やはりその通りになったのだが、こういうのは当たってほしくないね。良いことが当たれば嬉しいのだけど、悪い予感が当たるのは、これっぽっちも嬉しくない。それでも予感が有ること自体は面白い。こういうのって、何処からくるんだろうね?小学生の頃は、電話が来るということが何故だか分かった子供だった。なのでいつも電話機の前に座って待っていた。携帯なんて無い時代だから、自分から電話機の前に行かなければ、電話を取れない。すると1分以内に電話がかかってきた。そんなことが何度も繰り返された幼少期だった。これがテストのヤマ勘には働かなかった。自分の益を追っていたからだろうか?にしても、どうして電話が鳴ることだけは予感出来たのだろうか?もしかしたら音かなぁ‥。視覚タイプ、聴覚タイプ、体感覚タイプで優位な感覚を分けると、私は間違いなく聴覚タイプなので、音に一番ひっかかる人間である。音は私にとって、とても大切な機能である。勿論、他のどんな機能も大切なことには違いないのだが‥。ここ数年、耳鳴りが強くなっているので、聴覚タイプの私にとっては、とても辛い状態である。なんとか緩和できないものだろうか?幼い頃は、目が見えなくなる不安をよく感じていた。遺伝的に目が悪かったので、小学校3年からメガネを必要としていたからだと思う。まだ小学生でメガネをかけている人が、殆ど居ない頃のことである。なので将来的に、もしかしたら点字を勉強しなければならない?なんて考えていた時期も有った。でも有難いことに、これは必要の無い心配に終わった。目も耳も‥いや体のどんな機能も大切である。予感は「第六感」といい、人間の5官 (視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚)を超える感覚の事である。これが研ぎ澄まされると、色々な場面の自分を助けてくれるだろうから、いつまでも予感を感じられる自分で居たいと思っている。
2017年02月11日
コメント(0)
私は今の仕事をしていることが好きである。自分の好きな仕事が出来ているので、恵まれていると思っている。とはいえ、全部が全部好きというわけではない。得意分野と不得意分野があるわけで、全部が得意でないわけだから、なかには苦手意識が働いて、楽しくない時も勿論有る。経理関係は好きでも、経理だけの仕事をしているわけでないし、パソコンが好きでも、パソコンだけ打っていれば良いわけでもない。電話も取らなければならないし、販売関係の仕事もしなければならない。それでも現在の仕事は総称して、好きな仕事と言えるだろう。全ての人が好きな仕事をやれたら良いが、そうでない人が殆どの世の中で、どこで手を打って仕事に従事していくかが重要である。林修先生がよく図にするものがある。十字を書いて十字の上が「出来る」下が「出来ない」で、十字の右が「好き」左が「嫌い」。一番良いのが右上である。好きな上に出来ること‥それを仕事に出来れば一番良い。次に良いのが左上で、嫌いだけど出来る事を仕事にすることだ。これは葛藤が有り、ストレスを生むことになる。左下の嫌いで出来ないことは、最初から仕事にするはずがないので論外。一番困るのが右下で、好きだけど出来ない状態だ。これは一般に「下手の横好き」と言われるものである。そしてこれが一番厄介である。趣味の範疇ならまだ良いが、仕事として成立させようとすると問題で、きっと報酬に至らない仕事になってしまうことだろう。なので右上が多く占めていて、残りが左上である私の仕事としては、安定した仕事をゲット出来ていることになると思う。これも出会い‥仕事との出会いで、実は、今の会社に来るように仕向けられていた驚くべき経緯が有る。そぅ‥目に見えない何かの糸で引っ張られたような‥。だから運命に「ありがとう」と言いたい。
2017年02月07日
コメント(0)
どうしたら幸せになれるだろう?どうしたら心が穏やかでいられるだろう?どうしたら欲しい生活が手に入るだろう?どうしたら私らしく生きられるだろう?願うことは沢山有って、心も体も満足していたい。でも現実はその願いから遠いところに居る。世の中上手くいかないことも有り、ため息が出てしまうことも多いが、だからといって、ふて腐れていても良い方向に転がるわけでない。もしラッキーなことに幸せを手に入れたとしても、その幸せは継続しないことが多い。すぐに幸せが色あせてしまい、また幸せを追い掛けることになる。願いは叶うと言われるが、私だけは例外なのではないか‥。みんながみんな願ったことが叶うだなんて、果たしてそんなに無限に叶っていくのだろうか?地球は膨大な人間の数で溢れている。その人間の数だけ願いが叶うことが、有り得るのだろうか?一つ言えることは、中途半端な願いは叶えられないということ。どっちに転んでも良いように願っていると、結局は叶えられない願いになってしまう。そしてその結果を見て、「ほらやっぱり願っても叶わないのよねぇ‥」と肩を落とす。実は自分の願い方が中途半端だということに気がつかない。心の底から願うこと。表面上だけの願いでないこと。誰かが自分の願いで傷つくことがないこと。宇宙は無限大である。有限な人間の数の願いは、宇宙ではほんのささやかな数に過ぎない。純な気持ちで、澄んだ心で、無垢な魂で、自分の幸せを願ってみようではないか。
2016年03月06日
コメント(0)
水の流れる音を聞いていると、不思議と落ち着くのは私だけだろうか?あの単調な音が、とても心地良い。だから私にとってのスーパー銭湯は、心も体もリラックス出来る、特別な場所である。水の音は大き過ぎもせず小さ過ぎもせず、丁度良い音量で聞こえてくる。だからなんの抵抗もなく水の流れる世界へ、スーッと引き込まれていく。そして目を閉じると、周りの人のことも気にならなくなる。体も暖かいので心身共に緩んでいることが分かる。でも湯船に長く入っていると体も熱くなリ過ぎるし、気にならないと言いつつも、周りの喋り声は耳に入ってくる。なので、全く自分だけの時間にはなれないし、共同の場所なので、なれなくて当たり前である。そうなると時々、誰にも邪魔されることなく瞑想をしたくなる。自分だけの世界へ入っていきたくなるのだ。リラックスした状態で、視覚や聴覚をシャットダウンして、自分の内側に入っていく時間を持つ。これがかなり心と体にリラックス感を与えてくれる。その時に無になれといっても、私達現代人は余りにも忙し過ぎるわけで、無になることなど到底できない環境下に居る。私は無になれなくて当たり前だと思っている。雑念に振り回されるだけでなく、雑念をただただ見つめて流していくことをすれば良いと思っている。まぁ、でもそれも中々上手くいかないことが多いのだが‥。手を動かしている時とか、何か作業をしている時、そんな時でも瞑想が出来るのは、並大抵なことではないと思う。私はそんなに器用ではないので、瞑想をする時は、最低限目からの情報は入れないようにしている。ただし、ヒーリングミュージックは流している。それは他の耳からの情報を、シャットダウンするためである。時間も長くなくて良い、少しの時間で良いのだ。瞑想をすると心も体も喜んでくれて、生きていく活力になる。時々は瞑想に時間を使っても、良いのではないかと思う。
2016年02月14日
コメント(0)
ぼんやりとした未来が、明確なものになる為には、沢山の情報を必要とする。情報が無いと的が絞れないというか、下手をすると的外れな方向へ行きかねない。だから情報集めをするべきである。情報は本からかもしれないし、知人からかもしれない。或いは専門家の知識から、正しい方向性が導き出されるかもしれない。とにかく求めよう、集めようという精神を持っていないと、情報は思うように集まってこない。そして自分の今を含めた未来は、ぼんやりとしたままである。最初は呆れられるかもしれない。「そんなことも知らないで、よくやる気になったなぁ‥」と、怒るのを通り越して、バカバカしさを感じられてしまうかもしれない。それでもメゲナイことである。だって、始まりは無知に決まっているのだから‥。そんなことで気持ちが腐っていては、やりたいこと全てが夢で終わってしまう。夢で終わらせないためには、沢山の情報を得て前に進まなければ‥。不思議なもので、情報が増えていくとビジョンが固まっていく。自分のやりたい方向性や方法が、次々と分かってくるのだ。そうなったら、しめたものである。後はどんどん行動に移していけば良いだけである。そうなると、今まで呆れていた人たちも、「おや?これは本気か?」と見直してくれるだろう。想像は創造に繋がる。想像できないものは、絶対に創造されない。そして想像できたものは、必ず形として残る道が有るのだ。確かなビジョンを持って、まず最初の一歩を踏み出そう。
2016年02月02日
コメント(0)
先日、地球から遥か離れた宇宙で、地球と太陽に大きさや位置関係などが最も似た、惑星と恒星が見つかったという記事を見た。NASAの専門家はそれを「地球のいとこ」と表現していた。宇宙は無限に広がっているから、充分あり得る話しである。「もしかしたら私に似た宇宙人が、その星に住んでいるかもしれない」そう思うと不思議な気分になった。「もしかしたら私自体が、そちらの惑星に住んでいたかもしれない」そうも考えられると思った。この地球に生まれることを望んだのは私の魂であるが、その時違う惑星で生まれようと私の魂が考えたら、この「地球のいとこ」という惑星で生まれていたかもしれない。地球のいとこである惑星も、必要な物質と条件が揃っていたのなら、人間のような生物が存在するだろうと思うわけで、そちら側の存在として生きていく可能性も、有っただろうと思う。そもそも地球人だということで、他の生命体を宇宙人と呼んでいるわけだが、生命体が居るだろう惑星の存在たちも、きっと地球人と同じ感覚で居るだろうと思う。遥か遠い太陽に似た恒星は、我々の太陽より15億年古いらしい。60億歳だと言うが、全くピンとこない数字である。そこの惑星は地球の直径の1.6倍で、恒星の周りを385日周期で回っているという。温度も同程度だというし、水が有る可能性も高いという見解だ。宇宙をいう括りで周りを見ると、地球など見えない程の大きさだろう。そこに住む人間は‥そしてその人間の悩みは‥‥。楽しく毎日を送っていきたいものである。
2015年08月23日
コメント(0)
