全1475件 (1475件中 851-900件目)
< 1 ... 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 ... 30 >
<先日のエントリーから続く>ジャン・コクトーもジャン・マレーも、青年や少年をモチーフにした絵が多いという点で共通している。長くジャン・コクトーと暮らしたせいか、あるいは一芸術家として心酔していたせいか、ジャン・マレーのドローイングはコクトーの影響が顕著だが、2人の描く人物は明確に違う部分がある。ジャン・マレー作品には多分に、自分を投影している少年・青年像が多いということだ。これは、晩年に書いた児童小説『ノエル』(日本では『赤毛のギャバン』として刊行)のための挿絵だが、もともと物語が自分と愛犬ムールークの実話を下敷きにしているせいか、主人公の少年は、ジャン・マレーの分身のような存在だ。マレーは実生活でも、トルコやイタリアで出会った貧しい少年を養子にしようとして、周囲に反対されている。実際に養子にしたセルジュ・アヤラも、当時19歳の身寄りのないジプシーの青年で、本人の意志に反してジャン・マレーに売られようとしたのが2人の出会いだった。こちらは実際に愛犬ムールークを肩にのせたジャン・マレー。マレーの作品には、しばしば「非常によく似た男女」が登場する。たとえば、『アダムとイブ』と題された油絵。様式的には、新古典派+素朴派÷2といったところ。描かれた男女は、双子のようによく似ている。そして、男性は、大きな眼といい、たくましい肉体といい、どこか若い日のジャン・マレーと共通する。肌の表現はなまなましくはなく、どちらかというと陶器か何かのよう。裸体もまとわりつく蔦も、同じような質感で描かれている。一方のジャン・コクトーは、憧れを追求した素描家だった。コクトーのドローイングには、ダルジュロス、水夫リシャールといった、過去に強く惹かれた男性たちの身体的特徴が常に表現されている。『白書』で、少年の「私」は、全裸の青年の肉体の「黒々とした3点」に強烈な磁力を感じている。そして、コクトーが愛する人の寝顔を好んだことは、マレーの自伝からも、コクトーがラディゲ・デボルト・キル・マレー・デルミット全員の寝姿を描いていることからも明らかだ。これは、そうしたコクトーの嗜好がはっきりと表われた作品。有機的な線で描かれた眠る青年の表情は神秘的で、崇高ですらある。それがたくましい肉体の「黒々とした3点」の生々しさと鮮やかな対比をなしている。もう1つ、ジャン・コクトーが男性の肉体で好んだもの。それは当然のことながら、「神秘の隆起」。『白書』の「私」は、少年時代、使用人のその部分に惹かれて、「突進した」とある(困ったガキだ…)。だから、その部分は、常に入念に描かれる。このドローイングには、「ツーロン」とある。ツーロンは、『白書』で「私」が「魅惑のソドム」と呼んだ港町。コクトーが、24歳のジャン・マレーを最初の旅行に誘ったのもこの街だった。一方のジャン・マレーのドローイングは、もっと装飾的だ。男性あるいは女性の肉体の性的な部分に着目している様子はほとんどなく、むしろ華やかな衣装のおりなす襞とか、背景のディテールの美しさに心惹かれているようだ。ジャン・マレーの描く線は、コクトーのような有機的なメリハリには欠けるが、均一に力強く、緻密な様式美の中に、奇妙な「歪み」があり、それがなんともいえない魅力になっている。これなど、ビアズリーの影響もあるように思う。そして、描かれた人物はどこか奇妙に歪んでいる。多くの友人(愛人)と長期・短期に一緒に暮らしたジャン・コクトーと違い、ジャン・マレーが一緒に暮らしたといえるのは、ジャン・コクトーとアメリカ人バレエダンサーのジョルジュ・ライヒしかいない。それぞれ10年ずつと、スパンも長い。この2人の特別な人との思い出を、ジャン・マレーは晩年まで大切にしている。これはモンマルトルの自宅のアトリエでのジャン・マレー。マレーがモンマルトルに引っ越してきたのは1980年、65歳のころ。壁にジョルジュの肖像画、イーゼルにコクトーの肖像画をのせている。いずれも自作の作品だ。晩年のジャン・マレーは絵画・彫刻・陶芸制作に打ち込み、多くの友人と親しく交わっているが、コクトーやライヒとの関係のような密接なつながりを誰かともとうとした気配は一切ない。コクトーがそうだったように、マレーも人生の特に後半を「友情」に捧げた。そして、マレーは、そういう自分は「とても幸福で幸運な人間」だと、亡くなる5年前の著作『私のジャン・コクトー』で胸を張っている。追記:ジャン・マレーとジャン・コクトーのツーロン旅行については、2008年3月26日からのエントリー参照。
2009.03.01
パリには大小さまざまな美術館があり、いろいろな展覧会が開かれているのも魅力の1つ。現在モンマルトル美術館では、「Jean Marais, L'e'ternel retour」展が開催中だ。2009年5月3日まで。L'e'ternel retourはネットでは「永遠の復活」展などと訳されているが、これはニーチェの哲学用語「永劫回帰」。つまりジャン・マレーの最初のヒット作、映画『悲恋(永劫回帰)』にちなんだものだ。俳優としての業績を辿ると同時に、彫刻家・画家・陶芸家の顔をもっていたジャン・マレーの作品を紹介するユニークな展覧会で、行ってみたら、想像以上にたくさんの人が来ていた。客は圧倒的に超シニア層かと思いきや、そうでもなかった。聞えてくる言語もフランス語・ドイツ語・イタリア語・スペイン語・英語。もっとも多かったのはやはり60歳超のご夫婦だったが、それだけではなく、若者から中高年まで、幅広い世代の人が来ていた。日本人も3人見かけた。20代ぐらいの若いオシャレな女性が2人で来て、「ここは国立ですか?」とチケット売り場で聞いていた。いえいえ、ここはプライベート美術館。パリ・ミュージアム・パス(カルト・ミュゼ)は使えません。もう1人は、やはり20代ぐらいのほっそりと中性的な男性。声は聞かなかったが、日本人だということは明らか。日本人は中国人(や韓国人)と顔が似ているが、態度や振る舞い、雰囲気が全然違う。とても「おとなしい」感じなのだ。ヨーロッパで「この人は日本人」とアタリをつけて間違ったことはほとんどない。特に男性は。さてさて、ジャン・マレー展も非常におもしろかったのだが、まずは、ジャン・マレーの自画像から紹介しようと思う。マレーが絵を描き始めたのは、まだ20歳そこそこのころ。叔母さんに、「映画の仕事がしたいなら、まず絵を描くことだよ」と、よくわからない(苦笑)アドバイスをもらって真に受けたことがきっかけなのだが、その後俳優になり、人気が出ても、マレーはずっと絵を描き続けていた。これは1935年、マレー22歳のころの自画像。ジャン・コクトーに出会う2年前。この作品は今回初めて見た。この顔を見て思い出したのは、1944年生まれのヘルムート・バーガー。この顔とか、この顔とか、似てるような…ヴィスコンティは、まだ映画監督になってもいない、そもそも映画を撮りたいなどと周囲の誰にも話していなかった1938年、コクトーの長期旅行中に駆け出し俳優・ジャン・マレーをイタリアに連れて行こうとしている。この肖像画を見て、ヴィスコンティの誘惑をやけに納得した。肖像画には『クロエのいないダフネ』という題名がついている。本人がつけたものではなくて、コレクターがつけたのではないかと思うが、洒落ている。ダフネはギリシアのヤギ飼いの少年。泉で裸になって身体を洗っている姿を見て、幼なじみの美少女・クロエが彼に恋をする。若き日のマレー=ダフネに恋したクロエは多かっただろう。多くのクロエを虜にした銀幕のダフネが、ジャン・コクトーの愛人じゃ困ると考えた映画のプロデューサーは、必死こいて、ありもしない共演女優とのスキャンダルを作り上げてばらまいたりしている。そのコクトーの1925年の自画像がこれ。自身がつけた『生は1つ』というタイトルがついている。(Bunkamura ザ・ミュージアム編 ジャン・コクトー「美しい男たち」展カタログから)。コクトーは、愛するラディゲを失って阿片に走ったが、1925年のこのころには解毒治療を受けている。半分ヌードで、半分正装をした自分を見つめるコクトーの視線にはどこかしら、若きジャン・マレーと共通する感性、類似の精神があるようにも思う。マレーがジャン・コクトーという名を初めて意識したのは、コクトーの詩や戯曲を読んだときではない。そうしたコクトーの「本業」に触れる前、自分とそっくりな青年が描かれたコクトーの素描を見て、マレーは、「お金もちになったら、この人のデッサンを買いたい」と思った。ジャン・コクトーの描く線が、マレーの感性に響いてきた、それがマレーのコクトーとの最初の出会いだったのだ。そして、マレーが晩年に、コクトーの言葉をつなぎあわせて構成した1人芝居『コクトー/マレー』の台本には、次のような言葉がある。奇跡――それはこの大きな謎を前にして、2重の生を生きること、しかも1つでしかないこと。ぼくたちの顔立ちが織りあわされる。類似は別種のもの。類似は精神から発散する。もう1人のジャンが、ぼくにかわって姿を現す。君はぼくだ、ぼくは君だ。マレーがその魂でぼくを照らし、ジャン・コクトーになりかわる…追記:ヴィスコンティとマレーの若き日の出会いについては、2008年3月17日のエントリー参照。マレーがコクトーのデッサンを初めて見た日のいきさつについては、2008年9月11日のエントリー参照。
2009.02.27
「男性を描いたコクトーの素描はピカソの女性像に迫るものがある」と言ったのは、ジャン・コクトー研究の第一人者山上昌子氏だが、まったく同感。春画そのもののピカソのエロチックなドローイングを見ていると、自然とコクトーを連想する。こちらがピカソ、1968年の作品。(Picasso et Les Maitres展カタログより)アラビックなエロスを、浮世絵的な手法で線描している。そして、ジャン・コクトー。コクトーの死後発見されたドローイングには、エロチックなものが多く含まれていて、繊細なブルジョア詩人コクトーのイメージとのあまりの落差に人々を驚かせた。そのほとんどがたくましい男性美を讃えるもの、「カラミ」も男・男に限られている。中でもお下劣度ナンバーワンだとMizumizuが太鼓判を押すのは、コレ。(Cocteau Sur le fil, Francois Nemerより)何をしてるのでしょうか、この2人…。深く考えるのはよそう。コクトーのヌードには、ちょっとしたこだわりのようなものがある。それはモデルがしばしば、オールヌードでありながら、靴下だけは履いている(ことが多い)ということだ。これは1940年ごろの作品。こちらは1948年の作品(この2つはBunkamura ザ・ミュージアム編 ジャン・コクトー「美しい男たち」展カタログより)。モデルは明らかに、エドゥアール・デルミット(コクトーとはパレ・ロワイヤルの画廊で偶然出会い、その後『恐るべき子供たち』に出演。最後にコクトーの正式な養子となった)。さりげない(?)ポーズが、あまりにエロチック。でもやっぱり靴下を履いている。そしてこちらは、コクトー永遠のミューズ、ジャン・マレーをモデルにした「鏡抜け」の連作写真(1938年ごろ)。もちろんこの原案はコクトー。(Jean Marais, L'eternel retour展カタログから)コクトーとマレーが出会ったのが1937年だから、2人のコラボレーションとしてはごく初期の時代の作品。鏡を通過して黄泉の国に向うというコクトーのビジョンは、名作『オルフェ』で世界中に強いインパクトを与えた。特にハリウッド映画に与えた影響ははかりしれない。ヒース・レジャーの遺作となるテリー・ギリアム監督作品“The Imaginarium of Doctor Parnassus”では、ヒース演じるトニーの代役を、ジョニー・ディップ、コリン・ファレル、ジュード・ロウが務めるというが、それもトニーが鏡を通過して別の世界に移動するというファンタジックな設定から、別人が同一人物を演じても違和感なしとして撮影続行が決まったという。この未公開作品にも、コクトーのビジョンが地下水脈のように受け継がれている気がしてならない。“The Imaginarium of Doctor Parnassus”でヒース・レジャーが鏡を抜ける姿を見るのは来年になりそうだが、ジャン・マレーはすでに1930年代に鏡を通り抜けていた。コクトーの理想でもあるギリシア彫刻のような美を備えた青年・マレーが、これまたコクトーの妄執でもある「鏡抜け=死」を演じている。さすがにフルヌードではないものの、ここでもやはり、なぜかマレーは靴下を履いている。ジャン・マレーは当時、「頭のてっぺんからつま先まで、ミケランジェロのダビデ」と評されたが、デザイナーのジョルジオ・アルマーニに、「現代のダビデ(デビット)」と言わしめたのが、サッカー選手のデビット・ベッカム。アルマーニのアンダーウエア広告写真。パンツの薄さでは、ジャン・マレーの勝ちかな(どういうショーブやねん?)。ミケランジェロのダビデを男性美の理想とするヨーロッパの美意識の潮流は、永遠に不滅のよう。追記:デルミットと映画『恐るべき子供たち』については、2008年7月7日のエントリー参照。ジャン・コクトーとジャン・マレーの出会いについては、2008年3月19日のエントリー参照。ジャン・コクトーの「鏡抜け」については、映画『オルフェ』を取り上げた2008年6月1日のエントリー参照。
2009.02.26
バスティーユ広場とルーブルの中間あたりにあるマレー地区は、いくつもの顔をもっている。マレー(Marais)とは沼のこと。もともとこのあたりは、セーヌ川沿いの湿地帯だった。最初にこのエリアを知ったのは、ジャン・ドラノワ監督、ジャン・ギャバン主演の映画「メグレ警視シリーズ」。古いモノクロームの画面に映し出されたのは、たしかに湿っぽい石畳の細い路地が続く下町の風景で、ネズミが走り回っていそうな貧しげな住宅街だった。それから、大学時代パリに行ったときは、「再開発の進むパリの中で、古いパリの面影をいまだに残している貴重なエリア」だと聞いて、ヴィクトル・ユーゴー記念館のあるヴォージュ広場やカルナヴァレ博物館などを見て歩いた。今のマレー地区はもう再開発され、流行の最先端をいく店も多く出店して、ちょっとした観光スポットになっている。もともとのマレー地区の魅力は、古くからある貴族の館が点在していることだった。また、ユダヤ人街だったという歴史的側面ももっている。そうした要素は排除せずに再開発したことで、マレー地区は、過去と現代が交錯し、さまざまなカルチャーが混在する、不思議な魅力のある街に変身した。大学時代に見て回ったとき、ここは全体的にもっとうらびれた雰囲気で、石畳の道もところどころ舗装がはげていた。観光客もそんなにいなかった。今はどこも小ぎれいに手入れされ、しゃれた店の並ぶ小道は、人で賑わっている。マレー地区のスタートは地下鉄1号線のサン・ポール駅。地上に出ると、東西にのびたリヴォリ通りに出る。観光客に人気のスポットはたいてい北に集中しているから、太陽を背にしてリヴォリ通りから北へのびる路地へ入れば、カルナヴァレ博物館やピカソ博物館の方向に進むことになる。今回Mizumizuは、ピカソ美術館(サーレ館)にだけ行った。毎月第一日曜日、ピカソ美術館は無料開放される。今ピカソ美術館は改修中で、2月アタマにはだいぶ工事は終わっていたのだが、それでも完全ではなかった。昨年末に東京で大規模なピカソ回顧展が開かれたが、それはこの改修工事に合わせて、フランスが日本にピカソ作品を貸し出したから。そうやって工事費用を捻出したというわけだ(ちゃっかりしているぜ、おフランス)。グランパレでの「ピカソと巨匠展」もその流れで、元来マレー地区のピカソ美術館にあったものがだいぶグランパレに行っていた。ピカソ美術館は駅から北へ徒歩で10分ほど。古い貴族の館を使っているので、趣きがある。中はこんなふう。いかにも時代がかった瀟洒な手すりを備えた大階段がお出迎え。まだ一部工事中とはいえ、無料開放日にいったせいか、美術館は非常に混んでいて、ピカソ人気の高さをあらためて実感した。マレー地区でのちょっとしたお奨めは、ユダヤのサンドイッチ「ファラフェル」。パリのエスニックB級グルメの決定版だ。ヒヨコ豆のコロッケにヨーグルトソースのかかったざく切りの野菜、それを袋状のピタパンにつつんだもの。値段はハッキリ憶えていないのだが、5ユーロぐらいだったかな。「ピカンテ~?」(辛くする? という意味だと思う。イタリア語から推測)。と聞かれて、「イエス」と答えてみたものの、たいして辛くなかった。もともとフランス料理は、パンチの効いてない、ボケたような味が多いから、こんなものかな。ロジェ通り34番地(Rue de Rosiers 34)にある、「ラス・デュ・ファラフェル」はこの賑わい。全部店頭でファラフェルを待つ人たち。人気の高さがわかる。味についていえば… まぁ、東京で出店してもこんなには流行らないだろうなぁ。絶品B級グルメとは言えないが、こういうふうに野菜タップリの、しっとりした軽食パンがフランスではあまりないから、パリに行くとわざわざマレー地区に行ってでも食べようか、という気分になる。これと並んで食べたくなるのが、カルチェ・ラタンにあるギシリアの軽食、サンドイッチ・コフト(Kofte)。こちらはファラフェルより重くて、ジューシーな肉入りの野菜サンド(パンは厚手のピタパン)。お店ならL'ile de Cre'te(Rue Mouffetard 10)がおいしい。これも5ユーロしないと思う。ファラフェルもサンドイッチ・コフトも、相当ボリュームがあるので、おやつというより、りっぱな食事になる。パリが美食の都だと思って来た人は、パリのまずくて高い観光客向けビストロなんかに入ってしまうと驚くはずだ。パリは確かにウマイものもあるが、マズイものはもっと多いかもしれない、食の格差の都なのだ。だから、知らずにまずいものをつかまされるより、こういうものを買って路上でハフハフ食べるほうがずっと楽しいし、安上がりだと思う。
2009.02.25
若くして亡くなったヒース・レジャーが、いかに素晴らしい役者だったかについては、彼の急死を受けての連載エントリーでしつこいぐらい長々と書いてきた(2008年1月24日からの飛び飛びの連載を参照)。そのときは、まだ『ダークナイト』(バットマンシリーズ)が公開されておらず、関係者の話として「ジャック・ニコルソン(かつてバットマンでジョーカーを演じた)にまさるともおとらない名演だという」話を伝聞として紹介しただけだった。ところが、『ダークナイト』が公開されると、「ヒースのジョーカー」の大方の予想をはるかに凌ぐ鬼気迫る名演に、絶賛の嵐が巻き起こった。ジャック・ニコルソンのジョーカーに「まさるともおとらない」どころか、「もはやジョーカー役はヒースの永久欠番とすべき」という声さえ出た。Mizumizuの関心は、この演技に対してハリウッドがアカデミー賞を与えるかどうかという点にあった。そして、恐らく「与えるだろう」と思っていた。亡くなってしまった役者がアカデミー賞を獲るのは難しい、それは事前によく言われていたことだ。人々はその場で受賞の感激にひたるスターの喜びの表情を見たがるものだし、そもそも役者に与えられるアカデミー賞というのは、その後の飛翔を後押ししようという意味が強いからだという。だが、ヒース・レジャーにはもともと、『ブロークバック・マウンテン』でのアカデミー主演男優賞が与えられるべきだったのだ。時間がたてばたつほど、Mizumizuはその思いを強くする。『ブロークバック・マウンテン』でのヒースの名演を監督のアン・リーは「奇跡的」と称えたが、正直最初は、監督の身びいきか宣伝の一種ではないかと思っていた。『ブロークバック・マウンテン』のイニス役は、『ダークナイト』のジョーカー役のように、わかりやすいインパクトはない。むしろ、素人には、イニス役のヒースにしろ、ジャック役のジェイクにしろ、役の年齢と彼らの実際の年齢のジャップが気になってしまうかもしれない。「あと数ヶ月先だったら、2人を起用しなかった」とリー監督がいうように、ヒースもジェイクも10代の終わりに出会ったという最初の設定に対しては、少し大人すぎる。そして、物語の後半30代後半に入ったという設定に対しては、若すぎる。最初に見たとき、どうしてもこうした「年齢」に対する違和感が先に立ってしまいがちだ。だが、何度か観賞するうちに、それは非常に表面的なことにすぎないことがわかってくる。アン・リー監督が、なぜダブルキャストにせず、ヒースとジェイクに20年におよぶ物語の登場人物を演じさせたか。そして、2人がそれをどう演じたか。つまり、この物語の演技の最大のポイントは、「感情の変遷」を見せることにあったのだ。ジェイクはそれを、「エモーショナル・ジャーニー」と表現したが、この内面的な旅は、感情表現の豊かなジャックだけでなく、自分の感情を表現するのが非常に苦手だったイニスにもあるのだ。たとえば、台本に「(ここで)イニスは初めて笑う」というト書きがある。実は台本を読むまでは、イニスがどこで初めて笑ったのか気づかなかった。カンニングペーパーを見たあとで初めて、イニス役のヒースが、ジャックをちらりと見て、「初めて笑う」シーンをいかにさりげなく、巧みに演じているかわかった。閉鎖的な人間は、にっこりと素直に笑うことはできない。だが、確かにそこで、イニスは伏目がちの微笑みを一瞬、ほんの一瞬だけ浮かべていたのだ。そして、初めて笑ったとき――つまり、ジャックに心を開き始めたときから、確かにイニスの表情はそれまでと違っている。こうした表情の演じ分けは、本当に何度も見なければわからない。もちろん、リー監督のような優れた演出家ならすぐにその素晴らしさを評価できるだろうが、一般人となるとそうはいかない。だが、この「初めて笑う」シーンはスチール写真になっていて、ヒースが急逝したときに、アメリカの多くのメディアが使っていた。このシーンがヒースの演技の中で重要な意味をもつということがわかっていたのか、あるいは単に偶然なのかわからないが。『ダークナイト』のジョーカーが発する異様な雰囲気、サイコパスの恐ろしさは、誰に対しても最初から強いインパクトを与えるはずだ。ジョーカー役の演技の凄さは、とても「わかりやすい」のだ。ジョーカー役でヒース・レジャーという役者を初めて見た人は、彼がそもそもはブロンド巻き毛のイケメン俳優だったということを知って驚くかもしれない。逆に、ヒース=イケメンと思っていたファンは、白塗りメイクの狂気のジョーカーにショックを受けるかもしれない。そこがヒース・レジャーという役者の凄いところだ。美男俳優には、自分のイメージが変わってしまうことを恐れ、永遠の二枚目でいようとする人も多い。年をとっても美容に気を遣い、ホルマリン漬けのような若さを保っている。自分がすでに年をとってしまったことに気づかない人さえいる。だが、ヒースはまだまだイケメンで稼げる年齢でありながら、自分の美貌に固執しなかった。それどころか、コアなヒース・ファンが悲鳴をあげるような、元来のイメージとは真逆の役にあえて挑んでいる。ヒース・レジャーとならんで、Mizumizuが熱心に紹介した役者にフランスの往年の美男スター、ジャン・マレーがいるが、彼もむしろ、二枚目役ばかりもってくる周囲にうんざりしていた。役で老けられると知ると、情熱を燃やした。「人々は羽を広げた孔雀のように、私が美貌だと言われて有頂天だと思ったのだ。そして年をとってそれを失うと苦悩したと想像する。どちらも間違いで滑稽な話だ。美しさが要求される役ならば、美しくなろうと努力する。醜い役なら醜くなろうとするのと同じだ」とマレーは言っている。ヒース・レジャーという役者にも、ジャン・マレーに共通する「演技への情熱」がある。彼らはどちらも、その恵まれたルックスで人々の注目を集めたが、2人とも「バカ」がつくくらい演劇が好きだった。マレーが老け役に情熱を掻き立てられたように、ヒースもジョーカーという異常な役に情熱を燃やしていた、いや命をかけたのだ。ヒース・レジャーの心中に偉大な先達であるニコルソンへの対抗意識があったのは、事実だろう。先日20歳そこそこの無名時代のピカソの作品に、すでに当時名声を確立していた先達の作品に対するライバル心があることを指摘したが、ニコルソンのはまり役だとされたジョーカーをあえて引き受けたヒースにも、ピカソと共通する自負心と野心、そして挑戦する意思があったはずだ。それでなければ、こんなにリスキーな役は受けない。比べられることはわかっている。相手は天下のニコルソン。まるで、一斉射撃をしようと構えている敵陣の中へ乗り込むようなものだ。目的がお金でないことも明らかだ。ヒースはジョーカー役に集中したいという理由で、大作『オーストラリア』への出演要請を断わっている。お金目当てなら、両方受ければそれだけ儲かる。思えば、ヒース・レジャーという人は、リスキーな役をあえて引き受けるようなところがある。イニス役もアメリカ社会では非常にリスキーだった。事実、ヒースはある種の宗教団体から執拗な嫌がらせを受けていた。また、偉大な先輩俳優がやった役をあえて引き受けるという意味では、『カサノバ』もそうだった。カサノバ役はドナルド・サザーランドもアラン・ドロンもやっている。過去のスターが演じたのとはまったく違うキャラクターを、確かにヒースはハリウッド版『カサノバ』で演じていた。ジャック・ニコルソンのジョーカーは怖い。気味が悪く、異常で、モラルを超越した悪人だ。こんなキャラはニコルソン以外には考えられない。だが、ヒース・レジャーのジョーカーはもっと怖い。戦慄すべき人の心の闇を、ある種の「謎」とともに、見るものに意識させる。「心の闇」という意味では、ヒースのジョーカーのほうが普遍性があるともいえる。ニコルソンの演技に足りなかったものが、ヒースの演技にはある。まったく違った演技だと言うこともできるが、ニコルソンのジョーカーは、ニコルソン自身のキャラクターに拠っていたという印象が強くなった。ヒースの演技は、まさしく作り上げた虚構のキャラクターの見せる、恐ろしい人間の精神の闇の真実だ。演劇とは真実を語る虚構なのだ。ヒース・レジャーのジョーカーはそう言っている。案の定、ハリウッドはヒースのジョーカーにアカデミー助演男優賞を与えた。それはなにかしら、『ブロークバック・マウンテン』で主演男優賞を与えなかったことへの贖罪のようにも見える。このジョーカー役での受賞によって、まったく違った役を演じた『ブロークバック・マウンテン』でのヒースの演技が、一般にもっと見直されることを期待している。そして、もう1つ。Mizumizuの関心は、たとえば10年、20年後に、人々がヒースの代表作として、『ダークナイト』のジョーカーをあげるか、『ブロークバック・マウンテン』のイニスをあげるかということにある。もちろん、ファン個人の嗜好もあるだろう。年齢によっても好みが違ってくるように思う。若い世代なら断然ジョーカーだろうけれど、彼らが年をとって『ブロークバック・マウンテン』を見たとき、もしかしたら、「ジョーカーよりイニスのほうが凄い」と思うかもしれない。少なくとも、「何度も見たい演技」という意味では、Mizumizuはやはり『ブローク・バックマウンテン』のイニス役に軍配をあげる。個人的な好みは別にして、歴史の審判が楽しみな役者だ。こんなに凄い俳優はめったに出ない。ハリウッドの映画史上でも十指に入るのではないか。とかく映像技術に走りがちで、俳優もその個性に頼りがちだったハリウッド映画界で、役者のナマの演技力という原点で勝負し、これほど円熟した世界をあの若さで見せてくれた俳優は稀有な存在だ。しかし、日本でのヒース・レジャーの知名度って、そ~と~イマイチ…(苦笑)。『おくりびと』『つみきのいえ』のダブル受賞という快挙があったとはいえ、テレビではほとんどまったく報道されずじまい。『ダークナイト』も日本では、それほどヒットしなかったらしい。映画の宣伝CMでも、「ありがとう、ヒース・レジャー」と一瞬出ただけだった(再苦笑)。「ありがとう、ヒース・レジャー」・・・それだけですか?個人的に大・大・大評価している役者の快挙が、ほとんど日本では注目されたなかったことは残念だが、そうはいっても、『おくりびと』『つみきのいえ』はめでたい。見てないので、内容については何もいえないのだが、本当におめでとうございます。
2009.02.24
<続き>ピカソはその女性遍歴でも知られている。ピカソと恋愛関係になった女性はみな、それぞれが個性的で、ピカソは彼女たちをモデルに多くの肖像画を描いた。そんなピカソの女性像と並んで展示されていたのは、意外にも新古典派の巨匠、アングルの作品が多かった。左がピカソの妻・オルガの肖像(1923年)。右がアングル(1793~1807年)。きっちりまとめた髪とたおやかな貴婦人然とした雰囲気はそのままに、立ち姿のモデルを座らせている。左手の曲げ方はほぼ踏襲されているが、伸びた右手は曲げられて膝のうえにおかれ、アングルの貴婦人が腕に巻いている毛皮の質感はオルガ像では襟元に移動している。ピカソは生涯に2度だけ結婚したが、ロシア出身のバレリーナだったオルガは最初の妻。ピカソとの間に息子をもうけるが、その人生の後半はむしろ不幸だった。ピカソとの溝が深まるにつれ、オルガは次第に精神を病んでいく。オルガのあとピカソと恋愛関係になったのは、マリー・テレーズ・ワルテル、ドラ・マール、フランソワーズ・ジロー、そして2度目の妻になるジャクリーヌ・ロックだが、ジローによれば、彼女がピカソと南仏の海岸でバカンスを楽しんでいたとき、オルガが後ろからついてきて、執拗に嫌がらせをしたという。しかし、このピカソ作品も、ある意味狂っているような…(苦笑)左アングル(1856年)。右ピカソ(1929年)。ドレスの花模様は壁に移動し、白い布地だけが残っているが、赤いソファや壁の額縁などは、確かにアングル作品を下敷きにしていることを暗示している。だが、とりすましたような貴婦人の上品な顔は、その対極へと翻案されている。19歳でルノアール作品の虚飾性を間接的に告発したピカソの批判精神が、この「ピカソのシュールレアリスム時代」の作品でも発揮されているように思う。そしてなぜかピカソは、晩年に至るまでアングルの女性像に固執しつづける。左はアングルの「グリザイユのオダリスク」(1824~1834年)。右がピカソ(1969年)。アングルのオダリスクはあまりに有名だが、グリザイユ版があるとは知らなかった。よく言われる話だが、アングルのこの女性、写実的なようでいて、実はそうではない。たとえば左足のつきかたが変だ。乳房もこんなふうに見えるためには、よほど脇についていることになる。こちらを向いている首のひねり方も不自然だ。その意味では、さまざまな視点から見た1人の人物を1つのキャンバスの上に描くピカソ・スタイルを先取りしているともいえるかもしれない。ゴヤの「裸のマハ」(1797~1800年)とマネの「オリンピア」(1863年)がよく似ているのは知られているが、これをピカソが翻案するとこうなる。ともに1960年代後半の作品。先達がわざわざ抑えて描いたエロスを、思いっきり解放してしまったような作品も多い。下はその一例。左は17世紀のレンブラントの作品。右はピカソ(1965年)。見えそうで見えないように描いた陰部を、完全に露出させ、しかも、なにやら白い液体が股間から垂れている。ゲージュツかポルノか、なんつー議論もアホらしくなる露骨さ。オトコの本音はこれですかね。でも巨匠、ちょっとばかりお下劣すぎます。
2009.02.23
<きのうから続く>従来のピカソ展というのは、たとえばピカソとプライベートでかかわり、ピカソ芸術におけるミューズとなった女性たちにスポットをあて、天才ピカソの人としての感情がどのように作品に反映されているかを解き明かそうとしたものや、「肖像画」といった1つのテーマを中心に、ピカソ絵画の技法の変遷をたどり、そこからピカソの心情の変化についても掘り下げようと試みたもの、あるいはめまぐるしく変化するピカソ絵画の様式の1つを取り上げ、ピカソの独創性を証明しようとしたものなどが多かった。他の画家とのかかわりで言えば、近代絵画の父と言われるセザンヌの流れを汲む様式の1つとしてピカソのキュビズムを取り上げたり、同じキュビズムの画家の作品と比較したりするというものはよくあった。だが、この展覧会がユニークかつ画期的なのは、連続した時代の流れでもなく、同時代の画家同士の横のつながりでもなく、あるいはピカソ個人の作品のテーマや様式でもなく、あくまで個々の作品の「構図、モチーフ、形、色」に焦点を当て、過去の巨匠たちの作品の中から類似したものを選び出して、同時に観賞できるようにしたことだ。すると、不思議なほどピカノの天才――それは絵画技法の巧みさだったり、精神性の深さだったりする――がくっきりと浮き彫りになって見えてくる。たとえば、この2つの作品を見たとき、Mizumizuは自分の心の中を覗かれたような気がしてギクリとした。写真があまりに悪くてゴメンなさい。興味のあるかたはネットでもっとちゃんとした画像を探してください。ピカソ作品はこれがいいかと↓http://www.poster.net/picasso-pablo/picasso-pablo-le-moulin-de-la-galette-9700431.jpgルノアール↓http://www.wallpaperlink.com/bin/0702/03138.html左がピカソLe Moulin de la Galette(1900年)。右がルノワールBal du moulin de la Galette(1876年)。ルノワールのこの名高い作品を見たとき、Mizumizuはある種の「嘘くささ」、もっといえば不気味さを感じたのだ。明るい木漏れ日の下、談笑やダンスに興じる男女。どの顔も満ち足りて幸せそうで、全員が裕福そう。苦悩や暗さなどみじんもない。そこが不気味なのだ。たとえば左中景の抱き合って踊るカップルは、誰を見て笑っているのだろう。画面中央の一番前の美少女は、向かい合った男性に微笑んでいるようでもあるが、本当は全然別のほうを見ているようでもある。左のピカソ作品は、舞台を室内空間での夜会に移し変えた。柔らかな木漏れ日は暗い人工の灯りに変わり、女性たちは白粉を塗った顔に赤いルージュを引き、みな一様に薄笑いを浮かべている。中景に描かれた踊る女性たちはなぜか、ほとんどがこちらを向いて同じようにニッと笑っている。中央で頬を寄せている女性2人の顔の輪郭はほとんど消えて、まるでシャム双生児のようにくっついている。左端の女性の目つきや笑いは邪悪ですらある。その後ろで何かささやきあっている2人も奇妙にエロチックなムード。これほど雰囲気の違う人々の群れを描きながら、間違いなくピカソ作品はルノワール作品を下敷きにしているのだ。それはMoulin de la Galetteという作品のテーマが共通しているというだけではない、構図が似通っていることからもわかる。ルノワール作品では右側が「混んで」いて、左側にやや空間がある。ピカソ作品では逆に左側が「混んで」いて、右側に少し空間がある。並べてみると昼と夜、明と暗というだけではなく、人間の表面と裏側を鏡に映し出すようにして描き出した双子の作品のように見えてくる。いや、ルノワール作品を見るときに感じる、ある種の「虚飾性」が、ピカソ作品と並べられることで明らかになってしまっているようですらある。驚くのは、この不気味な夜会を描いたピカソの年齢だ。なんとたったの19歳。この若さで、これほど巧みな技法で、夜の社交場に漂う退廃的な雰囲気と、人間の内面の不気味さを描き出しているのだ。まさしく、天才。この作品が描かれたのは、ピカソがパリに出てきてまだ間もないころ。若い芸術家がパリの夜に人間の何を見たのか、見るものの想像力を掻きたてる。このように、ピカソはあくまで独自の世界を描きつつ、それが過去の巨匠の作品を踏まえたことである証拠をどこかに残すのだ。しかも、そこには過去の巨匠の傑作に対する批判さえ含めれているように思う。たとえば、これもそう。左はドガのLes Repasseuses(1884-1886)、右がピカソのLa Repasseuse(1904)。タイトルが同じで、アイロンをぎゅっとかけている女性のポーズも同じ。ドガというのは、一般的な意味で「うまい」画家だ。「うまい」という表現が19世紀後半以降のヨーロッパ画家を論評するうえで主観的な感想以上の意味をもつかどうかわからないのだが、一応Mizumizuとしては、絵の「うまさ」は、二次元のキャンバスに三次元的な空間を表現するのが巧みであり、かつ人物がしっかりとした骨格をもった立体的な存在であることをきちんと表現できるかどうかで判断している。ドガの名作は、踊り子を描いたものだ。バレリーナの鍛えられた肉体とそのポーズを精緻に観察し、いまにも動き出しそうに描いて、しかも写実性だけではない叙情性もそなえている、それがドガだ。このLes Repasseusesでとりわけ印象的なのは、アイロンをかけている女性が「本当にぎゅっと力を入れている」ように見えていること。「うまく」なければこういうふうには描けない。ピカソ作品でも「ぎゅっと力を入れている」雰囲気はそのまま受け継がれている。だが、これが模倣でないことは明らかだ。マネするつもりなら、あえてアイロンをかける女性の向きを左右あべこべにする必要はない。左側から見て描いたものを右側から見たように描くのは、返って難しいのだ。また、ドガのモデルが豊満なオバサンであるのに対して、ピカソの描いた女性はひどく痩せて、病気か、あるいは少なくとも非常に貧しそうだ。ドガ作品では、右のアイロンをかけている女性が力を入れているのに対して、左のあくびをしている女性は身体全体が弛緩している。つまり、ここに描かれているのは、日常のひとこまであると同時に、下に向って力を入れている緊張した肉体と上にむかってのびをしている弛緩した肉体の対比なのだ。だが、人間の肉体の動きを追い求め、再現し、そこに何かしらの叙情性を加えることには巧みでも、ドガの作品には、何かが足りない。それは恐らく、深い精神性だ。右のピカソ作品は、あえてドガのような丸みを帯びた現実的な肉体表現を放棄している。使われている絵の具の色の数も少ない。女性の身体は平板で、単に痩せているという以上に、抽象化されているようでもある。ドガの作品の人物には次の動きを連想させるが、ピカソの作品の人物は、この瞬間で時が永遠に凍りついてしまったオブジェのよう。顔の表情も写実的なようでいて、抽象的だ。落ち窪んだ目のあたりは陰になっていて、はっきり見えない。骨ばった肩から腕も硬い線も写実以上の強いインパクトを見るものに与える。生身の人間を写実的に描いたとき以上の精神性――それは彼女の人生だったり、現在おかれている環境だったりする――に思いを馳せさせるのだ。ドガに足りないものを、自分には描く力量があるということを暗に示しているようでもあるのだ。だからやっぱり、ピカソは天才。こうしたピカソの批判、あるいは挑戦の姿勢は、より時代の近い先輩に対して、かなり強いように思う。ピカソと暮らしたフランソワーズ・ジローによれば、ピカソは同時代の画家に対して非常にライバル心が強く、たとえばマチスの絵が自分の絵より高く値がついたことを知ったときは、プライドを傷つけられて不機嫌になったという。それは多作であるピカソに対して、マチスの作品はただ単に数が少ないからだとジローはピカソに言ったが、ピカソがそれで機嫌をなおすことはなかったらしい。逆に、ピカソの敬意、あるいは深い共感だけを感じる画家もいる。それはたとえば、エル・グレコ。多くの時代にまたがる先達の作品を「翻案」したピカソだが、グレコと共通する作品はその中でも、かなり多い。左がグレコのLa Visitation(17世紀)。右がピカソのLes Deux Soeurs(1902年)。ここではグレコに特徴的な深い藍色、細身の人物像、硬直した衣の質感が引き継がれているが、それだけではなく、左の2人のモデルを少し「動かし」、互いをもっと近づけて寄り添わせて描いたように見えるのだ。描かれているテーマはまったく違うのに、作品に漂う崇高な宗教性が共通しているというのは、驚嘆せざるをえない。だから、やっぱりピカソは天才。キュビズムという絵画様式を確立していく過程で、過去の先達の作品をまるで実験材料のように使っている例もある。右は17世紀の画家リベラの作品。左はピカソ1910年の作品。この2つは、なるほど顔の形と黒を基調とした色調がそっくりだ。だが、違う部分もある。右の男性は口端が上がり、こちらを見て微笑みを浮かべている。左はむしろ下を向いて、考え込んでいるような表情。服装も右はラフに胸をはだけているが、左はおそらくワイシャツとスーツを着ている。つまり、17世紀に描かれた男性の肖像を顔の表情を正反対の感情を浮かべたものに「翻案」し、さらにその形状をキュビズム様式の中で分解したのだ。ここまでいくと、この2つを並べようという考えた、研究者の「眼」に脱帽する。左は17世紀の作品。右は1911年から1913年あたりのピカソ作品。すでに「分析的キュビズム」時代に入っている。確かに言われて見れば、右の男性のかぶった円錐形の頭巾が右のピカソ作品の中で分解され、その残骸が残っているようにも見える。色調も共通しているのは確かだ。だが、研究者の「こじつけ」のようにも見える。それはそれでいいと思う。たとえ万人が納得できなくても、この2つのテーマも時代も違う作品に、つながりを見出した人がいる、ということに意義があるのではないだろうか。これは左がゴヤの自画像(1783年)。右がピカソの「芸術家の肖像」(1938年)。このころのピカソはすでに「ゲルニカ」を描き、巨匠としての名をほしいままにしている。横顔に眼が2つ、おなじみのピカソ・スタイルだ。さらに晩年になると、形はピカソの中で自由にはじけてくる。左ピカソ(1950年)。右はエル・グレコ(1600-1605年)。このあたりになると、かつての自身のテクニックに対する強烈な自負や先達への批判精神は消え、ピカソの自由な翻案は、過去の巨匠へのオマージュの色彩を帯びてきているように思う。左のピカソ作品は、画面から音楽が聞えてくるような、楽しげなエネルギーに満ちている。<次回は「ピカソの女性像は、誰の作品を下敷きにしていたのか」についてご紹介します>
