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夏の夜空を代表する星座、さそり座。さそり座の魅力は、その優美で壮大なSの曲線。火星と競う者という意味をもつ、赤いさそりの心臓「アンタレス」。だが、高く昇らないため、「夏といえばさそり座」と有名なわりに、見るのが難しい。南の空が開けていて暗くなくてはダメだ。それに、例えばさそりを恐れるオリオンの星座のように、誰にでもすぐ形が見分けられるわけでもない。http://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005300438_00000↑この動画は、さそり座の動き方が非常によく分かるが、こういう予備知識が頭にないと、星座そのものを見分けることも難しい。つまり、時間が早いとさそり座は直立した姿勢で、S字のカーブは先が切れてしまっていてよく見えない。時間が遅くなると次第に昇ってくるのだが、壮大な夜空に描かれる曲線がきわめて美しく見える時間帯は案外短く、その時間帯を逃すと、次第に星座は横倒しとなり、S字というよりむしろ変形ひしゃくのようになってしまう。優美でダイナミック、赤いアンタレスを輝かせる夏の女王星座は、「さそり」という、その強い印象の名とは裏腹に、美しく見えるための条件が厳しく、さらにその時間も1日のうち僅かなのだ。Mizumizuは子供のころ、実家のある山口で見ていた気がする。だが、その記憶は不確かで、しかも見えたのはS字の一部だけだった。東京の家からは冬のオリオン座なら見えるが、夏のさそり座は望むべくもない。一度、優美で壮大なS字の全貌を見てみたいと思いつつ、その夢はかなわずにきた。くじゅうにあるザ ガンジー ホテルは、その気難しいさそり座の姿を見るには絶好のロケーションにある。すなわち、南に向かって開かれた高原の、わりあい高い位置にあり、かつ人家はほとんどないので、夜になると空は非常に暗い。https://www.the-guernsey.com/宿泊したのは、ツインルーム。このホテルは以前別の名前だった気がする。ザ ガンジー ホテルになって改装のであろう部屋は、バスルームへの段座が極端だったり、ちぐはぐなところもあったが、その分、変に広い…と言ったら失礼だが、本当に変に空間があった。エキストラベッドを入れても充分な広さが確保されていて、そこに2人で泊ったので、ゆったりとくつろぐことができた。3人の旅行で1人は和室に泊ったのだが、こちらはやや狭い印象。1人は洋室にしようか迷って、結局和室にしたのだが、あれなら洋室を選んだほうがよかったかもしれない。部屋は高級感はないが、こざっぱりとしたモダンなつくり。温泉もあって、これがなかなかだった。近くの赤川温泉ほどの「すんごい泉質」ではないが、緑がかった濁り湯で、内湯とくぬぎ林に向かって開かれた露天の2つがある。広さはさほどではないが、そもそも客室数が多いホテルではないし、平日だったので混むこともなく、ゆっくり温泉を堪能できた。ガンジーというホテルの名は、ガンジー牧場がこのホテルの経営母体だから。夕食にはステーキが出たが、さすがの味。魚料理もつくフルコースのプランだった(というか、それしか選べなかった)のだが、魚料理はヤマメをイタリアンっぽくアレンジしたもの。工夫があって美味しかったが、好き嫌いが分かれるかもしれない。基本Mizumizuは魚より肉が好きなので、フルコースではなくてメインは肉だけのコースだったほうがよかった。Mizumizu母のほうは、ひねりのある魚料理が気に入ったよう。まぁ、このあたりは個人的な嗜好の話だ。朝食は、ガンジー牧場で作っているというパンが出たのだが、これが微妙にハズレたのが残念。エッグベネディクトも個人的には「残念」レベル。値段と考えあわせると、部屋大満足、夕食かなり満足、温泉かなり満足、朝食やや残念――というカンジ。しかし、関東の温泉ホテルを考えると安く、料理も温泉も質が上であることは間違いない。ホント、九州はすごいよ。残念といえば、残念の極みだったのが、ホテルのテラス。鳩が上に居ついてしまい、フンだらけで使えない状態だった。掃除が追い付いておらず、テラスは閉鎖。その向こうに芝生があり、おしゃれなテーブルとイスを置いて(ただしパラソルもなくてむき出しだった)、そこでアフタヌーンティーを出すということだったが、予約しなくて正解。夏の午後はもろに日差しがきて暑いし、虫も多いし、視線のすぐ先にテラスの鳩のフンがある――こりゃダメだ。だが、それらすべてを忘れさせてくれたのが、部屋の大きな窓から見た夜空だった。たまたま雲も少ない晴れた日だったことも幸いしたが、なんと、窓のちょうど中央に、さそり座が優美で壮大な、そのS字の全貌を現したのだ。ガラスの向こういっぱいに、さそり座が広がっている! 窓枠は額縁さながら。あつらえたようだった。さそりをつけ狙う、射手の姿も見えたように思った。ただ、射手座についてはあまり知識がないので、違ったかもしれない。さそりの尾の近くに、十字に近い星の並びが見え、それがちょうど射手座に見えたのだが、確たる自信はない。ちょっと位置が近すぎる気もした。窓のガラスが邪魔に思え、何度かホテルの外に出て、ナマさそり座を見に行くMizumizu。真っ暗な夜に、何度も出入りするのでホテルのフロントはやや怪訝顔。ただ、ホテルの外だと、建物が邪魔で案外見えなかった。ホテルの窓枠を額縁に、あたかもさそり座のために切り取ったかのような夜空のほうが、絵画的に美しかった。少し眠って、未明に目を覚ますと、ちょうど同じ部屋に泊ったMizumizu母も起きていて、「さそり座はもうどっかに行っちゃったよ」。言いえて妙だ――横倒しになって額縁の外に移動したであろうさそりは、赤く目立つはずの心臓も、もはや夜の霧に隠れて見えない。変形ひしゃくになっているハズの尾を捜してみたが、昇ってきた他の星々にまぎれて消えてしまった。夏の夜の女王、さそり座。長らく焦がれていた彼女との出逢いは、あまりに強烈で、あまりに短かった。#ザ ガンジー ホテル ザ ガンジー ホテルの北にはくじゅう連山南の窓の向こうはくぬぎ林。久住高原を隔てて、阿蘇五岳を望む。夏の夜、この景色すべてが暗闇に消えた後、さそり座が空を支配する。
2018.11.27
本州の人間が、「九州の山」と言われてまっさきに思い浮かべるのは阿蘇山だろう。阿蘇山の壮大さは、今更言うまでもない。やまなみハイウェイをドライブして初めて阿蘇に行ったときは、ここが本当に日本だろうかと、圧倒された。阿蘇を目指した、いわば「九州観光ビギナー」のときには、くじゅう連山は真打ち・阿蘇の「前座」ぐらいの位置づけだったが、ひととおり阿蘇山周辺をめぐってみると、前座だと思っていたくじゅう連山・久住高原の魅力にすっかりハマってしまった。阿蘇は壮大だが、壮大すぎる。外輪山の急な坂道を越え、世界一有数の広大なカルデラを走り、中央火口群に登る。あまりに広すぎて、個々の山の「高さ」がつかみにくいのだ。実際に、阿蘇山はさほど高くはない。最高峰でも1600メートル足らず。対して、くじゅう連山は、ぐっと眼前に迫る1700メートル級の山並みの「高さ」が非常に分かりやすい。長者原に出ると、手の届く近さにそびえる三俣山(1745メートル)、硫黄山(1580メートル)、星生山(1762メートル)。その特徴的な姿も魅力だが、湿原からいきなり山がそびえているような「近さ」がいい。そして、くじゅう連山の麓には、個性豊かな温泉がそこここに沸いている。凄い、本当に凄い。こんな自然の恵みに満ちた場所が、他にあるだろうか。この夏は、7月と8月(お盆)の2回もくじゅうに足を運んだMizumizu。「くじゅう」という地名、「久住」なのか「九重」なのか、ずっと混乱していた。何となくイメージで、高原が「久住高原」、山が「九重連山」、町が「九重(ここのえ)町」と「久住(くじゅう)町」だと思っていたが、ウィキで調べたら、「阿蘇国立公園」にこの地域の名称を加えて改名する際には、「九重」と「久住」のどちらかにするかで長らく論争が続いたが、「阿蘇くじゅう国立公園」とすることで決着した。ということらしい。久住高原のどこかで買った山岳鳥観図(KUJU RENZAN地図)を見ると、「くじゅう連山」という表記になっていた。そして久住山の文字の見える山はあるが、九重山という表記の山はない。しかし、九重山は久住山 中岳だと書いてる人もいる。「???」。もう一度ウィキに頼ると、火山群や周辺地域全体を指す場合に「九重山」や「九重連山」を用い、その主峰である単独の山を指す場合に「久住山」を用いるのが一般的である。そして、九重連山の最高峰が中岳だとか。なるほど、なんとなく分かってきた。火山群全体が「九重山」なら、その最高峰である中岳を九重山(の頂上)としてもおかしくはない。さらに調べて見ると、くじゅう連山の最高峰・中岳(1791メートル)は九州本土の最高峰でもあるらしい。阿蘇山、中央火口丘の最高峰である高岳(1592メートル)より、200メートルも高い。阿蘇の高岳の「高さ」は、くじゅう連山ではカクンと低く見える硫黄山と大差がないのだ。最高峰が「中」岳というのは変な感じだが、九重連山の主峰とされる久住山が1787メートル、中岳との差はたった4メートル。正確な測量ができない時代には、久住山のほうが主峰で中岳は久住山の「中の岳」だと人々が思っても不思議はない。山岳鳥観図でも、「九重連山」と表記してもよかったのかもしれないが、阿蘇くじゅう国立公園の表記にならって、連山については平仮名表記を採用したのだろう。同じ発音で表記が2つあり、1つの表記で2つの読みがあるというのが、逆に九州という土地の歴史の長さを物語っているように思う。昔は、ここには、小さな「くに」がたくさんあったのだ。で、この夏、くじゅうのどこへ行ったのかについては、次からのエントリーで、詳しく。
2018.08.16
南阿蘇の名店フレンチとして名高い、ブラッセリー・ラシュレ。軽々しくは言えない「完璧主義」という言葉がまさにぴったりだった。訪ねたのは夏。残念ながら雨模様の暗い日で、場所も辺鄙な山の中(は言い過ぎかもしれないが、コンクリートジャングルの東京の人間からしたら、山の中の一軒家に来たとしか言えない場所にあった)。だが、清掃が行き届いた店内に迎え入れられると、空気まで凛と澄んでいるかのよう。チラッとのぞいた厨房も隅々まで清潔だった。インテリアはゴージャスではなく、シンプルに趣味よくまとめられている。窓が額縁の役割を果たして、戸外の緑が目に優しい。夏にふさわしい、フルーツと野菜づかい。涼やかな淡い色彩は目にも涼やか。周囲に配した濃いグリーンが、全体に淡く、したがって弱い色調に「重み」を加える役割を果たしている。この色彩・色調のセンス、並々ならぬものがある。次に来るのは、自分でソースをかけていただくリゾット(お米とトウモロコシ)。ソースは、いかにもフレンチ風の軽やかにスパイシーなカレー風味。確かにヨーロッパでこんな味に遭ったことがあった。柔らかいリゾットと対照的な食感を楽しめるシガ―風の揚げ物が付く。そうそう、フレンチというのは、一皿で食感の違いを味わえる料理を重んじるのだ。その姿勢は、日本の西洋料理では消えてしまう場合が多い。ここで供される一皿には、ヨーロッパの名店に引けを取らない洗練の風味と食感のメリハリが確かにあった。この店は地元の食材にこだわっている。ローカルな素材を使って、インターナショナルな水準の料理を供する。そんなMizumizuの好みを、期待を上回るクオリティで満たしてくれる。色彩感覚も素晴らしい。やはり九州の外食文化のレベルは高い。本当にこの店のシェフの力量には驚かされた。皿は料理人のキャンバス。目にも涼しく、皿いっぱいで夏を感じさせるデザート。フォルムは「丸」の連続。ガラスの器までが「作品」の一部。視覚の喜びは、スプーンを口に運んだとたんに味覚の喜びに変わる。この店、シェフと給仕役の奥様以外に、スタッフがいなかった。むろんコストのこともあるだろうけれど、実際のところ、シェフの腕にかかっている「料理」という仕事で完璧主義を貫くためには、こういうスタイルにならざるを得ないのだと思う。弟子と高級食材をうまく使い、宣伝に多額の資金を投入している「有名店」では味わえない、本当に1人のシェフの才能・力量で真向勝負をしている店。こんな店、東京にはないかもしれない。そして、この完璧主義は遠くからくる観光客には不便な面もある。予約は1ヶ月前から受付で、それより前だと受けない。ランチのみで、ディナーはなし。そして時間も指定される。実際、8月のお盆という、観光地の店にとってはかき入れ時に、Mizumizu一行が5人で訪れた時間帯には、もう一組のカップルしかいなかった。シェフ1人でさばける数のお客しか取らないという姿勢。これだけの完璧主義の仕事を見せられたあとでは、納得する話だが、正直予約した時には戸惑った。時間まで向こうから2択で指定されると、それに合わせて他の観光の予定を組まなけばいけないから、遠くから行く観光客にとっては都合が悪い。だが、そういう融通の利かなさ(客側からすると)を我慢してでも、先方の指定に合わせて行くだけの価値のある店だ。Mizumizuは前日に南阿蘇に入り、午前中のトロッコ列車に片道だけ乗って(立野11:25→高森12:22)、次の普通の列車で折り返し(高森12:53→立野13:21)、立野に戻ってきてからクルマでブラッセリー・ラシュレに直行するプランを立てた。予約は13:30。立野駅からラシュレまではクルマで10分程度なので、これは時間のロスがない。カーナビで行くと、違った場所に連れていかれることもあるそうなので、注意。Mizumizu一行は、ちょっと通り過ぎてしまったが、店に電話して道を聞いたら、すぐに教えてくれた。
2015.09.12
