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羽生選手は4回転トゥループの確率も凄い。そこに目が行きがちだが、やはりなんといっても、トリプルアクセルの精度があまりに凄くて舌を巻く。加点3点がずらっと並ぶイーグル+トリプルアクセル+イーグル(チェンジエッジ)イーグルのショートも凄いが、フリーのしかも後半に、トリプルアクセル+シングルループ+トリプルサルコウのジャンプって… これだけで基礎点が14.52点。今回あの状態でも決めてきた。1点3人に2点6人の加点が、いっそ渋くさえ見える。それにしたって、加点を入れて、この3連続ジャンプ(と今は言う)1つだけで16.23点だ。ほとんど助走をつけない状態で跳んでも、アクセルジャンプは大きくきれいな放物線を描くハイクオリティ。ダブルじゃなくてトリプルですから。スゲー としか言いようがない。男子フィギュアは羽生結弦以前と羽生結弦後で、概念が変わってしまうかもしれない。実際、羽生選手の「人間ですか? 神ですか?」のフリーのジャンプ構成を見たあとでは、フリー冒頭に4回転を跳んでも、後半にダブルアクセルを入れてくる他の男子選手のジャンプがガクンと見劣りがするようになってしまった。幸いにも、今回羽生選手の脳に異常はなかったとのこと。足の捻挫は、演技中のトリプルループの転倒のときにひねったものだろう。怪我をしっかり治してください。怪我さえなければ、「絶対(転倒)王者」や「皇帝」を凌ぐ、「絶対氷帝」の座はあなたのものだ。
2014.11.10
昨夜起こったフィギュアスケートのグランプリシリーズ中国大会での羽生選手とエン・カン選手の衝突事故。あまりに衝撃的な映像に、You tubeにあげられた動画には、すでに70万件以上のアクセスが殺到している。https://www.youtube.com/watch?v=75-dxXoFGLcこれほど長く選手が氷上から動けず、激しく出血しているという状況は、Mizumizuも見たことがない。そして、案の定、「周囲は棄権を薦めたが、本人の意思が固く強行出場」という、誰にとっても最悪の選択がなされ、演技中に足にさらなる負傷を負いながらも滑り切り、点数をみて号泣する羽生選手に後ろ指をさすわけにもいかず、周囲は彼の勇気を褒め称え、さらには美しき根性の物語にまで仕立てあげるという流れ。これもまた、誰にとっても最悪な展開なのだ。はっきりと、もう一度言おう。これは「最悪の選択」「最悪の展開」だ。つい先日書いた、日本フィギュアスケート界に蔓延する選手への過剰な負荷強要と、それを美談にする商業主義。これはおかしい、行きすぎだとどこかで思いながらも、口に出せず、「さすがに五輪王者になる人は違うね」「後遺症がないといいですね」の表層的なきれいごとで傍観するだけの他人。こうした他人は、王者が深刻な怪我で舞台から退けば、さっさと忘れて次の王者に関心を寄せる。いくら超一流のアスリートといっても、羽生選手はまだ19歳の少年なのだ。社会的にも人間的にも経験の足りない、ましてや医学知識などなく、試合に向けて高揚・興奮状態にある若い選手の意志を優先させた結果、死亡事故につながるケースが、すでに格闘技や激しい身体的接触をともなうスポーツでは起こっている。フィギュアスケートも男子は4回転時代に入り、トップスケーターはものすごいスピードで滑っている。その2人が衝突したら、ダメージは計り知れない。オーサーは「脳震盪がないか慎重に検討した」と言ったようだが、それは脳震盪の危険性に対する認識が甘いのではないか。たとえば、激しい肉体的接触を伴うラグビー界の「選手を守る」取り組みを見てみよう。http://www.rugby-japan.jp/about/committee/safe/concussion/guideline.pdfこのガイドラインでは、「脳震盪とは何か」という基本的な定義から始まり、その危険性、対処の方法まで細かく規定している。これは選手の意志やコーチやトレーナーの意向といった感情的なものよりも上位に位置づけられる、皆が守べき規定なのだ。今回の羽生選手にも当てはまる部分は以下。脳振盪の見分け方受傷後に以下の兆候、または、症状のいずれかが認められたら、そのプレーヤーは脳振盪の疑いがあるとみなされ、ただちにプレー、または、トレーニングを止めさせなければならない。目に見える脳振盪の手がかり – プレーヤーに認められるもの以下のうちの1つ、または、それ以上の目に見える手がかりがあれば、脳振盪の可能性がある:• 放心状態、ぼんやりする、または、表情がうつろ• 地面に横たわって動かない / 起き上がるのに時間がかかる• 足元がふらつく / バランス障害または転倒/協調運動障害(失調)• 意識消失、または、無反応• 混乱 / プレーや起きたことを認識していない• 頭をかかえる / つかむ• 発作(痙攣)• より感情的になる / ふだんよりイライラしている1つ以上、ですよ。つまり1つでも当てはまれば、「脳震盪の疑いがあるとみなされ」「プレーは止めさせなければならない」のだ。今回の羽生選手は明らかに、しばらく「横たわって動けず」、起き上がってもしばらくは「表情がうつろ」で、「足元がふらついて」いたではないか。実際に脳に何が起こったかは、スケート会場で診断などできない。結果として大丈夫であったら、それでいいということではなく、「疑い」のある症状が見られたら、ただちに安静にして、専門医師の検査を受けるべきなのだ。Mizumizuが子供のころ、母親によく言われた。「クルマにぶつかったら、たとえ自分で大丈夫と思っても、『大丈夫です』と言ってはダメ。絶対にダメ。必ず運転手と一緒にすぐに病院に行くように」。この「人の親」なら当たり前の心構えを、フィギュアスケート界の人間も思い出してほしい。Mizumizuは、1年のうちの数か月を北海道の札幌で過ごしていたこともあるが、凍った路上で転倒し、自分ではなんということもないと思って病院に行かずに仕事に行った人が、半日後に亡くなったという話もある。今回の羽生選手の状態は、今おそらく検査を受けているだろうから、まだはっきりとしない。もちろん大事に至らないでいてくれることを願うが、たとえ結果が「最悪」でなくても、こうしたケースに対する指針を厳格に決めておかなければ、いずれ本当の「最悪の事故」も起こるだろう。それからでは遅すぎる。今回の衝突事故の相手が中国選手だったということで、エン・カン選手を非難する人もいるようだが、映像を見る限り、今回はエン・カン選手が「故意に当たってきた」というぶつかりかたではない。(過去に伊藤みどりにぶつかってきたフランスの選手が、関係者の中では悪名高い、「当たってくる選手」だったことがあるのは、以前述べた。そういう選手が今はまったくいないとは、もちろん言い切れないが、今回はそうではない)。ファンの方も、ただ単に誰が悪いかの不毛な水掛け論に参加するのではなく、ラグビー界のような取り組みをフィギュアスケート界でも取り入れるよう働きかけてほしい。追記:なぜ「感動の美談」にすることが最悪の展開なのか。その答えになる記事が出ている(名古屋大学大学院教育発達科学研究科・准教授、内田良氏)。ご一読を。http://bylines.news.yahoo.co.jp/ryouchida/20141109-00040588/羽生選手の姿に「感動」の問題点この週末(11/8-9)、スポーツ医学の中核を担う「日本臨床スポーツ医学会」の学術集会が東京で開かれている。脳震盪(のうしんとう)に関する調査研究がいくつも発表され、日本のスポーツ界において、脳震盪への対応が喫緊の課題であることを感じさせてくれる。まさにその最中に、羽生結弦選手の事故が起きた。それは端的にいうと、(脳震盪であったとすれば)その事後対応は、多くのスポーツドクターが目を疑う光景であったといってよい。フィギュアスケートのGPシリーズ第3戦。羽生結弦選手は、フリー演技前の練習中に中国の選手と正面衝突し、顔面からリンクに倒れていった。羽生選手は、一度は起き上がろうとしたものの起き上がることができず、リンクに仰向けになった。脳震盪の症状があったのではないかと疑われる。なお補足までに言っておくと、「脳震盪」とは、意識消失のみを指すわけではない。頭痛、吐き気、バランスが悪い、めまい、光や音に敏感など、その症状は多岐にわたる。このことさえ、一般にはまだよく知られていない。話を戻そう。羽生選手は、倒れてから10分後には練習に復帰した。そして、さらに本番にも登場した。本番は転倒をくり返しながらも、幸いにしてなんとか演技を終えることができた。さて、ここで最大の問題は、その姿を、マスコミや観客、視聴者は、「感動した」「涙が出た」とたたえたことである。羽生選手側にもさまざまな事情はあっただろう。今回はそのことは置いておくとして、この事案から、脳震盪の怖さと日本のスポーツ文化のあり方について考える必要がある。
2014.11.09
とどまることを知らない羽生結弦人気。あっという間にスターダムにのしあがっても、泰然自若として動じず、戸惑いや心の揺らぎを表面的にほとんど見せないのが、彼のもつ非凡なスター性の証かもしれない。そんな羽生選手がグランプリシリーズ参戦のために中国に入国し、女性ファンに「熱烈歓迎」されているニュース映像を見た。そして、「あれ?」と思ったのが、羽生選手がカートに乗っけていた「西川AiRポータブル」(こちらの記事の写真参照)。【レビューを書いて送料無料】AirPortable stretch エアーポータブル 西川エアー ポータブルマット ストレッチマット ライトグリーン AIR PORTABLE STRETCH【東京西川AIR】寝具-マットレス-マットレス・ウレタン-その他東京西川のAiRマットレス(プレミアムタイプ)の素晴らしさについては、すでに2012年に記事にしているMizumizu(こちら)。羽生選手がもっていたポータブルタイプも所有しているが、普段使っているのは、これ↓西川AIRのプレミアムモデルハードタイプ【送料無料楽天ポイント10倍付】【代引手数料無料】東京西川 AIR コンディショニングマットレス ダブル [エアーSIH] <プレミアムハードモデル><生産国:日本製> 西川産業これは、本当に素晴らしい寝具だ。このマットレスを使う前は、しばしば腰痛に苦しんだMizumizuだが、これを使い出してからほぼ解放された。外科的な治療を要するような腰の負傷に効くかどうかはなんともいえないが、いわゆる「腰痛持ち」の方は使ってみる価値大。Mizumizuが選んだのはハードタイプだが、もう少し柔らかい寝心地を好むなら、このモデル。Mizumizuもギリギリまで迷った。西川エアー【即日発送/ポイント10倍】AIR SI AiRSI 整圧敷き布団 ムアツ布団 ムアツ プレミアム...価格:82,080円(税込、送料込)上記のモデルが高すぎるという向きには、若干リーズナブルなシリーズもある。もちろん、値段が落ちる分だけ、体を支えるシッカリ感も落ちる(日本橋の東京西川で試しました・笑)が、そこは仕方ないだろう。西川エアー【即日発送】西川エアー air 01 シングル ハード マットレス ウレタン ムアツ 敷布団...価格:41,040円(税込、送料込)ポータブルはトラベル用なので、当然ながらこれらの通常のAiRモデルよりは寝心地は落ちる。東京西川もこのシリーズには力を入れているらしく、CMに起用するアスリートも、キングカズから始まって、大リーグの田中将大投手、サッカーのネイマールと、一流中の一流揃い。ということは、羽生選手もCMに起用するのだろうか? 冬の宣伝にはフィギュアスケートの選手はぴったりだし…と思って、東京西川のサイトを見たが、羽生結弦の「は」の字も出てこない。ハテ…?西川産業さん、羽生選手のスポンサーになっていないなら、是非ともすぐになってください! ちなみに、AiRに合わせたシーツということでWrapという商品も買ったのだが、これはいただけなかった。マットレスへの装着が簡単だということと、洗ったあと乾くのが早いという点は評価できるが、すぐにケバ立ってしまう。これで安いならともかく、この値段…★あす楽対象アイテム★レビューを書いておまけGET♪【あす楽対応】【送料無料】wrap クイック...価格:7,344円(税込、送料込)東京西川のシーツ系はどうも耐久性に難があると思うのはMizumizuだけだろうか。
2014.11.06
【送料無料選択可!】YUZURU 羽生結弦 写真集 【初回入荷限定特典付き】[本/雑誌] (単行本・ム...価格:1,944円(税込、送料別)大人で賢明なコストナー選手は、グランプリシリーズでしっかり手を抜いた・・・じゃなくて、不調だったが、五輪までにはきっちり調整をし、ちゃんと高い演技構成点を出している。グランプリファイナルに出られなかった彼女が、五輪ではファイナル女王をあっさり上回る。グランプリシリーズは、彼女にはもう不要だったことが、この事実からも明らかだ。若手が世界に名を売るためには、グランプリシリーズは格好の場だが、ある程度実績を出したら、あるいはベテランの域に達したら、ほとんど意味はない。逆に、どこかで調子を落とせば、それをきっかけに演技構成点を下げる口実にされかねない。キム選手は出場機会をできるだけ減らすことで、体力を温存して怪我のリスクを避け、かつ点を下げる理由をジャッジに与えなかった。先日のオープンフィギュアでチャン選手は90点超の演技構成点を出した。五輪とほぼ同水準の点をもらったから、グランプリシリーズは全休しても、ワールドで同様の演技をすれば、当然同じぐらいの点が出てくる。他の選手がグランプリシリーズで消耗している間に、しっかりコンディションを整え、一発勝負にかけるだけだ。もともと何回練習試合をしようと、本番というのは常に誰にとっても一発勝負なのだから。羽生選手も、本当は同じなのだ。彼にはもうグランプリシリーズは必要ない。昨シーズン、ヤグディン以来となる、ファイナル・五輪・ワールド制覇という偉業をなしとげた後となればなおさらだ。怪我でフィンランディア杯の出場を取りやめたが、本当は次のグランプリシリーズも大事をとるべきだ。長期的な視野に立ち、かつ羽生選手の弱点が何かということを考えるならば。そして、そのうえで、本当に彼に五輪二連覇という偉業をなしとげてもらいたいならば。五輪王者がそれなりの演技をすれば、ちゃんと演技構成点は出てくる。だが、無理して試合に出て、そこから調子を崩せば、逆にマイナスの評価がつき、「羽生選手はオリンピックイヤーだけの一発屋」にされかねない。仮に彼の類まれな精神力が、怪我の痛みを一時的に補ったとしても、生身の人間が何年もそれを続けられるワケがない。昨季の日本ワールド試合後、いかにも痛そうに腰を押さえている羽生選手の姿は、とても19歳の若者には見えなかった。佐野稔以来、久方ぶりに出た日本男子でワールドトップを争える選手として注目された本田武史もキャリアの後半は、痛み止めを飲みながらの試合出場だった。高橋選手もあの怪我、小塚選手も深刻な故障で力強いジャンプが跳べなくなっている。次は羽生選手の番だろうか? 同じことを繰り返してほしくない。いくら能力の高い選手でも、本当にいい演技が出来るのは、年に何回もないのだ。五輪後に日本で開催されたワールドにソトニコワ選手は来なかった。コストナー選手は参加はしたものの、フリーのジャンプの出来はひどいものだった。だが、スケート連盟もスポンサーも、是が非でも羽生選手にはグランプリシリーズに出てもらいたいところだろう。奇しくも今日、高橋選手が現役引退を表明したが、今季は浅田選手もいない。集客は羽生選手頼みだ。「選手本人が出たがっている」などと言って、よほどのことがない限り休みを与えないであろうことは目に見えている。羽生選手の大活躍でフィギュアスケートファンになったという人も多いだろうから、やはりどうしたってそうしたファンは王者・羽生結弦の大活躍を見たがるだろう。羽生結弦の人気は本当に凄いとしかいいようがない。初DVD「覚醒の時」(フジテレビジョン・ポニーキャニオン)はオリコンのDVD & Blu-rayランキングで首位を獲得。スポーツ選手として史上初の快挙だという。カレンダーもバカ売れだったし、展示会やら写真集やら、羽生選手の人気を当て込んだ企画は枚挙にいとまがない。多くのファンはフィギュアの試合そのものを見たいのではなく、贔屓の選手の試合での演技が見たい。それが本音だ。だから、高橋大輔、浅田真央に続いて羽生結弦の名前まで消えてしまえば、その大会の視聴率はガタ落ちになるだろう。今の日本フィギュアを覆い尽くしている商業主義は、実際のところ、プラスの面も多くある。引退した選手がテレビで活躍の場を得ているのも、商業主義のもたらした恩恵だろう。メディアが煽るから世間の注目も集まる。注目が集まれば、選手の金銭的なメリットも増える。それも事実だ。全日本選手権に多くの観客が押し寄せるようになったのも、メディアの後押しがあったからこそだ。だが、最高の舞台である五輪で日本選手を活躍させるという、競技としての本来の目標を思うとき(そのためにフィギュアには多額の税金も投入されている)、オープンフィギュアに始まり、グランプリシリーズ参戦、ワールドを経て最後は団体戦(国別対抗戦。2015年もまた日本で開催予定)まであるような日本選手の過密スケジュールは、利よりも害が増えているのが実情であり、何より日本選手のソチでの演技の出来がそれを証明している。
