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金鱗湖からさほど遠くないところにあるカフェ・ボンボヤージュ!。自家焙煎の珈琲が飲める喫茶店だが、ここには珍しい自家製のプリンもある。地元でもなかなか手に入れにくいという、大分県の焼酎「兼八」を使ったプリンだ。ひとくち食べて、「うん、美味しい」と、声を出してしまった。とてもなめらかで、口当たりがよく、お酒の風味が上品に香ってくる。言われなければ焼酎だとは気づかないように思う。お店の入り口近くに座っていたお爺様が、「おいしかったですか?」と話しかけてきた。オーナーだろうか、この兼八プリンと、もう1つのメニューである珈琲プリンの誕生秘話を語って聞かせてくれたのだった。500円という高めの値段設定のためか、地元民にはあまり人気がなく(笑)、東京にリピーターが多くいるヒット商品なのだとか。ネットでの注文も、こちらで受け付けているよう。湯布院のカフェ・ボンボヤージュ!自体は、わりと雑然とした店で(失礼!)、確かに珈琲は美味しかったが、どうあってもそこに行って食べたい店というわけでもなかった(苦笑)。
2012.01.25
由布岳を眼前に望む大露天風呂で有名な湯布院の「山のホテル 夢想園」。まるで原宿か、あるいは軽井沢の中心地のような賑わいになってしまった湯布院の街中からは離れた場所にあり、美しい緑に囲まれたゆかしきホテル。絶景の露天風呂と並んでお奨めなのが、ここのカフェで1日40食限定で供されるプリン。手作り感あふれるプリンは、どこまでもナチュラルな味わい。焦げ付く寸前まで煮詰めた苦めのカラメルソースが甘いプリンを大人の味にしている。別府の地獄蒸しプリンのほうが、ガイドブックにはよく取り上げられると思うが、味だったら、断然、夢想園の限定プリンに軍配を上げたい。カフェは山小屋風。天井の梁を見ただけで、安らぎをおぼえる都会人のMizumizuだった。
2012.01.23
リヨン(フランス)で出会った、ベネズエラ産カカオを使ったシンプルなチョコレートの魅惑については、過去何度か書いてきた(こちらの記事参照)。東京でもことあるごとに、極薄円形のベネズエラ産カカオを使ったチョコレートを探していたのだが、なんとなんと、東京では見つからなかったそれに非常に近いものを九州の湯布院で見つけたのだ。Pロールを製造・販売しているMURATAのショップ。名前は茶葉ショコラ。ショコラティエの名前としては、TEOMURATAを名乗っている。Pロールは、街中のB-speakという店でしか買えないが、このショコラは街外れの山の中腹にあるホテル近くのショップでも、B-speakでも、どちらでも買える。500円玉をさらに薄く広げた伸ばしたようなこのカタチ、まさにリヨンの街角で出会った「あの」ショコラにそっくり。碾茶(てんちゃ)、玉露、朝露の3種類があり、このうちホワイトチョコレートの碾茶と玉露にベネズエラ産のカカオが使われている。小ぶりの抹茶棗の中に、1枚1枚和紙にくるんで売られている茶葉ショコラ。過剰包装にも見えるが、これならば、薄くて繊細なチョコレートも割れず、香りも逃げない。紙包を開いて、まずは、かぐわしい希少なベネズエラ産カカオの香りを楽しむ。リヨンで食べたチョコレートはカカオそのものの香りと味を前面に出した、極限までシンプルなものだったが、MURATAの茶葉ショコラは、名前のとおり、星野村で獲れた最高級茶葉をそのままチョコレートに混ぜ込んだ、オリジナリティあふれる逸品。Mizumizuがもっとも好きなのは、ホワイトチョコレートを使った「碾茶(てんちゃ)」。碾茶とは抹茶の原料の呼称だとか。芳醇な油脂の香りに甘い口当たり、パリッと細い茶葉のほろ苦い風味・・・ 絶妙のバランスだ。名高い星野村の玉露茶葉とベネズエラ産カカオの奇跡的なマリアージュが楽しめる「玉露」も捨てがたい。カカオにベネズエラ産を使っていること、形が極薄の円形であることから、リヨンのショコラティエの影響があることは、恐らく間違いない。東京でもなかなか見つからなかった、幻のチョコレートに最も近い逸品を、九州で見つけることになるとは、思ってもみなかった。さらに、ただのコピーではなく、その土地の名産品を見事に合体させたところが凄い。チョコレートに茶葉を入れるなど、東京の感覚ではちょっと思いつかないように思う。恐るべし、MURATAの贅沢希求パワー。これだけ贅沢なものを作り、価格もかなり(というか、相当)高いのに、ちゃんと売れている。湯布院を九州でも屈指の一大観光地にのしあげたのは、MURATAのような一流を知る商売人の力が大きいのだろうと、ひそかに納得した東京人だった。
2012.01.20
おいしい九州。山荘無量塔(MURATA)のTan's Barで飛び切りのロールケーキに出会った。夕方にはソールドアウトになることもあるという。ロールケーキはそもそもシンプルなお菓子。素材の良さが勝負だと言ってもいい。MURATAのロールケーキは、極限までそれを追求している。この大胆な厚切りぶりに、一瞬、「え? こんなにたくさん食べられるのか?」と思ったのだが、上質な素材は軽さに通じ、案外簡単に完食してしまった。生クリームも非常に美味しく、もう少し入っているほうが個人的には好みだが、このあたりは好き好き。バランスとしては悪くない。生地も外側はさっくりと歯ごたえがよく、中はクリームと生地がまざりあってしっとりとしている。その食感の違いも楽しい。Tan's Barはシックな色合いの木材をふんだんに使ってしつらえた、高級感あふれるカフェ&バー。窓の外に自然の息吹きが感じられるのも、都会人にとっては安らぎ。一杯のドリンクを飲むためだけにでも、訪れる価値のある隠れ家的空間。ちなみにPロールは、湯布院の街から離れた場所にある山荘無量塔のショップでは買えない。Tan's Barでは供されるだけ。湯布院駅の近くのB-speakという、MURATA直営のスイーツショップで販売。保冷剤付きで売られているが、賞味期限は当日。買ってお持ち帰りしてみたが、湯布院帰りの遅い時間では当日中に食べることができず、翌日食べたら、驚くほど味が落ちていた。まさに生モノ。
2012.01.17
大分にある安心院葡萄酒工房を訪ねたのは2011年9月のこと。すっぽんとワインという、かなりイレギュラーな組み合わせのアイテム(笑)が安心院のシンボルになっている。安心院に入る道路で観光客を待ち受ける、ワイングラスをもったすっぽんの像。葡萄酒工房に入る前に、門前にあるレストランですっぽんの唐揚を食した。かぼすが付いてくるのがいかにも大分。唐揚の味は・・・ちょっと骨が多く食べにくかった。特にまずくはないが、味だけなら、鶏の唐揚で十分かと(苦笑)。安心院葡萄酒工房の中は、高原のさわやかさに満ちており、ヨーロッパ的な乾いた風が駆け抜けて行く。ワインやジュースのほかに、ソフトクリームも売っているカフェもなかなかお洒落でいい雰囲気。試飲のできるショップやワイン貯蔵庫を見学して回ったあとは、展望台へ足を運ぶ。澄み切った空気の向こうに、由布岳が見えた。
2012.01.16
安心院と書いて、「あじむ」と読む。九州では「すっぽんとワインの町」として知られている田舎町だ。ここのワインメーカー安心院葡萄酒工房のスパークリングワイン「安心院スパークリングワイン2009」が、2011ヴィンテージ国産ワインコンクール金賞受賞を受賞したというニュースを読んだのはいつだっただろう。(受賞ワインリストはこちら)去年の9月にこの工房を訪ねたときには、すでにスパークリングワインは欠品だった。その後も販売されるたびにすぐに売り切れてしまい、なかなか入手できずにいたのを、やっと手に入れたのが2011年の12月。シャルドネ単一種で作られたスパークリングワインは、すっきりと爽やかで、泡立ちはクリーミーで繊細、南国のフルーツの香りがした。深みや華やかさにはやや欠けるかもしれないが、どちらかというと甘めのシャンパンを好むMizumizuの口にも、きりっとしすぎない風味が楽しかった。今日、日本橋三越に行ってみたら、イタリアのワインにまじって、この大分の片田舎のワインが並べられているのをみて、少々驚いたのだ。金賞受賞のスパークリングワインは見当たらなかったが、同じ安心院葡萄酒工房の2008ジャパンワインコンペティションで金賞を受賞した「安心院ワイン シャルドネ イモリ谷」が、堂々と目立つ場所に陳列されていた。どちらかというと、知る人ぞ知るワイナリーだと思ったいたのだが、こうして老舗の高級デパートの一番目立つところに陳列されると、ぐっと格が上がったような印象を受け、密かにここのシャルドネ種の実力にうなっていたファンとしては嬉しい。安心院葡萄種工房に足を運んだ際に、いろいろなワインを試飲したのだが、残念ながらMizumizuの好きなこの2つの銘柄は試飲ワインには入っていなかった。それでも、試飲させてもらった中でも一番美味しいと感じたのもシャルドネ種のワインだった。安心院葡萄種工房のシャルドネ種のワインは値段のわりには、なかなかの実力・・・ ワイン王国フランスにも負けない風味が手ごろな価格で楽しめる。
2012.01.14
長門湯本からクルマで20分ほど山道をのぼると、古来から湯治場として名高い俵山温泉に着く。かなり山深い。まさに「分け入っても分け入っても青い山」といったふうだ。緑したたる山に抱かれた清涼な空気が湯治客を迎えてくれる。ここは3~40軒の旅館が軒をつらねているこじんまりとした温泉街だが、ほとんどの旅館は内湯をもっていない。外湯は3つ。すべて源泉100%加水なし掛け流しの正真正銘の温泉だ。しかもpH値9.8と、長門湯本を上回る強アルカリ性温泉。この値は全国でも有数だとか。細い路地まで古びた旅館でびっしり。湯治客の多さを物語る。旅館同士が温泉設備は競いあうのではなく、限られた湯量の温泉をともに守り、共存している・・・そんな場所だ。時代を巻き戻したような古い旅館の佇まい。こうした日本家屋の旅館は、都会から来た者にとっては、それだけで珍しい。Mizumizuが入ったのは、もっとも設備の新しい「白猿の湯」。長門湯本の恩湯と違って、シャンプーやボディソープも備えつけられており、洗い場もそこそこの広さがある。また露天もあるのが嬉しい。湯治場というと、「お湯の質はいいが、設備が古く汚い」が相場だが、白猿の湯はその常識(?)をくつがえす、新しくて清潔な公衆浴場だ。入浴料は700円だが、同じ施設内のレストラン涼風亭を利用すると200円引きになった。食事もしようと思う人は、先に食べて温泉の割引券をもらおう。こちらが「白猿の湯」と同じ建物内にある和仏料理のレストラン、涼風亭。若者向けのメニューが豊富だった。Mizumizuが食べたのはグラタン。普通に美味しい味で、こういう湯治場で食べる洋食としてはかなり満足できるレベルだった。Mizumizu連れ合いは海老フライに舌鼓をうっていた。白猿の湯は、さすがに西日本一のアルカリ度を誇るだけあって、ヌルヌルといっていい肌触り。泉質のよさと設備の清潔さを両立しているところが、「なんちゃって湯治客」にとってはありがたかった。内湯をもたない旅館はどこも、休憩もできるようになっている。料金も安い。桜並木が見下ろす川のせせらぎを聞きながら、人里離れた山奥の湯治場でゆるりとするのも、また一興かもしれない。
2011.09.16
山口県では湯田温泉と並んで名高い長門湯本温泉。設備の整った大きめのホテルがあり、それぞれに内湯があるのだが、実は泉質は同じではない。循環式がほとんどになってしまったホテルの内湯に飽き足らない温泉マニアには、長門湯本では公衆浴場の恩湯をお奨めしたい。循環なし、加水なし、加温なし(ただし、女性用浴槽の1つは加温しているという話も聞いた)の正真正銘の掛け流し。しかも、PH9.6という強アルカリ性の抜群の泉質を誇る。強酸性の硫黄泉が温泉の王者なら、無色透明ながら、湯船に身を沈めると、しっとりと、いやほとんどぬるつくように体にまとわりつく強アルカリ性のお湯は、温泉の女王というべきか。ちょうど温泉街の真ん中の川のほとりにあり、ご覧のような目立つレトロな外観で、すぐ横は駐車場になっているので、一見の観光客にも見つけやすく、行きやすい。入浴料は200円と破格の安さ。ただし、中にはお金の戻らないコインロッカーしかないので、クルマで来た観光客は必ず小銭の用意を。値段からも明らかだが、まごうことなき公衆浴場なので、タオルや石鹸・シャンプーは持参のこと。ただ、タオルや石鹸などは、川向こうの店でも買えるし、恩湯にも売られている。恩湯から少し上がった場所に同じ公衆浴場の礼湯もあるが、こちらは加温している。やはり、恩湯のほうに入るべきだろう。設備はきれいではないが、どうにも古すぎて清潔さに欠けるというほどでもない。泉質のよさと値段を考えれば、良心的なほうだろう。露天はないが、温度が低めなので、夏でも息苦しさを感じずに入浴できる。長門湯本のホテルの内湯の中には、塩素臭いような温泉もあるので注意。同じ温泉街でも泉質は均一ではないのだ。もし、宿泊するのなら、設備のよさと(恩湯ほどではないが)泉質のよさ、それに値段のバランスで、個人的には玉仙閣を奨める。玉仙閣には露天もあり、歩いて入れる深めの湯船もある。ただし、混んでいる日は日帰り入浴は断られることもある。断られても気落ちすることはない。恩湯に行けばいいのだから。駐車場でみかけたタイル画。ここまで金子みすずのふるさとにされている。仙崎からそれなりに内陸に入った場所なのだが・・・