だいぶ時間が過ぎてしまったが、大晦日を過ごしたハウステンボスの追加レポを。宿泊したフォレストヴィラからは、池が見え・・・鴨が泳ぎ、エサをもらいに白鳥もやってきた。魚も下でおこぼれを待っている。昼のハウステンボスは、大晦日とはいえ案外すいていて、アトラクションもそれほど長く待たずに見ることができた。やはり人気のテーマパークとはいっても、東京ディズニーランドの比ではない。運河にかかる橋などをわたっていると、ふいに忘れかけていたオランダ・ライデンの街の風景が蘇った。父がライデン大学で教鞭を執ってたころに行ったことがある。自転車に乗った、やたらと背の高い青年が疾走していく姿などが急にまざまざと脳裏に浮かんだ。ああ、Mizumizuはオランダにいたことがあったんだなあ…いつの間にか、ずいぶんと昔の思い出になってしまった。あれはチューリップの咲くころだったが、かの地は気候が変わりやすく、晴れたと思ったら急に雨が降ってきたりした。父の住んでいたアパルトマンは、エクステリアに赤茶色のレンガを使っていた。ある日、父より早く帰ってしまい、建物そのものに入ることできずに困っていると、同じアパルトマンの青年が戻ってきたので事情を話して入れてもらった。初めて見る顔だったが、すぐに信頼してくれて、「部屋に入れないのなら、よかったらお茶でもいかがですか」と誘ってくれた。父の家の鍵はもっていたので、お礼を言って遠慮した。本当にまったく忘れていた、なんでもないエピソードがふいに鮮やかに蘇る。まるで昨日のことのように。風景と記憶の関係とは摩訶不思議なものだ。日が落ちると、ハウステンボス入場者はぐんぐん増える。夜のイルミネーションは大いに期待して行ったのだが、その大いなる期待に応える素晴らしいもの。なんといっても、電飾の数が凄い。2014年は青色発光ダイオードのノーベル物理学賞受賞で、日本中がわき返った年でもある。この無数の電飾に、LEDが世の中にもたらした恩恵を改めて実感した。夜のアトラクションの行列はさすがに長かったが、それでもだいたい40~50分待ちで乗れた。変な話だが、どうも現場スタッフが疲れている様子なのが気になる。それがテーマパークに必要な、「別世界に来た」というマジカルな雰囲気を明らかに損なっている。人員もこの規模のテーマパークにしては少ないような。そして、あまりフレンドリーではない。もちろん最低限の丁寧さはあるが、あくまでも義務的。張り付いたような作り笑いが、板についてなさすぎの人も多い、特に男性。九州男児にお世辞笑いは難度が高いのか?(笑)九州というところは、個人レベルでやっている小規模な店だと個性的な人が多く、客あしらいがうまいと感心させられることが多いのだが、どうも大規模、そして一般的には「一流」と思われている場所に来ると、サービスがダメになる。いや、ダメと言ったら明らかに言いすぎなのだが、資本の大きな商業施設で働くスタッフには、東京のようなスマートさはなく、洗練された感じもなく、といって街の小規模店のような「頑張り」も感じない。ハウステンボス、案外現場スタッフの待遇は悪いのだろうか? まあ、時期もあるかもしれない。1年に何度もない大混雑の日だから。これは夜の観覧車から撮った写真。午前2時まで観覧車が動いてるなんて、凄いなあ。しかし、古いデジカメで撮った写真では、やはり現場の雰囲気は伝わらない。こちらの宣伝動画でどうぞ。お金をかけて、うまく撮っている。開業以来赤字続きて、テーマパークの大いなる失敗の見本のように言われていたハウステンボスを復活させたのはH.I.Sの澤田社長。こうした宣伝の巧みさが、復活の原動力になったことは間違いない。実際のイルミネーションも、規模といい、デザインといい圧倒的で息をのむ。人的サービスには若干手抜き感はあるが、そこまで追求しないことがかえって利益を生むのかもしれない。どこにお金をかけるか、そのポイントがうまい。理想は追求せずに、だが人の求めるもの、期待を上回るものは提供する。そんな企業姿勢を感じた。昔、新宿の都庁へ向かう道の途中(とても不便な場所だった)にあったH.I.Sに格安航空チケットを買いにいった日のことも思い出した。シケた事務所で、一度はうっかり通り過ぎてしまった。狭い階段をあがり、雑然とした事務所でチケットを買った。大手の旅行会社に比べると対応したスタッフもまるで素人だった。だが、安い航空券が欲しかったので、そんなことはどうでもよかった。だんだん同じようなサービスをする旅行会社も増え、H.I.Sでは買わなくなったが、あの会社を作った社長が、こんな大規模な仕事をすることになるとは。それでもどこかからの「使い回し」アトラクションなどを見ると、やっぱりH.I.Sだなあ。安く「仕入れ」たのね、などと思って一人でニヤニヤしてしまった。真夜中になって花火を見るために移動した。椅子席のチケットを買って行ったのだが、席にはわりと余裕があった。寒空の下、ステージでアーティストが盛り上げようと頑張って歌ったり喋ったりしているのを遠くに聞き、日付が変わるころ、花火がスタート。カウントダウン花火の夜は帰りの道路が大渋滞になる(つまり、それだけ人が来る)と聞いていたので、もっとお祭り騒ぎの凄いことになるのかと思ったが、お客さんはお行儀がよかった。会場も広いせいか、大迫力というほどでもない。まあ、テーマパークの花火だから、こんなものかな、という感じ。関東圏の有名花火大会と比べてはいけなかった。花火が終了すると皆いっせいに帰る。だが、実は花火の後のほうが、アトラクションは空いているのだ。夕方ホテルで休んだが、ほぼ1日遊んでいたから、とても午前2時まで体力がもたなかったが、夜もっと遅くに来て、花火終了後に粘って遊べばよかった。そんなに何度も来ることはないだろうし、どうせならとイルミと花火を両方楽しめる大晦日を選んだのだが、この混雑と値段の高さを考えると、中途半端な11月ぐらいにイルミネーションだけ見に来たほうがゆったり安く楽しめるかもしれない。というのは、花火を見たから言えることで、見ていなかったら心残りだったかもしれないが。
2015.02.11
年末のカウントダウンをハウステンボスで迎えたMizumizu。カウントダウンのお祭り騒ぎはニューヨークでこりて、以来あまり賑やかなところには行かなかったのだが、ハウステンボスのイルミネーションのCMを見て興味を引かれ(笑)、31日はカウントダウン花火もあがるというので、全部一度で楽しめる31日を選んで行ってみた。結論から言うと、予想以上に楽しめたのだが、それでもハウステンボスでの年越しは1度でいいかなという印象。で、今日は宿泊したフォレストヴィラについて、今後行くかもしれない方への参考になりそうな実務情報をレポしようと思う。フォレストヴィラはハウステンボスの他の場内ホテルと違い、2階建てのテラスハウスになっていて、大人数で泊まるのに適したホテルになっている。定員は5名までで、今回Mizumizuご一行は5人で1棟を借りるカタチで宿泊。年末ということもあって宿泊費は高く、食事なしで5人で税・サービス料コミで9万円ポッキリ。ベッドが4台しかないので、エキストラベッドが1台入る。が…このエキストラベッドの「貧相ぶり」には衝撃を受けた。一応、一人アタマ素泊まり1万8000円といったら、いくらハイシーズンプライスとはいえ「高級ホテル」の値段だと言っていいのでは?エキストラベッドに寝る人間だって、同じく1万8000円を払っていることになる。なのにそのベッドときたら…! ハリガネのように細く、したがってギシギシうるさいスプリングに、へたれまくって凹の字に変形したマットレスがのっている。そこらのビジネスホテルのエキストラベッドでも、ここまで安っぽいお品は珍しいのではないだろうか。自分たちがゲストからいくら取ってるか、その感覚がないのだろうか。あるいは、ローシーズンはとても安いから、こんなものでいいと思ってるのだろうか。サービスを提供する側の感覚が理解できないが、一応それなりのホテルのつもりで来たMizumizuには、信じられないクオリティのベッドだった。今回はどうにもならないから、今後のゲストのためにもせめてマットレスぐらいは、新しいヘタレていないものを入れて欲しい旨、クレームしたのだが…まぁ、日本人によくある、「申し訳ございません。今後はこのようなことがないように…」「貴重なご意見をありがとうございました」というマニュアル通りの答えが返ってきただけなので、おそらく頭下げてやり過ごしたら、あとはほったらかしだろうな。他の普通のベッドとあまりに違う、あのザ・ヘタレ・エキストラベッドに、これまで誰も怒らなかったなんてありえないと思うのだ。エキストラベッドには驚かされたが、清掃は予想以上に行き届いていて、快適だった。内装は高級感を出したものではなく、ちょっとした別荘にお呼ばれした気分が味わえるもの。ざっくり言ってしまえば、住宅展示場にある一般家庭向け輸入住宅のモデルハウス風という感じ。窓から見える風景は、ホームページ通りで、冬だから緑は少なく花も咲いていないが、全体的にきちんと手入れしている。敷地が広いテーマパーク&ホテルだから、これは立派だと思った点。冷蔵庫も2つあり、グラスやカップも数種類ある。ハウステンボスでワインやチーズを買ってリビングでワイワイやると楽しいような設備だが、本格的な食事は部屋ではご遠慮くださいと言った感じ。これで長期滞在させたいらしいが、正直言って、それは無理というもの。ハコはいいし、風景もきれいだが、いくら別荘風といっても、ろくなキッチンもなく、周囲にお手軽に食べれるレストランもないようなところに長期で泊まれるワケがない。調理して部屋を汚されたくないけど、長期で泊まってお金「は」落として欲しいなんて、ちょっと虫のよすぎる話だ。ここは、自分たちに都合のいいようにオペレーションしているホテルで、午後3時のチェックイン・スタート時間からさほどズレない時間帯にチェックインしてハウステンボス「だけ」で1日遊び、場内のレストランや無料ゾーンの露店で「だけ」食事をするなら不自由がないようにできている。だが、ちょっとイレギュラーな行動をとると、とたんに非常な不便に突き当たることになる。その元凶は、駐車場があまりに遠いこと。ハウステンボスに行ったことのない方にはわかりにくいのだが、フォレストヴィラはハウステンボスの端にあり、駐車場はハウステンボスをはさんで反対側の端にある。宿泊する場合は、まずはハウステンボス入口近くにある駐車場に車を泊めて、入国ゲートのそばの場内ホテル宿泊者用カウンターという小屋(笑)で手続きをし、そこからバスで送迎してもらう。ハウステンボス内をまっすぐ突っ切っていけば、10分ぐらいで歩ける距離なのだが、ハウステンボス外の道は大きく迂回しており、とても徒歩では行けない距離になる。フォレストヴィラに宿泊する場合は、場内ホテル宿泊者用カウンター手続きをしたあと、バスに乗り、迂回路を揺られてフォレストヴィラのフロントで降り、そこで正式なチェックインをしてフォレストヴィラを回っている小さなバスで各自のコテージまで送迎をしてもらう…と、とてもややこしい。何も知らないでウッカリ広い駐車場にまずは車を泊めてしまうと、場内ホテル宿泊者用カウンターまで荷物をもって行くだけでかなり歩くハメになる。だから、ホテルに持ち込む荷物はあらかじめ全部まとめておいて、駐車する前にカウンターのある小屋の前で荷物とドライバー以外の人間をおろし、手続きをすませている間にドライバーが駐車をして小屋に来るような段取りにしておいたほうがいい。午後7時までは1時間に数回、場内ホテル宿泊者用カウンターとフォレストヴィラ・フロント間のバスが連絡しているのだが、午後7時以降はこの連絡バスがなくなってしまう。これがまたガンだ。予定よりチェックインが遅くなったり、車で場外に出ていて午後7時以降に戻ってくる場合などは、場内ホテル宿泊者用カウンターでバスを頼むことになるのだが、このバスがすぐ来ないのだ。下手をすると2~30分待たされることになる。荷物がなくハウステンボスのチケットをもっているなら徒歩で園内を突っ切っていけばいいのだが、荷物が重かったり、その夜の入園チケットをもっていない人は、ここで延々と待たなければならない。たとえば、フォレストヴィラに入りました。ひと段落して、さてガイドブックでも見るか…「あ、車の中に忘れた!」なんてこと、ありますよね? そういうときに上記のようなめんどくさーいことになるというわけ。午後7時以降は、駐車場に行って戻ってくるだけで、1時間半(笑)見ておいたほうがいい。このへんが高級ホテルにあるまじき不便さだと思う。ゲストの都合に合わせて、コール1本でバギーが部屋の前まで来てくれるのが高級ホテルだと思ってるMizumizuは…ハイ、心を入れ替えます。しかし、大勢のゲストをさばき、園内をきれいに保つだけでも大変だし、基本テーマパークで遊ぶためのホテルなので、こういう不便さは仕方ないかなとも思う。宿泊される方はくれぐれも車内に忘れ物をしないように(笑)。また、コンビニのような、ちょっとした店も宿泊者用カウンターのほうにしかないし、フォレストヴィラの冷蔵庫には何も入っていないから、好みのコールドドリンクなどもフォレストヴィラに入る前に買っておいたほうがいい。日常的なものを買い足すのが大変な場所だ。ただ、部屋にはインスタントコーヒーやティーバックの紅茶やお茶はかなりある。湯沸しポットも当然ながら、ある。急に天気が変わったときなどは、フロントに言えば傘を貸してくれる。そうそう、もう1つ。ハウステンボスに入園して駐車場に抜けようとすると、「再入場は1回限り」などと書かれていてとまどう。スタッフも周囲にいないから聞くこともできない。どうも実際には、フォレストヴィラ宿泊者は何度でも入園可能のようなのだが、「チェックアウトする日」に遊ぶ場合は何回再入場できるのだろう?。よくわからないので、不安な方は事前に聞いてくださいね。要はオペレーションする側に都合のいいようにルールが決められているということだ。12月30日にフォレストヴィラに宿泊するゲストは31日の入園チケットを買うのが義務になる、なんてルールもある。31日に入園するなら31日に泊まったほうがいいに決まっているが、31日の場内ホテルはだいぶ前から埋まってしまって予約が取れない。何か月も前に予約しようとしたのに31日はいっぱいだった…なんて場合は、むしろ12月に入って、キャンセルチャージがかかってくる直前に出るキャンセルを狙ったほうが確率が高いかもしれない。12月末のウルトラハイシーズンの手前勝手ルールは、人気があるので仕方ないだろう。人気が出れば値段は高騰するし、オペレーションする側があれこれルールを作ってくるのも資本主義社会のならいというもの。納得できないなら来なければいいだけの話だ。ただ、いつ泊まるにせよ、フォレストヴィラは駐車場が遠すぎて、気軽に車に戻れない。これがガンだということ。この不便さをあらかじめ理解して対処しておけば、楽しく快適な時間が過ごせると思う。蛇足だが年末は、園内がとても賑やかで音楽も深夜まで鳴り響いている。ハーバータウン側にあるフォレストヴィラに泊まったせいか、池側の寝室は静かだったが、ハーバータウン側の部屋は夜遅くまで音がかなり聞こえてきた。壁や窓は案外安普請だということか(笑)。夜の音に敏感な人はハーバータウンから離れたコテージを指定するといいかもしれない。
2015.01.02