2009.02.21
2009年2月1日朝6時半、パリのグランパレには、すでに長い行列ができていた。夜も明けきらぬ、気温マイナス3度の真冬の朝にこれだけの人がつめかけて並んでいる。このイベント、いったい何だと思いますか? 有名ブランドのバーゲンセールではない。「Picasso and the Masters(ピカソと巨匠たち)」――20世紀最大の画家・ピカソと彼に影響を与えた先達の作品の関連性に焦点を当てた、コチコチのファイン・アートの企画展だ。2008年10月から始まった同展覧会は空前の人気を博した。評判が評判を呼び、「予約券」を持たない一般人が見ようと思うと3時間、4時間待ちは当たり前の状態になったとか。その展覧会が、2009年2月2日に最終日を迎える。最後の3日間はなんとなんと、グランパレの展覧会場はオールナイト、つまり24時間オープンになったのだ。ファイン・アートの展覧会がオールナイトオープンなんて、聞いたことがない。実際にグランパレに足を運ぶまで、「本当にそんなに人が来るの?」と半信半疑だった。Mizumizuは実は朝5時から並んだ。行く前は、「いくらなんでも、早すぎるかなぁ」などと思っていた。ところがグランパレに着いたらビックリ! 砂糖に群がるアリのごとく人が集まっている。最初、行列はこの写真の4分の1以下だった。それでもエントランスまで進むのに1時間半待ったのだ。やっとスロープをのぼってエントランスにたどりついたときに撮った写真がこれ。待っている間に行列はのびて、すでに大通りに出ている。最後尾の入場希望者は、恐らく4時間待ちだろう。グランパレまではホテルからタクシーで行ったのだが、タクシーの運ちゃんが展覧会の入り口がどこかを知らず、グランパレの脇で降ろされてしまった。当然グランパレはただ暗く、周囲にひと気はない。とってもさみし~い、早すぎる朝の風景だった。「どこでやってるのよぉ」と思いつつ、あてずっぽうでセーヌ川のほうに歩いてみた。でも、やっぱりひっそりとして展覧会の入り口らしきものはない。そこへ、「いかにも絵を見てきた」らしき女性が歩いてきた。「ピカソ展の入り口はどこ?」さっそく聞いてみる。カンはあたり、「裏よ、この建物の真後ろ」と教えてくれた。「私も見てきたけど、すごくいいわよ!」心なしか頬が紅潮している。ホテルのフロントマンの中にも、見たという人がいて(例のいけ好かないオニイではない)。やはり、「素晴らしかった!」と言っていた。これだけ一般人が絶賛するのも珍しい。期待を胸に建物の裏へまわると、なんのことはない。大通りにある地下鉄の入り口からすぐのところが展覧会場のエントランスになっていたというわけ。北海道の冬で防寒のポイントはおさえている。「下半身」が大事なのだ。上だけ暖かいコートをはおっても、下が薄着ではゼッタイに寒い。なのでジーンズの下に、おもいっきりの「ババズボン」、それに冬山トレッキング用の靴下。上もババシャツにセーター、カシミアのコートにウールのショール。マイナス3度ぐらいなら、大丈夫――と思っていたのだが、さすがに1時間半立ちっぱなしはこたえた。足元がじんわり冷えて、何度か見るのを断念しようかと思ったほど。「こんなに並んでまで見る価値あるわけ?」結果――見る価値は、間違いなくあった。途中で諦めなくて本当によかった。これほどおもしろい展覧会はほとんど見たことがない。「ピカソ+その他の巨匠」という、ある意味ありふれた企画がなぜそんなにおもしろかったのか?いや、その企画こそが抜群だったのだ。ピカソが先達の作品を模倣し、その技法やスタイルを吸収し、やがて破壊していったということはよく知られている。観念としては知っていても、では具体的にピカソのどの作品が、過去の巨匠のどの作品と似通っているのか。それをズバリこの展覧会では並べて見せてくれたのだ。具体的に展示された絵で紹介しよう。作品はカタログを手持ちのデジカメで写したもの。ピカノは自画像を描くとき、過去の偉大な画家の作品に自分をなぞらえていたという話は聞いていた。だが、こんなふうに実際の作品を並べて観賞する機会はなかった。左はスペインの画家プエンテの1895年の作品。右がピカソの自画像。1897年、巨匠がわずか16歳のときの作品だ。この2つの肖像画の類似性と相違性は明らかだと思う。明らかにポーズをなぞっているが、ピカソ像では顔がやや横向きになり、昔の音楽家のようなカツラをかぶっている。プエンテ作品と同じく暗い色のマントをはおった身体が三角形のフォルムとして描かれいる(写真では見えないかも)が、首に巻いているモノが対照的、質感も色も。そして全体に構図が下にさがり、腕は入っていない。このピカソ像には、早熟の天才・ピカノの皮肉と憂鬱が表われているように思う。左の肖像画の男はすでに本当に若くない。右のピカソはまだ10代半ばだというのに、はつらつとした若さが感じられない。ピカソは、「若くなるには、長年かかる」という名文句を残したが、14歳ですでに伝統的な絵画技法と卓越したデッサンのテクニックを身につけていた早熟の天才は、精神的にはこのころ、まったく若くなかったのかもしれない。つまり、自分の中に若さを見つけられないでいたのかもしれない。当時の自分の絵についてピカソは、「友人はぼくの絵を見て、古典派の巨匠の作品のようだと評した。でも、ぼくはこのころの自分の絵が好きではなかった」と言っている。さらに面白いのは、1901年、パリに出てすぐのころに描かれた3枚の肖像画だ。まずは1枚目。左はプーソンの作品(1650年)。右がピカソ。この2つの作品の関連性は、やや研究者の「こじつけ」に近いかな、とも思う。だが、右肩を前に出したプーソン作品に対し、左肩を前に出して逆を向き、あげていた腕を下げ、黒衣に対して白衣をまとったピカソ。背景の額縁の絵は向って左後方に簡略化して描いたと考えると、なるほど、ピカソ一流の「翻案」のパターンの範疇に入るのかなとも思ったりする。研究者が自分の「目で見て」、関連性を直観したのか、他の作品のパターンから分析したのか、あるいはピカソの覚書など、何か文献のようなものがあって、この2作品を関連づけたのか、詳しくは知らないのだが、まったく技法の違うこの2つの作品が、「構図の翻案」という地下水脈でつながっているという発想は、それ自体が興味深い。そう思ってみると、着衣の布の質感の描き出し方も、どことなくつながっているようにも思うのだ。そして、次。左はご存知、ゴッホの自画像(1888年)。右はピカソの肖像画(上と同じく1901年)。上の「プーソン作品の翻案としての肖像画」の筆のタッチと似ているようだが、こちらのほうが細かい。なんといっても、ゴッホ作品と共通するのは、そのやや硬直した細かいタッチだ。左のゴッホが正面を向き、はおった上着のボタンをはずすと右のピカソになる――と取れる構図だ。パレットとイーゼルは姿を消し、画の中央にだけスポットを当てたように顔は詳しく描かれているが、身体の下のほうは筆遣いが粗くなり、地の色の中に消えていってしまっている。ゴッホとの類似性を見せながら、明らかな違いも際立つ作品だ。ゴッホのほうは画面全体を同じような筆のタッチの密度で埋めている。ピカソの肖像画のほうは、もっと描き方にメリハリがあり、伝統的な意味での、絵画テクニックの高さもさりげなく誇示しているようだ。そして、突然、ピカソの世界がブルーに染まる。名高い「青の時代」の始まりを告げる作品。左は1893年から1894年にかけて描かれたゴーギャンの自画像。右が言わずとしれた、親友カサヘマスを自殺で失った直後のピカソ(やはり1901年)。赤を基調としたゴーギャン作品に対し、ピカソは青。そして、ゴーギャンがはおっているだけのコートをピカソはぴっちりとボタンをとめて着ている。腕はおろされ、ピカソの手にはパレットも筆もない。顎を少しあげてやや挑発的な視線のゴーギャンに対し、顎をひいてじっとこちらを見つめるピカソは蒼白で視線は物問いたげ。何もないバックは共通しているが、ピカソのほうが身体が右に寄って小さく描かれているから、その空間(あるいは壁?)が大きい。コートの広い面積とあいまって、単調な暗青色が、何かしらの不安感をかきたてる、一度見たら忘れられない作品になっている。それから5年後の1906年、すでに「バラ色の時代」に入ったピカソ。5年でまったく別人になってる! しかも明らかに若返ってるではないか!(笑)悩める病人のようだった青の時代の肖像画から、まるで肉体労働をしている小僧っ子のようになったピカソ(右)。このころから早熟の天才は、悩み多き青春を抜け、ようやく若くなり始めたのかもしれない。御歳25歳。私生活でもフェルナンド・オリヴィエという恋人に出会っている。硬直し、縮こまったような「青の時代」の肖像画と違い、ラフな軽装で、胸と腕を出している。身体全体を隠していたコートを脱ぎ、ずんぐりとしたピカソの身体を明らかにしたこの肖像画こそ、生身のピカソの出発点かもしれない。もちろん、大仰で滑稽なカツラもない。左はセザンヌの自画像(1884年)。右のピカソ作品と見比べると、やはりそこには、ピカノの、ピカソによる、ピカソのための「人物のポーズを含めた構図の翻案」「色調の翻案」が見られる。曲げた腕は右から左へ。パレットは右から左へ。イーゼルは消え、顔の向きも逆。胸元のV字のフォルムは共通だが、一方は背広、他方は対照的な白いシャツ。背景の色味もよりシンプルなグレーに集約されている。この展覧会は企画、つまりピカソと過去の巨匠たちの膨大な作品の中から、関連づけるべきものを選択したこと自体も賞賛に値するが、世界中に散らばるそれらの作品を実際に一堂に集めたことがまた凄い。かけた予算は、450万ユーロ(約5億4000万円)。これはフランス史上最大級のものだという。そして、その5分の1は、総額20億ユーロ(約2400億円)とのぼるといわれる全展示品の保険金だとか。肖像画だけに絞って紹介したが、ピカソ作品と並んだ巨匠は、エル・グレコ、ディエゴ・ベラスケス、ゴヤ、ティツィアーノ、レンブラント、ウジェーヌ・ドラクロワ、エドゥアール・マネなど200点以上。天才は孤児ではないこと。人々が独創性の賜物だと単純に思い込む作品の多くが、実は優れた翻案の力によるものかもしれないことを、実際の絵を並べて示した、あまりに独創的な展覧会。そして、この空前絶後の展覧会に、寒い冬の早朝から押し寄せるフランスの一般人たちの知的好奇心の高さ。パリでは、有名ブランド店やおいしい店に行けば必ず聞える日本語が、ここではまったく聞えてこなかったのは… 単に朝が早かったからだけなのか。でも、フランス語に混じって、スペイン語やイタリア語は聞えてきたのに。
2009.02.19
<きのうから続く>ベルトコンベアー作業なら、流暢な英語で対応するホテル・ランカスターのフロントの「雇われ」たち。しかし、変化球となるとフレキシビリティが足りない。柱になってくれるような超ベテランの風格あるホテルマンもいない。2日目の夕方、最初に案内役をつとめてくれたオネエな彼が立っている。明日は帰国。でも夜遅いフライト。チェックアウトは正午だが、レイトチェックアウトを頼めるかどうか聞いてみた。「レイトチェックアウト?」オネエが、慌てたように手元のボードを見る。時間割表で、宿泊客のスケジュールなどが書き入れてあるもののよう。「何時ぐらいまでご希望ですか?」「できるだけ遅く」「できるだけ…」見る見る表情が曇る。いや、無理ならいいんだけど…オネエがボードをひっくり返して、考え込んでいる。なんでそんなに困ってるんだ? 満室でもなかろうに。すると、横から、超ショート金髪のあまりイケてないお兄さんが、突如会話に割り込んできた。「午後3時以降にここにいたいなら、あなたは1日の宿泊代の50%を払わなければいけない」はあ?誰が午後3時以降までタダでステイさせろと言ったよ、え? ただ、レイトチェックアウトができるかどうか聞いただけだよ。希望を聞かれたから、「できるだけ遅く」って言っただじゃん。それに、話しているのは君にじゃなくて、こっちのオネエになんだけど?さっそくハラが立ったが、もちろんそんなそぶりは見せず、「では、午後3時前でいいですよ」と答えた。超ショート金髪のあまりイケてないオニイは、明らかにオネエに助け舟を出したつもりらしい。手元のボードを(なぜか)必死に見てるオネエをかばうように、しゃしゃり出てきて、「レイトチェックアウトは、すぐにできるかどうか保証できない」なんて言い出す。「じゃあ、いつできるかどうかわかるの?」だから、君と話してるんじゃないって。どいてよ、オネエが見えないじゃん。なんなんだ、この超ショート金髪のイケてないニイさんは。友情には篤そうだけど、ちょっと出ちゃばりすぎでしょ。そうこしてるうちに、オニイの陰から、オネエがやっと答えを出した。それは…「今は約束できない。明日」また、明日か!なんでレイトチェックアウトができるかどうか、明日になんなきゃわからないのか、こっちは全然わからない。チェックアウトの時間に合わせて、最終日の予定を少し動かそうと思ったのに、これじゃダメだわ。で、翌日の朝。フロントにいたのは、超ショート金髪のイケてないオニイだった。そして、Mizumizuが通りかかると、「レイトチェックアウトは午後1時まで」とボードを見ながら言ってきた。たったの1時間!それじゃあんまり変わらないわな。でも、もう期待していなかったので、「わかった。どうもありがとう」と言うと、オニイが初めて、「よろしいですか?」と殊勝な顔をした。よろしくないって言ったら、どうするのよ? まったく。そんなこんなで、午前中にちょっと外出し、昼前に帰ってきて12時半にチェックアウトした。このホテルは、電話の内線ボタンがいろいろ分かれてるクセに、「レセプション(フロント)」と「ルームサービス」しか出やがらない。なので、フロントにかけて、荷物を預けたいのでベルボーイを寄こしてくれるように頼んだ。対応は速い、それは立派。すぐにベルボーイがやって来た。最初の日にドアに立っていた、ホテル一番のイケメン君だった。実はその後、彼を全然見なかったのだ。ドアマンは他に2人ぐらい見たのだが、立っていないことのが多い。到着のときにちゃんといたのは、もしかして、こちらの到着時間を事前に聞いていたから、それに合わせて待っていただけかもしれない。ホテルで預かってもらいたい荷物を渡して、「午後7時ぐらいに戻ってくるから」と、チップを1ユーロあげたら、めちゃくちゃ嬉しそうに笑ってお礼を述べるホテル一番のイケメン君。おいおい、たった1ユーロだよ。そんなに給料安いの? ここそんなに喜んでいただけるなら、2ユーロ硬貨にしてあげるべきだった。ホテル一番のイケメンだし(他には視覚にウレシイ人はいなかった)。そういえば、ベルボーイって、荷物をもってきてもらったときにはチップをわたしやすいけれど、荷物を運びに来てくれたときって、案外チップをあげるのを忘れる。それで、喜んでいたのかな? とにかく、イケメンのベルボーイ(ドアマンも兼任)は、とても感じよく丁寧に荷物をもって去って行った。長身でガタイもいいから、荷物がひどく軽そうに見えた。やっぱり男は、荷物運べてナンボよね――うっとりと(笑)見送るMizumizu。で、フロントにおりたら、例の、同僚への友情(?)には篤いようだが、客への態度は微妙に悪い、超ショート金髪のイケてないオニイ。身軽なMizumizuを見て、開口一番、何を言うかと思えば…「荷物を部屋においてきたのですか?」はあ?たった3分前にここに電話して、ベルボーイ呼んだじゃん。そういえば声が違った。さては、横で知らんふりしてるもう1人のフロントマンが電話を受けたのか。にしても、「あなたは部屋に荷物を置いてきたのか」は失礼でしょう。どこのバカがチェックアウトするときに部屋に荷物を残してくるのよ。そういう場合は、「お荷物はどうされました?」が正解だろう。頭に来たが、こんなオニイ相手に怒っても仕方ない。忍耐強く、「いえ、さきほどポーターに来てもらって、荷物は預けた。彼には、午後7時に戻ってくると伝えた」と説明するMizumizu。5か6まで言えば10までわかってくれるのが日本のサービスだとしたら、ヨーロッパは10までわかってもらうには、2度ぐらい10まで説明する根気が必要だ。同僚への友情(?)には篤いようだが、客への態度は微妙に悪い、超ショート金髪のイケてないオニイはそれで納得顔になった。そして、次に「タダだったはずのホットチョコレート請求」事件が起こった。ただ、夜7時に戻ってきたときのフロントの対応は完璧だった。顔ぶれがまったく変わっていたのだが、名前を言う前に、もう荷物が出てきた。まるで魔法。ついでに言うと、フロントに立ってたのは、例のオニイとは雲泥の差のイケメンだった。もっと早く立たせてよ、彼を。しかも、とても紳士的で笑顔も麗しい。「タクシーをお呼びしますか?」出た! 得意の(苦笑)台詞!タクシーの手配だけは常に、文句がつけられないくらい完璧なのだった。しかし、日本に帰ってきてからも、あの超ショート金髪のイケてないオニイの態度には腹の虫がおさまらない。ランカスターのHPを見たら、ジェネラル・マネージャー(つまり支配人)あてのメルアドがあった。そこで抗議メール(早い話がチクリ)を送った。「レイトチェックアウト問答割り込み事件」と「チェックアウト時の失礼な物言い事件」が非常にembarrassedだったこと、それに請求書の間違いも、「バウチャーをわたしておきながら、請求してくるなんで、なぜこんなバカな間違いが起こるのか理解できない」とこきおろした。そしたら…!なんと、最初にホテル・ランカスターから返ってきた返事は…Dear \\GUESTNAME///: Thank you for staying with us at the Hospes Lancaster. We sincerely hope you enjoyed your visit with us and that we were able to exceed your expectations. We look forward to serving you again when your travel plans bring you back to the Paris area. Sincerely, Director of Sales +33 1 40 76 40 76 www.hotel-lancaster.fr ↑コレ。脱力するほどダメダメ。どうしてって…これはお礼状の「雛型」なのだ。\\GUESTNAME///のところに、本当ならメールをくれたお客の名前を書き入れて送らなければならない。それすらやらないで自動送信してるってことだ。やれやれ、クレームレターは支配人のところには行かなかったのか、と思っていたら、数時間後、ちゃんとジェネラル・マネージャーのValentino Piazzi氏から丁寧な謝罪レターが届いた。きれいな英語で、次回いらしたときに、個人的にお会いしたい、レイトチェックアウトは何時であってもフライトの時間に合わせて無料で保証する、と書いてあった。一般の日本人観光客のフランス人に対する印象は必ずしもよくない。観光客が接するのは、失礼な「雇われ」が多いからだ。でも経営してるほうは、日本人も含めてお客様にはそれなりに満足してもらえるサービスを提供しようという気持ちはあるのだ。ただ、権利意識は世界一高く、一流の店に勤めると自分も一流になったような気分でお客を見下す、困った「雇われ」が多いのも、またフランスという国。多くの場合、「雇われ」はお客が自分の上司と接触できないのをいいことに、わざわざ店の評判を落とすような態度を取るのだ。その証拠に、お客にアンケートをとるような店の「雇われ」は、ビックリするぐらい愛想がいい。ランカスターのGMは、「当ホテルは、家庭的なサービスで高い評価を得ていますので、今回のご無礼は例外的なことだと思います」とも書いてきた。それはどうだかね。だって日本人客を1人も見なかった。3日泊まって1人も。日本人というのは、基本的にとても目ざとい消費者だから、「上質な場所」には、必ずいる。ホテルだって、どんなに高いホテルでも、よいホテルには必ず泊まっている。でも、ここにはいない。単に「知られてない」だけではないと思う。いくら隠れ家的な小さなホテルでも、そこがとてもよければ、もっと日本人は来るはずだ。実際に泊まっているときは、レイトチェックアウトをあれほどしぶって、結局1時間しかのばさなかったのに、文句をつけたらいきなり、次回はフライト時間まで無料で保証しますってのも、なんとなくバツの悪い話だ。チェックアウトの時間をのばすなど、本当はそれほど難しいことではないのだ。もちろん、1泊しかしないようなときには、お願いすべきではないと思っている。それは客側の良識の問題。ただ、3泊もしたら、多少融通をきかせてもらうのは、別にごり押しでもなんでもないハズ。バンコクのオリエンタル・ホテルはすぐに「午後4時までどうぞ。そのあとも、ゲストオンリーのプールもご使用いただけますから」と言ってきた。ランカスターであれほどオネエが困っていたのは、掃除のスタッフの稼動できる時間が限られているからではないかと思う。それに、どうも宿泊客を同じ階になるたけ固めたいという勝手な都合も見え隠れした。ランカスターは部屋のメイクアップサービスはイマイチだった。たとえば、北海道の洞爺湖の「ザ・ウィンザー・ホテル」はずっと規模が大きいが、部屋をあけて戻ってくるたびに、「いつの間に入ってきれいにしたの?」ってくらい、メイクアップを何度も素早くやってくれた。ランカスターの朝のレストランは、時間をずらしても行っても、いつもたいして客がいないのに、同じ階の部屋は妙に埋まっていたからだ。もともと部屋数が多いホテルではないのだが、あえて固めて泊めている感じ。そのほうがお客に満室感も与えられるし(けっこう空いてるのはミエミエだけど)、掃除もラクだということだろう。結局日本、そしてアジアのトップクラスのホテルの人的サービスにはかなわないということ。そういえば、バンコクのオリエンタル・ホテルで、フランスからホテル経営を勉強しに来ているという青年に会った。バンコクに来る前は、ドバイのホテルで、接客の勉強したと言っていた。しっかり勉強してくださいネ、おフランスの高級ホテルさん!
2009.02.17
今回のパリ旅行で3泊したホテル・ランカスター。率直に言うと、カフェ(あるいはレストラン)利用ぐらいに留めておくのが一番のお奨めかも、と思った。宿泊するなら、観光よりむしろビジネスでパリに来てる人にお奨めしたい。地下鉄のGeorge Vからすぐで、シャンゼリゼから1本入った静かな通り。便利なのだが、隠れ家に帰るような感覚が味わえる。ホテルもこじんまりとした小さなホテルなので、落ち着く。ただ、ホテルのマンパワーというのか、プラスアルファの人的なサービスで言えば、残念ながらあまり上等とは言えなかった。かつてはヨーロッパの映画人に愛された由緒あるホテルなのだが、今泊まっているのは、ほとんどがアメリカ人の忙しそうなビジネス客(まあ、季節がらもあるかもしれない)、それも取締役級のおじいさんばかり。バリバリのおばさんキャリアウーマンも1人ぐらい見たかな。週末はドイツ人家族が2組ぐらいいたが、あとは全員アメリカ人。朝食を取るレストランからまったくフランス語が聞えてこないのだ。このホテルも、経営はもはや中華系資本。そのせいというわけでもないのだろうけれど、いろいろなコスト削減努力が見えてしまい、かつこのクラスのホテルにしては至らないところも目に付いてしまった。詳しいインプレッションは後述するとして、一番お奨めしたいカフェ利用なのだが、何と言っても、立地のよさと静かな隠れ家的な雰囲気がいい。世界中からおのぼりさんがやってくるシャンゼリゼ通りというのは、歩いた人ならわかると思うのだが、店は案外おもしろくない。ショールームが多くて、トヨタのショールームで新車の前で写真撮ってる中国人観光客には笑った。よっぽどやることないのネ、シャンゼリゼって。そして、シャンゼリゼ通りは歩いていると、とても疲れる。凱旋門からコンコルド広場に向った歩き出すとすると、まぁ、特別な目的地がない限りは、ジョルジュVに着く前に飽きてしまうだろう。そんなとき、喧騒の大通りから1本入った、静かなホテルのカフェで休むのはいいと思う。Mizumizuときたら、最終日に、シャンゼリゼ通りに面したカフェ「George V」に入ってしまい、そのあまりのおのぼりさん相手の酷い商売にビックリした。外の席と中の席があるのだが、シャンゼリゼに面した外の席のが人気。寒くはないのだが、椅子の配置がまず酷い。ギュウギュウにつめて3列ぐらいに並んで座らせる。しかも座ってみたら、眺めもたいしてよくない。ただのクルマの往来のうるさい大通り。エスプレッソを頼んだら、「外の席はダブルエスプレッソしかない」と言われた。値段はなんと6.5ユーロ(約780円)。フランスのエスプレッソは、いいレストラン以外はたいていマズイが、ここも最悪の味。しかも強引にダブルなので、量が多い。フランスのカフェは持ち込みOKで、別の店で買ったケーキやパンを食べたりするのは、わりあいよくやっているのだが、この店ではNGだった。フランスで断わられたのは初めてかも。さらに、7ユーロ払ったら、「サンキュー!」と調子よく言ってお釣りなどもってくる気配もなし。結局マズいエスプレッソとおのぼりさんばかりの落ち着かないカフェの、うるさいだけで雰囲気ゼロの「外の席」で、840円払うハメに。これなら、少し歩いてランカスターのカフェに来たほうがゼッタイにいい!行きかたは簡単。地下鉄のGeorge V駅を出たら、凱旋門を背に道の左側へ。コンコルド方面に少しくだって2つ目の左の小道(Berri通り)に入って、左側、約150メートル。途中にWarwichというホテルがある。LancasterはWarwichより小さなホテルで、入りにくいかもしれないが、カフェ利用と言えば問題ないと思う。カフェスペースそのものは暗めだが、夏なら禅風(そうかなぁ?)のしつらいの中庭のテラスでお茶もいいんじゃないかな。確か、コーヒーが1杯8ユーロぐらいじゃなかったかと。シャンゼリゼの喧騒がウソのように静か(たまに、ビジネス客が2~3組いるかもしれない)。華やかなシャンゼリゼから、通な隠れ家に来たような雰囲気が味わえると思う。ゆったりした滞在を希望する人に宿泊をお奨めしないのは、いろいろと理由があるのだが…やっぱり、部屋がうるさい案内されたとき、部屋には音楽が流れていた。それもあとから納得。どうも壁が薄いのか、古い建物で防音がよくないのか、隣の声がわりと聞えるのだ。「筒抜け」というほどではないのだが、音に敏感なMizumizuにはどうもね。どこかで家具をひきずる音、どこかでおしゃべりしてる声、浴室では上の客がハイヒールで歩いてる音がハッキリ聞えて、閉口した。コンシェルジュがダメダメ高級ホテルなら、専任でなくても、たいていプロのコンシェルジュがいる。ここにはいない。でもって、フロントマンが兼任。フロントマンは時間制で入れ替わる。しかも、超ベテランらしきお年のフロントマンがいない。30歳から40歳ぐらいが多く(つまり、そこそこ安く使える人材ということ)、「タクシーを呼ぶ」とか「愛想よく決まりきった挨拶をする」ということはできるのだが、変化球を出すと対応できない。オペラ・ガルニエでモーリス・ベジャールとローラン・プティのオムニバス公演があった。ベジャール作品はジョルジュ・ドンで有名な『ボレロ』だし、ベジャールとプティを同時に見られる企画はなかなかないので、チケットを入手しようと思ったのだが、あいにく気づいたのが遅く、ネットでは買えなかった。なので、ホテルのコンシェルジュに依頼。「当日の昼にならないとわからない」と言われ、待ったのだが、結局、「ソールドアウトでした」って……ソールドアウトはわかっとる! それを何とか入手するのがコンシェルジュの腕でしょうが!こういうのも人脈がモノをいうのだ。時間交代制のフロントが兼任で、専任がいないコンシェルジュ態勢じゃダメですね。「卵料理は?」と聞かない若いギャルソン3泊して、2日続けて頼んだ朝の卵料理。最初の2日は、そこそこ経験のありそうな40歳ぐらいの給仕が対応。食べてる途中で、「エッグ?」と聞いてきたので、「スクランブル」を頼んだら、「ベーコンもつけますか?」。もちろん、「イエス」。2日目も同じ会話。このクラスのホテルで朝、「エッグ?」と聞いてきたら、当然タダだ。ホテル・ランカスターは夏は朝食込みの値段ではないようなのだが、シーズンオフの冬はサービスで朝食込みになる。そのスクランブルエッグは先日のエントリーで紹介したけれど、3日目はサービスが若い給仕にかわった。そしたら、コイツ、卵料理が欲しいかどうか聞いてこなかったのだ!向こうの席の白人にはちゃんとサーブされている。明らかに、東洋人と見て、サービスをはぶいてる。実は3日目はもう卵は食べたくなかったので、こちらも何も言わなかったのだが、卵を食べたくないMizumizuの心中をテレパシーで察して聞いてこなかったのでは、もちろんない。こういうこともけっこう目撃する。日本人はあっちの白人に卵料理が出てるのを見て、「あれはエキストラで払っているんだな」などと思う。違います。こういうことをしてはダメだよ、若い給仕君。別に教えてあげないけどね。これを読んだ日本人宿泊客の皆さん、注意しましょう。「エッグ?」と聞かれなくても、ランカスターの冬の朝食は卵料理がタダでサービスされます。食べたいのに、若いギャルソン(ベテランなら、まあちゃんと聞いてくると思う)が聞いてこなかったら、「ここでは卵は頼めないのか」とかなんとか、聞いてみましょう。そこまで聞けば、まともに仕事するでしょう。ホットチョコレートのバウチャー冬のサービスの一環として、チェックインのときにホットチョコレート(つまりココアね)のバウチャーがついてきた。いつでもいいと言われて、2日目ぐらいに飲んだ。サーブしてくれたのは、3日目に「エッグ?」と聞かなかったギャルソンだった。案外人手が少ないのよね、このホテル。ココアのお味は…完全に普通でした。写真を見ておわかりのように、器はとてもスタイリッシュ。とっても濃いココア(左前)を暖かいミルク(奥の右の背の高いポット)で薄めて飲む。しかし、ココアが濃すぎて器にだいぶ残ってしまう。もったいなくて、ココアの器にミルクを入れて溶かしだそうとするMizumizu(苦笑)。そしたら、とっても薄いココア入りミルクになってしまい、味が台なしだった…(自爆)。でもって、このタダのはずのホットチョコレート。チェックアウトのときに請求書をチェックしたら、ちゃっかり「12ユーロ」で請求されていたのだ!まったくも~!それじゃサービスなのか、ワナなのかわからんじゃん。もちろん、指摘して削除させた。謝罪の言葉は、モチロンなし。なぜならフロントで対応した人物が犯したミスではないから。でもって、このチェックアウトを担当したフロントマンとは、ちょっとしたトラブルがあったのだ。<明日へ続く>
2009.02.16
<きのうから続く>織田選手はしきりに「ステップを強化してきた」「4回転を決めたい」と口にする。どうしても彼は天才・高橋大輔に正面から勝ちたいのだ。織田選手は常にそれを意識している。母親がフィギュアスケート教師という恵まれた環境で育った優等生の織田選手と違い、高橋選手の親はもともと、息子にフィギュアスケートをやらせるつもりはなかった。ダイアモンドが輝くように、その卓越した才能によって見出された高橋大輔というスケーター誕生のエピソードは、映画「リトル・ダンサー」そこのけで、まぎれもない天才の物語だ。織田選手が4回転を回避して1度や2度結果を出しても、それは(怪我前の状態では)4回転をマスターし、かつ美しいスケーティングでもステップでも表現力でも高い評価をもらう高橋選手より上に行ったことにはならない。小塚選手のほうは、ジュニア時代からのライバル、チャン選手を意識している。小塚陣営は多分こう考えてる。「チャン選手もルッツ2つに、トリプルアクセル2つを跳んでくる。同じジャンプを決めただけでは、演技・構成点で勝てない。だからプラス4回転をどうしても決めたい」。結果、今季の小塚選手のフリーのジャンプ構成は、ジュベール以上に難しいものになった。ところが、この4回転を入れるプログラムでは、世界中の男子のトップ選手が軒並み全滅といっていいほどの不調に陥っている。個人個人にそれぞれ特有の理由があるにしろ、「シーズンが進んでもジャンプ構成は完成に近づかずに一進一退、そのうちに跳べていたはずのトリプルアクセルがダメになる」という、4回転を入れる男子のトップ選手に蔓延している現象の原因は、実のところよくわからない。わからないが恐らく、次の3つが大きく影響しているのではないかと思う。試合数やショーの増加による疲労。スピンの回転数やステップのターンなど、思わぬところでレベルを落とされるので、そちらに神経が行くこと。加えて、異様に厳しかったり、突然甘かったりするダウングレード判定のもたらす精神的負担。逆に4回転を入れないチャン選手は絶好調だった。実際には、「フリーで3Aを2つ入れられない選手がチャンピオン??」と疑問をもたないでもないが、一番ミスが少なかったのが彼だったのも事実。ジャンプ構成を落とせばミスが減るのは当然なのだが。ここに織田・小塚選手のジレンマが起こる。バンクーバーはカナダ、チャン選手に有利。演技・構成点では勝てないから、やはりジャンプで上に行きたい。チャン選手は、バンクーバーまでにはトリプルアクセル2回は必ず仕上げてくるだろう。同じことをやっては、チャン選手が失敗してくれないと負けるだけ。だから絶対に「プラス4回転」を決めなければ――そうなると、織田・小塚選手は、プレ五輪シーズン終盤の今になっても、まだ跳べてない4回転を完成させつつ、トリプルアクセルを2度決めなければいけなくなる。非常に険しい道を行かなければならないうえに、異常ともいえるダウングレード判定が待っている。今季の厳しい回転不足判定は、すさまじいプレッシャーになって難度の高いジャンプに挑戦する選手の肩にのしかかる。逆にチャン選手は非常にラクになる。ショートを完璧に滑れば、加点ももらえる。フリーでは3Aを2度決めるだけ。4回転はもともとまったくできないから、迷いはない。4回転を入れる他の選手は、五輪という異常な雰囲気の中で、恐らくどこかで必ず失敗する。失敗すると演技・構成点も下げる口実になる。ジャンプ構成の低いチャン選手は失敗の可能性が低い。そして、全体をきれいにまとめれば演技・構成点も出てくる。そもそもスケートの技術は、チャン選手は文句なく高いのだ。そして、トリノの荒川静香のような勝利が生まれる。あのときも、ジャンプでは荒川選手を凌ぐ力をもったスルツカヤ選手とコーエン選手が2人とも普段はやらないようなジャンプミスをして自滅した。トリノの荒川選手の金をアメリカの玄人筋は、ほとんどまったく評価しなかった。公式練習ではバンバン跳んでいた3+3を回避したうえに、3ループも2ループにしたからだ。「こんなレベルのジャンプしか跳ばない選手が金メダルか」とハッキリ批判した解説者もいた。コーエン選手の失敗がくやしかったということもあるとは思うが。一方で、「コーエン選手の銀はおかしい。あれだけ失敗したのだから。むしろきれいにまとめた村主選手がメダルを取るべきだった」と言った解説者もいたのがアメリカ。ここがアメリカのいいところだ。日本のように「いっせいに」誰かをバッシングしたりはしない。一時的にそうなったとしても、必ず別の意見を述べる人が発言の場を与えられる。アメリカのほうが多様性を許容するという意味では、メディアの懐はずっと深い。ともあれ、普段ならやらないようなミスをしてしまうのがオリンピックなのだ。オリンピックでは失敗しない選手が勝つ。だから、難度の高いジャンプをもった選手より、確実性の高い選手のほうが勝つことが多い。もちろん、難度の高いジャンプを確実に決めるトリノのプルシェンコ選手のような存在がいれば話は簡単だ。だが、プルシェンコ選手でさえ、その前のオリンピックではショートでミスが出た。17歳ですでに4回転をほぼ確実に決めていた選手でさえ、大舞台となるとそうなのだ。ましてや、織田・小塚選手は? あとは高橋選手の状態次第だが、5月から本格復帰して、どこまで以前の調子に戻せるのか、過剰な期待はかけれらないのが本当だろう。そうやって、パトリック・チャンに金メダルを獲らせるつもりなのだ。ジャンプの技術の低い選手を勝たせるための異常なダウングレード判定は、こうやって成就するというシナリオになっているということ。この汚い企みに、ジャンプの技術を高めることに心血を注いできたヨーロッパの男子トップ選手も反発しているはずだ。彼らは基本的に、失敗しても4回転を入れ続けている。ヨーロッパ選手権は、四大陸選手権より全体的にジャンプ構成の難度は高い。4T+3A2回を成功させている選手もいる。ジュベールは4回転と2つのトリプルアクセルを降りたが、4回転の着氷で乱れ、3A以外の3回転ジャンプが2回転になったり、着氷が大きく乱れたり、ロングエッジで減点されたりして、結局フリーの点が145.11点(技術71.51+74.6)と伸びなかった。ヨーロッパ選手権では、四大陸のチャン選手の演技・構成点の爆アゲのような、下品で露骨な得点操作はない。フリートップのポンセロ選手の点が技術点81.46+演技・構成点70.40で151.85点だった。ダウングレード判定も、明らかに点を操作するために使われている。今回の四大陸の男子フリーでは、それが如実に出た。ショートでチャン選手がブッチ切りの1位(88.9点だって… オイオイ!)になると、さすがにこりゃやりすぎたと思ったのか、フリーの最終グループで最初に滑った2位(81.65点)ライザチェックのあからさまな回転不足4回転が、なんとなんと認定されてしまったのだ。解説の本田武史が、思わず「エッジが後ろを向いていた」と本当のことを言い、どう考えてもダウングレードだと判断して、「3回転ジャンプになってしまう(実際には3Tの失敗と同じになってしまう、が正しい)」と説明してしまった。ところが、認定されてると知って、あわててCMの前に「4回転と認定されてます」と訂正。これまではスローにしなければわからないような、ライザチェックの3連続ジャンプの最初の3Aを非常に厳しくダウングレードしていたのに、今回は普通に見ていてもわかる4回転の回転不足を認定とは。最初に本田氏が言ったことは、全部正しかったのだ。着氷時にエッジが後ろを向いている、つまり2分の1回転不足に近いぐらいの明らかな回転不足着氷。あれで認定は「ありえません」。ところがムリクリ認定。GOEは加点と減点が入り混じり、基礎点9.8に対して加点の10.4点(呆)。最も大きい点になる4TがキチンとDG(つまり、3Tの失敗に)されてしまうと、4Tをやらない、したがってこの部分での失敗のないチャン選手との点差はもっと開き、見てる人間はさらに白ける。韓国のジャッジが漏らしたように、トップの2人を拮抗させるというのは、ありがちな演出だ。女子の場合、この拮抗させるべき「2者1組」は浅田選手とキム選手だが、男子は試合(つまりショートの出来)によって変わってくる。これまでの大会もそうだが、ショートで3位以下だと、フリーで演技・構成点が出てこないのも、この裏話と辻褄が合う(もちろんフリーでの失敗の数にもよるだろうが)。これで解説者はまた、本当のことを言えなくなってしまう。常に「回転不足に見えましたが、ジャッジはどう判断するでしょうか」。それだったら誰でも言えるぞ!(笑)小塚選手の転倒4Tも、ライザチェックの4T認定と辻褄を合わせるためか、またも認定。オイオイ! ウィアー選手は両足(気味)着氷で立ってもダウングレード判定ばかりされてきたのだ。両足(気味)着氷になってコケた小塚選手の4Tがなんで認定されてるわけよ。「足りてないからコケた」んですよ。あ、4分の1回転以下ね、それはそうかもしれません。ライザチェックよりは回っていたかも。だったら、これまでのウィアー選手は? 両足(気味)着氷で立ってたウィアー選手が、両足(気味)着氷でコケた小塚選手より回ってないって? 「ありません」そのくせ、小塚選手の両足(気味)着氷トリプルアクセルは、コケてもないのに、「回りきって転倒」より悪いダウングレード判定。後半だから決めれば10点前後の点が期待できる後半のトリプルアクセルで、もらった点が1.89点。そりゃそうなる。だって、トリプルアクセルのダウングレード判定は、ダブルアクセルの失敗と同じになるのだから。でもって、トップ選手全員がすべり終わり、最終滑走になった織田選手の4回転は、もはや救う意味がないのか、やや不足のまま着氷して吹っ飛び、コケてしまったように見えたら、ちゃ~んと回転不足判定。試合をやればやるほど、ボロが出てくる「ダウングレード判定の厳密化」。今回はヨーロッパの審判が入ってこないので、偏った(というより、もはややり方が稚拙な)判定の酷さが際立った。もっとも格式の高い世界選手権では、さらにいろいろな国の思惑が入り混じるので、逆にここまでのことはないだろう(と期待している)。今回の男子フリーの採点は、本当に呆れ果てて物も言う気にならないほど白けました。とはいえ、国際スケート連盟にはメールで抗議しました。キム選手のフリーの3F+3Tの3T、ライザチェック選手と小塚選手の4T。これは4分の1回転以上不足のDG判定が適当のはず。勝負に大きく影響するDGは、審査を公平に。一般のファンは最近の「奇妙な」判定をちゃんと監視していることをお忘れなく。チャン選手は素晴らしい選手だが、Program Components(演技・構成点)のスコアは高すぎる。今回の演技が、昨季の世界選手権でカナダの偉大なスケーター、バトル選手の出した78.78点のフリーの演技を上回ったなどありえないし(←まあ、実際は完全な絶対評価ではないので、これはあまり根拠にはなりませんが、「史上最高点」といって記録扱いしてる以上は、こういう論旨展開も必ずしも完全に無理なものというわけではないでしょう)、これまでの国際大会のフリーで2つの3Aのうちの1回を必ず失敗してきた、ジャンプにウィークポイントのあるチャン選手を優勝させるために、Program Componentsをコントロールしているように見えた、と。フィギュア・ネタは本日で終わりです。では、みなさん、世界選手権での日本選手のよい演技に期待しましょう。織田・小塚選手は、3枠確保できなければ、自分がオリンピックに行けなくなる可能性があるわけで、「自分で自分のオリンピック枠を取りに行く」という位置づけになる大会です。
