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小寺篤著 横浜の坂の一番最初に出てくる谷戸坂は、私も 2009.6.9 に載せていますが本に出てくる、庚申塔の二体の石地蔵と大震災殉難者之碑の存在は知りませんでした 再度、上ってみたらありましたマンションの前壁をくりぬいた穴の中に大震災追悼碑と書かれた石碑が今でもお花を添える方がいらっしゃるんですね場所はこの辺りでした 庚申塔の二体の石地蔵は、残念ながら見つけることはできませんでした・・・ 谷戸坂の裏道に抜ける紫陽花が綺麗でした表と裏の坂に囲まれたこの辺りには集落があったといいますからこの中に、お地蔵様があるかもしれませんね~
July 6, 2010
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最近、またまた坂にハマっている私ちょうど昨年の今頃、山手に続く坂について調べていましたが再びハマるきっかけとなったのは、今年の3月よこさんという方からのコメントでした よこさんは、横浜地図博覧会実行委員のメンバーをなさっていて中央図書館で行われるトークショーで横浜の坂(動物坂)の担当になり、検索しているうち私のブログに辿り着いたとの事でした ブログは全国どこからでもみられる事は分かっていましたがネットの凄さと公開することの責任と怖さも同時に感じた瞬間でした よこさんのコメントは、猿坂と土方坂 の位置に関してでした坂に関しての専門の知識も、まして郷土研究などではなく全くのど素人、生まれも育ちもハマっこではない私やじ馬精神で始まった坂巡りでしたので顔も素性も明かさないネット上のブログとはいえこういった手のものは、正しい情報を載せなくてはならないと私自身、出来る限り調べていたつもりでしたが・・・情報の不足と昔の歴史の曖昧さなども加わり坂の位置の説も一つではないようなのです よこさんからは、小寺篤著 横浜の坂 という本を紹介して頂き現在その本を頼りに再び土方坂と猿坂巡りが始まりましたあと、明治初期の地図があれば良いのですが・・・図書館にも行きましたが、ちょうど調べたい部分の地図は見つからず もう少しまとまったら再び結果発表(笑)したいと思っています新たに、謎の坂も出現して益々興味深い横浜の坂坂巡りは、開港の歴史巡りでもあります~
July 1, 2010
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山手に続く坂の最終章は、公園坂と桜道です 公園坂は山手カトリック教会の脇から入ります フェリス女学院大学と山手公園の間を 廻り込むように通ります 本通り奥にある為、観光客は少なく静かな環境にあります 元街小学校裏の階段を下ると代官坂(下り)と合流 山手公園は日本で最初の西洋式公園です ここは、横浜山手・テニス発祥記念館です テニス発祥の歴史がわかります 館内にあったステンドグラスです クラブハウスです 裏にはテニスコートがあります 震災後、外国人住宅として山手68番地に建てられたものを、この公園に移築しました 次は桜道です 本牧通りから山手公園脇を上り 山手トンネルの上に架かる桜道橋を渡り、山手本通りの地蔵坂上まで行く坂道です 途中、別れる三育幼稚園に行く坂道は 山手本通りの三育幼稚園信号に出ます 桜道には桜が無いのにこちらは見事でした 三育幼稚園信号付近 ここまでを山手に続く坂としました 山手の定義にはいろいろあると思いますが あくまでも私にとっての山手ということでご了承ください でも、名前のない小さな坂や坂と坂の間を横断する坂や 小さな坂が合流をつづけて山手にたどり着く坂などあるかもしれません また新しい事が分ったらアップしますので見ていただきたいです 有難うございました~
July 23, 2009