一軒、会社に近いお店が潰れた。これをどう考えるか?である。デメリットもあるが、メリットもある。会社の時間は限られているので、色々関係する場所は近いほうが良い。しかも地下街から行けるお店だったので、雨が降っても濡れないし、暑さや寒さも助かっていた。でもそんな重宝していたお店が潰れてしまい、少し遠くへ足を延ばさなければならなくなってしまった。でもメリットも有る。それは今までと違う景色を見ることができるということ。歩く距離が延びるので、健康にプラスとなるだろうこと。といっても大した距離ではないが‥。どうしても人間は慣れてしまうと、それが当たり前だと感じてしまう。本当はその一つ一つがとても感謝することだというのに、そういう感謝の気持ちが薄れてしまう。慣れてしまうことって、凄く怖いことだと思う。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということが起こってきてしまう。風邪を少し引いただけで、やれ医者だ薬だと慌てる。そして自分が辛いので、ちょっと小言を言ってしまう。では健康だった時に、どれだけ感謝の言葉を言っていただろうか?日頃感謝の言葉を言わずして、病気になった途端、愚痴をこぼしてしまうことはないだろうか?デメリットの時こそ、メリットになる箇所を考えるチャンスである。病気だって、日常を見直すチャンスではないか?前向きな考え方で生きていくと、どういうわけだか良いことが起こってくる。だからそういう風に思考を変えていくことが、自分の幸せに繋がっていくのである。
2014年11月14日
コメント(0)
もし出来るなら、日にちを変更して欲しいと依頼者から連絡があった。私にとって何も問題の無い変更なので、二つ返事で承諾した。するとその後変更したことで、私にとってラッキーになる出来事が起こってきた。当日依頼者に会った時、「日にちを変更して頂いて有難うございます」とお礼を言われた。いえ、実は‥と、私のほうには変更したことで、とてもラッキーな出来事が起こったのだと話しをした。なので「こちらこそ有難うございました」という挨拶をした。するとその依頼者が、変更することで助かった出来事を話し始めた。その人も幾つかのラッキーを掴むことができたようだ。こういうことが起こると、自分が良い軌道に乗っていると感じる。しかも自分だけでなく自分に関係する人も一緒に、良い軌道に乗っているというのが嬉しい。こういうことが起こると、自分の生きる姿勢が間違っていないと感じる。間違っていないからこそ、私に小さな幸せを運んでくれる。ラッキーだ、アンラッキーだと、簡単に片づけてしまわない事が大切である。世の中に「偶然」は無い。有るのは「必然」だけである。全てが自分の行なった言動や行動に基づいて動いているのが、この世界‥この現実の世界なのである。大きなことではない。それは小さなことである。だから私たちは見落としがちなのだが、ラッキーなことやアンラッキーなことは、自分の言動や行動に比例して起こってくるのである。愛のある言葉で愛のある行動をして、自分を含めた周りも一緒に、ラッキーなことで一杯にしていこうではないか。宇宙に限りは無い。幸せの数も不幸せの数も、決まってはいないのだ。決めているのは、誰でもない自分なのである。
2014年09月21日
コメント(0)
なるほどねぇ‥、こういう手を使ってくるのか‥。人間的にみると、一見可笑しいというか変というか、どうして~?と思うような出来事なのである。そうすることに何の意味がある?そこに意図することなど何もないではないか?そう感じたことを、もっと違う視点で考えると合点がいくのである。それは人の目からしては突拍子もないことかもしれないが、ひとたび結果から逆に辿っていくと、違う見方が出来るのだ。人の視点で考えると、中々出てこない答えである。自分の視点、相手の視点、他の人に意見を聞いた視点。それらのどこからも出てこない、偶然を装った必然だった。いつも思うのだが、目に見えない世界の連中は、緻密に計算された方法‥、人間には決して考えが及ばない方法で、巧みに人や時間や場所といった、この世の色々なものを使って私たちを誘導していく。勿論、私たちを一番良い方法で導こうとしているのだ。でも悲しいかな人間の視野は、とても狭い。目の前に起こってくることに、一喜一憂してしまって、それが将来の自分に、どれだけプラスになるかなんて、全く分からない状態なのである。私も考えたよ~。この出会いは波長が違い過ぎるだろうよ~。どうして、それなのに出会っていくのかと‥。それが2年半たって、ようやく理解できたのだ。そう、次の展開で理解できたわけである。なんだかミステリー小説の、謎解きのようだ。こちらの世界は時間で縛られている。だから時間の概念を組み込んで、目の前に起こってくることに意味付けをしてしまうのだ。時間の概念の無い向こうの世界は、どのようにでも物語を、組み立てていけるのだろう。まぁでも私たち人間が見守られている事だけは、確かな事実である。導いてくれる存在に感謝☆
2014年06月12日
コメント(0)
私の夢ってなんだろう。考えてみれば最近の私は夢を追っていく状態ではない。どちらかというと受け身で、目の前に起こってくることを、ただ単に熟しているに過ぎない。元々こんなに長く生きているとは思わなかったから、学生時代は生きているだけで感謝だった。それから‥どうやら生きられるようだぞ!と思い始めて、それじゃぁ、どうしようか?と考えた時に、一人でもこの社会で生きていけるようにと、メンタルを鍛えて、色々なスキルを身に付けていったのだ。そして一人暮らしを始めて好きなことをして、殆ど家に居ない生活が7年。その後母が倒れて、実家に戻ったのである。それからは占いの勉強にハマっていき、占いから心理学に、心理学で出会った先生からレイキに行き着く。更にレイキからヘミシンクの世界へ行き、そのヘミシンクの導きでヒプノに出合っていく。そして最後に、ヒプノからNLP関連の心理学へと循環していった。占い(四柱推命)の勉強までは私の意思だと思うが、レイキからは私の意思に反して進行していく。レイキ以降の出合いは、向こうの世界で仕組まれたとしか思えない。四柱推命は統計学だから、占いといえど左脳に偏った私としては受け入れられる範疇である。しかしレイキからの分野は、もう殆どが右脳の領域ではないか。私がチョイスして勉強したいと思うような代物ではない。NLPのトレーナーにも不思議がられた。「バリバリの聴覚タイプである貴女が、何故レイキを?」‥と。だから私の意思じゃないってば~。 (ーー;)最近、向こうからの指示が無いから、日々目の前に起こってくることを、熟しているだけの生活である。だから「夢」という言葉にハッとするのである。う~ん、このままでいいのか?少女漫画のように、目をキラキラさせたいよ~。
2014年01月26日
コメント(0)
一人一人歩みが違うということを、今回感じとることができた。結局自分の基準が頭の中にできていて、それで周りを判断してしまう。私と他の人では、タイミングが違ってくる。そぅ違って当たり前である、私は私で相手は相手なのだから‥。それをついつい自分と同じタイミングで行なって当たり前と判断する。そこから相手に要求が生まれ、それが満たされないと不満になる。それでイライラしてしまうのだから、バカバカしい話しだ。皆が同じタイミングで動いているわけでない。第一みんな同じような動きをしたら、気持ちが悪いではないか。何故鷹揚に構えておれないのだろう。何故相手を焦らせてしまうのだろう。‥間違いなくこれは私のエゴである。母の愛であるべきだよねぇ~、無償の愛という位置へ行くべきなのだ。そうでないから独りよがりの思考に走ってしまう。自分の間違った思考が、結果自分の首を絞めている。だって自分でストレスを作りだしているわけだから‥。それで病気になってしまったとしたら、どこにも文句は持っていけない。原因は自分なのだから‥。宇宙から偶然という名の必然がやってくる。スピリチュアルに関係するタイミングは、宇宙が与えてくれるのだ。必要な時に必要なことが起こってくる。「タイミングがすべてだ」そぅ宇宙が発信するタイミングは、全て計算通りなのである。私たちは偶然という形でやってくるタイミングに、乗っかれば良いだけである。◆NPO法人主催の現代レイキ体験会&交流会in名古屋が11月30日土曜開催◆ 中村区生涯学習センター 視聴覚室 ★詳細は私までお問い合わせください※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
2013年11月27日
コメント(0)
私のレイキの生徒さんで、最近整体を勉強し始めた人が居る。整体の先生と良い縁が有ったようで、楽しく勉強しているようだ。新しいことを覚えるのは、大変な面もあるけれど、好奇心のほうが勝つのでワクワクする。彼女のブログを読むと、私と同じ気持ちのようだ。そうこうしていたら面白いもので、私にも整体をやっている人と縁が出来た。こういう繋がりが、目に見えない世界での繋がりだと思う。しかも経営者で、多分私より歳が上かなぁ~と思った。こういう縁も出来るようで出来ない。特に私は整体に行かないので、中々縁が生まれない。お話しを伺っていると、整体教室もされているようで、生徒さんもいらっしゃるようである。その生徒さんの話しになって、またまた面白い繋がりが有り、見えない世界が仕組むことの凄さというか巧妙さを、感じざるを得なかった。「こうやって人と人とは、出会っていくんだなぁ‥」ほんに「縁は異なもの味なもの」である。‥って、男女の縁じゃないけどね。これもホームページを立ち上げていたり、ブログを続けているお陰だ。パソコンやインターネットが無ければ出会わない?今だからこそ生まれる繋がりである。まぁでも、見えない世界がすることなので、出会いが必要だと思えばあの手この手で、様々な手段を使って、出会いを演出することだろうと思う。とにもかくにも、出会いに感謝である。
2013年08月29日
コメント(0)
どんな勉強をしても出てくる結論が、今を生きることであり、ここの場所で生きることが必要だと言われる。明日でもなく、明後日でもなく、ましてや1週間後でも1ヶ月後でも1年後でもない。今のこの瞬間を生きることが大切なのだ。今が未来を創り上げるのだ。未来を決めるのは、今の考えであり行動である。今考えたことも、今言葉にしたことや行動も、未来の自分を決めていくのである。今、笑っているのか泣いているのか怒っているのか、それらが未来の自分に反映されていく。体を鍛えれば、時間がかかったとしても、目に見えて体に変化があるから分かりやすいが、心の問題は目に見えないから、それが未来に反映されると考えにくい。でも、今そしてここ(与えられた場所)で精一杯生きることが、未来の自分を生きやすい人間に変えてくれるのだ。今の自分の心が成長していくと、出会う人間が違ってくる。私は精神世界を勉強して、それを肌身で感じてきた。「類は友を呼ぶ」「類を以て集まる」ということわざは、的を得たことわざである。今ここで精一杯生きて、心の成長をすることで、出会っていく人たちが随分変わってきた。もちろん、今まで通りの友達も居るのだが、新しく出会っていく人たちは、確実に変化してきている。「今、ここ」で精一杯生きて、素敵な出会いを沢山していきたいと思う。