2009.02.13
<きのうから続く>このルール違反はもちろん減点になる。3Aの基礎点が2割引かれてしまうのだ。ところが、ここからが現行の変なルール。たとえば、ルールどおりに2度目の3Aを連続ジャンプにするとする。織田選手の場合、3Aはやや苦手。しかも後半。さらに一度失敗してあせっている。その状態で無理に3Tをつけて連続にしても、回転不足を取られてしまうと、「単独ジャンプ以下の点」になってしまうのだ。この変なルールを逆手に取ってルール違反し、後半の3Aも単独に留めてきれいに着氷させれば、加点がつく。木を見て山をみない今のルールはジャンプだけをみて加点・減点をするので、単独のほうが簡単な分、当然加点がつきやすいのだ。NHK杯では織田選手は2度目の単独アクセルをきれいに決めて、加点をもらった。得点は8.22点。きれいに跳んだ単独3Aの10点超には当然かなわないが、まずまずの点だ。そして最初に失った3Tの点は次の3Sにつけることでカバーした。連続ジャンプの点は結局単純な足し算だから、3Aにつけようと3Sにつけようと同じこと。無理に3Tを後半の3Aにつければ、10%増しの基礎点にはなるが、失敗の可能性が非常に高くなる。ダウングレード判定になれば、連続ジャンプにしないほうがマシという点になってしまうのだ。この作戦はうまく行き、織田選手はまったくダウングレードがなく、失敗が目立ったにもかかわらず、点は大きく下がらなかった。織田選手は、点がいいと、「ジャッジの方が思ったより評価してくれて」と思いっきり「いい子」の顔で答えているが、実際には、ここまで「現行の採点システムとジャンプの個人的な得手・不得手を考慮した減点の防ぎ方」を工夫しているのだ。もちろん、織田選手の後ろにいるのはニコライ・モロゾフ。そこまでして、モロゾフは織田選手のフリーの3Aを2度何としても決めるつもりで来ている。ルッツが2つ入る小塚選手よりジャンプの基礎点が低い分、失敗は許されないのだ。ところが今回は、小塚選手が4Tで認定をもらい、織田選手はダウングレード転倒になってしまった。さらに、絶対に決めたかった2度目の3Aでも大きく乱れ、9.02の基礎点に対して、GOEで減点されて6.22点。きれいに決めれば加点がついて、10点近くになるのが後半に跳ぶ3A。だから、ここで織田選手は実際には4点近く失った。4Tもダウングレード転倒だと0点になってしまう(ジャンプそのもの点が1点、最後に1点の減点)。認定さえされれば、たとえ転倒しても、4点。合計で8点。つまり、4回転をたとえ転倒してもなんとか回りきり、しかも2つのトリプルアセセルを2つ決めるという織田選手の目標からいえば、8点近く低い点なのだ。加えて、演技・構成点は露骨に下げられ、小塚選手とピッタリ同じ70.60点。トータルで146.22点。ジャンプがもう少しよければ、演技・構成点もつられて多少上がったかもしれないが、それを考えなくても、ジャンプの現実的な想定点(4回転は認定転倒、3Aは2つ成功で8点アップ)を加えれば、153.22点という点が出たはずで、このあたりが、「最低の目標」だったハズだ。だが、結果は、勝負ジャンプの2度目のアクセルを着氷乱れで失敗してしまった。フリー前の予想で、Mizumizuはこの展開を「悪いシナリオ」だと思っていたが、それが現実になってしまった。リンクの幅が狭いこともあって、織田選手は直前の練習で3Aの調子を崩したようだ。せっかく「あとは4回転を決めるだけ」のところまで仕上げてきたつもりが、ここ一番の大きな試合で、もっとも悪い結果になる。実はこのパターンは小塚選手も同じなのだ。小塚選手は2戦目のフランス大会で、4回転以外のジャンプはすべて決めた。「あとは4回転を決めるだけ」のところまで、早い段階でもってきていたのだ。ところが、プレッシャーのかかるファイナルで大崩れ。あのとき、せめて4回転回避策さえ取っていればと何度も書いたが、小塚陣営の描く青写真は、「同じことを繰り返し、徐々に欠点を克服して完成させる」というパターンだ。これはこれで、基本的には悪くない考えのハズなのだ。ずっと同じ構成で行き、失敗したら、次はその部分を課題として克服するよう努める。すると徐々に選手も慣れて、技術も向上し、最後にはすべてできるようになる。小塚選手と同じコーチの中野選手も基本的にこの方法だ。シーズン初めには3Aをはずして、他のジャンプはかなりまとめ、ほとんど「あとは3Aを決めるだけ」のところまで仕上げて、ファイナルへ。ところが、結果は大崩れ。次の全日本ではショートは完璧の出来。フリーでは3Aをはずしてまとめる作戦に出たのに、結果はこれまで不安があった部分が全部失敗として裏目に出て、代表落ち。最後の3連続ジャンプはシーズン当初は何も問題なくピョンピョンときれいに決めていたのに、シーズン後半にきたら、着氷が徹底的に乱れた。この悪いパターンはアメリカのウィアー選手もそうなのだ。全米では4回転ははずしたのに、もはや調子は戻らず、肝心のトリプルアクセルも決まらなくなった。ファイナルまでは台にのぼってきた選手が国内大会で台落ち、代表落ち。今季特にこの現象が顕著に見られる。そして、調子が上がったところでジャンプ構成の難度を上げると返って点を下げてしまうのは、キム・ヨナ選手が証明した。ヨーロッパではベルネル選手が難度の高いジャンプ構成にして、やはり自爆を繰り返している。彼もまた4回転がなかなか決まらないうえに、元来は跳べていたトリプルアクセルが乱れてしまった。欠場するほどではないが、怪我を抱えているというような個人的な事情はあるにしろ、パターンとしては全部同じ。調子を落としてくると、もともと跳べていたジャンプがダメになり、調子を上げてジャンプ構成の難度を上げると、今度は点が落ちる。織田選手は小塚選手のファイナルと同じようなパターンになっている。「もうあとは4回転を決めるだけ」のところに来たのに、ここ一番で逆戻り。本人がものすご~く暗い顔になるのは当然だろう。ベルネル選手やウィアー選手に起こったことが、小塚選手・織田選手に起こりつつあるのが非常に気になるのだ。ウィアー選手も解説の本田武史をして、「彼はショートを失敗しない選手」と言わしめていたのが、徐々にショートでの細かい失敗が増え、全米ではとうとう大失敗をして、代表落ちをしてしまった。このときの最大の大失敗が、決めなくてはいけない3Aのすっぽ抜けだったのだ。小塚選手・織田選手も今回、ショートが乱れた。まだ細かな乱れだが、次の大きな試合が世界選手権で、約1ヶ月ほどしか時間がないのが気になる。そして両者とも3Aが不調になってきている。「4回転+2度目のトリプルアクセル失敗」という2つの失敗のパターンにはまった2選手が約1ヶ月でやってくる本当の大一番までに、両方の課題を見事に克服できるかと言うと――確率から言えば、大変に低いと言わざるをえない。だから、確実に点を上げるためには、やはり4回転はやめて、2つの3Aを確実に決めるという方向にシフトすることなのだが、恐らくもう2人ともその手法は見えていない。というのは、今回チャン選手が演技・構成点で爆アゲされ、10点近く差をつけられたからだ。これを見て、日本の2選手は、「やはり4回転を跳ばないと勝てない」とますます思い込む。実は逆で跳べない4回転に挑戦して3Aを失敗してるから、演技・構成点を下げられているのではないかとも思うのだが。それにまあ、今回のこの演技・構成点の差はちょっと「操作しすぎ」だ。それは2選手の陣営ともわかっているとは思うが。80.1点なんて国内大会みたいな演技・構成点が出てしまったのは、明らかに失敗。返って四大陸選手権の権威を落としてしまう。同じカナダのバトル選手が長年の集大成ともいえる、ミスのない素晴らしい演技で優勝した昨季の世界選手権だって、演技・構成点は78.78点だった。18歳かそこらで、偉大な先輩スケーターの選手生活での最高の演技を凌ぐ点を与えてはいけない、いくら試合の「格」が違うといっても。今季のチャン選手と小塚選手の演技・構成点の変遷を見ても、フランス大会で、チャン76.9点、小塚72.10点と5点ぐらい。ショートでチャン不調・小塚好調のファイナル・フリーでは、チャン73.2、小塚73.3と拮抗している。その前のカナダ大会ではチャン77.4点、ライザチェク70.7点(アメリカ大会で76.3点だったライザチェクが、カナダに来てショート4位と出遅れたら、いきなりフリーの演技・構成点が70.7点にサゲられて、余りの露骨さにアメリカファンの怒りを買った。70.7点というのは、今回の織田・小塚選手の70.6点とほぼ同じ。ホント、カナダでの大会は露骨すぎる。ちなみにショート2位で折り返した今回のライザチェックのフリーの演技・構成点は74.7点で、80.1点のチャンとは5.4点の違い)。どうもショートで3位以下の選手は、フリーの演技・構成点は全般的に下げられる傾向にあるようだ。もちろん、ミスの数にもよるだろうが。演技・構成点で10点差は露骨すぎるとしても、元来、織田・小塚選手はチャン選手には芸術性ではかなわないのだ。その理由は、テクニック的なことを細かく言えばいろいろ挙げられるのだが、ありていな言い方をすれば、「セックス・アピール」があるかないか。色気のある選手と清潔感のある選手が演技をした場合、たいていフィギュアでは前者を芸術性が高いとみなす。フィギュアスケートという競技が好む「芸術性」をチャン選手は18歳という若さですでに備えている。これは努力してどうなるものでもない。織田・小塚選手には欠点がない。チャン選手はジャンプが弱いという欠点がある。だから、試合によって成績にムラがある。平均的にミスを少なく抑えることのできる織田・小塚選手と違って、チャン選手はジャンプが崩れるとバタバタッと連続してダメになる。だが、上半身の動きと見事に連動させた色気のある高難度のステップを踏めるという突出した才能がある。そして、スピンにも取りこぼしがなく、オール・レベル4を並べることができる。加えて優雅な表現力と雰囲気。織田選手の今季の振付もローリー・ニコルだが、同じ傾向の振付をチャン選手がやった場合、織田選手はチャン選手ほどの高い芸術面での評価を得ることは出来ない。今季はテイストがダブってしまった。ニコライ・モロゾフの振付はニコルより「やや重」なので、シーズン初めは、織田選手の個性とは違うような気もしたが、チャン選手を意識するとなると、身体の大きさからくるスケール感や身のこなしの華麗さ、指先までしなやかに動く繊細な表現力で負けてしまう以上、チャン選手の個性と「張り合わない」振付をモロゾフに考えてもらうしかないかもしれない。織田選手は高橋選手について、「ぼくが持っていないものをすべて持っている選手」と評価している。それは的確な表現だ。4回転の確実性やステップのテクニックなどの技術的な面で織田選手を凌駕しているということあるが、なんといっても高橋選手は、セックス・アピールのある選手なのだ。これは投げ込まれる花束の数が証明する。高橋選手は実は、身体のプロポーションでは必ずしも、日本人の中でも恵まれているとはいえない。本田・高橋・織田・小塚と世界トップの才能をもつ日本男子の中では、一番見劣りするかもしれない。だが、滑り出せば、それをおぎなって余りある「魅せる色気」が彼にはあるのだ。こうした艶っぽい個性は、嫌う人にはひどく嫌われるが、好む人のほうが多い。これも練習で身につくものではなく、持って生まれたものだ。「バロック」な高橋選手の個性は、これでもかというぐらい過剰にスパンコールをつけたり、細かな縁飾りをあしらったりした衣装で引き立つ。こういう衣装が似合う選手は、あまりいないのだ。他方、織田選手はヨーロッパ的な正統派で上品な衣装、小塚選手はユニクロで買ったみたいな(笑)さっぱりした衣装を着ているが、3人3様の個性をもった日本選手の衣装はこの路線で皆成功しているのだ。<続く>
2009.02.12
御礼:「国別対抗戦反対」への署名、たくさんの方にご賛同・ご参加いただき、誠にありがとうございました。発起人のsindoriさんよりご連絡があり、1.258人分の署名を本日、日本スケート連盟、IMG、OLYMPUS、新聞各社あてに郵送されたそうです。また、先に締め切られました「フィギュアスケートのおかしな採点をなんとかしたい」は、最終的に1,797名分の署名が集まり、2月2日にすでにテレ朝、JOC、新聞各社等に郵送ずみだそうです。こちらもご賛同・ご参加いただいた皆さん、ありがとうございました。sindoriさんによりますと、「おかしな採点~」の報告の件は、『成果報告』には1度しか投稿できないことを知らずに、目標署名数の1,000件を突破した時点で「引き続き募集」と投稿してしまったため、署名を締め切り、郵送した旨を報告できなかったそうです。すでに郵送ずみですので、署名してくださった皆さん、どうぞご安心を。sindoriさん、おつかれさまでした。今回はお忙しい中、ファンの声を各方面に伝える機会を作っていただき、ありがとうございました。また、別のアイディアとして、「フィギュアスケートのおかしな採点をなんとかしたい」の主旨文を英訳して、チェーンメール形式で国際スケート連盟に送る件についても、本当にたくさんの真摯なご意見をいただき、感謝しております。「是非、抗議の意思を伝える意味でもやってほしい」という賛成意見も多かったのですが、反対意見も半々ぐらい。といっても、「ルール/ジャッジの判断は公平」だと思って反対している人は1人もいませんでした。そうではなくて、これだけフィギュア人気の高い日本国内ですら、この複雑なルールに隠されたカラクリを理解するのが難しいのに、チェーンメールで抗議したり、ルール改正を求めたりすれば、「一部の日本のファンが、自国の女子選手に優位になるように、ルールを変えるよう国際スケート連盟に圧力をかけている」などと、悪意で歪められて報道されないとも限りません。ただでさえ、自国の選手のことを信じられないぐらい貶めて報道する日本の巨大メディアです。どんな悪意をもって偏向報道されるか、まったく信用できませんし、それがまた海外メディアに曲解されて伝わっては、日本選手が窮地に陥ってしまいます。フィギュアスケートの世界では、「ジャッジに歯向かったら、採点で報復」というのも、決して珍しいことではないのです。「点を出してもらえない」と暗黙のうちに知らされると、選手は精神的に動揺し、失敗が増え、ますます結果が出ないという悪循環に陥ります。私たちファンの目的は、選手がベストな演技ができるよう常に応援してあげることです。そうしたわけで、チェーンメールでの「活動」はしませんが、個人的に公平でないと思ったジャッジングに抗議するのは、違法でも妨害行為でも何でもありません。たとえ、間違った英語でも、簡単な英語でも、自分の意思を伝える行動を取るのを、ためらう必要はありません。ただ、「日本選手びいきで感情的に言っている」というふうに取られないよう表現には注意してください。XXXXX四大陸選手権の男子。個人的にはアボット選手と織田選手に注目していたのだが、フタをあけてみれば、アボット選手は疲労の色が濃く、あまり参考にはならなかった。かわって、ライザチェック選手のほうが調子を上げてきている感があった。この2選手の明暗は、本来の実力どおりといえば、それまでだが、実はこれまでの「試合数」が影響しているのではないか。ファイナルのなかったライザチェク選手は、アボット選手より1試合少ないことになる。ファイナルまで戦って、直前にはショーまでこなしたウィアー選手が全米で不調に陥り、ジャンプを決められなかったのと同じような現象がアボット選手にも起こった。これまでミスのない鉄壁のショートで優位に立ち、4回転を捨ててジャンプをできるかぎりまとめて勝ってきたアボット選手がショートでジャンプミス。勝利の方程式が崩れてしまった。チャン選手のブッチ切りのショートの点を見ると、もはや他の選手は、チャン選手にはない4回転をやるしかない。放送でも言っていたが、公式練習ではアボット選手の4回転が一番決まっていたという。そう、アボット選手は実は、4回転を跳べない選手ではないのだ。昨季の世界選手権(ライザチェック棄権により出場)では、4回転はきれいに決めて加点ももらった。ところが、そのあとのジャンプがボロボロ。年齢的にも若くなく、2年連続全米4位ともはや崖っぷち。それで、今年は4回転を捨ててジャンプ構成を落としたら、あ~ら、不思議。ファイナルでも全米でも勝ってしまった。今回は今季初めてフリーに4回転を入れた。だが、もともと体調が悪いせいか、久々で試合に入れたせいか、2回転にすっぽ抜けた。「4回転を入れると乱れやすい」トリプルアクセルは3A+3Tも含めてなんとか降りたが、その次に難しいルッツでダウングレード転倒。演技・構成点は73点と、今季のアボット選手にしては抑えられ気味。メダルを狙って4回転にチャレンジしたら、返って点を落とすという、「むずかしいことをしたら落とされる」今季の傾向そのままに終わった。いつものように、4回転を捨てて、ほかのジャンプでの減点を避けたほうが、やはりアボット選手も強い。といっても、今回はチャン選手との点差がありすぎたので、4回点回避策では、どちらにしろ優勝はなかった。織田選手も鉄壁のショートでミスが出てしまった。小塚選手もそうだが、どうも四大陸での日本の2選手は、年明け前の「ピタッ」と気持ちいいほどクリーンに決まる着氷がない。織田選手のフリーは、演技後の彼のとんでもなく落ち込んだ表情を見ればわかると思うが、ほぼ「最悪」と言っていいものだった。つまり、織田選手は全日本までは、わりと順調に仕上げてきていたのだ。トリプルアクセルを2度決めて、あとは「4回転を決めるだけ」のところまでもってきていた。今回こそ、と思って織田選手が意気込んでいたのは、試合前のインタビューを見てもわかる。そして、もう1つ。たとえ4回転を失敗しても、2つ入れるトリプルアクセルだけは、絶対に2つとも決めたい。いや、決めなければいけない。これが織田選手の至上命題だ。4回転をできれば決めたい、それが無理でも、トリプルアクセル(特に後半)は絶対に失敗したくない――織田選手のジャンプ構成は、その意思がはっきりわかるものだ。フリーの振付はモロゾフではないが、ジャンプ構成はモロにモロゾフ方程式に基づいたもの。つまり「後半の前半」にジャンプをかためて点数稼ぎをするのだ。後半はジャンプの基礎点が10%増しになるからだ。そして、その筆頭にもってきたのがトリプルアクセル。つまり、後半に入った直後、一番体力のある時間に2度目のトリプルアクセルを跳んでしまう。要素の順番で言えば6番目。ここに2度目のトリプルアクセルをもってくるのは、実は3A2つをどうしてもフリーで決められないチャンも同じ。ちなみに小塚選手の2度目のトリプルアクセルは要素から言うと、なんとなんと11番目。振付上仕方がないことで、振付師はこの3Aを決めるために、直前に「お休み」を入れるなど工夫をしている。だが、やはり小塚選手の3Aも決まらない。今季これが決まったのがフランス大会1度だけ。四大陸でも「お約束の失敗」に終わった。4回転を入れているというのもあるが、この2度目のトリプルアクセルの位置(つまり、曲の終わりも終わり、要素としても最後から2番目)が小塚選手の失敗の原因にもなっているように思う。チャン選手や織田選手に比べて、疲れきったところで2度目のアクセルを跳ばなければいけないのだ。だから、全然決まらない。何度繰り返しても。一方の織田選手は、トリプルアクセルを決めるために、もう1つ隠れた工夫をしているのだ。それは、ルッツの数。小塚選手はルッツが2つ入っている。織田選手のほうはセカンドの3トゥループを2つにして、ルッツは1つにおさえている。織田選手はルッツが苦手なのか?それが違うのだ。織田選手はルッツは得意。なんなら4回転ルッツを跳ぼうかというぐらい。どちらかといえば、苦手なのはトリプルアクセル。今回のショートは3ルッツが乱れてセカンドを2Tにしかできなかったが、あれは本当に織田選手にとっては珍しいのだ(だから、ショックも大きかったはずだ)。飛距離の出る織田選手のルッツは軸が傾くこともあるが、膝の柔らかさでそれを吸収して着氷にもってくることができるのだ。もう一度、ジャンプの難度を見てみよう。アクセル→ルッツ→フリップ→ループ→サルコウ→トゥループ当然難しいジャンプを複数入れたほうが基礎点は高くなる。そしてフリーで2度入れられる3回転ジャンプは2つ。だから、3Aを2つに3ルッツを2つ、プラス4回転を入れている小塚選手のジャンプ構成のほうが、実は織田選手より難しいのだ。織田選手はトリプルアクセル2つに、セカンドの3トゥループを2つ、プラス4回転だ。だんだんモロゾフの意図がわかってきましたか?得意のルッツをはずしているのは、そうやってジャンプの難度を下げても、できれば4回転、それが無理でも2つの3Aを「絶対に」決めるためだ。逆に「4回転回避策」もモロゾフは明らかに考えている。小塚選手の場合は、4回転をはずしたら、その部分に3回転トゥループを入れるしか(ほぼ)ない。トリプルアクセルより1つ上の4回転トゥループを回避すると、3回転としては一番簡単な3トゥループに単純に落とすだけ。これは同じコーチの中野選手が最初に3Aを入れ、やらないときは2Aにするのと同じ。でも、これだと基礎点がぐっと下がってしまう。4回転は認定さえされれば、コケても4点にはなる。3回転トゥループの基礎点と同じだ。だから、小塚選手はどうしてもここに4回転を入れたい。一方の織田選手。ルッツを1つにしているということは、4回転を回避した場合、ここに3ルッツを入れればいいのだ。そして、後半のルッツを連続にするか、あるいは最初のルッツを連続にする。そのかわりセカンドに2つ跳ぶ3Tのうちの1つを2Tにする。このジャンプ構成の変更は織田選手にとっても負担ではないし、わかりやすいはずだ。3ルッツからの連続ジャンプはショートで慣れているし、3Tのうちの1つを2Tにしてルッツ2つにすれば、基礎点も4回転を入れた場合とそれほど(でもないが、少なくとも単純に4Tを3Tにした場合より)下がらなくてすむ。4回転を回避した場合、4回転から一番簡単な3回転にしなければいけない小塚選手と違い、アクセルに次ぐ難度のルッツに入れ替えることができるのが、モロゾフのジャンプ構成なのだ。実際モロゾフは、「織田は4回転にややこだわりすぎている」と言っている。回避策で行くことも考えていたはずだが、織田選手の仕上がりは案外好調で、「あとは4回転だけを決めればいい」ところまで全日本でもってきていた。もう1つ、織田選手が見せた「不思議なリカバリー」がある。3Aを2度入れる場合、どちらかを連続にしなければいけない。織田選手の場合は、前半の3Aに3Tをつける。だが、NHK杯では、3Aを連続にできなかった。すると、ふつうはこう考える。「大変だ! 失敗しちゃった。次の3Aを必ず連続にしないと」実際、伊藤みどりは解説で、連続ジャンプ予定がシングルになると、「あ~、2つのうち1つは必ず連続にしないといけないですから」と切羽詰った声(苦笑)で言っている。彼女は、ああ言いながら、現役時代に戻り、自分も一緒に跳んでいるのではないかと思う。伊藤みどりの解説はジャンプを跳ぶ側の心情の説明が非常に多い。一般人にはわかりにくいと思うが、Mizumizuには彼女が言っていることは、とてもよくわかる。で、予定されていた最初の3Aを連続にできなかったNHK杯での織田選手は、なぜかその直後の単独の3Sに3Tをつけた。そして、元来連続にしなければならない2度目の3Aを単独に留めたのだ。これは、明らかに意図的にルール違反をしている。<続く>
2009.02.11
<おとといのエントリーから続く>キム選手が中国大会で1度ロングエッジを取られたとき、韓国のジャッジ資格をもつ人物が、「今回は調子が悪くて曖昧なエッジを使ったようだ」と発言した。その後韓国メディアでは「理解できないロングエッジ判定」「誤審」などという論評が幅をきかせていくが、この「調子が悪いと曖昧なエッジに」というのは1つのヒントになる。つまりキム選手の3F+3Tの3Tは、わりあいちょくちょく回転不足になる。なぜか認定されているのだが、ネットなどで「あれは回転が足りていない」と言われているのを、恐らく本人は知っている。初戦のアメリカ大会ではショートもフリーも回転不足だったのを認定してもらって加点までもらっている。だから、回転不足にならずに完璧に降りたい。キム選手は安藤選手と同じくアウトエッジ踏み切りのほうが得意だ。セカンドが回転不足になるのを避けようとすると、エッジが元来跳びやすいアウトに入ってしまいがちになるのかもしれない。逆にファーストの3Fのエッジに気をつけるとセカンドへの勢いが足りなくなり回転不足になりやすいのではないかと思う。今回の四大陸、ショートでは3F+3Tを回りきっていたが、フリーでは3Tが回転不足だった(認定されてはいるが)。それも、ショートで「!」を取られたので、フリーでエッジに気をつけたら多少勢いがなくなり、セカンドがやや回転不足になってしまったと考えると辻褄が合う。だが、フリーでもやはり「!」はついてしまった。ちょうど、村主選手が、モロにエッジ違反をした全日本のフリーでは後半のルッツも決めることができたのに、エッジに注意した今回の四大陸のフリー後半でルッツの勢いがやや足らずに着氷で乱れたのも同じことだ。村主選手は、ショートの「E」判定を見て、あの跳び方が通用しないことに気づいたはずだ。フリーでも「E」がついてしまうと、2回のルッツで3点ぐらい減点になり、基礎点の高いルッツを跳ぶアドバンテージがなくなってしまう。村主選手も一応矯正はできている。全日本以前の国際大会では正しいエッジで跳んでいる。跳んではいるが、跳びきることができずにいただけだ。今回もちゃんと気をつけてフリーにのぞんだ。だが、そうするとやはり2つ入るルッツを両方きれいに着氷させることができないのだ。これは全日本以前の国際大会でもルッツもしくはフリップに出ていた現象で、実のところこれが村主選手の実力なのだ。ついでに言ってしまうと、フリーの単独フリップも回転ギリギリだった。ルッツに気をつけるとフリップも乱れるという定石どおり。村主選手もむしろ、サルコウを入れるのをやめて、ジャンプ構成を下げ、ダブルアクセル3つで点数稼ぎをしたほうが強いのではないか。とにかく、ミス(つまり減点)を減らすことだけ考えるのだ。そうすると演技・構成点が心配なのだが、結局、ここまで「真っ黒」な採点手法では、まともな評価は望めない。「ルールがおかしいのであって、ジャッジは基準にそって点を出している」とある段階まではジャッジの肩をもってきたMizumizuだが、今回の四大陸のハチャメチャな認定と演技・構成点の操作を見ると、もはやジャッジをかばいようもない。プレ五輪の今シーズンになって、採点はどうにもならないぐらい異常になってきた。男子フリーでは、4回転など問題外でトリプルアクセル2つも入れられないチャン選手の演技・構成点が80点超えなどと、あり得ない爆アゲをやっている。いや、元来ジャンプと演技・構成点は連動していないというタテマエなのだが、去年までは明らかに連動していたのだ。誰もが認める不世出の名プログラムで勝負したランビエール選手の演技・構成点が、ジャンプが決まらないと、75点ぐらいに下がってしまったのを見れば明らかだ。それにチャン選手はジャンプが不調だったグランプリ・ファイナルのフリーの演技・構成点は73.3点だった。それが、ホップステップ… なしでジャ~ンプしてしまい、いきなり80点の壁を突破。まるで国内大会みたい(苦笑)。ジャンプ構成を下げてジャンプミスを少なくし、振付に気をつかって丁寧に滑ったほうが、逆に点が出るかもしれない。とりあえず、点を「サゲ」る理由を与えないことが肝要かもしれないということだ。全日本での村主選手への大甘ジャッジには怒りを感じたが、今回の村主選手への評価は思った以上に厳しく、逆の意味で落胆した。演技・構成点が54.64点と55点以上にならなかった。演技・構成点が課題といわれるジャン選手の53.04点と大差がない。浅田選手以外の日本選手は演技・構成点でもっている実力以上に「サゲ」られる傾向がある。中野選手も安藤選手も同じだ。村主選手はフリップでの加点もあまりもらえなかった。エッジに問題のない村主選手のフリップは高さもあり、とてもいいと思う。ショートのフリップは当然加点がつくと思ったが、逆にマイナス1にしてきたジャッジが2人もいた(浅田選手に対しても、こういうことをする2人のジャッジがつきまとっていたのだが、なぜか今回は謎のサゲ・ストーカー・ジャッジ2人は姿を消し、逆に示し合わせたかのようにww、浅田選手へのあからさまなGOEでのサゲがなかった)。フリーではなんとか0.8プラスにはなったが、もう少しついてもいいジャンプではないか。ロシェット選手に対するジャンプの加点の気前のよさを見ると、やはり「日本選手には厳しい」と感じる。村主選手は、ルッツはフリーでもエッジ違反と着氷乱れの減点をされたので、これでは点がのびるところがない。ただ、スピンはオールレベル4でキム選手や浅田選手の評価を上回っている。トリノ当時の村主選手はスピンでのレベルが取れなかった。努力で底上げしてきたが、全盛期のようなジャンプは、もう決まらない。全日本では決まってないフリップを決まったことしてもらって点が出たが、国際大会では、決めたジャンプにさえあまり加点がつかない。鈴木選手も期待したほどの点が出なかった。理由は明らか。フリップのエッジに気をつけたのだ。そうしたら、得意のルッツのほうのエッジが曖昧になり、かつ乱れてしまった。フリーでは、苦手のフリップに「E」はないが、ルッツ2つに「!」がついてしまった。ルッツを2つ回りきることができるのが鈴木選手の最大の武器だったのに、これではアドバンテージを生かせない。むしろ1つしかないフリップは「E」のままでもよかったのだが、マジメにフリップのエッジ矯正に取り組んだのだろう。これまでいつも乱れて、課題だったフリップでは違反がなく、加点ももらって着氷を決めたのに、元来得意のルッツで2つ「!」を取られ、2つとも減点されてしまって点が伸びなかった。ルッツの「!」判定は予想外だったと思う。このようにルッツとフリップはペアで乱れる。どちらかを直すと元来問題なかったほうにも影響が出てしまうのだ。中野選手もこのパターン。思わぬところで「!」判定が出て、減点されている。ジャン選手もそう。フリップにアテンションをつけられ、次注意したかと思えば、今度はルッツ。例外はルッツを矯正してもフリップがまったく乱れていない浅田選手だけだ(乱れないのにはワケがあると思う。これについてはまた別の機会に)。こうなると、やはり安藤選手のフリップも気をつけないと「!」マークがつく可能性がある。安藤選手はフリップを矯正してから、エッジ違反こそないものの、ジャンプの高さがなくなり、回転不足判定を取られたり、着氷乱れでGOEで減点されたりする。回転不足判定になると、3フリップを降りても2フリップの失敗と同じことになってしまうので、それならば違反を承知でロングエッジで跳び、着氷をピタリと決めて、エッジ違反のGOE減点だけに留めたほうがよくなってしまうのだ。鈴木選手は、回転不足を取られやすい2A+3Tジャンプは回避策。これ自体はいい判断だったと思うのだが、点になりやすいダブルアクセル2つのシーケンスを入れて、これがうまくタイミングが合わなかった。直前にあれこれジャンプ構成をいじると、普通に考えればできることもうまく行かなくなってしまうということだろう。全日本で見逃してもらった回転不足の3ループは不安があったためか、1ループになってしまった(これは浅田選手やキム選手と同じパターンだ)。このように、さまざまな減点ポイントに対処しようとした結果、別の問題が起こってしまったということだ。全日本から四大陸まで時間がなかった。この結果はある程度仕方がない。これまでの鈴木選手もダウングレード判定に苦しめられた。今回はダウングレードこそなかったが、別の問題が生じて結局あまり点が伸びなかった。鈴木選手の大人の表現力は素晴らしいものがあると思うが、これもまったく評価されず、フリーの演技・構成点は51.2点。これまでの実績がないと、やはり演技・構成点は出にくいし、今回の浅田選手以外の日本選手に対する演技・構成点「サゲ」は露骨すぎる。特に男子のフリーの演技・構成点は、絵に描いたような「操作点」だった。あそこまできれいにトップから5点ずつサゲては、返って、「得点操作は、やはり明らかに行われている」ということを印象づけてしまう、むしろ下手くそなやり方だ。韓国のジャッジがインタビューでバラしていたが、こういう意識合わせはどの試合でもあるのだ。ただ、今回はあまりに「真っ黒」すぎて、ますますファンを白けさせただろう。だが、結果は結果。世界選手権のある村主選手と違って、鈴木選手にとっては今回が今季最後の、いや唯一といえる、大きな大会でのチャンスだったが、結果は思った以上に悪かった。技術面の減点ポイントに対処しようと神経がそっちにいったこと、それに会場が「し~ん」としていたこともあってか(苦笑)、見せ場のステップの盛り上がりも感覚的にもう1つ(得点自体はちゃんとレベル3に加点が1から2と、出てはいるのだが)。これまでの試合ほどの「世界に入り込んでの」感情表現ができなかった。今回の51.2点という低い演技・構成点を見て、日本の連盟関係者が「大きな国際大会に鈴木を出しても点が出ない」と判断してしまうと、国内大会でも点を出してもらえなくなる。とても、残念。<明日は男子です>
2009.02.10
すいません、急遽別のエントリーを載せます。昨日の続きは、また明日に。Mizumizuは基本的に新聞は読まない。取ってもいない。ネットのニュースで十分間に合うからというのが一番の理由だが、そのほかにも、記者の不勉強の目立ついい加減な記事や、先に「偏向した結論ありき」のムリヤリな論法の記事が多く(たいがい反権力、反大企業)、読んでいてウンザリさせられるからだ。フィギュア関連の記事の酷さは目を覆うばかり。これだけ層の厚い、フィギュア王国アメリカを凌ぐ優れた選手を多くかかえながら、メディアのアタマにあるのは相変わらず「表現力VSジャンプ」の伊藤みどり時代の評価手法。なんでもかんでもそれに当てはめて、順位を説明しようとするから、一般人は混乱するばかり。単に個人ブログにすぎない拙ブログに、フィギュアネタとなると、1日2万件近いアクセスがあるのだって、元来メディアが伝えるべき、年々少しずつ変わり、結果わけのわからない点数が出てくるようになった採点システムの奇妙なカラクリを、大手メディアがどこも追及しようとしないからだろう。ただ「宿命のライバル対決」でファンを煽り、ハラハラドキドキさせて注目だけ集めさせようとしている。それだけならいいのだが、キム選手と浅田選手に関して、信じられないくらいキム選手贔屓のメディアが多く、必死に「キム選手は表現力が抜群」「実力ではキム選手のほうが上」などと一般ファンを洗脳しようとしている。キム選手自身は、本当に素晴らしい選手であるにもかかわらず、こうした変に偏向したメディアの姿勢が、逆に普通のファンの疑惑と反発に火をつけていると思う。動的で華麗なステップのテクニックをもち、柔軟性では明らかにキム選手を凌ぐ美しいビールマンスピンを見せ、スパイラルでのすらりと長い脚のラインも惚れ惚れするほど。キム選手にはないエレガントで明るい雰囲気があり、ジャンプでは女子では誰もやったことがないフリーでの3A2回という快挙をなしとげた。それでも、なぜ点数が出てこないのか? 日本人だったら誰でもいぶかしく思うのではないか? そういう部分に疑問をもって、現行の採点システムがどんなふうに作られてきたかやそれによって生じた矛盾を調査しようとする記者がただの1人もいないというのは、いったいどういうわけなのか。複数の読者の方から怒りを込めて情報をいただいたのだが、毎日新聞の来住哲司記者の四大陸選手権の記事。これはもう、偏向などというレベルではなく、浅田選手に対する悪意すら感じる、信じられないものだ。http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/news/20090208k0000m050026000c.htmlhttp://mainichi.jp/enta/sports/general/figure/news/20090208k0000m050064000c.html記事の内容とは別に、まずは、選んだ写真の失礼さを見て欲しい。浅田選手の写真、韓国系の新聞ですら、浅田選手がもっとも美しく見えるスパイラルの写真を使ってくれているというのに、自国のメディアがたくさんある浅田選手の写真から、わざわざ選んだ1枚がこれですか? キム選手の写真はとても可愛い。でも浅田選手は?かつてフジテレビが浅田選手が世界選手権で転倒したときの写真を大伸ばしにして使い、一般人の大顰蹙を買ったことがあったが、それに匹敵するぐらい、礼を欠いている。さらに内容。右ひざが本調子でないなか、ジャンプ構成を落としながら、それでもフリーで1位となり、6位から総合で3位に食い込んだ浅田選手を肯定的に伝えるのではなく、「浅田真は運が強い」「そうそう何度も、運に頼るわけにはいかない」??運が強いから勝った? 冗談も休み休み言ってください。運がいいのは、浅田・安藤選手の欠点を狙い撃ちにしたかのようなルール改正(ロングエッジ減点、回転不足によるダウングレード判定の厳密化)に助けられて、なんら新しいジャンプに挑戦しないのに、抜群に強くなったキム選手でしょう。突然、これまでの強い武器をハンディに変えられながら、常に真っ向勝負でここ大一番で勝ってきている浅田選手は、やはり実力が図抜けている、と考えるのが普通ではないですか? どうして素直に自国の大天才を褒めずに、一生懸命貶めようとするのですか?さらに「だが、ライバルたちも本調子ではなく」??気が狂ってませんか? ハードな国内選手権を戦い、年が明ければイベント試合やショーにひっぱりだされ、オーバーワークからくる右ひざ痛で練習がつめず、それでも何も言わずに出場した浅田選手が一番の絶不調。逆にライバルたちは絶好調。グランプリ・ファイナルでは力を抜いていたロシェット選手も、明らかにこの大会に照準を合わせてきて、銀メダルという彼女としては最高の成績をおさめたし、全米でサゲられたジャン選手も根性の会心の演技で全米女王を凌ぐ4位。国内大会すらパスして調整してきた最大のライバルのキム選手の好調ぶりは、インタビューでも本人が語っているし、朝鮮日報もこんなふうに伝えているんですよ。「たまにはすごく上手にできる時もなくちゃ」キム・ヨナ(18)は6日、こんな言葉を口にした。それほど調子がいいのだ。http://www.chosunonline.com/article/20090207000019キム選手の調子のよさは、ショートの出来を見ても明らか。フリーでこれまで徹底的に回避してきた3ループに挑戦したのだって、調子がよかったから。不調だったら苦手のジャンプに挑戦などしません。あるいは試合前の公式練習で、キム選手が3F+3Tや3ループを失敗しているのを見て、「本調子ではない」と思ったのでしょうか? だとしたら、それが彼女の実力です。キム選手は本番に強く、ほとんど必ずといっていいほど3F+3Tを決めてきますが、練習ではときどき転倒します。3ループは本来苦手なので、本調子であっても練習で、いつも完璧に決めることはないのです。キム選手の得点がのびなかったのは先日書いたとおり。滅多にやらない(苦笑)挑戦が、ダングレード判定を呼び込み、連鎖的に回転不足が生じて減点されたから。さんざん日本女子選手が苦しめられているルールが今回はキム選手に凶と出ただけ。さらにさらに、キム選手は、「流れるようなスケーティングは格段の美しさで、表現力などを問うプログラム構成点はSPに続いてトップ」、浅田選手のことは「滑り自体にもスピード感や伸びやかさが失われている」??。実際には演技・構成点の差はたった0.8点。1点もない。点の拾われ方によっても違っているような誤差。しかもカナダはオーサーの地元、キム選手の準ホーム。なのに、キム選手は格段の美しさで、浅田選手は伸びやかさがない? ではお聞きしますが、そんなにスピードもなく、スケートも伸びないにもかかわらず、演技・構成点の差が1点にもならなかったというのは、浅田選手がそれだけ健闘したということではないんですか? それなのに、点差のことは無視して、「(キム選手は)プログラム構成点はトップ」? まるでフリーで浅田選手が1位となり、キム選手が3位に沈んだのが悔しいかのような書き方ですね。毎日新聞はNHK杯で織田選手が高得点を出したら、織田選手の「思ったより点が出た」という控えめなコメントを根拠にして、「地元へのサービスがすぎた」などと暴論を書いたメディア。謙虚な日本選手が、高得点をもらったからといって「オレなら当然」などと言うわけないでしょう。それより、ファイナルでさんざんだったロシェット選手やチャン選手が、自国開催の四大陸でいきなり加点てんこ盛り・爆アゲの演技・構成点をもらったことについて、「地元へのサービスがすぎた」と批判しないんですか?締めくくりは、「18歳同士の浅田真とのシニアでの対戦成績を3勝3敗のタイに戻し、次の勝負は来月の世界選手権」「ライバルから世界女王の座を奪うつもりだ」――完全にキム選手・必勝祈願の心情が出ていますね。こんな偏向した視点にこりかたまった記者に、浅田選手の出場する大きなフィギュアスケートの大会の取材はしてほしくありません。Mizumizuにメールをくださる読者のみなさん、本当に、大変に不愉快な記事ですが(苦笑)、教えていただいてありがとうございます。自国の選手をここまで貶めるメディアって日本以外にはありません。しかも、ライバルが韓国選手となると、変な人が沸いて出るのは一体どういうワケなんでしょうね(って、みんなもう、そんなことは知ってるか)。怒りを感じた方は、声を届けることが肝要です。コチラ↓https://form.mainichi.co.jp/toiawase/index.html追記:「おかしなルールを改正すべき」の署名サイトの主旨を英訳して国際スケート連盟に届ける件、やめる結論に至った理由も、想像していただけると思います。自国の選手を守ろうとしない大手マスコミに変にゆがめて伝えられたら、返って日本選手が窮地に陥るからです。たとえば、「ルールを変えろと一部日本のファン、国際スケート連盟にチェーンメール攻撃――自国の選手に不利だとクレーム」とかね。それに尾ひれがついて、アメリカや韓国で悪意をもって喧伝される、という展開だって予想できます。オマケこれも酷いね、イヤハヤ…http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_mainichi__20090209_3/story/20090209jcast2009235631/毎日記者、「ゲイは気味が悪い」 コラムで謝罪 前回のコラムでは、ゲイの男性の取材後に、「かくしごと、ないですか?」と聞かれたことを明かしたうえで、「ゲイは繊細だというから、何か特別な感覚で察したのか。そうだとしたら気味が悪い」などと書いていた。実際はこの男性は「書く仕事」と言っていたという。