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山手の坂も終盤に入ってきました 今回は本牧側の諏訪町通り(これより先ビア坂と言います)と代官坂(下り)と山手本通りを結ぶ3種(6本)の坂を紹介します まず、ビア坂について説明をしなければなりませんねビヤザケ通りとも呼ばれて、山手111番館向かいから諏訪町通りへ下り、本牧通り(上野町)に出る長い坂です この通りには日本で最初のビール醸造所であるスプリング・バレー・ブルワリーが建てられ(後のキリンビール工場)ビールを運び出した通りです 谷のような地形にあり、清水が湧いていたので、ここに作ったそうです 震災で壊滅的な打撃を受けた醸造所は、今の生麦に移転し(キリンビアビレッジ)北方小学校とキリン公園あたりがその場所でビール井戸や麒麟麦酒開源記念碑がありますそれから、この公園のある通りはビア坂(ビアザケ通り)と言うそうです ビア坂:左上が雙葉学園右手北方小学校 キリン公園と麒麟麦酒開源記念碑 ビア坂から山手本通りに続いている坂は3種(3本)あります一つ目は、陣屋坂で、諏訪町信号辺りから民家の間を通り抜けると立派な坂に出ます坂上は、見尻坂(外人墓地) の向かい側になります当時駐屯していたフランス軍とイギリス軍の軍営を分けるために造られたといわれ、名前の由来となっています 陣屋坂下から 陣屋坂上から 二つ目は南坂、この坂は3本あって、元町公園向い(額坂上)から二筋に分かれひとつは北方小学校に下るAが代表ですがもうひとつは、雙葉学園の校庭へ割り込むように残っているB そして山手聖公会脇(貝殻坂向かい)から入り、廻り込むようにブリキのおもちゃ博物館と諏訪神社を通り、Aと合流するCです 南坂上AとBの分岐点 南坂下A北方小学校前から 南坂上C山手聖公会脇 ブリキのおもちゃ博物館前:この先右に廻り込む 南坂C廻り込む角のマンション前の蛙の親子 南坂C途中にある諏訪神社 南坂A右とC左の合流地点 南坂Aのブラフ積のフラワーアート 三つ目は、稲荷坂でこちらも途中二手に別れますが、雙葉学園正門脇から雙葉小学校とサンモールインターナショナルスクールの間の階段を下りビヤ坂へ至る坂と雙葉小学校の前で右手に折れて代官坂(下り)の染物丁子屋 脇に出る坂の二つです 稲荷坂上の雙葉学園正門脇 稲荷坂途中より代官坂(下り)に行く道 稲荷坂にある雙葉小学校 サンモールインターナショナルスクール 雙葉小学校とサンモールINSの間の階段坂(長い~^^;) 雙葉小学校前右から代官坂(下り)の染物丁子屋脇に出る 本牧側の坂は、本当に奥が深いです~その分面白く、辿り着いた時の達成感(笑)があります迷って、交番で聞いた時に反対に駐在さんにお詳しいんですね~と質問されました(^_^;)駐在さんもお忙しい中、坂マニアにお付き合い下さり有難うございました~
July 22, 2009
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新山下地区から山手に続く坂は探した限りでは3通り 一つ目は、ヒルサイドガーデンから港の見える丘公園に続く階段これはヒルサイドガーデン所有のものらしいので食事などしたら利用できるでしょうね 階段上部にある森が港の見えるが丘公園 二つ目はちどり坂(ムジナ坂)で新山下2の信号から山側に入りベイサイド新山下のマンションうしろから続く長い階段坂で近代文学館の霧笛橋の前に続きます山というより崖に近い斜度ですね、以前はここが海岸線だというのもうなずけます 長い階段坂の先は近代文学館の入口で霧笛橋の前になります そして三つ目は、中スポーツセンター脇の道の奥にある山手見晴らし公園の左奥から入り、途中二手に別れ左は、米国国務省日本語研修所辺りに、右は152-4番地辺りのワシン坂へと続きますどちらも草木の鬱蒼とした道で住宅があるので近隣住民の方が主に利用されているようです これには名前がないようです 山手見晴らし公園どちらの坂もワシン坂へ続きます 新山下地区は昔は海岸で、埋立られた場所です大正3年創業のバンドホテル(1999年解体) が今のドンキホーテのあたりだったと聞くと、あの辺りから長い海岸線であったと思われます(注)バンド:ドイツ語で海岸の意味です今は海岸線も山下埠頭、本牧埠頭ができ、はるか遠くなりました~
July 20, 2009