アメリカではカールスバッド、イタリアではカステラーナ。前者は世界自然遺産で、後者はヨーロッパでも有数の鍾乳洞。海外では、この2つの素晴らしい鍾乳洞に行ったことのあるMizumizu。カールスバッドでは、その洞窟空間の巨大さとその中に広がる多彩な鍾乳石の世界に圧倒されたし、カステラーナでは、白く輝く鍾乳石のこの世のものとは思えない美しさに感激した。日本では山口の秋芳洞。ぽっかりと空いた洞窟の入り口で人々を待ち受ける百枚皿を初めて見たときの驚きは、今も覚えている。臼杵の風連鍾乳洞は規模は小さいものの、鍾乳石の繊細な美しさでは秋芳洞を凌ぐという人もいて、行ってみたいと思いつつ、なかなか足を伸ばさないままでいた。今回ついに訪問。臼杵市内からは少し距離があるが、夏はわりに朝早くから開くので、2日目の金明孟宗竹を見たあとに組み入れた。しかし、夏期の営業時間、ネットでは朝8時となっていたが、臼杵市内で入手したパンフレットでは9時になっている。電話で確認したら、8時半からだという。ちょうど8時半過ぎに着いた。明るい緑がしたたってくるような山の中にある。天候に恵まれた早朝だったので、空気は際立って清々しく気持ちがよかった。秋芳洞ほど観光地・観光地しておらず、こじんまりとしている。洞窟入り口に隣接する施設(お土産など売っている)は非常に古く、昭和40年代という雰囲気。チケット売り場の横に、古いがカワイイ絵地図を見つけて、パチリ。地元の青年団がこの鍾乳洞を発見したときの探検口が、現在の入り口の横にある。人ひとり通れるかどうかの小さい穴だった。入り口から続く通路は、鍾乳洞とは思えない。ただの坑道のよう。だが、これが逆に探検の雰囲気を盛り上げる。徐々につらら石、石筍などの鍾乳石が現れるが、通路は狭いまま。だが、その通路の狭さが、最後に「竜宮城」と名付けられた、ドーム型の空間に出たときの感動を演出することになる。この最後の空間は、実に素晴らしい。天井からは無数のつらら石が垂れ下がり 白く輝く鍾乳石も。 そして、気の遠くなるような時間をかけて作られた石柱も。ヘリクタイトという、側方に向かって結晶が成長する珍しい鍾乳石があるとかで、看板もあったのだが、目視ではよくわからなかった。 上からのつらら石と下からの石筍がドッキングしたこの鍾乳石(写真左)は、高さが7メートルにもなるとか。ちなみに石筍が1センチ成長するのにかかる時間は100~130年だそう。神秘的な造形に彩られたドーム型の地中空間は、間違いなく一見の価値がある。見上げても、見回しても、新鮮な驚きが。洞窟という制限された空間ゆえに、閉じ込められたような息苦しさもあり、そのなかに広がる無限とも見えるような造形美の間で、眩暈のような感動が胸を満たす。階段がしつらえてあって、そこをのぼれば、より近くから鍾乳石を鑑賞できる。下から見上げて、空間の広がりを楽しむのもよし、階段をのぼって、細部の造形を間近に見るのもよし。残念ながら写真では、風連鍾乳洞の有機的な空間美が伝わらない。出来上がった写真を見るとそれが残念に思え、逆にあの空間の中にまた立ってみたいという憧憬が掻き立てられもする。また行きたい、風連鍾乳洞。そして、まだ見たことのない沖縄の玉泉洞にも行きたくなった。風連鍾乳洞にも玉泉洞にも愛媛の山内浩氏の名前が見える。ケーブに並々ならぬ関心と情熱をもった、優秀な先人のおかげで、私たちは今こんなふうに楽しんでいる。
2014.06.24
臼杵市内で一泊し、翌朝は早朝に出発。金明孟宗竹(きんめいもうそうだけ)と風連鍾乳洞を見て、稲積水中鍾乳洞、祝子川渓谷を周り、夜は延岡にというスケジュールを立てた。風連鍾乳洞の近くの金明孟宗竹自生地区をルートに入れたのは、ほんの気まぐれだった。金明孟宗竹というのは、「黄金の竹」とも言われる孟宗竹の突然変異。「大分県臼杵市野津町大字王子岩瀬」というのが自生区の住所。ナビに案内されて田畑の中の駐車場に車を停める。金明孟宗竹を見に行くと自動的に(?)見ることになる重文の石塔を見て…まあ、この由来に興味のある人は自分で調べてください。ちゃんと自生地区に行けるかな? と少し心配だったのだが、案内板もあって、場所はすぐにわかった。早朝で人はいなかったが、きれいに手入れされた田畑がこの山里に住む人の勤勉さを伺わせた。金明孟宗竹についての看板も設置されていて、説明は非常にわかりやすい。説明文によれば、この突然変異の竹は西日本に多いという。金明孟宗竹には「キンメイチク型」と「縦じま型」の2種類の縞模様があるのだが、ここ臼杵のように双方が同じ場所に自生しているのは非常に珍しいのだとか。こんもりとした竹林に足を踏み入れると、そこはもう「かぐや姫」の世界。想像以上に縞模様がくっきりと鮮明で、これが自然のものとは信じられないほど。まるで人工的に描いたようだ。かぐや姫のいた黄金に輝く竹というのは、完全なる空想ではなく、昔からこのような突然変異の竹があり、そこから着想を得たのではないだろうか。そういえば、「真名野長者伝説」でも臼杵には「黄金のもの」がたくさんあり、淵には黄金の亀がいたとある。金明孟宗竹がこの地に生えたというのも、臼杵の黄金伝説と無縁でないのかもしれない。確かに、2種類の縞模様の竹が仲良く並んでいる。左が縦じま型。右がキンメイチク型。筍から竹に変身するときには、すでに綺麗な模様ができている。自生区はよく手入れされている。早朝の初夏の空気は清々しい。風のわたる音と、鳥の声だけが聞こえる。周囲を取り囲むのは、見たこともない実に見事な模様をまとった竹、竹、竹… まるで相談でもしたかのように、まとまって生えている。想像以上に不思議で、美しい竹だった。さほど広くはない空間だが、ここだけが魔法にかかったよう。先に進むとたちまち魔法は解け、竹林は普通の緑の竹に変わる、引き返せば人の気配ただよう山里の田畑にすぐに戻れる。磨崖仏と鍾乳洞という、臼杵で名高い造形美にこの色彩美を加えて、「臼杵の三大美」と呼んだらどうだろう。辺鄙な場所だが、磨崖仏から鍾乳洞へ行く途中にあって寄りやすい。臼杵に行くなら是非お立ち寄りを。ところで、駐車場で野外のトイレに寄ったのだが、清掃が行き届いているのに驚いた。タンクの上に造花まで飾ってある。顔も知らない、この山里の誰かの「おもてなし」の心に触れた気がした。まだあまり人が来ないから、逆にきれいに保たれているのかもしれない。この美しい竹が今よりもっと有名になり、多くの人が訪れるようになっても、掃除してくださる土地の人たちの心遣いに応えるように使ってほしいもの。
2014.06.20
別府が「壁」になって、臼杵まで足をのばそうと思えないでいたのには、臼杵の温泉事情もある。臼杵は元来、温泉のない街だ。唯一の天然温泉が臼杵石仏のそばにある「薬師の湯」。だが、「地下1,300mから湧き出ています」という説明書きを読めば察しがつくとおり、わざわざ深く掘って温泉水を汲み上げているわけで、放っておいても湧き出てくる他の九州の有名な温泉地とは、事情が違う。それでも温泉は温泉。夜になって行ってみた。施設・設備はまだ新しく、値段のわりにはきれい。露天も解放感がある。混んではいたが、お客は皆礼儀正しく、常に他人の迷惑にならないか気を使っているようだった。地元民らしい子供連れも多かったのだが、こちらの進行方向に自分の子供がいたりすると、すぐに叱って通るスペースを開けさせる。公共の場での子供のしつけに非常に厳しい。あるいは、少なくとも、「自分は厳しくしている」ということを親が他人に見せている。その徹底ぶりに少し驚き、「そういえば、昔はこうだったよなあ、日本って」と思いつつ、「子供なんだから、ちょっとぐらい周りに迷惑かけるのは当たり前なの!」みたいに子供を野放しにするヤンママが増えてしまった大都会の事情を思って、嘆かわしい気持ちにもなった。こういう自分中心の態度はヤンママに限らない。人にスペースを譲るどころか、自分の歩く方向に人がいてぶつかったら、ぶつかった自分ではなくそこにいた相手が悪いというような顔をして、相手が自分より弱い女子供だと見るや、すかさず怒鳴りつけるようなオヤジもいる。電車にのれば、肘をつかって人を押しのけ、自分のスペースを確保するの当たり前だし、小さな子供をもつ親は総じて、自分の子供が迷惑行為をするかどうかより、見ず知らずの他人が自分の子供に危害でも加えないかと警戒している。そんな人に慣れてしまった東京人としては、何かと「あっ、すいません」「あっ、すいません」とよけられると(なんという伊香保との違い…)、「いえ、なにも謝ることはないんです。わざわざどかなくていいんです。脇を通りますんで」とでも言いたくなる。それでいて、相手に堅苦しさをを感じさせないのが九州人の不思議なところ。露天からは、星がきれいに見えた。聞きなれない方言を聞きながら、ゆったりとリラックスするMizumizu。鏡と手洗いシンクに有田製の絵付けが使われていた。文化の裾野の広さというのは、こういうところに出る。更衣室の隅のこんな場所をスマホで撮ってるMizumizuに、不思議そうな目を向ける地元民。喜楽庵でも、トイレの手洗いシンクに、エビと蕪、つまり喜楽庵の得意とする海と畑の幸の絵付けがあった。ブルー一色で濃淡を使って甲殻類と野菜の特徴を表現しており、並々ならぬ力量を感じさせるものだった。おそらくは一級の職人の手描きだっただろう。絵の流儀は有田のもののように思えた。過去の優れた文化遺産、古い街並み、美味しい食事…いい街だった。また1つ、九州で好きな街ができた1日になった。
2014.06.16
喜楽庵の至福の夕食は続く。えんどう豆の汁もの、アワビ入り。豆のほんのりとした甘さがいい。アワビはコリコリしているイメージがあるが、ここでは意外にも柔らかだった。和風ポタージュは、西洋のそれのようにぼってりと重くなく、それでいて味わいは深い。この腕前には、「う~ん」と、唸ってしまう。お造りは、タイ、伊勢海老、ウニ。醤油はもちろん、九州の少しどろっとした甘味のある醤油。やっぱり刺身には、九州の醤油だよなあ…。このコクが生の魚の身と絡み合い、絶妙のハーモニーに。唯一、ウニだけは、本州・九州・四国のどこで食べても北海道を凌駕できないが。そして、出ました。「夏のフグ」こと、オコゼの刺身。オコゼの刺身は初めて食べたが、淡白な味わいの中に、甘さがあり、柔らかさの中に歯ごたえも感じる不思議な食感。素晴らしいでしょう。オコゼは、古来「山の神」が好むという逸話がある。ただ、それは味ではなく、外見に理由がある。山の神は女でしかも醜いため、自分より醜いオコゼを見ると喜ぶのだという。…絶句。とことん、女性をバカにした作り話だ。最近はもうこんな話を知っている人も少なくなったが、山の神にオコゼを奉納して、山の幸を手に入れたり、ご利益を得た話が、九州の日向地方や和歌山県南部に伝わっているという。関東ではあまり馴染みのある魚ではないが、太平洋に面した九州の東部から同じく太平洋に面した紀伊半島にかけて、わりあい身近な魚だということだろう。こちらが絶品のタイの縁側。骨が綺麗に突き出している見かけは、むしろ「骨付きラムの香草焼き」の思い起こさせた。切り分ける前のブロックがこんな感じだ。食してみれば、またもこれが信じられないほどの逸品。身は、骨に近づくにしたがって違った味わいを呈する。ゼラチン質のようなぷくぷくとした味わいが、しっかりとした肉厚の身の中に隠れていて、脂と肉本体がえもいわれぬ味覚を生み出す。味付けは、やはり九州らしく甘味に寄った甘辛。最高に好みに合っている。テーブルで小躍りして喜ぶMizumizu。揚げ物は、アワビ。小鹿田焼(おんたやき)の皿に、貝殻の器がのり、そのうえにアワビと鮮やかなパプリカを配している。色彩感覚も素晴らしい逸品(写真は色が悪い・・・残念)。味ももちろん秀逸。見た目で一瞬「シイタケの天ぷら?」などと思ってしまった。食べてみたら、アワビだった(笑)。やはり、とても柔らかい。柔らかいのだが、締まっている。日本人の言う「美味い」は「甘い」とかつてほぼ同義だったという説があるが、なんとなく納得する。豆も、アワビもオコゼも、みなそれぞれに違った甘さがあり、それが「美味い」と思う。素材のもつ繊細な甘さを舌が見つけ出す。これがまさしく、「美味しい」瞬間。ご飯が出てきて、またも九州米の美味しさにノックアウトされた気分。味噌汁は、骨付きのオコゼが入っている。出汁は(あの見かけのオコゼからは想像もできないくらい)、上品。骨付きの魚は、注意して食べないと危ないのだが、タイの縁側同様、骨に近づくにしたがって、食感が変わり、その変化があまりに素晴らしく、舐めるように食べた(笑)。考えてみれば、フランスではジビエといって野生の鳥獣の肉を食べる。肉質のよくなる秋がジビエの旬だ。他のヨーロッパ諸国でも同様の食文化がある。日本ではこうして旬の魚を採って食べる。ヨーロッパでは骨付きの肉を好んでメインディッシュに出す。こんがりと焼いた皮から、骨に近い部位までの食感の変化を楽しませる。臼杵で出された骨付きのタイもオコゼも、発想は同じだと気付く。メインになるのが肉か魚かという違いはあるが、東も西も、洗練された食文化は同じ着目点をもっている。骨付きの魚の味わいを堪能できる舌をもって大人になれる日本人は、幸せだと思う。デザートにはヤッパリ、あの昼食べた和菓子が出た。これはまったく同じ味だった。果物は、ふつう。最後のあたりで仲居さんから、「どなたのご紹介で?」と聞かれたので、「ネットで。評判がいいので」と答えると、驚いた様子だった。地元の常連の紹介で来るのが普通な店なのだろう。臼杵は全国から観光客を集めるに足る観光資源をもっている。ここの魚もその一翼を担うにふさわしい。そして喜楽庵は、ヨーロッパのミシュラン星付きレストランにも決して引けを取らない。「ヨソモノ」が増えても、「地元で揚がった旬の魚」を中心に、その日にメニューを組み立てる姿勢は、かわらずにいてほしいもの。ローカルに徹することで、グローバルな知名度をもつ店に匹敵するクオリティを維持することができるはず。
2014.06.13