2009.02.09
緊急のお願い:浅田選手が右ひざを痛めていたことがようやく公けになりました。http://www.sanspo.com/sports/news/090207/spm0902071946015-n1.htmすでに本田武史、太田由希奈という天才の選手生命を怪我で終わらせ、高橋大輔の右ひざもプレ五輪にメスを入れるという大失態を繰り返している某国の某連盟。このまままた、天才を使い捨てにさせていいのでしょうか?実は浅田選手の右ひざは、ほぼ「定期的に」悪くなっているのです。去年も2月に痛め、公表しないまま世界選手権にのぞみました。以下、去年の3月21日付け毎日新聞の記事:「関係者によると、転んだ時に靴のブレード(刃)で左足付け根を切った。2月の4大陸選手権後には右ひざを痛めていた。だが、報道陣には一切明かさなかった」トリプルアクセルは右足で着氷しますが、体重の4倍とも5倍とも言われる加重が足首にかかる過酷な技なのです。浅田選手の右ひざが悲鳴をあげているのが聞えませんか? 聞える方は、こちらに署名をお願いいたします。http://www.shomei.tv/project-608.html四大陸フィギュアの女子フリーが終わった。あまり自分の不調のことは口にしない浅田選手でさえ、「入る前からベストでなかった」と言わざるをえないぐらい疲労が蓄積した身体でのぞんだフリー。日本中が心配していたと思うが、ジャンプが2つそれぞれシングル、ダブルになった以外はトリプルアクセルも1度決め、転倒もなく、最後のステップも根性で踏んで、なんとか滑りきった。だが、全体としてはやはり精彩を欠いた演技だったと思う。ところが、点が出てみたら案外いい。いや、118.66というのは決して浅田選手としてはよくないのだが、他の選手の点が意外とのびない。結果、なんとフリーでは、1位浅田、2位ロシェット、3位キム・ヨナ。「ええ?」と思った方も多かったのではないだろうか。3ループに挑戦してモロコケしたとはいえ、セカンドに3Tを2度入れ、ルッツも2度入れて(しかもお約束の「1つは失敗」もなく)、全体的に元気よく滑ったキム・ヨナ選手。コケても高得点のキム・ヨナ選手の点が120点に行かない?Mizumizuブログを読んでる方なら、推測ができると思う。「どこかでダウングレードされた」1つは明らかだ。コケてしまった3ループ。これは完全に回転不足で降りてしまってコケた。だが、それだけではこの点数は、ない。Mizumizuが真っ先にアヤシイと思ったのは、最初の3F+3Tの3T。認定こそされているが、キム選手のセカンドの3Tは2回入るうちのどちらか1つは必ずといっていいほどアヤシイ。グランプリ・ファイナルのときは2A+3Tがアヤシかった(つまり、「降りてから若干回った」ようにもみえたのだ)。ファイナルの場合は何度か見てみたが、「ギリギリセーフかな」という結論だったが、本当にギリギリだった。今回のフリーの3F+3Tの3Tもスローで再生してみたが、こちらはやっぱり「足りていなかった」。これは間違いない。ただ、4分の1以上足りていないのかと聞かれれば、わからない。もう1つアヤシイと思ったのはモロコケしたあとの3連続ジャンプの3ルッツ。こちらも着氷したあとエッジが回っていた。スローで見たら、これも明らか。キム選手のダウングレードはこの2つだな、と思ってプロトコルを見たら…違った!(苦笑)最初の3F+3Tの3Tはダウングレードされていなかった。アメリカのジャン選手のセカンドの3Tだって、そうとうギリギリのところを厳しくダウングレードされていたから、キム選手の認定をみたら、ジャン選手としてはおさまらないところだろう。だが、ジャン選手というのはあれこれジャッジに質問して、相当「報復」ともいえる厳しい採点をされている。ジャッジに選手サイドからあまりクレームをつけるのはタブーなのだ。ただキム選手の連続ジャンプは、3Fに「!」がついて、加点が抑えられ(加点されるのが、そもそもおかしいと思うが)9.5点の基礎点に対して10.1点。「!」がついて加点というのはおかしいとは思うが、この「!」判定自体がちょっと厳しいようにも思った。ショートは確かに、よくよく見たら一瞬エッジがアウトに入っていた。フリーのほうは角度も悪くてよくわからなかったが、中立に入っているだけのようにも見えた。これで「!」がつくとなると、安藤選手のフリップも警戒しなければならない。安藤選手は矯正以来、違反は取られていないが、相当に中立のエッジだ。3ループのダウングレードは、まあ当然。続く3ルッツもダウングレードされ、さらになんと3連続の最後の2ループもダウングレードされていた。「ループには異常に厳しいダウングレード判定」を証明したような結果だ。スローで再度見たが、言われてみれば、足りていないかもしれない。本当にループはダブルでさえ、非常に危険だ。ここでキム選手は2つもダウングレードされたので、3連続ジャンプを跳んで3.22点にしかならなかった。一方、3Fから2Loを2つつなげた3連続をきっちり降りた浅田選手は加点ももらって9.3点もの点を稼ぎ出している。こちらは文句なく、ピタッピタッと2ループを降りている。キム選手のルッツからの3連続がなぜ2つも回転不足になったのか? もちろん、その前に試みた3ループの転倒が響いている。ループに不安のあるキム選手は、今季初戦の直前練習でコケて(本番では1ループに回避)以来ずっと回避してきた。そしてダブルアクセルを3つも入れるという露骨な得点稼ぎ。今回は大会前から、「今回は3ループを入れる」と韓国系のメディアには公言していた。キム選手は練習では3ループを跳べないわけではない。ただ、失敗すると減点が厳しい現在のルールでは、避けたほうが有利だと判断したのだ。そして、回避したほうが点が出た。今回もやはり、結果として、「3ループにはチャレンジしないほうがよかった」のだ。キム選手というのは、助走のスピードでジャンプを跳ぶ選手だ。3F+3Tも、ものすごいスピードで滑ってきて、その力を利用して大きな連続ジャンプを成功させる。これは1つにはストロークが非常に伸びるというスケート技術の巧みさがある。中野選手はストロークがあまり伸びない。だから、スピードをつけるために何度も「漕がなければならなく」なり、かつ油断するとスピードが落ちてしまってジャンプを失敗するのだ。だが、ループはむしろ離氷時の跳躍力が必要とされるジャンプ。上に跳びあがるための強靭な脚の筋力が必要なのだ。キム選手はそのループまで助走のスピードを利用して跳ぼうとする。だから、エッジが抜けて、スピードがうまくジャンプの力に変換されず、逆に「コケる力」として働いてしまう。結果、キム選手がループを失敗するときは、本当に派手な転倒になってしまうのだ。アメリカ大会のときに直前練習のときの3ループのコケも、会場がどよめくぐらいモロに転倒していた。この転倒が痛かったのだ。転倒して立ち上がり、もう一度スピードをつけるのは至難の業だ。ちょうど浅田選手がサルコウで転倒したフランス大会で、次のフリップからの連続ジャンプが跳べなくなってしまったのと同じ。連続ジャンプの前に苦手なジャンプを入れるのは危険なのだ。転倒してしまったため、いつものスピードがないまま3ルッツに入ったキム選手は案の定回転が足りないまま降りてしまい、そのまま予定どおり3つジャンプを入れたために、最後のループがやや足りなくなった。「ループには異常に厳しい」目を光らせているジャッジは、それを見逃さなかったということだ。すべて、「苦手な3ループへの挑戦」が招いたこと。いかに今のルールが、「難しいことをやったらダメ」な変なルールかわかると思う。浅田選手の点を見ても、それが言える。全日本の浅田選手は3Aを2つ、後半に渾身の3F+3Loをもってきて、きれいに降りた(ように見えた)。ところが、3Aは2つともダウングレード、3F+3Loの3Loもダウングレード。ダウングレードというのは、何度も言っているが、トリプルアクセルを跳んでダブルアクセルの失敗と見なされ、3ループを跳んで2ループの失敗と見なされるということだ。だから、全日本での浅田選手の技術点は54.67点。今回は3A2つどころか、1つはシングルアクセルにスッポ抜け、後半の3F+3Loは3F+2Loに変更し、さらに確率の悪いサルコウはやめて、得意の(実は今季少し乱れているのだが)単独3ループに変えた。3トゥループは2トゥループになったが、これだって3Tを跳んでダングレード判定されたら、2Tの失敗と同じだから、初めから2Tのがいいのだ。実際、後半の2TはGOEでの減点なし(そりゃそうだ、もともと2Tだから)で1.43点に留まった。で、技術点の合計が58.58点。トリプルアクセルは1回だけにして、セカンドの3Loを2Loにしたのが成功したのだ(苦笑)。浅田選手にとってはチャレンジングなジャンプのない今回のフリーは、1つもダウングレード判定がない。逆にキム選手は、得点差もあったせいか、チャレンジした3ループが足かせになって3つもジャンプをダウングレードされた。もう1つある。それはスピンのレベル取り。ショートでは、浅田選手は2つのスピンがレベル2に留まった。これはポジションに入ってからの回転数が不足と見なされたのだと思うが、実は日本男子の小塚選手もこれをやられてしまった。小塚選手はショートのスピンで、コンスタントにオールレベル4を取れる選手なのだが、今回は2つのスピンでレベル3に留まった。本人は「ちゃんと回った」つもりだったはずだ。浅田選手もそうだったと思うが、選手自身は「ここでポジションを決めた」と思っていても、ジャッジは「ポジションチェンジをしている途中」と判断することがある。どうも今回のジャッジはスピンのレベルに非常に厳しい。ショートでレベル取りに失敗した浅田選手は、フリーでは気をつけたのだろうと思う。レベル4を3つ、レベル3を1つ。一方、スピンのレベル取りでめったに失敗しないキム選手が、フリーでレベル4が2つ、レベル3が1つ、レベル2が1つ。本人はこれには驚いたはずだ(浅田選手や小塚選手同様)。こうした思わぬ厳しい判定が、「ジャンプ構成を簡単なものにした」浅田選手に軍配をあげさせる結果になった。実は、キム選手の3F+3Tの3Tほどではないが、浅田選手のトリプルアクセルもほんのちょっとだけ足りていなかった。ただ、こちらは明らかに4分の1回転以下。だが、4分の1回転以下だろうがなんだろうが、足りないと見るとさっそくダウングレード判定してくるスペシャリストもいるので、今後はもっとピタッと降りたい。とはいえ、調子の悪いなかでもちゃんとトリプルアクセルを成功させ、最後のステップでは加点2と3がずらりと並ぶ成績を出したのだから、立派だろう。ジャンプ構成をあげて、点を落としてしまったのは村主選手も同様。村主選手は全日本ではサルコウ回避の2A3つ、おまけにルッツはモロにロングエッジという酷いものだった。今回はサルコウを入れて最後に2Aを2つ連続させるという、本来のジャンプ構成でのぞんだが、結果は、サルコウまではなんとか決めたが、後半がダメ。勝負ジャンプの後半の3F+2Tは連続ジャンプにできずに、回転不足、もちろんダウングレード判定。全日本ではロングエッジに戻して決めた2つのルッツも、エッジに気をつけたら後半の単独ルッツで大きく乱れてしまった。グチるわけではないが、後半の単独のルッツはエッジはちゃんとアウトだったと思うのだ(そうやってエッジに気をつけたから、きちんと着氷できなかったのだ)。なのに「!」を取られてしまった。ショートのもろロングエッジが響いているのだと思う。一度目をつけられると決め付けられてしまう部分もある。
2009.02.08
<きのうから続く>全日本では大甘の「!」で若干加点までされた(とはいっても、さすがにプラス2はない)から、点はのびた。だが「E」判定でそのたびに減点では点が出てこない。しかも、村主選手の全日本は、後半の3F+2Tの3Fも回転不足だったのを認定してもらって助かっている。国際大会であれでは、間違いなくダウングレード。日本選手のフリップを甘く認定する理由はないのだ。村主選手は、他のエレメンツの底あげはかなりできている。だが、ジャンプは跳べる種類が少ない。だからルッツのE判定は非常に痛い。しかも、演技・構成点は26.48と「演技・構成点が低くて有名な」ジャン選手の25.76と0.72しか変わらない。ううむ、予想できたこととはいえ、もうちょっと評価してほしかった。フリーでの持ち直しに期待しよう。後半の3F+2Tの3Fが跳べますように! 同じ振付師の安藤選手がいないから、得意の情感をたっぷり出してステップを踏んでほしい。逆に、さんざんエッジ違反を取られてきたジャン選手が今回は「!」もなし。ただしセカンドの3Tがダウングレード。ただ彼女、3F+3Tでなんと両方ダウングレード(苦笑)されたりしていたので、技術的には向上しているといえるだろう。浅田選手は、案の定、連続ジャンプがダウングレードされて5.4点、ルッツすっぽ抜けが0.9点で点になっていない。それとスピンが2つレベル2に留まっている。これが点がのびない理由。浅田選手のセカンドジャンプについて浅田選手のセカンドジャンプについて、読者の方からメールをいただきました。Number誌によれば、タラソワ・コーチは浅田選手にセカンドの3トゥループの練習をするよう指示しているそうです。貴重な情報をありがとうございました。しかし、指示されても、本格的に腰をすえて練習する時間なんてないでしょ、あんなハードスケジュールでは。浅田選手から落ち着いて練習する時間を奪うとどうなるか、身にしみたかたは、http://www.shomei.tv/project-608.html↑こちらに署名をお願いいたします。プルシェンコが選手生命にかかわる怪我を負ったのは、日本でのショーだった、ということをお忘れなく。それに無駄なイベント試合に時間を取られると、またタラソワ・コーチと過ごす時間もなくなります。昨年は、エッジでルッツを奪われ、今年は回転不足厳密化などというお題目(実際には甘く判定されているジャンプもあり、キム選手じゃないですが、「ときどき公平でないことがある」のは事実)でセカンドのループを奪われ、憤懣やるかたないですが、もともとの欠点といわれればそのとおり。その小さな欠点に対して、ここまで苛烈に減点してくるというのは問題ですが、フィギュアの採点というのは、いつの時代も何を評価し、何を評価しないのかは、政治的な思惑によって変わるもの。ルール作りの段階で負けてしまった以上、対応していくのがトップの選手だと思いましょう。ライザチェックは今シーズンはじめ、連続ジャンプにつなげる3Aをダウングレードされて、コーチのほうが驚いているような状況でしたが、持ち直してきました。本当に力のある選手は必ず対応できるはずです。 男子のショートの速報演技はまだ見れていませんが、チャンがぶっち切りの88.90点!?すごい点ですね。この人は4回転がありません。ただ、ジャンプ(特にトリプルアクセル)は決まれば加点「2」がつく人。ステップやスピンも素晴らしく、ショートは特に強いのですが、88.90点とはまたすごい銀河点が出たもの。この人と小塚選手は10代の2強。チャンという芸術性に優れたライバルに勝つために、小塚選手はどうしてもフリーで、3Aを2つ、3ルッツを2つに4回転を跳びたいのです(それでこれまで自滅してますが)。四大陸が一番大事な意味をもっていた織田選手は残念ながら、出遅れ。これをフリーで巻き返せればいいのですが、4回転を跳んでダウングレード判定、2つのトリプルアクセルのどちらかを失敗… というのが一番ありがちな悪いシナリオ。女子のフリーはいつなんでしょうね。見る前に結果がわかってしまうので、浅田選手が不調となると、フジは視聴率が稼げずさぞやガックリしているでしょう。XXXXXと、書いてるうちにプロトコルが出ました。これからテレビ中継ですので、今からテレビを見る方は、男子ではやはり、パトリック・チャンの演技に注目。プロトコルの成績、スゴイです。ジャンプ3AはGOEで加点が「2」が8人、「3」が1人(これは完璧に決めたときの高橋大輔のトリプルアクセルと同等かそれ以上の評価です)で基礎点8.2点に対して得点が10.2点!たった1つのジャンプで10.2点でっせ。他のジャンプもすべてきれいに決めたらしく、のきなみ加点がついています。スピンは当然ながらオール・レベル4。圧巻は最後のストレートステップです。今はステップでレベル4がなかなかでないのですが、なんとなんとチャンはここでレベル4、加点も1から3までついて5.9点!! ライザチェックも頑張っていますが、それでも4.2点、小塚選手と織田選手が3.9点。チャン選手、おそらくこれまでの選手生活の中での最高の出来だったのではないかと。西洋的な華麗さと東洋的な繊細さをあわせもった得がたい個性とともに、これだけ技術的に完璧だと、もう4回転は不要ですね。織田選手は連続ジャンプのセカンドが2Tになってしまったようですね。これは非常に珍しいミス。連続ジャンプの点が6.1点とトップ選手が11点以上稼ぐ中、ここで5点以上負けてしまったということ。実はあとはそれほど悪くないのですが、加点大盤振る舞いのチャンにはずいぶん点差をつけられました。毎日新聞は、「地元の選手にサービスしすぎ」と批判しないんですか?(苦笑) チャン選手が素晴らしい選手であることは認めますが、2位の選手を7点以上ブッチ切るほどの演技なのか? 実際、今季は、加点を大盤振る舞いしすぎていて、点差が極端になる傾向に拍車がかかっていますね。誰を強くしたいのか明らか。バンクーバーもこれでしょう。まさに採点の「前哨戦」。ジャッジは試合前に採点基準の意識合わせをしますが、別の意味で意識合わせがうまく出来ていると思います。見ていて白けると思いますが、こんな採点システムでもまだ、日本のファンは素直に「熱く」なれるんでしょうか。チャン選手は素直にこんなふうに言っているし。http://sankei.jp.msn.com/sports/other/090207/oth0902071040006-n1.htm今さら連盟の人間が否定しても、ジャッジが「いろいろな要素」に左右されて点を出しているのは、出てくる変な点数を見れば明らかでしょう。「素人にはわからない、公正なジャッジを厳密な基準にもとづいてやっている」などというウソでは、もう一般人は騙されないと思いますね。小塚選手はトリプルアクセルで「若干」乱れたよう。全日本までの小塚選手はショートのジャンプは完璧だったのですが、どうも後半は少しずつ乱れてきていますね。彼はどうしてもフリーのトリプルアクセル(特に後半、2度目)を決めたいので、ちょっといやな雰囲気です。点数はともあれ、ファギュアの楽しみは、選手のよい演技を見ること。もうじきテレビ放送が始まるので、みなさんチャン選手、ライザチェック選手、そして日本の選手(は最高の出来ではなかったようですが)を堪能しましょう。女子では、浅田選手は残念でしたが、キム選手は今季最高の演技でしょう。アメリカ大会では若干回転不足気味のジャンプを認定してもらったうえに2Aが乱れたり(でもなぜか加点)、中国大会ではルッツが回転不足判定されたり、ファイナルではそのルッツがすっぽぬけたり。実はキム選手もショートでなかなか全部のジャンプをきれいに決めてこなかったので、今回は会心の出来でしょう。「死の舞踏」はキム選手のダークで妖しげな雰囲気をうまく出しているよいプログラムです。見ていて「怖い」と思わせる演技ができる選手はなかなかいません。不気味さが前面に出ていて、エレガントさに欠けるので、嫌う人もいるとは思いますが、それはしょせん嗜好の問題。
2009.02.07
パリから帰ってきたばかりだったこともあり、昨日のエントリーを書いているときは、四大陸が始まっていることに気づかなかった(苦笑)のだが、記事をアップした直後にフジテレビで女子のショートプログラムの模様がニュースで流れているのを偶然見た。浅田選手の結果はみなさんご存知のとおり、最悪。トップのキム選手:技術点42.2、演技構成点30.04=72.24点浅田選手:技術点29.1、演技構成点28.76=57.86点さすがにもう「表現力の差」でないことに気づいた女性アナが、解説の伊藤みどりに「演技構成点はそんなに差がないんですよね。なのにこの点差は… 一体何が悪かったんですか」と聞き、伊藤みどりは浅田選手の心理面から説明をしてしまい、おそらく一般人には理解不能の解説になってしまっていた。何が悪いって、簡単な話だ。3Loのダウングレードと3ルッツの2回転へのスッポ抜け。一方のキム選手はミスなし(つまり加点がもらえるジャンプを跳んだ)。フジテレビの映像はちょっと流れただけだったが、キム選手のセカンドの3トゥループにも3ルッツにも回転不足はなかったと思う。フリップのロングエッジだけはよくわからなかった。もちろん採点では、回転不足もロングエッジも取られていないのは明らかだ。点数を見ればわかる。今回の四大陸のショートのプロトコルはまだ見ていないのだが、グランプリ・ファイナルを参考に説明しよう。グランプリ・ファイナルのショートの技術点がキム選手:35.5点(今回42.2点、プラス6.7点)、浅田選手:35.7点(今回29.1点、マイナス6.6点)ほぼ6.6点の差が双方にある。キム選手はプラス6.7、浅田選手が6.6。このときはキム選手がルッツがすっぽ抜けてシングルになってしまい、失敗した。浅田選手は成功させた。このときのルッツの得点が…キム選手:0.3点、浅田選手6.8点。差が6.5点。3ルッツを成功させるか、失敗させるかでこのくらい点が違ってくる。今回の浅田選手の点は、グランプリ・ファイナルで成功させたルッツを失敗してしまったこと、あとは別のエレメンツでのレベル取りの失敗がいくつかあったと推測できる。出てきた点でだいたいわかるのだ。そして、一番大きいのが、なんといっても最初の連続ジャンプのセカンドの3ループのダウングレードだ。着氷でオーバーターンが入って乱れたので、「あの程度の失敗でこんなに差がつくの?」と思った人はまだダウングレードの恐怖をわかっていない。オーバーターンが入ったから点がのびなかったのではなく、回転不足を取られてしまったから点が出なかったのだ。もちろん、あれだけ着氷で乱れるとGOEの減点も厳しくなるから、さらに点が出なくなる。再びグランプリ・ファイナルの連続ジャンプの点を見てみよう。キム選手:11.5点、浅田選手5.2点、差が6.3点。(このときは浅田選手はきれいに3F+3Loを決めたように見えたが、実はダウングレード、つまり3ループが2ループの失敗にされていた)。ジャンプの失敗(連続ジャンプの3ループのほうは、今季から「失敗にさせられた」というのが正しいが)で、これだけの差が出てしまうのだ。あとはスピンの回転がポジションに入ってからしっかり規定数回っていなかったとか、あるいはスパイラルの脚上げの時間が足りなかったとか、なにかレベルの取りこぼしがあったのだろう。そして順位の悪さ。これは全日本でのショートのトップが中野選手だったことを考えても予想がつくと思う。中野選手は3+3はないが、それでもエレメンツの取りこぼしがなかったため、60点台の半ばを出した。つまり、3+2しかない選手でも、きちんとエレメンツをこなして加点をもらえば、マックスでそのくらいは行くのだ。みんなもう、そういう採点の傾向はわかってきたから、きちんとエレメンツをまとめて、加点をもらえるように滑っている。だから57点では、メダル圏外に落ちてしまう。3+3でダウングレードということは、3+2を失敗したということになる。3+2をみんなが跳んでまとめていれば、ダウングレードされてる浅田選手の点はそれより低い。基礎点の高いルッツで失敗すれば、点はもっと低くなる。当然のことだ。ちょうど、「シズニー選手だって浅田選手がダウングレードされ、ルッツで失敗し、サルコウがすっぽ抜けてくれれば、勝てるかもしれない」と書いたら、なんとまぁ、見事に浅田選手はショートでループがダウングレード、ルッツ失敗で、シズニー選手に対して技術点では負け、合計点でもたった2.24点の点差と(シズニー選手は55.62点)、まさに「どっこいどっこい」になってしまった(苦笑)。まさしく、「安藤・浅田には勝たせないぞルール」が本領発揮というところだ。だが、3+3を跳べるキム選手がノーミスで回転不足もエッジ違反もない場合は、70点台を超えてくる。これもまた当然のことだ。浅田選手にとっては、3ループは何度跳んでもほぼ認定されないことが、ますますハッキリしただけだ。あとほんのちょっとだから、何とか正面突破したい浅田選手の心情はわかるが、もう、無理だと思う。これまでだってスローで見たら、常にちょっとだけ足りないことがほとんどだった。それは安藤選手も同じ。肉眼ではわからなかっただけだ。今年になって突然回転不足になったわけではない。これまである程度認定されていたのはジャッジの良識が働いていたから。だが、厳密に判定しろと言われれば、ジャッジはそれに従う。ループをセカンドに跳ぶためには、並外れた跳躍力が必要だ。当然踏み切る右足の足首やふくらはぎにかかる荷重は過酷なものになる。このまま、なんとか「認定されるループを跳ぼう」と過酷な練習を続ければ、待っているのは怪我しかない。まさに高橋大輔の悪夢の二の舞だ。四大陸ショートでの浅田選手のセカンドの3ループはNHK杯やファイナルのときより悪かった。全体的に疲労の色が濃い浅田選手の演技を見るのはつらい。だいたい、こき使いすぎでしょ。グランプリ・ファイナル、全日本、それが終わって年が明けると今度はイベント試合にショー。アイドルなみにひっぱり回す。浅田選手を壊したいのでしょうか、まったく。今回勝てば国際試合10冠で伊藤みどりを抜くなどと、くだらないことを言うのもよしてください。伊藤みどりの時代にはグランプリ・ファイナルも四大陸もなかった。グランプリシリーズを銘打って、トップ選手は少なくとも2度はどこかの試合に出る、なんてこともなかったのだ。国際試合の数が違うのだから、勝ってる回数を比べるなんて、まったく意味がない。フリーで3フリップ+3ループを跳ぶのもやめてほしい。これは国際スケート連盟がしかけてきた汚いワナ。跳ぶたびに「3+2の失敗」にされるのは、すでにお約束なのだ。まぐれで1度か2度どこかで認定されたとしても、オリンピックで使うのは危険すぎる。だが、浅田選手のあまりにきついスケジュールでは、3トゥループにシフトする余裕はなかったと思う。もし3トゥループが回転不足にならずに跳べるなら、3トゥループに逃げているはずだ。3ループをやり続けているということは、やはり3トゥループをセカンドにもってくると回転不足になる、という傾向は克服できていない(というか、セカンドの3トゥループは練習していない)のだろう。だが、Mizumizuは依然として、たとえ世界選手権に間に合わなくても、セカンドの3回転は3トゥループにシフトすべきだと思う。今年はキム・ヨナの年。それはシーズン初めにすでに書いた。キム選手はジュニア時代からやり続けたことを今年完成させようとしているのだ。今年が彼女のピークであることは、かなり明らかだ。来年になると、体形がさらに変わり、ジャンプが劣化してくる可能性が高い。一方の浅田選手のほうは、女子としては例外的に理想的ジャンプ体形を維持し、作ってきている。バンクーバーの前哨戦のハズが、フタをあけてみたらリンクのサイズが違うって…(呆)。本当に、浅田選手は何のために出てるんでしょうか、四大陸。ジュベールあたりなら、とっとと「怪我しました」と言って棄権するだろう。今のエレメンツ重視の採点システムでは、「疲労」は選手にとって大敵だ。昨季の世界選手権銅メダリスト、今季のファイナル銅メダリストのウィアー選手が全米で台落ちしてしまったことからもわかる。ふつう、試合をこなすうちに、じょじょに調子をあげてくるのがトップ選手なのだが、あっちこっちで減点が待ち受けている今の採点システムは精神的な負担が大きく、疲労のある状態では、いい選手もいい演技ができずにジャンプを失敗し、実力では勝ってる選手にも負けてしまうのだ。世界選手権が最も重要であることは、すでに書いたが、こうやって四大陸にも出ると、そこでピークを作らなければいけない分だけ、世界選手権に向けての調整がまた難しくなる。ジュニア時代から変わらないジャンプ構成でくるキム選手と違って、難度の高いジャンプを入れている浅田選手にとって、特に疲労は大敵なのに、こうやって試合のたびに「ライバル対決」で煽られ、勝つことを求められると精神的にも負担が大きい。今回は3+3に加えてルッツの失敗と、不安のあるジャンプで失敗、つまり弱い部分が全部出てしまった。実は浅田選手はルッツもトリプルアクセルも、ついでに言ってしまうと単独のトリプルループも、練習での調子は必ずしもよくないのだ。サルコウは練習では確率が高いが、試合ではこれまで半々。それをこれまでの大一番では、根性でかなり決めてきた。それだけでもたいした精神力だ。彼女が生身の人間だということを忘れてはいけない。しかも、ルール上は絶体絶命に追い詰められている。そういう状況で、ジャンプを毎試合毎試合、全部決めろなんて無理な話。神風は3度は吹かない。XXXXXさて、そうこういっている間に、プロトコルが出た。なんと意外なことが判明。キム選手のフリップには「!」(wrong edge short)がついていた。言い訳するわけではないが、「ロングエッジ判定はないのでは」と思ってしまったのは、「減点されていない」と思ったからなのだが、なんとまぁ、アテンションがついたのに、「2」などというGOE加点をしているジャッジが2人いた。(マイナス1が1人、プラス1が1人)、結果、プラスのほうが拾われたようで、9.5点の基礎点が9.9点に「加点」されてしまっている。「!」がついた場合のGOEは「ジャッジの判断にまかせる」という規定があるので、「2」をつけても違反ではないが、やはりスペシャリストがアテンションをつける判断をしたのに、GOEジャッジが「2」などという加点をつけるのは、相当に違和感がある。心配なのは、実は村主選手。点数では4位でメダル圏内なのだが、内容をみるとかなり危うい。全日本で指摘した、「村主選手のロングエッジはあの跳び方では、国際基準では!ではおさまらない」という予感が当たってしまった。ルッツに「E」(wrong edge)がつき、GOEでマイナス1.2の減点。Mizumizuが村主選手のwrong edgeを心配するのは、彼女の場合、フリーで2つもルッツが入るからだ。きちんと跳べば加点されるジャンプを跳ぶことのできる力があり、全日本以前の国際大会では違反を取られなかった(だから成功すれば加点された)のだが、エッジに注意すると、どうしても他のジャンプ(つまりはフリップ)にも影響が出てしまうのだろう。だから、違反を承知で跳んでいるのかもしれないが、ショートとフリーで3回もルッツが入るのだから、そのたびに減点されてしまったら、ルッツを跳べるアドバンテージがなくなってしまう。<文字数制限に引っかかりました。続きは明日のエントリーで>
2009.02.06
<きのうのエントリーから続く>アメリカの新聞は逆に、ジャンプの技術の低いシズニー選手の優勝を驚きをもって伝え、「この全米女王では、浅田選手やキム選手には勝てないのでは? これほどアメリカの女子選手の技術が後退したことはない。フィギュア王国の危機だ」と伝えた。だが、本当は、アメリカの女子選手の技術が後退したのではない。高い技術をもつ選手のちょっとした不完全さを苛烈に減点するから、技術の低い選手が勝ってしまい、全体として後退したように見えただけだ。シズニー選手が浅田選手やキム選手に勝てない――というのは、常識的には正しい。だが、全日本での浅田選手のフリーは、ルッツもフリップも跳べない武田選手とどっこいどっこいだった。トリプルアクセルやセカンドのトリプルループがどんどんダウングレードされ、エッジ矯正で調子のあがらないルッツで失敗し、今のところ試合での成功率が半々のサルコウがすっぽ抜けてくれれば、シズニー選手だって浅田選手に勝てるかもしれないのだ。「でも真央ちゃんは、勝っている」と、ファンの人は言うかもしれない。そう、世界選手権でもグランプリ・ファイナルでも浅田選手は勝った。だが、もともとの実力から言えば、圧倒的な「浅田真央時代」を築いてもおかしくない才能の持ち主なのだ。たとえば、プルシェンコのように。だが、浅田選手は女プルシェンコにはなれていない。それどころか、セカンドには3トゥループだけ、トリプルアクセルは跳べず、3ループはどうにも苦手で回避ばかりしているキム選手――つまり、ふつ~に考えれば、明らかに実力では格下――がミスしてくれないと勝てないような状況だ。なぜか?もちろん、過去に繰り返し述べたように、それは浅田選手の小さな欠点を狙い撃ちにされているからだ。昨季はエッジ違反。今季はとくにセカンドの3ループに対する容赦ないダウングレード。エッジは昨季までは、減点されながらも極力失敗をしないという方針で切り抜けた。そして、世界選手権ではライバルのキム選手が得点源のルッツで失敗するという、神風が吹いた。今季はルッツのエッジをきちんと矯正した――のだが、ルッツを跳ぶのは今のところショートだけで、フリーには入れていない。ルッツはアクセルに次ぐ基礎点の高いジャンプだ。この「フリーになかなかルッツが入れられない」というのも、点が伸びない一因になっている。加えて、昨季までは、きちんと跳べばほぼ認定されていた強い武器であるセカンドのトリプルループがまったく認定されない。これは簡単なことで、もともと浅田選手(安藤選手も)のセカンドのトリプルループは、本当の意味で「完璧に」3回回りきっていないからだ。ジャンプというのは、基本的にまず空中にあがり、回転し、回転を終わって降りてきて着氷するのが基本だ。肉眼では安藤選手も浅田選手もセカンドのトリプルループをちゃんと回りきって降りてきているようにも見える。だが、スローで再生してみるとそうではないことがわかる。これは、昔からそうだ。今に始まったことではない。では、厳密に4分の1回転以上の不足なのかと問われると、実際のところはよくわからない。キム選手のコーチのオーサーは、わざわざ「プレローテーションで4分の1回転稼いでいる」という意味のことを言って、安藤選手のセカンドの3ループを批判したが、安藤選手が着氷を決めるために、空中にあがる前に上体から先に回ろうとするのは事実だ。だが、それで本当に「4分の1回転ズルしてる」かどうかまでは、いくらスローで見ても厳密にはわからないはずだ。だが、それはあくまで「ジャッジの判断」。野球のボールとストライクの判定をジャッジにまかせているのと同じなのだ。セカンドに3ループを跳ぶのは、フラット選手・安藤選手・浅田選手だけ。連続ジャンプに3トゥループをもってくるのは、キム選手、コストナー選手、レピスト選手、ロシェット選手。だから、3トゥループの認定を甘くする理由は十分にある。もうすでにバラしてしまったことだが、昨季の世界選手権のフリーの浅田選手の3F+3Tの3Tはちょっとだけ足りないのを認定してもらい、加点ももらって命拾いした。3トゥループはあくまで、「お互いさま」なのだ。一方、少し足りない3ループを認定してあげる理由はまったくないのだ。たとえば、前回のグランプリ・ファイナルでも、中野選手のショートの3ルッツは足りなくても認定された。そのあとにコストナー選手、キム選手が控えていたからだと考えると、変に辻褄が合う。しかも、フリーのロシェット選手のルッツもやはり、ちょっと足りなかったが認定されている。このように「お互いさまの」ジャンプは奇妙に認定されやすいのだ。トップ選手では安藤選手と浅田選手しか跳ばないセカンドの3ループは、だから認定される可能性は非常に低い。スローで見て、ちょっとでも足りないと判断されれば、容赦ないだろう。そして、その正面突破は、トリプルアクセルを完璧に着氷するより遥かに困難だ。「セカンドの3ループから3トゥループにシフトすべきだと思いますか?」という質問を多く受けるが、Mizumizuの見解は完全に「イエス」だ。もともとトップ選手はセカンドに3トゥループを跳ぶことができる。たとえば、日本男子のトップ選手、織田選手にせよ、小塚選手にせよ、ルッツのあとだろうが、フリップのあとだろうが、サルコウのあとだろうが、ほぼ自在に3トゥループをつけることができるのだ。これが本来のトップ選手の姿だ。女子でも、伊藤みどりやクリスティ・ヤマグチは3ルッツ+3トゥループの連続ジャンプを跳ぶことができた。一方で、浅田選手はセカンドに3トゥループを跳ぶことはできるが、やっぱり回転不足になりやすいのだ。また、浅田選手には「ルッツからの連続ジャンプがない」という欠点もある。安藤選手やキム選手は2回転とはいえ、ルッツを連続にすることができる。だからフリーに基礎点の高いルッツが2つ入る。浅田選手はルッツに不安があり、かつ連続ジャンプにできないので、トリプルアクセル2度に頼らなければいけなくなる(3回転ジャンプはフリーでは2回跳べるのは2種類まで。かつそのうちの1回は連続ジャンプにしなければいけない)。ところがトリプルアクセルはハンパじゃなく、体力を消耗するらしい。これは今季、浅田選手のフリー後半での3フリップ+3ループがなかなか入らないことで、わかった。昨季の浅田選手は後半に3フリップ+3ループを軽々と入れ、かつ高率で認定されていた。今季は全日本まで来て、やっと1度入った。しかも3ループはお約束のダウングレード判定。浅田選手がセカンドの3ループを跳び続けるということは、非常に確率の悪い博打を続けるということ。今回は認定されるジャンプが、「もしかしたら」跳べるかもしれない。だが次は…? セカンドに3ループをもってくるということは、常に「2ループの失敗にされる」危険性と隣り合わせの一か八か。いや、むしろほとんど、わざわざ「2ループの失敗にされる」ために跳ぶようなものだ。3トゥループのほうが一般的に簡単だし、完璧に跳べる選手はいくらでもいる。3ループをセカンドにもってきて完璧に跳べた選手は歴史上ほとんどいないのだ。男子のトップ選手はセカンドの3ループなど、はなっからやらない。安藤選手と浅田選手にとっては、個人的には3ループのが跳びやすかったのだろう。しかも、跳べば強い武器だった。だが、もうその強い武器は奪われていると思ったほうがいい。浅田選手がセカンドの3ループに固執し、3トゥループをやめてしまったことが、今季最大の誤算だと思う。だが、これは仕方がない。予想もつかないことだったからだ。安藤陣営も同じ。モロゾフは4サルコウ、セカンドの3ループ、それに得意のルッツを活用したジャンプ構成を組んで、安藤美姫絶対勝利の方程式を書いた。一方のタラソワは3アクセル2度と3F+3Lで浅田真央絶対勝利の方程式を書いた。ところが、試合が始まったら、安藤選手の3ループは認定されない。3フリップはことごとく狙われて、ダウングレードもしくはGOE減点(解説の荒川静香が「流れのあるいいジャンプ」と言ったフリップさえ、実はGOEで減点されていた)。モロゾフは大幅な戦略の見直しを余儀なくされた。浅田選手にも3Aとセカンドの3Lに対する厳しいジャッジの目が待っていた。今季の異常な採点には、男子のトップ選手、特にアメリカのライザチェック選手とウィアー選手も非常に苦しめられた。ライザチェックはプログラム密度を濃くすることで自分自身をグレードアップしようとした。ウィアー選手は4回転の高さを獲得することに時間を割いた。ところがシーズンが始まってみると、ロングエッジは範囲が広がって厳しく取られ、回転不足も思わぬところで狙われてダウングレードされる。2人の戦略は完全に裏目に出て、点がのびなくなった。2人の戦略と採点の流れが完全に逆に行ってしまったのだ。ウィアー選手は、トリプルアクセルまで不調になり、全米では台にものぼれず、四大陸にも世界選手権にも行けなくなった。日本では中野選手が全日本のフリーで、これまでにない自爆をやってしまって代表の切符を逃したが、この2人に共通していたのは、「疲労の蓄積」だ。ウィアー選手は全米前にショーで海外に出ている。ライザチェック&ウィアーが負けて、アボット選手が勝ったことで、「男子は世代交代」などというのは的が外れている。この3人は全員同世代だ。アボット選手は過去2年連続全米で4位だった選手。今季は4回転を捨てて、急に強くなった。それは本人にとっても予想外だったはずだ。彼はもともと世界トップを目指せる器ではなかった。ライザチェック&ウィアーのような華やかさもないから、人気もない。年齢的にももう若くはない。むしろ崖ッぷちの選手だったのだ。だから、本当は跳べる4回転を捨てて他のジャンプをきれいにまとめ、せめて全米で3位以内に入ろうとしたのだ。そしたら、なんとグランプリ・ファイナルでも全米でも優勝してしまった。ライザチェック&ウィアーは逆に世界トップを狙う選手だった。彼らは、プログラムの密度を上げる、4回転の精度を上げる、という高い目標をかかげてシーズンインした。ところが、試合をやってみると、ロングエッジで減点されるわ、思いもかけないところでダウングレードされるわ。演技・構成点はまったく思惑だけで出てるような「テキトー点」になりさがり、試合によって派手に上がったり下がったりする。カナダ大会なんて、無理アゲされたチャン選手自身が恐縮するありさま。この異常な採点が選手にかけた精神的負担は非常に大きい。シーズンが進むにしたがって、どの選手もミスが増え、精彩を欠いた演技が多くなった。ウィアー選手同様、浅田選手も当然、疲労していることは間違いない。韓国の国内大会さえパスしてるキム選手とは大違いだ(これはいくらなんでも問題だろう)。年末のハードな全日本のあと、ショーやらイベント試合やら、CM撮影やら、まったく落ち着いてルール対策できる時間はない。四大陸はロシェット選手のホーム、キム選手の準ホームだし、浅田選手を大きな大会で連勝させてあげたいと思うジャッジはまずいない。つまりは、その程度のイベントだということ。ファンの皆さんも、あまり熱くならないで見ましょう。浅田選手に怪我のないことを祈っています。