2013年04月21日
コメント(0)
今、理不尽な扱いをされていて困っている。こちらの話しは一切聞かず、一方的に押し付けてくるのだ。こちらは仁義を通しているのだが、相手はゴリ押ししてくる。こんな時、自分の感情をどう扱えば良いか?自分に怒りを押さえこんでしまえば、自分の心身を傷つけるし、相手に怒りをもてば、相手にその想念が飛んで傷つけてしまう。自分も相手も愛すべき存在ならば、どちらもするべきではない。ではどうするのか?結果に拘らないこと、そして結果を手放すことだ。私の好きなことわざが、「人事を尽くして天命を待つ」なのだが、その言葉通り、自分がするべきことは全てやり、その結果は天の命ずるままに従う、ということである。この境地に立つまでは葛藤があるが、それを乗り越えると、精神的に凄く楽になるから不思議である。天の命ずるままに‥なので、悪い結果だったとしても受け入れる。ここでポイントとなるのは、「悪い結果」であると誰がいつ決めたか?ということだ。「悪い結果」であると決めたのは、「私」で「今」決めている。何故その結果が悪いといえるのか‥。それは私が、自分の今を見て決めているに過ぎない。数年後の自分から見たら、「禍を転じて福となす」結果かもしれない。目の前に起こってくることが全てだと思うと、乗り越えられない出来事かもしれないが、それがどんな副産物を拾ってきて(例えば人脈が出来るとか‥)、未来にプラスされるかは、誰にも予想できるものではない。そぅ、悪い結果だと思った出来事が、未来に良い影響を与えるかもしれないのだ。だから結果は天に任せよう。自分も相手も傷つけないで、未来が良い方向に向かうことを信じて‥。
2013年04月09日
コメント(0)
流れが変わることが分かるのだが、それも表裏一体で、裏の部分の気持ちを味わってきたからである。辛いことがあるからこそ、嬉しいことが分かるし、苦しいことがあるからこそ、楽しいことが分かるのである。そして、辛いこと苦しいことを経験することは、他の人に共感することができるわけで、それは人としての幅も広がることになれば、副業にも生かされることだから、感謝することである。でも、感謝することって、苦しい時には中々できないものである。そんな時の感謝の言葉は、妙に宙を浮いていたりする。それでも言霊である、言うこと自体が大切なのだ。思っているだけよりも、言葉として言ってみることである。よく偽善だと言う人がいるが、偽善でも言わないより言ったほうが良いと思っている。それほどに、言霊は大切だと思うのだ。時には、言霊に自分が引っ張られることもある。感謝の言葉を言っていると、感謝の心が育ってくるのだ。本当は感謝の心が有って、感謝の言葉を言うという順序であるべきだが、心が荒んでいる時には、逆を辿っても良いと思う。自分の波長を高めよう~。高めれば、その波長に合ったことが周りに起こってくる。そして周りに高い波長の人たちが集ってくるのだ。全ては自分、自分が発信しているのである。自分が発信したことが、周りに起こってくるのである。
2013年03月14日
コメント(0)
ライトが当たる場所を、弟と二人で微調整していたのだが、何度やっても上手くいかない。最初に調整したものが一番良かったのだが、まさかそれが一番良いとは思わなかったので、もっと良い状態を模索して、逆にドツボにハマっていった次第である。寒い夜中に防寒対策をしっかりしながらの挑戦である。それでも時間が長くなると寒さが身に染みる。やればやるほど、どんどん状況が悪くなっていく。「一番最初が良かったのだけど‥」 と嘆いても仕方がない。でも、ある瞬間、どういうわけだか閃いて、いままで行なった作業を、根本的に変更したくなったのだ。でもそれを実行するという事は、もしかしたらいままでかけた、2倍か3倍の時間を使うことになるかもしれないという不安がある。いままでだけでも時間を掛け過ぎているわけだから、根本から変えることは、無謀な挑戦になってしまうのだ。案の定、弟は私の意見に渋って嫌がった。無理もない‥、私も瞬間的に嫌だと思ったのだから‥。でも、何故か上手くいくと感じたのだ。それは全く根拠の無いものだった。根拠が無いにも関わらず、何故だか上手くいくと思ったのである。そこで何とか弟を説得して、無謀な挑戦に賭けてみた。するとどうだろうか! 驚いたことに、最初に一番良いと思っていたものより、もっと良い状態になったのだ!しかも、その結果は奇跡に近いものだった。この結果に私は、飛び上がって喜んだ。弟は渋々挑戦したことも忘れて、自分の手柄のように喜んだ。まぁ実際、微調整したのは弟だから、自分の腕が良かったということでいいけれど‥。こういう閃きがきて、その通りになっていくことが嬉しい。見えない世界の繋がりのようなものを感じる。左脳寄りの私にとって、嬉しい閃きである。こういう瞬間を、もっともっと増やしていきたいと思った。
2013年02月21日
コメント(0)
本を読むのに疲れた時、その合間に軽い本を読むのだが、今読んでいるのが、アメリカ合衆国の推理作家の本である。去年88歳で亡くなったご婦人である。その10年前まで‥80歳近くまで執筆していたのだから素晴らしい。こういう本を読むと、西洋人と東洋人の考え方の違いを、はっきりと思い知らされる。見えないもの‥特に、魂に関わる考え方の違いは歴然としている。私がもしアメリカで生まれていたとしたら、魂を理解できない人間になっているのか、それとも根底に魂を理解できていて、周りとのギャップに苦しむのか‥。東洋人、しかも日本人に生まれてきて、つくづく良かったと思う。占いやレイキやヒプノやカウンセリングといった、形の無いものに携われて嬉しく思うのだ。日本人であったとしても、これらを受け入れられる人が、どれだけ存在するだろうか?せいぜい占い位を、受け入れられるぐらいだろう。そう考えると、ごく自然にこの道に辿りつけたことは、私を後押ししてくれている存在のお蔭だろうと思う。私の頭の固さでは最短で行けそうにないから、色々な偶然をちりばめながら、ゆっくりと導いてくれている。お蔭様で頭の固い私でも、理解しながら歩んでこれた。その人その人に合った導き方をしてくれる。だから安心して示された道を歩んでいけば良い。任せるというのは楽である、時として苦しみも伴うが‥。私にとっての最短距離を歩ませてくれるのだ。このように歩めるのも、日本人で生まれたことが大きい。日本人だからこそ、最短で魂を理解できると思う。この本の著者は、アメリカ人として魂を扱って執筆している。きっと周りの理解を得るのが大変だったと思う。この著者だからこそ全うできた使命だったのだろう。
2013年02月17日
コメント(0)
願いが叶うか否かは、イメージ力にかかっていると思う。発明品などは、その典型的なものだと思うわけだ。発明したいものを発明するには、色々と勉強しなければならないだろうけれど、その勉強する前の段階で、どんなものを作りたいかという、具体的なイメージが湧いていなければ、方向性すら掴めない。前回のブログで「寒さ対策」を取り上げたのだが実験の一つとして、イメージ力の大切さを取り上げていた。暖かい物、例えば湯気のたっている鍋だとかをイメージすれば、それだけで体温上昇に役立っている。逆にかき氷とか吹雪とかをイメージしたら、体に寒さを感じて、ブルッと身震いしないだろうか?どうやらイメージすることで、体温にも多少だが変化が起こるようである。楽しいことを考えれば、心も体もうきうきしてくるが、不安な気持ちを持てば、心も体も委縮してしまう。自分が描いたイメージだというのに、心や体に変化が現れるのである。イメージが如何に大切なのかという証拠である。だから叶えたい願いが有るとしたら、より具体的なイメージをもって、心に描くと良いだろう。そう、あたかももうその願いを手に入れたが如くに‥。大事なのは、自分の心に否定させないことである。願いが叶っているというイメージの後に、「でも‥」「だけど‥」「そうはいっても‥」という否定語を使ってはいけない。否定語を考えてしまうと、願いは叶わない方向に行ってしまう。だから、自分に言い聞かせることが必要である。願いは、心の底からの願いであること。そしてその願いを、自分の中にしっかりとイメージできること。イメージができたら、願いはきっと、その方向に向かうことができるだろう。※※※ ◆レイキ交流(体験)会 ★次回2月2日土曜(要予約) ※※※※ 偶数月第一土曜(〆二日前木曜) 予約方法は左側フリーページ参照 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
2013年01月29日
コメント(0)
なんだか最近不思議なことに、街中で昔からの知り合いと、ばったり会うことが多い。何年間も会わなかった人と、いきなり1週間に三回も会うなんて‥いったいどういうこと?それだけでなく、思いもかけない場所で会う人も居て、どんな意味があるのだろうと、首を傾げてしまうのだった。不思議だなぁ‥、あまり不思議なことが続くと考えてしまうよね。世の中に意味の無いことは起こらないのだから‥。だいたい三回も続けば、なんらかの意味があるわけで、それが理解できない私に問題があるのか?でも、その意味がその時に理解できる時と、何年かたってから理解できる時とが有ることも知っている。できるだけ理解しようと試みるのだけど、今回のことは全く分からない、まだまだひよっこだ。でもこういったチョッとしたことが楽しい。思いがけないプレゼントのように感じる。連絡しなくても会えるのだから、便利なものである。これが会いたくない人だったら嫌だろうけれど‥。といっても会いたくない人なら、会話しないだろうけれどね。楽しいことが一杯落ちているように感じる。取りこぼしのないように、周りを良く見て拾って歩いていきたい。
2012年10月26日
コメント(0)