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坂ばっかりでつまらない~って言わないで下さいね山手に続く坂はたいへん多く、元町側は先月末で終わり本牧側は7月4日と7日の2か所アップしたのみです今日はその続きで、前回(聖坂とその手前の坂)の時私のブログに訪問して下さるkyowakaさんから手前の坂はある有名人の名前が付いているとの情報でやはり乗りかかった船(坂でした)ここは徹底的に調べなくては…と行って参りました~聖坂の手前にある坂です 階段を上ると右側が階段、左側が坂になりますこの先を登りきったところにありました!有名人のお宅が…(写真は控えさせて頂きますね)この坂は今後、その方の名前で呼ばせて頂きますm(__)m途中の脇道を入り本田ハウスのあたりから見える千代崎町の景色諏訪町方面へ行く途中にある洋館前回は迷路のように辿り着いた近代文学館前でしたが迷路の途中の谷あいに、本牧から移り住んだ谷崎潤一郎の住宅(現在一般人住宅)もありました また途中、分かれ道でワシン坂の大韓民国総領事館前に辿り着く坂も発見し、途中にはローマ字のヘボン式で有名なヘボン博士が晩年に住居を構えていたようです 山手本通りに面した辺りだけが山手ではなくこの辺りも山手なんだとつくづく思いました~凄い豪邸ばかりで、目の保養をさせていただきました~
July 18, 2009
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見晴トンネルの本牧側入口あたりからワシン坂に続く坂です 坂の途中に聖坂養護学校や日本水上学園、聖坂公園があります 見晴トンネルの脇に聖坂入口があります これもかなり急な坂です 昔は狸坂(たぬき)と呼ばれていたそうですが崖を挟んで新山下側のちどり坂(ムジナ坂)と呼応していたのかもしれません 坂上は神奈川県公社脇になります 聖坂公園 聖坂養護学校 日本水上学園入口 聖坂上 そしてもう一つ、聖坂に入る手前に坂がありました この坂は、山手まで繋がっていなさそうで、アチコチからくる坂と合流しながらビア坂上の辺りに出て、近代文学会館入口まで続きます迷路の様な坂でしたが、名前はないようです~名前ないならミスティ坂って付けちゃおうかな~(笑)
July 7, 2009
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山手に続く坂の本牧編になりますワシン坂も山手の尾根伝いに伸びて山手本通りに続く坂です本牧方面からワシン坂に続く坂は大小たくさんありますがその殆どが名前がありません、私が知らないだけかもしれませんが今日は、ワシン坂に続いている色々な坂を探してみました 小港側から最初の坂は北方2丁目から1丁目に行く途中にありました片側が階段で片側が坂、自転車通行の為でしょうか?かなりの斜度があり自転車を押しながらではキツイでしょうねこの坂はワシン坂公園脇に出ました ワシン坂病院の先にある小さい公園だ 階段(石造り)坂(コンクリ造り)坂部分は新設か? ワシン坂公園と坂上 戻る途中一人の紳士にお会いしたので、この坂についてお話を伺った 紳士は坂上にあるお屋敷に定年後20数年間お庭の手入れに通っているとの事 年齢をお聞きしたら86歳という、どう見ても60後半から70前半にしか見えない この急な坂で鍛えられたせいか腰だってシャキッとしている 横浜歩こう会をつくられ、横浜の道はかなり歩かれたようだ この辺りが震災と空襲で変わってしまったお話など聞いた良い方にお会いしたものだ~巡り合わせに感謝して… 北方1丁目には坂が他にも数か所あったが、どれも民家で行き止り・・・ 坂というより、崖をのぼる感じ~ここの周りの民家を一周します こういう坂がほかにも数か所あり、見晴らし通りに来てしまった見晴交番を過ぎた右手にも階段坂がありワシン坂に面したマンションの脇に出た、この坂も名前がないようです 坂上、左方向には、ワシン坂上公園右方向に行くと米国国務省日本語研修所がありました この辺りは、崖のような地形である為、階段坂がほとんどでした 毎日登られる方は、かなり足腰が鍛えられている事でしょうね私は、膝がガクガクになりそうでした~
July 4, 2009