2014.10.14
グランプリシリーズなど、もはや熱心に見ているのは日本のファンぐらいではないだろうか? 莫大な放映権料を払うから、日本人選手には是非とも活躍してもらわなければならない。視聴率が欲しいから、テレビ局はこれでもかというぐらい盛り上げる。グランプリシリーズで若手の日本人がいい点をもらっても、他の有力日本人選手と一緒に出場するワールドや五輪になると、あ~ら不思議、点が伸びない。急に回転不足が増えたり、演技構成点が伸びなかったり。かつての織田選手、小塚選手、最近では村上佳菜子選手。みんな同じパターンではないか。しかも、何年も同じことを繰り返している。例外は、「ISU指定強化選手」に入れる、ごくわずかな選手のみ。しかも、それは純粋な選手個人の才能だけではなく、コーチの名前や大きな大会の開催地によって決まる。このつまらない出来レースに付き合わされるファンも、たいがいアホらしくなっているはずだ。キム選手はソチ五輪に向けて、グランプリシリーズに背を向け、年間の試合を極力絞る作戦で来た。彼女は数年かけて、自分にあった試合数を計っていた感がある。さすがにワールド1回では、調整がうまくいかなかったと見るや、国際大会への出場をほんの少し増やした。五輪直前のグランプリシリーズを欠場したのは、表向きは怪我のためだが、あの程度の怪我だったら、日本選手なら出場を強要されて、それがまた美談のサイドストーリーになっていただろう(そして、肝心の五輪を最悪のコンディションで闘うハメになるというオチ)。ソチ前のチャン選手は、「フィギュアの選手組合ができたら入りたいよ。ISUは僕らでいったいいくら儲けてるの?」などとブーたれながらも、ちゃんとシーズン通して試合に参戦し、その結果、日本選手同様、本来の彼には程遠いボロボロの出来で、ほぼ手にしていた金メダルを逃した。あれほどまでにチャン選手が心理的に追い詰められたのは、これまでミスをしても勝たせてくれていたジャッジが、急に羽生選手の「肩」を持ち始めたからだろう。チャン選手というのは、非常にクレバーな人だし、またいかにも中国人らしい率直さももっている。自分の状態や他の選手に対する評価を自分の言葉で明確に語る。グランプリファイナルで羽生選手に負けたときに、彼の自信の崩壊が始まった。おそらく、あの敗北は、チャン選手にとって予想外で、本音を言えば受け入れがたいものだったのかもしれない。五輪前のインタビューで、チャン選手は、羽生結弦はいつも自分の肩に重くのしかかる「悪魔のような存在」だと述べている(多くの日本人にとっては天使にしか見えないと思うが・笑)。さんざんミスをしても勝ってきた彼が、五輪を目の前にして、「自分が完璧な演技をしても負けるかもしれない」選手に遭ってしまったのだ。あの羽生選手のトンデモなジャンプ構成。もし、ジャンプだけの選手だけなら、演技構成点で差をつけられるから勝てる。だが、羽生選手に対しては、ジャッジは演技構成点も高く出すようになってきた。カナダのチャン選手にとっては「敵地」と言っていいロシア。そこで勝つためには、曖昧な「表現力」だとか「スケーティングスキル」だけでは無理。誰にも文句を言わせないような高難度のジャンプを跳ばなければ。チャン選手はそれをわかっていた。だから、4回転をショートにも入れ、フリーでは2回跳ぶという、文句なしのジャンプ構成を組み、かつ(ここが彼の偉大な部分だが)、ジャンプの完成度もこれ以上ないというくらい高めてきた。実際、ソチのチャン選手のフリー冒頭の4回転+3回転は、高さ・幅ともに異次元の素晴らしさ。五輪史上もっとも素晴らしい連続ジャンプとさえ言えるかもしれない。王者にふさわしい高難度連続ジャンプを決めながら、次のちょっとした躓きが、どんどん連鎖していった。それでも、「あと数年は世界トップクラスでいられるだろうと思う」と自ら語るチャン選手。今シーズン彼がグランプリシリーズを欠場するのは、正しい選択だ。もう実績は十分にあり、かつベテランの域に達して、怪我が心配な彼が、「過酷なサバイバルレース」などに乗っかる必要はないのだ。先のオープンフィギュアを見ると、4回転ジャンプこそ1回に抑えたが、彼の高い「滑りの技巧」を最大限生かすプログラムを作ってきている。ピタッと止まって体をひねりながらポーズを入れ、そのあと滑り出して、もうすぐにスピードに乗っている。スピードをまったく落とさず、安定した滑りのまま体を上下に大きく使う。あんなことができるのは、世界広しと言えどもチャン選手ぐらいだろう。演技構成点も高く出たから、ますます彼にとってグランプリシリーズなど、もはや無用の長物だろう。キム選手同様、ワールドには出てきて、タイトルを目指すほうが得策。日本ではグランプリファイナルのタイトルをことさら喧伝しているが、やはりフィギュアスケーターにとって大事なのは、五輪の金メダル。次はワールドのタイトルなのだ。五輪のタイトルは確かに商業的な利益を選手にもたらすが、五輪はあくまで4年に1度。選手生命の短いフィギュアスケートでは、運も多分に作用する。長い目で見ると、五輪の金メダルより、ワールドのタイトルを積み重ねた選手のほうが尊敬されるという傾向も出てきている。カナダのカート・ブラウニングやアメリカのミシェル・クワンは、どちらも五輪では勝てなかったが、いまだに母国では破格の扱いだ。若い選手が世界に名を売るためには、グランプリシリーズには出る必要がある。だが、いったん評価が定まったら、たいした意味はなくなる。フィギュアスケートでは20歳を超えてきたら、もう若手ではなくなるし、体力的にもシーズンとおしてフルに闘うのはきつくなってくる。そういう選手には、グランプリシリーズは負担なのだ。高橋選手が肝心なときに怪我をしてしまったのも、年齢のわりにはハードな試合数をこなしてきたせいもあるだろう。彼ほどの選手なら、別にグランプリシリーズでアピールしなくても、ジャッジは高い演技構成点を出してくれる。実際、五輪での高橋選手の演技構成点は、あのジャンプの出来にしては破格だった。ショートの点は、「4回転ジャンプやめたら銅メダルは君のものだよ」と言わんばかり。もちろん、高橋選手はあくまで自力で金メダルを獲るジャンプ構成で来ることはわかっていたが。理想を言えば、彼こそキム・ヨナ選手のように、試合数をできる限り制限しながら、大舞台だけに照準を定めて調整させるべき選手だった。だが、そんなことをしたら、選手層の厚い日本では、「高橋だけ特別扱いか」などと言われてしまう。高橋選手に出てもらわなければ、視聴率は取れないし、チケットも売れない。日本では五輪切符を得るためのグランプリシリーズの重みは他国とは比較にならないから、選手は息つく暇もない。そして、五輪では皆、力尽きている。
2014.10.13
浅田選手が団体戦のトリプルアクセルで転倒し、「あの子は肝心なときに必ず転ぶ」などと、言わずもがなの一言を言ってバッシングを浴びた森元首相だが、さすがに一国の総理にまで上り詰めた政治家だけあって、「日本が戦略を誤った」という見方は非常に的を射ている。政治家の「失言」ばかりをことさら取り上げ、そこばかり報道するのはマスコミの常套手段だが、それにうかうかと乗せられ、ヒステリックに攻撃する大衆も、少し冷静になるべきだ。http://www.xanthous.jp/2014/02/21/mori-yoshirou-slip-of-the-tongue-problem/「発言の本意が伝わってないな。私が言いたかったのは、女子フィギュアが戦略を間違えたということ。浅田選手は団体戦に出る必要はなかった。勝ち目が薄い中、浅田選手が 3 回転半を跳べばメダルに手が届くかもしれない。そんな淡い期待があったのだろうが、結果は転んだ。ミスは選手のトラウマになる。実際、( 個人 SP で )また転んだ 」「 彼女がかわいそうだ。団体戦のため、開会式からずっと現地に入らされ、調整が難しかった。キム・ヨナみたいに本番直前に現地に入ればよかったんだ 」「政治」の世界を泳いできた森氏は、フィギュアスケートに関しては無知かもしれないが、団体戦から個人戦までの流れを見て、その背景にある「政治的な思惑と駆け引き」、そこでの日本の「敗北」にある程度気付いている。連盟のメンツも考えれば、立場上、すべてを率直には語らないだろうが。団体戦のメダルなど、よっぽどのことがない限り日本には来ない。淡い期待をもって浅田選手を出したのは間違い。その必要はなかった。そこは、森氏の言う通りだ。浅田選手だけはなない。足の状態が悪かったという鈴木選手ともども、女子シングルは「共倒れ」に終わった感があった。全日本で鈴木選手を浅田選手の上に置いた日本スケート連盟。「浅田真央がトリプルアクセルで自爆したら、鈴木選手を台にのせてね、お願い。銅でもいいよ、メダル欲しいのぉ~」という思惑がアリアリだったが、団体戦でもう、鈴木選手は回転不足を容赦なくダウングレードされ、ボロボロ。団体戦で鈴木選手の点数が表示されたときの長久保コーチの呆然とした表情が忘れられない。採点傾向をまだ知らない状態で、「もしかしたら、回転不足を取られたかも・・・」と解説してしまった八木沼氏も、アンダーローテーション判定が3つに加えて、3ループはアンダーローテどころかダウングレード判定という結果をみて、「厳しいですねぇ」と、できるだけ明るく言うしかなかった。Mizumizuも何年も前から、「団体戦など無意味。特に日本にとっては百害あって一利なし」と、言ってきた。いくら五輪に向けた団体戦をいつもいつも日本で開催しようが、そこでまずまずの順位をもらおうが、ISU会長が日本に来て、わざわざ団体戦の意義を安倍首相に説明しようが、はたまた安倍総理がソチの団体戦の会場に足を運ぼうが、ペアやダンスにも厚い層をもつロシア、アメリカ、カナダの間に入れる可能性はほとんどない。日本はさんざんキャッシュディスペンサーがわりにされてきただけだ。空前のフィギュアスケートブームを背景にISUにたんまり上納したからといって、その見返りがあると思ったら大きな間違いだ。欧米人というのは、そんなお人よしではない。日本だって高いチケットをバンバン売って、儲けた人間がいるだろう。ソチ団体戦では、ISUの意向に沿う形で、そして「もしかしたらメダルがもらえるかも」という、ありもしない期待をかけて、日本はシングルのエースを次々投入。キム・ヨナ選手が冷静に、「(自分には)団体戦がなくてよかった」と述べた通りの個人戦の結果となった。それは点数という結果というより、日本選手の演技の出来という結果に出た。金メダルの羽生選手ですら、フリーの演技は本来の出来ではなかった。チャン選手が、より本来の出来から程遠かったから勝てたという側面もある。団体戦がプラスに作用したかもしれないのは、シーズン最初に調子が悪かった(したがって試合数が少なくてすんだ)コストナー選手ぐらいだろう。体力のある男子選手ですら、シングルのフリーまでもたなかった感がある。それは、パトリック・チャン選手にも言えることだが、カナダはちゃんと団体戦のメダルを持ち帰った。団体戦で日本側がもらえたのは、テレビの視聴率ぐらいだろうか。団体戦でいかに選手が消耗するか。そして、そこでミスした場合、そのマイナスイメージを短期間で払拭するのがいかに難しいか。そんなわかり切った事実から、日本のメディアは全力で目を背けてきた。日本スケート連盟も同様だ。連盟の御用達ライターは、羽生選手のインタビューを引き合いに出して、団体戦の意義を強調した。だが、羽生選手がよかったのは、シーズン通して安定していたショートだけで、フリーではフリップで失敗という信じられないミス。もともと試合で確率の悪かった4サルコウは、やっぱり転倒。それでも羽生選手が勝ったのは、4トゥループの確率と精度に加えて、トリプルアクセルの圧倒的な安定度がモノをいったと思う。チャン選手は逆に、元来苦手なアクセルジャンプがうまく決まらなかった。金と銀を分けたのは、4回転ジャンプではなく、トリプルアクセルの完成度だったとMizumizuは見ている。それにしても、チャン選手の滑りの巧さは、金メダルを直接争ったのが羽生選手だったこともあって、ことさら際立って見えた。これが調子のいいときの高橋選手だったら、それほど感じなかったかもしれないが、フリー後半、顔に疲労と落胆の色が濃くなりながらも、チャン選手のスケートはやはり伸びていて、「よく滑っている」という感想が一番ピッタリきた。羽生選手とのスケーティングスキルの差は明確かつ圧倒的だと思ったが、フリーで演技審判が出してきたSS(スケートの技術)の点は、チャン選手が9.39で羽生選手が9.07と、ビックリするくらい差が小さい。ここでもジャッジは、五輪王者を争う2人に、「順位はつけるが、差はつけない」という原則で来たのだ。演技構成点全体もチャン選手が92.70、羽生選手が90.98で1.72点差。このぐらいの差なら、十分「勝負させてもらえる」。これが10点差とかふざけた点差に広がったら、タラソワじゃないが、誰も勝負させてもらえなくなってしまう。http://www.isuresults.com/results/owg2014/owg14_Men_FS_Scores.pdf今の採点システムは、一見、1つ1つの点の積み重ねの結果に見えるが(実際、その通りではあるが)、ことに演技構成点で大切なのは、ある選手とある選手にどのくらい点差をつけるかなのだ。解説の本田氏が団体戦のプルシェンコの最初の演技のときに、「これが基準になる。これでどういう点が出てくるかわかる」と言っていたのも、つまりはそういうこと。絶対評価なのだから、有力選手の点が「基準になる」というのは、おかしな話なのだが、実際のところ、基準となる選手を決め、そこからどのくらい点差をつけて評価するかといった「手続き」が、事実上出来上がっているということだ。「色白は七難隠す」じゃないが、羽生選手の金メダルという偉業と、彼のルックスやスタイルのよさ、カリスマ性・スター性が、オリンピックでの日本スケート連盟の数々の「戦略の失敗」を覆い隠している。そして、羽生選手の金メダル1つに終わったフィギュアの総括として、連盟は団体戦が個人戦の前にあったことが選手の負担になった、今後は各国と連携して開催時期を検討していくなどと言い出した。初めっから見えていたことです! Mizumizuのような素人さえ、何年も前から指摘している。五輪の団体戦導入に日本を絡めてくるISUのやり方のいやらしさ。ほぼありえないメダルをエサにされ、うかうかと乗っかるほうが頭が悪いのだ。団体戦で女子のエースを温存して女子金メダルを獲得したロシアと、エースと消耗させて女子のメダルを逃した日本。これほど層の厚いシングル女子にメダルなしというのは、もうそれだけで、日本スケート連盟の全面敗北と言っていいのではないか。言うまでもなく、選手は全員、五輪にかけてきている。五輪で最高の演技をするために。だが、日本選手の中で、一人でも「シーズン最高」の演技を披露できた者がいただろうか? そこが大きな問題だ。何かというと、「オリンピックの魔物」だとか「メンタルの弱さ」などと言うが、五輪でシーズン最高の演技を披露した、ソトニコワ選手、(団体戦の)リプニツカヤ選手、コストナー選手、キム選手、テン選手といったメダリストと比べたとき、日本人選手の出来の悪さは際立っている。日本人選手の試合数の多さが、まずは一番の原因だろう。キム選手の演技を見て、アナウンサーが、「シーズン3試合目でこの演技」などと言っていたが、3試合目だからこそ、いい演技ができたんです!羽生選手、高橋選手、チャン選手がシーズンでもっともよい試合をしたのは、何番目の試合だっただろうか? それを分析すれば、おのずとその選手に合った年間の試合数は分かるというものだ。ベテランになってくればくるほど、試合数は制御したほうがいい。コストナー選手やキム選手を見れば明らかだ。<続く>
