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弁天池からさほど遠くないところに、 秋芳白糸の滝 という、ちょっとしたハイキングコースがある。
木製のりっぱな橋をわたって山道へ入る。橋の向こうの山肌には、黄色い山吹の花が咲いていた。
やまぶきの 立ちよそひたる山清水 汲みにいかめど 道のしらなく
(山吹の花が咲いている山の清水を汲みに行こうと思っても、道を知らないのです)
これは十市皇女(とおちのひめみこ)が急逝したときに、異母弟の高市皇子(たけちのみこ)が歌った歌。
山吹の「黄」と清水、すなわち水の湧く「泉」のイメージを重ね、黄泉(よみ)の国へ追いかけて行きたいのに道がわからないという、のこされた者の絶望感を表している。
清らかな水が山肌から流れてくる秋芳白糸の滝への道は、まるでこの歌で高市皇子が探していた道のようだった。
いかにも湧き水の出そうな山肌に咲く一重山吹、そしてその奥に隠れた清らかな滝。
とすれば、ここは黄泉の国だろうか。今は整備されたハイキングコースだが、確かに橋をわたって山吹の花に出迎えられ、
カルスト台地の石灰分を含んだ、神秘的な緑色の水をたたえた池を見て、滝へと向かう人里離れた道筋は、晴れていても濡れたような空気が静謐で、昔の人なら黄泉の国へ通じる空間だと畏怖の念をもったかもしれない。
やまぶきの 立ちよそひたる山清水 汲みにいかめど 道のしらなく
悠久のときを超えて、先だった十市(おそらく彼女は自ら命を絶ったのだ)が高市に向かって、「私はここよ、ここにいる。私に逢いたいのなら、貴男がここに来て」と言っている。そんな幻想をふと抱いた。
ありふれた田舎のようでいて、カルスト台地という特異な地質がもたらす非日常的な恵みを隣り合わせにもち、想像力を刺激するちょっとした不思議が散らばっている。このあたりはそんな場所だ。
ここからさほど遠くない町に生まれ育った画家 香月泰男 は、鮮やかな山吹の黄色も、弁天池を思わせる青緑色の神秘的な色彩も、どちらも印象的にキャンバスに再現している。
この画家は黒を基調としたシベリア(抑留)シリーズが有名で、中学時代に反戦思想とからめた教育の一環として、戦争の悲惨さを強調するカタチで香月泰男の同シリーズだけを(ほとんど無理やり)鑑賞させられた。
子どもだったから、その陰惨さにショックを受け、香月泰男が苦手になってしまったのだが、あらためて香月泰男美術館へ足を運んだところ、絶望的な抑留生活だけではない、田舎の木訥とした生活人である画家のさまざまな側面が見えた。
油彩だが、やや日本画的な空間処理やデザイン的な構図は、なかなかに見応えがあった。陰鬱な黒や血のような赤を使った絵ばかりが紹介されるのだが、むしろ温かみのある黄色を使った静物画、それに日常生活のひとこまを神秘的な青緑色を使って不思議感たっぷりに描き出した作品が印象に残った。
ある画家のあるイメージを押しつけるような教育や宣伝は、いかがなものかと思う。芸術鑑賞まで1つのイメージに「抑留」されてはたまらない。長い抑留を経験しても、画家が心のおもむくまま身近な景色を、あるいは記憶の中の遠い景色を描いたように、見る側も画家のメッセージを「自由」に受け取りたい。
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