2011.09.15
仙崎から車で小一時間ほど西へ走ると、日本離れした景観を誇る角島大橋に出会える。このあたりの砂浜は白く、海はご覧のような透明感あふれる水色。正面に見えるのが角島。生活道路として建設された角島大橋だが、夏の晴れた日に特に際だつこの景観美は、すでに自動車のCMに多く使われている。そもそも山口県は道路もよく、渋滞もなく、山道あり海沿いの道ありで、ドライブが楽しい県だが、角島大橋はその白眉ともいえる。写真を撮る人も多いが、なんといってもハーレーの多さに驚いた。高速道路ではよくBMWのバイクを見るが、こういうなだらかで走りやすい道はハーレー乗りを惹きつけるのかもしれない。白バイそっくりのマニアも走っていた(笑)。残念ながら、というべきなのか、当然ながらというべきなのか、角島自体には観光名所らしいところは皆無。灯台があるとはいっても、わざわざ行くほどのものでもない。角島自体、ドライブしてもさほど楽しいところではないので、この橋を目当てに来たドライバーは、角島に入って少し先にある道の駅あたりで引き返すほうが無難。大橋の横には小高い展望台も作られ、水色の海流と橋のパノラマを楽しむこともできる。橋と海を一望できる西長門リゾートホテルでお茶をするのもいい。ただし、味は・・・「いけません」。
2011.09.13
小学校のころ、何年生のときだったかは忘れたが、夏に青海島(北長門海岸国定公園)を回る船に乗った。青緑色の不思議な海の色とあちこちにある洞窟の不思議な景観、それに大きな岩のアーチを真上に眺めながらくぐったことなど、感動的な思い出として胸に残っている。それからは機会はなかっのたが(まあ、ああいうものはだいたい一度で十分ということになるものだ)、この夏、本当に久しぶりに乗ってみた。小学生のころは、デッキから海や洞門や洞窟を眺めていた記憶があるのだが、今はデッキに出ることのできない、小型の水中翼船のような天井のある船に変わっていた。夏は冷房がきいているが、横の窓は全開にできる。最初の名所、花津浦。海は深い藍色。コウモリ洞と名付けられた、洞窟が並んだ岸壁。子どものころは、こうした穴が非常に神秘的に見えたものだ。世界的景勝地でもあるイタリアの「青の洞窟」も見てしまった今となっては、こうした洞窟や洞門に感激することはないが、それでも、形だけではなく、灰色がかったり茶色がかったりと、色も変化に富んだ岸壁は、見ていて面白い。突き出た岩にはやたらと「仏」とか「ナントカ観音」という名前がついている。危険ととなりあわせの漁を生業としていた人々が、岩の形に宗教的な意味を与えて無事を祈った時代が確かにあったのだと実感した。沖(島の北側)に出ると、緑がかった青に、海の色が変わってくる。金子みすゞが自選詩集を「琅?集」と名付けているが、もともと青々とした美しい竹を意味し、最高級の翡翠の呼び名である琅?は、この海の神秘的な色から思いついたのではないかと、ふとそんなことを思った。子どものころ見た青海島の海はもっと澄んでいたようにも思ったが、今でもやはりその色の変化は美しい。大門と呼ばれる岩の大アーチをくぐる・・・と思ったら、半分ほど入ったところで船はバックしてしまった。遠ざかる大門。昔は、船のデッキから直接アーチが頭上を通り過ぎていくのを見た記憶があるのだが・・・ あの迫力はもうなかった。青海島の南側に戻ってくると、海の色は再び藍色に沈む。小山を海上にランダムに置いたような眺めは、なるほど「海上アルプス」と言われれば、そういうイメージなのかもしれない。1時間半と少し長い青海島一周船の旅だが、夏の天気のよい日に仙崎港に来たら、一度経験してみる価値はある。
2011.09.09
3.11の大震災のあと、テレビでさかんに流れた金子みすゞの「こだまでしょうか」。やはり、テレビの効果はすごいというべきか、仙崎(山口県長門市)の「金子みすゞ記念館」には、多くの老若男女が訪れており、驚くような賑わいを見せていた。みすゞが働いていた本屋を再現した記念館入り口。大正時代にタイムスリップしたような佇まいは、雰囲気がある。中は、最初にみすゞの書斎を再現した部屋などのある古い日本家屋を見たあと、ミュージアム形式の記念館に進むことになる。入館料350円という安さのわりには、見ごたえのある記念館だった。仙崎の観光施設や店先に置いてある「下関・長門・美祢 山口県西部 ドライブマップ」という青い二つ折りのマップを入手すれば、入館料が50円引きになる。行きたい人はぜひこれを持って行こう。小学校3年生から高校卒業までを山口で過ごしたMizumizuは、当然詩人・金子みすゞについては知っている。だが、ファンタジックな詩とは裏腹に、金子みすゞの人生については、夫から性病を移され、離縁し、幼い娘を遺して26歳という若さ自殺した・・・と暗いイメージで語られることが多かったように思う。詩人=苦悩がステータスだった時代というのが確かにあり、その時流にのって、人生の陰の部分だけが取り上げられる傾向にあったのかもしれない。そのイメージで記念館を訪ねたMizumizuは、やたらと金子みすゞを、その純粋な人となりから持ち上げている「マンセー」ぶりにやや違和感をもった。才能あふれる若き女性詩人、彼女を虐げる傲慢で無理解な夫・・・というような、あまりにわかりやすすぎ、単純すぎる人間関係の図式にのっとって、金子みすゞの不遇が語られすぎている。西條八十に高く評価されたことは、これでもかと強調されているが、八十の後任には好まれなかった話はできるかぎり矮小化されている。自殺という最期についてはできるだけぼやかし、なにが原因なのか、記念館の記述をつぶさに読んでもまったくわからない。小さな子どもも見に来るから・・・というような「配慮」からかもしれないが、そうした気遣いをすることが、果たして正しいのだろうか?もとより山口というのは田舎で、非常に保守的な土地柄だ。そこで詩ばかり書いている空想力豊かな少女が、それほど周囲に受け入れられたのだろうか? 経済的に成功していればともかく、カネにもならない文芸活動をしている女流詩人など、「変わり者」だと白い目で見ていたのではないだろうか?金子みすゞの詩にはそもそも、周囲の「普通の」人間には見えないものが見え、感じないものを感じてしまう鋭敏な神経な詩人の孤独感・浮遊感が漂っているように思うのだ。Mizumizuがフランスに行ったときも、世界的人気を誇る詩人・ジャン・コクトーをあちこちで「町興し」に使っている例をいやというほど見て、薄ら寒い思いをした。コクトーはフランス人の詩人に対する冷淡さを何度も著作で嘆いていたというのに。同じような「ちゃっかり」ぶりを、金子みすゞを観光資源として使っている仙崎にも感じた。どこもかしこも、「しょーばいしょーばい」と言わんばかりだ。みすゞは才能にあふれ、賢く、やさしい女性で・・・と言った周囲のマンセー証言だけを並べ立てれば並べ立てるほど、奇妙に嘘臭く、人間・金子みすゞの姿がぼやけてくる。金子みすゞに興味をもつきっかけとしては、意義のあるものかもしれない。だが、こうしたしょーばい優先の綺麗事記念館が、あちこちにできて町興しに使われているのかと思うと、Mizumizuの中の違和感は高まる。みな、人の真実には興味がないのだろうか? 人生には光と陰がある。光の部分だけをことさら強調し、陰の部分はなるたけ後ろに隠し、死後何年もたってから広く認められるようになった才能をもてはやして商売につなげるのが、果たして詩人と詩を愛する人々のためになるのだろうか。だが、記念館の方針がどうあれ、金子みすゞの「大漁」は傑作だ。この詩は、前半には、大漁に賑わう港の騒ぎを目の前で見ているような臨場感があり、読んでいるだけで魚の匂いを嗅ぐようだ。そして、最後に読者の思索は詩人とともに海へ沈み、人の営みの罪深さと業、物事の裏表に想いを馳せることになる。大漁朝焼 小焼だ大漁だ。大羽鰯(おおばいわし)の大漁だ。濱は祭りのやうだけど海のなかでは何萬の鰯のとむらひするだらう。
2011.09.07
日本海に面した城下町・萩は、夏蜜柑の町でもある。光圀の夏蜜柑丸漬は、そんな萩を代表する銘菓。光圀は、光圀本店と分家の長州屋光圀に分かれているのだが、Mizumizuが萩で寄ったのは、萩グランドホテルの目の間にある長州屋光圀。店の中は暗く、やや雑然としていて、「大丈夫か? この店」と突っ込みを入れたくなるような雰囲気だった。光圀本店のほうは違うのかもしれない。こちらが夏蜜柑丸漬。皮を砂糖漬けにし、中身をくりぬいて羊羹をつめた伝統の味。なめらかな羊羹と噛みごたえのある皮の食感の違いが楽しい。一度は試してみる価値あり。皮は、苦みをまったく感じさせないぐらい甘く甘く漬けてあるので、それが逆に、皮の苦味が好きなMizumizuには猫に小判になってしまっている。羊羹も甘いので、とにかく、「甘みが珍重されていたころのお菓子」という印象。東京の老舗の和菓子屋もこういう味のところが多い。こちらは「夏蜜柑平漬」(左)とまだ青い夏蜜柑の皮を薄切りにして糖蜜煮した「萩乃薫」(右)。平漬は、簡単に言えば、丸漬の中身がないもの。皮だけを漬けてペタンとつぶしたお菓子。これもとにかく甘い。萩乃薫は甘いなかにやや若い苦味があり、こちらのほうが好みだった。萩らしい、老舗らしい味。この城下町を訪ねたら、持って帰りたいお土産だ。
2011.08.25
「き楽」は午後かなり長い間昼休みを取るので、観光客の時間と合わないこともあるかもしれない。そんなときは迷わず、近くの「千石寿司」へ行こう。くじらのモニュメントが目立つ仙崎港前にあり。目の前が駐車場だから、クルマで来た人には「き楽」より行きやすい。 活イカづくしはないが、メニューは豊富。生うに丼や三味ちらしが目玉のようだが、Mizumizuがここで食べるのは、もっぱら「いかそうめん丼」。要はすし飯にいかそうめんをのせたもの(笑)。イカは透き通ってはいないが、新鮮。めちゃくちゃ美味しいとか絶品とか、言うつもりはないのだが、普通に美味しくいただける。これが案外大事だ。うには正直言って、北海道のものを食べてしまうと山口で食べる気になれない。もっともイカも北海道のほうが美味しいと思う。なんてことを言っては身も蓋もない。ここは西日本。北海道の海鮮と比べては気の毒というものだ。窓の外に、波に揺れる船が見える。四角いテーブル、四角い模様の入った四角い座布団、四角い窓、四角い障子・・・この統一感と窓の向こうの、潮の香り漂う港の風情が好き。
2011.08.24
山口で仙崎といえばイカ。イカといえば仙崎。日本海に面したこの漁港に来たら、「き楽」(営業時間/午前11時~午後2時、午後5時より午後10時)へ寄ろう。ここはイケスでたった今まで泳いでいた活イカを刺身で食べさせてくれる店。いかにも漁師町にふさわしい料理の数々。すべて新鮮な海の幸が使われており、素朴な味わいに満ちている。この透き通った新鮮なイカを目当てに、客がひきもきらない。ゲソは身を食べ終わってから唐揚げや天ぷらなどに、調理してくれる。いったん引き取って調理されて出てきた熱々のゲソ。美味しいのは言うまでもない。こちらは一緒に行ったMizumizu連れ合いの頼んだふぐ膳。こちらもMizumizu連れ合いの評判は上々だった。
2011.08.23