2014.10.12
【1000円以上送料無料】浅田真央夢(ドリーム)の軌跡/ジャパンスポーツ/ワールド・フィギ...価格:2,052円(税込、送料込)ソトニコワ選手が、フリーの冒頭の連続ジャンプのセカンドにどのジャンプをもってくるか? それについては直前の予想では、某元女子フィギュアスケーターでさえ、「ダブルループではないか」と言っていた。ソトニコワ選手は連続ジャンプのセカンドにトリプルループをつけることのできる数少ない選手だが、ここのところ不調で、セカンドにループをつけようとしても、そもそもまともな連続ジャンプにさえならないことが増えていた。ショートでやったトリプルトゥループ+トリプルトゥループは素晴らしい質だが、あれをフリーでやったら後半に2A+3Tができなくなる。それに、ループは回転不足を取られやすいジャンプだ。安藤選手や浅田選手など、セカンドにトリプルループをもってきても、バンクーバーの前からほとんど認定されなくなったのは、Mizumizuが何度となく問題にしてきたとおり。となれば、冒頭の連続ジャンプのセカンドはトリプルループではなく、確実にダブルループで来るだろう・・・という予想はもっともだが、Mizumizuは懐疑的だった。当時、世間の注目は団体戦で好調だったロシアの美少女リプニツカヤに集まっていたが、オリンピック直前のロシア選手権を制したのは彼女、つまりロシアの「本命」はソトニコワなのだ。オリンピックで優勝するためには、連続ジャンプのセカンドは是非とも2回とも3回転が欲しい。だから、ソトニコワ選手は大半の予想に反して、最初の連続ジャンプのセカンドにトリプルトゥループを持ってきたのだ。3回転ルッツ(フリップでもいい)に3回転トゥループをつける。つけて、回り切る。これが浅田選手にもできたなら・・・というのは、もう数年前にくどいほど書いたので、もう繰り返さないが、バンクーバーもソチも、結局のところ女王に輝いたのは、セカンドにもってくる3回転トゥループを確実に決めることのできた選手だった。このことにまったく驚きはない。むしろそうなるだろうと思っていた。3+3の連続ジャンプのセカンドに3回転ループをもってきても、現行ルールのもとではまず認定は難しい。回転不足と判定されれば、GOEが伸びないから、結局のところ、セカンドにもってくる3回転ループは、よほどでなければ武器にならない。今回のオリンピックで、あれほど見事なセカンドの3回転ループを決めた浅田選手でさえ、やはりこの「壁」は崩せなかった。現行ルールでは、そういうことになるが、だが、そもそもキム選手が優勝を逃した遠因は、3ループを単独でさえ入れることができなかったことにもある。3ループがないから、得意のセカンド3トゥループを最大限生かすジャンプ構成を組めなかったのだから。また、五輪女王のソトニコワ選手は、セカンドに3ループをつけようとして何度も失敗している。ジュニアのころは跳べたが、シニアに上がってからは、つけることさえできずに失敗することも多かった。それをあれほどの完成度で入れてきた浅田選手がいかに偉大か。それは何度でも指摘しておきたいし、才能あふれるロシアのフィギュアスケーターが、なぜこぞって浅田真央を偶像視するのか。その理由がわかろうと言うものだ。ソトニコワ選手の最初のルッツの踏切エッジとセカンドジャンプの回転は微妙だったようにも見えたが(というか、テレビ放送ではカメラの位置は踏切のエッジが判断できにくい角度にあったので、よくわからない)、公明正大かつ正確無比は技術審判は、エッジ違反なし、回転不足なしと判定し、公明正大かつ正確無比な演技審判は加点を気前よくつけた。http://www.isuresults.com/results/owg2014/owg14_Ladies_FS_Scores.pdf最初の3Lz+3Tの得点だけを抽出すると、キム選手が11.70点、ソトニコワ選手が11.10点。GOEの差(つまり質の差)で0.6点というのは、Mizumizuには極めてまっとうに見える。単独のフリップの点は、余裕をもっておりて、すぐさまポーズを入れたソトニコワ選手が6.80点で、回りきってはいたものの、余裕がなかったキム選手が6.50点で0.3点の差。Mizumizuには多少キム選手に対する加点が好意的すぎるようにも見え、両者のジャンプの質の差を見ると、もう少し点差がついてもいいようにも思えるが、それでも、質によって細かくGOEで点差をつけていくという、新採点システムのもともとの理念がうまく機能した採点例だと言えると思う。話をもとに戻す。団体戦に出られなかったことを、ソトニコワは「くやしかった」と語ったが、それは別の見方をすれば個人戦に向けて、ロシアが掌中の珠を温存しておいたとも言える。あまたの才能を輩出してきたロシアという国は、常に「そのときに最も調子のよい選手」を見極める目が、ある意味でとてもドライだ。オリンピック直前のヨーロッパ選手権では、明らかにリプニツカヤ選手のほうが調子がよかった。たとえばフリーでは、演技構成点ではソトニコワ選手のほうが、1.6点上回っていたが、技術点では、リプニツカヤ選手のほうが9.72点も上。10点近い技術点の差は、いくら演技構成点が上げたり下げたり融通がきく(もちろん、そんなことはございませんとも! 採点は公平ですから!)とはいっても、そう簡単にひっくり返せるものではない。http://www.isuresults.com/results/ec2014/ec2014_Ladies_FS_Scores.pdf団体戦には、若くて波に乗っているリプニツカヤ選手を使い、ソトニコワの「ソ」の字も出さない。一方で、団体戦で活躍したリプニツカヤ選手が、世界中の注目を浴び、その結果、本人の強い意志とは裏腹に、個人戦で力尽きるであろうことは、個人戦の前に多くのフィギュア界のレジェンドたちが予想していた。「どれほど彼女(リプニツカヤ)が強くても、あの年齢の少女にこの重圧は耐えられない」。百戦錬磨のロシア・スケート連盟の重鎮とて、当然それは予想していたはずだ。リプニツカヤは団体戦で「消耗しきって」しまっても仕方ない。個人戦で活躍させるのは、もう1つの「珠」であるソトニコワ。団体戦に「出られなかった」という屈辱も、ロシアの国内選手権をすでに複数回、あの若さで制している天才少女には、必ずプラスに働くだろう。これはロシアが打って出た「賭け」だっただろう。勝負というのは、常に伸るか反るか。「国の威信をかけて金メダルを獲る」と宣言した団体戦で、リプニツカヤ一人に賭けたロシア。それは見事に当たったのだ。ジャッジも好演技をしたリプニツカヤに高得点で報いた。それを見て、ベテランのコストナーにメダルを賭けているイタリアは解説者が猛反発。まだ「少女」であるリプニツカヤに、こんな高い演技構成点を与えるのは時期尚早だと大ブーイング(実にわかりやすいのぉ…笑)。そうおっしゃいますが、長野五輪の金メダルを争ったのだって、アメリカの17歳と15歳の「少女」だったじゃないですか。この数年は若い選手の演技構成点が低く出る傾向があったのは確かだが、それは別に絶対的なものではない。その試合の審判団が高い表現力・技術力があると評価すれば、別に何点出したって「不正」ではないのだ。ロシアにとって唯一かつ最大の誤算は、男子シングル枠が1つになってしまったこと。団体戦で素晴らしい演技をしたプルシェンコ一人に、個人戦も賭けなければならなくなり、他の「駒を配置する」・・・もとい、「珠を出す」機会がなかった。それも遡れば、反ロシア感情の強いカナダで行われた前年の世界選手権での若手の不振にある。逆に、女子ではロシアは賭けに勝ったのだ。その背景には、「恐ロシア」と日本のネット民が早くから認めていた若手女子の人材の豊富さがある。Mizumizuはソチ五輪で活躍するのは、タラソワ・スクールのソトニコワとミーシン・スクールのタクタミシェワだと思っていた。タクタミシェワのジャンプは理想的な放物線を描く、美しく力強いジャンプ。練習では素晴らしいトリプルアクセルも決めていた。しかし、ロシア女子の最大の敵である、「体形変化」で彼女は五輪前に調子を崩してしまった。タクタミシェワが崩れても、ロシアにはさらに若い別の才能があった。怜悧な美貌、憂いを含んだ演技。それらと裏腹な、戦士のような激しい闘争心。リプニツカヤも今回の五輪で最も輝いた選手の1人であることは疑う余地がない。個人戦のショートで失敗したことで、逆にロシアの女子シングルの本命はソトニコワだけになった。そのことも今までの採点傾向からすると、ソトニコワに有利に働いたかもしれない。奇妙なことに、これは日本の男子シングルで、エースの高橋大輔選手が怪我をして、そこから急に流れが羽生結弦選手に来たのとも符合する。五輪でも高橋選手の足の状態がよくないのは明らかだった。力なく途中で落ちてきてしまった(おりてくるというより、回転できずに落ちてきてしまったという感じ)ソチでの4回転ジャンプの直後に、CMで調子がいいときの力強い高橋選手の4回転ジャンプが流れたときは、さすがに胸が痛んだ。
2014.10.10
浅田真央/浅田舞/All History 浅田真央〜花は咲き星は輝く・浅田舞・真価格:4,104円(税込、送料別)政治的な立場から見ると、今回のシングルのメダルは、見事なくらいフィギュア強国の顔が立った結果になった。カナダは悲願の男子シングルの金メダルは逃したが、オーサーの弟子が金メダルを獲得したことで、「やはりカナダの英雄は優れたコーチだ」ということになった。キム・ヨナだけが金メダルなら、オーサーでなくキム選手が偉大だったということになりかねない。そして、銀メダルは北米枠(注:もちろん、そんなものはありませんとも! 採点は公平ですから!)からカナダのチャン。4年前ロシアの「皇帝」をコケにしたカナダは、こうして報復された(ことはありませんとも! 採点は公平ですから!)。あれほどジャンプをミスらなければ金だったんですよ。銅メダルはロシア選手がいなくなった「ヨーロッパ枠」で(注:もちろん、そんなものはありませんとも! 採点は公平ですから!)、スペインに用意されていたが、フェルナンデスのジャンプ回数のルールミスで図らずもデニス・テン選手に行った。今回シングルでアメリカは振るわなかったが、テン選手のコーチはアメリカの名コーチフランク・キャロル。アメリカもかろうじて面目を保った。しかし、それにしてもデニス・テン選手は素晴らしかった。ジャンプばかりに目が行くが、彼の場合はスピンのレベルを落とさない。四大陸からそうだった。四大陸ではスピンの名手・小塚選手よりよかったほどだ。こうした細かい取りこぼしがないことも、現在の採点システムでは重要なことだ。表現もかつて師事したロシア人コーチが得意なドラマチックな要素と、アメリカ的な品行方正な雰囲気の両方を兼ね備えている気がした。女子金メダルは、ロシア。言うまでもなく悲願の初五輪金だ。銀はIOC外交を頑張った韓国。銅は3度目の正直のイタリア。北米枠にアメリカ入らなくてごめんね。でも、アイスダンスで金、団体で銅だから、悪くないでしょ? 次の平昌オリンピックでシングル女子優遇するから(注:もちろん、そんなものはありませんとも! 採点は公平ですから!)。日本女子は、悲願の男子シングルでの金メダルをあげたんだから我慢してね。もうちょっと出来がよかったらメダル分配に入れたけど、ああも自爆しちゃね。「ヨーロッパ枠」が2つになったのは、まあロシア開催だからってことで。実際、コストナーは文句なかったでしょう? 同じ国の2番手・3番手の選手は回転不足厳しく取って落とすのが原則なんで(注:もちろん、そんな原則はありませんとも! 採点は公平ですから!)。なにも日本だけじゃないでしょ、アメリカのワグナーもしっかり厳しく取って落としときましたから。アメリカ・スケート連盟だって金髪美人のグレーシー・ゴールド推しでしょ?しかし、それにしてもコストナー選手の見事だったこと! まさかショートでいきなりトリプルフリップ+トリプルトゥループを決めてくるとは思わなかった。単独ジャンプも高さ、幅、勢いがあり、まさに「加点のつくジャンプ」。しかも、ルッツとフリップのエッジの踏み分けの正確さときたら! あれほど明確に踏み分けられるトップ選手は彼女だけではないだろうか。リンクを横切っていくだけで(よい意味での)鳥肌が立つような伸びのある滑りのテクニック。さらに観客を引き込もうとする気持ちの充実と余裕。振り付けもシンプルかつ上品で、彼女こそ最も成熟した、大人であることを印象づける工夫がなされていた。彼女は完全にプログラムを自分のものにしていて、ジャンプに入っていく直前まで笑顔だった。あのコストナーがジャンプの直前にまで見せていた笑顔の示す、心の「余裕」が浅田選手にあったら・・・とMizumizuは思ったのだ。そして、試合後に、「これほどうまく滑ることができたのは初めて」と自身が振り返って語ったソトニコワ選手。勝負を決めたのは、3つの連続ジャンプのセカンドにもってきたトリプルトゥループだ。後半のダブルアクセル+トリプルトゥループのトゥループの見事な「回り切りかた」は本当に素晴らしかった。完全に回り切り余裕をもっておりてきた。テレビ画面からでも「あっ、これは・・・(回転が足りてない?)」とわかってしまった浅田選手のダブルアクセル+トリプルトゥループとは違う。あのセカンドにもってくる3回転トゥループの「余裕」が浅田選手にあったら・・・と、これまたMizumizuはため息をついたのだ。<続く>