抹消血液分析の合間に、私だけかもしれないが、自律神経バランス分析をしてもらった。それは血管年齢の結果と間逆で、最悪のものだった。交感神経も副交感神経も、最低ラインに近いところに有った。百人に一人の最悪な状態だとも言われてしまった。自律神経活動度として表になっているが、言い換えれば、ストレス抵抗力を指している表である。うん、分かっている、今の私はストレスがマックスである。その原因も分かっているが、今はどうしようも無い。だからひたすら休養を取ることが、今の私には必要なことである。肉体的、精神的疲労度が高いから、休養しか手立てが無い。自律神経を活発にするには、酸素が大きく関係している。なので今、行き帰りの通勤時間は、自律神経を高めるための深呼吸に使っている。本は大好きなのだが、全く読んでない。読みたいが休養を取ることと、自律神経を活発にすることが最優先するので、暫くはお預けである。優先させることが何かを、この表は目で確認させてもらえた。こうやって何が一番大切なのかを、起こってくる事象で教えてもらえる。このタイミングで、血液の弾力を測らないかと声かけされなければ、私は全く興味を示さなかっただろう。単にトレーニングウェアを買うことしか、頭に無かったのだから‥。こういうストレスがマックスの時に、思いもしない方向から、それに対処すべき時であることを教えてくれる。なにせ私はこうと決めたら一直線で、心身を省みないという無謀さがあるからだ。それを止めてくれるのは、背後で見守っていてくれる魂の存在である。それから、このストレスが10月で良かったと思っている。11月と12月には、別のストレスがかかるだろうと思われる。そんな時と重なってしまったら、心が折れてしまうだろう。「私は本当に愛させているなぁ‥。」 「気づきを有難う~」 心からの感謝である。
2012年10月21日
コメント(0)
突然の感謝の言葉を受けて、私は面食らってしまった。話しは数年前に遡る。その人が、ある先輩の指示通りに行なったら、先輩以外の他の人たちから総スカンにあってしまい、そこに在籍できなくなってしまったのだ。本人に全く罪はなく、言われたままにしただけなのに、その行為が非常識なことだと、責められてしまったようである。その人に罪はないのだが、殆どの人が知っていることを知らなかったことになる。だから、知っていれば回避できたわけで、知識の必要性を感じる出来事だった。「知者は惑わず勇者は懼れず」 と言うが如く、知っている者は、どんな事態になっても迷うことがないが、知らなかったことで、間違った情報を鵜呑みにしてしまい、最悪の結果を向かえてしまったわけである。その時私が別の情報を流したようで、そこに執着しないで、心機一転別の場所で新しい事をするようと、勧めたみたいである。みたいである‥というのは、覚えていないからだ。「なんかそんな話しを聞いたことがあるなぁ‥」 という程度の記憶。まさかその時の私の一言で、別の場所で新しく始めたとは知らなかった。いや違う‥、知っていたが、そうなった経緯に私が絡んでいたとは、思いもしなかったというのが正しい。これなんかは、その人の背後の見えない世界の人から、私を使って情報を流させた、というのが真相である。その人がどん底から這い上がるのに、私の情報が必要だったわけである。だから誰でもよかったが、手っ取り早い場所と時間に私が居たから、私を通じて情報を流しただけである。それでも、感謝されると嬉しいものである。大したことは一切していないのに、感謝の言葉を貰ってしまった。その人にとって大事だったから、ピンポイントで心に届いたのだろう。「私をあなたのしもべとしてお使いください」この言葉は、聖書の中に書かれている、神へ捧げる祈りの言葉の一つだ。私たちは望むと望まないとに限らず、お互いを助け合うために、神の使いとして知らずに行動をしている。そうやって相互間で、助け合って生きていくのが人間なのだ。人間として生まれてきたのだから、この精神に則って生きていきたい。
2012年09月28日
コメント(0)
身強(最強)の30年運から、身弱の30年運に移行した私は、生き方を根本から見直さなければならないだろう。でも、私がのらりくらりとしているから、有難いことに、軽い病気をもってお知らせしてくれる。軽いと言っても、それはそれは大変な思いをしたが‥。それでもお知らせが有るということは、有難いことである。親心のようなものだと思っている。またもう一つ、お知らせをしてくれた。それはいつも頭を痛めている仕事から、解放される電話が有ったのだ。仕事はお金になるので、戴けるのは有難いのだが、その為にしなければならないことが、仕事の時間以上に大変なので、これも私のストレスには違いがなかった。でも頼りにされているのを知っているので、私から断ることなど出来なかったのである。それが先方から、事情を説明しつつ断ってきてくれた。相手は恐縮しつつ、いままでの感謝と共に断りを入れてきた。私はこれも見えない世界の人たちの、親心だと思っている。私が断らなければ、間違いなくストレスとして体を蝕んでいくだろう。そして断れない私がいるのだから、運勢のままにストレスを受けてしまう。それを阻止しようと、見えない世界の人たちが、相手を動かして断るように仕向けてくれたのだ。断れない不甲斐ない私ごときの為に‥。天を仰いで、「ありがとう」 と言葉でつぶやいてみる。そして助けてくれたことの意味を、私は分かっているつもりである。見えない世界から愛されている私たち。それを皆さんに、きちんとお伝えしていきたい。私たちは、生きている人たちだけでなく、魂だけの存在からも愛されているのだということを、しっかりとお伝えしていきたい。
2012年09月19日
コメント(0)
およそ1年前、困ったことが起きて、そのために多くの時間や労力を費やしたことがあった。その時は、自分の不注意も有ったのだが、私以外のことで使った時間や労力のほうが多かった。なので反省はすれども、腹立たしい気持ちもあって、その気持ちは少し尾を引いたことになる。ただ、そんな中であっても、その事件が有ったものだから、捨てないで助かった物もあった。実は捨ててしまおうと思っていた中に、とても大切なものがあったのが、その事件が起こらなければ、捨てていた物である。だから、使った時間や労力は無駄ではなかったわけである。ところが今回、1年前のこの事件が起こらなければ、もっと大変な思いをすることになるところだったのだ。「あの時の騒動が、今の私を助けたわけ?」なんとも不思議な感覚で、あの嫌な思い出が有難い場面に変わっていく。じんわりと感謝の気持ちで溢れていった。もしかしたら、世の中に起こる事件ということは、未来に必要だから起こるのではないかと思った。過去から未来へと、全てが繋がっていて、現在の自分が未来の自分を助けることになったり、場合によっては苦しめるのかもしれない。あの時、腹立ち紛れに時間や労力を放棄してしまっていたら、今の私は窮地に立たされることになる。1年前の私が、今の私を救ったのである。人知では計り知れないことが、世の中には多く存在する。だからその時々で誠意を尽くして、出来る限りの行為をしていこうと思う。そうすることが、未来の自分を助けることにも繋がるのだから‥。
2012年08月24日
コメント(0)
普通に歩いていて、前から来る人と時々ぶつかりそうになったことは無いだろうか?避けようとすると、相手も同じ方向に避けたりして、結局避けるつもりが、真正面でぶつかってしまう結果になる。私は若い頃、こういう場面が頻繁に有った。どうしてなんだろうねぇ‥。相手のことを思って、こちらから違う方向に行こうとするのに、何故かぶつかっていってしまうという始末である。これって引き寄せだろうか?「ぶつからないように‥」 という私の願いが宇宙に届いて、否定形を理解しない宇宙が、ぶつかるという願いを叶えるのか?だって私の心は、相手とぶつかることを望んでいない。なのに、望まない状況が作られてしまう。今は否定形が通用しないということが分かっているから、ぶつからないように‥とは、考えない。また、ぶつかる場面は想定しないから、スムーズに動くことができる。ただ、20歳代に一度、ぶつかることが改善されたことがあった。それは、ある居酒屋でバイトをした時のことだった。店長に、「俺の前を歩くな」 と、何度か怒鳴られたことがある。その時の私の心は、怒鳴られるということで萎縮してしまい、必要以上に、ぶつからないことを願ってしまっていたと思う。だから余計にぶつかってしまい、また怒鳴られていた。正に負の連鎖、‥悪循環である。その時私は、余りに怒鳴られ過ぎてしまった為に、逆に開き直ってしまったのだ、「さぁ、どうにでもしろ」 と。すると、不思議なことにぶつからなくなっていった。思うに、萎縮していた心が解放されて、余計な考えが、心の中から無くなったからのように思う。心をリラックスさせて、必要の無い感情を抱かない。それが全てに上手くいくコツのように思う。※※※※※※※※※※ ≪レイキ交流会≫ ※※※※※※※※※※※※ 開催月: 奇数月の第一水曜日 偶数月の第一土曜日 ★次回8月4日 時 間: 13時~16時 (時間延長の場合有り) 参加費: 一般の人 2千円 生徒さん 千円 中学生以下 5百円 持ち物: 飲料水、筆記用具 (締め付けの無い服装で来てください) 要予約: mihoohn☆c.vodafone.ne.jp (☆は@に変えて下さいネ) 090-8540-1854 (ソフトバンク) 山田美鳳(みほう) 締切り: 二日前 (水曜日→月曜の夜) (土曜日→木曜の夜) ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
2012年07月12日
コメント(0)
全てがスムーズにいくと、これで間違いないと感じる。3つの要素がぴったりと当てはまり、まるでパズルのようだと思う。私の行く末を案じているのか、或いは祝福してくれているのか、あまりにも的を得た結果である。こういうことを目の当たりにすると、私たち一人一人は、守ってもらっているということが良く分かる。世の中にはラッキーという言葉ですませようとする人が居るけれど、ラッキーなどということは、本当はあり得ない。向こうの存在が、緻密な計算をしてくれている結果なのである。私は愛されているなぁ‥。沢山の後押しをもらっていることを感じる。人間は誰も一人ではない。サポートしてくれる存在が、必ず一人一人に付いていてくれる。例外は居ない。私は違うという人は、気づいていないだけである。気づくことができると、安らぎを得ることができる。一度感謝の目をもって、周りを見渡してみたらどうだろうか。周りが愛で溢れていることに気づくことができるだろう。今日という日に感謝。そして、明日が来るだろうことにも感謝する。