臼杵は漁業のさかんな街。有名な関サバは、フランクトンが豊富で潮流の速い豊予海峡で捕獲され、大分市の佐賀関で水揚げされるサバを言うが、その佐賀関は、臼杵から見ると半島の反対側。地理的に極めて近い。豊予海峡が古来、速吸之門(はやすいなと)と呼ばれていたことはすでに書いたが、日本書紀では、東征に向かった神武天皇が、ここで「一人の海人(あま)」に会っている。神武天皇に「お前は誰か」と聞かれると、海人は、「土着の神で、珍彦(うずひこ)と申します。曲(わだ)の浦に釣りにきており、天神(あまつかみ)の御子がおいでになると聞いて、特にお迎えに参りました」と答える。そして神武の水先案内を務め、その子孫は天皇家に近く仕えることになる。豊予海峡が昔からよい漁場だったことがわかるエピソードだ。そして、このあたりの勢力が、古来から天皇家と密接に結びついていたことも。こうした場所に近い臼杵の魚が美味しくないわけがない。そして、よき素材・長き歴史あるところには、美食文化が根付いている。ミシュランで星を獲得した「臼杵ふぐ山田屋」はここが本家。だが、ミシュランで星を取るとお客が殺到して、味とサービスが落ちる傾向が。地方の「名店」は、特に大都市圏からの観光客の増えるシーズンは最悪なことになる。そこで、ネットでほかの料亭を探し、「喜楽庵」に行き当たった。ネットでの口コミもいいし、佇まいも歴史を感じさせる。山田屋のように「支店」がなく、地元密着の姿勢が好感がもてた。電話で予約して、料理の相談をする。フグは季節がら天然物はないが、希望があれば、養殖を出すという。高級店・名店での「偽装」がはびこる世の中。きちんと「天然」「養殖」を分けて説明してくれることに、当たり前といえばそうなのだが、安心感を覚えた。この時期は、オコゼが揚がるとかで、オコゼを薦められる。オコゼかあ… 「夏のフグ」とも呼ばれる魚だが、実はあまりピンとこない。高級魚と言われても、そうですか? ぐらいだ。オコゼは鮮度で値段が違うと言ってもいい。外見がごついうえ(こちら)に毒もあり、さばくのが難しい魚だ。あまり食べたことがないのだが、この際、料亭のお薦めどおりにしてみることにした。嗜好が細分化し、外食産業のすそ野が広がるにしたがって、視野の狭い、主観的な「コストパフォーマンス」でしかお店を見ないお客が増えてしまった。お金を払うのは確かにお客で、それはそれで敬意を払われるべきだが、逆に料理を供する相手に対する敬意も大切だろう。元来、料理人のほうが素材の美味さはわかっている。味覚が優れていなければ、プロの料理人としてやってはいけない。腕の立つ料理人がいいと言うものを食べてみて、どこがいいのかを食べるほうが考える…そういう態度が、もうちょっとお客のほうにも必要ではないかと思うこともしばしば。あとは、伊勢海老がお薦めだとのこと。伊勢海老は5月に入ると禁漁期に入るところも多いが、臼杵の伊勢海老の漁期は長い。ただ、その日に揚がるものによって内容が変わる可能性があるという。「絶対に出す」と確約しない姿勢に、逆にまた好感を覚える。内容は変わるが、値段はあらかじめ決めておく。7000円ぐらいから用意できるというが、だいたい一般的な1人1万円(サービス10%、税は別)でお任せにすることにした。あまり混まない、早めの時間で予約。臼杵の観光を終え、時間通りに伺う。緑あふれる門から入り、古いが、よく手入れされた玄関を開けると3人分のスリッパがきちんと並べられていた。椅子席を希望していて、テーブルのある個室へ通される。明らかに「ヨソモノ」のMizumizu一行に、仲居さんは、どういったタイミングで食事を出すべきなのか、若干とまどっているようでもあった。まずは、にぎやかな海の幸・山の幸のハーモニー。黒豆、ごま豆腐、クルマエビの焼き物、鴨肉。さりげなく、昼に食べた、「クジラの背に似せた」和菓子もついていた(笑)。しかし、微妙に違う気もしたのは、気のせいか?特に甘辛く味付けたクルマエビの焼き物が気に入るMizumizu+Mizumizu母。さすがに九州の味付けだけあって、甘い。関西より甘い。関東とは…正直、Mizumizuは、関東の和食は嫌いなのだ。西に比べると、ずいぶんと田舎っぽく尖った味だ。「歴史と伝統」の差が、東と西の和食にある気がする。<続く>
2014.06.12
城下町・臼杵の風情を求めて、八町大路から二王座歴史の道を歩いてみた。八町大路で、ふとこんな店に目が留まる。昔からある店のよう。もともとは布屋のようだが、自作の服を所狭しと並べ、しかも…作った店主の方は、なんと84歳だとか。布屋だけあって、使ってある生地はなかなか。入って話を聞いたら、80歳を超えてから裁縫を始めたという。そのポジティブなバイタリティに感服。値段はめちゃ安。試着させてもらうと、布の肌触りが昔風で、気持ちいい。なんとなく、お祖母さんに縫ってもらったものを着ている気分になり一着購入。オンリーワンの臼杵の思い出になった。二王座歴史の道には、寺と武家屋敷。石畳、しっくいの壁、灰色の和瓦。風情のある道だが、閑散としていて、あまり歩いている人もいない。GWなのに(苦笑)。唯一人が集まっていたのが、ココ。茶房・長屋門。江戸時代は稲葉家分家の門だったとか。ここも稲葉家のレガシーか。きれいな庭を見ながらお茶ができるよう。食べた方のブログは、こちら。古びた落ち着いた雰囲気もいい。さきほど稲葉家下屋敷のほうでお茶をしたので寄らなかったが、次回もし臼杵に来たら、ゆっくりしてみたい店。
2014.06.11
臼杵石仏を堪能したあとは、臼杵市内に入って城下町を散策。まずは稲葉家下屋敷へ。1600年から270年にわたって臼杵を統治した稲葉家。廃藩置県にともなって東京へ移住したのだが、その際に臼杵での滞在所として建てられた。今残る建築は近代のものだというが、武家屋敷の様式を色濃く残している。屋敷本体から見る、手入れの行き届いた庭園が気持ちいい。わたる風もさわやかだった。ここにはカフェ(茶房・下屋敷)が併設されており、希望があれば、庭園を見ながらの飲食も可能だというので、上の写真のように庭を間近に見ることのできる「御居間」でいただくことに。ペリエで割る粋なカボスジュース。花形の器にたっぷり盛られた、季節ものだという苺のアイス。このアイスがまた、めっぽういい味だ。生の苺のつぶつぶ感もあり、アイスそのものも上品で丁寧な手作りの味。ここのスイーツは、地元の料亭・喜楽庵が提供しているとか。なるほど、納得。季節の和菓子。黒っぽく見えるのはクジラの背中に見立てたものだとのこと。こちらも非常に丁寧に作られている。自然な甘さと、素材感のある食感。本来の苦味がしっかり生きているアイス抹茶でいただく。GWとはいえさほど混んでおらず、庭を独り占めにしながら、ゆったりとスイーツに舌鼓を打つMizumizu一行。Mizumizu+Mizumizu母は、こういう時間がことのほか好き。団体旅行や慌ただしい観光旅行ではできない贅沢な時間。そばにひと手間かけた、一味違うお菓子があると、時間はさらに贅沢なものになる。し・か・し…実は、夜はこの料亭を予約してあるのだ(苦笑)。もしかして、デザートに同じアイスか和菓子が出るのでは…ま、でも美味しいから2度食べてもいいよね、ということで強引にまとめる。このカフェで少々驚いたのは、お店の人の目の届かない場所で飲食していいと言いつつ、しかも代金が当たり前のように後払いだったことだ。そんなにお客を信頼していいのですか?食べるたけ食べてコッソリ出て行こうと思えば、いくらでもできそうだ。庭を見ながら待っていると、当たり前のようにお盆にのせて、うやうやしく運んでくれる。ほんの一瞬だが、この屋敷の主の気分を味わえる贅沢。東京のこじゃれた有名店で、当たり前のように「食べる前に払い」「自分で席に運ぶ」ことに慣れてきているMizumizuとしては、ここ臼杵・稲葉家下屋敷のカフェの、正反対の当たり前に恐縮してしまった。食べ終わったあとは、もちろん自分たちでお盆をカフェに戻す。別に言われなくても、そうしようと思う。管理の行き届いた気持ちのいい空間に、食べ終わったものを残しておく気にはなれない。こうしたお互いに対する敬意と礼儀が、日本の良さだと改めて思う。庭園を通って、旧平井家住宅も一応見学。上級武士の住宅だというが、総じて質素。この居室は、簡素な空間の中の「円と四角の視覚的効果」が面白かったので撮ってみた。
2014.06.10
臼杵の石仏見学のガイド氏が、最後のあたりでこんな伝説を話してくれた。「昔、顔に醜いできもののできた都の玉津姫が、夢のお告げにしたがってこの地へやってきて、臼杵の水で顔を洗ったところ、きれいに治った。そして炭焼きで生計を立てていた小五郎青年と夫婦になり、のちに青年は長者となった」。記憶ベースなので、ガイド氏が語った話と多少違うかもしれない。この伝説は、大分県に伝わる「真名野長者伝説(まなのちょうじゃでんせつ)」と言い、いくつかバリエーションはあるもののだいたい次のようなストーリーになっており、臼杵磨崖仏の由来を語っている。顔に痣のある都の身分の高い姫(玉津姫)が仏のお告げに従って豊後国深田(臼杵)に来て、貧しい炭焼き小五郎と出会い、金色の亀がいる淵の水で体を清めると痣が治る。2人は結ばれて財をなし、美しい娘ができる。娘は身分を隠して来ていた皇太子時代の用明天皇と結ばれるが、即位した用明天皇を追って都にのぼる途中で亡くなる。姫の死を悲しんだ長者(炭焼き小五郎)が岩崖に仏像を彫らせた。実際には、石仏は12世紀ごろの作だから、6世紀の用明天皇(聖徳太子の父)とは関係がない。だが、大分市坂ノ市にある萬弘寺は用明天皇の病気平癒を祈願して建てられたとされており、同じく用明天皇の病気平癒のために聖徳太子が完成させたという説のある法隆寺と同等の伽藍配置を持っていた可能性が指摘されているから、このあたりには用明天皇につながる「何か」があったのかもしれない。そんな伝説に思いを馳せながら、石仏見学を終えて駐車場に戻ると、「後藤製菓 製造直売所」とデカデカと書かれた店舗の前で、一人の青年が客引きをしていた。パッと見ると、女性顔負けの色白美肌の青年!ちょうど、ここの水で美肌に戻った姫の逸話を聞いたところだったので、玉津姫の生まれ変わりが!とは、さすがに思わなかったが、「臼杵の水は美肌効果があるのか?」などと思ってしまった。店内に入ってみると、この店の臼杵煎餅は、岸朝子選「全国5つ星の手土産」に選ばれたそうではないか。ちょっとばかし…いや、相当、くたびれた本の表紙の写真は、六花亭(北海道)の「マルセイバターサンド」(笑)。六花亭は大好きな店なので、ここ後藤製菓の煎餅も好みに合うかもしれない。試食させてもらったのだが、メインの生姜味の煎餅が今一つ…のような気がした。黒糖味のほうが気に入ったのだが、パッケージのデザインに石仏が使われている生姜味の煎餅を外すわけにはいかない。色白美肌の青年も、客を逃すまじとそばに張り付いて、「生姜が使われているのは、昔この一帯で生姜が取れたので…」などと、熱心に説明してくれる。とても感じがいい。…なんという、伊香保の直売子宝饅頭屋との違い…ということで、両方がミックスされているものを購入。どちらかというと、味より石仏のデザインパッケージに惹かれて買ったというのが正直なところ。で、試食時にはさほどでもなかったこの臼杵煎餅だが、あ~ら、不思議。家に帰って、食べれば食べるほど、だんだんに好きになってきた。特に、最初は違和感のあった生姜味にハマってきた。不思議と飽きがこなかった。むしろ、あればあるだけ食べてしまいそう。食べているうちに思い出したが、この臼杵煎餅、子供のころに誰かにもらったことがある。そのときは、むしろ嫌いで食べなかったはずだ。ものすごく「変な味」だと思った記憶がある。昔嫌いだと思った煎餅が今は好きになった。たいして関心をもたなかった臼杵が、とても興味深い場所になってきた。これも伝説のお姫様の神通力…ではなく、ただ単に加齢による味覚と旅の嗜好の変化だろう。ちなみに、臼杵では、後藤製菓以外の場所では、とびぬけて色白美肌の人には会わなかったのだった。
2014.06.08
本州から高速で臼杵(うすき)に車で行く場合、ナビでは大回りの鳥栖経由を案内されることもあるのだが、Mizumizu一行は、宇佐を通って行く距離的に近いルートを選択。九州の東側は高速がつながっていないので、わかりにくい。途中一車線しかない道もあり、渋滞になると逃げられない。何度も通っている道なのだが、今回は東九州自動車道に入って苅田北九州インターでおりるつもりを、その先に高速がのびていて(2014年3月に苅田北九州空港/行橋間が開通したらしい)、行橋まで行ってしまった。行橋インターは少し内陸に入ったところにあって、おりたあとに本来のるはずだった国道10号線に復帰するのに少し時間を食ってしまう。10号に復帰したあと、椎田道路→(また)10号→宇佐別府道路、日出ジャンクションで別府方面の大分自動車道へ。GW後半連休の初日なので、別府までの渋滞を心配したが、混んだのは宇佐別府道路にのる前の一車線の道。宇佐からはスイスイだった。少し早めに出発した甲斐があった。これがもう少し遅かったら、別府の直前でまた渋滞…なんてこともある。午前中には臼杵に着いて、さっそく向かったのは国宝・臼杵石仏。1995年に国宝に指定された磨崖仏(まがいぶつ)群だ。磨崖仏とは岩壁に直接掘った石仏を言う。九州は磨崖仏で有名だが、臼杵の磨崖仏が価値が高いとされるのは、それがレリーフではなく、丸彫りに近いものであり、全体のフォルムやディテールの表現も優れているからだ。それを可能にしたのは、阿蘇山の大噴火に由来するこのあたりの岩石の性質。溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)は軟らかく、加工しやすい。以前、国東半島の熊野磨崖仏を見に行ったとき、たどりつくまでが大変だったので、臼杵磨崖仏もどんなところにあるのか若干不安だったのだが、行ってみたら、穏やかな陽光の降り注ぐ山里のほとりだった。4群に分かれている磨崖仏だが、間をつなぐ坂もたいして急ではないし、普通に歩くと20分ほどで見学ができる。ガイドも無料でお願いできる。Mizumizu一行は頼んだ。臼杵の磨崖仏は、地元の伝承では用明天皇の時代に作られたとされていたようだが、その後の調査・研究で、平安末期から鎌倉時代にかけての作であることがわかっている。伝説はたいてい、かなり大げさだ。トータルで60体余ある石仏のうち、59体が国宝に指定されている。中国大陸様式の仏像の特徴である、ずんぐりとした体躯の石仏群(向かって右)の横に、朝鮮半島様式の特徴である、首が長くほっそりした顔立ちの石仏群(左)が。大陸様式と半島様式が並んでいる珍しい例。…というようなことを、ガイドが説明してくれます。こんな童子のような仏像も。「山王山石仏」群の中の通称「隠れ地蔵」。綺麗な顔立ちをしている。臼杵で一番の美少年石仏。軟らかい石なので、その分傷みやすい。今は外気に触れる状態になっているが、今後空調設備を入れることが決まってるらしい。野外にあることで、植物(特に苔)の繁殖にともなう仏像へのダメージも相当らしい。そして、これが臼杵石仏群の白眉、古園石仏。このスケールは圧巻だった。さすが、国宝~~ まだそれほど有名じゃないけど、これは凄いな~~と思いつつ、ふっと修復前の写真を見ると…えっ、こんな状態だったんですか?中央の大日如来像の頭部は、さらし首状態だし、他の仏像も傷みが激しく、ほとんど壊れてしまっている。どこまで修復するか、なかんずく大日如来仏頭をそのままにするのか、元来あった位置に戻すのかで激しい論争があったらしいが、戻すことが国宝格上げの条件だと文部省が通達したことで、決着を見たそうだ。「修復派」の根回しが効いたということだろう。国宝指定を決定づけた、修復後の大日如来仏頭(中央)。修復が本当のところ、どこまでオリジナルの姿に近いのか、実は新たな創作になってしまってはいないのか。そうした問題は美術品の修復には常につきまとうが、臼杵石仏の価値を認めた研究者が中心となって、時間をかけて丹念に行った作業のおかげで、国宝のお墨付きをもらい、より多くの人々が「見たい」と思うものになったのは確か。エアコンで温度管理されるようになると保存にはいいが、野外にあるからこそ「磨崖仏」がもつ、荒々しい魅力が薄れてしまうようにも思う。行くなら、今のうちがチャンスかもしれない。まだ、全国的にはそれほど知られてない、国宝・臼杵磨崖仏。
2014.06.06