2014.10.04
【楽天ブックスならいつでも送料無料】羽生結弦「覚醒の時」【初回限定豪華版】 [ 羽生結弦 ]価格:3,992円(税込、送料込)自らの信念――あるいは価値観と言ってもいい――を提示し、それにそった流れを作る。バンクーバー後に、ロシアのスケート連盟とスケート界の大物がやったのはそれなのだ。「自らのもつフィギュアスケートのビジョン」を示し、競技をそちらに誘導するためには、ときにはシステムやジャッジの批判も恐れない。2012年のニースでの世界選手権のあと、タラソワは1位チャン、2位高橋、3位羽生、4位ジュベールという男子シングルの結果とジャッジングについて、彼女らしい率直な言葉で批判を展開した。それを要約すれば以下のようになる。チャン選手については、カナダ陣営が発揮する強大すぎる影響力によって、チャンと同様の天賦の才をもつ選手が彼と対等に戦うチャンスを奪われている。羽生選手とジュベール選手の順位は入れ替わってもよかった。これは日本スケート連盟の優位性によるもの。ジュベール選手側に立つ審判がいなかった。このときタラソワは高橋選手を絶賛し、ジュベール選手の肩をもった。どちらもタラソワと縁のある選手だ。タラソワに限らず、欧米の振付師やコーチは必ず、自分の「クライアント」の選手の長所を最大限、自分なりの流麗な表現で宣伝してくれる。それは別に不公正な態度ではない。自分が優れていると「客観的に」判断しているからこそ、彼らとの仕事を引き受けるのだし、彼らのもつ良い部分を世の中にアピールするのは当然のことだ。翻って日本人は? たとえば宮本賢二の高橋大輔評などは、こうした海外の一流人に匹敵する情熱と華麗な修辞がある。だが、ベテランのコーチから、自分の指導する選手に関する積極的なアピールが言葉で語られることはほとんどない。むしろ、直すべき点や改善しなければいけない部分を前面に出す場合のほうが多い。あるいは、「海外の先生」や「ジャッジ」の評価を語ることはあっても、自分が自分の生徒の素晴らしさを自信をもって話す人がいないのだ。あるいはそれは、ポリシーのようなものかもしれない。日本人が伝統的に良しとしてきた謙虚さと道を究める精神。他人からの評価はその先におのずとついてくるという信念。だが、残念ながら世の中というものは、一流人ほどの審美眼をもたないものなのだ。どこがどう優れているのが、説明してあげなければわからない。黙っていれば批判はされないが、主張しなければ、顧みられることもない。これが善し悪しは別にして、世界のスタンダードだと言えるだろう。コーサー・コーチがどれほど巧みにキム・ヨナのスケート技術を宣伝したか、そしてどれほど説得力をもって、羽生結弦のプログラムの周到さを話したか想起してほしい。選手のもつ強みを最大限生かすコーチとしての努力と並行して、オーサーは見事なスポークスマンぶりも発揮している。勢いがあったころのモロゾフもそうだった。日本人コーチの求道精神は敬服すべきものがあるが、欧米の一流コーチのようにクレバーな「言葉」で、世の中の見方を誘導していく努力も、これからは必要だろう。タラソワが「常勝チャン」の採点について、カナダのスケート連盟の政治的なプレゼンスに言及するのも、当然こうしたスケート界における、一種の「世論」誘導の一環だと言える。タラソワはチャンのスケート技術やジャンプの進化をきちんと評価している。別にチャンに偏見があって採点を非難しているのではない。タラソワは羽生結弦に対しても、早くから「彼はまさに天才。どうやったらあれほどの才能を与えられるのか、彼の母親に聞いてみたいほど」と彼女独特の表現で称賛していた。タラソワがソチ五輪の男子シングル終了後に、「率直に言って誰も金メダルに値しない。あれほど転ぶチャンピオンは見たことがない」と言ったからといって、さっそく叩いた人がいるが、それが彼女のゆるぎない価値観なのだ。羽生選手自身、自分の中のオリンピックは「ヤグティン対プルシェンコ」だと言っているように、難度の高いジャンプを入れながら、グラリともしないクリーンなプログラムを、五輪という舞台で披露してこそ、名実ともに五輪チャンピオンにふさわしい。ヤグティンを指導したタラソワの抱く五輪王者の姿は同時に、羽生選手の価値観でもあるだろう。羽生選手の五輪後の発言がそれを裏付けている。例えばこの4年間を羽生選手が大きなケガなく過ごすことができ(それは彼のスケジュールやジャンプの難度を見ると、確率としてはあまりに低いと懸念せざるを得ない)、これまでの男子ジャンプの常識を覆すような高難度プログラムをクリーンに滑りきり、そのときにタラソワがまだ発言できる立場にいれば、彼女は彼女にしかできない修辞で羽生結弦を絶賛するだろう。氷上の皇帝、20世紀で最も傑出したスケーターと呼ぶにふさわしいプルシェンコというレジェンドを、跳べるジャンプの難度だけでなく名実ともに上回る選手が出るとしたら、今一番それに近い位置にいるのは、間違いなく羽生結弦だ。率直に言えば、Mizumizuはスケーターとしては羽生結弦より高橋大輔の才能を評価しているし、高橋大輔の舞踏表現により深く魅了される。プルシェンコとヤグディンが競っていた時代は、明確にヤグディン派だった。だが、フィギュアスケートがスポーツである以上、競技者としての成績は、個人的な評価や好みとは別に出てくる。かつて、ミーシンは、「プルシェンコとヤグディンはどちらもダイヤモンド。だが、プルシェンコのほうが大きなダイヤモンドだろう」と言ったが、今回のソチの団体戦金メダルで、プルシェンコはまたもそれを証明した。そしてそのプルシェンコの五輪出場のために、ミーシンもあらゆる手を尽くした。アマチュア資格復活までの青写真を描いたのも彼だし、プルシェンコをバッシングする国内メディアに対して、「彼は誰も行かない道を行こうとしている。悪意ではなく拍手をもって見送ってほしい」と彼らしい詩的な言葉でクギを刺したこともある。こんなふうに印象的な修辞で、自ら選手の盾になろうとする発言を日本人コーチがすることは、ほとんどない。ジャッジの採点を肯定的に説明したり擁護したりする発言なら多い気がするが。コーチが肯定すべきは、ジャッジの採点行動だろうか? もちろん尊重する必要はあるだろう。だが、自分の価値観もそれ以上に、尊重すべきではないだろうか? さまざまな国の人間が集まる場では、さまざまな価値観がぶつかり合って当然なのだ。日本のスケート連盟の得意技はといえば、右顧左眄だ。ジャンプの回転不足がアホみたいな減点になっても批判するわけでもない(批判したのは日本人選手のついたロシア人コーチだけ)。ところがルールが変わって減点が緩和されたら、今度は「(回転不足が転倒よりも大きな減点になるのは)以前から変だとは思っていた」などと言って、自分たちの手柄とばかりに説明してみせる。日本のスケート競技関係者がロシア人のように、自分たちのもつ「フィギュアスケートのビジョン」を内外に明確に提示したことがあっただろうか?ビジョンをもつというのは、女子ショートに(事実上、日本の浅田選手しか試合に入れることのできない)トリプルアクセルを入れるよう働きかけることではない。そんな露骨なルール改正を提案しては、公平性に疑念を抱かれるだけだ。そうではなくて、あくまでフィギュア全体にとって何が必要なのか、フィギュアスケート競技とはどうあるべきで、どういう方向に行くべきなのかについて理論武装をしたうえで、自国の選手が不利益を被らない、そしてできれば強みを生かすことのできるルールを考えることが肝要なのだ。それは何も採点の公正性を希求することと矛盾はしない。ロシアは自らのビジョンに適う方向に採点傾向誘導し、現行ルールに基づいて高得点を出せるよう選手強化をした。男子シングルでは必ずしもうまく行かなかったが、女子では見事に若い選手の才能が開花した。ロシアから吹いた風に男子シングルで乗ったのは、日本の「ティーン・センセーション」羽生結弦だったが、この喜ばしい結果には、不世出とも言っていい羽生選手のジャンプの才能に加え、自分たちの「敵対勢力」である北米カナダに男子金メダルをやりたくないというロシアの隠れた意思や、羽生選手に金メダルが行けばカナダの英雄オーサーの顔も立ち、今やフィギュア大国となったISUの金ヅル日本の悲願もかなえてあげられるという、各国の政治的な思惑もあったかもしれない。ジョニー・ウィアーの弁を借りるまでもなく、フィギュアは特にオリンピックでは、常に非常に政治的なスポーツなのだ。高橋選手のアクシデントは、ファンだけでなくフィギュア界全体にとっても、あまりに不幸な出来事ことだったが、あれで日本が金メダル候補を1人に絞れたという事情もあるかもしれない。実際、高橋選手不在のグランプリファイナルで、チャンから羽生へ流れが目に見えて変わり、それが転倒王者・・・じゃなかった、「絶対王者」のチャン選手の焦りと不安を招いた。<続く>
2014.08.09
【送料無料】浅田真央『Smile』〜氷上の妖精10年の軌跡〜/浅田真央[DVD]【返品種別A】価格:3,693円(税込、送料込)バンクーバーとソチのフィギュアスケート競技のシングルで何が一番変わったか?それは言うまでもなくメダルを争うトップスケーター達のジャンプの難度だ。男子シングルでライザチェクが4回転なしで金メダルを獲得した夜、ジャンプの難度向上に心血を注いできた過去の名選手からは批判の声が上がった。ジャンプがまるでボイタノ時代まで逆戻りしてしまったような状況に、カナダのストイコは、「フィギュアスケートが死んだ夜」とまで言っている。銀メダルに終わったプルシェンコは、「4回転を跳ばなければ、それはもはや男子ではない」として、採点システムと審判に対する批判を繰り広げた。日本人のスケート関係者は概ね、こうした声には冷淡で、プルシェンコの批判を負け犬の遠吠え扱い。出てきたプロトコルを後付で説明し、システムと審判を擁護しただけに終わっていた。Mizumizuの記憶の範囲で、採点システムあるいはジャッジングの傾向に異議らしきものを唱えたのは、本田武史だけだったと思う(「個人的な意見」としながらも、女子のトリプルアクセルはもっと評価されるべきだと思うと述べていた)。ほんのわずかな回転不足が転倒より多くの場合、転倒以上の減点になる。今から考えれば、信じられないようなルールがまかり通ったのがバンクーバーだ。Mizumizuの目には、日本人女子に2度連続で金メダルが行かないよう(そうなれば、当然ながら浅田選手に匹敵する力をもち、カナダの「英雄」であるコーチがつき、国きっての有名企業がスポンサーとしてバックアップしているキム・ヨナが金メダルになる)に、男子はこれまで五輪金がないカナダに金メダルが行くように(もちろん、行き先は当時4回転がなかったパトリック・チャンのハズだった)に、数年がかりでお膳立てをしているように見えた。バンクーバーでのフィギュア大国ロシアの凋落ぶりは目を覆うばかりだった。すべてのカテゴリーで金メダルなし。ロシアスケート連盟の金銭にまつわる腐敗なども取り沙汰され(その急先鋒は、やはりプルシェンコだったが)、次の自国開催のオリンピックまでに、建て直せるのか誰もが懐疑的だったが、結果として、ロシアは「国の威信をかけても金メダルを獲る」と宣言したチーム戦で優勝し、前回メダルなしに終わったペアで金銀を獲得し(このとき、金メダルを「奪還した」とボロソジャル選手が語ったのが印象的だった)、アイスダンスでも銅を確保した。そして、ジャンプが採点のカギを握るシングル競技。その行方を「予言」した非常に重要なインタビューが2011年6月にThe Voice of Russiaに掲載されている。http://voiceofrussia.com/2011/06/20/52120950/プルシェンコのアマチュア資格復活についての記事だが、ここでインタビューに答えているのがAlexander Lakernik氏。ロシアスケート連盟の副会長(当時)、ISU委員、そして大いに尊敬されているジャッジだ。ここで彼は、個人的な意見としながらも、ソチ・オリンピックの男子シングルで起こるであろうことを「予言」している。ルール改正により、「回転不足が、以前そうであったようには罰せられない(underrotation is not punished so much now as it was before)」ようになったことが助けとなって、「以前より、4回転を入れるリスクを取ることに敬意が払われている(the risk in forming the quads is now respected more than it was before)」。これはバンクーバーの翌年、多くの男子選手が4回転に挑んできた2011年の世界選手権の結果を踏まえての発言だ。ここでLakernik氏は、ソチではバンクーバーのような状況にはならず、多くのスケーターが4回転を1度、何人かは2度入れ、4回転なしで金メダルを獲れるとは考えられないと述べている。If you look at this year Worlds, and look at how many quads there were, at least in free skating, it is already a lot, and by Sochi there will be many, many skaters with one quad, and in my opinion there will be some, maybe several skaters with two quads, that is the problem. Yes, correct, Lysacek was the first without even trying the quad, because he tried it before, but the year of the Olympics they decided not to risk. In my opinion, the situation will not be like this in Sochi, because by that time there will be many quads, and I don’t think somebody can win without a quad.難度の高いジャンプを入れることが勝敗のカギを握る――ソチではまさにその通りになった。優勝した羽生選手はフリーにサルコウとトゥループの2種の4回転を入れ、銀メダルのチャン選手は、4回転トゥループを2度入れてきた。転倒がありながらも、羽生選手が逃げ切って金メダルを獲れたのは、2種類の4回転に加えて、2度のトリプルアクセルを後半に組むなど、「超絶難度」とも言えるジャンプをフリーに組んで、その多くを回りきったからだ。女子でも、この傾向は顕著だった。メダルを争う女子選手はほとんどが3回転-3回転を入れてきた。女子選手の多くが3-3を「跳ばなくなってしまった」バンクーバーとは雲泥の差だ。このようなジャンプ重視の競技になるよう流れを作ったのは、明らかにロシアなのだ。それはロシアのフィギュア(特にシングル競技)に対する信念と言ってもいい。「フィギュアスケートは進歩していくものだから(プルシェンコ)」「これはスポーツ。