2012年04月11日
コメント(0)
今読んでいる本は、一人のスイス人女性の半生を描いた自伝である様々な困難を乗り越えて、女医になっていく物語だまだ半分も読んでいないのだが、幼少期からの苦労は並大抵なものでなく困難を乗り越えるという言葉は、軽すぎると感じるような人生である女性で、しかも子供で、良く耐えてきたと思う内容である斜めで物を見ると、自分から困難に飛び込んでいく彼女の姿があるので困難に巻き込まれたのではなく困難に飛び込んでいったというほうが、表現的に合っているだろうと思う彼女のボランティア精神は素晴らしいという言葉を通り越して、凄まじいという状態であるその闘争心といったら、普通の男性を遥かに超越しているように思う私には到底真似出来ないし、しようとも思わないというか、絶対に出来はしない彼女は困難の中から、様々な教訓を得ていくのだがその中には、私も涙した箇所が有った 「望むものがあたえられるとはかぎらないが 神はつねにその人が必要としているものをおあたえになるのだ。」そぅ‥、神の目から見て、必要だと思うものをそれぞれの人たちに、必ず与えてくれているのだ与えられたものが、人間が望んでいるものと間逆の結果かもしれないでも、人間の歪んだ目で見て判断したものではなんの成長にもならないということが、神の目で見たら分かるのだろう 占いしかり、レイキしかり、ヒプノしかり‥何一つ私が望んだものではないでも、絶対的に必要なものばかりなのであるだから心の戦いはあれど、与えられたことに感謝している私を含めて一人でも多くの人が、幸せの道を歩いていけるように‥
2012年02月22日
コメント(0)
私は一人が好きだし、一人で居ることに抵抗が無いのだが集団欲とでも言うのだろうか? それが有るということを感じた別に自分をどう誤解されても良いと、考えるところなのだが誤解のままでは嫌だと感じている部分がある友達でもない人なら、誤解のままで問題など無いはずであるそれを、何とか分かって欲しいと考えている自分が居るのだどうも私は、自分をきちんと評価されたいようである必要以上に良く見られることは無いけれど自分の評価が、ありのまま以下になってしまうのがどうやら嫌だと感じているらしい人間は基準とするものを、それぞれの人が持っているその基準は各々違うわけだからありのままで受け入れられること自体が、ありえないことであるならば、誤解を解く必要もないのではないかというのは頭の中の論理で、感情は別のところにあるから不思議なものである超意識の10%で繋がっていることが、集団欲を引き起こしている人間は、誰かに認められて生きていきたい動物なんだと思った一人もいいが、一人でないという選択肢も必要であるいつかは、個から全体になることを考えると全体の中の自分、という目で見ていけるようにしたい「私はここに居るよ」 と叫んでいる自分「そんなこと分かっているよ」 と跳ね返ってくる感覚宇宙と繋がっていると感じる一瞬である
2011年10月14日
コメント(0)
卒業って、良い響きだよねぇ~学生時代は、節目節目で卒業を迎え今は何かを勉強すると、終了証を頂いて卒業を迎える究極の卒業は、地球卒業になるケイシーのリーディングの中で、地球を卒業する人たちの話しがあるそれをピックアップした本が有るようなので本屋に行って見てきたのだが、どうやら絶版になっているらしい読みたいのに残念である「卒業なんて無理よ」 と、知り合いにあからさまに言われたのだがヘミシンク関係の本には、卒業できる魂の記述があってそれによれば私のように幼い魂でも、卒業できる可能性が残されているだから、私は地球卒業を夢見ている例え幼い魂でも、向こうの世界で卒業できる方法があるというから何としても、卒業の方向へ行きたいものである確かにね、物欲なんかもしっかり有るしね知り合いが無理だと言うのも分かるんだけどね夢を持ちたいじゃないねぇ~ 夢を‥でもこの夢って、死んだ後の夢なんだよね‥ 変? かも? (^^ゞ意識って大切なんだよね特に死んだ時に、どんな気持ちを残して死んで行くのかがとても重要になるどんなに素晴らしい人でも、例え地球を卒業できる魂の人でも最後の最後に、無念を残して死んでいったなら結局地球に転生してくることになるだから、死に際が大事だと思うそれには日頃の意識も大切なわけで意識を地球卒業に向けていることは、絶対条件のように思っている宇宙の意識体だった時の記憶を思い出してしまったからやはり、宇宙に帰りたいなぁ‥と思ってしまうのだ夢を見ていたいと思う私であっても、いいんだよね☆
2011年10月07日
コメント(0)
どこへいくのか分からないのが、潜在意識である意識が望むところに、行く場合もあれば行かない場合もあるそれは自分でも経験しているから、良く分かっているのだが私の誘導で相手がとんでもないところへ行くのを、目の当たりにすると分かっていても、内心驚いてしまうのだ勿論、そんなそぶりは全くしないのだが改めて潜在意識が、広くて深いことを感じるのだった意識が考えることは、本当に極一部分であるその意識で、現実の私たちは生活をしているのだからなんて狭いのだろうと思うそんな狭い中で、人と比べたり嫉妬したりしている狭い範囲の中で、対抗意識を燃やしているのだ怒ったり悲しんだり、泣いたり笑ったりと喜怒哀楽が満載な、狭い範囲の現実世界である‥なんか、小さいなぁ~、と思ってしまうでもその感情を味わう為に、この世界に居るわけだから小さくても良いわけであるそうだよね、折角この世界に来たのだから楽しまなければ、損だよねでも、潜在意識の世界の広さを知るとその良さも感じてしまい、向こうへ行きたくなるまぁ有り難いことに、ヘミシンクがありヒプノがあるのでいつでも向こうにアクセスできるそしてそのアクセスによって、現世に癒しが起こるとしたら断然行ってみる価値があるただ、思い通りの場所に、辿り着くかは分からないのだが‥ガイドが、ハイヤーセルフが、必要な場所に連れて行ってくれる下手に自分の意識に任せるより、間違いはないから安心である潜在意識は、広くて深くて‥とても大きい世界である
2011年08月17日
コメント(0)
何事も意識の持っていき方が未来の自分に大きく左右するのだと、今更ながらに思った私たちのガイド(ハイヤーセルフ等)は私たちの意識が、どこまで本気モードなのかをいつも確かめているのだどこまで真剣に考えているのかその真剣さ加減で、次に打つ手を考えてくる自分の意識の中に、新たな思いが表れてその意識が力を持ち始めた途端に、ほぼ数秒の違いで新しい道を用意しているびっくりするほど時間を縮めて、目の前に次の道が現れる「何、これ!」 さっき意識を切り替えたばかりなのに目の前には、新たな展開が待っているのだ確かに向こうの世界には、時間の概念が無いだろうがそれにしても、用意が良すぎるではないかまるで待っていたかのように‥まるでそういう方向転換をするだろうと知っていたかのように‥余りにスムーズで、流れのままに動くのだがよくよく考えると、前もって知っていたとしか思えないでも私の決断を待っているだろうということも、私は知っている生きている人間の決意や決断に、向こうの世界も動くのだ新たな道が広がるのも、物事が動きだすのも私次第であることは、はっきりとした事実である時代がそうさせるのか、私の意識が変わったのか私は新たな展開への道を、歩み始めようと思っている
2011年05月12日
コメント(0)
先日ワークに出て頂いた人からメールを貰ったその人は、私のブログに書いてある心理学の教室に去年行って基礎の前編と後編を卒業したというすご~い、私の先輩だ~実は、ワークに出て頂いた人で、先輩と分かったのがこれで二人目なのである一人目は、ワークに出ると分かっていて「今、心理学の勉強に行っているのよ」 と何気なくメールしたすると相手からのメールに、「自分も行った」 と書いてあったのだしかも、彼女は研修課まで行っていて、大先輩だったワークの二日前のこと、心理学の授業が始まる10分前にその彼女が、私のところの席まできたのだこの心理学、再受講を千円で聞くことができる主催者の考え方というのが、一度聞いただけでは授業の内容が自分のものになっていないのだから、何度も聞いて実践できるほどに納得して欲しい、という考えからであるそして二人目の人は、とても悲しい想いをしていた時にこの心理学の協会から、後編の案内がきたようであるその彼女は、前編だけで止めるつもりだったというその時にタイムリーだったのが、一番近い日の授業内容が「落ち込みぐせから脱出するテクニック」 だったようであるその日の内に、後編の授業料を振り込んで受講し気持ちを立て直すきっかけになったというから有難い事であるそして、少しは活動しなくては! という前向きな考えで現代レイキの伊勢での交流会に参加しそこで私と会ったという、いきさつであるなので、案内が無ければ心理学の後編にも行かなかったしましてや伊勢まで、レイキの交流会にも行くこともなかった行かなければ、美鳳先生とも(先生って言うんだよねぇ‥)出会うこともなかったと、彼女は感慨深げに言うまた、ワークの少し前にも、大きな痛手を受けていてそんな時にワークの誘いを受けたものだからまた助けられたと、感謝をして頂いたでも、私はこのメールを読んでこの人が、どんなにか守られていて愛されているかを感じて読ませて頂いた私たちを守っている存在は、私たちの先回りをして必要な出来事を用意してくれているんだと、暖かい気持ちになった実は私は、この二人目の彼女に最初からワークのお誘いをするつもりがなかったというのも、この人のレイキマスターはレイキの交流会をきちんと開いている人だからだ私が余計なことをするのも‥ と感じていたのだが何故か最後になってメールをした人である私たちは時々、背後の人たちの意図に乗せられて何らかの行動をさせられるそれは、一人一人を愛しているから守ろうとしているのだ勿論その逆も有りで、私をまもる為に私の周りの誰かが、知らず知らずに行動を起こしてくれてもいる私たちは一人で生きているわけではないのだ私を大切に思う存在が私を守りそして、あなたを大切に思う存在があなたを守っているその私とあなたを、守ってくれる背後のガイド達が(守護霊など)私たちを見えない糸で繋げてくれている私たちは繋がっているのだ!