2014GW後半は、3日の土曜日から6日の火曜日までが連休。そこでまるまる3泊を使って、山口を起点に自家用車での九州旅行を、またも直前に計画するMizumizu。今度は母と弟と。まずは、行きたい場所を考える。九州はよく行くのだが、別府から南には案外足を伸ばせていない。行ったことがあるのがせいぜい阿蘇までで、この2大観光名所が「壁」のようになっていて、それより南は、「また次に」と先延ばしになってしまう。だが、今回は3泊できるから、憧れの神話の町・高千穂についに行こうと決心する。天岩戸や山幸彦/海幸彦の伝説を子供のころ読んで聞かせてもらったMizumizuには、高千穂こそ日本の原点。記紀に見る日本の神話は、スケールが大きく、旧約聖書、北方大陸神話、南方海洋神話との共通点も指摘される興味深い文化遺産だ。天孫降臨神話の瓊瓊杵尊(ニニギのミコト)を導いた猿田毘古(彦)の伝説は、日本の広い範囲に広がっている。バリ島に行ったときは、猿が、その身軽さを生かして神のメッセンジャー役を果たす神話劇を見て、猿田毘古命との共通点を強く感じた。漁をしていて比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれて死ぬという猿田毘古命の最期は、いかにも亜熱帯以南の海の民が考えそうなストーリーだ。そもそも始祖王が山頂に降臨するという伝承は、朝鮮・満州などの大陸神話に広く分布しているという(岡正雄他3氏『日本民族の起源』より)。Mizumizuが抱く長年の疑問は、その地がなぜ、「なぜ、高千穂なのか?」ということだ。天孫が降臨したという山が、具体的にどれなのかは諸説ある。古事記では「竺紫(つくし)の日向の高千穂のくじふるたけ」日本書紀では「日向の襲の高千穂の峯」どちらにも共通する地名が「高千穂」だが、必ずしも今の高千穂町(宮崎県)近辺の峰を指すものではないかもしれない。実際、霧島神宮(鹿児島県)は、天孫降臨の地を神宮の背後にそびえる高千穂峰だと主張する。宮崎県西臼杵郡にある高千穂町よりさらに南だ。古事記によれば、降臨した瓊瓊杵尊は、「此処は韓国(からくに)に向ひ、笠沙(かささ)の御前(みさき)に真来通(まきとお)りて、朝日の直(ただ)さす国、夕日の日照る国なり。かれ、此処はいと吉(よ)き地(ところ)」と言ったらしい。笠沙というのは、鹿児島県の笠沙町にある野間岬(あるいは宮崎県の延岡市の愛宕山だという説もある)。韓国が文字通り朝鮮半島ということになると、朝鮮半島に面していて、笠沙の岬にまっすぐ通じているという、わけのわからない場所になってしまう。一方、日本書紀では、高千穂の峯に降りた瓊瓊杵尊は、「くし日(ひ)の二上(ふたかみ)の天の梯子から」「痩せた不毛の地を丘続きに歩き」「良い国を求めて、吾田(あた)国の長屋の笠狭崎(かささのみさき)に着いた」とある。韓国云々は出てこないが、南九州由来の地名はやっぱり出てくる。瓊瓊杵尊の孫である神武天皇は、127歳まで生きたことになっていて、とてもその存在すべてが史実とは思えない。だが、日本書紀の神武天皇の東征ルート、「速吸之門(豊予海峡)→(筑紫の国の)宇佐→(筑紫の国の)岡水門→安芸国→吉備国→浪速国→河内国」は、非常に具体的だ。宇佐まで北上し、そこからいったん西の岡水門(現在の福岡県遠賀郡芦屋町船頭町)に入って、稲作地帯をおさえて食糧調達をし、そこから本格的に東征に向かった…と考えれば筋が通る。一方、仮に、最近広く信じられている、天皇家のルーツは朝鮮半島にあり、日本を平定しつつ稲作を広めた…というのが本当で、王朝の始祖である神(の末裔)が降臨したという伝説の山は実はもっと北にあり、後の政策上の理由で、それを南部に「移した」としたら、それをわざわざ「日向の高千穂」にした理由は何なのか。天皇家のルーツが半島にあるというのは、Mizumizuにも説得力がある。だが、なぜそこに「高千穂」が関わってくるのかは大きな謎で、飛びついてみたくなる説には会ったことがない。高千穂は単に「高い山」の意味だとして、天孫降臨の地が現在の福岡県の日向峠のあたりだという説もある。天皇家が朝鮮半島から来たと信じるなら、始祖神話の山は半島に近い北九州のあたりにあったほうが納得しやすい。だが、瓊瓊杵尊の孫である神武天皇まで、ずっとそのあたりを統治していたのだとしたら、神武天皇が東征するのに豊予海峡を通り、宇佐へ行ったという日本書紀の記述とは辻褄が合わない。日本書紀の記述が信用できない?たしかに、古事記の方では、神武天皇は「高千穂宮」にいて、「日向を発って筑紫」へ行き、「豊国の宇佐」へ到り、「竺紫(ちくし)の岡田宮」に移り、そこから上って「阿岐(あき)国」から「吉備」。そこからなぜか「速吸之門」に行き、「浪速の渡」に上ったことになっている。豊予海峡が入ってくる位置がおかしい。学術的には日本書紀のほうの記述が正確だと考えるほうが普通だろうが、あるいは日本書紀が何か意図をもって、辻褄合わせを行ったということにしたとしても、日本書紀にはない「高千穂宮」という記述が古事記にはちゃんとあるのだ。ここでは高千穂が「高い山」の意味だとは思えない。高千穂という具体的な地名だろう。こうやって記紀に出てくる地名を見ると、やはり天皇の祖先は南九州にいたか、そうでなくても、非常に深い縁があるとしか思えない。朝鮮半島から来た天皇家の始祖が、北九州からいったん南へ移動したのだろうか(だとしたら何のために)? あるいは南九州にいた勢力が北上して半島から来た勢力と合体したのが天皇家のルーツなのだろうか?「高千穂」は、単純に天皇家のルーツを朝鮮半島にできない「足枷」にもなっている気がする。謎多き神話の里・高千穂。そこが今どんな場所なのか、まだ行ったことがない。楽しみを先延ばしにするように、これまで行かずに取っておいた。写真で名高い高千穂峡も、新緑のシーズンに行くのがベストだろう。…というワケでルートを考える。山口が起点だから、熊本から西へ行く阿蘇経由ルート。あるいは、別府を通り過ぎて延岡方面まで南下し、そこから東へ折れるルート。この2つが車では行きやすそうだ。一番道が簡単なのは、高速で熊本まで行く前者のルートだったのだが、熊本から阿蘇にかけて、ホテルがないないない…GWの10日前からバタバタ探しても、4日の日曜日の宿はそうそう見つかるものではない。ましてメジャーな観光地である熊本・阿蘇では。そこで、別府素通りルートを考えた。別府の南、高千穂の北で、観光してみたい場所を探す。臼杵なんかどうだろう? まだ行ったことがない街だ。国宝の磨崖仏もあるし、美しさでは秋芳洞を凌ぐという風連鍾乳洞もある。港もあって海の幸が美味しい街らしい。3日の土曜日は、まだわりあい宿も空いている。よし、ここでまずは1泊。次はホテルを探しやすそうな延岡で1泊。もっともホテルの予約を取るのが難しいGW後半の日曜日だったが、おあつらえ向きに、Mizumizu母の好むビジネスホテルである「ルートイン」のシングルが3つ空いていた。最後に高千穂で1泊。最終日の6日は南阿蘇を通って、日田まで北上し、日田でうなぎでも食べて、あとは高速で山口へ。というわけで、出発の朝。山口を午前6時半に出た。
2014.06.05
食の宝庫、九州。旅先でまた、驚くような調味料に出会った。まるはらの鮎魚醤がそれ。日本や世界を代表する料理人が目を輝かせたこの一振り!【送料無料】まるはらの鮎魚醤(あゆぎょしょう) 200ml×3★全品ポイント10倍!(P10倍)★★総額5250円以上で送料無料★【15dw11】激安祭【smtb-s】タイ好きのMizumizuにとって魚醤といえばナンプラー。アンチョビーなどの海水魚から作ったクセの強い調味料で、エスニック料理にしか使わない。鮎から作った魚醤というものが存在することさえ、知らなかった。おそらく、多くの関東人は、そうだろう。関東一円で鮎魚醤など、聞いたことも見たこともなかった。この鮎魚醤、そのまま舐めても特段おいしいものではない。だが、およそ醤油を使う和食になら、なににかけても魔法のような働きをする。煮物に一振りすると味に深みが増す。焼き魚に使えば臭みが消える。チャーハンに応用してみたら、角のとれたまろやかな味になった。「パリ・東京の三つ星シェフに高い評価」という宣伝文句も、あながち誇大だとは思えない。現当主が23代目という九州の老舗のオリジナリティと実力に、またも「まいりました」という気分だ。まるはら 鮎魚醤 115ml115mlの小瓶を買ってすっかり虜になり、200mlの3本セットをさっそく取り寄せてしまった。賞味期限は1年だが、多くもない家族で、あっという間に使ってしまいそうだ。
2012.11.15
福岡県と大分県の境、緑深い山々に囲まれた小さな里、星野村。「村おこし」と称して、観光客を呼び込もうとしたもののアテがはずれ、奇妙に立派なハコモノだけが残った・・・というような地方の田舎町も多いが、星野村は(おそらく)例外的に、観光開発に成功している村だ。訪ねてみて、「ここに来る価値があるだろうか」と考えてみた。答えはイエス。その理由をMizumizuなりに挙げるとすれば・・・1)村独特の文化・景観がある2)九州を訪ねる観光客にとっての必須アイテムともいえる、温泉がある3)自然がいっぱいの、本来の日本の村の素朴な雰囲気を残している4)サービス業に従事する人々に、「おもてなしの心」があるといったところだろうか。個人的には長期滞在したいとまでは思わないが、まる1日過ごすには、十分な魅力のある山村だ。お茶で有名な星野村だが、村を代表する景観美としてまっさきに頭に浮かぶのが、棚田。もちろん、村のあちこちに棚田があるわけではない。フォトジェニック(苦笑)な棚田は一箇所だが、急な山の斜面を切り取るように作られた棚田は、やはり一見の価値がある。棚田といえば、バリで見た棚田を思い出すが、もともとは貧しい山村の農民の苦肉の策として生まれたものだ。当然ながら辺鄙な場所にある。実際に棚田を作り上げ、生活に必要だからという理由で守ってきた人々にとっては、自分たちの棚田が美しいとかどうかなど眼中になかっただろう。それをありがたがって見たがり、排ガスをまきちらす文明の利器を駆って出かけていって写真におさめる。いつもそこに、奇妙なパラドックスを感じてしまうのだが、そうは言ってもやはり景観としての棚田は、常にMizumizuの心を魅了してやまない。
2012.08.20
いかにも「湯治」という雰囲気の山口の柚木滋生温泉にはないエンターテインメント性を備えた炭酸泉を楽しめる場所、それが九州大分県にある長湯温泉・ラムネ館だ。藤森照信氏による建築は、遊び心がいっぱい。モダンなモノトーンのストライプ模様の壁、日の光を浴びて輝く銅版の屋根、そして屋根の真ん中から空に伸びる松ノ木・・・写真は撮れなかったが、脱衣場から浴室、露天へと連続空間の演出も凝っている。木をふんだんに使ったひなびた雰囲気の脱衣場から、身をかがめないとくぐれない小さな木の扉を抜けると、とたんに白壁の天井の高い浴室空間が目に飛び込んでくる。この一瞬の驚きのために脱衣場を、わざわざ狭く、やや暗く、古びた空間にしつらえたのだ。浴槽こそ古い日本の湯治場そのものだが、白い壁に(やや意味不明の)ニッチ空間をもうけた浴室は、どことなく異国情緒が漂う。 (写真はHPより)しかし、緑のツタの這った、異様に高い吹き抜けの天井を見上げながら、これはちょっと空間の無駄遣いでは・・・という気がしないでもない。とはいえ、建築家の遊び心と演出のおもしろさは唯一無二のもので、こんなデザイン性の高い温泉施設は、ほかに思い出せない。野外の開放的な空気と日の光に導かれて、浴室から露天に出てみると、白いキャンバス地の布をパラソルのようにひろげた、小さなプールのような浴槽が目に飛び込んでくる。屋内の「にごり湯」に対して、こちらのほうが「ラムネ湯」。炭酸を多く含んでいる。炭酸泉は温度が上がると泡が飛んでしまうとかで、湯の温度は低め。それでいて、さすがに温泉。体が冷えるという感じがない(酷寒の季節はわからないが・・・)。暖かい季節でも、長く入れるのが魅力だ。長湯温泉郷は、ひなびた田舎にあるが、山奥の秘湯という雰囲気ではない。山間の開けた土地にある。近くの林の中には、長湯B.B.Cという洒落た宿泊施設もあり、効能豊かな炭酸泉とあいまって、長期滞在したい魅力にあふれている。少しクルマでいけば、ラムネ館以上の炭酸含有量を誇る七里田温泉・下湯もある。ところで、長湯といい、七里田といい、「日本一の炭酸泉」をうたっているようだが、その根拠はというと、もうひとつ納得できない。ウィキペディアによれば、七里田温泉・下湯は、炭酸含有量は1250mg(温度37.5℃)、長湯温泉のラムネ温泉は781mg(温度32.8℃)。 山口県の柚木滋生温泉は、看板に炭酸含有2107mgとあった。どこでどうやって測ったのかはっきりしないが、数値だけ見ると、柚木滋生温泉が圧倒的!?どうもわからない・・・だが、長湯温泉・ラムネ館が魅惑的な温泉施設であることは確か。血行をよくするという、炭酸泉の効能は短時間の入浴でも実感できるほど。ワイルドでいながら洗練された感覚が隠れている、緑に囲まれた開放的な雰囲気の中で、建築家の遊び心とともに、湯浴みを楽しむには絶好の場所。
2012.08.03
金鱗湖にほど近く、観光客でごったがえす湯布院の目抜き通りのすぐそばにありながら、緑豊かな木々に囲まれて、一種の隠れ家的雰囲気を漂わすレストラン、夢鹿(むじか)。地元でとれたフレッシュな野菜をふんだんに使い、フレンチ仕立てながら和のしとやかさを一品一品に加えた飽きの来ない味を提供してくれる。インパクトはあっても、一度で十分という美味しいレストランもあるが、ここは、創意工夫はもちろんあるものの、家庭料理に近い味でもあり、何度でも通いたくなるリーズナブルなレストラン。ある日のランチ。丁寧に作られたカナッペ。さわやかなドレッシングと素材の組み合わせがとても繊細で上品。それでいて、素朴さも感じさせる味わい。スープの美味しいレストランは信頼できる。夢鹿のスープは、いつも丁寧に作られている。メインの肉料理は、ミルクポークを選んでみた。とろけるような食感が、ヨーロッパで食べたミルク飼育の子牛や子羊を思い出させた。こちらは連れ合いの頼んだ魚料理。デザートのアイスクリーム。特にどうということはなかった(笑)。これに珈琲もつく。 ある日のディナー。野菜がとにかく新鮮。これに価値を見出すのは、案外新鮮な野菜を食べられない東京人のせいだろうか? さっぱりとしたドレッシングに、かぼすが添えられているのがいかにも九州に来たと思わせる。九州に来るといつも思うのだが、レストランで使われている器がいい。唐津、有田、伊万里・・・こうしたビックネームだけではなく、九州には大小の窯元が目白押しだ。伝統に裏打ちされた感覚で選ばれた器は、海外ブランド物に侵食された東京のレストランに慣れた人間からすると、非常に新鮮に映る。九州に来て、豊後牛の美味しさを知った。夢鹿では、和牛と豊後牛を分けて出している。とろけるような食感がお好きな方は、価格は高めではあるが是非とも豊後牛をお試しあれ。この夜のデザートはクレームブリュレとレアチーズケーキだった。どちらも普通に美味しい。木をふんだんに使ったインテリア。豪華なレストランではない。素朴で落ち着く雰囲気だ。湯布院に行くと必ずといっていいくらいに寄るレストランになった。顔なじみになった給仕役のおばさんと話すのも楽しい。くつろいだ家庭的な空気の中で、またあの新鮮な野菜と九州産の美味しい肉料理が食べたい。
2012.01.26