2009.02.05
浅田真央という稀有の才能を得て、空前の沸騰を見せている日本でのフィギュア人気。メディアもさかんに浅田選手の試合直前の様子を伝え始めた。個人的には浅田選手は四大陸選手権は休んで、世界選手権に向けて調整すべきだと思っていたが、もちろんそんなことは許されない。バンクーバーの前哨戦などと銘打っていたが、フタをあけてみれば、リンクが五輪用に改装されておらず、横長楕円形のまま。慣れない選手にとっては非常にジャンプのタイミングがとりにくいサイズ。これじゃ、五輪リンクのテストの意味なんて、皆無。浅田選手にとっては、ただバンクーバーで滑る――ということ以外には、あまり意義が見出せない大会になった。もともと四大陸なんて、歴史もないし、格式もたいしたことはないのだ。それはグランプリ・ファイナルも同様なのだが、にわかファンを煽って儲けたいメディアは、さかんに「大一番」を強調している。そう思って燃えているのは、日本と韓国の女子フィギュア・ファンだけ。あとは地元のカナダではちょっとぐらいは注目されているだろうが、それ以外の国は、アメリカも含めてたいした関心はないだろうと思う。フィギュアスケートにとって最も格式の高い大一番は、今も昔も世界選手権。四大陸を取ったからといって、「世界チャンピオン」のタイトルが取れなければ、ほとんど何の意味もない。高橋大輔選手は昨季、四大陸で4回転2度を含む史上最高の演技を披露し、世界を震撼させたが、結局、世界選手権ではジャンプミスを繰り返した。四大陸でよかったからといって、世界選手権でもいいとは限らない。逆もまたしかりだ。昨季、ジュベール選手はシーズンをとおして怪我や病気に悩まされ、さっぱり調子が上がらなかったが、世界選手権ではあわや金かという銀メダルを手にした。逆に昨季、ランビエールを抑えて欧州王者になったベルネルはその後、ことごとくジャンプで自爆して、今季は欧州選手権でもショートのよい出来をフリーで台無しにした。回転不足判定での理不尽ともいえる減点のある採点システム、つまり一発勝負のジャンプの出来に勝敗が大きく左右される現在のフィギュアの試合では、勝者を予想するのはほとんど不可能になった。浅田選手が出てくる前は見向きもしなかった四大陸を、「大一番」などとさかんに盛り上げている日本のメディアの軽薄ぶりにはウンザリだし、浅田選手自身にとってもたいした意味のない大会だが、男子の織田選手にとっては、この大会でよい演技を披露できるかどうかが非常に大きな意味をもっている。すでにグランプリ・ファイナルに出た小塚選手と違い、織田選手にとっては、復帰後それなりのタイトルがかかった初めての試合。ふつ~に考えれば、「到底負けるハズない」グランプリ・ファイナル覇者&全米王者のアボット以上の点が織田選手に出せるのかどうか、Mizumizuはそれが今大会の一番の注目点だと思う。ふつ~に考えれば、負けるはずのない相手に負けてしまうのが今季の採点システムだ。ランビエールは選手時代の末期、もっと言えば引退直前に、さかんに採点手法を皮肉り、批判を繰り返した。ジュベールも同じ。今年はそうした批判を受けてマトモに戻るかと思いきや、流れは完全に逆。「もう、やってられね~よ」という気持ちがトップのベテラン選手の間にはびこっている。見てるほうも同じだ。ハッキリ言って、ここまで「数の多い勢力」「政治力の強い存在」の意図丸出しの真っ黒の採点システムは、フィギュア史上初めて。プレ五輪になってここまで露骨になったのは、偶然とは到底思えない。そんな中で選手は本当によくやっている。特に日本選手の健気さには涙が出そう。今季の全米の前に、「プレ五輪になると、なぜか全米選手権ではアジア系が落とされることが多い」と書いたら、まさにそのとおりになった。これは、クリスティ・ヤマグチ選手が台頭してきたころからのアメリカでの奇妙な伝統なのだ。不完全とはいえ、ジャンプで浅田選手やキム選手に対抗できる潜在能力のあった長洲選手は、ジャンジャン回転不足を取られて今季絶不調。ダブルアクセルまで回転不足を取られた(つまりシングルアクセルの失敗にされたということだ)。結果、昨季の全米女王は台にものれなかった。ヤマグチ選手(対ハーディング選手)、クワン選手(対リピンスキー選手)が台頭し始めたときもそうだった。そして、五輪直前になると、もともと実力のあるアジア系の選手が逆境をはねのけてくる。クワン選手が「そうした目」に遭わなくなったのは、大きな国際大会で連勝を続け、アメリカでの人気が揺るがなくなってからだ。強くなり始めたころのクワン選手は、家族のお守りであるペンダントヘッドまで、「あんな安っぽいものをつけて」と嘲笑された(それでも、彼女はおばあさんからもらったというお守りペンダントを決してはずさなかった)。実況というのは日本でもかなりお調子がいいが、今回の全米の実況も、優勝したシズニー選手を、「美しさの勝利です」などと讃え、ダウングレード判定が具体的にどれほど致命的な減点になるのか、それによってアメリカの若手選手がどれほど萎縮してしまったのかまでは説明しない。たしかにシズニー選手は惚れ惚れするほど美しいスケーター。だが、「美しいから勝った」などと実況でいうのは、聞きようによっては他の選手に対して失礼だし、フィギュア競技の採点に対する偏見をまた助長させる。もともと3回転ジャンプがやや足りなくなりやすい女子の場合は、フィギュアはもはやダウングレードの数を競う競技になったといっても過言ではない有様。美しいとか表現力があるとか言うまえに、「回転不足を取られないこと」これが至上命題なのだ。それが一番点に影響するからだ。本当に、バカバカしい。この採点の異常性を覆い隠そうとでもするかのように、「XXは表現力が優れているから勝った」などと、印象論にすぎない論評が幅をきかせている。さすがに元選手の伊藤みどりやアメリカのハミルトンなどは、「採点が基本に忠実な技を評価するようになっているから」とか、「本当に完璧なジャンプだけを認定するようになっているから」と言っているが、実のところ、こうした「解説」は間違ってはいないが、現行の採点システムの説明としては正確ではない。「基本に忠実であることを評価すること」「確実なジャンプを認定すること」自体は異常でもなんでもない。その方針は大いに結構だ。だが、スローで見なければわからないような回転不足を、あからさまな(回りきっての)転倒やお手つきやオーバーターンより低く採点することと、基本に忠実であることを評価することは同じではないはずだ。ダブルアクセルが加点されると、それより遥かに難しい3回転ジャンプ以上の点が出てしまうのだって、「正確な技を評価する」ことと同じではないはずだ。質の高いジャンプは評価はすべきだが、今の主観による大盤振る舞いの加点や難しいジャンプに対する容赦のない減点は、客観的な点数設定である基礎点をないがしろにするものだ。つまり、どう考えたって、実力に劣る選手を勝たせるために、手を加えて徐々に作り上げた真っ黒なルールなのだ。<続く>
2009.02.04
昨今の変動が激しいユーロの為替相場。出発前夜には117円と言っていたのが、出発の朝、成田へ向かう車中のラジオでは115円台だと言っていた。ユーロの場合はヨーロッパについてから両替するより、成田で替えていったほうがおトク…空港には、銀行や両替所は複数あり、銀行は「どこも横一列」「地方銀行のほうがレートがよい」などいろいろな情報が飛び交っている。ココ↓http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1926991.html経験から言うと、場所はちょっと悪いが、三菱東京UFJ銀行が一番レートがよかったと思う。ところが今回は、9時半出発の便。空港の三菱東京は9時からオープンなので、レートを確認できなかった。時間があったので、開いている銀行や両替所をチェックする。レートはちょっとずつ違う。両替所はレート悪し。開いてる銀行では三井住友が120円台、京葉銀行が119円台(いずれも現金)。フムフム、三菱東京が開いてないから、京葉銀行で替えて行こうっと。…と思い、時間があったので送ってくれた連れ合いとコーヒーなど飲んでいるうちに、なんと!両替のことをスッカリ忘れて、出国審査のゲートに並んでしまった。実は以前のヨーロッパ旅行で替えたユーロを少しだけ持っている。それもあって油断したよう。どうしよう?昨夜から今朝にかけて、ずいぶん円高になったようだし、そのレートは朝早い日本の銀行の為替レートには反映されていないよう。ということは、今回はパリで替えたほうが有利だったりして?ちょっと迷ったが、出国審査を終えたあとにも、みずほ銀行があるという。パリのドゴール空港についてから両替するのも面倒だし、みずほ銀行なら、三井住友と同レベルかな、と甘い期待をもって窓口へ。で、レートを見たら…1ユーロ=121.53円!がーん!なんと外の両替所より悪いじゃないの。しかし、もう時間もないし、考えてる暇もない。3万ぐらいでいいような気もしたが、タクシーなど使う場合のことを考えて、5万両替した。(2月末の追記:ちなみにカードレートは、2/2の116.934円が一番安く、一番高いのが2/1の117.756円だった。キャッシングではなく、カードで買い物したもののレート)。ところが…パリに着いてみたら、現金なんてほとんど使わなくてオッケー。空港から市内に行くバスも、地下鉄も、美術館もどこでもカードが使える。カードのほうがレートが断然いいので、現金は大量に余りそう(次回の旅行用ですね)。(しかし、地下鉄で「カルネ」、つまり10枚の地下鉄切符を買うときは困ったw。やりかたがわからず、窓口のおばちゃんを引っ張り出して、教えてもらうMizumizu。一回やればだいたいわかるのだが、結構難しかったww。次回来たときは、また忘れてそうだなぁ)。パリのタクシーは日本より安く感じた。スタートが2ユーロ台かな。あっとい間に上がるが、ごく近場で5ユーロ。朝早く(午前5時前)にホテルまで呼んで乗ったときは、3.6ユーロスタートで、地下鉄2駅分乗って7ユーロだった。ドゴール空港についていつ来ても違う空港に来たような印象のあるドゴール空港。今回は、荷物を受け取る場所までずいぶん歩いた。トレインに乗って、降りて、さらに延々と歩く。途中で不安になってしまった、本当にこっちでいいの?飛行機に日本人はたくさん乗っていたのだが、案外乗り継ぎで別の国へ行く人が多かったようで、トランジットコースに行ってしまい、バゲッジグレーム・エリアでは、日本人が一人もいなくなるというミステリアスな展開に。凱旋門行きのエアーフランス・バス(air france carという表示が空港に出ている)の停留所では、単独旅行の日本人女性を3人ばかり見かけた。凱旋門までバスで行けば、すぐそばにタクシー乗り場があるので、空港から直接タクシーで来るより、便利で安い。Mizumizuも凱旋門で降りて、ホテルまでは地下鉄1駅分の距離だったが、タクシーを利用した。凱旋門の地下鉄は案外歩くので、大きな荷物をもって乗るのは結構大変。それにヨーロッパの石畳の道は、コロをころがすのもスムーズにいかない。最初のタクシードライバーはフランス人で、「ランカスター・ホテル」と言ったら、「知らない」とそっぽを向いた。近すぎたので乗車拒否かも。次のドライバーはアジア系で、地図を見せたらすぐにわかってくれて、連れて行ってくれた。荷物の積み下ろしもやってくれた。チップ込みで5ユーロ。カンボジアから来たと言っていた。同じアジア出身でも、日本人はお客、カンボジア人は出稼ぎ。今の時代に日本人に生まれたというのは、それだけでかなりラッキーなのだ。凱旋門ではなくオペラ座に着いたほうが便利なら、空港からロワシー・バスが出ている。ロワシー・バスもエールフランス・バスも朝7時から夜11時まで頻繁にあるので便利。Mizumizuは、いつもパリ市内へはバスで行っている。凱旋門行きのエアーフランス・バスの料金は片道15ユーロ。往復で24ユーロ。往復切符の有効期限は1年なので、往復で買ったほうがおトク。切符はバスの中でも買える(バスの中で買うときは、カードはダメかも? 未確認だが)。追記:パリの空港で見たところ、中値が113円ぐらいのユーロ相場なのに、現金の両替は1ユーロ=127円でした。やはり日本で替えていったほうがよいようです。追追記:読者の方から、以下のような情報をいただきました。空港からドアツードアの送迎をしてもらいたい場合に、タクシーより安い方法:http://www.voyages-alacarte.fr/jp/content/view/115/103/また、日本の空港での換金に比べてよいかどうかは未確認ですが、現地でなら、銀行での現金両替ではなく、普通にクレジットカードでキャッシングする方がたいていお得になるそうです。確かにユーロになってから、ヨーロッパの銀行での現金の両替は非常にこちらにとって不利になったとMizumizuも感じています。どこの現金引き落とし機でもまず使えますし、空港にもあります。そして帰ったらすぐにキャッシングのお金を返すのがポイントだそうです。日本の空港での換金とキャッシングを比較したことはないので、どちらがいいかわからないそうですが、Mizumizuのカンでは、ユーロに関しては大差ないか、もしかしたらキャッシングのがいいかもしれないな、と。以上、ご参考まで。
2009.02.03
現在、月曜日パリ時間朝9時40分(日本時間17時40分)。きのうまでは晴れていたのですが、朝起きて窓の外を見たら、雪!隣の音がよく聞こえたのは、やはりうるさい一団がいたせいらしく、昨夜は静か。きのう忙しくて今朝は寝坊。遅い朝食となりました。朝はこんな感じにコールドブッフェがつきます。ジャムは三つ星レストラン、トロワグロの自家製。あっさりしていて、酸味が上品、とても美味しい。しかし、こんなにたっぷり出して、余ったジャムはどうするんだろう? 使いまわし?(笑) などと庶民的なことが気になるMizumizu。冬のシーズンオフは朝食が部屋代に含まれるランカスター。料金も若干安くなります(つったって、高いけど)。珍しく朝から卵料理をオーダー。スクランブルエッグにベーコン。ベーコンはカリカリ。サロンから見た雪模様。中庭は「禅」風のしつらいだとか。そうかなあぁ… ???忙しいので、詳しいパリ滞在記は、また帰国後となりそう。明日夜帰国です。
2009.02.02
無事ホテルについて、なんとかネットも自分のパソから接続できました。部屋に案内してくれたのが、なんとまたも…オネエな男性!どうして最近の高級ホテルには多いのだ、このテの人材。確かにあたりはとてもソフトで、ぺらぺらとよくしゃべる。最初、彼がパソの接続を手伝ってくれようとしたんだけど…ダメでしょ、キミ、オネエだし。と思ったら案の定ダメ。自分で四苦八苦し、そのあとポーターの真性wwの男性が来てくれてつなぐことができました。今回は頼りの連れ合いがいないので、荷物も自分で運び、電子機器も自分でつなぐという、難関につぐ難関…ホテルはシャンゼリゼのLancaster。部屋はパリのど真ん中なので狭いですが、とても感じがよいです。部屋に用意されていた小菓子のうまいこと!おどいたね、いやはや。では、これから外出します。…と書いたあと外出し、一眠りしました。このホテル、場所は最高です。シャンゼリゼから1本入った細い道にあり、地下鉄ジョルジュ・サンクにも至近。アールヌーボー調の装飾のあるエントランスを出て、ちょっとだけ歩くと視界がぱあぁと開け、すっかり葉を落とした街路樹の並ぶシャンゼリゼ大通に出る。やや坂になった右手には凱旋門。ランカスター・ホテルは古いホテルで、マレーネ・ディートリッヒが一時住んでいたことでも有名。エレベータはその当時と変らない(ってことはないでしょうが)小さなサイズで、何度も塗り直した感がありますね。動きもクラシカル(苦笑)で、やや怖い…廊下もあくまでアンティークな雰囲気。内装もいかにも古きよきパリ。シャンデリアはベネチアスタイル。右手に見える鏡はクローゼットなのですが…デカイのなんの。50着は入るぞ。人間も5人は入る。明らかに間男を隠すためのものですね、これは(そうか?)。間男クローゼットには、ちょっぴりつるしたMizumizu服。バスルームには当然、大理石のダブルボウル。アメニティグッズも充実。洗顔ソープはとても質高し。その他のリキッド類もおフランスらしく、やや香料が強めながら、文句なしの使い心地也。なぜかリップクリームもありました。簡易な櫛と歯ブラシもあり。ポーターもメイドも感じがよく、よく働き、チップ待ちもせずに、あっという間に行ってしまう。ドアマンには、えりすぐりの男前を立たせてるよう。たぶんこのホテル一番かと(中のボーイはそ~でもないし・ワラ)。しかし、このホテルの部屋、ちょっとうるさい!?窓は2重ですが、クルマの多い通りなので、真夜中でもエンジン音がなんとなく聞こえるし、別の部屋の話し声が案外聞こえる! たまたまうるさい宿泊客だったのか?? 一番奥の部屋で隣とバスルームが隣接しているらしく、水の音も微妙に聞こえたような。これはマイナスですねぇ。部屋のネット環境はよし。無線LANがさくさく動きます。バンコクのオリエンタルホテルでは、部屋数が多いせいか、無線だと途中で切れてやりにくく、有線にしましたが、それでも遅かった。ここは部屋数も少ないせいか、無線でストレスを感じないスピードでコンピュータを使えます。写真の取り込みもスムーズ。エキストラ料金もなし。しかし机は小さいし、なんつっても灯りが暗すぎる。書き物仕事は相当に困難かと。しかし、電源を落として立ち上げたあと、必ずまたログインを求められ、ユーザー名とパスワードを入れなくてはならないのは… 何かやりかたを間違えているのだろうか??
2009.02.01
イタリア旅行ネタの途中ですが、本日より数日間パリに行くことになりました。パソコンはもっていくので、現地で更新できたらします。お楽しみに!↑と、書いたのが自宅。今はもう成田のカード会社ラウンジです。第一ターミナルのTEIというカード会社専用のラウンジですが。ここはよくないですねぇ。テレビは画面だけで「音声はご利用いただけません」と書いてあるし、(テレビから音でなかったら、つけておく意味ないんじゃないの?)ビバレッジマシンも安っぽいし、コーヒーはプラスティックカップで飲まないといけないし。これなら、羽田空港のほうがマシですね。それとも第一ターミナルだけの話なのか?よくわかりませんが、もうじき出発です。パリってストはどうなってるんだろう?
2009.01.31
モザイクの宝庫、シチリア。ピアッツァ・アルメリーナで発掘されたローマ時代のヴィッラの床モザイクは、当時の風俗や貴族の生活をテーマとしたものだったが、パレルモにあるノルマン王宮に施されたモザイクは、豪華絢爛でエキゾチックなアラブ様式が訪れる人を圧倒する。「ルッジェーロの間」のモザイク。まばゆい黄金を基調として、流麗なアラブ風の装飾模様が壁と天井を覆いつくしている。上段は狩りの風景。下段には植物と猛獣。奥には鳥。どのモチーフも様式化され、左右対称に描かれている。モザイクで表現されたこの世界は、一種の楽園のデザインなのだ。現実をより写実的に描出することに向ったキリスト教徒的な美意識とは対極にある。これぞまさしく、アラブの美。この極めてアラビックな居室の主はノルマン王朝初代シチリア王、ルッジェーロ2世。シチリアという南の島でなぜ「ノルマン人」の王朝が成立したのか、そして初代の王がなぜ「2世」なのか、その物語は、北フランス・ノルマンディー地方のとある小さな村から始まる。ココ↓オートヴィル・ラ・ギシャール――11世紀、ここはノルマンディ公国の一部で、ノルマンディ公に仕える小領主のオートヴィル家の土地だった。オートヴィル家を含めたノルマン人のルーツは北欧にある。北欧、すなわちスカンジナビア半島やユトランド半島出身のバイキングたちが、8世紀末から海賊として、ヨーロッパの沿岸地域を荒らしまわった。その一部がフランス北部に定住し、ノルマンディ公国を作り上げたのだ。11世紀のノルマンディ公国では、人口が急増し、領主の息子といえど土地を相続できない者があふれていた。そんな彼らが向ったのが、イスラム教徒の攻撃を頻繁に受けていた南イタリア。当時の南イタリアには傭兵の需要があった。中には功を立てて出世し、かの地で新しい領主となる同郷人も現れた。そんな風の便りを聞いて、オートヴィル家の兄弟3人がまずは南イタリアに向う。3人の兄弟のうち、長男のギョーム(イタリア語:グリエルモ、ドイツ語:ヴィルヘルム。以後、グリエルモとする)は、勇猛果敢な騎士としてすぐに頭角をあらわす。南イタリアのノルマン人の傭兵隊のリーダーとして活躍し、鉄腕アトム… じゃねぇ、鉄腕グリエルモと呼ばれた。グリエルモは出世を重ね、ついに南イタリアのプーリア地方を治める領主アプーリア公となる。グリエルモの死後は弟が領地を引き継ぐ。オートヴィル家には12人(!)の息子たちがいた。グリエルモから見ると腹違いの弟にあたるロベール(イタリア語:ロベルト、以後ロベルトとする)も兄に続いた。ロベルトは権謀術数に長けた政治家でもあり、優れた軍人でもあった。彼には「狡猾な」を意味する「ギスカルド」というあだ名がつく。そのロベルト・ギスカルドは、長兄の鉄腕グリエルモの築いたプーリアを拠点に、次第に南イタリア全域に勢力を拡大し、3人の兄に続く4番目のアプーリア公となる。ロベルト・ギスカルドと合流して、シチリア征服に乗り出したのが、オートヴィル家の末弟ロジェ(イタリア語:ルッジェーロ、以後ルッジェーロとする)だった。ルッジェーロが故郷のノルマンディを出たのが26歳。長身でイケメンで弁舌さわやかで冷静で温和な青年だったという(たぶん、NHKの大河ドラマ級にそ~と~美化されてるね)。ルッジェーロはシチリア島全域を勢力下におき、シチリア伯となる。名目上は兄ロベルト・ギスカルド(アプーリア公)の家臣だったが、兄の死後は完全に独立し、アプーリア公をはるかにしのぐ南イタリアの強大な君主となっていく。そして、その息子ルッジェーロ2世が初代シチリア王(領地にはナポリ以南の南イタリアも含まれる)として戴冠、ノルマン人による王朝が成立するのだ。日本人に置き換えれば、山田長政が2代がかりでタイに王朝を作ってしまったようなもの。想像を絶するスケールの立身出世物語だ。http://www.medianetjapan.com/10/government/yaschan/sicilia/sicilia_001.htm↑この家系図を見るとわかりやすい。左上の初代シチリア王ルッジェーロ2世が、26歳でノルマンディを出たオートヴィル家の末息子ルッジェーロの息子。初代シチリア王ルッジェーロ2世の死後、ノルマン・シチリア王国はその息子グリエルモ1世、グリエルモ2世、ついで傍系のタンクレディを経てルッジェーロ3世、グリエルモ3世に引き継がれる。この間、王国を陰から支えたのは、イスラム教徒を中心とする有能な官僚組織だった。ノルマン王家は、彼らが北フランスからやってくる前から南イタリアに定住していたアラブ人のもつ知識や技術を利用して、王国の繁栄を築いた。当時、農業技術・自然科学・医学といった分野では、キリスト教圏よりもイスラム教圏のほうが進んでいたのだ。キリスト教徒であるノルマン人の王宮に異教徒的な美意識があふれているのには、こうした背景がある。さて、ノルマン系によるシチリア支配はグリエルモ3世で終わり、その後のシチリア王国は、ドイツ系であるホーエンシュタウフェン家の神聖ローマ皇帝の支配に取ってかわられる。…というのは、男系から見た話であって、実際には、グリエルモ3世のあとにシチリア王となったハインリッヒ6世は、初代シチリア王・ルッジェーロ2世の娘を妻としていた。その跡を引き継いだ息子フェデリコ2世(ドイツ語:フリードリッヒ2世、神聖ローマ皇帝としては「2世」だが、シチリア王としては「フェデリコ1世」)はだから、神聖ローマ帝国皇帝の息子であり、かつノルマン王朝初代シチリア王の孫なのだ。ノルマン王家の血は娘を経由して、神聖ローマ帝国皇帝と融合し、2つの類いまれな血統を引き継ぐフェデリコ2世(1194-1250)が生まれた。そして、フェデリコ2世(シチリア王としてはフェデリコ1世)は、その血筋にたがわぬ異彩を放つ君主としてヨーロッパ中にその名をとどろかす。9ヵ国語を操り、キリスト教的な迷信にとらわれずに先進の科学を学び、合理性と異文化への深い理解を兼ね備えていた王は、交渉によって聖地エルサレムを回復するなど、「世界の驚異」と畏怖された。もともとイタリア生まれ、パレルモ育ちのフェデリコ2世は、神聖ローマ皇帝でありながら、生涯のほとんどを南イタリアで過ごした。彼のもとでシチリア王国の首都、異文化融合の地パレルモは、地中海世界の中心となり、当時のヨーロッパでも屈指の繁栄を誇った。だが、その繁栄もフェデリコ2世治世の後半、イスラム教徒を一転して迫害しはじめたことから陰りを見せ始める。そして、強烈なパーソナリティでシチリア王国を率いたフェデリコ2世がこの世を去ると、異文化共存の時代ははかない夢と消え、南イタリアは再び、さまざまな勢力の思惑に左右される不安定で後進的なヨーロッパ辺境の土地へ押しやられることになるのだ。<シチリアねたは4/22のエントリーに飛んで、続く>
2009.01.30
見所の多いシチリアの州都パレルモだが、まず足を運んだのは、パレルモ州立美術館だった。美術館へ行く途中、多少スラム化したような路地を通った。貧しい身なりの痩せた子供たちが駆け抜けていく。一瞬緊張してバッグを身体に引き寄せる。ナポリもそうだが、南イタリアでは観光客の歩くエリアと犯罪の多発するスラムとが隣接している場合がある。個人旅行者がうっかり治安の悪い地域に足を踏み入れてしまうと、身ぐるみはがされることもある。ナポリやパレルモのような街では、危ない場所をホテルの人にあらかじめ聞いておくのがいい。暗い路地を抜けて、美術館に着いたときはちょっとホッとなった。パレルモ州立美術館で最も見たかった画、それは中世末期15世紀に描かれた、作者不詳の壁画『死の勝利』。ヨーロッパの中世末期には、戦乱や黒死病の広がりによる社会不安を背景として、『死の舞踏』『死の勝利』といった主題の画が多く描かれた。パレルモの『死の勝利』は、あばら骨がむき出しになった馬に骸骨が騎士のようにまたがり、人々を蹂躙していく。この画が名高いのは、もう1つ理由があって、16世紀北方ルネッサンスの巨人、ピーター・ブリューゲルがこのモチーフをみずからの作品に取り入れているからだ。こちらが16世紀半ばに描かれたピーター・ブリューゲルの『死の勝利』。プラド美術館(マドリッド)所蔵。画面中央に、やはり痩せ馬にまたがった骸骨が大きな鎌を振るっている。刃の部分が異様に大きい恐ろしげな道具だ。ブリューゲルはこの画に取り組む前に、イタリアに旅行をしている。ブリューゲルの暮らしたフランドル地方とはまったく違うイタリアの風土や風景に触れ、中世からルネサンスに至る絢爛たる芸術作品に触れたブリューゲルは、故郷に帰ってから、「イタリアで吸い込んだものをすべて吐き出した」と言われ、北イタリアの険しい山を彷彿させるような風景を描いたり、イタリアで見た優れた先達の作品モチーフや絵画手法を取り入れたりしている。痩せ馬にまたがった「死」が、パレルモの『死の勝利』に想を得たのは確かだが、この2つの死の象徴は、描き方がずいぶんと異なっている。パレルモの骸骨は、馬にまたがった騎士の肉体が朽ちたあとのようで、ポーズもかなり人間くさい。馬も現実の馬の躯体を留めており、やや解剖学的だ。現実に腐った馬の死骸を見て描いたのかもしれない。一方、ブリューゲルの描く骸骨は、より細い骨だけの姿になり、馬にまたがったまま両手で鎌を横に握りしめ、振り回している。こんなふうに馬上でこれほど大きな鎌を振り回すなど、生身の人間には不可能だ。馬も木馬のように硬いラインとなり、生気がない。ブリューゲルの描く「馬にまたがった死」は、より観念的で、しかも幻想的なのだ。これはちょうど現在の映画の特殊撮影の進歩に似てはいまいか。パレルモの「死の化身」は生身の人間の姿からそれほど離れていない。ブリューゲルの「死の化身」は、生身の人間からは完全に離れた、細く直線的な骨だけの姿になり、自分の体に対して大きすぎる鎌を簡単に振り回している。重さなど感じないかのように。骸骨に表情はないはずなのに、なにか殺戮を無機的に楽しんでいるようにすら見えるのだ。人間は死ぬと腐る。腐り果てると骨だけになる。骸骨だけならそれは、「死んだ人間の最終的な形」にすぎない。だが、筋肉を失ったただの無力な骨の連結物が、痩せ馬にまたがって現れ、巨大な鎌を馬上で振り回すとき、人間の末路の形は超絶的かつ絶対的な恐怖の存在、すなわち死の化身として再生し、人々の上に君臨するのだ。ブリューゲルの描いた壮大な『死の勝利』自体、今のパニックものの映画のセットのようだ。ブリューゲルは、『イカロスの墜落』『バベルの塔』などの名作で知られるが、『イカロスの墜落』では、海に堕ちるイカロスの悲劇を壮大な風景画の中にあえて非常に小さく描いて、日常を続ける周囲の人々の無関心を強調したり、『バベルの塔』では巨大な建築物が作る途中で崩れ始めているにもかかわらず、さらに上へ上へと作業を続ける人間の愚かな業にさりげなく着目したりと、非常に現代的な批判精神性をもった画家だった。ヨーロッパの北、フランドルからやってきた画家がヨーロッパの南、シチリアで見た先達の作品に強い印象を受け、帰国後にその影響がはっきり見て取れるモチーフを作品に取り入れた。こうやってある表現者の精神は時代と空間を超えて、同じ感性をもつ人に影響を与え、再び生命をもつことになる。ブリューゲルがパレルモの先達の作品にそっくりな痩せ馬にまたがった骸骨を、自身のスペクタクルな作品『死の勝利』の中央に描かなければ、パレルモの作者不詳の『死の勝利』も、これほど人々に注目されることはなかったかもしれない。
2009.01.28
部屋のヒドさを思うと、とても美味しいものを出すとは思えず、ちょっと町をぶらついてみたのだが、歩いてるだけで気がめいりそうなくらいドヨヨ~ンとした町。ギリシア遺跡アリーノ、ローマ遺跡アリーノ、バロックの小道アリーノ、ヨーロッパ屈指の考古学博物館アリーノの重層的文化都市シラクーサから来ると、ほとんど何の刺激も感じられない。仕方なくホテルに戻って、スパゲッティを食べた。このホテル、フロントやレストランといった共同スペースはわりかしきれいにしている。スパゲッティも味はふつうだった。もちろん代金は部屋付けにしてもらう。部屋に戻ってシャワーを浴びようとして、またこの町の貧しさを実感することに。ノズルなんてない、かぶるだけのドロップ式シャワーなのだが、お湯がとってもぬるい。そしてものすごく水量が弱い。水がじゃんじゃん出る、なんてのは日本では当たり前だが、ヨーロッパの安宿では、決して当たり前ではない。水の乏しい地域のホテルでトイレやシャワーを使うと、日本ってなんて水の豊かなありがたい国なんだろうかとわかる。あ~、なんて最悪のホテル。町も死んでるし。ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレという世界的に有名な観光名所がありながら、まったくそれを町おこしに活用できていないのだ。みんな観光バスでヴィッラだけ見て行ってしまう。町はつまらないから、誰も寄らない。誰も寄らないからますますさびれる。典型的な悪循環。ホテルも、これで安いならともかく、シラクーサより高いときてる。ここも長くないかもな。町のバス停におりて最初に見た、朽ちかけたホテルの看板を思い出した。1晩だけだと言い聞かせて、じっと我慢の夜が明けた。ピアッツァ・アルメリーナから次の目的地パレルモまでのバスの便は、7:05→9:407:40→9:458:40→10:4513:25→15:5017:25→19:15の1日5便。所要時間の短い7:40のバスで行くことにして、朝早くチェックアウトした。早く出ることは前の晩に言っておいたのだが、翌朝フロントに行くと、昨晩「ここで食え」と言った兄ちゃん、しごく不機嫌で、なんとパジャマのまま(!)出てきた。顔も洗っていないらしく、目ヤニがついている。オイオイ。迷惑そうに、チェックアウトの手続きをする兄ちゃん。そんなに仕事が嫌ですか?バス停が少し遠いから、ポーターがいたら、荷物を運ぶのを手伝ってもらえないか聞いてみたら、にべもなく、「ノー! 誰もいないから手伝えない」むしろ憎々しげに答えるではないか。な、なんなんだ、この態度は。断わるにしても、言い方ってもんがあるだろう。道行く一般人でも、階段の上り下りのときなど、頼まなくても手を貸してくれるのがイタリア男なのに。すっかり気分を害して、請求書を見ると…アレッ!きのうの夕食の代金が入ってない。まだ回ってきてないのか、レストランの担当者が忘れたのか、はたまたこのフロントの兄ちゃんがうっかりしてるのか…もちろん、こんな可愛げのない兄ちゃんに、わざわざ間違いを指摘してあげる気にはならない。部屋代だけの請求書にサインし、荷物を引きずりながらフロントから出ようとしたら、ゆうべレストランでサーブしてくれたウエイターが(正面玄関から入って!)出勤してきた。こいつも、こっちに気づいているはずなのに、目をそらして、なぜか挨拶もしない。イタリア人にはめずらしい閉鎖的な性格だわ。こちらも知らんふりして出て行った。たとえ今からレストランの伝票まわしても、お客は去ったあと。これって、またも…天罰ですね。坂になった道を5分ほど歩いてバス停に。今度のパレルモ行きのプルマン(長距離バス)は、ちゃんと来た。後日、日本で、ヴィッラ・ロマーナで最終バスが来なかった話をイタリア通の友人にしたところ…「最終バスって来ないって聞いたことあるよ」最終バスは来ない?じゃ、なんで時刻表に書いてあるわけよ?そういえば、バーリの友人イタラは、街なかのポストに郵便物を出さない。「街なかのポストは集めに来ないから」と言って、駅や郵便局のポストにわざわざ入れていた。街なかのポストは集めに来ない?じゃ、なんで街角にポストがあるわけよ?もちろん、「未来永劫決して集めに来ない」わけではなく、「なかなか集めに来ない」「いつ集めに来るかわらかない」ぐらいの意味だとは思うけれど。まったく信じられないイタリアの公共サービス。それでもなんとかなってしまうのが、またイタリアなんだけど。ちなみにカード会社からのホテル代の請求には、やはり夕食代は含まれていなかったし、別に請求されることもなかった。カード決済にしたのでレートはよくなって、15万リラ=8,584円だった。アメリカのホテルなんて、すでに払ったミニバーの料金を別に再度請求してきたり(ニューヨークのルネッサンスホテル)、実際に泊まった日のきっかり1ヶ月後に、アメリカになんて行ってもいない、したがって泊まってもいないのに、また同じ金額を請求してきたり(ラスベガスのフラミンゴ・ヒルトン)したことがあるというのに。もちろんカード会社を通じて、間違いだと指摘し、取り消させたことは言うまでもない。
2009.01.27
レンタカー以外で、個人で一番安くヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレに行く方法は、ピアッツァ・アルメリーナに宿を取り、そこから公共バスで往復することだ。タクシーをチャーターするのは、3つ星クラスの中級ホテル1泊代よりずっと高くなる。逆に公共バスは日本に比べるとはるかに安い。シラクーサ7:00→ピアッツァ・アルメリーナ10:30のバス代が1人14,000リラ(840円)。3時間半乗ることを考えれば、格安だといえるだろう。アルメリーナから5キロ郊外のヴィッラまでは、バス代1,200リラ(70円)。効率よく回りたい日本人は、シラクーサ(あるいはタオルミーナ)からアグリジェント(あるいはパレルモ)に抜ける途中にピアッツァ・アルメリーナがあるから、ピアッツァ・アルメリーナで泊まらずにちょっと寄って、ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレだけ見に行きたい、と考える。だが、この方法は、21世紀とは思えない非効率的世界であるシチリア中部では思いとどまったほうがいい。ピアッツァ・アルメリーナに公共交通機関で着いても、荷物を預ける場所がない。おまけにアルメリーナからヴィッラまでのバスの便は非常に悪く、1~2時間に1本しかない。荷物をかかえてタクシーをチャーターしたとしても、ヴィッラを見学しているときに荷物をどこに置くかという問題が出てくる。だから、公共バスで行くつもりなら、ピアッツァ・アルメリーナに1泊して余裕をみたほうがいいのだ。だが!ピアッツァ・アルメリーナにはロクなホテルがない!これは本当です。なので、やはり一番いいのは、アグリジェントかカルタジローネを拠点にホテルを取り、大きな荷物はそこに置き、朝早く身軽にバスで来て、多少割高でもタクシーをチャーターする方法だろうと思う。では、ピアッツァ・アルメリーナに1泊して公共バスでヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレに出かけたMizumizuがどんな悲惨な目に遭ったか、つまびらかにしよう。ピアッツァ・アルメリーナのホテルは予約せずに来た。バス停で降りてから、近くのホテルに飛び込めばいいと思ったからだ。朝10時半すぎ。バスを降りると、1~2ブロック先にホテルの看板とおぼしきものが見えた。だが、どうも看板は崩れかけている(苦笑)。遠目にも、やっていなさそうなのがわかる。ちょうどそばで、おっちゃん2人が立ち話をしていた。ソフトケースの荷物を引きずりながら、おっちゃんの1人に、「あそこのホテルはもうやってないの?」と聞いてみた。「あ~、閉まっているよ」答えてくれた50がらみのおっちゃんは、風貌はモロにアラブ人なのだが、目だけはビックリするほど澄んだブルーだった。さすがにシチリア。アラブの血のどこかに、北ヨーロッパのノルマンの血が混ざってる。なんとなく感心しつつも、ホテルを探さないといけない。「この近くにホテルある?」と聞くと、まっすぐのびる道を指して、「ここを5分ぐらい歩いたところにある」とのこと。5分かぁ。ちょっとあるな、と思いつつ、荷物をひきずって歩き出した。すると!なんだか知らないが、このブルーの瞳のアラブ系イタおっちゃん、くっついてくるではないか。「たぶん、わかります」案内してもらうのは悪いから断わったのだが、「どこから来たの?」かなんか言って離れない。「東京から」「あ~、中国ね」ヨーロッパの田舎の一般人の極東に対する認識なんて、こんなものなのだ。「いや、日本」「そうかそうか。日本人はみんなお金持ちなんでしょ」つーか、キミみたいに平日の昼間っからプラプラしてないからね。みんなよく働くし。「でも、南イタリアも以前より裕福になったでしょ。バーリから来たけど、数年でクルマもよくなったし、みんなが着てる服もよくなった気がするけど」「いや、シチリアは貧乏だよ」ど~も嫌な予感がする、この会話。そうこうしてるうちにホテルらしき建物が見えてきた。「あそこがホテルね。わかった。ありがとう」と言ってるのに、まだこのおっちゃんはくっついてくる。とうとうホテルのエントランスをくぐった。宿代を聞くと、ツインで15万リラ(9000円)だと言う。シラクーサよりちょっと高い。でも、他に選択の余地がないので、泊まることにした。おっちゃんはまだぐずぐすしていて、部屋に入ろうとするMizumizuを引き止めて、「オレは家に子供が3人。でも仕事がないんだ」来たッ!「だから、何かもらえるとうれしいんだけど」「何か」というのが、「(おカネを)いくらか」の意味だというのは、モチロン察しがついたが、勝手についてきただけのオヤジにチップを恵んでやる趣味はない。Mizumizu母のソフトケースをあけてもらい、アルベロベッロで現地のイタ男と結婚した日本人妻がいたお土産屋でお義理で買った、おいしくもなさそうなクッキーを取り出した。そして、素知らぬ顔で渡す。「これをあなたのお子さんたちに」ブルーの瞳のアラブ系イタおっちゃんは、ものすごくガッカリした顔で、「ありがとう」と言ってクッキーを受け取って出て行った。さて、ホテルでヴィッラ行きのバスの時刻表をもらった。バスはホテルの前に来るという。おお、それは便利。しかし、便数が少ないなぁ。部屋に荷物をおいて、近くのバールでアランチーノ(ライスコロッケ)でも買い食いするか。しかし、部屋に入って驚いた。恐ろしくボロい。これでシラクーサのホテルより高いのか!? 信じられない。くつろぐ気にもなれず、町へ出てみるが、これまた町がどうにもならないほど、さびれてる。1つ2,500リラ(150円)のアランチーノを売ってるバールを見つけ、オレンジの生ジュース(スプレムータ、こちらは1杯180円)と一緒に食した。バーリでイケメンのアルトゥーロに薦められたアランチーノ。シラクーサの街中でも見つけて食べてみた。店によって美味しかったり、そうでもなかったりするが、基本はチーズ入りライスコロッケ、つまりは典型的B級グルメ。アルメリーナのアランチーノは油っぽくてハズレだった。ちぇっ、食い物までまずいや、この町。いったんホテルの部屋に帰り、恐ろしく便数の少ないバスの来る時間に合わせて、フロントにおりた。すると…!げげっ、またも例の物乞いおっちゃんがいるではないか。しかも、ホテルのバールで何やら飲んでいる。失業中なのに、昼間っからホテルのバールで酒(?)なんか飲むなよ!知らんふりして行こうとしたら、残念ながら見つかってしまい、こっちに近づいてくる。「ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレに行くの?」「そう」仕方なく、バスの時刻表を見せた。「行ったことある?」「あるよ」「よかった?」「モザイクはきれいだよ」「有名だよね。楽しみだな」また家庭内事情に話が及ばないよう、必死で観光名所の話を続けるMizumizu。ようやく向こうから小型のバスがやってきた。あれだな、ヴィッラ行き。ところが…!バスの運ちゃんたら、バス停をほとんど見もせず、つまりは停まろうともせずに行こうとするではないか!慌てて手を振るMizumizu。すると、ブルーの瞳のアラブ系物乞いイタおっちゃんが、ものすごいデカい声を出し、駆け出して運ちゃんに合図してくれた。そこでようやくバスに乗ろうとしてる人間がいることに気づいたらしく、運ちゃんがバスを停めた。やれやれ、乗る人あまりいないのかね、この路線…なんにせよ、ブルーの瞳のアラブ系物乞いイタおっちゃんが、ガタイのよさを生かしてゼスチャーしてくれたから助かった。いいとこあるじゃん。なんとかバスに乗り込み、いざヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレへ。http://jp.youtube.com/watch?v=Bc9t-MhVd30↑まさにこんなふうにヴィッラへ入場。しかし、本当に辺鄙な場所だ。世界的に有名な観光地だと思うのだが、みんなだいたい大型バスで来て、そのままアルメリーナの町へは寄らずに行ってしまうというパターンのよう。ヴィッラの中は人でいっぱいなのだが、周囲には商店街もなにもない。入り口近くにパラソルを立ててお土産を売ってる屋台のような出店があるだけ。帰りのバスは午後4時と5時半(最終)だった。行きのバスの便も悪かったから、着いたらもう午後2時半をまわっていて、午後4時のバスには間に合いそうもない。それで、ゆったり見て、午後5時を少し回ったところで、ヴィッラを出た。ところが!バス停で待てども待てどもバスが来ない。午後5時で入場が終わるヴィッラは、だんだんひと気がなくなり、出店もじょじょに店じまいを始め、あっという間に淋しい雰囲気になった。時計を見ると午後5時40分。30分以上待ったのに来ない。10分も遅れるだろうか?不安が募り、バス停とヴィッラの入り口の間をウロウロと歩く。そのMizumizuの不安げな姿を、大型観光バスのそばで、観光客グループの帰りを待っているらしい運転手が心配そうに見ていた。「バスが来ないのよ」視線を受けて話しかけてみた。「何時のバス?」「午後5時半」運転手は時計を見た。「もう45分だよ」「ここってタクシーあるかどうか、知ってる?」「いや、知らないけど、ないだろう」確かになさそうだ。公衆電話もないし、パラソルの下で商売している人たちが帰ってしまったら、周囲には本当に何もなくなる。このままバスが来なかったら? いや、もう15分も来ないのだから、来ない可能性のが高い。「どこまで行くの?」「ピアッツァ・アルメリーナ。ホテルを取ってるから、今日はそこに泊まるの」「このバスはピアッツァ・アルメリーナを通るよ、でも…」乗せてあげたいけど、自分からは乗せてあげるとは言えない、といった雰囲気だ。「誰が責任者? 乗せてもらえるか、聞いてみてもいい?」「彼女」運転手が指した先に引率者のような女性がいた。意を決して、ピアッツァ・アルメリーナまで乗せてもらえないか聞いてみることにした。すると、運転手もついてきてくれて、途中から「ずいぶんバス停で待ってて…」と助け舟を出してくれるではないか!女性はすぐにニッコリ笑って、「もちろん、どうぞ!」と快諾してくれた。あ~、助かった。日本では考えられないことだよね? でもイタリアではアリ。考えてみれば、5キロ先まで観光客を同乗させてあげるなんて、満席でなければなんでもないこと。でも、日本じゃ、「事故ったら責任が…」とか「どこの誰ともわからない人をいきなり乗せるわけには…」なんつって、助けてくれるとは思えない。観光バスを借り切ってやってきたのは、カラーブリアから来たという若者の集団だった。皆が乗り込んだところで、運転手がマイクで、「さ~、みなさん。今日はインターナショナルなゲストが乗ってます」とアナウンス。バスの中はなぜか拍手喝さい。照れ照れのMizumizuと母。公共バスに比べると、貸切の大型バスは天国。快適にピアッツァ・アルメリーナまで帰ってきた。しかも、ホテルもすぐに見つけてくれて、近くでちゃんと降ろしてくれたのだ!感激のMizumizuと母。バスを降りて、「ありがと~!」と出発するバスに手を振った。バスの客も手を振り返して感動的な別れ… かと思いきや、バスのみんなは誰もこっちを見てなかった!あれ~ッそれぞれのおしゃべりに夢中で、降りてしまった我々のことは、即座に忘れたよう(苦笑)。しかし、本当に助かった。地獄で仏とはこのことだ。さて、夜は食事をして早めに寝るだけだわ。このシケた町じゃ他に何もやることがない。ホテルのフロントの背の高い兄さんに、近くにおいしいレストランがあるかと聞いたら、「ない。ここで食べろ」とフロントの横にあるレストランを指差された。<このホテルでは、またひと波乱あり。それは明日のお楽しみ>