より難しいことを成した選手が勝つものだ(タラソワ)」「演技・構成点は技術点とのバランスを取るべきだ(ミーシン)」。いずれもバンクーバー五輪由来(苦笑)の、主観に大きく左右される演技・構成点で勝敗が決まる流れを批判するものだ。そして、個人的意見としながらも、「ソチではバンクーバーのような状況にはならない」と、何年も前に発言したロシアスケート連盟の重鎮。そのAlexander Lakernik氏は、ソチで女子シングルのテクニカルコントローラーを務めた。http://www.isuresults.com/results/owg2014/SEG004OF.HTM女子フリー終了後、アメリカのテレビ局でクワンが、ジャッジの構成員の人間関係に疑惑があるという声もあるようだが・・・という司会者の質問を受けて、ソトニコワ選手とキム選手のジャンプ構成の難度の違いを挙げ、「現行システム下では、ソトニコワの勝利」と言い切ったが、その流れを作った大物が、ジャッジ席にいたのだ。キム選手の演技の「芸術性」や「円熟味」がたとえソトニコワ選手より上だったとしても、それだけでは勝てない。バンクーバーのときは、ダブルアクセルを3回跳べばトリプルループ並みの点になったかもしれないが、ダブルアクセルの基礎点は下がり、回数は制限された。トリプルループを回避したら、連続ジャンプのセカンドにトリプルトゥループを2度入れることはできなくなったのだ。キム選手のジャンプの強みはセカンドのトリプルトゥループにあった。ダイナミックな3-3に加えて、難しい入り方でダブルアクセル+トリプルトゥループを軽々と決める。しかも、プログラム後半に。トリプルループを回避したことで、ルール上キム選手は、3-3と並ぶ彼女の強みをプログラムに入れることができなかった。一方のソトニコワ選手は前半の3-3に加え、後半にダブルアクセル+トリプルトゥループを入れ、しかもセカンドのトリプルを目の覚めるような鮮やかさで回りきっておりてきた。彼女が五輪女王になったのは、Mizumizuには当然のことだったし、クワンや田村氏の解説も同様だ。そして差のつかなかった演技・構成点。ここにMizumizuは「尊敬される」ジャッジでもあり、演技審判を指導する立場にもある Lakernik氏の影響力を見る。それは政治的なものだと言えるかもしれないが、不公正の証明ではない。「トップを争う選手に演技・構成点で順位をつけても差はつけない」というのは、むしろ公平さの証明だといのがMizumizuの、何年も前から一貫した主張だからだ。<続く>
2014.08.08
ソチ五輪フィギュアスケート競技に向けてのロシアの戦略について書こうと思っていたところ、韓国が女子シングル競技の審判団に疑惑があるとしてISUに正式に提訴した。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140415-00000056-rcdc-cn韓国メディアによると、韓国スケート連盟関係者は10日「われわれと大韓体育会は誤審にかかわった責任者の懲戒処分に向けて提訴した」と語った。提訴文書は電子メール、ファクス、国際宅配便の3通りで行ったという。提訴はソチ五輪終了後60日以内に行うよう求められており、4月22日が期限だった。韓国メディアは「提訴の最終目標はロシアのソトニコワと並んで金メダルを受け取ること」などと伝えている。この問題がどう処理されるか、そろそろ3週間たったので動きがあると思うので、そのニュースを見てから、ロシアの戦略について書こうと決めた。誤審はいつの時代にも、どんなスポーツにもあるし、その意味ではフィギュアスケートも例外ではない。それどころか、採点競技の名のもとに恣意的な採点が横行しているというのがMizumizuの意見だが、今回のソチ五輪の女子シングルの金メダリストに関して、結果を覆すほどの誤審はなかったと思っている。キム・ヨナ選手もよい演技をしたが、金メダルに届かなかったのには、ちゃんと理由がある。それもすでに書いたとおり。ロシアは自国開催のオリンピックに向けて、自国の選手強化と同時に、どういう演技を評価するかという採点傾向の国際的な流れも作ってきたと思う。だが、それはあくまでルールにのっとったうえでの「戦略」であって、「不正」とは違う。ネット時代の今、Mizumizuのような個人ブログさえ、韓国語に勝手に訳されて、あたかも日本のスポーツジャーナリストの見解であるかのように紹介されてしまうという事態が起こっている。正確に翻訳されているかどうかも不明だし、一部だけを切り取って、「ロシアの陰謀を日本人が指摘」などと、まったく逆の話にデッチ上げられないとも限らない。というわけで、しばらくはGWに楽しんだ国内旅行について書くつもり。毎日数千件のアクセスがあり、そのうちの多くの読者はフィギュアスケート記事を待っていらっしゃると思うので、お待たせしている方へのご連絡まで。
2014.05.08
【楽天ブックスなら送料無料】浅田真央『Smile』〜氷上の妖精10年の軌跡〜 [ 浅田真央 ]価格:3,119円(税込、送料込)1万8000人という空前の観客を集めた2014フィギュアスケート世界選手権in Japan 女子シングル。その立役者は、当然ながら浅田真央だろう。鈴木選手や村上選手も当然人気はあるだろうが、浅田真央というスターなくして、この破格の観客動員数はあり得ない。ソチ金メダリストのソトニコワ選手も、銀メダリストのキム選手も出なかったのだから、一部マスコミがさんざん煽ってきたライバル対決を見たくて人々が押し寄せたわけでもない。最大の注目は浅田真央という輝ける「スター」の演技そのもの。1つの芸術作品といってもいいプログラム、ソチでは失敗に終わったショートの完成形を、そして奇跡としかいえないようなソチでのフリー演技の再現を見ることができれば…そんな気持ちのファンが多かったのではないだろうか。ワールドで3度目の金メダルを獲得した後、日本橋高島屋では浅田真央関連のイベントが催された。日本橋にはよく出没するMizumizu。馴染みのデパートに足を運んでみると、そこには通常の休日では考えられない光景が繰り広げられていたのだった。まずは、ショーウィンドウにディスプレイされた浅田真央の代表的プログラムから選び抜かれた写真(2枚1組)。『鐘』の鬼気迫る印象的なポーズ。「動の中のほんのわずかな静」の一瞬を切り取ったときでも、浅田真央は本当に美しい。演技のビデオが音楽とともに流されており、思わず足を止めて見入ってしまった。当時、「重い」とか「暗い」とか一部で叩かれたプログラムだが、今見ると重厚で、安い媚態とは無縁の煌々たる品格があり、歴史の波に洗われて、さらに輝きを増すような名プログラムだ。ふいに魂を鷲掴みにされたような、涙が出てくるような感動がこのプログラムには潜んでいたのだ。当時、それに気づいたファンがどれくらいいただろう? 日本に生を受けた氷上の女神に、自らの芸術論すべてを注ぎ込んでくれたタラソワに対して、今さらながら申し訳ない気持ちになった。『愛の夢』は、見るものをうっとりさせ、このうえない幸福感とひそやかな高揚感とで満たしてくれる。天上のカタルシスとも言うべき魂の化学作用のあるプログラムだった。写真のチョイスも、その至福のときを想起させる微笑みのアップ。そして奇跡ともいえるラフマニノフ『ピアノ協奏曲第二番』。高橋大輔を含めて、過去に幾多の名スケーターが滑った楽曲だが、浅田真央の4分はそのすべてを吹き飛ばしてしまった。ラフマニノフのあの名高い旋律が流れるたびに、浅田真央の超絶技巧のステップが浮かんでくる。それはおそらくMizumizuの命が尽きるその瞬間までそうだろう。ミシェル・クワンが涙とともに口にした、「永遠に忘れられない」というシンプルな一言もおそらくは同じ意味だ。女子でありながら、女子を超えた技術、フィギュアスケーターの誰も到達しえなかった高い芸術性。ラフマニノフという音楽界の巨匠に比肩する才能がついに氷上に現れた。そんなふうに思わせる奇跡のプログラムだった。左側の写真では、顎から胸にかけての上品なラインに目を奪われる。確かにこうした、凛とした気品も浅田真央の魅力の1つだ。高島屋内に入ると、さらにすごいことになっていた。華麗なパネルと浅田真央関連のテレビ番組が流れ、等身大のロウ人形が展示されている。そこに人が群がって写真撮影。非常によくできた人形だった。細く華麗な浅田真央の天性の美しさに改めて溜息。関連グッズ売り場はご覧のとおり、黒山の人だかり。こんなに高島屋の1階に人がいる光景は、ほとんど記憶にない。8階のイベント会場は、またさらにすごい。4階まで行列がのび(それでも30分ほど待てば入場できた)、衣装やメダルを展示した特設会場は、入場制限をしているというのに、ガラスケースの前に行くには根性と忍耐が必要なくらいだった。歴代衣装はテレビや会場で見るより、ずっと繊細で細かく手が込んでいるのがわかる。ここは写真撮影は禁止で、そのかわり、浅田選手のパネル(笑)の横で、用意された花束をもって記念撮影ができる計らいになっていた。最後にはスポンサーが商魂たくましく、浅田真央関連グッズの宣伝を繰り広げていた。1階でも「こんなにあるのか」と驚くほどの浅田真央関連グッズのラインナップだったし、いやはや、浅田真央はすでに「現象」を超えた「一大産業」なのだと実感。「氷上の妖精から女神へ」というキャッチフレーズも、まさに言いえて妙。フィギュアスケートという狭い世界を超えた影響力をもち、さまざまな芸術家にもインスピレーションを与えてきた天上人。その才能に群がり、商売に利用している地上人のなんと多いことか。浅田真央で本当に大儲けしたのは、いったい誰だろう? 美味しすぎる果実を手離したくなくて、「現役続行を!」と連呼・合唱するのなら、選手に理不尽ともいえるような努力を強いるだけではなく、今の採点の著しい偏りを少なくとも問題視し、議論の机上にあげるのが先ではないのだろうか?すべての判定がおかしいとは言わないが、「ソチの3-3は回っているじゃないか」と公けの場で発言したのが、スケート関係者では現役を退いたばかりの織田選手だけというのは、おかしいのではないか?浅田真央という奇跡の天上人。そこに群がる無能で強欲で無責任な地上人。この鮮やかなコントラストに、また溜息が出た高島屋の休日だった。【楽天ブックスなら送料無料】All History 浅田真央 〜花は咲き星は輝く・浅田舞・真央姉妹11年...価格:3,160円(税込、送料込)
2014.04.13
【送料無料】 日本男子フィギュアスケートFanBook CuttingEdge2014 SJセレクトムック 【ムック】五輪直後に日本で開催された世界選手権。1万人を超える収容人数を誇る埼玉スーパーアリーナは、観客がぎっしり。その煌びやかさと盛り上がりは、ソチ五輪がいっそ辺鄙な地方大会に思えたほどだった。さすがに空前のフィギュア人気に沸く日本。2013年にチャンの地元カナダで行われた世界選手権(7000人規模のアリーナ)とは雲泥の差だ。このときISU副会長は、「北米で主要大会が広いアリーナで行われていた日々はもう戻ってこない」と述べた。http://jp.reuters.com/article/sportsNews/idJPTYE92I01A20130319それとは対照的な2014年のワールドin Japan。チャン選手、高橋選手、テン選手といった有力選手が欠場するなか、会場に詰めかけた多くの観客の関心と期待は羽生結弦に集まっていただろう。だが、3月26日男子ショートの夜を支配したのは、若き五輪王者ではなく、昨シーズンまでは日本代表候補でもなかった町田樹だった。だが、考えてみれば町田選手もまた、才能豊かな逸材だった。同世代に高橋大輔がいなければ、彼の情感表現はもっと賞賛されただろうし、日本以外の国だったら、とっくに世界のひのき舞台で活躍していたはずだ。あと一歩のところで「3枠」に入れず、世界選手権に行けなかった町田選手が、今シーズン高い確率の4回転を手に入れて一挙に世界トップと争えるだけの力をつけたのは、大きな驚きだったし、喜びでもあった。彼はもともと、もっと高く評価されてしかるべきだったと思う。たとえば、『黒い瞳』。他に日本人の有力選手がいたとばっちりで(とMizumizuは思っている)、点は伸びなかったが、非常に印象的なプログラムだった。「町田樹史上最高」と自ら評する『エデンの東』は、驚異的なジャンプと少年期に別れを告げた青年の瑞々しい情感表現が同時に味わえる傑作プログラムだ。今回、音楽と一体になった感情表現では世界でもはや並ぶ者のいない高橋選手、それに彼が滑ると急にリンクが高速リンクになったように見える、「よく滑るテクニック」では世界一といっていいチャン選手がいなかったのも、町田選手に幸いしたと思う。オリンピックシーズンに調子を崩す選手は多くても、オリンピックシーズンに高度なジャンプをここまで安定させた選手は珍しい。今季の町田選手の4回転には、高橋選手や小塚選手のような不安定さがなかった。きれいな放物線を描くジャンプは、高さと飛距離のバランスもよく、回転軸もしっかりしていて速く、回り切っておりて来ることができる。この「回り切っている」感は、現行ルールでもっとも大事なこと。羽生選手と並んで、ジャンプの確率と質で他の日本人男子を凌駕したからこそ、町田選手は五輪への切符を手に入れることができたのだ。加えて、町田樹選手の持つ独特な感性。天性のダンサーとは言えないが、自分を自分で演出できるプロデューサー的な知性と感受性が彼にはある。何かを訴えるように、あるいは何かを乞うかのように、全身全霊で観客に訴えかける姿は、感動的で印象的だった。「エデン」という、この世にない理想郷を胸に秘め、現実世界の中で苦悶する若者。すでに少年ではないが、大人になりきることにまだ抵抗している青年の、危うくも切実な想いを表現した今回のプログラムは、あまり世間に知られていなかった町田樹という人のもつ内面的な魅力を豊かに、存分にアピールした。私たちがこの夜見たのは、あるいは少なくとも見たと思ったのは、町田樹の人生そのものだっただろう。難度の高いジャンプの質の高さももちろん手放しで賞賛されるべきだが、この表現の力こそがフィギュアの魅力、いや魔力といっていい。そして感無量といった面持ちでパーフェクトな演技を終えた選手に、海のような観客が波のように立ち上がり拍手する風景こそ、フィギュア競技の真髄。それを目撃できたことはMizumizuにとっても大いなる喜びだった。観客に向かって何度も丁寧にお礼をする町田選手は、やまないカーテンコールにこたえる役者だった。今夜、別の選手を目当てに来ただろう観客も、惜しみない熱狂を町田選手に送っていた。この一般のファンのフェアな姿勢も、日本が世界に誇れる美徳だと思う。この瞬間を迎えるまでの町田選手の道のりはイバラのそれだっただろうことは、容易に想像できる。天賦の才で彼を凌ぐ選手が同時代の同国にいたからだ。だが、どんな天才でも生身の人間。怪我もするし、失敗することもある。自分自身が進歩し、完璧な演技を自分なりに追求する。そして巡ってきたチャンスをつかむ。さんざん採点で不遇な目に遭い(Mizumizuから見て、だが)、大事な試合でさんざん自爆してきた町田選手が2014ワールド・ショートの夜に成し遂げたことは、誰にとっても教訓になるだろう。しかし…演技構成点はもはや、まじめに論じる気にもならないほどめちゃくちゃだ。チェコの選手に対する冷遇ぶりは、チェコ人でないMizumizuでも怒り心頭。オリンピックで金がもらえなかったといってISUに文句をつけているのが、さんざん優遇採点されてきた韓国だというのも、ブラックジョークの世界。今回は中国の若手選手に対する「上げ」があまりにあからさまだ。平昌五輪に向けて巨大市場中国に強い選手を作り、キム・ヨナバブルに沸いた韓国、それに空前のフィギュアブームを謳歌する日本からそうしたように、中国からもうまい汁を吸おうという上部組織の思惑が見え見えだ。ジュニアから上がったばかりのハン・ヤン選手のスケート技術(8.32点)が、ワールド銀メダルの実績を持つスケートの天才・小塚選手(8.29点)、比類なき成熟度を誇るベテランのベルネル選手(8.18点)、全米王者で、もう今では彼にしかできないような大人の洒脱さと品行方正さを氷上で表現してみせたアボット選手(8.04点)より高いとは…呆れてものが言えないとはこのことだ。