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山手に続く坂も、元町・石川町側からは今回が最後になります地蔵坂の隣の打越坂とそこから分岐する牛坂・猿坂・清水坂と打越坂の隣の遊行坂です 打越坂(牛島坂)は車橋から緩やかに登り打越橋をくぐって本通りの山元町にでます坂道の中程が打越の街区となっていることから、その名がついたようです山が削られて「切り通し」の坂道となったのは横浜市電を通すためでした(長者町線 日の出町~山元町間)坂の途中に 猿坂 という名の 停留所があったといいます アーチ型が美しい打越橋(坂途中から) 坂上の山元町から 打越坂に入ってすぐ左手に分岐して登る坂が牛坂ですこの辺りで牛が飼われていたからとか牛のようにゆっくりとした歩みでなくては上り下りができない急な坂だったからとか…色々な説があるようです本当、この坂は結構足腰にきます~聖坂クラスかな?この坂は共立学園の脇を通り、打越橋の通りにでます階段もキツイけど急な坂って…スキーで滑るにはちょうど良い斜度! 牛坂の入口から少し打越橋寄りの交差点にあるのが猿坂です曲がりながら、辿り着くのは牛坂と同じ場所ですこの辺りの台地を猿山といったそうです 打越の信号から入ります 途中数回曲がります~真っ直ぐ行くと民家です 打越坂の途中右手に打越の霊泉といわれる湧水があります開港時には港に出入りする船の給水に用いられたそうです震災や空襲の際、この湧水で多くの市民が助かったといいますこの打越の霊泉から打越坂沿いに登り、打越橋の通りに出るのが清水坂でこの辺りの台地を牛島山といったそうです 打越の霊泉:今でも汲みに訪れる人が多い 清水坂 そして、中区(石川町)と南区(中村町)の境にある遊行坂は山元町へ続きます この坂までを、元町・石川町方面から山手に続く坂とさせていただきますまだ、新山下と本牧方面から山手に続く坂がたくさんありまして、この先まだまだ続きます~
June 30, 2009
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昨日アップした地蔵坂の濡れ地蔵川の袂とはいえ傍には水気は無く濡れていないのに・・・?と考え出したら眠れなくなりそうなので、検索したらありましたよ~濡れ地蔵の名前の由来 昔、根岸に住んでいた娘が身売り先から逃げ出した時にこの地蔵の前で一息つき、それから海に身投げをしました翌朝、地蔵は水で濡れ、海草が付いていたために「濡れ地蔵」と呼ばれるようになったという言い伝えがあるそうなんです このお地蔵様は、交通安全や子育て地蔵としての御利益があり地元の人々の信仰を集めているそうです なるほど・・・悲しい物語があったのですねお地蔵様は、今日も亀の橋の袂で交通安全と子供たちを見守っていらっしゃいます~
June 30, 2009
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前回は、大丸谷坂でしたので次の坂は石川町駅から ひらがな商店街 に入り、亀の橋あたりから山手本通りに続く 地蔵坂 とそこから別れる 乙女坂 と 小坂 です地蔵坂は亀の橋のたもとにある地蔵がその名の由来でもとは坂上にあったらしく、名前も「満願地蔵」「子安地蔵」から新しい石柱碑には「濡れ地蔵」と彫られています 亀の橋のたもとにある濡れ地蔵~ 坂下のスーパー上州屋辺りから 坂上の標識~もとはこの辺りにあったらしい 地蔵坂途中にある連光寺この寺には有名な方のご家族のお墓があります つぎは 乙女坂 です、蓮光寺手前右から別れ横浜女学院に続く階段でもとの町名の西坂から乙女坂になったものです 小坂 は 地蔵坂 の左手からイタリア山公園方面に続く坂です 地蔵坂左手にある小坂入口 小坂坂上:左が小坂 右へ行くとイタリア山庭園へ 乙女坂も小坂も地蔵坂から分岐して本通りに続く坂ですが野毛町(桜木町方面)から吉田町・松影町(関内方面)を経て地蔵坂までの道は昔のメインストリートで、大きな店が並び大変な賑わいだったそうです当時の地図や写真を見ると繁栄ぶりを伺い知ることができます坂下には鶴屋呉服店(松屋の前身)坂上にはテンプルコート(後の日光屋敷)と呼ばれた立派な洋館や、コーヒーハウスもあったそうでコーヒーハウスヒルとも呼ばれていたらしく、洒落た名前ですね~ところで気になる地蔵様…何で濡れ地蔵なんでしょう~?
