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最初に長崎に行ったとき、稲佐山が夜景で有名だということをまったく忘れていた。知名度では函館の夜景のほうが、少なくとも関東の人間の間では高いし、香港の夜景も見ている。だからあまり関心はなかった。
それで昼間に行ってみたのだが、これが予想外によかった。360度、どこを向いても変化に富んでいる。海のすぐ近くまで迫る山、入り組んだ入り江、遠くに近くに浮かぶ島々。海と山の織り成す独特の眺望は、なるほどこここが天然の良港であり、海づたいに人と人を結びつけるのには最適の場所だったのだということを納得させる。
そもそも陸路で行く長崎は遠い。山をいくつも越えた先にあり、クルマで走っているときはとんでもない僻地を目指しているような気分になる。ところが長崎の街につくと、そこがあまりに明るく開けた都会で驚くのだ。
長崎、出島、シーボルト・・・こういうことは教科書で習った知識として頭の片隅にいつもあったのだが、稲佐山に登って初めて、長崎が鎖国時代の日本でなぜあれほどまでに重要な役割を果たしえたのかが理解できた。
最初の長崎観光で昼間来てしまったので、短い日程の中でまた夜来る気にもならなかった。そのかわり「次に来たときのために」と取っておいたのだ。
二度目の長崎で夜、いよいよ稲佐山にクルマで向かったのだが、あいにくの天気だった。夕方から雲が降りてきて、山の頂に届くかどうか。それでも行ってみないとわからない。山の中腹まではそこそこ大丈夫そうで、ワインディングロードから目に入ってくる街の灯りは、あるいはさほど期待していなかったせいもあるかもしれないが、思った以上に綺麗で新鮮な感動を覚えた。
これなら大丈夫かと思ったのだが、山頂に着く直前で、まるで魔法にでもかかったように霧が流れてきて、すっぽりとクルマを取り囲んでしまった。突然、暗闇の中から誘導員の姿がフロントガラスの向こうに浮かび上がったが、その立ち姿も幻想のように霞んでいる。つまり、雲の中に入ったというわけだ。
これでは展望台に行っても何も見えない。潔く諦めて山を下ることにした。途中、大きな橋があり、夜景を諦められない人たちがたくさんクルマを停めて、欄干に肘をつき、街の灯りを見ていた。
Mizumizuたちもクルマを降りてみた。頭上をロープウエイが電光を煌めかせながら登って行く。ほぼ真下から見上げるロープウエイは大きく、そして速い。それが霧の中に突っ込んで行くさまは、不思議にシュールだった。
香港の夜景は間近まで迫った高層ビル群が動的でドラマチックだった。函館はたおやかな扇の形が静的で美しかった。
長崎の夜景の魅力は海と山に挟まれた狭い平地から、山の中腹までのぼっていく灯りの散らばり方にある。香港とも函館とも違うユニークな地形。山から街へ、輝くネックレスをあちこちに垂らしたよう。
写真ではうまく撮れなかったのだが、実際には変化に富む素晴らしい夜景だ。山頂には行けなかったが、さほど残念ではなかった。三度目に来る理由ができたような気がしたからだ。
次は、夜景の見えるホテルに泊まってもいいかもしれない。ワインディングロードを下るとき、大型の観光ホテルをいくつも見かけた。そういえば、匠寛堂のおじさんも、稲佐山エリアのホテルについて、「あのあたりは、だいたい2食つきでXXX円ぐらい(多少高めの相場)」と言っていたっけ。
こちら 。
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