2009.01.26
シチリア中部の小さな町、ピアッツァ・アルメリーナ。ここから5キロ郊外にある「ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ」は、紀元前3世紀から4世紀に建てられたローマ時代の貴族の邸宅で、素晴らしいモザイク装飾で有名。もちろん世界遺産にも登録されている。日本語ではよく、「カサーレの別荘」と訳されていて、ローマ時代の貴族のカサーレさんの別荘だと誤解している人がいるが、「カサーレCasale」とは人の名前ではない。単語としては平野に点在している村落の意味もあるが、ここでは地名。また「別荘」という訳し方も正しいとはいえない。「ヴィッラvilla」は別荘の場合もあるが、お屋敷という意味でも使われる。実際、ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレはいわゆる別荘ではなく、永久的あるいは少なくとも半永久的に所有者が居住していた「家」であろうと言われている。「ロマーナ」は「古代ローマ時代の」という意味の形容詞。イタリア語では、形容詞は名詞の前にもつくが、後ろにもつく。Romanaはvillaを形容してるので、ヴィッラ・ロマーナで「古代ローマ時代の邸宅」という意味になる。ここにはサウナのような保温機能を備えた浴室があることでも知られているが、圧巻はなんといっても床に施された壮大なモザイク。イタリアでは、ラヴェンナ、モンレアーレ(パレルモ郊外)、アクイレイアなどにも素晴らしいモザイク画が残されているが、ピアッツァ・アルメリーナのヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレは、ローマ時代の風俗や風習、貴族の遊びといった世俗的なテーマを扱い、かつ構図が動的で大胆だということが他の街のモザイクにはない魅力になっている。まるで現代の映画のお色気シーンのよう。ふくよかな女性のお尻は永遠のエロチック。ビキニ姿の娘たち。ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレでもっとも有名なモザイク。バーベルをもった女性(左上)、ビーチバレーのような運動に興じる女性(右下)。あまりにモダンな姿に、現代人はビックリ。ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレにある膨大な部屋の使用用途はわかっていない。でも、床に果物を描いたこの部屋は、おそらくキッチン?こちらは家族の肖像? ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレは5世紀のバンダル人による侵攻後も邸宅として利用されたよう。完全に放棄されたのは12世紀ごろと言われている。50メートルにもおよぶ大廊下。ここには、アフリカでの狩猟の様子を描いたモザイク画が絵巻のように展開していく。スケールの大きさに驚倒。また、それぞれの動物の描写も緻密。アップで撮ってみたが、見学はわりあい遠くからしかできない。モザイクの上を歩くことも、もちろん不可。床にもホコリがかかっていて、もうちょっと掃いてよ、と思った。修学旅行で来てる子供たちも多い。引率の先生の説明をマジメに聞いているのは少数派。走り回ったり嬌声をあげたり、とても賑やかで小さな子供はどこも同じ。Mizumizuは、シラクーサからパレルモに抜けるルートの途中にピアッツァ・アルメリーナがあるので、ここで1泊したのだが、ハッキリ言って失敗だった。アルメリーナの町はロクなもんじゃなかった(これについては明日)。個人旅行なら、むしろアグリジェントを拠点にして(カルタジローネにも行くというディープな旅人は、カルタジローネ拠点でもいい)、大きな荷物はそこにおき、ピアッツァ・アルメリーナへは日帰り旅行で来たほうがいい。アルメリーナに着いたらタクシーをチャーターして送り迎えしてもらうのがベストだと思う。Mizumizuはアルメリーナから公共バスで行って、大変な目に遭ってしまった。
2009.01.25
ホテルのお兄さんに教えてもらったトラットリア、Quelli della Trattoria (住所:Via Cavour 28, Siracusa)は味は最高だった。パスタを作ってる太ったコックさんの絵の描いてある下がり看板が目印ですぐわかる。しかもパスタ2つに水で42,000リラ(2500円)とお値段も格安。だが、ここカードが使えないので注意。お兄さんオススメのスカンピ(scampi、実際にはアカザエビのことだが、レストランでは手長海老と書いてるところが多い)のクリームソースのフェットチーネ(きしめんのような平べったいパスタ)は、イタリアで食したパスタの中でも3本の指に入るほど。クリームソースといっても重くなく、海老の風味にもまったく泥臭さがない。自家製の麺はモチモチで味わい深い。言うことないパスタだった。本当においしいパスタを出す店はこういうところにある。ミシュランはイタリアでは当てにならないし、有名シェフの店は高すぎる。だがこのトラットリアは、カメリエーレ(ウエイター)がよくなかった。最初に、他の席も空いていたのにわざわざトイレの近くの暗いような末席に座らされたときに、ちょっとアレッと思った(「こっちは?」と別のテーブルをさしたら、「ダメ」と拒否された)のだが、運ばれきたパンを見て、眉をひそめた。パン籠にちょっぴりしか入っていない。しかもバゲットの端だけを切ったような、皮ばっかりのパンだ。別のテーブルを見ると、みんなパンが籠からはみださんばかりに盛られている。実は日本人の「イタリアでのパンのマナー」はひどいのだ。パンは黙っていてもいっぱい籠に入って出てくるが、これは「お持ち帰り用」では決してない。ところが日本人の特にオバさんと来たら、食べもしないのに出されたパンを袋に堂々と入れて全部持って帰ってしまう人がいるのだ。お願いだからやめてください。過去にそんな目にあったのかもしれないな… このときは好意的に解釈した。別になくなったら頼めばいいことだ。キレッ端だけだというのも、たまたまパンがそこで終わったのだろう。おいしいパスタを食べてる間に、ちょっぴりしかなかったパンがなくなった。そこで、「カメリエーレ!」と、叫んで、身長175センチ、体重もそのくらい… のもち肌の20歳ぐらいのウエイター君を呼んだ。すると、「あとで」と言って、別のデーブルになにやらサービスに行き、そのまま無視している。なので、もう一度大きな声で、「カメリエーレ! パンを持ってきて!」と叫んだ。ようやくパン籠を下げに来るウエイター君。籠が再び運ばれてきたので、「ありがとう」と言いながら中を見ると…あれっまた小さなキレッ端が、たった2コしか入っていない。これは、完全にわざとですね。日本人には信じられない話かもしれないが、こういう子供じみたイジワルをするウエイター、ホテルの従業員、売り子はヨーロッパでは全然めずらしくない。何か買おうとして店のキャッシャーに行くとする。無教養と貧困と不幸を顔にはりつけたような「雇われ」店員は、不慣れなアジア人観光客と見ると、わざと仕事仲間とおしゃべりを始めて、えんえんと待たせたりする。ホテルでしつこく声をかけてきた従業員につれなくすると、チェックアウトのときにわざと他の客を先にしてこれまた長々と待たせたり、パスポートを返し忘れたフリをしたりする。日本も格差社会と言われて久しいが、さすがに、不慣れな外国人客にイジワルをして日ごろのうっぷんをはらすほどひねくれた「雇われ」はそうはいないだろう。日本人の職業人は基本的にレベルが高いし、それなりに職務を忠実に果たそうとする。ただ、同じ職場での下の立場の人間に対するイジメは相当のものだと思うが。「どういたしまして」しゃーしゃーと言って、身長175センチ、体重もそのくらいのウエイター君は行ってしまった。パンはすぐに食べ終わった(なにせちっちゃいのが1人1個しかないので)。なので、こちらもまたしつこく、「カメリエーレ! パンをお願いします」と大声で言ってやった。キッチンのほうからは、なにかトラブルかと、オーナーらしきシェフ(非常に痩身)が心配そうに顔をのぞかせた。この身長175センチ、体重もそのくらいのウエイター君は完全に「雇われ」で、オーナー家族の一員ではないね。周囲のテーブルも東洋人に運ばれるパン籠だけが、ほとんど何も入っていないことに気づき、さりげなくこちらを見ている。ウエイター君はまたパンを持ってきた。「ありがとう」「どういたしまして」相変わらずちょっぴりしか入っていなかったが、もうそれ以上はさすがに必要なかった。味は最高だけど、ウエイターが最低の店だ。そう結論づけて、会計を頼んだ。42,000リラに対して、100,000リラ札しかない。おつりをもってきてもらい、「ありがとう」(←Mizumizu)「どういたしまして」(←身長175センチ、体重もそのくらいのウエイター君)と心のこもらない何度目かのお決まりの挨拶を交わす。おつりをウエストバッグタイプの貴重品入れに入れて店を出た…ところで、気づいた。そうだ、おつりをちゃんと確かめていなかった!つり銭ごまかしもイタリアでは日常茶飯事だ。58,000リラだから紙幣の数も多い。あわてて路上で、確認する。すると…なんと、小さなお札で8,000リラしかないではないか。やられた!あわてて店に戻ると、オーナーらしき人がキッチンから出てきて、ウエイター君となにやら話しているところだった。「ちょっと、あなた、58,000リラをくれなければいけないのに、8000リラしかなかったわよ。5万リラ忘れている」またまた(わざと)狭い店内の客全員に聞えるように言ってやった。ただし、抗議する口調ではなく、あくまで驚いた口調で。「え…」身長175センチ、体重もそのくらいのウエイター君は、差し出された札を見た。「本当?」心底驚いたようにこちらの目を覗き込む。ま~、したたかもん! わざとごまかしたくせに。もちろんそんなハラはオクビにも出さず、「本当よ、ホラ」とウエストバッグの中をべろ~んと見せた。身長175センチ、体重もそのくらいのウエイター君は、まだ信じられないといった顔で、オーナーらしきおじさんに何か言っている。店内、し~ん。隅に座らされた東洋人の、明らかに観光客が、さかんに「パン、パン」と言っていたのをみんな聞いている。「今度はおつりごまかしか」そう思いながら成り行きをうかがっているのは明らか。ウエイター君はオーナーらしきおじさんに、まだなにやら話していたが、おじさんのほうが、さっとこちらに50,000リラ札を出した。「ありがとう」とおじさんに言い、「気をつけてね」とウエイター君の肩を叩いて出た。まったく、なんつーウエイターだよ。テーブル差別+パン差別のうえにおつりごまかしかい? あんなの雇っていたら店の評判にかかわるわ。プンプンしながら、帰り道、Mizumizu母と2人で、「レイシスト・ウエイター」の悪口をまくしたてた。ところが!ホテルに帰って、部屋でウエストポーチをよくよく見たら、隅のほうから、別の50,000リラ札が出てきたではないか!「あれ~!」Mizumizu、思わず絶叫。バラバラときたお札をウエストポーチに入れたとき、たまたま50,000リラ札だけ別のところに入ってしまったのか?? それを暗い路地で見たから、気づかなかったのか!?「か、返さなきゃ」しかし、もう時計は23時近くになっている。それに、落ち着いて考えたら、このもう1つの5万リラは、本当に、身長175センチ、体重もそのくらいのウエイター君がもってきたおつりの一部だろうか? それもよくわからない。だいたい、あのあからさまな差別待遇は、許せないよね。よくよく考えると、また腹が立ってきた。わざとトイレ近くの隅の席に座らせ、別のテーブルもあいてるのに、「ダメ」だと拒否し、わざわざパンのキレッ端だけよこし、呼んでも、とりあえず無視し、再度呼んだらやっと仕事、しかもまたパンはキレッ端2個。3度目も断固としてキレッ端2個。気分悪いわ。食事代が42,000リラ。余計にこっちによこした(?)のが50,000リラ。おつりを、もしちゃんと払っていて、さらに5万リラをこっちによこしたとすると、食事代(2500円)をタダにして8千リラ(480円)の慰謝料(苦笑)を払ったということか?つまり、これは、天罰よね。「返しに行かなきゃ」の殊勝な心持ちは、あっという間に霧散した。翌朝、チェックアウトするとき、ホテルのお兄さんが、「Quelli della Trattoria 行った?」と聞いてきた。数々の(?)ウエイターとのトラブルにはまったく触れず、「うん、うん。すごく美味しかった。ありがとう」とだけ答えた。「よかったね」お兄さん自慢げにニッコリ。きっと後日馴染み(であろう)のあの店に行って、「日本人が来たでしょ? すごく美味しかったってさ」ぬぁんて、話しただろう。そのとき店のおじさんは、どんな顔をしたかな。
2009.01.24
シラクーサのホテルは日本から予約せずに来た。イタリアはよっぽどの観光地のハイシーズンでない限り、ホテルが見つからないということはない。シラクーサのように文化遺産テンコ盛りの街は、アクティブに観光して歩きたい。そうなるとタオルミーナのような滞在型の豪華ホテルではなく、経済的でそこそこ便利な場所にあるホテルに泊まったほうがいい。駅で母に荷物を見ていてもらい、近くのホテルを見に行った。さっそく手ごろそうな3つ星ホテルを見つけて飛び込む。フロントには若いイケメンのお兄さん。「今日ともしかしたら明日も、泊まりたいんだけど、ツインの部屋ありますか? できればバスつきの」「バスつきはないよ。シャワーだけ」「あ、じゃシャワーだけでも。いくら?」「86,500リラ(=約5,000円)」やっ、安い!「部屋代? それとも1人の宿泊料金?」「部屋代だよ」「泊まるかどうか決める前に、部屋を見せてもらえる?」「いいよ、もちろん」イタリアでは泊まる前に部屋を見せてもらうのは全然OK。どこでも気軽に見せてくれて、嫌な顔をされたことはない。見せてくれた部屋は、日本のビジネスホテルなら12,000円ぐらいは取りそうなレベル。内装はモダンで、シャワーはドロップ式ではなく、ちゃんとノズルがあった。ベッドのスプリングや水の出方などチェックして問題ないので泊まることに。シラクーサに着いた時間が遅いので、2泊すると告げる。泊まってくれると知ったお兄さんは、より親しげな口調になった。「キミ、日本人? イタリア語うまいね」つーか、ホテルに泊まるかどうか話してるだけなんですが。「イタリアに住んでるの?」来たっ! お決まりの質問。イタリア人は褒められるのも大好きだが、褒めるのがまた輪をかけてうまい。北イタリアの都会ではそんなことはないのだが、南に来ると、必ず「イタリア語うまいね」から始まって、「イタリアに住んでるのか」「イタリア語はどこで勉強したのか」と聞かれる。店でもホテルでも、観光案内所でも(苦笑)。イタリアに住んだことはないし、勉強も日本でしただけだとこれまたお決まりのパターンで答えると、ホテルのイケメンにーちゃん、「うそぉ。信じないよ」とオーバーなリアクション。とっても話しやすい雰囲気なので、ついでにいろいろ聞いてしまった。「あさっての朝、ピアッツァ・アルメリーナにバスで行きたいんだけど、バス停はどこ?」すると、フロントから出てきて、ホールにある市内地図の前にMizumizuを連れて行き、「バスは、ここから(←と街の中心からちょっと離れた場所を指し)出るんだけど、どのバスも、こう通って(←と道をたどり)、ここに来るんだ(←とホテルの近くを指す)」「来るのにどのくらいかかる?」「10分ぐらいじゃない、なんで?」「アルメリーナ行きのバスの時間は調べてきたんだけど、たぶんその時間はこのターミナルから出る時間だと思って」「ああ、そうか。いや、キミ、本当にイタリア語うまいね」つーか、バスの乗り方聞いてるだけなんですが。「アルメリーナ行きも必ずこのバス停に来るのは確か?」「言ったろ、全部のバスがここに来るんだ。間違いない」このイケメンのにーさんは、「雇われ」でないことは確かだ。たぶん家族経営のホテルなんだろう。ヨーロッパの「雇われ」の態度はおおむね悪い。ことに中級程度のホテルやレストラン、それにショップでは。逆に家族経営の店だと、非常に商売熱心。日本のように労働者のレベルが平均的に高い国から行くと、「雇われ」と「オーナー」の仕事ぶりの違いにしばしば驚かされる。街にも詳しそうなので、ついでに美味しい店も聞いちゃおう。「何食べたいの?」「パスタとか、リゾットが好きなんだけど」「パスタなら、絶対Quelli della Trattoriaだよ」「どこにあるの?」「カブール通り。ちょっと待って…」と、フロントに戻り、下から市内地図を出して、ボールペンでマルをした。「このあたりだよ。自家製のパスタの店で、スカンピのクリームソースのフェットチーネが最高」なんともクレバーなお兄さんだ(おまけにイケメン)。イタリアってなぜか美形のほうが感じがよく、親切なのだ。それは女性も同じ。おかげで次の街への行き方もわかったし、夜の食事の場所も決まった。さらにお兄さんは、地図の海岸沿いの道を指して、「ここは、海に沈む夕日がきれいだよ」なんて至れり尽くせりのアドバイス。そりゃどうも。さては、ずいぶんご利用になっていらっしゃるようで。ま、Mizumizuの場合、一緒に行くのは母だがね(笑)。駅で待ってる母を連れて、ホテルの部屋に入り、荷物を置いて市内見物に出発した。ホテルは旧市街からは離れている。バロック建築で有名なドゥオーモ広場に行こうと、タクシーだまりに行くと、ズタボロのイタ車で半分寝たようにダラけているじーさま運転手がタクシー列の一番前にいた。ヨレヨレのチェックのジャケットを着ている。うっ、やる気なさそうなじーさんだ。でも、最前列のタクシードライバーに優先権があるのは、イタリアの掟。しかたなく、あけっぱなしの窓から覗き込み、「ドゥオーモ広場まで行きたいんだけど、いくら?」と聞いた。じーさんはあわてて姿勢を正す。「クインディチ」15,000リラ(約900円)という意味だ。シワだらけの顔だが、人は悪くなさそう。タオルミーナが20,000リラからスタートだったので、さすがにそれより安い。OKしてズタボロ車に乗り込んだ。いざスタートすると運転はうまい… というべきか若いというべきか。とにかくイタ男はハンドル握ると素っ飛ばすもんだと思っているらしい。運転は総じてみな巧みだとは思うのだが、事故も多い気がする。街では、真昼間にしょっちゅう救急車のサイレンの音を聞く。あれは自動車事故がほとんどだろう。勝手に想像してるだけだけど。さらに、このじーさん、やや耳が遠いらしい。ちょっと話しかけると、後ろをぐうッと振り返り、こっちの目をしっかり覗き込んで、「え? 何?」と聞き返す。もちろんその数秒間は前を見てない。で、前を向いてくれたところを見計らって、さらにこちらが何か言うと、また振り返ってしっかり視線を絡めてくる。こ、怖いってばさ。前見てよぉ。も~、会話はなるたけ控えよう。ドゥオーモ広場の近くに着くと、ケータイの電話番号を書いた紙をわたしてくれて、「またタクシーが必要だったら、ここに電話して。市内だったらどこでも15,000リラでいいから」おお、それは便利。呼び出しても同じ値段なら安心だし。けっこう商売うまいじゃないの。これが、シラクーサのもう1つの見所、壮麗なバロック様式のファサードをもつドゥオーモ。ファサードの扉には、貴婦人のかぶるレースのような繊細な装飾が施されていた。旧市街のカブール通りは、まさに「バロックの小道」。石畳にバロック風のバルコニーや装飾をもつ石造りの建物の並んだ昔ながらの狭い通りだ。夜、食事にもう一度来たのだが、柔らかな街灯に照らされた道は、スペイン絶対王政時代の上品な残り香が漂い、ギリシア劇場やローマ劇場といった古代の遺跡を見たあとはなおさら、「ここって一体どこの国だったっけ?」と混乱してしまう。惜しむらくは、路地に活気がないこと。昼間から何をするでもなく、手持ち無沙汰に立ってる土地の人たちが、またうらぶれ感を増幅させていた。夜はさらに閑散として、ひと気がない。こちらは夜のドゥオーモ広場。ムーディなロウソクをテーブルにおいて、白いパラソルをひろげてまだ客を待っているドゥオーモ前のカフェ兼レストラン。でも誰も座っていない(苦笑)。さびし~『ニューシネマパラダイス』『海の上のピアニスト』『みんな元気』で有名なジョゼッペ・トルナトーレ監督の映画『マレーナ』でも、シラクーサの旧市街がロケに使われていた。この広場をモニカ・ベルッチ扮するマレーナが歩いているシーンがあった。さて、タクシーは公衆電話から呼び出すとたいがい来てくれて、非常に助かった。だが、一度だけ、「今ダメだから」と言われて、別のタクシーを使ったのだが、このタクシー、真っ白なピカピカのメルセデスで、グラサン(←死語?)をかけた30代のやる気(ぼる気?)まんまんのガタイのいい兄さんだった。「15,000リラ」と事前交渉して乗ったのに、いざ目的地に着くと、実はメーターを動かしていて、「ほら」とメーターを指し示す。2万リラを超えていた。カッとなったMizumizuは、「15,000リラって言ったじゃない!」と怒鳴った。その勢いに気後れしたのか、一見ヤクザ風(失礼!)のにーちゃん、驚いたように、気弱な声で、「み、見せただけだよぉ」だって!「なんで、メーター使うのよ! 見せただけぇ? 嘘つき! 1万5000リラって言って、それから2万リラって言うつもりだったんでしょ。サイテーね。シチリアのタクシー運転手はみんな親切だけど(←もちろんウソです)、あなたは最低!」と一方的にまくし立てて15,000リラをわたして、とっととタクシーを降りるMizumizu。Mizumizu母も黙ってついてくる。逆ギレされても面倒なので、相手が呆気に取られてるうちにどんどん道をわたって遠ざかった。安全圏内に入った(?)ところで振り返ると、タクシーから離れるわけにもいかず、ドアのそばに立ちつくしたグラサンの顔が、ジト~ンとこちらを睨んでいた。観光を終えた夜遅く、ホテルのそばを歩いていると、なんとじーさんのほうのタクシー運転手が友人とおぼしきおっさんと歩いてるのに出くわした。さっそく、ヤクザ風のにーちゃんに、15,000リラと言っていたのに、それ以上取られそうになった話を路上でするMizumizu。「あなたのほうがずっとよかった」と言うと、いきなり、それまでの話はすっかり頭から飛んでしまった(もともとあまり聞えてなかった?)らしく、「オレのがいいんだ!」何年洗濯してないのかわからないチェックのジャケットの胸をふくらませて、大声でリピートするじーさん。「そうそう、あなたのが優秀」調子を合わせると、ものすごく嬉しそうな顔になり、またこっちの顔を覗き込むようにして、「明日はどこ行くの? 朝迎えに行くよ」お抱え運転手にへんし~ん。明日は朝早くバスでピアッツァ・アルメリーナに行くからと断わると、じーさんはうなずき、「じゃあ、いい旅を。また来てね」と、友人とおぼしきおっさんと夜の(シケた)シラクーサの街へ消えていった。あのあと酒をのみながら、今日東洋人の観光客から気に入られた自慢話をおっさんに語ったのだろう。教訓:シラクーサでタクシーに乗るときは、ピカピカのメルセデスではなく、ズタボロのイタ車を運転してる枯れたじーさんのほうが無難。
2009.01.23
人でも街でも国でも、「もっとも華やかな時代」というものがあり、その輝きを忘れることはできないようだ。他のシチリアの都市と同様、シラクーサも長い歴史の中でさまざまな民族の支配を受けたが、この街が一番輝いたのは、古代ギリシア時代。シチリア最大のポリスとして繁栄し、アテネと勢力を競うほどだった。シラクーサには考古学地区と呼ばれるギリシア・ローマ時代の遺跡の残る地域と、主として17世紀以降に建てられたバロック建築が美しい旧市街地区がある。だが、圧巻はなんと言っても考古学地区に残るギリシア劇場(テアトロ・グレコ、紀元前3世紀ごろ)だろう。普通古代の劇場は石を積み上げて作るのだが、シラクーサのギリシア劇場は石を切り出して作った。規模ではタオルミーナを凌ぐシチリア最大の野外劇場遺跡であり、現在は減っているが、オリジナルの客席の列は67にも及んでいたという。紀元前の時代に、シラクーサではこんな巨大な劇場で人々が演劇という文化を楽しんでいたのだ。同じころの日本劣等列島では、人々はどういう生活をしていただろう? ギリシア劇場からそれほど離れていない場所に、ローマ劇場(テアトロ・ロマーノ、紀元後3~4世紀ごろ)もあるのだが、こちらはローマのコロッセオをミニチュアにして、徹底的に壊したようなお粗末なもの。写真にしてしまうと、スケール感の差が出ないのだが、実際にその場に立ってみると、シチリア最大のギリシア都市だったシラクーサが、ローマに征服されてからは、完全に「辺境の街」に追いやられた歴史の変遷が実感できる。また、シラクーサにはイタリアでも屈指と名高い考古学博物館がある。博物館の入り口に至る前庭には、手入れの行き届いたパームツリーがびっしり並び、強い日差しを受けて、幹と葉の美しい影模様が地面に描き出されている。この入念に演出された前庭の美しさを見ただけで、シラクーサという街がどれほどこの博物館を大切に思い、誇りにしているかがわかろうというもの。この博物館の入場券売り場で、窓口のお婆さんにお札を出したら、上にかざしてしげしげとチェックされた。偽札を疑っているということだ。妙に一生懸命な仕草に苦笑してしまったが、見たこともない外国人から大きなお札を出されたら、一応疑ってかかるのは、当たり前といえば当たり前だろう。こういうことを日本で外国人観光客相手にやったら、すぐ「差別」とか言って非難されそうだが、お札が本物かどうかをしっかり確認するのは、別に差別とは関係ない。そういえば、フランスのどこかの郵便局で硬貨を出したら、何度もひっくり返して見て、「これは受け取りたくない」とかって、窓口のねーちゃんに拒否されたことがあったっけ。別に腹も立てなかったが、70円かそこらの価値しかない硬貨で、しのごの言ってたあっちの態度のほうが失礼だった(さすが、おフランス)。もちろん、その硬貨は別の店で普通に使ってしまったし、そこでは「受け取りたくない」なんて言われもしなかった。さて、シラクーサの考古学博物館だが、展示物も先史時代から、エジプト、ギリシア、ローマに至る文明の遺物が所狭しと陳列され、圧巻の一言だった。立ち寄る価値は十分にあると思う。コレクションで中心を占めるのは、やはり古代ギリシア時代の遺物で、赤絵や黒絵の壺やギリシア神殿の装飾品などの充実ぶりを見ると、ここがイタリアだということを忘れてしまいそうになる。シラクーサには意外な特産品もある。それは「パピルス」。パピルスと聞くと日本人はまずエジプトをイメージするが、シラクーサではパピルスに描かれた――主として――ギリシア風の絵がお土産としてたくさん売られている。古代文明はこんなふうに海を隔てて互いに影響しあい、融合していったということだろう。断片的に頭に入っている「エジプト=パピルス(紙)」「ギリシア=(壺に描かれた)黒絵」が現在のシチリア島の街の土産屋で1つになっているのは、なんだかシュールな光景だった。アレトゥーザの泉には、今もこんなふうにパピルスが茂っている。ちなみにアレトゥーザとは、ギリシア神話に登場するニンフの名前。そして、シラクーサには、世界にその名を轟かせているスーパースターがいる。やはりギリシア時代、紀元前3世紀に活躍した数学者・物理学者にして発明家でもあるアルキメデスだ。アルキメデスはギリシア人、だが生まれたのはシチリア島のここシラクーサなのだ。そして彼は海をわたったアレクサンドリアで学問を修めている。アレクサンドリアから帰ってからはシラクーサ王へロンに厚遇され、数学や物理の研究で成果をあげた。もっとも名高いのが「静水圧の原理」。王の金冠が純金か不純物入りかを見極めるために考案された原理で、お風呂に入ったときに浴槽から水が流れ出すのを見てひらめいたという伝説でよく語られる。また、ローマの侵攻を受けた際には、さまざまな武器を考案して、これを防いだとも伝えられている。アルキメデスが死んだのは、紀元前212年のやはりシラクーサ。街を包囲したローマ軍の攻撃に巻き込まれてのことだったという。シラクーサはアルキメデスを忘れることなく、彼の名を戴いた広場もあり、マユツバだが墓もある。見所の多いシラクーサ。考古学地区でのもう1つの観光ポイントは、「ディオニソスの耳」と呼ばれる古代の石切り場。この名前自体は案外新しい。16世紀の画家カラバッジョの命名で、ディオニソスとは紀元前5世紀から4世紀にかけて実在したシラクーサの僭主。僭主とは卑しい身分からのし上がった国王のことで、ディオニソスはカルタゴとの戦いで功を立て、貧民階級の後援をえて勢力を拡大し、政権を握った。この人工的な洞窟は別名「ロバの耳」とも呼ばれる。入り口の形が似ているからだが、「ディオニソスの耳」という名前には、形のほかにディオニソスにまつわる伝説が絡んでいる。この洞窟は非常に音響効果がいい。そこで、ディオニソス王は自分に歯向かう反乱分子をここに閉じ込め、囚人同士の会話を盗み聞きして、彼らの陰謀や秘密を探ったというのだ。もちろん後世のデッチアゲで、カラバッジョ自身の創作だという説もある。もう1つはさらに悪趣味な伝説で、ここで犯罪者を拷問にかけ、その悲鳴や苦悶の声が増幅されて外に届くのをディオニソスが好んで聞いたというもの。なんにせよ僭主ディオニソスは猜疑心の強い暴君で、最終的な評価は高くなかったということだろう。さてさて、こちらはガラリと雰囲気の違う、モロ「現代」なコンクリート建築、マドンナ・デッレ・ラクリメ教会。ラクリメとは涙、つまり「涙の聖母」教会という意味だ。この教会が完成したのは1990年で、1953年に起こった「奇跡」にちなんでいる。ある市民の家にあった小さな聖母マリアの絵から、突然涙があふれ出たというのだ。調査の結果、マリアの涙は本物(つまり、人間の涙だということ)であることが判明して、そこは聖所とされ、やがて教会が建てられたという次第。悪いが、全然信用する気になれない、いかにもキリスト教的なミラクル・ストーリー。
2009.01.21
タオルミーナからシラクーサに移動する日。午後4時の鉄道に乗るので、その前にタクシーをチャーターしてタオルミーナからさらに山を登ったところにあるカステルモーラという小さな街を訪ねた。タクシーはフィックスレートで7万リラ(4200円)で話がまとまった。南イタリアのタクシーは、荷物をのせると「荷物代」を別に取られることもあるので、乗る前に「荷物代こみかこみでないか」と確認したほうがいい。荷物代取るといっても、単にトランクに乗せるだけで、しかも運ちゃんが手伝ってくれるわけでもない(苦笑)。なんで、あれで荷物代を請求するのか理解できないのだが、イタラもバーリで、運ちゃんに言われて別に払っていた。タオルミーナのホテルからカステルモーラへ行き、そこでいったん降りて昼食を取った後、迎えに来てもらって再度ホテルへ寄り、荷物をピックアップして駅までというルート。山道のつれづれに、タクシーの運ちゃんは、さかんに自分の友達のやっているホテルの宣伝をする。「次に来たときは、ぜひここに泊まって」パンフレットまで手渡す準備のよさ。「星はいくつ?」「3つ星。でもプールもあるし、食事もおいしいよ」タオルミーナにはもう当分来ないだろうなぁ…と話半分に聞いておいた。「タオルミーナのベストシーズンって、やっぱり夏なの?」「泳ぐならそうかな。でも、夏は40度になるから、観光するなら今(5月)が一番じゃないかな」とのこと。さて、カステルモーラに着くと、広場にタクシーを停め、「じゃあ、午後2時に迎えに来るから。そうそう、帰りはマドンナ・デラ・ロッカに寄ってあげるよ」「どこそれ?」「タオルミーナから十字架が見えただろう?」いいえ、気がつきませんでしたが…(恥)「あの十字架があるのがマドンナ・デラ・ロッカの教会だよ。タオルミーナとカステルモーラの間。やっぱり眺めがいいから、写真を撮れるようにちょっとクルマを停めてあげるよ」すこぶる愛想よく言って(でも、目は笑っていない)、お金はまったく取らずに去っていく兄ちゃん。カステルモーラは九十九折の山道をかなり登らないと来ることの出来ない不便な場所だが、広場にはクルマがたくさん停まり、観光客がタオルミーナの景色を楽しんでいる。広場からさらに石段をのぼって、高台へ。高台からの眺め。駐車場になっている広場におりて撮ったのが、こちら。海と空が溶け合っている。眺めのいいレストランを見つけ、2人で31000リラ(1860円)のランチを取った。フランス人がスパゲッティをフォークにのせ、ナイフで切っている姿を目撃した。それじゃ美味しくないでしょうに。話には聞いていたが、ホントにフォークにクルクルッと巻きつけて食べられないヒトがいるんだ。さて、約束の時間に広場に行ったが、なぜか運ちゃんはいない。キョロキョロしていると、もうちょっと若めの兄さんが声をかけてきた。なんと、さっきの運ちゃんは別の客を取ったので、代理で来るように頼まれたんだという。さしずめ「子分」といった風体だ。べ、別の客…あ~、おカネわたさなくてよかった。うっかり半分払ってしまったら、約束ポイされて、またこの不便な街で(場合によっては)下からタクシーを呼ばないといけなくなるところだった。値段を確認して、タクシーに乗り込む。途中でマドンナ・デラ・ロッカのことを思い出して、「寄ってくれるって言われたけど?」と聞くと、「ええっ?」完全に、聞いてないよ、って顔だ。「寄ってくれる?」と畳み掛けるとしぶしぶオーケーする子分クン。実に面倒臭そう。道の途中でタクシーを停め、「あっち」と指差す子分クン。車道をそれてちょっと歩くと小さな教会があった。ナルホド、「岩の聖母(マドンナ・デラ・ロッカ)」教会ってことね。岩というより崖と言ったほうが正しい気がするが。教会は閉まっていて中には入れなかった。その前のちょっとした広場がビューポイントになっている。確かにカステルモーラとタオルミーナの中間ですな。低くなったので、タオルミーナの街は逆によく見える。岬の先端には、ホテル・カーポタオルミーナの円い建物もなんとか確認できた。ここからなら、タオルミーナの街まで歩いて下れそう。実際に道しるべもあるから、歩道(ほとんど階段だろうけど)が街までつながっているようだった。写真を撮ってすぐ戻った。近づいてくるMizumizu母娘に気づくと子分クンはあわてたようにケータイを切った。さしずめ、「マドンナ・デラ・ロッカに寄るなんて言ったの?」なんて、アニキに確認していたのかも。別にい~じゃん、ただ道の途中でちょっとクルマを停めるだけなんだから。ホテルに着いて、またもタクシーを待たせ、フロントに預けた荷物をもってトランクに放り込むと、「じゃ、駅へ」と子分クンに。子分クン、相変わらず口数も少ない。不機嫌…というより、客あしらいに慣れていない感じだ。半島の観光地のタクシードライバーだと、土地の歴史や自慢話を明るく話してくれる楽しいプロフェッショナルもいるのだが、シチリアではどうもそういう運ちゃんに当たらない。駅で7万リラを払って事務的におさらばした。ちなみにタオルミーナから次の目的地シラクーサまでは16:10→18:18の2時間あまりの鉄道の旅。これで2人分の切符代が25,000リラ(カード決済したので、1426円)。2時間乗って1人700円ちょっとですから… ホントにイタリアの鉄道料金は安い(安かった)。
2009.01.20
シチリアに2つ残る古代ギリシア時代の野外劇場「テアトロ・グレコ(ギリシア劇場)」。大きさから言うと、シラクーサに残るものがシチリア最大だが、ここタオルミーナのギリシア劇場は眼下に広がる青い海、遠くにのぞむエトナ山という類いまれな借景を得て、イタリア屈指の絶景の地となっている。あまりにスケールの大きな景観に、ただただ圧倒される。「東京ドームを満杯にしてのコンサート」などと今の東京で言っているが、この巨大な野外劇場も、さしずめ往時はそのような位置づけだったのだろう。いや、「天・地・人」が一体になれる古代ギリシア劇場のほうが、現代の劇場より感動の演出では上かもしれない。庶民の娯楽は古代ギリシア時代からたいして変わっていないし、この時代に書かれた演劇が今でも上演されたりするのだから、虚構のストーリーに感動を求める人間の欲求も、昔も今もさして変わらないということだろう。もう少しレンズを絞るとこんな感じ。ゲーテもシチリアを旅したときに、半分埋もれかけた廃虚のテアトロ・グレコに足を運んでいる。18世紀のタオルミーナは羊飼いの住む素朴な土地だったよう。今では完全に観光の街。シチリアは古代の大ギリシア文化圏に属する歴史をもつが、いわゆる「植民地」と同義だと思うと本質を見誤る。ギリシア人がシチリアに植民してギリシア風の街を築いたのは確かだが、これらはあくまで独立した都市国家であり、ときに本家ギリシアのポリスをしのぐ繁栄を誇った。地中海世界に広がったこうした自治都市が、古代ギリシアの「植民都市」と呼ばれるのは、そうした理由から。柱頭の装飾は――あまり保存状態はよくないが――コリント式のよう。強烈な太陽が、乾いたレンガに陰を作る。真紅の花が、廃虚の壁にやけに鮮やか。遺跡見物の後は、観光客でごった返す街の中心、4月9日広場へ。さすがに世界的に有名なリゾート地だけあって、完全に観光客に占拠されている。華やいだリッチな雰囲気。ひたすら明るく輝く太陽に、からっとした気候も人々を惹きつけてやまない。ただ、こうなると街はもう1種のテーマパークになってしまう。店はお土産屋ばかり。どこもきれいに掃除され、植栽もよく手入れされているが、街角に生活感がない。働いている人もほとんどが一見さんの観光客相手なので、「味」がなくなってしまう。ゲーテの出会った羊飼いの少年は、今もシチリアのどこかにいるのかな。今のタオルミーナには、飲み物を運んだり、手軽なお土産を包んだりするだけの、すれっからしの兄ちゃんばかり。