弁天池からさほど遠くないところに、秋芳白糸の滝という、ちょっとしたハイキングコースがある。木製のりっぱな橋をわたって山道へ入る。橋の向こうの山肌には、黄色い山吹の花が咲いていた。やまぶきの 立ちよそひたる山清水 汲みにいかめど 道のしらなく(山吹の花が咲いている山の清水を汲みに行こうと思っても、道を知らないのです)これは十市皇女(とおちのひめみこ)が急逝したときに、異母弟の高市皇子(たけちのみこ)が歌った歌。山吹の「黄」と清水、すなわち水の湧く「泉」のイメージを重ね、黄泉(よみ)の国へ追いかけて行きたいのに道がわからないという、のこされた者の絶望感を表している。清らかな水が山肌から流れてくる秋芳白糸の滝への道は、まるでこの歌で高市皇子が探していた道のようだった。いかにも湧き水の出そうな山肌に咲く一重山吹、そしてその奥に隠れた清らかな滝。とすれば、ここは黄泉の国だろうか。今は整備されたハイキングコースだが、確かに橋をわたって山吹の花に出迎えられ、カルスト台地の石灰分を含んだ、神秘的な緑色の水をたたえた池を見て、滝へと向かう人里離れた道筋は、晴れていても濡れたような空気が静謐で、昔の人なら黄泉の国へ通じる空間だと畏怖の念をもったかもしれない。やまぶきの 立ちよそひたる山清水 汲みにいかめど 道のしらなく悠久のときを超えて、先だった十市(おそらく彼女は自ら命を絶ったのだ)が高市に向かって、「私はここよ、ここにいる。私に逢いたいのなら、貴男がここに来て」と言っている。そんな幻想をふと抱いた。ありふれた田舎のようでいて、カルスト台地という特異な地質がもたらす非日常的な恵みを隣り合わせにもち、想像力を刺激するちょっとした不思議が散らばっている。このあたりはそんな場所だ。ここからさほど遠くない町に生まれ育った画家香月泰男は、鮮やかな山吹の黄色も、弁天池を思わせる青緑色の神秘的な色彩も、どちらも印象的にキャンバスに再現している。この画家は黒を基調としたシベリア(抑留)シリーズが有名で、中学時代に反戦思想とからめた教育の一環として、戦争の悲惨さを強調するカタチで香月泰男の同シリーズだけを(ほとんど無理やり)鑑賞させられた。子どもだったから、その陰惨さにショックを受け、香月泰男が苦手になってしまったのだが、あらためて香月泰男美術館へ足を運んだところ、絶望的な抑留生活だけではない、田舎の木訥とした生活人である画家のさまざまな側面が見えた。油彩だが、やや日本画的な空間処理やデザイン的な構図は、なかなかに見応えがあった。陰鬱な黒や血のような赤を使った絵ばかりが紹介されるのだが、むしろ温かみのある黄色を使った静物画、それに日常生活のひとこまを神秘的な青緑色を使って不思議感たっぷりに描き出した作品が印象に残った。ある画家のあるイメージを押しつけるような教育や宣伝は、いかがなものかと思う。芸術鑑賞まで1つのイメージに「抑留」されてはたまらない。長い抑留を経験しても、画家が心のおもむくまま身近な景色を、あるいは記憶の中の遠い景色を描いたように、見る側も画家のメッセージを「自由」に受け取りたい。
2011.08.18
Mizumizu+Mizumizu連れ合いが山口県をドライブしていて、思わず同じ感想を言ったことがある。「山口って、バリ島に似てない?」植物体系こそ熱帯と温帯で違うものの、低めの山が連なった田舎道の緑の豊かさ、霧が出たときの暖かな湿気など、どことなく似ている・・・気がする。極めつけは、この場所、別府弁天池。こんもりと緑に囲まれた神秘的な風景。ここに足を踏み入れたとき、バリ島の湧き水のある寺「ティルタ・エンプル」に戻ってきたような感覚にとらわれた。エメラルドグリーンの神秘的な水をたたえた弁天池。日本名水100選にも選ばれた湧き水の出る場所で、池から少し離れた駐車場のそばに水道の蛇口を取り付けた取水場がある。だが、個人的にはこの神社の境内の中にある取水場から出る水のほうが美味しいように思う。駐車場まで水道管でひっぱった水は、量が多いし汲みやすいのだが、味が落ちるのではないだろうか?のぞき込むだけで不思議な気持ちにさせられる水の色。晴れた日の北海道のオンネトーほどではないが、それに近い神秘性がある。ここでケチャックダンスのような宗教的な踊りがあれば、ますますバリ島だな・・・と思ったら、なんとなんとちゃんとあった。「念仏踊り」。つまるところ、これらはいわゆる聖水信仰で、自然の中に八百万の神が宿ると信じていた日本とバリ島の宗教観には共通性があるということだろう。ヨーロッパの先住民族ケルト人にもこうした自然信仰があり、アニミズムを野蛮なものとして嫌った制服民族であるキリスト教徒は、彼らの聖地に大聖堂を建てた。シャルトルの大聖堂もケルト人の聖水信仰の地に建てられており、行ってるみると、なるほど川に囲まれた水の豊かな場所だった。ヨーロッパでは消された自然信仰が、こういうかたちで残っている・・・・・・日本の古い田舎とバリ島がどことなく似ているのは、やはりこうした根が同じだからかもしれない。Mizumizuが怪我をしたときにバリ島の人々が見せた控えめで、さりげない思いやりも、日本人のもつ主張しない優しさにとても似ていた。
2011.08.15
夏は水密桃。白桃も黄桃も好きだ。そして、京橋千疋屋の桃のパフェも。瑞々しい白桃が器からこぼれんばかり。その下にはクリームに包まった小さな桃片が隠れている。夏を告げる京橋千疋屋の洗練パフェ。 京橋千疋屋 「旬果糖蜜」フルーツコンポート白桃【お中元2011】【楽ギフ_のし】京橋千疋屋 「旬果糖蜜」フルーツコンポート桜桃(さくらんぼ)【お中元2011】【楽ギフ_のし】
2011.08.09
THE ICEチャンネルで日本人スケーターの素晴らしいパフォーマンスを見た。どの花もそれぞれに美しいが、今回Mizumizuがもっとも惹きつけられたのは浅田真央の『ジュピター』。http://www.youtube.com/user/theiceCTV#p/c/11/Q1rMvNAj0RYもともと旋律とリズムに溶け込んで行くような繊細な音楽表現には定評のある浅田真央だが、このプログラムでの浅田真央には、(佐藤コーチについた成果だろう)ポーズの1つ1つにフィギュアの「型」のような味が加わり、透明感あふれるボーイソプラノの歌唱と相俟って、氷上にこの世ならざる世界を現出させている。「妖精」という言葉は普通、少女期の選手に与えられる冠のような言葉だが、浅田真央に限っては、20歳を超えてもその限りなくピュアで浮世離れしたムードが失われることがない。すっと上げたスパイラルでの脚のラインの美しさ。下半身に肉がつき、「女性らしい体形」になってくる年齢を迎えても、あの人形めいた抜群のプロポーションを維持している。それがどれほどストイックな節制を要求するか、女性ならばわかるだろう。浅田真央の才能とその才能が積み重ねてきた陰の努力を、バンクーバー五輪後に的確な言葉で探り当てた日本人がたった一人だけいた。『日本沈没』『さよならジュピター』で知られる日本SF界の巨匠、小松左京。あのバカげたキム・ヨナの高得点だけを盲信し、メディアが「キム・ヨナ、ダントツの勝利」と賛美一色になるなか、雑誌への寄稿文で、「僕にはバンクーバーで浅田真央さんがキム・ヨナさんに負けた理由がよくわからなかった。真央さんのほうが人間として華があると感じた」と堂々と書いた審美眼の持ち主だ。 浅田真央の華――それは多くの日本人ファンを惹きつけている。それは彼女が持って生まれたものでもあり、努力を積み重ねて獲得したものでもある。 韓国芸能を何がなんでもゴリ押しして、日本人より優れているということにしたい一部メディアの偏向プロモーションは、ここに来て一人の芸能人のつぶやき、そしてその彼になされた仕打ちを見て、大きな反発と反感を一般人から買っている。http://www.j-cast.com/2011/08/01103148.html「韓流偏重批判」巡りネット大騒動 著名人から共感の声、フジ抗議デモ告知...俳優の高岡蒼甫さん(29)が韓流偏重とフジテレビを批判したことを巡り、2ちゃんねるで500以上もスレッドが乱立する大騒動になっている。著名人から共感の声が寄せられる一方、テレビ局の内情を訴える声もあるようだ。 2ちゃんねるで騒ぎが過熱したのは、高岡蒼甫さんが2011年7月28日、所属事務所を解雇されたことをツイッターでほのめかしてからだ。女子フィギュアはむしろその先駆けになったといってもいい。自国にこれほど華があり、これほどまでに天上の美を備え、努力を怠らない素晴らしいスケーターがいるのに、一部のテレビ媒体は、他国の選手の宣伝に躍起になった。 フジテレビを批判した動画の一例:http://www.youtube.com/watch?v=asFfVxtvrRo&NR=1韓国ばかりを取り上げる日本のテレビ局を皮肉った動画の一例:http://www.youtube.com/watch?v=iD9JV_lNwTk&NR=1花粉よろしく一方的に撒き散らされる一部メディアによるプロモーションで、逆にアレルギー症状を起こす日本人が増えてしまった。モスクワワールドでも震災で痛んだ日本と日本人のために、心を配ってくれたロシア側の演出を地上波で見事に無視し、キム・ヨナのインタビューに時間を割くようなおかしな放送がなされた。こうした「ゴリ押し」をしなければ、キム・ヨナはここまで多くの日本ファンから嫌われることはなかったかもしれない。彼女の演技には深みはなく、いくつかのパターンを組み替えて、あとは音の効果でそれなりに見せているが、Mizumizuの目には韓国の女性アイドルポップ歌手グループ(しかも、みんな整形顔で誰もかれも同じに見える)の振りと大差なく見える。だが、スケートの技術はしっかりしており、元来素晴らしい選手なのだ。浅田真央の動的な華麗さはアイドル歌手の振りとは違う。『ジュピター』に見られるような、透明な世界観、心洗われるような無垢なうつくしさ、それは誰も真似ができない浅田真央だけのものだ。会場の観客が息を詰めて、一途に見守っているのが伝わってくる。浅田真央は地上に降りることのない天上人のよう。手の届かない存在でいてほしい。それを私たちは、ただじっと見つめていたい。見ているだけでカタルシスを得られ、さまざまな幻想や情景を心に描くインスピレーションを与えてもらえる。キム・ヨナは大人で、浅田真央は子ども――こういったメディア主導のつまらない「刷り込み」に真っ向から、そして穏やかに、対抗してみせた先見の明を持つ偉人が、7月26日にこの世を去った。浅田真央の『ジュピター』は、大震災の犠牲者に捧げるプログラムだが、奇しくも小松左京の代表作とかぶる鎮魂歌となり、去り行く大きな存在に、今を盛りと咲き誇る花の存在が、感謝とともに別れを告げるようなパフォーマンスになった。ただただうっとりと皆が見つめる浅田真央。ジャンプも入りから出までスムーズで、淀みがなく危なげがない。浅田真央をやっきになって否定したがる存在は、フィギュア界にもいるようだ。だが、このうつくしさ、この純粋さ、この透明感は、誰がなんと言おうと揺るがない。浅田真央と浅田真央に魅了されてやまない多くの、いや無数の、普通の人々がいる限り。【送料無料】浅田真央さらなる高みへ 【30%OFF】[DVD] 【スペシャるプライス】 浅田真央 20歳になった氷上の妖精【送料無料選択可!】浅田真央、20歳(はたち)への階段(ステップ) (単行本・ムック) / 宇都宮直子/著
2011.08.03
東京ミッドタウンのすぐ目の前に、1年半の期間限定でオープンした「メルセデス・ベンツ コネクション」。1階がクルマを展示したギャラリーになっており、その脇にカフェがある。2階はレストランとバー。ある週末、2階のレストランでランチを食べてみた。ブッフェスタイルの前菜、メイン料理、デザートバイキングというスタイルで、設定価格もかなり良心的だった。レストランUPSTAIRSはモダンでスタイリッシュな内装。ドアを開けて進むと、クルマのデザインとのつながりを感じさせる機能的なフォルムのオブジェが出迎えてくれる。メルセデス・ベンツの店らしく、照明にブランドロゴであるスリーポインテッド・スターのデザインを施すなど、「これで本当に1年半しかやらないの?」と思うような力の入れようだ。バイキングの食事は基本的に好きではないのだが、この店のブッフェスタイルの前菜には驚かされた。本格的なイタリア料理で、どれを食べても素材の味がしっかり活きている。野菜はかなり厳選したものを使っているようだ。素材の調達能力からして並々ならぬ「コネクション」を感じさせる。2人で行って、スープランチとパスタランチを選ぶMizumizu+Mizumizu連れ合い。こちらがスープ。ミネストローネということだが、ぷっくり浮いた数々の野菜を味わう感じだ。こちらがパスタランチ。スープランチよりも、個人的にはこちらのほうがお奨め。テーブルに置かれたとたん、生のチーズの新鮮な香りが漂ってきた。缶入りのパルメザンチーズでは出せない香りだ。厚切りのパンチェッタはほどよくカリッと火が通り、トマトソースは少し濃厚。スパゲッティの下に、大きなイタリア茄子が隠れていた。たっぷりのオリーブオイルを含んだイタリア茄子は、まさにそのまま素材を味わってもらうためのもの。前菜もメインも、主役の料理は明らかに野菜。なので、野菜が苦手な人には向かない。Mizumizuは野菜大好き人間ではないのだが、ここの野菜が一味も二味も違うことはよくわかった。デザートバイキングも1つ1つは小さいが、味は凝っている。ガラスの棒にささっているのはパウンドケーキ。時計回りに、ガトーショコラ、かぼちゃのロールケーキ、フルーツタルト、ガラスの器に入っているのがフロマージュブラン。フロマージュブラン以外は、全部甘かった(苦笑)。だが、それにしても、この場所で、この種類と味で、この値段というのは驚く。もしかすると、レストランで儲けようと思っていないのではないかとさえ思う。つまり、あくまでメルセデス・ブランドに親しんでもらうための宣伝の一種で、レストランの採算は度外視なのではないかと・・・あるいは、オープンしたばかりだからリキが入っているのか?だんだんと「やっぱりこれじゃ、あまりに合わない」ということで、サービスする人が減り、品数が減り、味が適当になっていく・・・なんてことはないのだろうか?あるかもしれない。六本木で野菜中心の本格イタリアンを食べたいなら、早めに(?)行こう、「メルセデス・ベンツ コネクション」のレストランUPSTAIRS。しかし、1年半たったら、これだけカネをかけた内装のレストランをどうするのだろう? そんな心配までしてしまった。
