みこみ通りへようこそ~with my ovary

みこみ通りへようこそ~with my ovary

●2004年 卵巣嚢腫摘出術


前日、麻酔科の先生が病室まで挨拶に来てくれた。とても笑顔が落ち着く優しい感じの先生だった。なんだかホッとする。

●手術当日。みーさん、母、従姉妹に見送られてストレッチャーで手術室へ。この時は「いってきまーす」とニコニコ。あまり緊張感なし。

●手術室はとても広くとても寒かった。自分でストレッチャーから手術台に移動した。物凄く幅が狭い!横向くと落ちそうになる程。
心電図を付けられた。緊張が高まる。自分の鼓動がピッ、ピッ、ピッ、と機械音に変わると緊張がピークになり更にピッピッ音が早くなった。私の緊張がもろに現れてしまったのでそれがとても恥ずかしかった。

●執刀医の先生登場。腕に麻酔が打たれる。私は「左の卵巣がかなり内膜症でやられてても少しだけになっても絶対に残しておいてくださいね」、とお願いする。
先生は「わかったから早く寝ちゃいなさいよ」と言い、往生際が悪いなぁって顔してた。なんか冷たいなと思った。
そして昨日の麻酔科の先生が微笑みながら登場。なんか安心した。
「みこみさ~ん、数、数えますからねぇ、眠くなりますよ~」。一瞬でに眠りに落ちた。

●あの感覚はなんといったらいいのか…ホントにドラマのワンシーンみたいだった。けどとても気持ち良かった。直前は死の恐怖みたいのがあるんだけど一瞬で気を失う。気付いたら病室のベッド。この気付いたらベッドっていうのがたまらなく好き!

●戻ってから私はやたらと従姉妹に「ありがとうありがとう」と言っていた。子宮筋腫の手術経験を持つ従姉妹は術後に私が話していたことが本当にビックリしたらしい。
その後記憶なく、ずっと吐いたり「痛いー痛いー」を連発していたそうだ。その間、看護婦さん以上にみーさんが世話をしてくれてたらしい。

●次に気付いたら夜の9時頃。看護婦さんがそばにいた。そして、なんと私は「明日ゴハンまだ食べれないんですか?」と聞いたのだ。看護婦さんは笑っていた。そして記憶なし。

●次気付いたのは夜中(何時かはわからず)、お腹が異常に熱くなっていて砂袋が乗せられていた。”あ~、やっぱり私も乗せられたんだ。そんなに太ってないつもり(このころはまだ痩せていた)なんだけどぁ…” 腹部に脂肪がある人は傷口が開かないように乗せられるらしい、というのを会社の人に聞いていたのだ。
”しっかし重いなぁ。これじゃあ横向きにもなれないょぉ。” ひょういと横向いてみる。できた!
”あー、砂袋落ちちゃったかな?"手で探る。何もない。あれ??ないない。??何も乗っていなかったのだ。

●それほど術後のお腹は熱く重かった。不思議と痛みはなかった。とにかく熱かった。それから寝苦しいなと思いつつ、いつの間にか朝になった。

●翌日、重湯のみ。しかしとても美味しかった。
午後から尿の管が外された。一瞬イヤーな感じ。一人でトイレに行くように言われる。柵にキャスターが付いてるリハビリ用のものにつかまって行って見る。意外と歩けた。だけどお腹は痛く突っ張って伸ばせないのでおばあちゃんのように丸くなって歩く。

●しばらくそんなことをしていたせいで腰痛になる。
2・3日後、食事に具なしのお味噌汁が付く。この味は忘れられない。おいしい!んまい!なんてもんじゃない!生まれて初めて口にする美味なる物!ちょっと大袈裟?いえ、でもホント日本人でよかったと思った。元々お味噌汁が特別好きとかこだわりなんてなかったけど餓死状態の人間には最高の味でした。

●入院期間3週間でした。


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