2014.03.27
【送料無料】【緊急追加キャンペーン ポイント最大4倍!】蒼い炎 [ 羽生結弦 ]価格:1,470円(税5%込、送料込)こちらの記事によると、ソチに来ていた某ジャッジが、ホームアドバンテージについて以下のように語ったという。http://number.bunshun.jp/articles/-/792736「まず地元の観客の応援に押されて選手が良い演技をする、ということももちろんある。またジャッジも人間ですから、会場の雰囲気にある程度影響されます。盛り上がると、つい気前よく点を出すこともあるでしょう。そして滞在して世話になっているホスト国に対して、できるだけ好意的に採点してあげよう、という心理だってあると思う」 だがそれは、勝つ資格のない選手を無理やり押し上げることではない、と彼は強調する。「基本条件は、選手が良い演技をすること。ここでも団体競技ではリプニツカヤがノーミスで滑って高い点を出しましたが、個人戦ではミスをして、その分きっちり減点されています。選手がやるべきことをやらなければ、ホームアドバンテージもつけようがないんです」またこれだ。絶対評価の中に入りこみようのない「ホームアドバンテージ」が現実にはあるとジャッジが言ってしまっている。いかにタテマエが有名無実化しているかという証左だろうが、とりあえず、それはここではもう突っ込まない。ジャッジが「好意的に採点してあげよう」と思う選手がいるとすれば、そうでない選手もいるということなのだ。まあ、実際の採点行動を見てれば、そんなことはとっくに明らかだが。そして、ソトニコワは非常にいい演技をした。だから点が出た。だが、彼女の演技・構成点を「異常に高い」と思った人がいたそうだ。同じ記事からの引用(アイスダンスの五輪チャンピオンの男性ペイゼラの意見)が以下。異常に高かったソトニコワの5コンポーネンツ「順位は、このままでいいと思います。ただ6ポイントもの点差がついたことは、納得がいかない」そう説明するのは、前述のペイゼラである。 ソトニコワの、表現などを評価する5コンポーネンツが高すぎるというのだ。 1月に行われた欧州選手権で銀メダルを手にしたとき、ソトニコワのフリー演技の5コンポーネンツは69.60で9点台を出した項目は一つもなかった。だがソチでは5項目中4項目で9点台を取り、74.41と5ポイント近くも上がっている。キムの74.50とほとんど点差がない。「たった一か月でアドリナのスケート技術や表現力が、急激に上達したのか。ベテランのヨナとほとんど差がないほどの表現力が身についたというのは不思議です」とペイゼラ。そしてあれほどの演技をした浅田真央のフリーよりも、点が高いことにも納得がいかない、と主張する。ベイゼラ氏はソトニコワ1位、キム2位という順位には異存がなく、ただ、ほんの1か月かそこら前には9点台を出した項目のなかったコンポーネンツがソチでは4つ9点台を取ったのが「異常」だと感じたらしい。なるほど。ソトニコワ選手の演技・構成点を「疑惑の高得点」だと断じている人たちの多くは、これを根拠としている。だが、かつてキム・ヨナ選手の演技・構成点が急に上がったとき、非常に驚き、これでは「まるで発狂花火」と強く批判したMizumizuからすれば、何を今さら…だ。2009年の3月の記事から引用すると、キム選手の演技・構成点は、4大陸選手権から世界選手権の短期間に、突然それぞれ0.5点から0.85点もいきなり上がったのだ。スケートの技術 (4大陸)7.6→(世界)8.45 0.85点もアップ つなぎのステップ (4大陸)7.1→(世界)7.75 0.65点もアップ演技(パフォーマンス) (4大陸)7.65→(世界)8.5 0.85点もアップ振付 (4大陸)7.55→(世界)8.05 0.5点もアップ音楽との調和(解釈) (4大陸)7.65→(世界)8.15 0.5点もアップ同じことをしてるだけなのに、こんなにいきなりすべてのコンポーネンツが上がる。こんな「異常」事態を、スケート関係者はほとんど批判も非難もしなかった。しかも、キム・ヨナ選手の演技・構成点はこんなものじゃ済まなかったのだ。バンクーバー五輪の前のグランプリファイナルとバンクーバー五輪のキム選手のフリーの演技・構成点。7.95→9.05 1.1点アップ7.35→8.60 1.25点アップ7.75→9.15 1.4点アップ7.60→8.95 1.35点アップ7.80→9.10 1.3点アップグランプリファイナルでは、キム選手はセカンドの3トゥループにミスが出て、いい演技ではなかった。五輪では素晴らしい演技をした。だが、演技内容は同じだ。それが短期間に、こんなにも気前よく上がった。前代未聞ではないか?ソトニコワ選手のことを「1か月でスケートの技術も表現も上がったというのか?」というのなら、グランプリファイナルからバンクーバー(この年はキム選手は四大陸に出ていないので、五輪直近の試合がファイナルになる)のときのキム選手のこともそう言わなくてはフェアではない。ちなみに、「異常」だというソトニコワ選手のユーロと五輪のフリーの演技・構成点の上がり幅を数字で見てみると、キム選手よりは控えめだ。欧州 ソチ五輪 アップ幅8.65 9.18 0.53点8.50 8.96 0.46点 8.75 9.43 0.68点8.86 9.50 0.64点8.75 9.43 0.68点ユーロのソトニコワ選手は出来がよくなかった。最初の3回転+3回転はセカンドジャンプが入らなかったし、他のジャンプにもミスがあった。欧州選手権でジャンプにミスの目立ったソトニコワ選手が、この短期間であそこまで仕上げてきたのは賞賛に値する。五輪のフリーの目立ったミスは3連続の着氷時だけ。本当に素晴らしい出来だった。この得点のインフレが、ホームアドバンテージだというのなら、キム選手は祖国でもないカナダの五輪で、祖国開催以上のホームアドバンテージをもらったということになる。どっちが「異常」ですか? 今回の五輪がロシアだということで、ここぞとばかり採点を叩いている欧米メディアもあるが、元祖・納得できない高得点を出したのは誰なのか。演技・構成点がいきなりインフレしてはいけないというルールは何もない。ただ、キム選手がこういう点を得る前は、いわば「ガラスの天井」というのもがなんとなくあり、それがだいたい習慣的に守られていた。絶対評価だから、たとえば「スケートの技術」などは、試合によって極端に上がり下がりしない。その分、選手はたとえ小数点以下のわずかな数字であっても、上げてもらえるように技術を磨く。その「ガラスの天井」が突然引き上げられたのがキム選手に対する演技・構成点だ。それが問題だというのなら、最初に「異常」が起こったときに、「おかしい」とスケート関係者が声をあげなければダメだろう。バンクーバーのキム選手に対しては何も言わず、キム選手よりは実際にはインフレ幅の少ないソトニコワ選手をつかまえて、「たった1か月でアドリナのスケート技術や表現力が、急激に上達したのか」と言っても、すでに前例のあることなのだから、「そういう点も出せるのが今のシステムだ」で終わりだろう。いや、バンクーバーのキム選手の得点についても、声をあげた人はいる。だが、それは主にロシア人で、多くの日本人はキム選手を褒め称え、得点については浅田選手の「完敗」で片づけて、精査することもなかったのだ。当時浅田選手のコーチだったタラソワもジャッジに対して怒りを爆発させた。だが、そのタラソワを日本人はむしろ叩いたのだ。プルシェンコに対してもそうだった。4回転を跳んだロシアの偉大なる皇帝が、ライザチェクに負けてジャッジを批判したとき、多くの関係者や一般人は、「負け犬の遠吠え」と冷ややかだった。ところがソチで、金メダルが高度なジャンプを武器にする、そしてプルシェンコ選手を心から尊敬している(天才は天才を知るのだ。プルシェンコ選手を評価できない選手など、自ら三流・四流だと言ってるようなものだろう)羽生選手に来ると、今度は「皇帝から若き王者へ」なんて言って、プルシェンコを持ち上げている。なんと日和見主義の国だろうか。4年たって流れは変わった。その流れを作ったのは間違いなくロシア。そこにうまく乗ったのが、カナダ人コーチについた日本の天才ジャンパー・羽生選手なのだ。バンクーバーと同じ価値観、「トータルパッケージ」なんたらで、プログラムの完成度をジャッジが勝手に高評価したり低評価したりする採点の傾向が続いていたら、4回転サルコウでコケ続けている19歳の若者に金メダルのチャンスはなかった。ロシアから吹いた風、カナダのもつジャッジングシステムに対する理解力(と恐らくは影響力)。周囲のサポート。本人のたぐいまれな才能とコンディション。それに対する他の有力選手のコンディション。4年に1度しかないイベントで、すべてがうまくはまったのが羽生選手だったのだ。女子では、それがソトニコワ選手だった。さすが、ロシア。カナダと韓国が何年もかけて下地を作ってやったことを、彼らよりはるかに短期間でやり返した。いえ、もちろんロシアのスポーツ相の言葉を借りるまでもなく、「権限はロシアにはなく、ジャッジがルールに基づいて判断した結果」ですけどね。こんなシナリオは、ジャッジには書けない。今のジャッジは、「スーパーのレジ係」に喩えられるほど、権威が落ちている。ジャッジを指導する立場の人間が流れを作り、優れたコーチがそれに合わせて指導をする。そして、なんといっても、それに応えられるだけの才能をもった選手がいなければできないことだ。ソトニコワ選手は「伏兵」だったのか? いや、ソトニコワ選手はロシアの本命だった。仕上がりが遅かったのが、ロシアにとってはむしろ誤算だったかもしれないが。スケート経験者にはわかっている人もいたようだ。こちらの記事。http://blogs.yahoo.co.jp/sawakichi_job/archive/2010/12/20 3年以上前の記事だが、ソトニコワ選手は、「ジャンプを劣化させなければメダル間違いなし」とある。関係者の間ではそのくらいの逸材として評価されていたということだ。確かにここ数年、ソトニコワ選手はジャンプが不安定だった。だが、それを安定させて金メダルを獲った。決して伏兵のタナボタ勝利ではない。それがわかったスケート関係者もいる。「ロシアは勝つための準備をがっちりしてきた」(ストイコ)。
2014.03.04
AERA(アエラ) 2014年3/3号 【表紙】 浅田真央 涙の有終[本/雑誌] (雑誌) / 朝日新聞出版だが、とにもかくにも、ご都合点…いや、主観点である演技・構成点に対して、あっちが高すぎる、こっちが低すぎると言い出したら、本当にラチがあかない。参加しているのは上位選手だけではないから、下位でも良い演技をしたあの選手は、なぜあんな点なのかということになる。突っ込もうと思えばいくらでも突っ込めるのが主観点ではないだろうか。今回ソトニコワ選手とキム選手に対してジャッジが下した評価は、演技・構成点ではキム選手がトップでソトニコワ選手が2位。だが1位と2位の差はわずか、ということ。それ以上でも以下でもない。むしろ、バンクーバー五輪のように、1位と2位で演技・演技構成点が4.72点「も」差がつくほうが不自然だと思うが、どうか(バンクーバーでのキム選手が71.76点、浅田選手が67.04点)。メダルを争う選手に対して、演技・構成点では「順位はつけるが差はつけない」という方向に、採点の方向性が変わったというのなら、「バンクーバー2年前」以前の採点傾向に戻ったということだ。すると技術点で勝負がつきやすくなり、勝敗の分析も客観的な視点で解説しやすくなる。そのほうが、少なくとも世界トップを争う選手に対して、好みの入る主観点で大きく差をつけるよりはるかに公平でわかりやすいと思うが、どうか。根本的な問題として、フィギュアスケートで「技術点」重視で勝負をつけることに、何か問題があるだろうか?もちろん、「ある」のだ。これは永遠にフィギュアスケート競技においてせめぎあう問題。「技術」か「表現」か。これを少し発展させたのが、「フィギュアスケートは、スポーツか芸術か」といった視点での論議だ。技術点重視になると、配点の大きなジャンプで勝負が決まってくる。そうすると、特に女子の場合は若くて軽い選手のほうが有利になる。ジャンプ大会にさせないために演技・構成点がある。今のルール運用を見ると、ジャンプだけでは勝てない。それなりの表現力をもった選手、もっと正しく言えば、「表現力をもっていると現場のジャッジに評価された選手」でなければ上に来られないようになっているというわけだ。「表現力をもっていると現場のジャッジに評価される」ために、年齢や経験は、理論上は、さほど関係ないだろう。年齢とともに表現力を身につける選手もいるだろうし、最初から大人顔負けの表現力をもった少女もいるだろう。たとえば、旧採点時代、リレハンメル五輪で金メダルを獲ったバイウル選手は、ジュニアからシニアに上がっていきなり世界トップのセカンドマークをもらっていた。彼女の表現力が若くして評価されたのは、バレエの素養がずば抜けて高かったからだ。今回、ソトニコワ選手にしろリプニツカヤ選手にしろ、現場のジャッジは、世界の頂点を争うにふさわしい表現力をもっていると評価した。彼女たちの長所、それから短所(たとえば、まだ若いから滑りが成熟していないといったこと)も加味したうえで、そう判断したことになる。そのうえで、あの点が出た。ジャッジの採点行動から読み取れるのは、そういうことだ。このジャッジの採点行動について、自分の意見と合わないという主観的印象論以外に、「疑惑」を客観的に裏付けられる根拠がありますか?Mizumizuはもう何年も前から「点はまだいくらでも吊り上げることができる。世界トップを争う選手が、演技・構成点の5つのコンポーネンツで、9点台前半を出そうが後半を出そうが、おかしくはないのだから」という意味のことを書いた。そして、現実にそうなってきているということだ。今回ソトニコワ選手は5つのコンポーネンツで、8点台後半から9点台半ば、キム選手も同様、リプニツカヤ選手は8点台半ばから9点台ぎりぎりまでの幅で得点を得ている。これを、過去の実績や他の選手のこれまでの実績と比べて、つまり比較を根拠として、「高すぎる」と非難しても、絶対評価に対しては意味をなさない。主観にもとづく印象論で、「この選手に9点台は高すぎる」と非難するのは、もちろん論評は自由だが、単なる「価値観の相違」の域を出ない。現行のシステムは、タテマエ上はあくまで、「比較」ではなく「絶対評価」で出されるものだから、世界トップレベルの選手が8点台後半の点をもらおうと、9点台前半の点をもらおうと、あるいは9点台後半の、10点に近い点をもらおうと、そのことは何もおかしくないだろう。こうやって勝たせたい選手の点を吊り上げる。だが、それを「不正」と言えるだろうか? 得点はジャッジ団の総意として出てくるものだ。ジャッジのそれぞれの採点行動は、あくまで「世界トップの技術と表現力をもつ選手の良い演技に対して、高い評価を与えた」だけなのだ。キム選手とソトニコワ選手の5コンポーネンツは、それぞれどちらが高いかということで、順位づけはされた。ただその差がわずかだった。そのわずかの差が「おかしい」のか「適切」なのかの判断は、多分に主観にもとづく印象、あるいはフィギュアスケートの技術や表現に対する価値観によって異なり、つまりは、客観的な論拠をもたないのだ。ソトニコワ勝利に疑問をもたない専門家の多くが指摘するのは、特に後半のキム選手とソトニコワ選手の「攻める姿勢」の違い。キム選手は、ミスなく要素をこなそうと、しばしば慎重になり、スピードが落ちた。それが「無難にまとめた」という印象につながる。ソトニコワ選手は前半、静かに演技を始め、後半感情を爆発させて、最後まで勢いよく攻め切った。五輪の女王の称号は、歴史的に見ても、フリープログラムで迷いなく攻め切った選手に与えられる傾向がある。長野のリピンスキー対クワン、ソルトレイクのスルツカヤ対ヒューズでも、勢いのあった若い選手に軍配が上がっている。実績のあるビックネームから伸び盛りの新星が金メダルを奪うというのも、オリンピックではよく見る光景だ。今回もそうなった。女子シングルもそうだし、男子シングルもそうだ。何も不思議はない。こうやって出てきた点をもとに、いくらでも後付で説明できる。実によくできたシステムではないか!では次に、(2)の「ソトニコワ選手の演技・構成点が急に上がったのはおかしい」という点について検証してみよう。<以下、後日>ソチオリンピック放送をぜんぶみる! 2014年2月号 【表紙】 浅田真央、羽生結弦、高橋大輔 ほか[本/雑誌] (雑誌) / NHKサービスセンター