2011年03月31日
コメント(0)
占いに興味をもたれて、連絡を頂いたはずなのだがいつの間にか、レイキの申し込みをされていたり現代レイキの紹介蘭から来られて、レイキの話しをしていたのに「占いをお願いします」 と言われて、思わず 「そっち!?」な~んてことは、良くあることであるその人の興味が幾つかあって、話題にはのぼるのだが実際は、余り話題にのぼらなかったほうに意識がいっていたというような状況であるかくいう私も、今の関心事がヒプノにかわりがないのだがカウンセリングの勉強や、NLPの勉強もしたくて毎日心が揺れ動いている今の私の関心事は、基本的にヒプノなのでそこに支障がないようにと、他も色々探しているのだそこで働くのが、タイミングであるゴーのサインが出るものは、すんなりタイミングが合ってくるどうしても行きたい! と心底思っていても全然タイミングが合わなくて、諦めざるを得なくなってしまう今その境地で、一つは前に進めるのだがもう一つのほうは、諦めざるを得ないことが判明した学ぶ気持ちは、こんなに高まっているのに時間の壁が邪魔をして、結局駄目になってしまった3年前、ヘルパー2級の勉強した時時間が不足して、体調を崩して吐いてしまったのだがそれでもタイミングは合ったのだ今回は、それ以前の状況であるタイミングを合わせてくれないのは、歳をとった私への配慮?う~む、悲しい配慮なんですけど‥暴走する私を止めるものは、生きている人間だけでないようで向こうの世界でも、あの手この手を使っていると感じる「二兎を追う者は一兎をも得ず」 いい加減、このことわざの意味を悟って気が多い自分を戒めないといけない ‥と思っている ※3月20日日曜日に、レイキを中心とした ワーク(ヒプノ・ヘミシンク)を開催します 詳細は、2月10日のブログを参照
2011年02月15日
コメント(0)
自分をサポートしてくれる存在が、身近にいると感じると起こってくる事象全てに、感謝できるから不思議である何かあっても、物事をその通りには受け取らない自分に不利な状況であっても、長い目でみたらプラスだと思える一瞬、「何故?」 とは思うものの、「この意味は?」 と考えてみる結論はその場で出ないかもしれないが、時間がたつと見えてくるこのお陰で、凄く気持ちが楽になった良いも悪いもその場の判断だから、時間が違う判断を下すかもしれないならば、目の前に起こってくることで一喜一憂する必要が、無くなってくるのだ必要だから起こってくる起こってきたことは、ただ起こってきたと認識すればいいそれに対して、感情で受け止める必要はないのだ私は心配性なので、必要以上の心配をしてしまう傾向にあるでも、今は普通の人に近い状態かな? そして、少しずつ人生を楽しみつつあるサポートしてくれている存在が、いつも私を見守っていると思うと私に必要なことを、良くも悪くも起こしているわけで全ては、魂の学びに通じると理解できるいつかは死を迎えて、向こうの世界に旅立つわけで生きている内に必要なレッスンを、今させて貰っているわけだ今世でできなければ、また生まれ代わらなければならない地球の輪廻は、果てしなく続いている永遠の魂からすると、私の前に起こってくることなんて小さな小さな、かけらのような出来事である私は、私の人生を生きるしっかりと生きて、沢山の経験を土産にできるよう胸を張って生き抜きたい起こってくること全てに、感謝を捧げたい ※3月20日日曜日に、レイキを中心とした ワーク(ヒプノ・ヘミシンク)を開催します 詳細は、2月10日のブログを参照
2011年02月14日
コメント(0)
ヘミシンクの誘導の中で、まだ何も体験をしていないのに先に感謝をするようにと、言われる言葉がある精神世界の本も、大抵の本に同じようなことが書いてあるなので、感謝の想いを言葉に出すのだが‥そこに、感情が伴なっていないというのが今回のガイドの導きを受けた時に、良く分かった何故なら今、「感謝」 という言葉を使うだけで胸から溢れる想いが出てくるからだ導かれている‥ という当たり前のことが重みを伴なわない言葉になっていたことに、気が付いたのだ私の全て‥、私の表面意識だけでなく潜在意識を含めた私の全てを知っていて、導いているのだ表面意識は、我の入った一人よがりなものが多いそんな私の、ちっぽけな考え方でなくもっと深い本質の私を、導いてくれている感謝や導きという言葉が重みのある、深い言葉としてとらえることができる本に書いてある言葉が、活字として胸におさまっているか生きた言葉として、感情を伴なった心からのものになっているかその違いが、こんなに大きいとは思いもしなかったより本質に近づいていることに、心から感謝をしているそれは私のガイドが、辛抱強く導いてくれているからであるここまでくるのに、どれだけの時間を費やしたことだろうかいや、ガイドには時間の概念が無いからたいしたことでないと、考えてくれているかもしれない素晴らしい出会いを、次々に作ってくれているガイド心の痛みを伴なうけれど、それも私のためだと知っている起こってくることに、全て感謝である ‥ありがとう
2011年02月03日
コメント(0)
自分が変わることが、周りにも影響することを今、父親で実践している全ての人間は、根底で繋がっているというワンネスの考え方を基本として、私が変わろうと考えた繋がっているならば、私が変われば相手にも、何らかの影響を及ぼすという理論になるこの考え方で、去年の12月に実践に入った私の言葉、態度、感情、思いなどあらゆる面で変えていくと、相手の態度が変わってくる私にとっては、父親がとてもネックになっていて何故こんなにも、次から次へと難題をもたらすのかと悲しくなって泣くことも、往々にしてあるのだまるで子どものようで、大人として見ることができないというか、子どもは言って効かせることができるが父親では、そういうわけにもいかないからかえって厄介なのである実践に入って、相手も驚くほど変わっていくのを現在目の当たりにしている最中であるだからといって、全てが上手くいくわけではないどう考えても、受け入れられないことをされることもあるでも、大半が変わってきたのは私が変わってきた結果であるわけで相手が変わるのは、自分次第であると体感した今読んでいる瞑想法の中に、こんなことが書いてあった 「私はこの人とのあいだにある問題を解放します。 私たちはお互いに教師であり、お互いの関係が双方にとっての レッスンであることを知っています。 私はそのレッスンを 受け入れて先へ進もうと思います。 私たちを結びつけている いかなる感情的、カルマ的な絆も断ち切っていきます。 この関係は、最も高い進化の過程に向かって進んでいきます」そして、次のような解説が書いてあった 人間関係においては、あなたが他の人の分まで責任を持つことは できません。 あなたが責任をとれるのは、あなた自身に対して だけです。 しかしその人間関係のなかで、あなたの感情や あなたの位置を解放してあげると、相手にも自由に選択する機会を つくってあげることになるのです。 そうすると、問題そのものが 自然に消え失せていきます。実際でも、瞑想でも、試す価値はあると思う事実、私は今父親とまずまずの関係にある一緒に住みたくない関係からすると、大きな成果だと思う
2011年01月27日
コメント(0)
「そこにどんな意味があるのだろう‥」「何故、変更されたのだろうか‥」 変化が起きた時に、私は自分に問うことにしている世の中に偶然は無い、という考えのもとでいくと変化が有るということは、そこに宇宙の意図があるはずである私もこの時期色々と忙しいので、予定が変更されて先に伸ばされてしまうと、今後のやりくりが大変になるでも変更を相手がしてきたとしても、相手の意図ではなく相手の背後の意図か、私の背後の意図だと考える必ずそこには、何かを含んでいるのだもし、変更されなかったとしたら、どうなっていただろう‥変更された為に、どんな展開が待ち受けているだろうか‥こうやって考えていくと、ワクワクとしてこないだろうか最初は小さな変化だったのだが、それが積み重なって違う未来を引き寄せることも、考えられるからだふと振り返ると、何故私はブログを書いているのだろう‥これも有りえない、現実であるいまでこそ、当たり前のように書いているがレイキと出合わなかったら、ブログを書くという発想も無いしかも、ヘミシンクとの出合いがもっと書きたいという考えになっていったのだから不思議なものである最初は、小さな変化である10日に一度書いていたブログが、一週間に一度になった消えていくブログにも、全然未練は無かったもちろん私は今、その時に戻ろうとは思わないでもどうしてブログを書いているのだろうかと、ふと考えたりする今では私の日常の中に、ブログを書くことが組み込まれているけれど数年前には、考えもしなかったことなのである今日の小さな変化が数年後には、大きな出来事になっているかもしれないどこでどのように軌道修正が行なわれるか、誰も知らないことである宇宙の意図は、一人一人に反映されているそれに気づくか、気づかないかの違いだけである
2011年01月21日
コメント(0)