金鱗湖からさほど遠くないところにあるカフェ・ボンボヤージュ!。自家焙煎の珈琲が飲める喫茶店だが、ここには珍しい自家製のプリンもある。地元でもなかなか手に入れにくいという、大分県の焼酎「兼八」を使ったプリンだ。ひとくち食べて、「うん、美味しい」と、声を出してしまった。とてもなめらかで、口当たりがよく、お酒の風味が上品に香ってくる。言われなければ焼酎だとは気づかないように思う。お店の入り口近くに座っていたお爺様が、「おいしかったですか?」と話しかけてきた。オーナーだろうか、この兼八プリンと、もう1つのメニューである珈琲プリンの誕生秘話を語って聞かせてくれたのだった。500円という高めの値段設定のためか、地元民にはあまり人気がなく(笑)、東京にリピーターが多くいるヒット商品なのだとか。ネットでの注文も、こちらで受け付けているよう。湯布院のカフェ・ボンボヤージュ!自体は、わりと雑然とした店で(失礼!)、確かに珈琲は美味しかったが、どうあってもそこに行って食べたい店というわけでもなかった(苦笑)。
2012.01.25
由布岳を眼前に望む大露天風呂で有名な湯布院の「山のホテル 夢想園」。まるで原宿か、あるいは軽井沢の中心地のような賑わいになってしまった湯布院の街中からは離れた場所にあり、美しい緑に囲まれたゆかしきホテル。絶景の露天風呂と並んでお奨めなのが、ここのカフェで1日40食限定で供されるプリン。手作り感あふれるプリンは、どこまでもナチュラルな味わい。焦げ付く寸前まで煮詰めた苦めのカラメルソースが甘いプリンを大人の味にしている。別府の地獄蒸しプリンのほうが、ガイドブックにはよく取り上げられると思うが、味だったら、断然、夢想園の限定プリンに軍配を上げたい。カフェは山小屋風。天井の梁を見ただけで、安らぎをおぼえる都会人のMizumizuだった。
2012.01.23
リヨン(フランス)で出会った、ベネズエラ産カカオを使ったシンプルなチョコレートの魅惑については、過去何度か書いてきた(こちらの記事参照)。東京でもことあるごとに、極薄円形のベネズエラ産カカオを使ったチョコレートを探していたのだが、なんとなんと、東京では見つからなかったそれに非常に近いものを九州の湯布院で見つけたのだ。Pロールを製造・販売しているMURATAのショップ。名前は茶葉ショコラ。ショコラティエの名前としては、TEOMURATAを名乗っている。Pロールは、街中のB-speakという店でしか買えないが、このショコラは街外れの山の中腹にあるホテル近くのショップでも、B-speakでも、どちらでも買える。500円玉をさらに薄く広げた伸ばしたようなこのカタチ、まさにリヨンの街角で出会った「あの」ショコラにそっくり。碾茶(てんちゃ)、玉露、朝露の3種類があり、このうちホワイトチョコレートの碾茶と玉露にベネズエラ産のカカオが使われている。小ぶりの抹茶棗の中に、1枚1枚和紙にくるんで売られている茶葉ショコラ。過剰包装にも見えるが、これならば、薄くて繊細なチョコレートも割れず、香りも逃げない。紙包を開いて、まずは、かぐわしい希少なベネズエラ産カカオの香りを楽しむ。リヨンで食べたチョコレートはカカオそのものの香りと味を前面に出した、極限までシンプルなものだったが、MURATAの茶葉ショコラは、名前のとおり、星野村で獲れた最高級茶葉をそのままチョコレートに混ぜ込んだ、オリジナリティあふれる逸品。Mizumizuがもっとも好きなのは、ホワイトチョコレートを使った「碾茶(てんちゃ)」。碾茶とは抹茶の原料の呼称だとか。芳醇な油脂の香りに甘い口当たり、パリッと細い茶葉のほろ苦い風味・・・ 絶妙のバランスだ。名高い星野村の玉露茶葉とベネズエラ産カカオの奇跡的なマリアージュが楽しめる「玉露」も捨てがたい。カカオにベネズエラ産を使っていること、形が極薄の円形であることから、リヨンのショコラティエの影響があることは、恐らく間違いない。東京でもなかなか見つからなかった、幻のチョコレートに最も近い逸品を、九州で見つけることになるとは、思ってもみなかった。さらに、ただのコピーではなく、その土地の名産品を見事に合体させたところが凄い。チョコレートに茶葉を入れるなど、東京の感覚ではちょっと思いつかないように思う。恐るべし、MURATAの贅沢希求パワー。これだけ贅沢なものを作り、価格もかなり(というか、相当)高いのに、ちゃんと売れている。湯布院を九州でも屈指の一大観光地にのしあげたのは、MURATAのような一流を知る商売人の力が大きいのだろうと、ひそかに納得した東京人だった。
2012.01.20
おいしい九州。山荘無量塔(MURATA)のTan's Barで飛び切りのロールケーキに出会った。夕方にはソールドアウトになることもあるという。ロールケーキはそもそもシンプルなお菓子。素材の良さが勝負だと言ってもいい。MURATAのロールケーキは、極限までそれを追求している。この大胆な厚切りぶりに、一瞬、「え? こんなにたくさん食べられるのか?」と思ったのだが、上質な素材は軽さに通じ、案外簡単に完食してしまった。生クリームも非常に美味しく、もう少し入っているほうが個人的には好みだが、このあたりは好き好き。バランスとしては悪くない。生地も外側はさっくりと歯ごたえがよく、中はクリームと生地がまざりあってしっとりとしている。その食感の違いも楽しい。Tan's Barはシックな色合いの木材をふんだんに使ってしつらえた、高級感あふれるカフェ&バー。窓の外に自然の息吹きが感じられるのも、都会人にとっては安らぎ。一杯のドリンクを飲むためだけにでも、訪れる価値のある隠れ家的空間。ちなみにPロールは、湯布院の街から離れた場所にある山荘無量塔のショップでは買えない。Tan's Barでは供されるだけ。湯布院駅の近くのB-speakという、MURATA直営のスイーツショップで販売。保冷剤付きで売られているが、賞味期限は当日。買ってお持ち帰りしてみたが、湯布院帰りの遅い時間では当日中に食べることができず、翌日食べたら、驚くほど味が落ちていた。まさに生モノ。
2012.01.17
大分にある安心院葡萄酒工房を訪ねたのは2011年9月のこと。すっぽんとワインという、かなりイレギュラーな組み合わせのアイテム(笑)が安心院のシンボルになっている。安心院に入る道路で観光客を待ち受ける、ワイングラスをもったすっぽんの像。葡萄酒工房に入る前に、門前にあるレストランですっぽんの唐揚を食した。かぼすが付いてくるのがいかにも大分。唐揚の味は・・・ちょっと骨が多く食べにくかった。特にまずくはないが、味だけなら、鶏の唐揚で十分かと(苦笑)。安心院葡萄酒工房の中は、高原のさわやかさに満ちており、ヨーロッパ的な乾いた風が駆け抜けて行く。ワインやジュースのほかに、ソフトクリームも売っているカフェもなかなかお洒落でいい雰囲気。試飲のできるショップやワイン貯蔵庫を見学して回ったあとは、展望台へ足を運ぶ。澄み切った空気の向こうに、由布岳が見えた。
2012.01.16
安心院と書いて、「あじむ」と読む。九州では「すっぽんとワインの町」として知られている田舎町だ。ここのワインメーカー安心院葡萄酒工房のスパークリングワイン「安心院スパークリングワイン2009」が、2011ヴィンテージ国産ワインコンクール金賞受賞を受賞したというニュースを読んだのはいつだっただろう。(受賞ワインリストはこちら)去年の9月にこの工房を訪ねたときには、すでにスパークリングワインは欠品だった。その後も販売されるたびにすぐに売り切れてしまい、なかなか入手できずにいたのを、やっと手に入れたのが2011年の12月。シャルドネ単一種で作られたスパークリングワインは、すっきりと爽やかで、泡立ちはクリーミーで繊細、南国のフルーツの香りがした。深みや華やかさにはやや欠けるかもしれないが、どちらかというと甘めのシャンパンを好むMizumizuの口にも、きりっとしすぎない風味が楽しかった。今日、日本橋三越に行ってみたら、イタリアのワインにまじって、この大分の片田舎のワインが並べられているのをみて、少々驚いたのだ。金賞受賞のスパークリングワインは見当たらなかったが、同じ安心院葡萄酒工房の2008ジャパンワインコンペティションで金賞を受賞した「安心院ワイン シャルドネ イモリ谷」が、堂々と目立つ場所に陳列されていた。どちらかというと、知る人ぞ知るワイナリーだと思ったいたのだが、こうして老舗の高級デパートの一番目立つところに陳列されると、ぐっと格が上がったような印象を受け、密かにここのシャルドネ種の実力にうなっていたファンとしては嬉しい。安心院葡萄種工房に足を運んだ際に、いろいろなワインを試飲したのだが、残念ながらMizumizuの好きなこの2つの銘柄は試飲ワインには入っていなかった。それでも、試飲させてもらった中でも一番美味しいと感じたのもシャルドネ種のワインだった。安心院葡萄種工房のシャルドネ種のワインは値段のわりには、なかなかの実力・・・ ワイン王国フランスにも負けない風味が手ごろな価格で楽しめる。
2012.01.14
北九州の温泉宿、週末・・・となると直前に開き部屋を見つけるのはやはり難しい。まったくの前日に宿が取れたとしても、それは人気がないということだからハズレる・・・この定石(?)を「やや」くつがえす宿を宝泉温泉で見つけた。「季の郷・山の湯」という温泉宿がそれ。諸手を挙げてパーフェクトな宿だというつもりはない。だが、何でもそうだが、払った料金に対して、得られたサービスがどうかということで考えれば、かなり高い点をつけることができる宿だった。まず、値段が手ごろだった。直前予約で特別に安いプランがたまたまあったせいもあるが、それにしても良心的な価格。それに対して料理が驚異的に豪華だった。豊後牛のしゃぶしゃぶを頼んだのだが、ハッキリ言って、東京だったらあれだけで宿泊代ぐらいは取られるかもしれない。他の料理も、驚くほど細かい部分で手がこんでいる。仲居さんに聞いたら、女将さんの料理へのこだわりは相当なものなのだという。確かにそれは納得できる。ここまで気を配るというのは商売云々を超えている。かなり食に造詣が深くなければできない。なのだが・・・あまりに「ご飯」が出てくるのが遅かったのが、個人的には辛かった。お酒を飲む人にはいいのかもしれないが、Mizumizuは料理とご飯は一緒に食べたい庶民なのだ。とにかく配膳にやたら時間がかかるのだ。ゆっくり味わって欲しいというこだわりからだという説明だったのだが、むしろ仲居さんの手が足りないというのが本当ではないかと邪推してしまった。ここに来たら、「ものすごくゆっくりと食事をする」ものだと思ってください。そうでなければ、怒りを感じてしまうかもしれない。特に都会から来たセッカチは。料理は素晴らしいが、上で「やや」くつがえす・・・という、またも微妙な言い方をしていることからもお察しいただけると思うのだが、部屋そのものや設備は、相当に微妙。特別に安いプランだったせいかもしれないが、部屋のバスルームはびっくりするほど古かった。絶対に部屋でシャワーを浴びる気にはなれない。だが、それはいつでも入ることのできる温泉があるわけで、視覚的にかなりショックだったということを除けば、個人的には許せる。別に温泉宿でシャワーを浴びる必要はないだろう。あとは掃除が・・・なんだか、椅子に座ったとき、アームレストが「べちゃ」とした気がしたのだ。「消毒済み」と書いてあるビニールに入ったコップを出したときも、やや「べちゃ」としたコップが1つだけだが、あった気がしたのだ。気のせいかしらん?(苦笑)あくまで、1泊した部屋がたまたまそうだった可能性もある。なにしろ直前の安いネットプランだったから(←くどい)。仲居さんは・・・同じ方が食事の面倒から、最後は荷物をもってクルマまで見送ってくれるなど、感じはよかった。しかし、料理のことを聞いても、つっこんだことになると、どうも話が通じないような気がした。まあ、別にたいしたことではないが。宝泉温泉の泉質は弱アルカリ単純泉だというから、温泉の宝庫、九州ではインパクトは弱いかもしれない。だが、かけ流しだというのはポイントが高い。ここの売りの1つらしい、「洞窟風呂」というのは・・・ 要は大浴場の一部がトンネルのようになっているということ。女性用の露天(こちらは狭い)からは月も見えて、気持ちがよかった。岩や石をふんだんに使った温泉場は昔は高級だったのかもしれないが、設備そのものはすべてにおいて古い。Mizumizuには逆に珍しかったのだが、設備の整ったきれいな温泉ホテルを好む人には合わないかもしれない。ここは山あいの温泉地なので、特に遊ぶ場所があるわけではない。早く着きすぎると時間をもてあますだろう。窓から見える山の緑は、日ごろ賑やかすぎる大都会・東京に住んでいるMizumizuには新鮮だったが、もともと自然豊かな地方の人には刺激がないかもしれない。「もう1度泊まってもいいか」と聞かれれば、あのお料理なら是非・・・と答えるだろう。ただし、ご飯をもうちょっと早く出してくれるように事前に頼んでおかないと(笑)。それとプランによっては現地決済でカードが使えず、現金のみというものもあるので、ご注意を。
2011.06.24
九州からの帰りの高速道路。サービスエリアに寄ると、とりどりのお土産品の山。いくつか買ってみたが、やはり昔ながらのものや定番のものが美味しかった。こちらはMizumizu母のお気に入り「佐賀ぼうろ」。昔懐かしい、栄養タップリのおやつという感じ。以前、九州に来たとき「長浜ラーメン」を買ってややハズレた。今回は那の福の博多ラーメンを買ってみたら、こちらはまあまあ。この手のものとしては十分楽しめた(写真のトッピングはついていません)。全体として、西は東に比べて、「甘さ」がより尊ばれている。甘いものはとことん甘い。さすがに長くいると、少し身体が甘み限界に達してくるような感覚がある。だが、九州は美味しい。何でも甘すぎるという人もいるが、Mizumizuの味覚には合っている。むしろ関東は、なぜああもやたらとしょっぱいのかと思う。外国の料理を食べるなら断然東京だが、和食に関しては、関東はかなり疑問符がつく。九州地方の伝統菓子「丸ぼうろ」。国内産小麦粉と卵を主原料に、砂糖や蜂蜜など独自のブレンドで、ソフトに仕上げています。素朴で懐かしい、やさしい...自然味良品丸ぼうろ 14枚【イージャパンモール】【sybp】【w1】【smtb-k】【w1】【YDKG-k】【w1】
2011.06.23