2011.08.01
では、ウルワツ寺院でサルにめがねや帽子を取られたら?彼はめがねを取られました。 サル「早く食い物出せよ。隠してるんだろ?」 物々交換による取引が成立しました。ウルワツ寺院に行く際には、できるだけ帽子はかぶらず、めがねもコンタクトにしたほうがいい。また、カバンの中にビニールで匂いが出ないようにした果物などを入れておいて、万が一私物を取られた場合にサルと交渉できるようにしておきましょう。・・・というのは現実的な対策なのだが・・・・こうやって食べ物を用意しておいて与えるから、ますますサルの狼藉がひどくなるのではないだろうか。めがねを取るのは危ない行為。あの鋭い爪で目をやられたら?そのうちそんな事故が起こりそうな気がする。★★★★★ここで販売書籍のお知らせです★★★★★バリ島は出てきませんが、南イタリアのプーリア州を母娘で訪ねたときの日々を綴った旅行記「イタリア・プーリア州二人旅」。7月31日まで申し込みを受け付けております。「イタリア・プーリア州二人旅」:新本は、現在お申し込み分で完売となりました。ありがとうございました。
2011.07.29
ウルワツ寺院で起こったとんでもないこと・・・それは、Mizumizuがサルに怪我をさせられたのだ。現場はこちら。この階段を少しのぼったところで、海側の壁の上にいたサルがMizumizuの帽子を取ろうと、肩に飛び乗ってきた。「あっ」と帽子を押さえたら、手の甲にサルの鋭い爪が当たった感触があった。帽子は取られなかったが、サルはあっという間に逃げ去った。脇にいたMizumizu連れ合いも気づかないほどの一瞬の出来事。ちょっとエグい写真なのですが・・・これがそのときの傷。かなり深い。多少出血はあったが、痛みはさほどでもなかった。怪我をしつつも夕陽にはまだ未練があったのだが、ケチャを見ないかと声をかけてきたお兄さんが近寄ってきて、日本語で、「どのホテルですか」と聞いてきた。ウェスティンだと答えると、「ホテルに帰りましょう。ホテルにはドクターがいます」と親切にも教えてくれた。ホテルにドクターが常駐しているとは思えなかったが、リゾートホテルがまとまって建っているエリアなので、英語のできるドクターを呼んでくれるということかもしれない。「こういうこと(サルに襲われて怪我をする)は、ここではよくあるのですか?」と聞いたら、首を横に振っていた。確かにMizumizuもバリ島でサルに襲われたという話は、聞いたこともないし、本などで読んだ覚えもない。しかし、たしかHIVってのは、サルから人間に移ったという説があったんだっけ? ということは、サルに引っかかれて、哀れMizumizu、HIVに感染か・・・?今から考えればバカバカしいような妄想で、ホテルへ戻るタクシーの車中で落ち込むMizumizu。ホテルに着くとドライバーがホテルマンにさっそく説明してくれた。するとフロントの脇にある小部屋に通され、「大丈夫ですか?」と、ホテルのマネージャーが話し相手になってくれる。「バリ島のサルはよく人を襲うのですか?」ケチャのお兄さんにも聞いたことをここでも聞いてみた。やはり、首を振るマネージャー。「いや、聞いたことがありません。ウルワツのサルは帽子を取っても後から返してくれますから」え? 後から返してくれるの?「食べ物が入ってるものは返しません。しかし、役に立たないものは木の上から下に投げてきます。食べ物を与えれば、すぐに返してくれるでしょう」た、食べ物と交換ですか?サルの談話「そうだよ。覚とけ!」 「バリ島のサルは悪い病気を持っていますか?」「いや、そのような話は聞いたことがありません」のんびりした言い方なので、恐らくサルから感染した病気の話というのは、本当に聞いたことがないのだろう。マネージャーが話し相手をしてたおかげで不安感をもつこともなく、待つこと10分ほどでドクターと看護婦がやってきた。おお、早い・・・! と思ったのだが、ドアを開けて入ってきたドクターを見て、ややビビる。「もしかして、さっきまで食堂で働いていませんでしたか?」と聞きたくなるような雰囲気の、20代にしか見えない小柄な女性。白衣も着ていないからなおさらだ。ほ、本当に彼女がドクター?しかし、専門用語を交えて英語はきれいに話すし、キビキビしている。「抗破傷風薬を注射したいが、まずアレルギーテストをします」と言われ、テストしたところ、反応がでたので、注射はできないということになった。それから、「縫ったほうがいいです」え? 今ここで? 病院でもなく、ホテルのフロントの脇の応接室ですが・・・「今夜日本に帰るのだが、帰ったあとではなく、今縫ったほうがいいですか?」小学生のころ自転車でコケて、てのひらを3針縫ったことがあったが、そのときの治療が痛かった記憶があって、できれば縫いたくないと思ったのだが・・・「今縫ったほうがいいです。時間をおくと皮膚の癒着が悪くなるから」というキッパリしたドクターの言葉に従うことにした。看護婦が局所麻酔の注射をし、若い女医さんは別に緊張したふうでもなく、笑顔でこちらに、「深呼吸して、リラックスしてください」と言って縫い始めた。ホテルの従業員もいて、終わったときは笑顔を向けてくれ、全員で怪我をしたゲストの気持ちを慰めようとしている雰囲気が伝わってきた。このときのスタッフの対応で、ホテルの印象はずいぶんとよくなった。孤立したリゾートホテル群で、ぶらっと街歩きもできない場所に隔離されているようで若干不満だったのだが、万が一のこうした事態が起こったときの態勢は素晴らしかった。ドクターにも、たとえばHIVなど、サルからの感染症を心配する必要があるかどうか聞いてみたのだが、「バリ島では、そうした例はない」という答えだった。縫い終わると、抗生物質と万が一痛みが出た場合に備えて鎮痛剤も置いていった。治療費はホテルに払ったのだが(後日保険金を受け取ってチャラになったのだが)、治療費に薬代を含めても、7000円ほどだった。飛行中に痛みが出ないか心配だったのだが、別に大丈夫だった。日本に帰ってきて、近所の外科に数回消毒のために通院し、抜糸してもらった。結局鎮痛剤のお世話には一度もならなかった。一応、日本のドクターにも感染症について聞いてみたが、「現地の医者が一番よく知ってるから、現地で大丈夫と言われたんなら大丈夫でしょう」という、実に適当な答えが返って来た(苦笑)。結果として別に破傷風にもならず、もちろんHIVにも感染せず、順調に治った。日本で診てくれた外科医も、「ホテル専属のドクターというと、だいたい内科系で、縫ったりできない人も多いんだけど、きれいに縫えてますね」と褒める。見た目はホテルの食堂にいそうなお姉さんだったのだが・・・(笑)今では縫ったあともほとんど消えた。あのとき適切な治療をしてよかった。すぐにホテルに帰るよう促してくれたケチャの客引きのお兄さん、温かな思いやりを示してくれたホテルのスタッフ、適切な判断と治療をしてくれたドクター・・・・・・ バリ島の皆さんに感謝せねば。しかし、1人だけチョイ問題児が。それは、ガイド氏。彼は空港にMizumizu+Mizumizu連れ合いを空港に送るためにホテルにやってきて、Mizumizuの怪我を知った。そして、部屋に入ってくるなり、金切り声で、「ど~して、僕を呼ばなかったんですか!」と感情的な声でオーバーに叫び、「僕ならサルに襲われないように、しっかり見張っていたし、帽子ならあとから返してもらえるんですよ。食べ物を出せば。タクシーのドライバーは何も言わなかったの?」とちゃっかり自分をアピールする文言を、まるで彼を通さずに行動したMizumizuを責めるかのような口ぶりでまくし立てたのだ。Mizumizu連れ合いが、「あなたのせいじゃないから」と逆になだめる始末。「サルに怪我させられた人って知ってる?」と聞いたら、彼も、「いや、初めて」。よほど珍しい例になってしまったようだ。さぞや、今頃あのガイド氏、ウルワツ寺院に自分抜きで行ってサルに引っかかれた日本人観光客の話を同じ日本人観光客に持ち出して怖がらせ、ウルワツ寺院に行くなら自分をガイドとして連れて行くようアピールしていることだろう。
2011.07.27
夜中にバリ島を発つという最終日。夕方時間が空いたので、ホテルからプライベートタクシーをチャーターして夕陽のメッカだというウルワツ寺院へ行くことにした。ちょうどホテルのあるヌサドゥア地区からさほど遠くない。クルマは非常にきれいだった。チャーター代も往復で28万ルピア(2,600円)と、現地価格で言えばトンデモな値段なのだろうけれど、時間のない日本人観光客からすれば十分リーズナブル。車内から眺める田舎の景色は、ヤシの木さえなければ大昔の日本のようでもあり、外国に来たというより、タイムスリップをして過去に戻ったような不思議な感覚。ウルワツ寺院に着くと、熱帯そのものの樹木が迎えてくれた。そして、猿も。元来動物好きのMizumizu。猿も好きなのだが、ここの猿君たち、親しげな(苦笑)視線を向けるMizumizuにも媚びる様子はまったくなし。むしろ人相は悪役だ。それでも、大海原を背景に、遠くを見つめる(?)モンキー君に、「おお、哲学者のよう」などと、一方的なシンパシーを抱くMizumizu。多少雲はあるが、いい具合の天気ではないか。これは夕陽が期待できそうだ。少し早く来すぎたかもしれないが、あの太陽が沈むまでここで待とう。途中で客引きのお兄さんに、「ケチャを見ないか」と誘われたが、夜日本に戻るから時間がないし、ナンバーワン・ケチャ(←あくまでガイド氏の弁)をデンパサール近郊でもう見ていたので、それは断る。意外に思うかもしれないが、バリ島には世界遺産がない。バリから行く世界遺産と言えば、隣りのジャワ島の仏教寺院ボロブドール遺跡とヒンドゥー寺院プランバナン遺跡になってしまう。バリ島に行ってみて、なんとなく納得した。景色のよい場所は確かにある。このウルワツ寺院もそうだし、キンタマーニ高原もそうだろう。だが、抜きん出た絶景ではない。いくつか寺も見たが、そこはあくまで、この小さな島に昔から住んでいる人々の信仰の場であって、寺院建築という鑑賞物としてみた場合、さほど圧倒的なものを感じないのだ。それはそうだろう。圧倒的な審美性を湛えた建築物がある場所には世俗的な意味での財力がある。たとえそれが宗教建築であっても。この小さな神々の島で、そうした富を蓄えることのできた権力者がいたとも思えない。ウルワツ寺院の絶壁から下を覗き込むと、茶色っぽい岩のはるか下で、波が白く砕けていた。この眺め・・・伊豆あたりにもありそうだ(苦笑)。寺院の敷地は広い。歩き回って、太陽が沈むのを待とう・・・と思っていたら、とんでもない事件が起こった! そして、夕陽を眺める間もなく、ホテルへ直帰することになった。なぜ?ヒントは、この写真↓詳細は次回。
2011.07.19