美しいという価値基準は、人によって違ってくるでは、何をもって美しいと思うのか‥自分の中の価値基準が、美しいかどうかを決定しているのであるでは、「自分は美しい」 という価値基準を置いたらどうだろうか「世界中の誰よりも美しいのは私」 だと思うのであるこの、「思う」 ということが大切である思うことは、想念として自分の外側に放射している事になる周りに、「自分は美しい」 という波動を出しているのだこの波動を、周りの人達が受け取って「よく分からないが、どうやらこの人は美しいらしい」と、感じさせるのであるええっ? そんなこと言ったって、そんなに綺麗でないし‥と思うかもしれないでもそれが、自分で付けてしまっている価値基準なのである自分で可能性を否定してしまっては、勿体無い話しである「私は美しい、私は可愛い、私は素敵だ」 こんな波動を周りに放出して、みんなに受け取ってもらおうそして自分の周りを、気持ちの良い波動に変えてしまおう醜さや美しさというものは物理的にどんな見かけであるかとは、全くの無関係である自分に関して、何を信じこみ、どういうふうに決め付けそして周りに対して、どんなことを放射しているのか‥それによって決まってくるものであるどうせなら、世の中全てが美しいと感じたほうが幸せな空間で住むことができるみんながそう思うことで、世の中を変えていけたら‥一人でも多くの人に、意識を変えていって欲しいそして、住みよい世界になっていったらいいなぁ~
2011年01月20日
コメント(0)
前日に、買おうと思って忘れてしまったものがある「どうしよう~、あっ、コンビニに有るじゃないか少し早めに起きて、コンビニに寄って行こう~」 と思ったそして当日‥ 慌しく家事をこなし、出かける用意をした時間だと思い出かけようとして、時計を見て違和感を感じた「あれっ? まだ10分余裕があるじゃないかなんで時間が無いと思って、私は慌ててしまったのだろうか?」もう‥、こんな単純計算も出来ないのかと、自分がイヤになった「まぁ、時間が不足するよりはマシか」 と考えてカバンを下ろして、座り込んだでも、座り込んでから、また違和感を感じたのだそして、思い出した、コンビニに寄るんだったと‥それでまた慌てて家を出たのだが、何とかコンビニに寄って目指す物を見つけ、無事買うことができたバスに乗って、落ち着いてから考えたのだが私の表面意識が忘れてしまっていた事を、潜在意識は覚えていてきちんと10分前に家を出るようにしてくれたのだ凄いじゃん、‥っていうか、潜在意識が凄いのではなくて表面意識がバカなんじゃぁないかと、苦笑いしてしまったでも、なんか安心した歳をとると物忘れが進んでいくが賢い潜在意識が有るので、大丈夫だと思ったのだ何せ潜在意識のほうが、8倍も広いのだから表面意識で覚えていなくても、任せておけるんじゃないか変なもので、安心して歳をとっていこうと思った単純である (~_~;)
2010年12月21日
コメント(0)
元々、脳外科医だった先生で現在、脳科学者である、林成之先生のお話しである外科医として10万人以上をみてきてしかも脳を低温に保って行なう、脳低温療法を開発した人‥凄い人であるこの先生が話される、3つの潜在意識とは?「自分でやってやる」 「変化を嫌う」 「自分を守りたい」こういう3つの、自我の潜在意識があるのだがこれらを自分でコントロールできなければ自分の能力を、最大限に発揮できないというこれは人間の、「生き残る」 という意識からきていると思う生き残るために、自分で戦うし変化をすれば、未来が見えずに不安を誘うから嫌うそして、防御‥ 防御することは生き残る為に、絶対に必要なことであるしかし、これらが過剰に働いたとしたらどうだろうか?戦うことで一杯になり、変化を恐れ自分を守るために、人を寄せ付けない人間生きることが、全然楽しくない人生になってしまう今の地球では、生き残ることが絶対条件になってしまっている過去や未来の地球には、地球上に有る全てのものと手を取り合って生きた時代が有っただろうし、今後も有ることだろうただそんな世界は、今のこの時代ではないのだだから戦争がある、だから周りと競争する生き残る為の 「物」 が、限られているという考えからである超意識という世界で、私たちは一つなのであるそこが腑に落ちた時、生き残る意識から脱却できるだろう
2010年12月20日
コメント(0)
予想していないことを、頼まれることがある私は、どうも頼まれると弱いわけで‥しかも、「貴女だけが頼りだから」 と言われてしまうと何とかするか~ と、何の保証もなく引き受けてしまうう~む、悪いクセだでも、どうしたものだろうか、何とかなるから不思議である私を可哀想に思ってくれたのか、応援が有るから有難い最近一人で背負い込むことは、ないと思うようになったし何とかなるんじゃない? なんて楽観視するようになったすると、不思議なもので、どこからか助けが入るのである「捨てる神あれば拾う神あり」 といったところだろうか‥結局、意識の世界なのだから一人で背負い込むという信号を、宇宙に向かって発信するのか何とかなるんじゃない? という信号を発信するのかの違いかと‥こちらが、一人で背負い込むと思うと、宇宙にしてみれば「あぁ、一人で背負い込みたいんだなぁ」 と受け取ってしまうわけで何の助けも必要無いと、言っているようなものである「何とかなる道が、必ず有るはず!」 と思っているからかどこからともなく、助けがやってくるようだすごく、楽~ 頑張る必要がないので肩に力も入らないから、普通でいられるのだ世の中を歩きにくく感じているのは、誰あろう‥私自身であるなんてことはない、自分で自分の首を絞めているようなものだだから、肯定的に生きよう~ポジティブに生きていけば、道が勝手に開いていくでも、長年付いてしまった言葉や行動のクセがあるこれらを意識して変えていかなければ、道が開かれないまずは、意識することである意識して、時間をかけて変えていけばいい
2010年12月15日
コメント(0)
土曜日に会った人と、輪廻転生の話しになったのだがその人の考え方は、「2年前の私の考え方だ」 と思って聞いていた2年前‥ ヘミシンクを、まだ知らない時私は次の生まれ変わりが、少しでも楽になるようにと思い今世で、思いっきり頑張ろうと考えた1段階でも、2段階でも上に行けるようにと努力した来世は今世のような、辛い思いをしないことを願って‥でもヘミシンクを知って、ヘミシンクの先輩達が向こうの情報を沢山集めてきて、卒業の道があることを知ったヘミシンク以外の、精神世界でアカシックレコードと繋がった人が、書いた本などを読んでも人類の地球卒業を、推奨していたりするアカシックレコードとは‥「宇宙に存在する意識のネットワークで、人類の集合意識」 であるそれは、2012年に向かっている今だからこそまた、沢山のバックアップがある今だからこそ、出来る道でもある私の知人に、こう言っている人がいる「私は今世を120歳まで生きて、それから地球人を卒業する」最初私がこの言葉を聞いた時、この人は何を言っているんだろう‥変わった考え方をした人も居るんだなぁ‥ そんな風に捉えていた占いやレイキはしていたから、見えない存在や法則があると知っていても自分が地球人以外の存在になるという考え方には、行きつかなかったヘミシンクをやり出して、色々な本を読んでいくと変わった考え方をしていると、思っていたこの人が実は私より前を歩いている人なのではないか? と思うようになったのだこの人は、「自分が何の為に人間として生まれたか」 を知っている生きる目標を、生まれてからも忘れずに居る人なんだ‥当たり前のように、120歳まで生きると言い当たり前のように、今回が地球人としての最後の生だと言う私のように、全く人間が出来ていない者はまだまだこの地球に輪廻転生してきて、クリアしていかなければならない そう考えていたのだが、それが一つの囚われとなっていると色々本を読むと、分かってきたのだ結局この地球のシステムから、抜け出すことができていないことになるだから輪廻転生を信じている人は、当然のように生まれ変りのシステムへ移行していくことになる私のヘミシンク仲間に、「私は地球卒業を考えている」 と言うとその人は、「もっと良くなる地球の未来へ、生まれ変りたい」 と言った私は、「その時は、私がヘルパーするね」 と返事をした (笑)私のように、まだまだ人間が出来ていなくても向こうの世界で、ヘルパーとして長く頑張れば地球人に生まれ変らなくても、行ける道はあると思うかなり時間を要すると思うが‥ それは性格に問題があるから仕方がない私は、道は色々有るということを知って欲しいと思う死んだら何も無いと考える人は、囚われの領域に行ってそこで暮らすという選択をすることになる何かの宗教とか、自分の拘りのある人はやはり同じ人達が集まる信念体系へ行って、そこで暮らすという選択人間は、「光の存在になる」 と信じている人達は輪廻転生の道を選んで自分を磨き、何度でも光の存在になるまで繰り返せばいいと思う全てが、自分の選択である今信じている状態で、選択して向こうへ行くのであるでも、出来れば自分の選択する可能性は、多く残して欲しいと思う「この人、何を言っているか分からない」 という状態でもいいと思う相手の言うことを否定して、自分の可能性を摘むことはして欲しくないと、思うのだ私も、アカシックレコードに辿り着いているわけでないヘミシンクで、生まれ変りのセンターを体験したりもっと上の、自分の集合意識に出合っているわけではないだからどの考えも、人の言葉や本からの知識でしかないのだそしてだからこそ、選択の可能性を沢山残したいと思っているそしていつか私もヘミシンクで、知識を既知に変えたいと思うきっと既知に変えて、自信をもって多くの人に伝えていきたい
2010年06月21日
コメント(0)