熊本に入るとMizumizu母が、「メロンを買って行こう」とのたまう。東京では、北海道の夕張メロンや静岡のマスクメロンが幅を利かせていてあまり知らなかったのだが、熊本は有名なメロンの産地なのだそうな。高速に入る手前の南関町の道の駅で肥後グリーンメロンというのを買ってみた。ラグビーボールのような楕円形。Mizumizuの大好物の夕張メロンとも少し似ている。食べてみて驚愕。こ、これは美味しい!水気が非常に多い。そして、めちゃくちゃ甘い。こんな美味しいメロンをなぜ今まで知らなかったのか。東京に戻ってさっそく近所の果物屋をめぐってみた。熊本産のメロンをおいているところは多いのだが、だいたいはマスクメロンだ。東京の人間って、そこまでマスクメロンが好きですか??ようやく小さな果物屋で肥後グリーンをおいている店を1軒だけ見つけた。味は現地で買うのと遜色なかったのだが、いつも入荷するというわけではなく、そのあとはもうなくなってしまった。そこまで東京で人気ありませんか? 肥後グリーン。もしかすると生産量の問題かもしれないが・・・ ここまで甘く瑞々しいメロンが、関東であまり知られていないのは、奇異にすら思える。夕張メロンもそうだが、肥後グリーンメロンも食べごろの時期が短く、傷みやすいのもあるかもしれない。同じ道の駅で「南関あげ」という油揚げを買ってみた。こちらも繊細で油のくどさがなく、非常に美味しかった。いろいろ美味しいものがあるなあ、九州・・・ 熊本産最高級ブランドメロンを訳あり大特価でお届け!!味は秀品と変わらず、変形・表面の網が粗い等の理由で贈答用から外れた超お買い得商品です!!【訳あり】熊本産 肥後グリーンメロン 2玉◎ネット購入者限定キャンペーン中◎≪20%OFF≫南関あげ(大)3枚入 ★熊本南関の伝統製法のあげ ★只今注文が殺到中発送の遅れあり。 ★売上ランキング3位実績あり↑
2011.06.22
雲仙のホテルで聞くと、ちょうどミヤマキリシマ(ツツジの一種)が見ごろだという(注:5月の話です)。宝原つつじ園(無料)に行ってみると、そこは家族連れで賑わっていた。坂の上に展望台が見えたので、とりあえずそこを目指した。初めて見るミヤマキリシマ。山肌に咲くツツジというのが、そもそも珍しく感じた。花は密で、色も鮮やか。残念ながら天気が悪く、展望台に登っても遠景はゼロに等しかった。それでも野性味あふれるツツジを見ることができたので、よしとしよう。雲仙温泉を離れ、クルマで峠を越えて多比良港へ。途中の峠道にも木々の間にミヤマキリシマが咲いていた。窓の外を流れて行く緑の中のツツジ群。ほんの短い間だったが、心躍る最高のドライブ風景になった。山を下るときれいな坂道。ボールを落としたら、山すそから海までそのまま転げ落ちていきそうなまっすぐな下りだった。多比良港(長崎県)と長洲港(熊本県)を結ぶ有明フェリーは頻繁に出ている。多くの人が利用するらしく、クルマから降りずに簡単にチケットが買えた。しかもかなり安い。そのまま列に並び、乗船を待つ。どんどん乗り込んでくるクルマ。ここは生活航路になっているのだろう。雲が重く垂れ込め、山はまったく見えなかった。あの雲の中に普賢岳があるのだろうか。フェリーの中もきれい。40分ほどで着いた。快適で楽しいフェリーの旅だった。
2011.06.21
雲仙温泉には一度行ってみたいと思いつつ、どうしても足を伸ばせずにいた。本州からクルマで来ることを考えると、当然温泉といえば別府、もしくは湯布院になってしまう。雲仙は遠い・・・そういうイメージだった。今回、意を決して長崎から雲仙に回ってみた。まったく予備知識なしで。どういう場所にあるどういう温泉地なのか、予想もつかなかった。標識に従ってクルマを走らせると、海沿いから山へ入る。途中、海霧がのぼってきて、眼下に広がっているはずの海がすっぽり隠れ、さらには路にまで霧が這い上がってきて、またも奇妙なミステリーゾーンに迷い込んだような気分になった。緑したたる山道をまだまだ登る。あまりに樹木が大きいので空が狭い。人里離れた村に行くようだ。こんな山の中に、本当に温泉地があるのだろうか・・・と疑いだしたところで、視界が開け、ホテルがちらほら見えてきた。とりあえず、温泉街の中心らしき、「地獄」でクルマを停めた。こういうところは箱根にもあるし、北海道の登別にもある。だが、雲仙の地獄は山を含み、森林浴も同時にできるのが特徴的だ。山の中腹からも煙が立ち昇っているさまは、誰かが焚き火でもしているよう。別府にも「坊主地獄」というのがあったっけ。雲仙にもやはり、同じようなものがある。雲仙の地獄は俗っぽい鬼の像の類いがないのがいい。あくまでも主役は自然。それをなるたけ損ねないようにという配慮があるように思った。途中でスズランが木に咲いているような、おもしろい花をみつけた。ネジキというらしい。本州・四国・九州に生育するらしいが、初めて見た(と思う)。かわいい花だった。煙がもうもうと上がる地獄のすぐわきにホテルが建っている。この位置の近さにも少し驚いた。客室からごくごく間近に、荒涼たるグレーの大地から立ち上ってくる自然の驚異が見られるということだろう。これはなかなか珍しいのではないか。すぐ向こうの緑の山に挟まれた地獄は、いわば宿泊客のための箱庭になっている。雲仙温泉は、町もこじんまりとして落ち着いていた。大きめの温泉地にありがちな猥雑なムードがまったくない。品を落とすレジャー施設もない。とても落ち着いていて、「奥座敷」の名にふさわしい。ここはまぎれもなく、「通のための温泉地」だろう。本当は長崎の街で聞いた、にごり湯で有名だという小地獄温泉で日帰り入力する予定だった。だが、地獄のすぐそばの富貴屋というホテルでちょうど3人で1000円というチケットが売り出されていた。たまたま3人で来たので、そちらに入ることにした。地獄のすぐそばなのでかけ流しと思いきや、一部循環式で多少塩素消毒もしているという。だが、そんなことは感じさせないくらいいい温泉だった。広々とした内湯は多少濁り、硫黄の匂いがたちこめている。露天はこじんまりとしているが、木に囲まれ、はらはらと花が落ちてくる。あまり混んでいなかったのも幸いだった。酸性硫黄泉こそやはり、温泉の中の温泉だと思う。雲仙の泉質は草津に似ているという説明を読んだが、規模や雰囲気から言うと北海道の名湯・川湯温泉により近いように思った。Mizumizuは川湯温泉の御園ホテルが大好きだった。東の横綱といわれる草津温泉のホテルにはあまりいい印象がない。たまたまハズレのところに泊まってしまっただけかもしれないが。ある程度の規模と設備を確保しなければならないホテルとなると、かけ流しの温泉は難しいのかもしれない。だが、雲仙温泉にもいわき旅館のように、100%天然の温泉を味わえる宿があるようだ。湯元ホテルなども口コミの評判がよいよう(ネットの口コミはこちら。ただし、あまりアテにならない場合もあるので、あくまで参考程度に)。別府にも、湯布院にもない、しぶく落ち着いた雰囲気。余計なものは何もない。山の自然に抱かれた、箱庭のような風景。雲仙も思いのほか気に入ってしまった。次回は是非、山の緑にいただかれたこの得がたい温泉地で1泊してみたい。
2011.06.19
長崎に来る前は、めがね橋は忙しい都会の風景に埋もれた、ただの1つの橋だろうと思っていた。たとえば札幌の時計台のようなイメージ。そこ「だけ」を見れば絵になるが、周囲を見回せばつまらない場所なのではないか。だが、その先入観は見事にくつがえされた。めがね橋は1つの川(中島川)にかかる1つの橋ではなかった。具体的に言えば、中島川には驚くほど短い距離の間に、これでもかというくらい石橋がかかっており、他ではあまり見ない風情が醸し出されている。同じ形の橋をいっせいにかけたのではない。1つ1つの橋は全部違う。その不統一がおもしろい。空間に独特のリズムと力強さを与えている。なぜこんなにたくさん橋がかかっているのだろう? その疑問は、地図を見るとなんとなくとける。それぞれの橋をわたって寺町のほうへのぼると、まっすぐ仏寺に至るようになっている。檀家が集まって資金を出し合い、参道への直線道を作ったのではないだろうか? 橋のデザインがまったくバラバラなのも、そのせいではないか(ただの推測です。裏取り調査はしてませんのでご注意を)。そうした石橋群の中で、もっとも優美で調和のとれた橋がめがね橋ということだ。川縁に降りて、鯉を見ている人も多い。こういうふうに水辺で戯れる人たちが、中島川の風景に彩りを添える。田舎の川ではなく、都会を流れる川だからこそ、「彩り」と言いたいニュアンスが風景に加わるのだ。善福寺川と神田川の近くに住むMizumizuだが、東京の川では、こうした人々の姿を見ることはない(そもそも水が汚くて、近くまで行ってみる気にならない)。最初に行ったときは夕方で、すぐに暗くなってしまったから、今回は昼間に行った。だが、黄昏どきのめがね橋付近も、とりわけ素晴らしかったのだ。店が閉まり始め、観光客が退却すると、街の人々がそぞろ歩き、ベンチに座ったり、立ち止まって話したりしている。ビルの上に月がかかり、東京にはもうなくなってしまった、寛容で親密な空気が川の周囲を満たす。古い石橋の物語る過去と現在進行中の人々の生活がここには同時に存在する。川にこれでもかとかかる独特の石橋群、カステラやべっ甲を売る店、観光客、そして憩いを求める地元民・・・ 有名観光地だと、観光エリアと住民の生活エリアが離れてしまっているところが多いが、めがね橋付近は例外的に、こうしたさまざまな「エレメンツ」が混然一体となり、何度でも来て、ここに存在してみたいと思わせる場所になっている。
2011.06.16
最初に長崎に行ったとき、稲佐山が夜景で有名だということをまったく忘れていた。知名度では函館の夜景のほうが、少なくとも関東の人間の間では高いし、香港の夜景も見ている。だからあまり関心はなかった。それで昼間に行ってみたのだが、これが予想外によかった。360度、どこを向いても変化に富んでいる。海のすぐ近くまで迫る山、入り組んだ入り江、遠くに近くに浮かぶ島々。海と山の織り成す独特の眺望は、なるほどこここが天然の良港であり、海づたいに人と人を結びつけるのには最適の場所だったのだということを納得させる。そもそも陸路で行く長崎は遠い。山をいくつも越えた先にあり、クルマで走っているときはとんでもない僻地を目指しているような気分になる。ところが長崎の街につくと、そこがあまりに明るく開けた都会で驚くのだ。長崎、出島、シーボルト・・・こういうことは教科書で習った知識として頭の片隅にいつもあったのだが、稲佐山に登って初めて、長崎が鎖国時代の日本でなぜあれほどまでに重要な役割を果たしえたのかが理解できた。最初の長崎観光で昼間来てしまったので、短い日程の中でまた夜来る気にもならなかった。そのかわり「次に来たときのために」と取っておいたのだ。二度目の長崎で夜、いよいよ稲佐山にクルマで向かったのだが、あいにくの天気だった。夕方から雲が降りてきて、山の頂に届くかどうか。それでも行ってみないとわからない。山の中腹まではそこそこ大丈夫そうで、ワインディングロードから目に入ってくる街の灯りは、あるいはさほど期待していなかったせいもあるかもしれないが、思った以上に綺麗で新鮮な感動を覚えた。これなら大丈夫かと思ったのだが、山頂に着く直前で、まるで魔法にでもかかったように霧が流れてきて、すっぽりとクルマを取り囲んでしまった。突然、暗闇の中から誘導員の姿がフロントガラスの向こうに浮かび上がったが、その立ち姿も幻想のように霞んでいる。つまり、雲の中に入ったというわけだ。これでは展望台に行っても何も見えない。潔く諦めて山を下ることにした。途中、大きな橋があり、夜景を諦められない人たちがたくさんクルマを停めて、欄干に肘をつき、街の灯りを見ていた。Mizumizuたちもクルマを降りてみた。頭上をロープウエイが電光を煌めかせながら登って行く。ほぼ真下から見上げるロープウエイは大きく、そして速い。それが霧の中に突っ込んで行くさまは、不思議にシュールだった。香港の夜景は間近まで迫った高層ビル群が動的でドラマチックだった。函館はたおやかな扇の形が静的で美しかった。長崎の夜景の魅力は海と山に挟まれた狭い平地から、山の中腹までのぼっていく灯りの散らばり方にある。香港とも函館とも違うユニークな地形。山から街へ、輝くネックレスをあちこちに垂らしたよう。写真ではうまく撮れなかったのだが、実際には変化に富む素晴らしい夜景だ。山頂には行けなかったが、さほど残念ではなかった。三度目に来る理由ができたような気がしたからだ。次は、夜景の見えるホテルに泊まってもいいかもしれない。ワインディングロードを下るとき、大型の観光ホテルをいくつも見かけた。そういえば、匠寛堂のおじさんも、稲佐山エリアのホテルについて、「あのあたりは、だいたい2食つきでXXX円ぐらい(多少高めの相場)」と言っていたっけ。ゆったり滞在するなら、このエリアかもしれない。長崎の夜景を中心に考えたホテル情報は、こちら。
2011.06.14
休日に長崎でホテルを探すのは難しいこともある。だが、長崎バスターミナルホテルなら大丈夫。シングルにすれば、まずいつでも泊まれる(?)。たとえば2人で行って別々の部屋を取るとコストパフォーマンスはぐっと悪くなるが、長崎バスターミナルはもともと安いので、シングル2つでもダブルあるいはツインより「ぐっと高くなる」ということはない。シングルに1度、ダブルに1度泊まったのだが、ダブルの部屋は正直酷かった(ツインは未体験なのでわからない)。機械式駐車場のすぐわきの部屋で、クルマを出すたびに大きな音が響く(午後11時以降は静かになる)。ベッドはスプリングが最低に近いぐらい悪く、かつ狭い。これなら、シングルを2つ取ったほうがマシだと思った。シングルは、結論から言えば、「まあ1晩なら我慢できるかな」というレベル。部屋そのものは古いのだが、備品はそれほど使い古した感じはなく、掃除はちゃんとされていて、清潔感もある(←これは大事だ)。中華街に近く、だから、江山楼にも近い(笑)。あくまで、「泊まるだけでいい」という人たち向けだということは間違いないが、立地と値段のバランスを考えれば、積極的にお奨め・・・とは言えなくても(奥歯にモノがはさまったような言い方)、文句はないと思う。思うのだが、楽天トラベルのサイトを見ると、宿泊客はいろいろ文句を言っているようだ(苦笑)。確かにバスルームはえらく狭く(部屋ももちろん狭い)、とてもお湯を張って入浴する気になれないし、トイレは背が高い人は足をどうするのだろうかと思うくらいキチキチ。ドアもオートロックではない。機械式駐車場では外に出さないままトランクをあけると上部の出っ張りに当たってしまうし(それでクルマにエクボを作りました)、といって駐車場から出すとすぐに露天で、荷物が多い客は雨の日などは大変だろう。だが、Mizumizuが泊まったときのホテルの従業員の対応はよかったし、部屋でネットも簡単につなげたし、ベッドそのものはよくないがシーツ類は清潔だったし、タオル類も十分あった。個人的には、値段を考えれば(←しつこい?)十分に許容範囲のホテルだった。予約はやはりネットが安いよう。プランはいろいろ。朝食は予約時につけるとドリンクバーがついてくる(現地予約は値段は同じだが、ドリンクバーはなし)。朝食はつけなくても、コンビニがすぐ近くにある。便利な場所にあって安価――最大の長所はやはりコレ。長崎でホテルが取れなくて困っている方はどうぞ(最後まで微妙な言い方)。
2011.06.13