観光客の心をわしづかみにするケチャック・ダンス。その形式を現在見るように整えたのが、画家であり、音楽家であり、演出家でもあったヴァルター・シュピースだ。その生涯については、ウィキペディアなど読んでいただくとして・・・(画像は過去にBS-TBSで放映されたシュピースの紹介番組より)自身が画家でもあったシュピースの作品を見ると、素朴派に神秘主義が混ざったような独特な作風が目を惹く。こちらなどは、暗闇の中から精霊がやってきて、現地の人々を驚かせ、怯えさせている。これがシュピースが見た「神秘の島、バリ」の夜の風景だったのだろう。暗闇に浮かぶ精霊は女性のふくよかな肉体をもっているが、その姿は実に禍々しい。異様な迫力で観る者に迫ってくる。この精霊の姿には、俵屋宗達の「風神雷神図」の影響もあるように思える。ヨーロッパの教養人であり、かつ東洋に興味を抱いていたシュピースが日本の中世の名画を知っていたとしても不思議はない。(風神雷神図、一部)シュピースはバリの絵画や舞踏芸術の素晴らしさを西洋世界に紹介する役割を果たした。その意味で、「バリ芸術の父」と称えられている。だが、そのことがバリ島の観光地化に拍車をかける。ウブドに住んでいたシュピースだが、急速な観光地化を嫌い、ウブド近郊のイサという田舎に引っ越したという。こちらがイサのシュピースの家からの眺め・・・絶景。だが、ここは現在スイス人の個人所有になっており、見学はできない。バリ島の評判を高めることに大いに貢献したシュピースだが、1900年代前半にすでに愛する島の観光地化を嘆いたとするなら、今のバリ島を見たら何と言うだろう。絶句してしまうかもしれない。テレビでバリ島の観光業従事者が、「最近は日本人観光客の数が減った」と話しているのをたまたま聞いた。オーストラリア人に比べると、日本人は気前がいいそうだ。それでも最近、数が減ってきてしまったので、「もっと1人ひとりにお金を使ってもらえるようにしたい」と、かなりストレートなことを真面目に言っていて、ややガックリきてしまった。公共交通機関が発達しておらず、初心者はガイド(もしくはガイド役を務めるタクシードライバー)なしで移動するのが難しい島だから、どうしても彼ら馴染みの土産店に連れて行かれることになる。確かにいいものもあるが、売り込みが総じて激しく、かなり疲れてしまう。すべての店がそうではないが、工芸品を売る店などは、すぐに値引きをもちだして、「安くするから買って」という態度だ。ノルマでもあるのか、売り込みに必死な態度は気の毒にも思うが、心のどこかで、「それは違うでしょう」と声がする。日本人はもう安いものには飽きている。安いだけのものならどこにだってあるのだ。バリでなくては買えないもの、そして質のいいものを買いたい。だが、工芸品のレベルは、明らかにチェンマイのが高い。手作りなのだろうが、観光客相手の大量生産臭がして、作品から職人の心意気が伝わってこない。バリ絵画もパリのモンマルトルの観光客相手の絵売りのように商業化・パターン化してしまっている。それでも、シュピースが愛した神秘性は、緑したたる島の風土に、雨のあとにうっすらと流れてくる霧のような湿気に、民族衣装をまとって歩く現地の人々の後姿に、どことなく宿っているようにも思った。日本が変わってしまってもやはり日本であるように、観光地化されても、やはり神々の島・バリはバリなのだろう。
2011.07.18
もし、バリ島初心者で滞在期間が短く、バロン・ダンスとケチェック・ダンス(ケチャ)のうちどちらか1つしか見られないというなら、ケチャック・ダンスのほうをお奨めする。もちろん、エキゾチックでいながらどこか懐かしいガムランの響きも捨てがたく、両方見るほうがベターであることは言うまでもない。Mizumizuたちは、ケチャック・ダンスをデンパサール近郊で見た。ガイド氏によれば、バリ島で観光客相手に披露されるケチャの質は優劣が激しく、このダンス集団なら、バリ島ナンバーワン・ケチャに選ばれたこともある折り紙つきなのだという。夕暮れ迫る舞台。雰囲気はバッチリだ。火を灯す男性。しかし、微妙にカメラ目線なのが・・・(苦笑)。猿に扮した上半身裸の男性が「チャッ、チャッ、チャッ」と大合唱し、その中でラーマ王子とシータ姫の舞踏劇が進行していく。この大合唱こそ、ケチャの真髄。たいへんな迫力。男性の声の力強さと野生の生命力が周囲の空間を満たし、魂を揺さぶる。まさに必見。バリ島に来たら、絶対に見るべき。なのだが・・・相変わらず(?)、ヤル気のない「猿」役さんがチラホラ。「チャッ、チャッ、チャッ」と口を動かしながら、舞台上からチラチラこっちを見ている。「チェッ、今日は客の入りが悪いぜ」みたいな顔つきだ(苦笑)。これでナンバーワン・ケチャというなら、そのほかの観光スポットでやっているケチャはどんな体たらくなのだろう??舞踏劇の筋は、日本語の説明書きがもらえるが、簡単に言えば、悪の大王ラワナが連れ去ったシータ姫をラーマ王子が救い出し、結ばれるというもの(←いくらなんでも簡単すぎる?・笑)。途中、例によって「猿」が大きな役割を果たす。捕らわれの身となったシータ姫のところにラーマ王子のメッセージを届けるのも白い猿、窮地に陥ったラーマ王子を救い、援軍を差し伸べるのも猿の王様スグリワ。神に限りなく近い存在である「王子」とともに、常に猿がいるというのも、日本の記紀神話に酷似している。アマテラスの孫であるニニギが天から降臨したとき、あらかじめ待っていて先導役を果たすのが、「猿」の文字をもつ猿田彦大神。そして猿田彦大神は、今も日本各地の神社で祀られている。記紀神話との類似性を、いきなりインドネシアの小島で見せられて、真犯人のわからない探偵物語の世界に迷い込んだような気になった。日本ではもう隠されてしまった性器信仰、まだ日本にも概念としては残っているご神木信仰もバリ島には歴然としてある。バリ島の葬礼の儀式をテレビで見たことがあるが、それも日本の「村をねり歩く」祭事の雰囲気にあまりに似ていた。ラーマ王子の物語が終わり、夜の帳が下りると、舞台ではサンヒャン・ジャラン・ダンスが始まる。サンヒャンとは神聖の意味。ジャランは馬の模型で、篝火の右側にいる青年がまたがっているもののこと。トランス状態で火の中に突入する青年。本当に裸足のまま火中に飛び込み、踊ってみせる。途中、火を口に含んでみせる信じられないパフォーマンスもあった。舞台にいる他の人々は、「きゃ~」とばかりに飛んでくる火の粉を避けようとする。その(ややオーバーな?)ヘタレっぷりは、トランス状態の神聖な青年の勇姿を盛り上げるためなのか、本当にちょっとでも熱いのがイヤなのかわからず・・・だが、「篝火の中に飛び込む聖なる青年」の迫力は文句なしだった。ケチャ自体も、数人の「ヤル気のない猿役さん」がいた以外は、驚きと楽しさをもって入り込めるパフォーマンスで、他のケチャを見たことがないので、比較はできないが、「見てよかった」と十分満足できるものだった。ケチャック・ダンスは、島に伝わる「サンヒャン」というトランス・ダンスに起源をもつが、それをラーマーヤナ物語を取り入れ、現在私たちが見ている様式に整えたのは、実は西洋人だ。それについてはまた、次のエントリーで。
2011.07.15
バリ島の記事が中途半端で終わっていたことに気づいた。そこでしばらくは書き落としたバリ島の思い出について。まずは、真実の神バロン(善)と悪魔の女王ランダ(悪)の終わらない戦いを表現しているというバリ伝統舞踊の「バロン・ダンス」。ガムランというバリ独特の楽器を使った音楽にのせて演じられる。こちらがガムラン楽団。全体的にあまりヤル気なし(苦笑)。観光客相手の出し物というのは、どうしてもこういうことになる。始まってすぐ、不思議なデジャヴュにとらわれた。獅子舞のようでもあり、歌舞伎のようでもある。音の響きや舞い方は「長崎くんち」にも似ているところがある。南蛮と長崎くんちの関係についてはよく言われるが、インドネシア方面の文化には、日本人はあまり関心を払っていない気がする。実はこのあたりの島々の文化は、今の日本人が思う以上に海伝いに日本に来ていたのかもしれないし、逆方面の交流もあったのかもしれない。バロン・ダンスと並んで名高いケチャック・ダンスでもそうだが、バリ島の伝統舞踊では「猿」が重要な役割りを果たす。猿はあるときは神のメッセンジャーであり、神の味方として悪とも戦う。日本の記紀神話でも、皇孫ニニギ(のミコト)が天から降りてくる前に、その道であらかじめ待っていて先導役を務めたのが猿田彦大神だ。「猿」の文字が入っている。また、記紀に見る海洋神話には、インドネシアに残る神話との共通性がすでに指摘されている。言葉にも似たものがある。沖縄料理のチャンプルーは、インドネシア語(およびマレー語)のチャンプル(混ぜる)と同じ意味で使われている。島づたいにインドネシアの文化が日本に来たとするなら、途中にフィリピンがあるはずだが、フィリピンにはこうした伝統文化の類似性は直接的には残っていない気がする。キリスト教化するうちに消えていってしまい、バリ島のような小さな島に、取り残されるようなカタチで残ったのかもしれない。「神々の島(つまりは日本と同じく多神教)」バリの伝統に、なにかしら日本人が根源的な親近感を抱くのも、もしかしたらそういう理由かもしれない。こうした化粧やしぐさ(見栄の切り方)も、歌舞伎を思わせる。現在のバロン・ダンスはもう、祭事の意味合いを失い、観光客のための出し物になってしまっているので、日本の歌舞伎の所作を後から取り入れた可能性もあるだろう。こうした女性の踊りは、タイの伝統舞踊とも似ている。バリの伝統舞踊に関しては、その起源が正確にはいつごろなのか、観光地化するにつれてどう変わっていったのか、あるいは変わらない部分はどこなのかといった民俗学的研究がまだまだ本格的になされていない(あるいはあったとしても日本で知られていない)のが残念だ。小さな島だから難しいのかもしれないが、これほど日本との古いつながりを色濃く感じさせる島も少ないのではないか。日本は今、世界でも重要な地位にある国だが、太平洋の地図を見てみれば、大陸からぽつんと離れた辺境の島国で、インドネシアのほうがむしろ地理的なスケールは大きい。この2つの国、そしてバリ島という、インドネシアの島々の中でも小さな島に、日本の伝統文化と根を同じにするものが残されたとしても何も不思議なことはない。バリ島を愛する日本人が多い謎が少しだけ解けた気がした。
2011.07.14
Mizumizu母が仕事がらみでバリ島へ。バリ島のお土産でリクエストしたのが、ココナッツクッキーとバリコーヒーで、ちゃんと買ってきてもらえた。ココナッツクッキーはタピオカとココナッツで作った風味高いもので、以前自分で買ったものとは若干違っていたが、やはり好みにピッタリだ。バリコーヒーはインスタントのように溶かして飲む。だが、インスタントとは香りと味の深みが断然違う。香りには少しチョコレートの片鱗が漂っているようだ。味はもちろんチョコレートではない。多めの量をしっかり溶かし、粉が十分に沈んだところで飲むと美味しい。しかも、現地で買えば、驚くほど安い。この風味でこの値段とは・・・!底に残った粉も飲む人もいるらしいが、Mizumizuはそこまではしない。以前Mizumizuもバリ島へ行ったが、ホテルの場所や選定がもうひとつだったせいもあり、大いに気に入った・・・とまでは、残念ながら思わなかった。だが、時を経てみると、あの豊かな熱帯の風土や美しい鳥の姿などは、やはり懐かしい。タイのほうがどちらかといえば好きだが、タイには美味しいコーヒーがなかった。バリ島の緑したたる樹木とコクと深みのあるコーヒー。美しい民族衣装をまとった人々。ココナッツを使ったお菓子やふんだんな果物・・・思い出しているうちにまた行ってみたくなった。
2011.07.13
銀座の三越の裏手にあるOSUYA GINZAの「酢フトクリーム」。最初聞いたときは、ネーミングのインパクトだけを狙った上っ面商品だと思った。ところが食べてみてビックリ! ヨーグルトのようなフレッシュチーズのような、しっとり&さっぱりした摩訶不思議な絶品ソフトクリームではないか、これは。一度は食べてみる価値あり。まだあまり知られていないせいか、休日にいってもすぐに食べられるが、ちょうど夏だし、評判が高まれば行列ができてもおかしくない味だ。このOSUYA GINZAの経営は、明治9年創業だという内堀醸造。老舗の名に恥じない、しかもまったく新しい味を開発した企業努力には心底感動させられた。看板商品だという北海道産の菩提樹の蜂蜜を自然発酵させたお酢。菩提樹の蜂蜜の野性的な力強さにまろやかでナチュラルなビネガーの風味。炭酸水で割って飲むと、夏においしい素晴らしいドリンクになる。小さな店だが、まさにホンモノを置く店。こういう店が散在しているのが、東京という街の魅力だ。
2011.07.11
イタリアのチーズの王様「パルミジャーノ・レッジャーノ」、そのホンモノに初めて出会ったのは、ボローニャだった。「パルミジャーノ・レッジャーノをそのまま食べるなら、赤ワインと一緒だよ。白ワインじゃダメ」イケメンの若い店員のお兄さんにそう念を押された。あれから何年も時が過ぎ、日本でも簡単にパルミジャーノ・レッジャーノが手に入るようになった。だが、それらの多くは、あらかじめ切り分けたものを真空パックにしているから、風味はガクンと落ちている。ホンモノのパルミジャーノ・レッジャーノは、やはりあの大きな、円い塊から切り分けなければいけない。パルミジャーノ・レッジャーノをそうやって売ってくれる店は、東京でもまだまだ少ない。だが、まるの塊から切り分けて売っているパルミジャーノ・レッジャーノを、日本橋三越でたまたま見つけた。試食してみたところ、多少乾いてしまっている感はあるが、イタリアで買ったホンモノに限りなく近い。ちょうど、九州の知人からいただいた安心院の地ワインで、メルローがあったので合わせてみた。やはりワインの味がぐっと引き立つ。チーズの味が引き立つというより、ワインの味が引き立つのがパルミジャーノ・レッジャーノの凄さ。安心院のワインも初めて飲んだが、ベリーの香りにほのかな渋みが交じり、なかなかだった。パルミジャーノ・レッジャーノを口に含んだときの味と、含まないワインそのものの味とのコントラストも十分に楽しめる。問題はワインがすすみすぎることか(笑)。