June 29, 2009
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山手に続く坂は前回 西野坂 でしたので今日はその隣・・・といっても山手トンネルのある大通りを超えてからになります以前このトンネルを通って、さくら湯 に行きました 山手トンネル:山手本通りの下を通ります 大通りを渡ると、昨日紹介した リセンヌ小路 になりますその先 郵便局の脇から登る坂が大丸谷坂(おおまるたにさか)とそこから別れる土方坂(どかたさか)です大丸谷坂は外交官の家やブラフ18番館のあるイタリア山庭園へ向かうのに利用されている方が多いのではないでしょうか?石川町駅を降りて、一番近い山手に続く坂だからです大丸谷坂は、以前この辺りの町名からその名が付いたと思われます 大丸谷坂の石碑 その後に震災地蔵尊があります 坂の先にはイタリア山庭園入口があります フェンスと共に大きくなった木 一方、震災地蔵尊の先左手から別れる坂が土方坂です山手トンネルの上を越え、横浜山手女子校に沿って山手本通りまで上る坂ですこの辺りに開港後の土木工事の人足部屋があった事からついた名前だといわれています 何箇所か分かれ道がありますが、本通りに続くのは1本のみでした 途中あった洋館跡の門?石段が大きいので外人サイズですね~この先は民家ですこの坂は今は主に、山手の学校に通う生徒が利用しているようです それにしても、山手に続く坂も色々です延々と続く階段や急な坂、自動車道、細い道・・・この先には何が見えるだろう、何が待ってるんだろう…と完全に坂にハマってしまった私です~
June 27, 2009
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横浜山手には学校がたくさんあり、しかも国際色豊かですその学校に続く坂もたくさんあります今日は、汐汲坂の隣でもありフェリス女学院と横浜山手女子校に続く坂をご紹介します元町商店街の裏通り、5丁目辺りから続くその坂は主に女子学生と近隣住民に利用されています坂に入る所でふた手に分れ、左の階段が西野坂(フェリス坂)と呼ばれ山手本通りフェリス女学院(中高)の本校と12号館の間に出ます 西野坂(左)坂下、左右に坂が分れる 延々と続く長い階段…たぶん山手に続く階段坂の中で一番段数は多いとみた…(~_~;) 途中後悔しつつもゴール地点まで辿り着き~段数数えてない!200段はゆうに超えてる~上部にある、本校と12号館をつなぐ連絡橋 西野坂ではたくさんの女子学生とすれ違い、しばし女子学生気分(かなり無理があるだろ)昔、この辺りを西野町といったらしくその名がついた付いたものと思われます さて、坂下でふた手に分れていた右側の坂…気になる~右の坂は調べても名前が分りません、二つとも西野坂なのでしょうか?一応、登ってみる事に… こちら通ってるのは私と猫だけ…先に見えるのは学校?この先行き止まり・・・山手女子校のフェンスにつきあたりました 途中、左に階段(またか~)があり、その先には校舎が…階段では誰ともすれ違わず、西野坂の賑やかさとは大違いでも本通りには出られましたよ~フェリス女学院と山手女子校の間木々が多く、薄暗い出口でしたがこちらはあまり使われていないのでしょうかここの階段数は148段でした~ それにしても、山手の学校に通う生徒たちは毎日この階段を往復してるのですね~足腰鍛えられますよね!私は疲れ、お腹がすいただけでしたが・・・
June 25, 2009