2014.03.01
演技・構成点が、他の選手に比べて妥当かどうかという問題なら、たとえばコストナー選手への評価はどうだろう? 驚くぐらい伸びるスケート技術を披露し(滑る技術で言ったら、女子ではコストナーが世界一ではないだろうか)、独創的で、キム選手以上に成熟したエレガントな演技で観客を魅了した銅メダリストの演技・構成点は73.77点。世界中のファンや有名スケーターがこぞって絶賛した浅田選手は69.68点だ。浅田選手は失敗したリプニツカヤ選手の70.06点より0.38点低く、ほぼ同じ仕分けになった…もとい、ほぼ同じ点しか出なかったのだ。15歳の少女と、ですよ?それは「滑走順」のせいだとスケート関係者は言う。日本スケート連盟名誉レフリーの杉田秀男氏は、「正直にいって得点はもう少し伸びてもおかしくない。演技順が早かったことで、演技構成点が抑えられたのだろう」と当たり前のように書いているし、佐野稔氏は、次のように述べている。http://no-border.asia/archives/19414●低く抑えられた得点は、滑走順の影響かそれほど見事だったのに、フリーの得点だけを較べても、浅田はアデリナ・ソトニコワ(ロシア)とキム・ヨナ(韓国)に及びませんでした。正直なところ、演技構成点については、もっと高くて良かったのではないかと、私も感じています。それでも、浅田の得点が低くなった理由のひとつには、滑走順の影響があったように思います。彼女は第2グループの最終滑走でした。それまでに滑った11人の選手とは、明らかに演技のレベルが違っていました。ですが、採点する側の心理を考えたとき、すでに滑走を終えた11人との比較で、ひとりだけあまりに飛び抜けた点数はつけにくい…といった気持ちが、点数を抑える方向に働いたのではないでしょうか。<引用終わり>滑走順がどうのとういう説明は、現実にはそういうことはあるかもしれないし、そういうこともあるのだと現場のスケート関係者が思っているだけのこと。そのこと自体を間違っているとか正しいとか言うつもりはないが、絶対評価という原則から見れば、「滑走順で抑えられた」という説明には正当性はない。むしろ、そういうことはあってはならないハズだ。佐野氏の結論は、結局はこうなる。もし仮に、最終滑走グループのなかに入って、浅田があのフリーの演技をしていたら、違う得点になっていたのかもしれません。そうした「不確定な要素」が結果を左右することは、人間が採点する競技である以上、ある程度仕方のないことです。もちろん、はたして最終滑走グループだったときに、浅田があの演技をできていたのか。それは誰にも分からない話です。また、その滑走順にしても、SPでの浅田の失敗に拠るものです。案外浅田本人は、周りが感じているほど順位や得点に対して思うところはなく、自分が集大成と決めた舞台で、納得のいくスケーティングができた達成感のほうが大きいのかもしれません。確かに、金メダルが目の前にぶら下がった状態で、浅田選手にあの演技ができたかどうかは、わからない。だから「滑走順が違っていたらば、もっと点が出ていただろう」というのは、無意味な仮定法で、ただ、「演技・構成点がメダリストに比べてかなり低かった」という、得点を見て一般人が(当然)疑問に思うであろうことを後付で説明するために言っているにすぎない。「あの演技でフリー3位なの?」というのは、しごくもっともな疑問だと、Mizumizuも思う。絶対評価を謳うシステムなのに、自国選手に理不尽な点が出ても、このように「仕方がない」と言って済ませているのが日本のスケート関係者だ。あげくに、選手は採点に思うところはないなどと決めつけて、はい終わり。選手本人が言えるわけないでしょう!キム・ヨナ選手のセリフではないが、選手が採点に納得いかなかったら、どうしろと?佐野氏は回転不足判定には「運」「不運」があるという。NHK杯の織田選手への判定について。http://no-border.asia/archives/16451織田の4回転トゥループと、成功と判定された高橋の4回転トゥループを比較しても、回転そのものに大きな違いがあったようには思えません。ですけど、ふたりがジャンプしたリンク内の地点は、まったく別のところでした。もしかすると、判定に使用するカメラの位置からだと、織田のジャンプが回転不足に見えたとしても仕方ないような角度だったのかもしれません。あくまで私の推測ではありますが、こうなってくると「運」「不運」の範疇になってしまいます。ですが、それもまたスポーツを構成する要素の一部だと言うしかありません。あっちから見ると回転不足に見え、こっちから見ると回転が足りていたように見える…そんな不確かな条件で、一方向から見たカメラのみで判定するのは無理があるのではないだろうか? それならば少なくとも判定に使うカメラ数を増やすなど、判定の信頼性を高める努力をすべきなのに、そういった提言はスケート関係者からついぞ聞かれることはない。これが他のスポーツだったらどうだろう? 判定は覆らないとしても、あとからさまざまな角度から見て審判の判定を検証するということは普通になされている。そうやってより精度の高い判定を目指し、審判に対する信頼を高める努力をする、それが正しいあり方ではないのだろうか? 現行のルールで非常に大きな減点となる回転不足判定について、自国の選手が不利益をこうむっているのに、「運が悪かった。これもスポーツ」で片づけていいのだろうか?セルジオ越後のような人から見れば、まさにこれが「臭いものに蓋」になるのだろう。以下、「日本人はなぜフィギュアの採点を議論しないのか」というコラムからの抜粋http://news.livedoor.com/article/detail/8567677/ブラジル滞在中に感じたことの一つに、日本とのスポーツ番組のテイストの違いがある。例えば国内リーグの試合後に放送される討論番組では、1時間たっぷり、延々と激論が交わされる。番組時間が突然延長されることもザラ。きわどいオフサイド判定があろうものなら、そのシーンを何度も何度もリプレーしながら、ああでもないこうでもないと騒ぐ。批判的な時は、辛口なんていうレベルを超えているよ。とにかく本音なんだね。翻って日本は、ハイライト番組と応援番組が主で、コメントは本音よりも建前だ。采配ミスや判定ミスがあったことは、思っていても口に出さない。Jリーグや日本代表のニュースで、きわどいオフサイドシーンに触れられることがあるだろうか。臭いものに蓋、触らぬ神に祟りなし、という言葉がある国民性からか、どうもそういう話題は奥に押し込めてしまうよね。議論をして相手に意見を言うと、その相手のことを嫌いなのかと思われてしまう。これじゃあ議論にならないよね。もう一つ、日本のスポーツ報道は、そのスポーツそのものよりも周辺のドラマ性ばかりに注目する。延々とサイドストーリーが語られる箱根駅伝もそう。浅田真央の快演で感動を呼んだソチ五輪のフィギュアスケートにしても、プレー分析やライバルとの採点の付き方の比較といった、競技そのものについての言及はほとんどなく、とにかく感動ストーリーだけが拡散される。なぜもっと議論しないのか。
2014.02.27
キム選手とソトニコワ選手の演技・構成点は、74.50点と74.41点で、0.09点差。それぞれのコンポーネンツで、複数のジャッジの総意として出てきた得点(1.6の係数をかける前)は、以下のとおり。 キム ソトニコワスケートの技術 9.21 > 9.18つなぎのステップ 8.96 = 8.96演技(パフォーマンス) 9.43 = 9.43振付 9.39 < 9.50音楽との調和(解釈) 9.57 > 9.43これで見ると、スケートの技術と音楽との調和ではキム選手のほうが上、振付ではソトニコワ選手が上。つなぎとパフォーマンスは同レベル…と演技審判が判断したことになる。スケートの技術と音楽表現では、成熟したスケーターであるキム選手に軍配が上がったが、プログラムのなかでのつなぎは両者に差はなく、パフォーマンスでほぼ同等の評価。あれほど観客を熱狂させてソトニコワ選手のパフォーマンスだが、ジャッジは冷静に、2人のパフォーマンス力に差はないと評価した。そして、振付。これは好みが入るが、今回はジャッジは、ソトニコワのプログラムのほうを評価したようだ。点差と他のスケーターへの評価をひとまず考えないとして、この2人に対する順位付け(2人のうちのどっちが優れていたか)に、何か「疑惑」があるだろうか?キム選手は、よく伸びるスケート技術をもち(今回、後半はかなり失速していたが)、深いエッジにのり、緩急のメリハリが見ていて心地よい滑りに、ダイナミックな腕の表現と印象的なポーズを織り交ぜ、大人の女性の演技をした。ソトニコワ選手は多少荒削りながら、若々しいエネルギーと勢い、ハートをわしづかみにするようなアピール力をもつ直情的でチャーミングな演技をした。今回、キム選手の演技・構成点が伸びなかった理由として、中庭氏は「言い方は悪いですが、キム・ヨナ選手のプログラムには“スカスカ感"がありました」と述べている。こちらの記事http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=177&id=2773755「プログラムの構成が、大きく違いました。ソトニコワは、基礎点で、約4点も違うほど、難易度の高い構成にしています。3連続ジャンプの最後にバランスを崩しましたが、マイナス1からマイナス2という程度の減点で大きな影響を与えるものではありませんでした。言い方は悪いですが、キム・ヨナ選手のプログラムには“スカスカ感”がありました。男子もそうでしたが、女子でも、技術点で勝負がついたと感じました。決して疑惑の判定などではないでしょう。GOEに関しても、ソトニコワ選手のジャンプには高さがありましたし、スピンにおいても、スピードでキム・ヨナ選手のそれを上回っていました。プログラムコンポーネンツ(演技構成点)のソロニコワの得点については、少し高いのかな?とも思いますが、これは許容範囲でしょう」「スカスカ感」…苦笑…それは昔からのこと。彼女の欠点はまさにそれだろう。ショートはいいのだが、フリーになると、なにかしら、「技術的には最低限のことしかやっていない」というような物足りなさがある。滑りはなめらかだし、ポーズはピシッと決まって綺麗なので、初見ではインパクトはあるが、何度か見ているうちに淡白さや退屈感を覚える。もともとの欠点に、さらに拍車がかかったということだろう。たとえば、フリー終盤に見せたスパイラルのポジション。現在は必須ではないが、多くの女子選手がこの「足あげポーズ」では、大いに美しさを魅せてくれる。ところがキム選手は足をあげたかと思ったらおろしてしまった。「こんなところで体力消耗したくないわ」とでも言わんばかりだ。点が伸びないと、どうしても演技のマイナス点を指摘しなければならなくなるが、要するにそれは後付の説明だ。これで逆に点が出ていたら、キム選手のもつプラス面を変に強調して説明しなければならなくなる。「圧倒的な差」がついたら、ますます解説者は説明に窮するというものだ。バンクーバー五輪のとき、本田氏は「これはジャッジが付けた点なので」と何度も繰り返し言っていた。まさにほかに説明のしようがない。だが、今回ソチ五輪での本田氏は、ジャンプと出来栄えの説明もルールに則って明快でわかりやすく、男子シングルフリーでは、チャン選手のフリーが「182点…出ない…と思いますけど…」と点が出る前にかなり正確に予想できていた。「トータルパッケージ」なんたらで、演技・構成点が変に伸びたり伸びなかったり、自由自在(苦笑)の試合のほうが、よほど「疑惑」があると思うが、どうか。さて、今回の女子フリーに話を戻して。0.09点差とはいえ、演技審判団の総意としての評価は、キム選手のほうが上でソトニコワ選手に勝っていた。その差がつかなかったのがおかしいというなら、では何点差だったら「正確」で、「疑惑なし」なのだろうか?3点差? 5点差? 8点差?たとえば8点差ならキム選手が金メダル。その場合、もしロシアが「点差は妥当ではない」と言い出したら、逆にそれを論破できるだけの「客観的な論拠」はあるのだろうか? 韓国人審判なら、「8点ではまだ点差は少ない。キム・ヨナは別格で圧倒的な表現力があるから、ジャッジはキム・ヨナの演技を見るだけで光栄なのだ。今回はむしろ低すぎた」ぐらいのことは言うかもしれない。だが、それを客観的に裏付けるだけの証拠は? どちらにしても印象という主観をぶつけあうだけの水掛け論になる。Mizumizuは今回の2人に対するこのジャッジングは、むしろ非常に公平だったと思う(あくまでキム選手とソトニコワ選手に対してだけで、他の選手に対してもそうだったと言っているのではない)。少なくとも金・銀を争う世界トップのアスリートに対する評価では、主観の入る演技・構成点に「順位はつけるが差をつけない」という姿勢のほうが、客観性を重んじる現行のシステムの理念にも適う。これはバンクーバー五輪に向けて、採点が「狂いだした」ころから、Mizumizuが繰り返し主張してきたことだ。主観点である演技・構成点でジャッジが順位づけをするのは仕方ない。現行システムは、「絶対評価」がタテマエだが、それは机上の空論に過ぎない。現実問題としてジャッジはどうしても、過去の同選手の演技あるいは他の選手の演技と「比較」しなければ評価のしようがない。だから、そこに恣意的操作の入り込みやすい「点差」は、極力つけるべきではないと。今回はジャッジはそうしたのだ(繰り返すが、あくまでトップ2選手に対してだけだが)。現行のシステムにおける演技・構成点は、「絶対評価」でジャッジが7.5とか8.25とか、それぞれがバラバラに点をつけているだけに見えるが、実は問題なのは、他の選手との「点差」なのだ。本田氏が団体戦のプルシェンコのショートのあと、点が出る前に、「これが基準になる」「これでわかる」と言っていたと思うが、要するに、そういういこと。有力選手を「基準」にして、それとどれくらい点差をつけていくかというのが重要なのだ。これがたとえば、キム選手が今シーズン、メジャーな試合に出てきて、何度もソトニコワ選手と対戦し、ソトニコワ選手がいい演技をしてもいつも圧倒的に、たとえば5点とか8点とか演技・構成点で「点差」をつけていたというなら話は別かもしれない。それならそこで「評判」が作られるから、今回、双方の選手が最高に近い演技をしたのに、点差がつかなかったのはおかしい、と主張することはできるかもしれない。それもこのごろは、絶対評価の理念などかなぐり捨てて、「違う人がジャッジしてるから」で片づけられてしまうが(苦笑)。だが、ともかく最近の対戦実績があればまだ参考にもなるが、リプニツカヤ選手じゃないが、最近キム選手が出たのはB級大会だけなのだ。となれば、今回いきなり出てきたキム選手への評価が、「キム・ヨナ選手を評価する人」から見て低かったからと言ってクレームをつける根拠にはならないだろう。そもそもソトニコワ選手との点差がわずかだったとはいえ、フリーではトップの演技・構成点をもらっている。世界選手権覇者にふわさしい評価ではないだろうか?<以下、後日>