2011.07.10
某フィギュアスケート選手が宣伝したことでおなじみの(?)アサヒスーパードライエクストラコールドBAR(銀座)。先々週の週末、午前中に行ったときには、余裕で入れたのだが、暑さ本番になるにつれて、やはりこういう状態になったきた。店の前にのびる行列。去年の夏もこうだった。銀座の歩行者天国を歩くたびに見る、炎天下にもかかわらず長くのびた人の列。今回も、並ばずには入れたら入ってみようと思っていたMizumizuの思惑は見事にはずれた。特にビール党ではない・・・どころか、日本ではほとんどビールというものを飲まないMizumizu。「日本では」と書いたのは、ドイツに行くとビール飲みまくりだからだ。ドイツの黒ビール(ドゥンケル)は、本当に美味しい。アサヒスーパードライなる商品も別に好きではない。友人に奨められて一度か二度飲んだことがあるが、まるで食事をながしこむために辛くした飲み物という、最悪に近い印象だった。「ドイツのビール」を知ってしまうと、とても買ってまで飲む気にはなれない。ところがこのバーで飲んだビールは、確かに「去年あれだけ人が並んでだけのことはある」と思ったのだ。たとえば歯にしみるほど、物凄く、キンキンに冷たいのかと思いきや、そうでもなかった。そして泡が細かくて繊細。苦味は冷たいせいかさほど感じない、だがビールらしい苦味もきちんとあり、全体としてすっきりとした印象で、どんどん飲める。ツマミには辛いものが好きなMizumizu連れ合いのチョイスで、軽くチョリソーを取った。非常に辛かったが、ときに生臭いものもあるチョリソーの中では美味しいと言っていいものを出してくれた(ただし、ビールをすすませるためか、本当に辛いので、辛いものが苦手な方は頼まないでください!)。立ち飲みバーだが、スタイリッシュなモノトーンの空間はクールで、清涼感があり、スポットライト中心の照明も凝っている。店員はキビキビして、みな宣伝にも積極的だ。若い活気があるこういう店は、落ち着いたしっとりとした雰囲気を好む人には合わないかもしれないが、Mizumizuは十分に楽しめた。店員の接客態度にもマルをあげたい。やはり人が来る店は、店員も自信がもてるから、うまく回るのだ。外のうだるような暑さと、熱光線のような日差しを忘れ、モダンな暗めの立ち飲みバーで少しだけくつろぐ。しかし、そこは銀座、こういったバーにありがちな、「あまりにうるさい音楽」が流れているわけでもなく、大人の街のモダニズムをきちんと押さえている。一度は行ってみる価値のあるバー。週末は午前中に行くべし。でないと、かなり待たされることになりそうだ。
2011.07.09
以前1度紹介したキャサリン・サンソムの「東京に暮す 1928-1936」(エントリーは、こちら)。その中に「日本人とイギリス人」という一章があり、両国民に共通した精神性が紹介されている。その中で、最も興味を引いたのは、「日本人とイギリス人の共通点はスポーツ好きということです」というくだりだ。その中で、サンソムは日本人が不正を憎み、スポーツにおけるフェアネスを非常に大切にする国民だと指摘している。世界中で日本ほどスポーツマン精神が浸透している国はありません。日本のテニス選手は、勝っても負けても見せる明るい笑顔で欧米の観客を魅了しています。繊細な心の持ち主である日本人はスポーツを芸とみなしています。私は日本とイギリス以外の国で、素敵な淑女や頑健な紳士が、相手が見ていない隙に、非常に打ちにくいラフの中から打ちやすい位置へゴルフボールを移すのを一度ならず目撃しました。日本人やイギリス人が絶対にいんちきをしないとはいいませんが、両国民ともスポーツをするときは真剣で、このようないんちきはめったに見られません。こうした日本人の傾向は、今でも同じではないだろうか? テニスやゴルフで競うとき、相手に勝ちたい――それは誰もが思うことかもしれない。だが、それ以上に大事なのは、フェアに戦うことなのだ。誰も見ていない、あるいは誰もとがめないからと言って、いんちきをしてまで勝とうとは思わない。そうやって勝っても誇りにはできない。日本では普通のことだ。汚い手を使ってでも勝とうとし、実際に勝つ選手はどんなスポーツでもいるだろうが、そうした選手は日本では尊敬されないのだ。スポーツの位置づけやその商業的な意味は、昭和初期と現代とでは大きく異なっている。だが、それでも、日本人の心の底にあるスポーツの理想像、フェアな環境で、フェアに正々堂々と戦い、そのうえでフェアに勝ちたいという気持ちはかわらない。フィギュアのような採点競技、特に今のように露骨な偏向採点が公然と行われているような状況では、選手のほうは精神的な安定を保つのが大変だろう。選手は口には出さなくても、判定が試合や選手によって違うことぐらい気づいている。それどころか、こうした状況が日本人トップ選手を苦しめ、自壊寸前にまで追い詰めているといっても言い過ぎではないかもしれない。だが、それで自壊してしまっていいのだろうか。選手にとっての問題は採点がどうこうより、いい演技ができなくなるほど「自分が乱されてしまう」ことではないだろうか。心の繊細さが、繊細ないい演技につながらず、繊細なあまり集中できないという方向に行ってはいけないのだ。優遇採点などない――そんな理想主義は捨てることだ。そこら中でアンフェアなことがなされている。だが、自分はそうしたアンフェアな中でも乱れない、乱されない。そうした強さを自分が持つことを目指せばいいのだ。優遇採点されている選手に勝つためには、試合で使えるほどには完成していないジャンプにまで挑戦しなければいけないのだろうか? あるジャンプを試合で入れるべきか・入れざるべきか、その見きわめは極めて難しい。だが、そのためにコーチがいる。勝っても負けても「明るい笑顔」でいるためには、自分の中のさまざまな「不信感」を払拭して試合にのぞまなければいけない。採点競技では、それがさらに難しくなる。なるが、できないことではないはずだ。他の選手がどんな採点をされようが、「いいじゃないか」というぐらいのおおらかな気持ちで行くべきなのだ。自分は自分なのだから。もちろん、これは選手の立場だけの話であって、周囲はそれではいけない。フィギュアにおいて、現在、大きな試合までのお膳立ては選手の努力とは違ったところでなされている。それさえ見えないような人間は、何をやってもせいぜいロボットのように言いなりになるだけで、大きな果実を手にすることはできないだろう。これは、どんな分野でも言えることだ。疑うことを知らず、上から「ルールです」「そういうものです」と言われればそれを鵜呑みにする。そんな愚かな人間がいかにコントロールされやすいか。他人にコントロールされれば、自分で自分の人生を切り拓いて行くことなどできないし、世の中の荒波の中にあっという間に沈んでしまうだろう。だが、それでも、試合にのぞむ選手には、「勝っても負けても見せる明るい笑顔」や「スポーツをするときの真剣」な態度が、他国の人々を魅了しているのだということを、忘れないでほしいのだ。ロシアでのフィギュア選手に対する態度を見てもわかる。ワールド後のエキシビションで、観客は「傷ついた祖国」への想いをこめて演じた世界女王の演技には惜しみない喝采を送ったが、「足が痛い」などといって、ダブルアクセルしか跳ばない投げやりな演技を見せた銀メダリストには、これ以上ないくらい冷たかった。五輪女王という素晴らしい冠をつけたとしても、その場の演技に気持ちが入っていなければ観客は冷めたままだ。「伝わってこない」――藤森美恵子氏はワールド女子銀メダリストのエキシビションをそう切り捨てたが、そんなことは素人にだってわかるのだ。別にスポーツのプロや経験者でなくても、その選手がフェアであるかどうか、真剣に何かを観る者に伝えようとしているかどうかぐらいわかる。そういうことなのだ。
2011.07.07
7/5 23時21分配信のasahi.com(朝日新聞社)の記事アルマーニさん「日本へ敬意」 和のファッションに喝采によると、パリ・オートクチュールコレクションでファッション界の「帝王」ジョルジオ・アルマーニが、「日本へのオマージュ」を掲げたコレクションを発表したもよう。ジョルジオ アルマーニブランドのオートクチュール部門は「プリヴェ」のブランド名で展開しているので、記事にある和のテイストを取り入れたクロージング写真は、プリヴェ・コレクションからのものということだろう。非常に美しい2つの作品に、大いに感銘を受けたMizumizu。上記の記事の上の写真は、着物の帯風のデザインベルトを斜めに腰にかけ、結び目を前身ごろの端にもってきて、「キモノのオビ」のイタリア人による再解釈を強調している。下がシンプルな黒のパンツルックなので、上半身の赤のフローラル模様が、より華やかにフェミニンに見える。曲線的な花柄を散らしながら、胸元と帯の一部はメタリックなグレートーンの変形市松模様で、都会的なニュアンスも入ってきている。布地はグロッシーなプラティナカラーで、ピンクにほんのりと染まっている。下の写真の作品は逆に、上半身がすっきりとした黒。肩のラインは日本の寺のやや反り返った屋根のラインを彷彿させる。ハイウエスト部に巾着を2つつけたような装飾的なデザインがある種の諧謔性をもって目を惹くが、スカートは平面的で、足首に届きそうなくらい丈が長い。こちらのフローラルパターンは、日本の伝統的な着物の柄とのつながりを感じさせ、かつ構図も一幅の花鳥画のようでありつつも、よくよく見ると花はオレンジ色の大胆な南国風で、スカート下部には水墨画からインスピレーションを受けたようなブラックラインが面白みをもって交差している。日本画や着物の要素を取り入れ、バラバラに解体して再構築したかのようなデザインには、イタリア人らしい華やかで明るい色調とオートクチュールならではのシックな色合いが混在しており、日本人が見ても奇異ではなく、かつ新鮮だ。記事には以下のような記述もある。アルマーニさんは「日本の芸術や人々の精神性、女性たちのたたずまいが自分の創作の源になっていた。それを世界に知って欲しい」と話した。日本人独特の精神性や女性のたおやかな美しさ・・・それらは今、失われつつあるかもしれない。だが、薄められたとはいえ、確実に受け継がれているものもある。それがヨーロッパの優れた感性を刺激し、新しい芸術の境地が拓かれていく。私たちはそれにもっと誇りをもっていいのではないか。なお、ジョルジオ アルマーニは次のような被災地支援も行うということだ。被災地で就学が困難になった小中学生を支援する「ジョルジオ・アルマーニ奨学生」制度を、日本ユネスコ協会連盟と協力して設立するという。
2011.07.06
不忍池をとおりすぎて、家族連れで賑わう上野動物園のすぐわきを通ると、不思議と異次元に彷徨いこむような気分になる。子どもたちのはしゃぐ声が遠くから聞こえる。道の柵のすぐそばに、馬がいて草を食んでいる。通り過ぎる人間やクルマの音には慣れているのか、あまり関心を払わず、一心に食んでいる。道の左右には大きな木が立っている。上野の杜からのしかかるように伸びた緑が、車道をほとんど陰の路にしている。アスファルト敷きの曲線に沿って、過去へ向かって歩くようだ。お洒落とか最新とかといった言葉とは程遠い。だが、ここは大都会・東京の真ん中なのだ。そこに佇む1軒のホテル「水月ホテル鴎外荘」。ここには日帰り天然温泉がある。その名も・・・鴎外温泉。ここに森鴎外の住居があったことから名付けられたらしい。一応(?)かけ流し・・・ということなのだが、Mizumizuが行ったときには、温泉は出ておらず、さほど広くない湯船に赤っぽいお湯がたまっている状態だった。それでもとりあえず、循環式ではないそうだ。雰囲気は・・・なんというか、高級な銭湯、などと言ったら失礼だろうか? しかし、手入れと掃除は行き届いているものの、古びてこじんまりとした、露天も何もない温泉は、やたらと豪華で広い設備を備えた「ホテルの温泉」のイメージからは程遠い。時間をかなり逆戻りした感がある。そのせいなのか、人がおらず、ゆったりと1人で湯船につかることができた。これはこれで嬉しい。なんといっても上野のど真ん中なのだから。そして湯上りには、脱衣場にど~んと置かれた無料のマッサージ椅子を使ってみた。かなり痛かった(笑)。泉質は東京の天然温泉は、みんなこれ・・・としか言えない、赤っぽくて口に含むと少し塩気のある重炭酸ソーダ泉。どうということはないが、上がってみればそれなりに体はあたたまり、肌はすべやかになる(気がする)。正直に言ってしまうと、露天もなく、この狭さで1500円は高いと思う(バスタオルとタオルは無料で貸してもらえる)が、ときどきキャンペーン価格で安くなることも。ホテルには生演奏を聴かせるレストランもあり、こちらは賑わっていた。ホテル内には緑豊かな庭をそなえた鴎外の住居跡もある。いまにも明治の文豪が縁側に立ちそうだ。まさに都会の異次元空間。鴎外の娘・森茉莉もここにいたのだろうか? 時を超えて森親子と対話ができそうな場所。もう2人とも、とっくにこの世にいないのに。それをふと忘れてしまうような空気が、ここにはある。水月ホテル鴎外荘