どうしてこうも、世界で地震が起こるのだろうか!?次元上昇の為だとは、考えたくない阪神大震災の300倍のエネルギーだと、ニュースで言っていたあまりに途方も無い数字で、恐ろしいとしか言いようがない阪神大震災の時、私は食事の用意をしていたのだがこの辺りは震度4で、結構揺れて怖かった海部郡大治町は名古屋より西寄りで、三重県が西側にある配置だだから阪神大震災の揺れは、愛知県の中では一番伝わった区域だと思う弟が逃げ道確保の為に、咄嗟に勝手口を開けたのだが私は全く何も出来ずに、その場から動けなかったテレビでもまだどんな状況かは、伝えきれていなかったしそのまま会社に行ってしまったので、どんな被害があったのかも知らないままだった家に帰って、テレビをつけてようやく、大変な状況になっていることを知ったのであるあの阪神大震災の、300倍のエネルギーって‥全く想像がつかない、数字である東海地震と言われて、随分になる日本自体が地震国なわけで、日本に住んでいる以上地震対策は、できる範囲でしておかなければならない日本の地震が嫌で、海外に移住した人もいるでもその日本で起こる地震より、もっと大きな地震が海外で起こっているまだハイチの復興も、ままならない状況だというのにそれよりも大きな地震が、また起こってしまったのだ地球が大地の中立を保とうとして、地震を起こしているのかそれとも地震自体が、地球の意志なのか‥或いは地球を離れて、宇宙の意志がそこに有るのだろうか‥今の私には、現地の方々にエネルギーを送ることしかできない少しでも多くの命が、助かりますように‥ 〔祈り]
2010年03月01日
コメント(0)
最近勘違い‥ というか、記憶違いというケースが多いえっ! 歳だから仕方が無いって!?いやぁ~、それとは全く違うんだよ~日にちを1週間間違えていたり、場所が違っていたりこういう事って、私的には余り無いことなんだよね2、3回は必ず確認する性格だからさぁ~結構真面目だし(?)、責任を感じるほうだから行けないからではなく、勘違いなどで行けなかったなんて私の中では、あってはいけないことなのだ思うに、最近ガイドの導きを、非常に感じるようになり複雑きわまりなく、導きの手を差し伸べてくれている細部に渡ってまで私を思い、色々な情報を用意してくれるそしてそれに従って行動すると、沢山の喜びを与えてくれる私もその導きに、感動し、愛を感じているのだがどうも最近そのやり方が、雑になったというか‥「ガイドの存在を分かっているのだからチョッと手を抜いても、いいでしょ!?」 みたいな。私の記憶違い、ということにして、物事進めようなんてそういう意図を感じることが、多いんだけど‥それとも本当に、老化現象!?老化現象って、いままでやった事が無いミスをするのか?1回ならずも数回もさぁ~でも、記憶違いから素晴らしい展開になるのだからもし、老化現象だとしても、悪くないことには違いない私はガイドの、有り難い手抜きだと思っている
2009年10月09日
コメント(0)
怖いなぁ‥ そう思ったことがあるいや、それもかなり後になってから思った右手に痛みを覚えたことがある鈍い痛みで、びっくりするようなものではないどちらかというと、‥う~ん、現実的でないような痛み‥まぁそれはともかく、その時私はつぶやいてしまったんだ「何で右なのさ~、右手が不自由だとホント困るな~ どうせ痛いのなら、せめて左手だったらいいのに‥」 暫くして、今度は左手が痛くなった自分が思ったことなど、すっかり忘れて「えっ! 今度は左!? 右手もまだ治らないのに、困るなぁ」左手の寝違いって有り!? 寝違いって普通首だよねぇ何にせよ、寝違いっぽい痛みだったで、ある日ふと、右手が痛くなった時に考えてしまったあの 「右手でなく、左手だったら良かったのに‥」と思ってしまったことが、脳裏に浮かんだあれ~? まさか~! そんな~‥でもその事実を認めたあたりから、痛みが随分緩和された願いは叶うって、違うからさぁ~ 願ってないから‥‥でも、宇宙的には願ったことになったんだはぁ‥ 全くねぇ‥ネガティブな考え方をしたら、駄目だよね考えた時点で、ネガティブな思いがきてしまってもその後すぐにその考え方自体を、否定してしまえばいいレイキでも 「取り消し」 を使う浮かんでしまうことは、咄嗟なので仕方がないでもその時浮かんでしまった言葉を、意識することが大事意識しなければ、 「取り消す」 ことも思い浮かばない病気は自分が取り込んでしまっている、という典型的な、出来事だっただから、考えて欲しいんだけど‥不幸が重なるっていうこと、あるよね!?あれは最初の不幸が来た時、その不幸をどう考えたか‥不幸を呪っただけだった、ということは無いだろうか!?何故不幸が来たのか‥何か、悟らなければならない事があるのではないか‥天? 高次元? 宇宙? どこかからのメッセージではないか不幸があった時、実は今までの幸せを感謝するきっかけなのかも?日頃、生きていること自体に、感謝する心を忘れがちになる感謝の心‥ 右手さんも左手さんも、有難う~
2009年09月24日
コメント(0)
先週、民法の途中経過テストがあり、今週その結果に引きずられている結果が悪い、ということに引きずられているのではなく‥結果が悪いのも悲しいけれど、それは自分の努力の結果なので仕方がないことでして‥そうでなく、やっぱりこういう勉強ばかりに気をとられていると心が乾いてしまうというか‥ 何かガサガサした感じになるのよねそれで、昨日からバシャールの本を読んでいるバシャールの本を読むと、心が洗われるようでホッとする彼が言うことって、とてもシンプルなんだよね例えば‥ すべての存在に対して、二つだけ共通なものがあります そのひとつは 「あなたは存在する」 ということ 二つ目は 「あなたが与えるものが、あなたが受け取るものである」 ということですだから、全ては自分から発するということゴチャゴチャと頭の中で考えてみる必要は無い、ということ今ある現実は、存在している自分が創っている訳で‥この環境は誰が創ったのでもなく、自分が創ったもの望んで自分はここに居る望む環境を創って、自分は今ここに居る‥喜びを感じるのも、悲しみを感じるのも、自分が創り上げる心だから、喜びを感じるほうに、心をシフトしようシンプルなんだ‥ 動かすのは、自分の心だけだから難しいけれど、簡単なんだと思う
2009年05月21日
コメント(0)
バシャールの本を読んでいて前回書いたことと重なったので、書いておこうと思う 想像力を使って新しい意味づけをしていると 同じ状況から異なった結果を得ることになります それがすべてです もともと意味を持っているものは何もありません これは哲学ではありません 物理学です 実際にそのように作用するのです あなたがその状況にどんな意味を与えるか それによって、あなたがそこから何を感じるかが決まります すべての状況は基本的に中立です そのもの自体は意味を持っていません思考した事がそのまま結果に作用するわけで‥思ったこと、感じたこと、考えたこと‥ それらが環境を作り出す意識の世界が現実を作り上げていくならば肯定的に考えて、自分の現実を良き方向に作りあげていこうバシャールの言葉は、私たちの未来を明るいものへと、導いてくれる‥ ありがとう~
2009年04月10日
コメント(0)
宇宙人? ‥基本的に私たちも宇宙人に違いない日本人が、日本人意外を外国人と言うが外国人からすると、日本人も外国人であるそれと同じで、地球人からみると宇宙人だが宇宙人からすると、地球人も宇宙人となるわけだまだヘミシンクをやっていない、去年の8月以前‥オーラの泉をみていて、ゲストが 「劇団ひとり」 さんだったその時、三輪さんや江原さんが彼をみてこう言った「今日のゲストは、宇宙人だね~」その頃の私は、 「宇宙人? 何言ってるんだろう‥この二人?」そんな認識であり、到底受け入れられない話しであったヘミシンクを始めて、様々な本を読んでいくうち何となく、宇宙人的発想が理解できるようになってきたヘミシンク中、一度だけだが宇宙も垣間見させてもらったし‥どうやら私のガイドの1人に、非言語交信が混ざってる様だし‥そこで今は、このヘミシンクで見てきた色々な人の話しが逆にどこまで信憑性があるのかと、別の角度で本を読んでいる宇宙人的見方をしている本などを、読んでいるのだがこれが結構、的を得ているバシャールという宇宙人も、ダリル・アンカーというチャネラーを通じて、地球人へのメッセージを伝えているその女性版? アマーリエという東京生まれの5人の母が100人を超える、宇宙人のチャネラーをしているその人の本を今、読んでいるのだが伝えられることは、驚くほど一緒であるということは、ヘミシンクを続けていけば平凡な人間が宇宙規模のチャネリングが出来るという事になる今日、 「日月神示」 に関する本を手に入れたまだパラパラと見ているだけだが、言わんとする事は同じであるアマーリエは、キリスト教的な見方であり岡本天明が残した日月神示は、日本の神々の言葉であるそれらが説く宇宙は、ヘミシンクによって我々が直接知覚してこれるのである今はまだ何の力も無い者だが、好奇心を絶やさずいつか自分もと、目標を持ってやっていこうと思う宇宙に誕生した頃からの記憶を、この手で取り戻して進むべき道へ辿り付きたい
2009年03月18日
コメント(0)
バシャールは言う…☆ワクワクした気持ちで生きよう~☆人生を楽しもう~ でも私は努力して、不足分を埋めてきたんだよねぇ‥ そして、いつも努力して一生懸命だったんだよねぇ‥☆ワクワク、ドキドキ生きるんだよ~☆生きていることを楽しむんだよ~ だって私、努力せざるをえなかったんだよ‥☆手放しなさい☆『努力した』という言葉に、捕まってはいけない☆経験したという事実だけで、後は手放しなさい『努力した』 の部分は、他にも『苦労した』 とか、『頑張った』 とか当てはめられる良いことも、悪いことも‥ 全ては経験辛いことも、悲しいことも‥ 全ては経験≪無償の愛≫ を知る為の経験なのである彼の言葉は、とても深い
2009年01月30日
コメント(2)
全50件 (50件中 1-50件目)
1