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今日は代官坂の途中から別れる高田坂(百段坂)と出発地点は違うけれど、山手本通りで合流する汐汲坂を紹介します~まず高田坂ですが代官坂にある堀内歯科クリニック脇の階段を上り百段公園の前を通り山手本通りで汐汲坂と合流する坂です 途中に百段公園があることから百段坂とも言われていますが階段の段数を数えたら94段でした(笑) 以前、元町二丁目から百一段の急な石段が続いていたそうですが関東大震災で崩壊し 今はない“百段”の歴史をここにとどめています 代官坂の途中から階段で別れる 高田坂(百段坂) 長い石段が94段続きます 石段を登りきった先は緩やかな坂になります 坂の途中にある百段公園 昔は、この百段公園から港の出船入船や関内地区が手に取るように見え遠く神奈川宿の旅籠や茶屋までが見渡せたといいます今も、眺めは良いですが、さすがにビルに阻まれて海は見えませんでしたここは、知る人も少ない公園なのか、ひっそりと静かで眺めが良い事もあり知る人ぞ知る、絶好の花火の観覧場所だと聞きましたこの百段公園の柱なんですが、まるで取り壊された神殿跡のようです 公園の先は緩やかな坂になり、途中には願西寺があり過ぎると女子学生の元気な声が聞こえてきます、そうフェリス女学院です 願西寺 本通りの合流地点 左:汐汲坂 右:高田坂 今度は汐汲坂ですが、元町・汐汲坂ビル脇から汐汲坂ガーデンを左に元町幼稚園を右手に見ながらフェリス女学院高中の脇を通り、山手本通りに出ます 元町幼稚園の辺りから結構急な坂になります 汐汲坂:右に見える元町幼稚園 汐汲坂ガーデン 本通りの汐汲坂信号を渡り向かいの道路を下り 代官坂と代官トンネルの合流地点までが汐汲坂でその先は代官坂となります 本通り(右の道)の汐汲坂信号 下りの部分:元町小学校のブラフ積 左の道:汐汲坂(下り) 代官坂・代官トンネルとの合流地点 汐汲坂の由来は色々ありますが、昔は坂下の川(中村川)が入り江になっていて村人が坂を下って塩水を汲みにきたからという説が近いような気がします 今は車がありますが、昔は担いで運んだんでしょうか牛や馬が運んだんでしょうか?そして塩水で塩を作っていたのでしょうか坂を調べるとまた疑問が増えます~
June 24, 2009
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久々に記事の場所を中区に戻します 山手に続く坂が途中の額坂で止まったままでした^^;ブログに地図を載せ、確認しながらの方が親切かと思いますが丁度良いものが見つからないので地図のバーツをお分かりの方、教えていただけませんか? さて、額坂の隣は代官坂(箕輪坂)になります この坂は、元町・昭和ベーカリーのある脇道を上り山手本通りのユニオン教会前(代官坂上)に出る坂で途中、高田坂(百段坂)が別れ、本通りで汐汲坂と合流します 代官坂は車の利用の為に途中から代官トンネル(代官隧道)も作られ このトンネルは本通り下をくぐり、元街小学校の前に出て代官坂(下り)に合流し、妙香寺脇を通り本牧通りに続く長い坂です 開港当時、坂の途中に、横浜村名主の石川家の屋敷があり(現在は屋敷跡があります)それにちなんでつけられたとされています 石川家11代当主である石川徳右衛門さんという方はペリー来航の際、日米和親条約締結の為の応接場の設営、食料、その他の一切を行いましたその様子は「ペルリ提督日本遠征記」に記されています その後、石川徳右衛門さんは惣年寄となり横浜町の町政を担当しました石川町の名もここから由来しているのだそうです 左側へ別れる額坂(元町公園)と代官坂 代官屋敷跡 山手ユニオン教会(代官坂上) 代官トンネルと右の代官坂(下り)合流地点 代官坂に観光客が多いのは、坂の周辺にお店が多い事もあります 見て歩くだけでも楽しいお店が軒を連ねています 建物も可愛いですよね~ こちらはレストラン、左写真の奥の入口の階段を下ると代官坂・匠がありますchi-zuさんから一番高いランチをご馳走になったんだっけ(^^)vコースになってて一つ一つ出してくれるんです量もたっぷりでした~ さて、山手本通りを超え本牧側に下る坂は、元町側の様な華やかさはありませんが、面影は残っていました~ 本通りを越えても名前を変えずに続く坂は汐汲坂(途中まで)と代官坂たぶん一番長い坂ではないでしょうか?(長さではワシン坂とどっち?) 山手散策していた時、大きなお屋敷があってふと表札をみたら、石川・・・と書かれてあった事がありましたが徳右衛門さんのご子孫なんでしょうか?今でも、石川家とペリー家のご子孫は交流が続いているのだそうですが、開港以来150年の時を経た今なおロマンのあるお話だなぁ~とつくづく感じました~