2014.02.26
ソチ五輪終了。フィギュアスケートの記事でまっさきに書きたかったのが、浅田真央選手のフリーの「圧巻」を通り越した演技だ。長くフィギュアスケートを見ているMizumizuだが、彼女のラフマニノフは間違いなく史上最高だった。そのラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を使い、ゲルギエフからスミ・ジョー(スミ・ジョーは、だ~い好きなのだ)まで、驚嘆すべき芸術家のオンパレードだったソチ閉会式を存分に堪能したあと、浅田選手のフリープログラムについて個人的な感想を書こうしていたのだが、女子の結果に対して思いもかけない(Mizumizuにとって、だが)騒ぎが持ち上がり、なかなか沈静化しない。そこでまずは、これについて検証を試みようと思う。女子フリー終了後に巻き起こったロシアのソトニコワ選手の得点に対する批判。一般人からメディア、有名フィギュアスケーターまで、さまざまな意見が飛び交っている。日本の専門家は総じて冷静で、キム選手の敗因を、「3回転ループがなく、ソトニコワ選手がコンビネーションジャンプのセカンドに3回転を2つ付けたのに対し、キム選手は1つだった」からだと分析している。たとえば、こちらの田村氏のコラム。http://www.jsports.co.jp/skate/yamato/1314/post-134/勝敗を分けた理由の1つが、コンビネーションジャンプの後ろのジャンプの3回転にあるのではと考えています。ソトニコワ選手は、3ルッツ+3トウループ、2アクセル+3トウループを跳んできたのに対し、ユナ・キム選手は、3ルッツ+3トウループ、コストナー選手は、2アクセル+3トウループ、ともに1本ずつでした。また、ユナ・キム選手は3ループが入っておらず、上位の3人の中では、唯一3回転ジャンプが4種類になっていました。これが代表的な意見で、まさに勝因・敗因はこれに尽きると思う。ソトニコワ選手はジャンプの質も非常によかった。しっかり飛び上がってから回転し、きっちり回ってから下りる、流れのあるジャンプがほとんど。NHKのアナウンサーでさえ、「滞空時間が長いというか…」と感想を述べていた。その感想は、ジャンプの質が高いからこそだ。ジャンプの入り方や着氷したあとのポーズなども工夫されていた。トリプルフリップを下りたあとの、「加点をお出し!」ポーズには笑いますよ。あれ、彼女、五輪用に変えましたね。ユーロやロシアナショナルのときとは着氷後のポーズを変えてます。3回転+3回転の大きさはキム選手に負けているかもしれないが、それはプロトコルを見れば、たしかにキム選手のほうが加点が多くついている。単独ジャンプだけなら、ソトニコワ選手のほうが質が高く、出来栄え点がつくよう工夫されていた。それもきちんと正確にプロトコルに反映されている。キム選手の最後のダブルアクセルなど、まったく凡庸だ。あれで加点「2」をゾロゾロつけているのを見ると、演技審判はとてもキム選手に好意的だったと思うが。ソトニコワ選手の3連続の最後が乱れたことを、ことさら取り上げる人もいるが、それはきちんと減点されている。「0」をつけた演技審判はいない。最後の2ループは八木沼氏が自信をもって指摘したようにきちんと回っているから、当然アンダーローテーション(<)判定はなし。http://www.isuresults.com/results/owg2014/owg14_Ladies_FS_Scores.pdfなにか「疑惑」がありますか?1つジャンプの着氷にミスがあったから、たとえば演技・構成点をもっと下げるのが妥当だとでも言うのだろうか? それならば、これまで転倒しても優勝してきた選手はどうなるのだろう? さんざん「転倒王者」を作り出してきたのが現行の採点システムだ。それを急に五輪のときだけおかしいと騒ぐほうがどうかしている。ミスがあったのにソトニコワ選手が金メダルを獲ったことと、ジャッジの中にロシア・スケート連盟幹部の妻がいたとか、過去に問題を起こした人物がいたとかといった話と結び付けて、さも不正があったかのように報道している北米メディアがあったが、もはやこうなると、そのほうがロシアを貶めようとする陰謀だろう。Mizumizuは決して今の採点が公平だとは思っていないが、五輪のときだけトンチンカンな主観論や憶測で騒いでも後の祭りなのだ。ストイコがいみじくも言ったようだが、「ロシアは勝つための準備をがっちりしてきた」のだ。おそらくは数年かけて(これについては後日あらためて書くつもりでいる)。話を戻してさらに言えば、スピンのレベルもステップのレベルもソトニコワ選手のほうが高い。スピンもステップもソトニコワ選手は全部レベル4だ。キム選手はステップがレベル3、スピンもレイバックがレベル3。ジャンプは3ループを入れず、セカンドの3回転も1度だけ、スピンとステップでもレベルの取りこぼしがある選手と、与えられた課題に対してすべてレベル4で答え、ジャンプ構成も難度が高く、かつ1つ1つのジャンプの質も高い選手。五輪女王にふさわしいのは、どちらだろう?もちろん、ジャンプ構成はあくまで「技術点におけるジャンプの基礎点」の話。今回、採点批判をしている人たちが特に問題視しているのは、ソトニコワ選手に与えられた「演技・構成点(5コンポーネンツ)」が高すぎたのではないかということだ。この非難の根拠を大きく2つに分けて挙げれば以下のようになる。1) キム選手(銀メダル)とソトニコワ選手(金メダル)の演技・構成点に差がつかなかったのがおかしい。2) ソトニコワ選手の演技・構成点が急に上がったのはおかしい。なるほど。では、まずは(1)を考えてみよう。<以下、後日>
2014.02.25
4年間フィギュアスケートについてほとんど何も書いていなかった拙ブログに、1日1万5,000件に及ぶアクセス。驚いてますし、感謝申し上げます。それだけ五輪が注目されるイベントだということでしょう。女子フィギュアはあまりに素晴らしい演技が多く、いまだに興奮が冷めやりません。このようにエキサイトして観戦した試合も久しぶり。もう少し落ち着いてから(苦笑)、演技や採点について私見を書くつもりですので、もう少々お待ちください。
2014.02.21
Mizumizuのブログを訪ねてくださる、数千人のフィギュアファンの皆さん。シングル女子はまだ、フリープログラムが残っている。今日のことは今日のこと。失敗したのは残念で心痛むが、一番ショックなのは選手本人なのだ。総括はあとにして、今はもう一度、心からの応援を。フリープログラムで気持ちをどれだけ立て直せるか。日本女子選手にとっては自分自身との闘いだと思う。代表に選ばれた選手たちがよい演技ができるよう、ファンは今こそあたたかく見守りましょう。誰のためでもなく自分自身のために、ガンバレ 日本女子!
2014.02.20
羽生結弦の最大の武器は何か。それはスケートの技術的には、おそらくジャンプかもしれない。あるいは氷上のパフォーマーとしては、大人びた洒脱なポーズと天使のような笑顔かもしれない。だが、Mizumizuには、彼の最大の強さは、これまでの日本選手には類を見ない精神的な早熟さではないかと映る。それは、数年前からすでに感じていたことだ。だが、彼について書くのを控えてきたのは、羽生結弦の見せる、これまでの日本人選手にはないこの「才能」に、もう1つ確信がもてなかったからだ。彼は凄いジャンパーだ。高橋選手や小塚選手を始めとする日本の誇る傑出した才能ですらなかなか習得できなかった4回転ジャンプを、若くしてすでに跳んでいた。だが…それはもしかして、彼が年の割には若く見える、軽く細い体形をもったせいかもしれないと思ったのだ。実際のところ、17歳のころの羽生選手を欧米人が見たら、14歳ぐらいと言っただろう。ジャンプだけなら、体の軽い少年時代のほうが跳べたという選手も多い。成長期に差し掛かるとジャンプが跳べなくなるのは女子選手のほうが顕著だが、男子選手にもみられる傾向だ。羽生選手ももしかしたら、そうなるかもしれない…と思わないでもなかった。とはいえ、精神的なものは後退することはほとんどない。日本のスポーツ選手は、総じてだいたいが頭が幼い。精神的に成熟するのが一般人に比べてかなり遅いという言い方のほうが適切だろうか? 純粋培養でスポーツばかりやっている人間にはしばしば見られる傾向だが、羽生選手は、最初から違っていた。日本のトップフィギュア選手のなかでは誰よりも若い。なのに、誰よりも長く生きているような不思議にしたたかな雰囲気があった。それはMizumizuにとっては、かつて少女漫画家が二次元の世界で創り出した、超自然的な力をもつ少年が現実に現れたような驚きだった。だが…ここぞという舞台で、羽生選手は思わぬ失敗をする。怪我も多いように見えた。体力面にも不安がある。精神的に強い人は、肉体的な脆弱さをどこかにもっている…逆にいえば、肉体的にどこか健康でない部分がある人のほうが精神的な成熟が早いものだが、驚異的なジャンパーであり、人並みはずれた柔軟性を見せる羽生結弦にも、そうした弱点があるようだった。フィギュアスケートも運動である以上、肉体的な脆弱さは、ときに精神力では補えないマイナスな結果を導くものだ。こうした強さと弱さを同時にもつ選手、強さが出るとモンスターだが、弱さが出ると華奢で無辜な1人の少年に戻ってしまう選手をどう評価していいのか戸惑っているうちに、どんどん羽生選手は強くなった。オリンピックシーズンのグランプリファイナルで、ジャッジが彼をチャンに勝たせたということは、羽生選手は、「ISU指定強化選手」に入ったと思っていいかもしれない。「ISU指定特別強化選手」と言っていいかどうかは、さきほど終わったソチオリンピックの団体戦のショートの点数だけでは微妙だが(スピンとステップのレベル認定が日本開催のグランプリファイナルより悪かったし、それにチャンに技術点で8.52点も上回りながら、演技・構成点では0.25点下回っていた)。プロトコルはこちらhttp://www.sochi2014.com/en/figure-skating-team-men-short-programグランプリファイナルのプロトコルはこちらhttp://www.isuresults.com/results/gpf1314/gpf1314_Men_SP_Scores.pdfオリンピック新種目である今回の団体戦で羽生選手は、ショートプログラムのジャンプをすべて決めて首位に立った。冒頭の4回転に危なげはなく、後半にもってきたカウンターからのトリプルアクセルも余裕でおり、3回転ルッツ+3回転ループも決めた。多少いつもよりステップが上ずっていて、ポーズをつくったときの表情にはぎこちなさも見られたが、そんなことはここまで凄いジャンプを決めれば、もはやどうでもいいだろう。まったく、なんというジャンプ構成… フリーはさらに凄い。4サルコウに4トゥループ。後半にトリプルアクセルが2つ(しかも連続ジャンプ)、3ルッツも2つ(しかもそのうちの1つは、難度の高い3ルッツ+1ループ+3サルコウ)。当然ながら、ダブルアクセルが入る余地なんかない。いやはや、人間ですか? 構成を見ただけで驚倒しそうになる。しかも、これが「絵に描いた餅」ではなく、ほぼ完成させてきているからまた凄いのだ。4回転ジャンパーは、たいていジャンプ構成が竜頭蛇尾になるが、羽生選手は最初から最後まで、フィギュアのジャンプのもつ、現在考えうる限り最高の技術的側面を見せてくれる。さらに、彼は滑って跳ぶだけの選手ではない。軽々と高く上げる足やビールマンポジションが示すように非常に体が柔らかく、しなやかだ。身体的な能力の高さだけではない。精神的な成熟は、臆することなく自分の表現世界に入っていけるパスポートでもある。そして、観客を呼べる雰囲気。彼のもつ「華」は、高橋大輔選手とは違う個性から来るが、高橋選手に並ぶと言っても過言ではないだろう。羽生選手にとって「幸運」なのは、カリスマ的なオーディエンスへのアピール力をもった高橋大輔選手と年齢差が「ある」ということ。演技に入る前に「軸がぶれないように」と手で行うしぐさ。その一途で集中した表情は、いっそ謎めいた儀式の始まりを示唆しているようだ。華奢でしなやかな肢体は、「男性的」なものとは違う、まだ出来上がっていない少年の魅力がある。時にふてぶてしいような大胆さを見せたかと思えば、かわいらしく無邪気な笑顔で礼儀正しくふるまう。日本的な切れ長の目の表情の移り変わりもチャーミングだ。演技後のインタビューは客観的で分析的。洒脱なポーズで挑発するアーティスティックなパフォーマーでありながら、冷静に理性的に自分の人生の戦略を立てていくことのできる、クレバーな実務派でもあるように見える。こんなタイプのフィギュアスケート選手は、これまで日本にはいなかった。そんな彼が少年と青年の挟間にいるこの時に、フィギュア界の生きる神話、プルシェンコ選手の祖国で行われるオリンピック。西のロシアのツァーリ(皇帝)は、今沈もうとしている。いや、もう誰もが沈んだと思ったら、どっこいまだまだ沈んではいなかった…少なくとも本人は、沈む気はさらさらなかった…と言うほうが正しいかもしれない(苦笑)。そこへ現れた日出処の天子。天子(君主)というより、天使といった年齢と風貌だが、団体戦ショートでのパフォーマンスは、新たなるツァーリ(皇帝)の登場を予感させるに十分だ。羽生結弦がひとときの夢を見せるだけの儚い氷上の天使なのか、日本のみならず世界のフィギュア界に君臨する次の皇帝になるのか。その答えは間もなく出るだろう。しかし、オリンピックというのにお客さんが少ないのう… もはや日本以外では客を呼べないフィギュアスケート。こんな競技に誰がしたのやら… いっそソチオリンピックもフィギュアは日本でやったらどうですか?
2014.02.07
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