2009.01.18
タオルミーナでの3泊目は、ギリシア劇場(古代ギリシア時代の野外劇場の遺跡)のすぐ下にある「ホテル・ティメオ」。距離的にはサン・ドメニコと目と鼻の先なのだが、荷物もあるので、またタクシーで移動。フィックス料金で、カーポタオルミーナ→サン・ドメニコのときと同じ20,000リラ(つまり1200円ほど)。カーポタオルミーナではチェックアウトするために荷物の運搬を手伝ってくれるようポーターを呼んだのだが、案の定20分待っても来ず、呆れて自分で荷物をひっぱってフロントまで行った。イタリアではだいたいこんなものなのだが、サン・ドメニコではポーターを呼んでものの10分もしないうちに、若い男性とやや年取った男性の2人が部屋に来てくれた。「さすがサン・ドメニコじゃん」と感動したのだが、よく考えたら、「呼んでもポーターが20分以上来ない」ほうが変なんだよね。でも、イタリアに行くと、来ないほうが当たり前。だんだんそんなものかと慣れてくる自分がコワイ(苦笑)。さて、ホテル・ティメオでは、「Enzo」と名札をつけたイケメン君がうやうやしく部屋まで案内してくれた。エンツォかぁ、映画『グランブルー』でジャン・レノがやった役ね……などと思いつつ部屋について、荷物をほどく前に、窓を見たら、あれっ…このホテルでも「海の見える部屋」を予約したのだが、見るといえば見えるが、視界の半分ぐらいを巨大な糸杉の木がふさいでいる。見たこともないような太く高い糸杉の木だった。さすがにシチリア。トスカーナあたりの細い糸杉とは生育具合が違う……と感心する一方で、ハッキリ言って、邪魔。そこで、フロントに電話する。「海の見える部屋を指定したのだけど、これじゃ、木の見える部屋。別の部屋を見せてもらえますか?」すると、さきほどのエンツォ君がすぐにやってきて、下の階の部屋に連れて行ってくれた。まだメイドが掃除をしてる途中だった。こちらの部屋は木は見えないが、1階低くなるので、海の眺めはそれほどでもない。どうもサン・ドメニコやカーポタオルミーナと比べると、部屋からの海の眺めは落ちるロケーションのよう。こういうことも行ってみないとわからない。部屋の内装も若干違うので、「この部屋とさっきの部屋とどっちが広いの?」とエンツォ君に聞いたら、「えっと……」と口ごもり、メイドの女性を振り返って、「どっち?」メイドの女性は、ベッドメイキングの手を休めないまま、「上のが少し広いと思う」うん、Mizumizuもそう思う。結局、最初の部屋のほうがいいと判断して、手を後ろに組んで直立不動で立ってるエンツォ君に、そう告げる。こういう面倒くさいリクエストにもイヤな顔をせずに付き合ってくれるところが、一流ホテル。簡単にまとめると…部屋の内装はカーポタオルミーナ:ファブリックなどの上質感は落ちるが近代的で使いやすいつくり。部屋も広い。サン・ドメニコ:重厚で歴史を感じさせる内装だが、部屋自体はやや狭く、ベッドも広くはない。ティメオ:豪華で装飾的なつくりになっているが、サン・ドメニコのようなアンティーク感はない。海の眺めはカーポタオルミーナ:目の前がど~んと海で、まさしくオーシャンビュー。サン・ドメニコ:天空から俯瞰するような、広~い海の景色が圧巻。ティメオ:せいせいと海は見えない(ホームページでも部屋からの海の眺めの写真はイマイチ・苦笑)。あくまでMizumizuが泊まった部屋。ティメオももっと条件のいい部屋があるのかもしれないし、カーポタオルミーナやサン・ドメニコももっと条件の落ちる部屋があるかもしれない。だが、ティメオのテラスからの眺めは圧巻だった。エトナ山がもっとも美しく見えたのが、このホテル・ティメオのテラス。こちらも山の中腹にあるから、ナクソス湾を見下ろしつつ裾野の広いエトナ山の全貌が一望のもとに見わたせる。エトナ山もとうとう雲のマフラーを取ってくれた。ブーゲンビリアとエトナ山。姿の美しさでは富士山の勝ちかな(ガッッツ~!)。ヤシの木の姿の美しさでは、サン・ドメニコの中庭に軍配。このヤシの木も相当手入れが行き届いているが、ちょっとずんぐりした姿。「つ」の字にくれたナクソス湾とその向こうのエトナ山を眺めながら、ブーゲンビリアに囲まれたテラスで飲んだスプマンテ(イタリアのシャンパン)は最高だった。こちらは夜のサロン。それなりに豪華な内装なのだが、サン・ドメニコに比べると、やはり新しいし、イタリアにある「本物の上質」とはちょっと違う気がする。アンティークな建物より、綺麗で整った雰囲気を求める人にはいいかもしれない。窓辺におかれた椅子もどこかよそよそしげ。サン・ドメニコと何か違うのかと聞かれると、案外うまく答えられない。「格が違う」「由緒が違う」という抽象的な言い方になってしまう。ただ、華やかではないが、夜景がきれいに見えた。これはほかの2つのホテルにはなかった眺め。夜、門の外に出て撮ってみた。左側の門がタオルミーナ最大の見所、ギリシア劇場への入り口で、夜は門が閉ざされる。右がティメオの入り口。昼間はここに門番が立っていて、入りにくい雰囲気。ただ、何か飲むぐらいなら、宿泊客でなくてもOKではないかと思う。レストランはランチタイムとディナータイムが短いので、ちょっと気軽に立ち寄って食べるのは、時間的に難しいかもしれないが、スプマンテ(シャンパン)やスプレムータ(生ジュース。「アランチャ」つまりオレンジがオススメ)をバールで飲むのはいつでも大丈夫かと。たとえ泊まらなくても、ギリシア劇場を見たあと、門番のお兄さんに聞いてみて、天国のテラスからの眺めを味わってみることを心からお奨めする。素通りするのはもったいない!結論:宿泊するなら、やはりサン・ドメニコが最高。ほんの7-8年前までは、ここが1泊2食つきでたった100万リラ(2人)で泊まれたのだ。100万リラというと、すごい値段のようだが、実際には6万程度。カードで決済したら、もっと安くなって正確には、57,398円(100万リラ+ディナーの飲み物代6,000リラで1,006,000リラ)だった。1人28,699円だから、今から考えると信じられないぐらい安い。いい時代だったなぁ。ユーロ導入直前のイタリア。
2009.01.17
夜、サン・ドメニコのフロントホールから中庭へ続くガラスの扉の脇には、松明の火が点され、中庭を囲むガラスの回廊はライトアップされる。中庭は幻想的な雰囲気に。中庭を囲むガラスの回廊も、昼間より夜のほうが美しい。ディナーもサン・ドメニコで食べた。いわゆる「ハーフボード」という朝・夕セットのブラン。夕食の時間に遅れ気味だったので、慌てて着替え、部屋の中ぐちゃぐちゃのままレストランへ。レストランは物凄い人で、高い天井に宿泊客の話し声がこだましていた。活気があるといえばあるのだが、期待していた優雅な雰囲気とは対極の夕食になった。カメリエーレも数が足りず、慌しく立ち回り、見ていて気の毒なほど。食事の味もたいしたことなし。部屋に戻ると、ベッドメークがされていて、ぐちゃぐちゃだった洋服類や小物類もきちんと片付けておいてくれている。それは一流ホテルの条件としては、当然といえば当然なのだが、どうも気になることが。このころはデジカメをもっていなくて、一眼レフカメラにリバーサルフィルムを持っていっていた。ディナーに行くときうっかりフィルムの入った袋をそこらに出しっぱなしにしていた。で戻ってきてみると、予備のリバーサルフィルムが1本足りないことに気づいた。ディナーの前に数を確認したわけではないので、メイドが犯人とは言い切れないが、ありがちなこと。一流ホテルとはいっても、金目のものは絶対に出しっぱなしにしてはいけない。フィルムは当時日本では比較的安価だったが、イタリアではとても高かった。<明日へ続く>
2009.01.16
タオルミーナ2日目はホテル・カーポタオルミーナからホテル・サン・ドメニコにタクシーで移動した。タクシー代は日本円で1200円ほど。乗ってる時間は10分もない。海辺の崖地から高台の街中に移動するだけ。イタリアのタクシー代は、安くはない。サン・ドメニコの予約も日本から個人でやったのだが、最初メールしたとき、「海の見える部屋はない」と言われた。もともと古い修道院をホテルに改装した建物だから、海の見える部屋は案外少ないのかもしれない。風光明媚なリゾート地では部屋からの眺めを非常に重視するMizumizu、がっかり。変な部屋に押し込められるのはイヤなので、「なら、予約はしません」とメールした。そしたら!その翌日か翌々日かにまたメールが来て、「海の見える部屋に1つキャンセルが出たので、アレンジできます」と言うではないか!あやしーなぁ…(苦笑)。そんなに都合よく、いっぱいだった予約にキャンセルなんか出るのか?というようなココロはオクビにも出さず、「それは、ラッキー。ではすぐ予約します」と返答した。するとご丁寧に、「ちょうど1部屋あいたので、すぐあなたのためにキープしたんですよ」と押し付けがましいメールが…(再苦笑)。出たッ! イタリア人の「褒めてもらいたい病」!もちろん、"Grazie! E' molto gentile!"と書いて返した。さてさて、ホテル・サン・ドメニコだが、結論から言うと、他のホテルとは明らかに、断然格が違うということ。広大な敷地が街中の観光に便利な場所にある、それだけでもう奇跡に近い。それでいて、ホテルの敷地内に一歩入ると、外の世界の喧騒とは無縁の静かな時間が流れている。ホテルといいながら、建物も庭もすべてがすでに文化遺産。由緒ある歴史が醸す重さの意味は、ネットの写真だけではやはりわからない。いや~、予約キャンセルしなくてよかった。たとえばこんなホールの空間の贅沢も、新しい近代的なホテルにはのぞむべくもない。床材の組み合わせ方、溝を刻んだ四角い柱、明かり取りの天窓、黄金のランタン、白い扉の配置、壁際に置かれた古いライティングテーブル…すべてが美的。毛足の長い赤の絨毯を敷いた長いなが~い廊下。まるで過去の世界に迷い込んでいくよう。吊るされたアンティークなランタンと窓にかかるカーテンはイエローゴールドで色調が合わせてある。部屋の内装もイエローゴールドが基調。ベッドはいっそ質素な印象。ベッドカバーのファブリックの質の良さは、ホテル・カーポタオルミーナとは雲泥の差。カーポタオルミーナはしょせん4つ星だなぁと納得。そして、なんといっても最高なのは…部屋から眺めるグランブルーの海。降り注ぐ初夏の陽光さえ可視化されている。沖を行く軍艦が、水面にぽたりと落ちたインクの染みのよう。ホテルマンの対応もきのう泊まった4つ星ホテルとは次元違い。一流ホテルかどうかは、やはりスタッフの教育がどれだけできているかで決まる。さて、部屋から出て広大なホテルを散策。まずは中庭。このヤシの木の手入れのよさには目を見張った。これほどふっくらと幹がふくらみ、葉をバランスよく八方に広げているヤシの木は、ほとんど見たことがない。ホテルのお客にしか見せないというのに。どこにでもある木を、どこにもない美しさをもった木にしてしまう。一朝一夕にはできないことだ。こういうのが本当の贅沢というもの。イタリアの上流階級は真の豪奢をよく知っている。ブーゲンビリアはてんこ盛り状態。この中庭は名高い「ガラスの回廊」に取り囲まれているのだが、その回廊の美しさは夜最高に引き立つ。なので、夜の回廊の情景は明日に譲って、建物の前面に広がる庭に出てみよう。海へそのまま続いているような錯覚をおぼえる道。敷き詰めた丸い小石にまで美意識が感じられる。いやはや、本当にすごいホテル。庭から見た海。左に見える海に突き出た岬の上の円く平べったい建物が、きのう泊まったカーポタオルミーナ。庭から戻ったところで、ちょっとした喫茶コーナーで生レモンジュースを飲んでいる日本人のシニアグループに会った。あまりいい場所ではなくて、外部の人はしいたげられる感があった。宿泊客以外にはあまり来て欲しくないタイプのホテルだということかもしれない。喫茶やレストランにも力を入れて、宿泊客でなくても豪華な気分を味わえるようにしているホテルも多いが、サン・ドメニコは明らかにそのタイプではなく、保守的・閉鎖的な雰囲気。もちろん泊まってる人間にしてみれば、そのほうが落ち着くが。Mizumizuたちが通りかかると、おばちゃんの1人が、「あら、ここにお泊り? いいわねぇ」だって…。何と答えていいのやらわからず、苦笑い。日本人グループはそのあと、庭に出て記念写真など撮っていた。庭だけなら、こうやって喫茶ついでに散策しても文句は言われないよう。<明日は夜のサン・ドメニコをご紹介します>
2009.01.15
シチリア随一の観光地、タオルミーナ。海あり、エトナ山あり、遺跡あり。おまけに気候もよく5月にはもうブーゲンビリアが咲き誇る。タオルミーナには有名なホテルがある。一番は「サン・ドメニコ」。修道院を改築した由緒あるホテルで、格式で言えば間違いなくナンバーワン。いや、イタリア屈指の名ホテルの1つと言ってもいいかもしれない。だが、Mizumizuにはど~しても別に気になるホテルがあった。1つは「カーポタオルミーナ」。ここは新しいリゾートホテルで、タオルミーナの街中からは離れているが、海に突き出した崖の上に立つロケーションが最高で、映画『グランブルー』の撮影にも使われた。『グランブルー』には、「サン・ドメニコ」にある名高い回廊も出てきて、この2つのホテルが1つのホテルのように描かれている。もう1つ気になるホテルは、タオルミーナ最大の見所、ギリシア劇場(といっても建物ではなく、ローマ劇場と同じく野外劇場の遺跡)のそばにある「ティメオ」。ぜ~んぶ、気になる。ぜ~んぶ泊まりたい。しかし、タオルミーナにそうそう何度も来るとは思えない。よし! じゃ、一度に3つホテルをハシゴしようじゃないの!というワケで、タオルミーナ3泊全部違うホテルという、あわただしい日程を組んだ。まずは、メッシーナからバスの乗ると、タオルミーナの街に入る前に通るホテル、「カーポ・タオルミーナ」を日本から個人で予約した。「海の見える部屋」をリクエスト。本当かどうか未確認なのだが、カーポ・タオルミーナには窓のない部屋もあって、そういう部屋を割り当てられると最低らしい。日本人の旅行記で読んだのだが、「部屋を指定する」という習慣のない旅行者(主に日本人)だと、この手の「悪い部屋」に押し込められることはままある。おまけに日本人はおとなしいし、同じ値段でも部屋によってずいぶん格差があるということを知らない人も多いので、いきおい貧乏クジを引かされることになる。メッシーナからバスに乗り、バスの運転手に、「ホテル・カーポタオルミーナに着いたら教えて」と言ったら、「ああ、じゃあジャルディーニで降りるんだね。いいよ」と気軽にオーケーしてくれた。もちろん「運転手は忘れるもの」を前提としているMizumizuは、前のほうの席に座って、時間になったら運ちゃんにガン飛ばそうと思っていたのだが、あいにくあいていなかった。仕方なく後ろに座る。やや寂しいメッシーナの街から出発したバスは海岸線を走る。20分もすると景色は次第に暖かそうな、リゾートっぽい雰囲気になってきた。海のすぐそばまで山が迫り、崖に張り付くように建物が立っている。車窓を眺めながら思ったのは…あ、熱海みたいだ…建物はカラフルなのだが、基本は熱海(苦笑)。と、タオルミーナにバスで入ったときの正直な感想を、後日イタリア好きの友人に話したら、「熱海よりはずっとステキなところでしょ」と一蹴された。時間を見て、そろそろ着くころだと思い、うっかり通り過ぎたら大変と、立ち上がって前のほうへ歩いていった。すると、それを見とがめた運ちゃんに、「座ってろ!」とすごい剣幕で怒鳴られた。「次がジャルディーニでしょ」「まだだよ! 危ないから座ってろ!」あくまで怒鳴る運ちゃん。イタリアの公共バスの運ちゃんは、こんな感じの人が多い。注意するときは躊躇なし、容赦なし。別の旅行のときも、後ろで高校生ぐらいの男の子が煙草を吸ったら、問答無用で怒鳴りつけていた。大人しく座って待っていると、どうやらそれらしいホテルが見えてきた。ホテルの前は広場のようになっていて、万国旗がはためいている。乗り過ごす心配もなく降りてホテルへチェックイン。近代的なホテルで、情緒はそれほどなし。ただ、新しく開発したエリアに建つホテルだけあって、ホールは広々。部屋に案内してくれたのは、ナヨったにーちゃんだったが、こちらの荷物を持つでもなく、知らんぷりしてオシャベリしていた。古いホテルではないので情緒には欠けるが、部屋もそれなりに広く、窓からはグランブルーの海とイーゾラベッラ(美しい島という意味)が見える、最高のロケーション。朝、日の出が見たくて早起きした。早起きは三文の得――いや、それ以上の感動的な景色をベランダから堪能できた。シチリアで見たもっとも美しい朝の色だった。内装は軽やかでモダン。手書き風の模様を入れた壁とレモンをあしらったランプが個性的。だが、カーポ・タオルミーナの最大の魅力は、エトナ山とイーゾラベッラを一望できる広いテラス、それにプライベートビーチにある。こちらが海に向って開かれた広大なテラス。右端にエトナ山が映っているのだが、この山、案外雲がかかっていることが多い。この日は一日中、マフラーのような雲が取れなかった。こちらはもう1つの絶景、グランブルーの海に浮かぶイーゾラベッラ。ブーゲンビリアは日本にもあるが、シチリアのほうが花の色が濃い気がする。この洞窟は?実は、エレベータでホテルのプライベートビーチに向う途中の通路。崖をくりぬいて作ったのだ(呆)。暗い洞窟のような通路をしばらく歩くと…青い海の広がるプライベートビーチ。さらに進むと…ここでは、トップレスで日焼け中の女性とか、半裸で絡み合う完全発情中のカップルとか、やりたい放題のイタリア人客が多くて、カメラのレンズを向けるのは非常に気が引けた。Mizumizu母は、カルチャーショックを受けたらしく、早々に引きあげようとする。もともと海派というより山派のMizumizu母。ヨーロッパのこういう場所ではあまりくつろげないらしい。夕食はホテルで食べた。もともと2食つきで予約したのだが、「今日の水揚げ」という別料金のメインを頼んでみた。氷満載のワゴンに魚がどっさり乗ってやってきて、ついつい雰囲気にのまれて注文してしまったというべきか(苦笑)。Mizumizuは舌平目、母はイセエビ。イセエビはやや茹ですぎの感があるものの、美味しかったよう。舌平目はハズレた、というより、その前のアンティパスト(前菜)とプリモ(第一の皿)でお腹がいっぱいで、セコンド(第二の皿、これがメイン)までたどりつけなかったというのが正解。ただ、この手の魚をチョイスして料理してもらうスタイル、シチリアでは避けたほうが無難かもしれない。値段を聞くと、「100グラムでいくら」としか答えてくれなくて、「これ」と指した魚がどのくらいの重さなのかは相手任せなのだ。タオルミーナの街中に「グロッタ・アズーラ」という有名なレストランがあるが、イタリア在住の友人が、家族を連れてここで食事をし、別テーブルに運ばれていたおいしそうな甲殻類(カニの仲間だったらしい)を見て、思わず「あ、それ食べたい」と頼んだら、あとから日本円換算で1万円(!)も請求されたらしい。ハッキリ言って、完全にぼったくり。でも重さで値段を決めるこの手の料理は、ぼったくりが防げない。イタリアに住んでいてイタリア語を話せる人ですらこんな目に。だいたい日本人も悪いと思う。「こんなの日本で食べたら1万円ぐらいする」などと、お世辞半分で言うから現地のシチリアーノが真に受けて、図に乗るのだ。「へ~、日本てそんなに高いんだ。じゃ、1万円請求しても大丈夫なんだな」。「グロッタ・アズーラ」はMizumizuも行ったのだが、いい印象はない。店の表の看板を見ていたら、店の男の子が寄ってきて、「入れ入れ」と言う。「ウニとかカラスミのパスタある?」と聞いたら、満面の笑みで(でも目は微妙に笑ってない)、「ある」で、メニューで値段を確かめる間もなく、店に連れ込まれ(苦笑)、「ウニのスパゲッティとカラスミのスパゲッティ!」と厨房に怒鳴り、別のおじさんカメリエーレ(ウエイターのこと)が、すかさず、大瓶の水を持ってくる(当然2人じゃ飲みきれない)から、「小さいのは?」と聞いたら、「シチリアにはない」なんて言ってた。ウソつけよ、まったく。ウニとカラスミのパスタだけ食べたのだが、1皿日本円で1700円ほど。今はどうなっているかわからないが、この値段は当時あのレベルのレストランのパスタとしては妙に高いと感じた。味のほうはまあまあ。「1万円取られた」友人の話を先に聞いていたら、ゼッタイに入らなかったのだが、残念ながらその話を聞いたのはシチリア旅行の後だった。タオルミーナに行って、レストラン「Grotta Azzurra」で食事するなら、くれぐれも値段にご注意を。グラムで値段を表示して料理してもらう魚料理は避けたほうが無難。いかにもおいしそうに店先に魚を並べてるから、雰囲気とカメリエーレの調子のよさにのまれないように。<続く>
2009.01.14
また一部で「危険なサイト」という警告が出るようになりました。楽天に問い合わせたのですが、「再現性がなく、原因は不明」とのことでした。なんら危険な情報は含まれておりません。安心して閲覧ください。イタリアの国内旅行は、プルマンと呼ばれる長距離バスの旅が便利で安い。街から街への移動なので、鉄道旅行では味わえない景色が堪能できる。古い街が多いイタリアは、街中に入ると道も細く、入り組んでいるが、郊外に出ると道も広く、緑豊かな草原や畑が広がっている。のびのびとした自然風景と生活感あふれる街の情景を交互に楽しめるのがプルマンの旅の醍醐味。バーリからはシチリアのメッシーナという街に直通のバスが出ている。バーリ8:30→メッシーナ15:00 メッシーナで乗り換えて、目的地のタオルミーナまでは30分ほど、という長旅。もちろん昼食時にはサービスエリアで長めの休憩を取ってくれるし、トイレ休憩的な停車もある。明日はシチリアへ経つという夜、イタラの女友達の息子のアルトゥーロが、わざわざMizumizuたちに挨拶に来てくれた。アルトゥーロは当時22歳で、シチリアにある大学の工学部で学んでいた。とてもイケメンで、かつとても性格がよく、おまけにものすごく親切。以前のプーリア旅行でカステラーナ洞窟(グロッテ・ディ・カステラーナ)という素晴らしい鍾乳洞を見学に行ったときは、愛車のミクラ(日産のマーチ)を出して、連れて行ってくれた。バスの便が非常に不便なところなので、大助かりだった。Mizumizuたちが今度はシチリアへ行くというので、やってきて、「エトナ山(←シチリアの有名な火山)と富士山って似てるよね」とか「富士山って何メートル?」などと軽い会話で楽しんだ(富士山が3776メートルだというと、「高いね~」と感心していた・苦笑)。Mizumizuもこのとき初めて、エトナ山より富士山のほうが高いと知った。アルトゥーロのオススメの食べ物は「アランチーノ」。直訳すると「小さなオレンジ」だが、果物ではなく、実は一種のライスコロッケ。カタチが小さなオレンジに似ていることからこう呼ばれている。シチリア名物で、彼のお気に入りだとか。屋台料理みたいな軽い食べ物で、高級品ではない。「ゼッタイ試すべき」はいはい、アランチーノは食べたいと思っていたから、試しますよ、もちろん。翌朝はイタラのマンションの管理人さんがクルマを出してくれ、バス停まで送ってくれた。ホント、至れり尽くせり。個人のバス旅行は、まずバス停を見つけるのが一苦労。鉄道旅行よりはるかに神経を使う。基本的にバスの中では切符は売らないから(フィレンツェの市内バスのように車内で買えるバスもあるが、基本的にはバスの運ちゃんは切符は売らない。知らずに乗ってしまうとあとから検査官が乗ってきて罰金を取られる)、切符売り場を発見するのも一苦労。長距離バスのターミナルなら立派な切符売り場があることもあるが、大きなバスターミナルがない街だとタバッキ(煙草屋という意味だが、日常雑貨なども置いている)で売るのが普通。停留所で買えないことも多く(というか、ほとんど停留所では買えないと思ったほうがいい)、切符を売ってる店がバス停のそばにないこともしばしば(←日本人には信じられない話でしょうが)。今回のシチリア行きはイタラが事前に切符を買っておいてくれた。バスの切符を買っておいてもらえるだけで大感激できるようになる国、それがイタリア。席は運転席の後ろではない、最前列2つを予約してくれたという。ところが…!バス停に行ってみると、すでにバスは来ていて、乗客も乗っている。しかも、一番前の席にはチャッカリおばちゃん2人連れが座っているではないか。「すいません。ここの席予約したんですけど」イタラが思いっきり高飛車な口調で抗議。ところが、おばちゃん2人はぜんぜんひるまない。「私たちもここを予約したのよ、ホラ」切符を振り回してわめき、「あなたたちは、そっちでしょ」運転席の真後ろの席を指し示す。「え… でも、確か私はここの席のチケットを…」イタラはいきなり弱気な声音になり、手元の切符をしげしげ。席の番号と照らし合わせようとするのだが、肝心の席のどこに番号が書いてあるのかわからない!(←イタリアですもの)運転席の真後ろの席はあいているので、Mizumizuたちはそっちに座り、「ここでいいから」とイタラに伝えた(←基本的に揉め事は避けたい日本人・苦笑)。おばちゃん2人はテコでもどきそうにないしね。定刻どおりバスは出発。なが~いシチリアへのバス旅行の始まり。ところが!しばらくしたところで、30歳ぐらいの女性が1人乗り込んできて、「私、ここの席を予約したんですけど」とMizumizuたちに言うではないか!ハア~?「私たちもここを予約しました」答えながら、上の棚にのせたバッグから切符を取り出して確認しようとしたら、「あ、じゃあ、いいですよ。後ろに座るから」と感じよく女性は後方の席へ。日本人は自分が予約した席に他人が座ってると、いきなりムチャクチャ腹を立てたりするのだが、イタリアでは案外寛容。これは鉄道でもいえることで、予約した人が来るまでは、別に誰が座っててもいいでしょってノリだ。もし自分が予約した席に他人が座っていたら、そう言えばどいてくれる。変にツンツンしないことだ。習慣が違うと思ってください。Mizumizuたちも知らずに予約席に座っていて、男性が、「ここボクの席です」と切符を見せるので、どこうとしたら、「あ、いいですよ。ボクが別の席に座るから」と譲ってもらったこともある。じゃあわざわざ声かけることないじゃん、と思うかもしれないが、ここがイタリア男のミエミエなところ。「本当はボクの席だけど、ボクは親切だから譲ります」と一言言いたいのだ。つまり、褒めてもらいたいワケね。こういうときは、もちろん大げさに、「ありがとう! とっても親切ですね!!」(グラ~ツィエ! エ・モルト・ジェンティーレ!)と満面の笑みで感謝の気持ちを伝えよう。テコでも動きそうにないおばちゃんと違い、若めのイタリア女性は親切だった。後方へ行く彼女へ向って、もちろん、「グラ~ツィエ! エ・モルト・ジェンティーレ!」しかし、いい加減だなぁ。いったいどういう発券の仕方をしてるんじゃ…と思って、再度しげしげ席の番号を探してみると…あっ!おばちゃんたちの座ってる席の番号が、座席の横の下のあたりに書いてあるのが見えた。Mizumizuたちの切符の番号と合っている。なぁんだ、やっぱりイタラが正しかったのネ。おばちゃんたちの切符の席が違っている可能性が高くなったが、もういまさら切符見せてもらって、このテコでもどきそうもないおばちゃんたちにテコをきかせるのもメンドウなので、そのままに。親切な30歳ぐらいのイタリア女性には、悪いことしちゃった。多分彼女の言っていることは正しいんだろう。イタリア半島とシチリア島は狭い海峡で隔てられていて、その名もまさにStretto(ストレット。狭いという意味)というのだが、橋がかけられていない。この不便さは、Mafiaに牛耳られたシチリア島との行き来が、あまりに簡単にならないようにという政治的な配慮があると聞いたが、詳しいことは知らない。バスはフェリーに乗り、海を渡る。やはり時間がかかった。橋がかかれば簡単だろうに。上陸するとすぐにメッシーナの街に着いた。バス停は思った以上に淋しく、バーリ8:30→メッシーナ15:00 メッシーナ15:25→タオルミーナ16:09の乗り換え便がちゃんと来るのか不安に。切符売り場で聞いたら、「すぐに来る」とのこと。がらんとしたバス停で待つ時間は、かなり長く感じた。ユーロ紙幣・硬貨導入の直前のタイミングだったのだが、リラ(当時のイタリア通貨)は大変に安かった。円高だったというべきかもしれないが。メッシーナからタオルミーナまでのバス代は2人で600円ほど。つまり1人300円。バーリからメッシーナまでのバス代も6時間半乗って1人確か3000円ほどだった。その後イタリアは急激なインフレに見舞われたが、バスや鉄道などの公共料金はまだ、かなり安いと思う。
2009.01.13
最初にアルベロベッロを訪れたときに、欲しいと思ったものの、かさばるし、重いし、壊れやすそうなので、買わなかったトゥルッリの置物。今度は意を決して買うことに決めて来た。安価で手ごろな小さいものがお土産屋に売られているのだが、当然こういうものは質が低い。一方で、石職人(実際に屋根の修復を行う職人)が作っているトゥルッリの置物は、実際のトゥルッリに使われる石を使った本格的なミニチュア。どうしても本格的ミニチュアのほうが欲しくて、石職人のアトリエを捜し出した。しかし、実際に見てみると、やっぱり重そうで、壊れやすそう。「日本まで運んでる間に壊れそう」と職人兼売り子のおじいさんに言うと、「大丈夫! 壊れたらのりではりつければいいから! 本物もそうしてるよ」胸を張って、太鼓判を押してきた。そ、そうか。確かに素材は石だし、屋根が崩れたりしたら修復すればいいのネ。というワケで、買ったのがコレ。幅約20センチ、高さ約12センチ。価格8万リラ(約4,800円)。左の屋根の天辺が微妙に左に曲がっているのに気づきましたか? やっぱり壊れたので、修復したのです。まっすぐに直せなかったのは、ひとえに修復の腕の未熟さ。買い物も無事すませ、アルベロベッロを去るMizumizu一行。アントニオはふだんは超おとなしい紳士なのだが、ハンドル握ると人格一変。F1目指してるのかよ? ってなノリでぶっとばす。さすがモータースポーツの本場、イタリア。と感心するより、ハッキリ言ってコワイ。おまけにクルマの後ろに乗っていたら、グネグネした田舎道で酔ってしまった。とうとう耐えられなくなり、「気分が悪いから、ちょっととめて」とクルマを停めてもらい、休憩して、ついでに助手席のイタラと席をかわってもらった。さらに、5月とはいえ、30度を越す気温と強烈な南イタリアの太陽光を浴びて、イタラ邸に帰ってから気分が悪くなった。もともとちょっとした太陽アレルギーがあり、直射日光に長くあたると皮膚に湿疹ができる。家で具合悪そうにしてるMizumizuを見て、イタラが、「どうしたの?」と聞くので、「太陽に当たりすぎて、気分が悪い」と答えたら、「変なの」と怪訝顔。へ、変ですか?イタリアにだって熱中症とか日射病ぐらいあるだろうに。「太陽の国、イタリア」と言うが、5月の太陽ですでに具合が悪くなるヤワな日本人のMizumizuは、南イタリアではとても長くは暮らせない気がする。さて、ここでMizumizuファミリーの本の宣伝。気楽な母娘旅のパートナー、Mizumizu母が1999年に出版した「イタリア・プーリア州2人旅」。すでに市販はされておりませんが、直販は可能ですので、ご希望の方に販売いたします。定価:1500円(消費税・送料込み)。購入ご希望の方は、住所・氏名をお書き添えのうえ、メールにてお申し込みください。今回のMizumizuブログの旅はバーリからシチリアに向かいますが、「イタリア・プーリア州2人旅」は、その前の旅、文字どおりプーリア州をめぐる個人旅行のお話です。イラストもMizumizu母。イタラとの出会いの詳細についても綴られています。意外なイタラの年齢にビックリするかも? また、風光明媚なプーリアの街が写真つきで紹介されています。内容は…プロローグ――アルベロベッロのトゥルッリイタラ・サントルソーラ――ある出会い脚光を浴びる「国の恥辱」――マテーラの洞窟住居トマトつかの間の栄光――カステル・デル・モンテ白い宮殿――グロッテ・デ・カステラーナバロックのまち、レッチェなどです。
2009.01.12
アルベロベッロはプーリア州の小さな街。トゥルッロ(複数形でトゥルッリ)と呼ばれる特異な円錐形の屋根の住居建築で有名だ。まるでおとぎの国に迷い込んだようなファンタジックな景観が広がる。ここに来るのは2度目。最初に訪れたときは、トゥルッリにもまだ日常的な生活感があったが、あっという間にテーマパーク化されてしまった。生活するには、狭くて不自由なトゥルッロ。今ここに実際に住んでいる人はごくわずかだという。屋根に描かれたマークは魔よけだとか。今は、トゥルッリはほとんどがお土産屋になっている。あるお土産屋の女主人が屋根の上に登らせてくれた。木製の狭い梯子を登ると、屋根の上には案外広いスペースがある。屋根の上から見るトゥルッリ群は、なかなか壮観。アルベロベッロに行ったら、是非どこかの店で上に登らせてもらおう。屋根は、石を扁平に砕いて積み重ねる。16世紀には、家屋にかかる税をのがれるため、税の取立人が来ると、石を屋根からはずして、「これは家ではありません。だって屋根がないから」と言い張ったとか。おとぎの国のような風景だが、耕すと石灰岩がゴロコロ出てくる痩せた大地に乾いた気候――ここに住む農民はずっと貧しかったのだ。ところでこのアルベロベッロ小旅行。バーリからイタラのBFのアントニオのクルマで行ったのだが、朝時間通りに迎えに来たアントニオ氏にイタラったら…「なんて時間に正確なの! 正確すぎるわよ!」とどなりつけ(わたしらはまだ支度ができてなかったのだ)、ドアも開けずに外で待たせたのだった。すごいなァ・・・ イタリア女性追記:署名サイトへのご協力ありがとうございます。読者の方からのご指摘が多かった、「提出先」問題ですが、発起人のsindoriさんへ皆様の意見を伝えたところ、「おかしなフィギュアスケートの採点をなんとかしたい!」については、テレ朝の他に、新聞社、JOC、IMG、「国別対抗戦反対」の方は、日本スケート連盟のほかに、新聞社、IMG、Olympusにも送付することが決まりました。詳しくは署名サイトをご覧ください。http://www.shomei.tv/project-603.htmlhttp://www.shomei.tv/project-608.html
2009.01.11
旅行ネタはちょっと中断させてください。フィギュアスケートの試合が終わったにもかかわらず、連日1万件近いアクセスをありがとうございます。フィギュアファンの読者の皆様のご意見を拝借したく、急遽フィギュアネタでのエントリーです。署名サイトにたくさんの署名をありがとうございます。賛同していただく方の人数の多さに、呼びかけたほうもビックリしているような状態です(わずか数日で1000名突破)。が、数名の方から、「テレ朝や日本スケート連盟に署名提出しても、もみ消されるだけでは」というご意見が寄せられています。特にテレ朝に対する視聴者の不信感は高いようですね。署名サイトのコメント欄を拝見しても、そのような意見がありましたね。「実際にテレ朝に抗議したが、まったく蛙のツラにションベン」とおっしゃる方もいます。またファンの方のご意見として、「国際スケート連盟にメールで抗議したいが、英語が書けない」とおっしゃる方も多いようです。実際には、自分の言葉で書くことが大事で、100%正しい英語である必要はないのですが、確かに英語で意見するのは日本人にはハードルが高いかもしれません。「署名プロジェクトの詳細」の立案にかかわったのはMizumizuなのですが、この内容を英訳し、Mizumizuが国際スケート連盟に送り、そのあとで拙ブログにのせ、賛同できる方が、個々人で「私はフィギュアスケートの1ファンとして以下の意見に賛同します」というような内容(これもこちらで英訳します)を文頭につけ、国際スケート連盟のCotact先にメールを送る、というようなことはどうでしょうか。国際スケート連盟のCotact先には名前とメールアドレスを入力して意見を送ることができるようになっています。文面は同じになってしまっても、送っている方が違えば、多くの意見であるということが国際スケート連盟にも伝わるかもしれません。個々人が自分で書いた英語を送るより、多少チェーンメールの匂いがあっても、この方法のほうが「意見を伝える」ということでは、効果があるかもしれません。これについて、皆さんはいかがお考えですか?賛成・反対(特に想定される問題点など)のご意見を募集しますので、メールでお寄せいただけませんでしょうか。「こうした方がもっといいのでは」というような意見でもかまいません。お待ちしております。Mizumizu拝
2009.01.10
21世紀に入ってまもないある年の5月。Mizumizuは母とともにシチリア個人旅行を計画した。旅の計画の立案に協力してくれたのは、イタリアはプーリア州バーリに住む友人のイタラだった。「シチリアに行く前に、絶対にバーリにも寄ってね」の言葉に誘われて、日本からローマに飛んだMizumizu&母は、南へ向うインターシティに乗り込み、バーリに向った。ローマ7:40→バーリ12:31プーリア州は長靴のカタチをしたイタリア半島の東南、カカトからふくらはきぐらいまでの部分にあたる。バーリは州都でアドリア海に面した都会。駅前には整備された新市街。イタラのアパルトマンは、駅から歩いて7-8分の目抜き通りにある。日本風に言えば「都会の一等地に建つ高級マンション」。新市街を抜けると細い路地の入り組んだ旧市街が広がり、観光スポットでもある聖ニコラ教会もこのエリアに。聖ニコラは、サンタクロースの語源になった聖人で、バーリの守護聖人でもある。ニコラ像の周りには花がいっぱい。聖ニコラ祭では、この聖人像がかつがれて街中をねり歩く。こうした聖人祭、日本人には、『ゴッドファーザー』の1シーンというと、イメージがつかめるかも。聖ニコラ教会の裏手では静かな時間が流れていた。鉢の置き方もなんとなく詩的夜はお祭りがあるというので、旧市街へお出かけ。「カメラを取られないように気をつけて」とイタラから厳重注意が。明るく近代的な新市街と朽ちたような建物の並ぶ旧市街では、そこに住む人々の生活レベルの違いがくっきり。新市街は別にフツーの都会の街だし、歩くには旧市街のほうがおもしろいのだが、イタラ曰く、「夜は私だって1人では歩かない」とのこと。イルミネーションの「門」が教会への道を飾る。神戸のルミナリエ? と思うかもしれませんが、場所は南イタリアのバーリです。こちらのイルミネーションのほうが、日本のこの手のイルミネーションよりずっと素朴。こちらもまるっきり東京ミレナリオの縮小版。もちろんイタリアのほうが元祖です。「このイルミネーション、ここでのお祭りが終わったらどうするの?」とイタラに聞いたら、「たぶん、たたんで次の街へ持っていくんでしょ」とのこと。イタリアの元祖ルミナリエ・ミレナリオは巡回方式だったのネ。<明日はバーリの近郊、アルベロベッロを紹介します>追記:引き続き、フィギュアに関する署名を募集しています。内容をよくお読みいただき、ご賛同いただける方は、署名をお願いいたします。署名の集まり方の速さに驚いています。いかにおかしなルールと選手を消耗させる商業主義にファンの怒りが高まっているか、如実に見る思いです。http://www.shomei.tv/project-603.htmlhttp://www.shomei.tv/project-608.html
2009.01.09
「おかしなフィギュアスケートの採点をなんとかしたい」に、たくさんの署名をありがとうございます。1日もたたないうちにすでに350人以上の署名が集まっています。いかに今季の採点に疑問をもっているファンが多いか改めて実感しました。コメント欄に一言、思いを書いていただくのもよいことだと思います。引き続き、署名を募集していますので、ご賛同いただける方は署名をお願いします。http://www.shomei.tv/project-603.html今回のプロジェクトを立ち上げたsindoriさんから、新たな署名募集のメールが届きました。世界選手権の後、オリンピックシーズンに入った4月に行われる国別対抗戦などという無意味なイベントに、日本シングルのトップ選手の派遣を見合わせるよう要請するための活動で、今回の提出先は日本スケート連盟になります。浅田真央人気を当て込んだ商売であることはミエミエですが、私たちファンはこういう無意味なお祭りイベントより、選手のコンディションを何よりも大切に考えているということを伝えることが目的です。そもそも今の日本のフィギュア選手のスケジュールは過密すぎます。グランプリシリーズ、ファイナル、全日本、4大陸、世界選手権、その間にショーが入り、どのイベントでも選手は常に全力で、足を運んでくれるファンに満足してもらおうと頑張ります。だからこそ選手を、人気があるときに金稼ぎをさせる消耗品のように扱ってほしくありません。もう少し休ませてあげないと、ただでさえ短いフィギュアスケート選手の選手生命が、またもっと短くなってしまいます。こちらの署名は、以下からできます。http://www.shomei.tv/project-608.htmlあるいはこちらから。http://www.shomei.tv/→「呼びかけ一覧」→「フィギュアスケート国別対抗戦反対」ご賛同いただける方の署名をお待ちしております。
2009.01.08