June 23, 2009
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先日紹介した、貝殻坂の隣の坂になる額坂は貝殻坂の途中から右に折れ元町公園の中を通っても代官坂を登ってすぐ左に別れる道を通っても行ける坂で元町公園の右斜面に沿って山手本通りに続いています結構急で長い坂の様子から、額がつく程の坂 という意味が由来なのでは?といわれています長い石の階段の左は元町公園の谷(谷戸)が右は住宅地が広がり、途中道が分かれる場所が数か所あります 階段の右脇にある石の側溝はブラフ溝と呼ばれるもので洋風側溝としては現存最古のもののひとつだそうです こういう谷戸が多い地形であったため谷戸に雨水が流れ込まないようにというフランス人実業家、ジェラールの要望によって敷設されたものだそうですジェラールは元町公園のある場所で、事業を行っていました坂の上部です、ここから先は緩やかな坂道になり脇には猫の美術館や山手76番館元町公園内には山手80番館遺跡があります ヨコハマ猫の美術館 山手76番館 大震災で崩壊した山手80番館跡 額坂は山手本通りのエリスマン邸とベーリックホールの間にでますエリスマン邸 ベーリックホールそして、向かいに山手234番館とえの木ていという山手本通りで一番賑わう絶好の場所に辿り着きます 山手234番館 えの木てい長い坂を登った後に出会う、素敵な西洋館や喫茶室疲れを忘れてしまいますね~
June 12, 2009
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今日は見尻坂と貝殻坂を紹介したいです 谷戸坂のお隣の坂でこれも元町から入りますこの坂は元町プラザの脇の道を入った先が左右に分かれていて左へ上る見尻坂は前を行く人の尻を見ながら歩くという様子からそれだけ坂が急であるという意味で、その名がついたようです 行きつく先は、左に横浜地方気象台で右に外人墓地のある場所です一方、右に伸びるのが貝殻坂です 左手を外人墓地、右手を元町公園に挟まれながら山手本通りに続きます墓地の崖土に貝殻片が混ざっていたことからその名がついたものといわれています出発地点は同じでも、辿り着く場所は外人墓地の右端と左端つまりは、外人墓地を挟んだ二つの坂という事になるんですね そして見尻坂の向かいを本牧側に降りる坂を陣屋坂といいます 左:見尻坂の登り口辺り、急な坂でこの先階段になります 右:外人墓地と横浜地方気象台の間に出ます(山手本通りから撮影) 見尻坂の上部 左右に伸びる道路が山手本通り 手前に伸びる(下る)道路が陣屋坂 左:左手を外人墓地、右手に元町公園を見ながら右:坂の上部は階段が続きます~春には桜が見事です 貝殻坂の元町公園土手に咲いていた紫陽花 貝殻坂は公園と墓地に挟まれたひっそりとした坂ですが地域住民の生活道路としても活用されているので人が絶えず通っていて親しみ易い坂で私は好きですこの坂のお隣は、元町公園の端を通る額坂です~
June 10, 2009