2011.07.05
アトリエ・タントマリーと言えば、ベストセラーはノルマンディーAOCカマンベールを贅沢に使ったカマンベールチーズケーキ。それについては、すでにこちらで記事にした。「食べる人を選ぶ」チーズケーキだが、このアトリエは他にもピタリとこちらの嗜好にハマる創作ケーキを作ってくれる。いつも・・・ではない。微妙にストライクゾーンを外れることもあるが、「人を選ぶ」食べ物というのは、常にそういうものだ。マスカルポーネチーズを使ったこちらのルーロ(ロールケーキ)は、Mizumizuの中では、シンプルながらも極上の逸品。フロマージュ・ブランも好きだが、イタリアのマスカルポーネも大好きなのだ。ちなみに、カマンベールチーズ自体は、目がないというほどでもない。このルーロは、マスカルポーネを上質の生クリームとマリアージュさせ、軽さとコクの最高のハーモニーを醸し出している。これはマスカルポーネ? と思う。マスカルポーネの味を舌の上で探す。確かにどこかマスカルポーネだ。だが生クリームでもある。しかも、ただの生クリームではない。確かに、マスカルポーネを含んだ生クリームで、その配合が絶妙なのだ。チョコレートの生地も最高と言っていい。チョコレートの質の高さは、誰にでも理解できると思う。押し付けがましくない上品さでしっかりとカカオの風味を主張する。生地があまりふわふわでないもいい。大人の食感なのだ。シンプルだからこそ好みが分れ、人を選ぶロールケーキ。タントマリーのチョコレートとマスカルポーネのルーロは、間違いなくそうした作品のなかの最高峰に位置する。
2011.06.30
吉祥寺にあまたあるタイ料理店の中でも、1、2を争う味の良さで人気のクルン・サイアム。中でも最高なのが、チューチークン(海老のレッドカレー炒め)海老のぷりぷりした食感もいいが、濃厚なココナッツ風味のレッドカレーが最高。日本で食べられるタイ料理の中では、間違いなく最高峰に挙げていい。パラパラのカオパットも本場に近い味。チェンマイのカオパットの名店、「ギャラリー」を思い出した。グリーンカレーはもうひとつといったところか。日本のタイ料理店のグリーンカレーは、やたらと辛いか、あっさりしすぎているかのどちらかに偏りすぎるのだが、ここは少し「塩」っぽすぎる。日本の中では高いレベルだと思うのだが。ソムタム(青パパイヤのサラダ)も辛くて、複雑な味の本格派。生春巻きも甘辛いソースが素晴らしい。カオソイは赤カレースープが美味しい。麺がもうひとつなのが惜しい。だが、カオソイがメニューにあるだけでも嬉しくなる。それぞれの嗜好にあわせて麺類のメニューも豊富。Mizumizuのお気に入りデザート。カノム・トゥアイ。二層になった温かなココナッツプリン。
2011.06.29
マンゴーに目のないMizumizu。この時期になると楽しみにしているのが、京橋千疋屋のマンゴーを使った季節のデザート。今年はクレームダンジュと合わせたプレートが出現。これがウマイのなんの。Mizumizuには、今年最大のヒットデザートになった。フロマージュ・ブランから作るクレームダンジュには恋してるといってもいいくらいのMizumizuだが、だいたいはカシスとかラズベリーなど酸っぱいベリー系のソースと合わせていただくのが定番だと思っていた。濃厚でねっとりとした食感のマンゴーとクレームダンジュの組み合わせには、食べるまで懐疑的だったのだが、一口ですっかり魅了されてしまった。クレームダンジュの生っぽさにココナッツミルクの風味が重なり、生の上質のマンゴーの中心にはマンゴーのソルベが隠れている。大粒のタピオカも素晴らしいアクセントになっていて、何度でもリピートしたいハーモニーが醸し出されていた。マンゴー使ったデザートには、この季節の定番になったマンゴーパフェとマンゴーヨーグルトパフェもある。こちらはマンゴーヨーグルトパフェ。鋭くカットされたマンゴーの切り口まで美味しい。ヨーグルトだけあって、酸っぱさが際立っている。組み合わせとしては、やや微妙かもしれない。個人的には生クリーム中心のマンゴーパフェのほうが、「普通」で好みかもしれないが、ヨーグルトパフェのほうも3回に1回はオーダーしたくなる・・・といったところか。飲み物付きのお得なセットもある。もちろんフルーツを使ったドリンクも。案外「お1人様」の女性客も多い京橋千疋屋のフルーツパーラー。決して安くはないのに、いつも賑わっている。最高のマンゴーを使った独創的なデザートの登場で、また初夏の楽しみが増えた。OCY2703訳あり わけあり ワケあり【アウトレット】在庫処分 数量限定 天使のクリームふわふわ「クレーム・ダンジュ」(6個)(lf)あす楽対応淡雪のようにふわふわに仕上げた2種類の北海道チーズ。2層に入ったラズベリーソース。やさしい口どけ、フルーティな酸味、北海道の淡雪を丸めたようなまん丸チーズケーキまる雪ちーず【お中元ギフト送料無料】【早期割引で525円お得】銀座千疋屋 銀座プレミアムソルベ [PGS-037]内祝い・快気祝い お返しギフトにも!【お中元ギフトにも!】銀座千疋屋(せんびきや)マンゴードリンク【送料無料】【smtb-T】内祝い・快気祝い お返しギフトにも!【お中元ギフトにも!】銀座千疋屋(せんびきや)銀座フルーツフラッペ(イチゴフラッペ・マンゴ-フラッペ・ブルーベリーフラッヘ:各2個)【送料無料】【楽ギフ_のし宛書】【内祝い・出産内祝い・結婚内祝い・快気祝い お返し にも!スイーツ】【smtb-T】
2011.06.28
日本でもっとも充実したジュード・ロウのファンブログということで、本人さえ感涙したという噂(?)のブログでお宝映像のあるエントリーを発見!それが、こちら。若々しく、エネルギーと野心に満ちたジュード・ロウのインタビューでの受け答えも新鮮だが、間に入る舞台劇「恐るべき親たち」も、「見たい!」と思わせる。元祖「恐るべき親たち」はVHSで見たが、Mizumizuには女優2人の名演があまりに印象的だった(それについては、こちらの拙エントリーで褒めまくっている)。このインタビューでも、ミシェルがベッドで後ろから母親を抱きかかえて、好きな女性ができたことを伝えるシーンが出てくる。喜びと希望で我を忘れている息子に対し、絶望感に侵食されていく母の表情。ハッキリ言って、この場面は、元祖コクトー監督映画作品のイヴォンヌ・ド・ブレのアップの「目」の演技にまさるものはないと思う。思うが、それでも舞台劇としては、ジュード・ロウ版も素晴らしい。このインタビューは初代ミシェルのジャン・マレーが亡くなる4年前。はじけるようなロウ版ミシェル像に、元祖ミシェルは何を感じたのだろうか。若い俳優の才能を見つけるのにも長けたマレーだったので、ロウの非凡な才能は間違いなく感じ取っていたと思うのだが。この本格的な演技派が大いに活躍できる舞台劇、なぜ日本でやらないのだろう(修正:2010年にすでに上演されたそうです)。そろそろ日本人の精神性も、この室内劇の素晴らしさを理解できるくらい西洋的な成熟をしていると思うのだが。若い男性俳優の登竜門になり、ベテラン女優2人の演技対決にもなる。これほど大人の企画はないと思うのだが。なんならジュード・ロウがそうだったように、ヌードで若い女性を釣ってもいいと思う。日本では「恐るべき子どもたち」のほうが知名度が高いのが、このごろは少し残念にさえ思う。元祖「恐るべき親たち」のVHSはこちら。若い恋人たちのルックスが、今風に言えば、少し老けているかもしれないが、あらゆる面において、演技と舞台美術、効果のお手本になる作品。こういう演技を日本の俳優、女優で 是非 こんどこそ見てみたいもの。追記:上記の記事をアップしたところ、リンク先のjudecherryさんより情報をいただきました。「恐るべき親たち」、去年日本でも舞台化されていたようです(それにともない、一部エントリーを修正しました)。ミシェル役の満島真之介さんのサイトはこちら(残念ながら、まったく存じ上げない俳優さんです・汗)。脚本家の木内宏昌氏のサイトはこちら。観劇された方のブログは、こちらやこちら。まったく知らなかったのが悔やまれる。再演求む!
2011.06.25
北九州の温泉宿、週末・・・となると直前に開き部屋を見つけるのはやはり難しい。まったくの前日に宿が取れたとしても、それは人気がないということだからハズレる・・・この定石(?)を「やや」くつがえす宿を宝泉温泉で見つけた。「季の郷・山の湯」という温泉宿がそれ。諸手を挙げてパーフェクトな宿だというつもりはない。だが、何でもそうだが、払った料金に対して、得られたサービスがどうかということで考えれば、かなり高い点をつけることができる宿だった。まず、値段が手ごろだった。直前予約で特別に安いプランがたまたまあったせいもあるが、それにしても良心的な価格。それに対して料理が驚異的に豪華だった。豊後牛のしゃぶしゃぶを頼んだのだが、ハッキリ言って、東京だったらあれだけで宿泊代ぐらいは取られるかもしれない。他の料理も、驚くほど細かい部分で手がこんでいる。仲居さんに聞いたら、女将さんの料理へのこだわりは相当なものなのだという。確かにそれは納得できる。ここまで気を配るというのは商売云々を超えている。かなり食に造詣が深くなければできない。なのだが・・・あまりに「ご飯」が出てくるのが遅かったのが、個人的には辛かった。お酒を飲む人にはいいのかもしれないが、Mizumizuは料理とご飯は一緒に食べたい庶民なのだ。とにかく配膳にやたら時間がかかるのだ。ゆっくり味わって欲しいというこだわりからだという説明だったのだが、むしろ仲居さんの手が足りないというのが本当ではないかと邪推してしまった。ここに来たら、「ものすごくゆっくりと食事をする」ものだと思ってください。そうでなければ、怒りを感じてしまうかもしれない。特に都会から来たセッカチは。料理は素晴らしいが、上で「やや」くつがえす・・・という、またも微妙な言い方をしていることからもお察しいただけると思うのだが、部屋そのものや設備は、相当に微妙。特別に安いプランだったせいかもしれないが、部屋のバスルームはびっくりするほど古かった。絶対に部屋でシャワーを浴びる気にはなれない。だが、それはいつでも入ることのできる温泉があるわけで、視覚的にかなりショックだったということを除けば、個人的には許せる。別に温泉宿でシャワーを浴びる必要はないだろう。あとは掃除が・・・なんだか、椅子に座ったとき、アームレストが「べちゃ」とした気がしたのだ。「消毒済み」と書いてあるビニールに入ったコップを出したときも、やや「べちゃ」としたコップが1つだけだが、あった気がしたのだ。気のせいかしらん?(苦笑)あくまで、1泊した部屋がたまたまそうだった可能性もある。なにしろ直前の安いネットプランだったから(←くどい)。仲居さんは・・・同じ方が食事の面倒から、最後は荷物をもってクルマまで見送ってくれるなど、感じはよかった。しかし、料理のことを聞いても、つっこんだことになると、どうも話が通じないような気がした。まあ、別にたいしたことではないが。宝泉温泉の泉質は弱アルカリ単純泉だというから、温泉の宝庫、九州ではインパクトは弱いかもしれない。だが、かけ流しだというのはポイントが高い。ここの売りの1つらしい、「洞窟風呂」というのは・・・ 要は大浴場の一部がトンネルのようになっているということ。女性用の露天(こちらは狭い)からは月も見えて、気持ちがよかった。岩や石をふんだんに使った温泉場は昔は高級だったのかもしれないが、設備そのものはすべてにおいて古い。Mizumizuには逆に珍しかったのだが、設備の整ったきれいな温泉ホテルを好む人には合わないかもしれない。ここは山あいの温泉地なので、特に遊ぶ場所があるわけではない。早く着きすぎると時間をもてあますだろう。窓から見える山の緑は、日ごろ賑やかすぎる大都会・東京に住んでいるMizumizuには新鮮だったが、もともと自然豊かな地方の人には刺激がないかもしれない。「もう1度泊まってもいいか」と聞かれれば、あのお料理なら是非・・・と答えるだろう。ただし、ご飯をもうちょっと早く出してくれるように事前に頼んでおかないと(笑)。それとプランによっては現地決済でカードが使えず、現金のみというものもあるので、ご注意を。