一般の観光客にとって、長崎には「寺」のイメージはないかもしれない。だが、崇福寺はその境内の建造物ほとんどが重文・国宝で、見ごたえ十分だった。寺の創建は1629年。長崎に在留していた福州人たちの手によるものだという。道路から見える門は「三門」(重要文化財)。竜宮門とも呼ばれ、朱塗りの堂々とした佇まい。この右側に(とてもそうは思えないのだが)ちゃんと駐車場がある。まさか車で入っていけるとは思えず、車を停める場所を求めて、何度か周囲をグルグル回ってしまった。長い階段をのぼった先にある国宝の第一峰門。唐門、赤門、海天門などとも呼ばれる。1644年創建、1696年改築。軒下の入り組んだ斗?(ときょう)は、極めてデコラティブで見事。長崎にいながらここだけチャイナな空間。不思議なことに柱や壁が朱色でなければ湯島聖堂にそっくりだと思った。境内に入ると街の喧騒が嘘のように遠のく静けさも含めて。♪ あの日 湯島聖堂の白い石の階段に腰掛けて~(さだまさし)♪ この日 崇福寺の紅い木の柱にもたれかかって~(←替え歌にもならないが・笑)韓国人旅行客の小グループと一緒になった。韓国人には興味深いのだろうか? 日本にある中国風の寺。日本人観光客は少なかったが、その分落ち着ける。もちろんメジャーな観光スポットを差し置いてまで行くほどではないが、二度目の長崎で訪ねるにはもってこいだった。さりげなくこういう異色の静謐も潜んでいる。それも長崎という歴史ある国際都市のもつ魅力の1つ。
2011.06.11
最初に長崎に来たとき、まっさきに行ったのがグラバー園だった。その近くのオランダ坂もセットで見ようと思っていたのだが、グラバー園が思いのほか面白く、時間を食ってしまったので、オランダ坂は次の機会にと取っておいた。「オランダ坂はタダの坂」という人もいる。確かにそうかもしれない。だが、非常にきれいな坂だ。「坂」には不思議な磁力がある。興味のない人には、どこもここもタダの坂かもしれない。だが、Mizumizuは坂の作り出す風景が大好きだ。大都会東京にも小さな坂があちこちに潜んでいる。谷中、湯島、本郷、あるいは三田などにも。そうした坂を歩くと、そこはかとない物語性を感じるのだ。長崎のオランダ坂は東京に散らばっているMizumizuの好む坂たちに比べるとずいぶんと巨大だ。そして手入れが行き届いていて美しい。坂は自然の地形の上にできるが、坂道を作り上げるのは人間で、その景観を守っていこうとするのは坂の美に魅せられた人の愛情だ。タダの坂をただならぬものにするのは、人智と自然のアンサンブル。長崎のオランダ坂は間違いなく、その最高傑作の1つだ。ここでは坂のもつ物語性が人に憑依する。観光客というのは、被写体としては一番「味」がない。だがここオランダ坂に来ると、タダの観光客が何ごとかを心に抱えた旅人に見える。あるいは現地の生活人に溶け込む。そんな魔力さえ、オランダ坂はもっている。ところで、さだまさしの名曲に「無縁坂」がある。無縁坂そのものは東京の台東区にあるが、あの歌は、さだまさしが長崎出身でなく、オランダ坂を知らなかったら、決して生まれなかったのではないか。あの曲を聴いたとき、現実の無縁坂は知っているが、オランダ坂は知らなかったMizumizuは、「無縁坂って車で通るようなところで、下は不忍池(しのばずの池)だし、老いたお母さんの手をひいて『いつも』のぼるような場所にある道ではないのに・・・」と首を傾げたのだ。母の手をひいてのぼるというなら、急勾配だが、坂の距離は短く、上にのぼれば長崎の街が少し見下ろせるオランダ坂のほうがふさわしい。少なくとも物語性を感じさせるという意味では、オランダ坂が創り出す風景のほうが、強くイマジネーションを刺激する。具体的にオランダ坂ではないにせよ、さだまさしが故郷のどこかの坂で見た日常のひとこまから想像した物語、そこに不忍池からかつてあった無縁寺に続く坂の、インパクトの強い名前のイメージが重なって、あの歌詞が生まれたのではないか・・・そんな気がした。とはいえ、観光ルートとしてのオランダ坂を考えると、たいていはグラバー園の次に来ることになり、そうなると同じような洋館をまた見ることになるので、飽きしてしまうかもしれない。その意味では、グラバー園の記憶が薄れた2度目の長崎にとっておいてよかった。オランダ坂の下にある道で見かけた洋館。実はオランダ坂近辺で、これが一番心惹かれた洋館だった。瓦屋根に白とブルーで塗り分けた和洋折衷の洒落た外観、ピンクの花がこぼれ、手入れの行き届いた(と壁の外からもわかる)庭の植物。フリル(もしくはトリムかもしれない)付きセンタークロスのレースのカーテン。一般人の住居だとしたら、この良好な保存状態を保つには尋常ではない努力が必要だろう。
2011.06.08
オランダ坂の近くにも、小さなべっ甲店が並んでいる通りがあった。そのうちの1軒、「観海べっ甲店」に入る。職人のご主人と奥様の2人で切り盛りしている小さなお店。「甲」に比べると手ごろなデイリーユーズのアクセサリーも多い。入ったとたんに、べっ甲についてのレクチャーが始まり、お茶まで出てきて、またも何か買わないと出にくい雰囲気に(笑)。数千円レベルで買えて気軽に使えるアクセサリーが欲しかったのでちょうどよかったのだが。こちらがMizumizuお買い上げのチョーカー風ペンダント。表面が少し曇っていたような気がしたのでそう言ったら、すぐに磨いてくれた。ご主人の作業風景。こういうふうにショップで職人の仕事が見られる店は他にもあり、チェンマイの銀細工の店を思い出した。べっ甲はワシントン条約で輸出入が禁じられているから、こうした風景も徐々に消えていかざるを得ない。店内の様子。「写真を撮ってもいいですか?」と聞くと、快くOKしてくれた。長崎の店では、不愉快になるということがない。どこも客扱いがとても丁寧だ。ここまでどの店に入っても感じがよい街もめずらしいのではないか。
2011.06.07
最初の長崎ではあまり積極的に見て歩かなかった鼈甲。鼈甲というとなんとなく、高価だが古臭いイメージがあったからだ。だが長崎も二度目となると、記念に何か買ってもいいかなという気持ちになってきた。めがね橋のすぐそばの店、トータス・ジュエリー「甲」、前回来たときに、ここのおじさん(経営者なのか従業員なのかは不明)にお世話になったのだ。店の前でなんとなくうろうろしていたら、なんとなく声をかけられ、めがね橋の由来など聞いたついでに、「おいしいちゃんぽんの店はありますか?」「おいしいカステラの店は?」と聞いてみたら、江山楼と匠寛堂を教えてくれた。それでいて、別に自分の店に連れ込む(笑)でもなかった。興味を示したら案内したのかもしれないが、前回はまるで買う気がなかったので、それが態度にありありと出ていたのかもしれない。今回は自分から店に入ってみた。おじさんの姿はなく、売り込み上手な女性店員さんたちに囲まれて、逃げにくい雰囲気に・・・(笑)。いろいろ見せてもらったが、それがことのほか楽しい時間になった。期待していた以上にモダンなデザインのものも多く、「鼈甲って時代遅れ」などという偏見が吹き飛んだ。Mizumizu母が買ったチョーカー。身に着けると軽いのだが、見た目は重厚感がある。フォーマルなドレスなどにも合いそうな雰囲気。ふだん使い用に、中の円いチャームだけを下げる黒いカジュアルなチェーンもつけてくれた。他にも鼈甲店は見たが、「甲」は全般的に値段は高いがデザイン性に優れたものが多く、商品のクオリティは非常に高かった。いわゆる観光客向けの手ごろなお土産・・・ではなく、文字通り本格的なジュエリーとして使えるものをおいている。店を出たところで、バッタリおじさんに遭遇。店にもう1度入って観光用の地図などもってきてくれた。その態度は明らかにこの店の人間。しかし・・・「買ってくれたの。ありがと。何を買った?」と言われたので、「チョーカー」と答えたら、「チョーカーって何?」 えっ??本当にトータス・ジュエリーの店の人だったのだろうか?
2011.06.02
二度目の長崎でもやはり暖簾をくぐったのはカステラの匠寛堂。清潔な店内で、さっそく試食させていただく。座って食べられるので、まるでちょっとしたお招き気分。格子の丸窓の袂のディスプレイも、どことなく「長崎」。長崎の店は、どこに入っても非常に感じがいい。北関東あたりの有名観光地だと、「その接客態度は何? いくら放っておいても客が来るからって…」と呆れてしまうような店もあるし、地方の田舎に行くと、「なんか警戒してませんか? ワテラ、別に怪しいものじゃございませんが…」と言いたくなるような内向的な店員に会うことも多々なのだが、さすが国際都市として長い歴史をもつ長崎。それなりの店では、誰もかれも客扱いがうまい。しかも、いかにも「商売上手」と言うのではなく、丁寧にもてなしてくれている素朴さも残っている。だから、返って、いったん入ると何も買わずに出てきにくくなる(苦笑)。以前買って、心底うなったカステラの最高傑作「天地悠々」と普通の商品(?)「はちみつカステラ」を購入。「天地悠々」は桐の箱入り。これ…正直に言うとリピーターには無用なのだが(苦笑)。初めて食べて美味しいと思っても、二度目には、「あれ? こんな程度だったかな?」と思ってしまうものも世の中には多いが、「天地悠々」ではもう一度ちゃんと感動させてもらった。しっかりした味だが決してくどくなく、もっちりした食感には、「さっくり」と「しっとり」が同居しているよう。一口で何重にも美味しい。個人的には、匠寛堂の「天地悠々」がナンバーワン・カステラだと思う。とはいえ、長崎という街は本当にカステラのレベルが高い。東京で売られている長崎カステラって、わざわざ長崎で売れないものを選んで送ってるんじゃありませんか? などと邪推してしまうくらい、どのカステラメーカーのものも、それぞれにファンがいそうな個性がある。いろいろ買ってみたが、ひどく「はずれた」と思うものはなかった。あっさりしたカステラを好む人、卵の風味の強いカステラを好む人、どんな細かな嗜好にも必ず合うカステラがありそうだ。東京にいては知りえなかったカステラの奥深さ。それを知ることができるだけでも、長崎は何度も訪れる価値がある。匠寛堂の「はちみつカステラ」も、やや甘みが強く、ぎゅっと中身が詰まった味。これも好みだった。匠寛堂の過去エントリーはこちら。ちなみに、車で来た観光客の方は、店舗の裏に専用の駐車場があるよう(7番か8番だ…と聞いた気がするのだが、うろ覚え)。
2011.06.01
ミシュランの三つ星の概念は、「(遠隔地であっても)わざわざその店まで足を運ぶ価値のある店」だ。その店に行くために、その土地まで行きたい…とまで思える店は少ないが、Mizumizuにとっては長崎の江山楼が、まさにその概念に当てはまる店。長崎といえば、ちゃんぽん、皿うどん。それから、とんぽうろうなどの名物もある。江山楼では、そのどれもが食べられるが、Mizumizuにとっての最高の一皿は、実はありふれた中華料理であるスブタ。材料はいたってシンプル。肉のほかは、タマネギとピーマン、それにパイナップルとライチが入っている。このライチがめっぽう効いている(ただし、一度だけだが、夜遅く行ったときにライチが入っていないことがあった)。九州はだいたいどこもそうなのだが、料理の味付けがかなり甘い。江山楼のスブタもその例に漏れないが、果実が混ざることで、さわやかな酸味が加わり、かつて旅した東南アジアの味を思い出す。とろみ付けには何を使っているのだろう。普通の片栗粉とは思えない。葛だろうか? 透明感があり、ボテッとならずに、サラリとしているのだが、しっかりとろみが付いている。大きめの肉も二度揚げしているのか、中までしっかり火が通っているのに、表面が揚がりすぎているということもない。どういう小技を使っているのかはわからないのだが、とにかく、その結果できあがったスブタというよくある料理が、めったにない逸品になっている。このスブタを食べるためなら、東京からの1300キロの距離もいとわないくらいだ(苦笑)。おまけに、夜この店に行きやすいように中華街の近くにホテルを取った(再苦笑)。スブタのほかに頼むのは、「ちゃんぽん」か「皿うどん」か、それが問題だ…と、ハムレット並みに悩む方には、迷わずちゃんぽんのほうをお奨めしたい。皿うどんは…いや、美味しいですけどね、個人的には衝撃的というほどでもなかったのだ。ちゃんぽんは、一口スープを口に含んだとき、「う~ん、美味しい」と思わせてくれるものがある。江山楼は、東京の長崎物産展でよく出店しており、食べたことがあるのだが、率直に言って、出張店のちゃんぽんは、長崎本店の味とはベツモノだった。今お台場のほうに、江山楼が臨時出店しているようだが、そういうわけで、東京では食べに行く気がしない。なにがどう違うのかはわからないが、あれほど味が違っては、逆に名店の名折れではないだろうか。東京で食べて、「こんなものか」と思われたら、長崎で来てもらえなくなるのではないかと思うのだが。だが、そんな心配は実際には無用かもしれない。長崎の江山楼は、いつも混んでいて、必ず名簿に名前を載せて待つことになるからだ。といっても、長くて30分ぐらいなので、あまり待つようだったらちょっと外をぶらぶらしてもいい。ちゃんぽんも皿うどんも、1人前といいつつ、東京の感覚だと2人分はありそうなボリューム。長崎ではあれが普通なのだろうか? 春巻きもなかなかだった。江山楼には、「ソー酢」という甘酸っぱい特製の調味料があり(いわゆる「ソース」ではありません)、それをかけるとまた一味違う。店内でもポスターを貼ってさかんに宣伝している「とんぽうろう」は、さほどのものとは思わなかったのが… 頼んでる人もあまり見かけない気がする。江山楼には車道沿いの店舗とその斜め向かいの店舗の2店がある。奥まったほう(車通りに面していないほう)にしか行ったことはないのだが、味は違うのかしらん??クルマで来た観光客の方は、車道沿いの店舗の真向かいに、えっれー狭苦しいコインパーキングがある(店の駐車場でも契約駐車場でもない)。ここの駐車場は狭くて高いので、ちょっと川のほうへ走れば、もっと広くて安い駐車場もある。長崎に行ったら、MUST GOの店。そして、是非ともスブタを試してみてください。 追記:こちらが東京のデパートの長崎展で食べた江山楼のちゃんぽん。見た目はほぼ同じ・・・? しかし、味はベツモノだった。長崎で王さんのちゃんぽんと呼ばれる鶏ガラ100%鶏白湯スープが味の命唐アク麺は長崎の特産品日本 ご当地1ヶ月常温保存非常食に可王さんの長崎ちゃんぽん1食ちゃんぽん・皿うどん発祥の長崎中華街の味ちゃんぽん麺 食べ比べ お土産 卓袱料理 佐世保バーガー 長崎県産 10P27May11 さだまさし ご当地ラーメンまち楽_九州特産品 ポイント10倍_九州グルメ【まち楽_B級グルメ_メディア】江山楼通は皿うどん太麺派が多いモチモチの食感!鶏白湯の旨味唐アク麺は長崎の特産品日本 ご当地1ヶ月常温保存非常食に可!特製ソー酢付き王さんの長崎皿うどん太麺1食ちゃんぽん・皿うどん発祥の長崎中華街の味ちゃんぽん麺 食べ比べ お土産 卓袱料理 佐世保バーガー 長崎県産 10P27May11 さだまさし ご当地まち楽_九州特産品 ポイント10倍_九州グルメ【まち楽_B級グルメ_メディア】
2011.05.23
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