読者の方からの呼びかけで、オンライン署名サイトの「おかしなフィギュアスケートの採点をなんとかしたい! 」という署名プロジェクトの立ち上げに協力させていただきました。是非お読みいただき、ご賛同いただけるかたは署名をお願いいたします。今回の提出先は「団体戦」なる無駄な試合を放送する予定のテレビ朝日ですが、スケート連盟への要請としても文章が活用できると思います。諸悪の根源はなんといってもダウングレード判定。これには「回転不足ジャンプなのに認定されたりされなかったりする」という判定への不信感、および「ダウングレードされるとGOEでも減点となるため、失う点が多すぎる」という制度上の問題があります。この制度上の問題はもともとあったものですが、今季から判定が厳密化されたため、本来のジャンプの評価とかけはなれた点が頻出し、採点の正当性をゆがめています。もうひとつはGOEによる加点・減点です。GOEにからめた詳細説明の3のcがちょっとわかりにくいかもしれませんが、ジャンプの加点・減点については、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AE%E6%8A%80%E8%A1%93%E3%81%A8%E5%BE%97%E7%82%B9をご覧ください。つまり、トリプルアクセル以外の3回転ジャンプはマイナス3からプラス3まで、GoEジャッジがつけた点がそのまま反映されてしまうため、「異常な加点」と見てる者が思う点数が与えられてしまうのです。一方でトリプルアクセルや4回転は減点が過剰(ジャッジがマイナス1とつけてもマイナス1.4、マイナス1.6というように減点される)なため、難しいジャンプを跳ぶ選手には不利になっています。一方で、2回転ジャンプは加点も減点も過小であるため、大きな影響がないのです。3回転ジャンプの加点・減点もこれ(2回転ジャンプの加点・減点の反映のしかた)にならうべきです。現在のアクセル以外の3回転ジャンプの加点・減点は、客観的であるはずの基礎点を匿名の主観点であるGOE点でないがしろにすることにつながります。それぞれのジャンプの質を評価して点に反映させることに反対はしませんが、程度の問題です。ダブルアクセルは加点のみ3回転ジャンプと同じくジャッジの点がそのまま反映されるのに対し、減点は2回転ジャンプに準じる程度に過小です。ですから、ダブルアクセルをきれいに跳ぶと、それよりはるかに難しいはずのトリプルループの基礎点である5点以上の点が与えられるなど本末転倒な現象が起こっています。こうした例は枚挙にいとまがありません。主観による加点・減点にこれほどの点数を幅を与えるのは、ジャンプの正当な評価という意味においてもきわめて不適当です。もう1つの問題点は、GOEや演技構成点を「誰が何点つけたか」が匿名で、公表されないことです。この不透明性がファンの不信感を招いています(参加したジャッジの名前自体は、技術審判、演技審判とも公開されています)。演技構成点も、匿名で採点が行われるため、特定の選手に対して他のジャッジとあまりにかけはなれた点をつけるジャッジがいるなど、責任をもった審査が行われているのかどうか、ファンは疑いの目を向けています。「誰が誰に高い点をつけ、誰が誰に低い点をつけたのか」を明確にすべきです。署名は実名のみですが、「匿名希望」にチェックしていただければ実名が公表されることはありません。署名サイトは・・・http://www.shomei.tv/の左端のカテゴリーの「その他」→タイトル「おかしなフィギュアスケートの採点をなんとかしたい!」です。あるいは、こちらから直接いけると思います。↓http://www.shomei.tv/project-603.html「そういうことして何になるの?」と思われるかもしれません。しかし、意見を伝えることはそれなりに意義があります。Mizumizuは昨シーズン、エッジ問題で、キム選手のフリップが中立に入るクセがあり、ときにアウトに入っていることもあるのでは、と疑いをもっていました。それを日本スケート連盟と国際スケート連盟にメールで意見しましたが、今季1度だけですが、違反判定がでました。曖昧なので、はっきりwrong edgeだとは言い切れないこともあるのですが、少なくともジャッジが注視するきっかけの一助にはなったかな、と思っています。私たちはできるかぎり客観的で正当だと多くの人が納得できる採点の競技を見たいだけです。今のフィギュアの点の出方は誰が見たって異常です。
2009.01.07
時計というのは、お手ごろな価格の日本製クオーツが一番よく働く。しかし、スイス製のデザイン性の高い時計も捨てがたい魅力がある。というワケで、気がつくといろいろ買っていたりするのだが、Mizumizuが所有した時計で一番の困り者がロンジンの超薄型文字盤のクオーツ時計だった。写真一番左がそれ。まん丸いゴールドの文字盤は厚みがわずか4ミリ。時間を示すインデックスはシンプルな細いライン。クロコの濃紺の革バンドとの組み合わせはとてもエレガント。余計なものをそぎ落としたようなデザインが非常に気に入って買ったのだが、「薄いから電池はわりと早く切れます」と言われたとおり、すぐに止まってしまうのが難点だった。そのうえ、使ってるうちにどんどん電池切れの間隔が短くなる。薄型の特殊な時計ゆえか、電池代も高い(高かった)。ロンジンを扱っているショップに持っていったり、デパートの修理コーナーに行ったりしていたのだが、時間もかかり、預けてから別の日にまた出直さなければならない。そのうちに、電池を交換してからしばらくしまっておくと、使う前にもう止まってるというような異常な状態に。デパートの修理コーナーにいた職人さんに話を聞くと、中の部品を新しくすれば、長持ちする新しい電池が使えるようになると言われた。どうもよくわからない話で、内心、それってつまり、ムーブメント自体に最初から不具合があったってことじゃないの?と思ったのだが、こんなに電池切れが早いんじゃやってられない。数万かけて部品を入れ替えてもらった。で、最近はあまり腕時計をして出かけない。そもそも出かける時間もなく仕事に追われまくっている。たまにでかけても、携帯電話に時計がついているので、腕時計はなくてもいい。気がつくと、家中の腕時計が止まっていた!(笑)写真はそのうちのいくつか。左からロンジン、4℃(アクセサリーブランド)、クルマ屋さんからもらったノベルティグッズ、一番右が連れ合い所有のセイコー。これだけバラバラだと、時計を売ってるショップに持っていっても、「これはできますが、これはお預かりになります」などとメンドウくさい。修理を専門にやってくれるプロの店が近くにないかな~と思っていたら…あるじゃないの!家から徒歩10分の西荻窪の街角に。いつできたんだろう? 最近まで気づかなかった。で、写真一番右の時計は、連れ合いのなのだが、ブレスレット部分のパーツを細いピンで留めてつなげているのが、ピンがはずれやすくなってきたと、これまた困っていた。Mizumizuのいろいろなブランドの時計と、セイコーのブレスレットのピンの修理を一挙に頼んでみたら…「ハイ、すぐできます」と心強い返事がソッコーで返ってきた。しかも…聞いてたまげるほど安い!http://padonavi.padotown.net/detail/pages/1109/00000905000.html↑ここのお店紹介に載ってる料金ほぼそのままで、薄型ロンジンのような特殊なものも、「預かり」ではなくすぐその場でやってくれた。ピンの交換もその場でチョイチョイ。あっという間に直してくれて、古くなってサビの入ったピンを見せてくれ、「こんな感じになっていたので抜けやすくなっていたんだと思います。ピンを1つ1つ押してみて、緩そうなのだけ新しいのと交換しました」と作業の説明もバッチリ。でもって、これまた「そんな値段でいいんですか?」というぐらい安い。工房には3人スタッフがいて、1人はお年のベテラン。あとは30代ぐらいの若手の職人が2人。ルーペを額にくっつけて(作業中は目に移動)、いかにもデキそうな感じ(笑)。ロンジンの薄型時計の電池交換には過去、毎回毎回そーとーなお金を払っていた。あれは何だったんだ。電池交換のあまりの安さと速さに驚いて、「大丈夫なんだろうか、そんなに安くやって」と返って心配してしまったのだが、ここはやっぱり、どちらかというともっと手の込んだマニアックな時計、つまり機械式時計のオーバーホールを請けていきたいんだと思う。店の紹介を見ても、地方発送の準備などしている。オーバーホール以外にないよね、これは。ちょうど連れ合いはブライトリングの機械式時計など持っている。そして、オーバーホール代にビビってあまり使っていない(笑)。オーバーホールの腕前はまだ拝見していないが、頼んでみて後悔することはなさそうだという気がしている。ブライトリングを頼む前に、調子の悪くなってきたレビュートーメンのクリケットのオーバーホールを頼んでみようか、と連れ合いが言っている。店に行ったとき、ちょうど彼が腕にはめていたのだが、「こういうのもできますか? 実はこのごろ…」と、調子の悪いところを説明したら、「あ、それは…」となぜ調子が悪くなっているのか、予想されるムーブメントの機能劣化について軽く説明してくれ、こちらが言う前から、「クリケットなら修理できますから」とモデル名をあっさり言い当てていた。小さな店の中はまさしく時計職人の工房そのもので、余計なものは何もおいていない。「お休みはいつですか?」と聞いたら、「え、あのぉ~」と口ごもって、「決めてないんです。今のところ適当」なんて、正直に言うところが、ゆる~い街・西荻の店らしくて笑ってしまった。西荻は、吉祥寺の一駅隣りだが、ディープでマニアックな店がある反面、とってもゆるい。お昼開店の店に正午に行ってもまだ開いてなかったりと、適当なところは、イタリアそこのけ。この時計修理工房も商売っ気があまりないのが心配だが、ガツガツしなくても、いいモノ・いいサービスを売ればやっていける(儲かってるかどうかは…どうかなぁ。あんまり儲けたがってる人もいない気がする)、つまり目の肥えた地元民が多いのがこのあたりのいいところ。こういう職人の店こそ長く生き残ってほしいもの。どんな時計でもすぐ電池交換してくれるだけでMizumizuとしてはかなりハッピー。心強いパートナーを見つけた気分だ。
2009.01.06
読者の皆様へ:拙ブログはリンク・フリーです。リンクを貼るのにMizumizuの許可などは不要です。どうぞご心配なく。「若者の住みたい街」で1、2位を常に争っている街、吉祥寺。ここで飛び切りの紅茶を飲ませてくれる喫茶店がある。それがGclef。茶葉の販売も手がけているようだが、Mizumizuはもっぱら喫茶店にお世話になっている。中でも最高に気に入っているのが、「アニスのミルクティー」。アニスとはスターアニスのこと。中華風に八角とも言われるが、そう言うと急に「どすこ~い、どすこ~い」のスモウ親方に(苦笑)。一方、「レオナルド・ダ・ビンチに愛された美少年・サライがアニス風味の砂糖菓子を好んだ」と紹介すると、急に禁断のオシャレ味にグレードアップ(レオナルドとサライについてのエピソードについては、拙ブログ2008年2月1日「快楽と苦痛の寓意」のエントリーご参照ください)。禁断のオシャレ味ってのが何なのかはともかく、スターアニスがどこかオリエンタルで、個性的な芳香を漂わせていることは確か。受け付けない人はまったくダメだろうけど、はまるとどうにも離れがたくなる。吉祥寺のGclefは、駅から徒歩5分ほど。第一ホテルの裏の路地にあり、いつも若者で賑わっている表通りとは打って変わって静かな界隈。ひっそりとしたロケーションにもかかわらず、極上の紅茶を求めてお客はひきもきらず。店内は古びたブリティッシュスタイルで雰囲気満点。客席が少ないので、満席で待たされることもしばしば。決して安い喫茶店ではないが、味わえる贅沢感と秤にかければまったく高くはない。だから、人が来る。そして、ここのもう1つの名物が焼きたてのスコーン。スコーンを目当てに来るお客さんも多いらしい。Mizumizuもその1人。スコーンぐらい自分で作ろうと思えば作れるし、実際、以前はよく作っていた。でも、今は仕事も忙しいし、もっぱら食べさせてもらう派に。少し酸味のあるクロテッドクリームに、選りすぐりのプリザーブ(ジャムのこと)をつけていただく。プリザーブはイギリス直輸入で、グレートテイストアウォードというイギリスの権威ある食品コンテストで数々の受賞歴を誇るメーカーのものだとか。種類も豊富でストロベリー、ラズベリー、ブルーベリー、マーマレード、レモンなどの中から選べる。プリザーブに関しては、どうもMizumizuには味の違いがよくわかりません。Gclefは茶葉と同時にプリザーブも販売してるので、やや宣伝くさい気も… もちろん、甘さがくどくなく、果実の食感も残っている美味しいジャムだとは思う。でもじゃ、アオハタとどんだけ違うかと言われると…(苦笑)。亡父がイギリスに住んでいたことがあるので、あの国の食のレベルは身にしみてるが、そこで権威ある食品コンテストと言われてもねぇ、むにゃむにゃ… それにイギリス人は元来非常にケチ、お高いジャムなんて食べないよ。スコーン自体の味は非常にいいと断言できる。さっくりした歯ごたえに、バターの風味も上質でさわやか。スコーンは焼きたてが命なので、毎日焼きたてを出すという店の姿勢には拍手。注文してから少し待たされることもあるが、待つ価値あり。Gclefは高円寺にもショップとカフェを出していて、こちらにお邪魔することもしばしば。高円寺のカフェはイートインに近く、喫茶店の雰囲気を味わうなら断然吉祥寺だが、吉祥寺店は場所自体は辺鄙で、「Gclefを目指して行く」という感じ。高円寺店のほうは商店街の中にあり、買い物ついでにちょっとお茶でも、といった地元の女性客が多い。こちらもいつも混んでいる。店内には紅茶関連の雑誌や書籍がずらり。不況で閉店に追い込まれる飲食店が多いと、今日ニュースでやっていたが、どうもつぶれてる店のオーナーは、「客の単価はXX円ぐらい。コンセプトは○○で。材料調達はこうやってコストを抑えて」と理屈から入って商売しようとしている人がほとんどだった。つまり、自分が売ろうとしているモノに必ずしも思い入れや愛情があるわけではないということ。Gclefは間違いなく、「紅茶が好きで好きでたまらない人が作った」店だと思う。こういう店のほうが、結局は不況にも強い。<追記>高円寺店ですが、隣接するスナックから出た火事のトバッチリにより、2階半焼、1階の店舗も延焼および消火活動にともなう放水などの影響で内装と商品に甚大な被害が出て、2009年1月12日現在、営業再開のメドは立っていないとのことです。
2009.01.05
Mizumizuが起業して4年。それまで個人事業主だった身には無縁だった「法人税」という枷がはめられるようになった。公共性の高い大企業のことは知らないが、個人・家族レベルでやっている会社が決算期に考えることはだいたい次のどちらか。(1)なんとか黒字決算にして、銀行からの融資を打ち切られないようにしないと。→赤字の会社、それも中小となると銀行はお金を貸してくれないのだ。(2)個人レベルでやってるのに、法人税まで払えるか! それでなくても所得税を払っているのに。大赤字はまずいけど、なんとかギリギリ赤字にしたい。これが会社がもっと大きくなり、株式公開したりすると、「粉飾決算しても儲かってるフリして株価をつりあげよう」とどっかの誰かのような発想になる。みんながみんなそうではない(と思う)が。で、Mizumizuのような、連れ合いと外部のフリーランスの仕事仲間とで、ごく小規模にやってる会社の場合は、(2)のような発想になる。仕事は相変わらず忙しい。合間にパソコンに向って「弥生会計」で決算書類の準備をする(会計のコなんか雇える余裕もないし、そもそもそれほどの規模じゃないのだ)。決算月の2-3ヶ月前から、「赤字になるのか黒字になるのか」予想するために、売上と経費をパチパチ入力して、その場でバランスシートをチェックする。今期はどうやら、黒字になりそうだ。黒字だと法人税を払わないといけない。赤字でも「均等割り」とかいう税金がかかってくるが、まあそれは会社ですもの、仕方ない。黒字決算をしたい会社というのは、上にも書いたように銀行からの融資が必要な会社。ウチは融資が必要ない文筆業の人間が作った会社。だから、勢い発想は…黒字になって法人税払うより、経費で何か備品を買おうという健全(←ホントにけんぜんか?)なものになる。ところが!毎日毎日忙しい。注文は次々入ってくる。モノを買いに行く暇もない。せいぜい気晴らしにブログを書くぐらい。非常に忙しいときなど、ボールペンが全部切れてしまい、困った。100円ショップで数本まとまって売っていたボールペンだったのだが、書きにくいのなんの。もう100円ショップでボールペンを買うのはやめようとかたく心に決めた。で、駅前の文具屋まで行けば、もっと高価(??)なボールペンがいくらでもあるのだが、それを買いにいってるヒマさえなかった。日中は時間単位で納期に追われるから、家から一歩も外に出られないこともしばしば。ようやく夜になって仕事が片付くともう店は閉まっている時間。やっと日中に外に出る時間を見つけ、1本170円の高価な(苦笑)ボールペンが買えたときは、感動しちゃったもんね。か、書きやすい!こんな、ボールペンさえ買いに行く時間がないほど、納期に追われまくって必死こいて働いてる小庶民から、まだ法人税を取るのというのかね!といわれのない怒りに震えるMizumizu。もちろん、会社組織だから、自分の給料にかかる所得税はキッチリ払っている。このままムザムザ法人税を払うより、やっぱり何か大きい備品を買おう!しかし、何買えばいいんだろう?業務に必要な消耗品を経費で買う場合、大きな(ってことはないが)落とし穴がある。それは…30万以上だと一括で経費で落とせないのだ!いわゆるひとつの、減価償却というやつね。何も知らない人のために、ごくごく簡単に説明すると、たとえば50万の「何か」を買ったとする。その「何か」には耐用年数が定められていて、たとえばその耐用年数が5年だとすると、その「何か」を経費として落とせる額は、50万を5年で割ったものになる――というような考え方。実際にはもうちょっと複雑で、すっぱり50万÷5年=10万(1年に落とせる経費)にはならないのだが、まあ考え方としてはそういうことだ。だから、儲かったからと言って高い備品を買っても、1年の経費で落とせる金額は案外少なくなってしまうということ。これが30万より少ない額のものなら、一括で経費で落とせる。このまま黒字になりそうだとわかった決算月の数ヶ月前、いろいろ考えてブルーレイのDVDレコーダーを買うことにした。これなら業務に必要だし、30万以下で買える。で、忙しい合間をぬって量販店に見に行き、ちょうど29万ぐらいのを見つけた。スペックも文句ないので、「よっしゃ、これだな」とアタリをつける。さて、決算月に入った。ちょうど30万弱ぐらいの黒字になりそうなので、29万の消耗品を買えば、まさにピッタリ赤字になる。ふふふ、なんてうまくいってるんだろう。やっぱり日ごろの行いがいいせいかしら。とすっかり悦に入って、同じ量販店にいよいよ買いに行ったら…あ…ちょっと前に見た製品より、さらにスペックのいい新製品が出てる。しかも、22万!ちょっと前より7万も安くなってしまった。その上のグレードになると30万を超えてくるし、そこまでのが欲しいとも思わない。ふつうなら安くなってウレシイはずなのに、Mizumizuのアタマをよぎったのは、が~ん、これだと8万の黒字だ。税金だ(←払えよ、そのくらい)。払いたくない!それで、急遽ブルーレイのDVD買ったり、書籍を買い揃えたり始めるMizumizu。しかし、案外8万に届かないのよね、この手の小さなものって。四苦八苦して業務に必要な小備品やこれまで買わずにいた資料などを買い揃え、弥生をパチパチやって、とうとう数千円の赤字になった!やった!そしていよいよ決算。友人兼顧問税理士のI氏に、こちらで入れた決算データを送り、「赤字が数千円と微妙なので、もし入力ミスなどあって黒字になるようだったら、あらかじめ教えて」とメールを書いた。「わかりました」と優等生の返事。ところが!1ヶ月たっても1ヵ月半たっても、正式な決算が終わったという連絡がない。もしかして、忘れてる?不安になったMizumizuはメールで友人兼顧問税理士のI氏にメール。「決算はまだ? そろそろ法人都民税払う期限じゃない?」すると、その翌日か翌々日に、「遅くなりました。決算終わりました」とデータが送られてきた。やっぱり忘れていて、慌ててやったなぁというのがバレバレな対応。しかも、数千円の赤字だと思っていたら、「最終的に35万の赤字でした」って…ええ~!どうやら、こちらの入力にどこかミスがあったらしい。黒字になってしまうよりは、マシ(ましか?)だが、35万もの赤字とは予想外。なんのために、ブルーレイのレコーダーを買ってしまったのだ?サラリーマンが「会社の経費で」何か落とすと言ったら、使った金額を返してもらえるということだが、自分で会社をやってる人間は、単に使った金額が「経費として計上できる」というだけで、サラリーマンのようにお金が返ってくるわけじゃない、当然だけど。「欲しがりません、黒字になるまでは」のよいコのMizumizu、ガッカリ。別に古いレコーダーでもよかったし、無理して今期に買う必要もなかったのに。もうちょっと待てばもっと安くなっただろうに、ブツブツ。会社の利益の調整とはかように、うまくいかないというお話でした。ちゃんちゃん。
2009.01.04
<きのうから続く>浅田選手はグランプリ・ファイナルでは最初の3A+2Tと3Aを「誰も文句つけられないぐらい完璧に回りきって」着氷も決めた。「ちょっと回転不足気味なジャンプ」が認定されたりされなかったりといったグレーゾーンはあるが、ここまでピタッとおりれば、ダウングレードされることはない。「疑惑の判定」はあくまで、足りてないのに認定されたり、スローで見てもわからないくらいなのに認定されなかったりすることだ。で、全日本ではこの2つのトリプルアクセルが「ちょっとだけ回転不足」でダウングレードされた。そうなると実際に点数がどうなってしまうか見てみよう。(グランプリ)3A+2T 基礎点9.5 (GOEプラス2が1人、プラス1が6人、ゼロが2人) 得点10.3点(全日本)3A(<)+2T 基礎点4.8 (GOEでマイナス1が6人、マイナス2が1人) 4点つまりこの1つの連続ジャンプでファイナルのときより6.3点も下がった。(グランプリ)3A 基礎点8.2 (GOEプラス2が3人、プラス1が5人、ゼロが1人) 得点9.6点(全日本)3A(<) 基礎点3.5 (GOEでマイナス1が6人、マイナス2が1人) 2.7点この1つのトリプルアクセルでファイナルのときより6.9点も下がった。合計で13.2点も下がった!つまり、このファイナルのように「もうちょっとだけ回って」完全に回りきっていれば、13.2点上がり、単純にいって130.35点(117.15+13.2)という点が出たのだ。これは後半の3F+3Loのダウングレードはそのままだ。つまり、後半の3Loをダウングレードされても、3Aを2つに、後半の3Fだけを決めてもそのくらいの点が出るということ。しかもこのときはサルコウを失敗している。この計算はファイナルの点にも当てはまる。ファイナルのフリーの点は123.17点だったが、後半の3F+3Loの3Fでコケたため、この部分の点は3F(<)基礎点1.87(←これが2Fの基礎点)、GOEは全員マイナス3で点が0.87点。ここから最後のマイナス1がくるから、マイナス0.13。マイナス点なのだが、まあ、単純にゼロ点として、この微妙にマイナスのゼロ点ジャンプを含んでの点が123.17点。3フリップだけを決めていれば、基礎点の6.05点(フリップの基礎点は5.5点、後半に跳ぶと10%増し)が入る。実際に決めれば加点も入るので、実際はもっと点が出る。単純に基礎点の6.05点を123.17点に加えれば、129.22点。ほら、やっぱり130点近いでしょう?トリプルアクセルを2度決め、後半に単独3フリップだけでも入れれば、国際大会での基準でも130点近くは出るプログラムだということだ。3F+3Loの3Loをダウングレードされたり、失敗して1Fになったりすると、かえって3F単独のジャンプのほうが加点もつきやすいから点数は出たりする。だが、浅田選手はどうしてもここに3Loをつけたいのだ。なぜか?キム選手がセカンドに2度3トゥループを跳ぶからだ。一方、浅田選手がこの後半の3Loを省いてしまうと、結局3回転+3回転のないプログラムになってしまう。基礎点からいったら、5回転半にしかならない3A+2Tより、点数が高いのだ。昨シーズンまではこの3F+3Loは、キム選手の3F+3Tに対抗する連続ジャンプとして使い、成功すれば大きな点数を稼ぐ強い武器だった。昨シーズンの世界選手権でのショートの連続ジャンプを見てみよう。浅田選手 3F+3Lo 基礎点10.5点、ここに加点がついて12.07点(加点1.57点)キム選手 3F+3T 基礎点9.5点、ここに加点がついて11.36点(加点1.86点)わかりますか? キム選手というのは「加点が命」の選手。しかもこの3F+3Tが最大の武器だ。ここで11.5点前後などという破格の点数を稼ぎ出す。だが、その「最大の武器」も、浅田選手に3F+3Loを跳ばれてしまっては、いかに加点を大盤振る舞いでもらっても、絶対に勝てない。キム選手だけではなく、セカンドに3Tを跳ぶ選手は、コストナー選手。それにカナダのロシェット選手もまだ試合では成功していないが、用意している。彼女たちにとっても同じことなのだ。あとはトップ選手とはいえないが、レピスト選手も3トゥループ+3トゥループをもっている。だが、それも浅田選手と安藤選手に3ルッツ/フリップ+3ループを跳ばれてしまっては、手も足もでない。だったらどうするか? 決まったジャンプも決まってないことにすればいいのだ。ループとトゥループを比較した場合、当然ながら簡単なトゥループのほうが完璧におりやすい。ジャンプの難易度は難しいほうからアクセル→ルッツ→フリップ→ループ→サルコウ→トゥループだからだ。セカンドに3ループが跳べる安藤選手と浅田選手は、以前は3トゥループを跳ぶ必要がなかった。より基礎点の高いループを強化すればいい。だから、彼女たちはセカンドのトゥループに力を入れなかったのだ(浅田選手は今季は入れていないが、昨季は入れていた)。浅田選手はトゥループのほうがセカンドにつけると回転不足になりやすかった(去年は)。逆に3F+3Loについては、昨シーズンまでは、「しっかり跳べば認定してもらえる」と浅田選手は思っていたはずだ。ところが今シーズンは、認定されて12点もの点になっていた3F+3Loの3ループがまったく認定してもらえない。今季成功した(そしてダウングレードされた)浅田選手の3F+3Loは、どれも去年認定してもらって加点をもらったものより完成度が高い。リンクサイドのプロ中のプロ、タラソワ・コーチでさえ「クリーンにおりた」と思っているはずだ。だが、セカンドに跳ぶ2ループというのは、肉眼では見えなくても、どうしても小さなキズ――角度をかえてみれば、常にちょっとだけ足りない――がつきまとうのだ。それがスローで再生するとわかってしまうというわけ。オーサーがたった1度認定された安藤選手のセカンドの3ループをスローでコマ送りさせて、「ほら! 足りてない!」と勝ち誇っている映像をご紹介したが、肉眼ではわからない不足が、どうしてスローを再生させる前からオーサーには察しがついていたのだろう? 恐らく彼は知っているのだ。セカンドの3ループというのがスローで見れば、そう見えるジャンプだということを。それを狙って今季厳しくしてきたんだから。彼はキム選手がwrong edge判定されたとき、「お友達を通じて、非公式に抗議する」と言った。そのお友達というのが、カナダ人の例の有力者。思い出してください、今季のNHK杯のショート。浅田選手のセカンドの3ループを、解説の荒川静香が「見てみましょう」と角度をかえたスロー再生を見て、「大丈夫そうですね」と言っている。あれが、昨季までの、普通のプロの感覚だったのだ。それが今季からクレイジーな感覚になった。安藤選手もそう。彼女は3ルッツ+3Loで12点前後の高い点を稼ぐ選手だった。ところがダウングレード判定になると、それがいきなり6点、7点と下がってしまうのだ。今季のグランプリ・ファイナルのショートでのキム選手と浅田選手の連続ジャンプの点を見てみよう。このとき2人とも見た目にはクリーンに連続ジャンプを成功させている。浅田選手 3F+3Lo(<) 基礎点7点、ここから減点されて5.2点(減点1.8点)キム選手 3F+3T 基礎点9.5点、ここに加点がついて11.5点(加点2点)これがショートでの点が僅差でキム選手のほうが上になった、すべてのカラクリといっていい。世界選手権では勝っていた点が、回転不足判定によるダウングレードで、いきなり大負けになる。お互いに成功させた(ように見える)連続ジャンプ、それも自分のほうが難しいジャンプを跳んでいるのに、6.3点もの差をつけられては、「相手が相当失敗してくれない」と太刀打ちできない。そしたら、ショートでキム選手が得意のルッツでスッポ抜けをやったのだ。だから僅差で助かった。このカラクリがわからない素人は、ファイナルのショートで、「明らかにジャンプを1つ大失敗した」キム選手が、「ノーミス(に見える)」浅田選手に僅差で勝ってるのをみて、ビックリする。そこで、わずかな演技構成点までもちだして、「キム選手は、ジャンプの失敗をおぎなえるほど芸術性が高い」などというトンデモな論評がはびこる。あるいは「キム選手は審判を買収して高い点をもらっている」という噂話が広まる。「回転不足はダングレードせず、GOEでの減点のみに留める」というまっとうな方法なら、こんな点差はつかない。つまり回転不足の3回転ジャンプは、「2回転の失敗(まわりすぎた2回転)」ではなく、あくまで「3回転の失敗(足りなかった3回転)と考えるべきなのだ。つーかさー、ふつう誰だってそう考えるでしょ。だから回転「不足」というのだ。ふつうじゃない理屈をつけてダウングレード判定を導入したのは、すでに何度も説明した「4回転を規制するため」だった。まっとうな、「回転不足は3回転の失敗、だからダウングレードはせず、GOEでの減点だけにする」とどうなるか?浅田選手 3F+3Lo 基礎点10.5点、ここからGOEで、たとえば1.5減点されたとしても9点キム選手 3F+3T 基礎点9.5点、ここからGOEで、たとえば1.8点加点されたとしても11.3点これなら2.3点の差。このくらいなら、浅田選手のループには「回転不足がありましたから」といわれれば、見てるファンもそれほど違和感はないはずだ。まさか、同じように決めてるように見える1回の連続ジャンプで、加点・減点も含めると6点も7点も違っているなど、ふつうは想像もしないだろうと思う。その想像もできない減点をしてるのが、今のダウングレード判定なのだ。回転不足というのは、肉眼ではわからなくても悪いジャンプには違いない。だから減点されることは当然といえば当然なのだ。問題はその程度だというのは、このことを言っている。ジャンプが不足気味になりやすい若い選手にも影響は甚大だ。アメリカの長洲未来選手は昨季の世界ジュニア選手権では162.89点を出したのに、今季のNHK杯(全日本で女子のスペシャリストをつとめた天野氏がアシスタントスペシャリストだった)で124.22点!。40点近くも下がってしまったのだ。もはや笑うしかない。ジャン選手もジャンプをあっちこっちダウングレードされるので、のびざかりのはずが、今季はいきなり弱くなった。アメリカというのがまた、有色人種(アジア)系の選手と白人の選手が強いと、必ず白人の選手を「あげ」ようとする。あるいはアジア系の選手を「さげようとする人が多い」というべきか。さんざん「フィギュアは表現力」と言っていたくせに、中国人系のクワン選手のライバルとして若い(ほとんど幼児体形だった)リピンスキー選手が出てくると(それもちょうどプレオリンピックシーズン)、あの回転不足気味の3ループ+3ループを高く評価し、クワン選手はリピンスキー選手に負け続けた。クワン選手は「ミス・パーフェクト」と呼ばれ、3+3はないものの、フリーでは2つのルッツを含めた5種類のジャンプを安定してすべて決めることができ、表現力に高い評価が与えられる選手だった。そこに3+3を跳ぶ若い選手が出てきたら、いきなりそのジャンプをやたらと評価したのだ。フィギュア・スケートの採点というのは、こういう世界で行われているということだ。<フィギュア・ネタはいったんここで終わりにします。明日からは、お気ラク日常ネタ、美味しいものネタ、旅行ネタなどに戻ります。よろしければ、また気晴らしにのぞきに来てください。では、みなさん、4大陸選手権での日本選手のよい演技に期待しましょう。浅田選手には休んで欲しいですが>
2009.01.03
<きのうから続く>グランプリ・ファイナルを見てください。なりふりかまわず判定基準を変えて必死こいて日本女子を「さげ」ようとしてるのに、結局ヨーロッパの選手(何カ国あるんだか、まったく)は1人しか入ってこなかった。判定の厳しさにみんなビビってしまってミスばかりするからだ。日本からは3人も出てる。キム選手のコーチがオーサーが、「日本の選手の点は高すぎるわよッ!」と叫べは、プロトコルを分析できない日本人以外の素人なら真に受けて、「そうなんだ。日本の女子って不正に高い点をもらってるから強いんだ」などという事実とまったく違うイメージが世界に定着してしまうかもしれない。回転不足判定されるとたいていの場合、「回りきっての転倒」より低い点になるなんて、素人は誰も想像していない。そして、それが他国の選手には跳べない「トリプルアクセル」「4回転サルコウ」「セカンドのトリプルループ」にとっていかに大きな壁となって立ちふさがるか、日本のメディアでさえ、まるで示し合わせたように黙っている。ようやく「回転不足判定があり…」ということは、日本の新聞も書くようになった。だが、それがまったく理屈のとおらないひどすぎる減点になることはなぜか誰も追及しない。それどころか、「浅田真央は3回転+3回転を過去の試合ではいずれも失敗」なんて書いている。確かに自爆やフリーでのコケもあったが、「どうみたってきれいに決めたように見えた」NHK杯やグランプリ・ファイナルのショートの3+3Loの3Loを回転不足判定で「2回転の失敗」にされていた、ということまでは書いていない。そして、冴えたるものが今回の全日本のフリー。浅田選手は「ダブルアクセルを2度も失敗し、3フリップにダブルループをつけて失敗する選手」にされてしまったから、ルッツもフリップも跳べない武田選手の技術点とどっこいどっこい。ね? 国際スケート連盟の黒い意思がわかりましたか? つまり、武田選手と同レベルの女子選手なら、ヨーロッパにもいるのだ。彼女たちは、マトモなルールでは浅田選手には絶対に勝てない。だが、難しい、苦手なジャンプを回避してミスなくまとめて(きれいに決めれば加点がつくから、リスクをおかして失敗する可能性のあるジャンプに挑戦する意味はないということ)、ジャッジが浅田選手のトリプルアクセルと3ループを計3つダウングレードしてくれれば、あ~ら、不思議。みんな浅田選手と同じ点が出る!まさにミラクル・ルールのダウングレード判定。特にセカンドの3ループをダウングレードされるのが、浅田選手にとっては致命的ともいえる痛手になるのだ。なぜか?単純に基礎点の問題。トリプルアクセル+ダブルトゥループは基礎点が9.5点。これがダウングレードされると基礎点4.8点。ここからGOEで減点されるから4点前後にしかならない。つまり一挙に5.5点もの点がなくなる。トリプルフリップ+トリプルループは基礎点が10.5点。難度から言えば3A+2Tのが難しいが、単純に3回転+3回転は6回転、3回転半+2回転は5回転半なので、その分点が低い。フリー後半にとぶ3F+3Loは、基礎点が10%増しになるので、5.5点(3フリップ)+5点(3ループ)=10.5点x1.1=11.55点もある。3ループが認定されさえすれば、この点が入るし、たいていの場合加点になる。ところが、3ループが回転不足となると、基礎点が5.5(3フリップ)+1.5(2ループ)=7点x1.1=7.7点に下げられ、そこからGOE減点(2回転ジャンプの「失敗」だから)がくる。今回全日本でGOEジャッジの減点は控えめだったから、浅田選手のフリーのこの連続ジャンプは結局6.5点という点になったが、国際大会のGOEジャッジはもっと辛辣だから、点はさらに下がる。単独の3フリップだって後半に1つ跳べば5.5x1.1=6.05点。ふつう決めればこれに加点がつくから、結局連続ジャンプを入れた意味がないということになる。GOEジャッジの減点のつけ方によっては、単独より悪い点になる。ここでもやはり、11.55点の基礎点に対して約5.5点なくなるということになる。3A+2Tと後半の3F+3Loの2つの連続ジャンプをダウングレード判定されるだけで、一挙に11点以上(以上、というのは、決めればたいてい加点がつくからだ)なくなっているということだ。単独の3Aまでダウングレードされるともっと失う点は多くなる。「3回転ジャンプで回転不足判定されるより、2回転ジャンプをきれいにきめたほうがいい」というのも、たとえば3F+2Loの基礎点が7.7点でも、3Loが回転不足と判定されるとここから減点になるのに対し、もともと2Loにしておいてきれいに決めれば、ここから(たいていの場合)加点されるからだ。その判定が、「肉眼ではきれいにおりているように見えても、スロー再生で見るとちょっとだけ足りない」ジャンプにジャンジャン下されているのだ。誰が考えたってクレイジーでしょ? この採点。スローで見ないとわからないような3回転ジャンプの回転不足まで、「2回転ジャンプの失敗」などと強引なことを言っているんだから。すでに書いたように、もともとはこれは男子の4回転を規制したくて入れた理論だ。男子は、どんどん大技に挑戦する選手が増え、4回転を跳ばないと勝てないような状況になり、それとともにトップ選手が次々悲劇的な怪我で選手生命を絶たれるという事態に陥った。ところが、このダウングレード判定、2季前から、むしろ女子の3回転ジャンプを「さげ」るために利用されるようになり。今季からは、いよいよ「安藤・浅田選手には勝たせない」という黒い意思が、これ以上ないくらい明確になった。安藤選手、浅田選手(そしてジュニアの世界トップになったアメリカのフラット選手)は、セカンドに3ループをつけられる世界で稀有な存在なのだ。2季前に安藤選手が世界女王になったのは、女子では最高難度で、安藤選手しか跳ぶことのできない3ルッツ+3ループをショートでもフリーでも決めたからだ。だが、安藤選手にせよ、浅田選手にせよ、セカンドの3ループというのは、常にちょっとだけ回転不足になる。そこに目をつけた誰かが、手を回したということだ。このルール基準運営の変更が狡猾なのは、オリンピックのプレシーズンである今季にいきなりものすごく厳しくしてきたということだ。これが最初から、それでなくても数年前からであれば、セカンドを3トゥループにかえて強化するなど、対策は十分取れた。だが、もうオリンピックは次のシーズン。いまからセカンドを3トゥループに変えて完成させるのは、非常に難しい。浅田選手はもともと昨シーズン3F+3Tをやっているから、できるかもしれない。だが、それは、彼女にとっての大きな武器を放棄して、わざわざキム選手には質の面の評価で負けるとわかってる技に落とすことを意味する。浅田選手がなんとしても、3F+3Loでこのクレイジーなルールを正面突破したい(つまり3ループを完璧にクリーンにおりること)のは、3F+3Loのほうが3F+3Tより基礎点が高いため、認定さえされれば、キム選手に対して優位に立てるからだ。安藤選手は浅田選手以上に難しい3ルッツ+3ループを武器にしてきた。これで12点以上の点を稼いできたのが、アメリカ大会ではダウングレードにGOE減点で6.5点。基礎点が下がることに加えて、加点と減点の幅もあるから、一挙に6点以上の点を失うのだ。一方のキム選手は、セカンドの3Tが足りなかったのに、認定されて(これも「ジャッジは4分の1回転以下の不足だから認定した」と言われればそれまでなのだ)、加点をもらい3F+3Tで10.7点。さすがに、グランプリ・ファイナルほどの大盤振る舞いの加点ではないが、1回しかないショートでの連続ジャンプで4.2点もの差をつけられてしまうのは非常に痛い、致命的に近い。セカンドに3ループを跳ぶトップ選手が安藤選手と浅田選手。セカンドに3トゥループを跳ぶ、あるいは用意してるトップ選手が、キム選手、コストナー選手、ロシェット選手。で、国際スケート連盟の会長と副会長ってどこの国の人よ?ココミテ↓http://www.isu.org/vsite/vcontent/page/custom/0,8510,4844-161657-178872-20148-73966-custom-item,00.htmlセカンドに3回転が入るか入らないかは点数に大きく影響する。ジャンプの基礎点は単純に足し算されるから、連続ジャンプの2回目に3回転が入れば、3回転ジャンプの数が増えるからだ。ね? どうしてセカンドの3トゥループはときどき回転不足気味でも認定されているか、わかるよね。たとえば、こんなふうに↓氷におりてからエッジが回ってるセカンドのトゥループでも。http://jp.youtube.com/watch?v=c2GuzcjWn5c&feature=related(これをアップした人はキム選手のファーストジャンプのフリップのエッジがアウトに入っているということを言いたいらしい。確かにそうも見えるけど、まあ、村主選手の全日本のルッツのインに入って踏み切ってるのよりははるかに曖昧)。3Tに関しては、お互いさまなのだ。3Tまで3Loのように容赦なくダウングレードしては、「あげ」たい選手まで下がってしまうというワケ。気分が悪くなるほど、あからさまな話だ。<続く>
2009.01.02
全1475件 (1475件中 851-900件目)