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横浜山手は、山手本通りとワシン坂の尾根沿いに形成されていますその尾根に続く坂道は、元町側・新山下側・本牧側からとたくさんあり名前のある坂や調べても不明のものまで数えきれませんこの辺りは、かつて居留外国人達からブラフ(切り立った崖の意味)と呼ばれ崖上にあって、ブラフ積と言われる石垣やブラフ溝のような石造側溝が残っていて坂道のそこかしこに居留地時代の面影を見る事ができます高級住宅地として知られる横浜山手ですがこの坂を登り降りしなくては毎日の生活が成り立たず狭い坂や階段状の坂は、徒歩のみの利用しかできませんお歳を召した方には、100段はゆうに超える坂はさぞかしキツかろうと思うのですが、毎日の習慣なのですねゆっくりではあるけれど、休みなく登られる姿には敬服いたします さて私、やじ馬は辛い事が大嫌いなのに好奇心旺盛この坂を登った先に何があるか見たいが為の一心で(笑)数か月前から、色々な方向から登り初めまして途中、脇道があれば入らずにはいられず、結局思ってもみない場所に辿り着く事もあったりしましたが…そんな山手に続く坂を何回かに分けて紹介します~ 今日は、元町散策された方なら1度は通った事があると思う谷戸坂~表と裏があり、裏は途中左手に別れフランス山沿いに登る坂昔の地図を見ると、この辺りの地名に名が付いていますので名前の由来はここからきているのでは?と思われますが…フランス山公園の交差点から入る坂で、古くから栄えていました居留地時代の写真を見ると、大きな洋館や家が立ち並び賑やかな様子に今は当時とはだいぶ変わったことがわかります 谷戸坂(表):元町側から見て 谷戸坂(表):元町側を見て 坂の途中にある江戸千代紙・いせ辰 店の前を通っても裏坂に出られます看板は猫の絵~表と裏の絵が違います(これは裏の絵) 谷戸坂(裏):ブラフ積の上はフランス山です、坂の上部は階段です 左:谷戸坂の表と裏の合流地点(左:表 右:裏) 右:フランス山入口 港が見える丘公園の少し手前の信号で合流する表と裏の坂ですがフランス山に入る門の脇で合流すると言った方が良いかな? 港の見える丘公園前を通り過ぎ、向かいの道を行くとワシン坂へと続きます~次は、見尻坂、貝殻坂です~
June 9, 2009
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昨日は久々の雨でしたが、何か無性に散歩したくなってフード付きのコートに傘をさして出かけた昨日からゴールデンウィークの大型連休が始まって横浜もみなとみらいを中心に混みあうだろうな~と思いながら・・・コースはワシン坂~山手に向かい、新山下に降りて本牧に・・・ワシン坂の由来は幾つかあって、日米和親条約からとするもの坂の途中にワシンさんという外国人の住宅があったとされるものそして坂を降りたところに湧水がありワキシミズが訛っていったものとされているけれど決定的なものはないようですただ、湧水はまだ残っていて未だ近隣住民が利用しています 坂の始まり地点にあるこの湧水は道行く人々の喉を潤し、開港後は立ち寄る船にも積み込まれ赤道を越えても腐らない水として喜ばれていたそうです 最初にカネボウ化粧品教育センター ワシン坂病院がみえます お食事の家 此のみちの看板~行ってみましたが、しばらく営業中止でした大木により人が一人通れる位の道幅 この辺りは高い場所にある為、眺めもよく大きなお屋敷が多かったです左~山手ヘレン記念教会 右~山手ロイストン教会どちらも結婚式の真っ最中でした ここまで来るともう港の見える丘公園はすぐそばです 神奈川近代文学館入口 ローズガーデンから山手111番館 しばらく改修工事をしていたイギリス館が今月から開館しましたまだ入った事がないのでそのうち是非入りたいです大佛次郎記念館から港の見える丘公園あいにくの雨の中での散歩でしたが雨のお陰?で普段は休日で混みあう公園もひっそりと静か・・・落ち着いて散歩ができました散歩はここから、ちどり坂を下りて帰りました以前はちどり坂を下りた先が海岸線で海水浴にいく人が通った坂道だったようです下った先はすべて海だったんですね~ ジャズマンひろくんの園芸ブログ園芸の悩み疑問のお助けマン ↓ジャズマンは園芸家→http://horticulturist.seesaa.net/
April 26, 2009
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