2011.06.24
九州からの帰りの高速道路。サービスエリアに寄ると、とりどりのお土産品の山。いくつか買ってみたが、やはり昔ながらのものや定番のものが美味しかった。こちらはMizumizu母のお気に入り「佐賀ぼうろ」。昔懐かしい、栄養タップリのおやつという感じ。以前、九州に来たとき「長浜ラーメン」を買ってややハズレた。今回は那の福の博多ラーメンを買ってみたら、こちらはまあまあ。この手のものとしては十分楽しめた(写真のトッピングはついていません)。全体として、西は東に比べて、「甘さ」がより尊ばれている。甘いものはとことん甘い。さすがに長くいると、少し身体が甘み限界に達してくるような感覚がある。だが、九州は美味しい。何でも甘すぎるという人もいるが、Mizumizuの味覚には合っている。むしろ関東は、なぜああもやたらとしょっぱいのかと思う。外国の料理を食べるなら断然東京だが、和食に関しては、関東はかなり疑問符がつく。九州地方の伝統菓子「丸ぼうろ」。国内産小麦粉と卵を主原料に、砂糖や蜂蜜など独自のブレンドで、ソフトに仕上げています。素朴で懐かしい、やさしい...自然味良品丸ぼうろ 14枚【イージャパンモール】【sybp】【w1】【smtb-k】【w1】【YDKG-k】【w1】
2011.06.23
熊本に入るとMizumizu母が、「メロンを買って行こう」とのたまう。東京では、北海道の夕張メロンや静岡のマスクメロンが幅を利かせていてあまり知らなかったのだが、熊本は有名なメロンの産地なのだそうな。高速に入る手前の南関町の道の駅で肥後グリーンメロンというのを買ってみた。ラグビーボールのような楕円形。Mizumizuの大好物の夕張メロンとも少し似ている。食べてみて驚愕。こ、これは美味しい!水気が非常に多い。そして、めちゃくちゃ甘い。こんな美味しいメロンをなぜ今まで知らなかったのか。東京に戻ってさっそく近所の果物屋をめぐってみた。熊本産のメロンをおいているところは多いのだが、だいたいはマスクメロンだ。東京の人間って、そこまでマスクメロンが好きですか??ようやく小さな果物屋で肥後グリーンをおいている店を1軒だけ見つけた。味は現地で買うのと遜色なかったのだが、いつも入荷するというわけではなく、そのあとはもうなくなってしまった。そこまで東京で人気ありませんか? 肥後グリーン。もしかすると生産量の問題かもしれないが・・・ ここまで甘く瑞々しいメロンが、関東であまり知られていないのは、奇異にすら思える。夕張メロンもそうだが、肥後グリーンメロンも食べごろの時期が短く、傷みやすいのもあるかもしれない。同じ道の駅で「南関あげ」という油揚げを買ってみた。こちらも繊細で油のくどさがなく、非常に美味しかった。いろいろ美味しいものがあるなあ、九州・・・ 熊本産最高級ブランドメロンを訳あり大特価でお届け!!味は秀品と変わらず、変形・表面の網が粗い等の理由で贈答用から外れた超お買い得商品です!!【訳あり】熊本産 肥後グリーンメロン 2玉◎ネット購入者限定キャンペーン中◎≪20%OFF≫南関あげ(大)3枚入 ★熊本南関の伝統製法のあげ ★只今注文が殺到中発送の遅れあり。 ★売上ランキング3位実績あり↑
2011.06.22
雲仙のホテルで聞くと、ちょうどミヤマキリシマ(ツツジの一種)が見ごろだという(注:5月の話です)。宝原つつじ園(無料)に行ってみると、そこは家族連れで賑わっていた。坂の上に展望台が見えたので、とりあえずそこを目指した。初めて見るミヤマキリシマ。山肌に咲くツツジというのが、そもそも珍しく感じた。花は密で、色も鮮やか。残念ながら天気が悪く、展望台に登っても遠景はゼロに等しかった。それでも野性味あふれるツツジを見ることができたので、よしとしよう。雲仙温泉を離れ、クルマで峠を越えて多比良港へ。途中の峠道にも木々の間にミヤマキリシマが咲いていた。窓の外を流れて行く緑の中のツツジ群。ほんの短い間だったが、心躍る最高のドライブ風景になった。山を下るときれいな坂道。ボールを落としたら、山すそから海までそのまま転げ落ちていきそうなまっすぐな下りだった。多比良港(長崎県)と長洲港(熊本県)を結ぶ有明フェリーは頻繁に出ている。多くの人が利用するらしく、クルマから降りずに簡単にチケットが買えた。しかもかなり安い。そのまま列に並び、乗船を待つ。どんどん乗り込んでくるクルマ。ここは生活航路になっているのだろう。雲が重く垂れ込め、山はまったく見えなかった。あの雲の中に普賢岳があるのだろうか。フェリーの中もきれい。40分ほどで着いた。快適で楽しいフェリーの旅だった。
2011.06.21
雲仙温泉には一度行ってみたいと思いつつ、どうしても足を伸ばせずにいた。本州からクルマで来ることを考えると、当然温泉といえば別府、もしくは湯布院になってしまう。雲仙は遠い・・・そういうイメージだった。今回、意を決して長崎から雲仙に回ってみた。まったく予備知識なしで。どういう場所にあるどういう温泉地なのか、予想もつかなかった。標識に従ってクルマを走らせると、海沿いから山へ入る。途中、海霧がのぼってきて、眼下に広がっているはずの海がすっぽり隠れ、さらには路にまで霧が這い上がってきて、またも奇妙なミステリーゾーンに迷い込んだような気分になった。緑したたる山道をまだまだ登る。あまりに樹木が大きいので空が狭い。人里離れた村に行くようだ。こんな山の中に、本当に温泉地があるのだろうか・・・と疑いだしたところで、視界が開け、ホテルがちらほら見えてきた。とりあえず、温泉街の中心らしき、「地獄」でクルマを停めた。こういうところは箱根にもあるし、北海道の登別にもある。だが、雲仙の地獄は山を含み、森林浴も同時にできるのが特徴的だ。山の中腹からも煙が立ち昇っているさまは、誰かが焚き火でもしているよう。別府にも「坊主地獄」というのがあったっけ。雲仙にもやはり、同じようなものがある。雲仙の地獄は俗っぽい鬼の像の類いがないのがいい。あくまでも主役は自然。それをなるたけ損ねないようにという配慮があるように思った。途中でスズランが木に咲いているような、おもしろい花をみつけた。ネジキというらしい。本州・四国・九州に生育するらしいが、初めて見た(と思う)。かわいい花だった。煙がもうもうと上がる地獄のすぐわきにホテルが建っている。この位置の近さにも少し驚いた。客室からごくごく間近に、荒涼たるグレーの大地から立ち上ってくる自然の驚異が見られるということだろう。これはなかなか珍しいのではないか。すぐ向こうの緑の山に挟まれた地獄は、いわば宿泊客のための箱庭になっている。雲仙温泉は、町もこじんまりとして落ち着いていた。大きめの温泉地にありがちな猥雑なムードがまったくない。品を落とすレジャー施設もない。とても落ち着いていて、「奥座敷」の名にふさわしい。ここはまぎれもなく、「通のための温泉地」だろう。本当は長崎の街で聞いた、にごり湯で有名だという小地獄温泉で日帰り入力する予定だった。だが、地獄のすぐそばの富貴屋というホテルでちょうど3人で1000円というチケットが売り出されていた。たまたま3人で来たので、そちらに入ることにした。地獄のすぐそばなのでかけ流しと思いきや、一部循環式で多少塩素消毒もしているという。だが、そんなことは感じさせないくらいいい温泉だった。広々とした内湯は多少濁り、硫黄の匂いがたちこめている。露天はこじんまりとしているが、木に囲まれ、はらはらと花が落ちてくる。あまり混んでいなかったのも幸いだった。酸性硫黄泉こそやはり、温泉の中の温泉だと思う。雲仙の泉質は草津に似ているという説明を読んだが、規模や雰囲気から言うと北海道の名湯・川湯温泉により近いように思った。Mizumizuは川湯温泉の御園ホテルが大好きだった。東の横綱といわれる草津温泉のホテルにはあまりいい印象がない。たまたまハズレのところに泊まってしまっただけかもしれないが。ある程度の規模と設備を確保しなければならないホテルとなると、かけ流しの温泉は難しいのかもしれない。だが、雲仙温泉にもいわき旅館のように、100%天然の温泉を味わえる宿があるようだ。湯元ホテルなども口コミの評判がよいよう(ネットの口コミはこちら。ただし、あまりアテにならない場合もあるので、あくまで参考程度に)。別府にも、湯布院にもない、しぶく落ち着いた雰囲気。余計なものは何もない。山の自然に抱かれた、箱庭のような風景。雲仙も思いのほか気に入ってしまった。次回は是非、山の緑にいただかれたこの得がたい温泉地で1泊してみたい。
2011.06.19
長崎に来る前は、めがね橋は忙しい都会の風景に埋もれた、ただの1つの橋だろうと思っていた。たとえば札幌の時計台のようなイメージ。そこ「だけ」を見れば絵になるが、周囲を見回せばつまらない場所なのではないか。だが、その先入観は見事にくつがえされた。めがね橋は1つの川(中島川)にかかる1つの橋ではなかった。具体的に言えば、中島川には驚くほど短い距離の間に、これでもかというくらい石橋がかかっており、他ではあまり見ない風情が醸し出されている。同じ形の橋をいっせいにかけたのではない。1つ1つの橋は全部違う。その不統一がおもしろい。空間に独特のリズムと力強さを与えている。なぜこんなにたくさん橋がかかっているのだろう? その疑問は、地図を見るとなんとなくとける。それぞれの橋をわたって寺町のほうへのぼると、まっすぐ仏寺に至るようになっている。檀家が集まって資金を出し合い、参道への直線道を作ったのではないだろうか? 橋のデザインがまったくバラバラなのも、そのせいではないか(ただの推測です。裏取り調査はしてませんのでご注意を)。そうした石橋群の中で、もっとも優美で調和のとれた橋がめがね橋ということだ。川縁に降りて、鯉を見ている人も多い。こういうふうに水辺で戯れる人たちが、中島川の風景に彩りを添える。田舎の川ではなく、都会を流れる川だからこそ、「彩り」と言いたいニュアンスが風景に加わるのだ。善福寺川と神田川の近くに住むMizumizuだが、東京の川では、こうした人々の姿を見ることはない(そもそも水が汚くて、近くまで行ってみる気にならない)。最初に行ったときは夕方で、すぐに暗くなってしまったから、今回は昼間に行った。だが、黄昏どきのめがね橋付近も、とりわけ素晴らしかったのだ。店が閉まり始め、観光客が退却すると、街の人々がそぞろ歩き、ベンチに座ったり、立ち止まって話したりしている。ビルの上に月がかかり、東京にはもうなくなってしまった、寛容で親密な空気が川の周囲を満たす。古い石橋の物語る過去と現在進行中の人々の生活がここには同時に存在する。川にこれでもかとかかる独特の石橋群、カステラやべっ甲を売る店、観光客、そして憩いを求める地元民・・・ 有名観光地だと、観光エリアと住民の生活エリアが離れてしまっているところが多いが、めがね橋付近は例外的に、こうしたさまざまな「エレメンツ」が混然一体となり、何度でも来て、ここに存在してみたいと思わせる場所になっている。
2011.06.16
最初に長崎に行ったとき、稲佐山が夜景で有名だということをまったく忘れていた。知名度では函館の夜景のほうが、少なくとも関東の人間の間では高いし、香港の夜景も見ている。だからあまり関心はなかった。それで昼間に行ってみたのだが、これが予想外によかった。360度、どこを向いても変化に富んでいる。海のすぐ近くまで迫る山、入り組んだ入り江、遠くに近くに浮かぶ島々。海と山の織り成す独特の眺望は、なるほどこここが天然の良港であり、海づたいに人と人を結びつけるのには最適の場所だったのだということを納得させる。そもそも陸路で行く長崎は遠い。山をいくつも越えた先にあり、クルマで走っているときはとんでもない僻地を目指しているような気分になる。ところが長崎の街につくと、そこがあまりに明るく開けた都会で驚くのだ。長崎、出島、シーボルト・・・こういうことは教科書で習った知識として頭の片隅にいつもあったのだが、稲佐山に登って初めて、長崎が鎖国時代の日本でなぜあれほどまでに重要な役割を果たしえたのかが理解できた。最初の長崎観光で昼間来てしまったので、短い日程の中でまた夜来る気にもならなかった。そのかわり「次に来たときのために」と取っておいたのだ。二度目の長崎で夜、いよいよ稲佐山にクルマで向かったのだが、あいにくの天気だった。夕方から雲が降りてきて、山の頂に届くかどうか。それでも行ってみないとわからない。山の中腹まではそこそこ大丈夫そうで、ワインディングロードから目に入ってくる街の灯りは、あるいはさほど期待していなかったせいもあるかもしれないが、思った以上に綺麗で新鮮な感動を覚えた。これなら大丈夫かと思ったのだが、山頂に着く直前で、まるで魔法にでもかかったように霧が流れてきて、すっぽりとクルマを取り囲んでしまった。突然、暗闇の中から誘導員の姿がフロントガラスの向こうに浮かび上がったが、その立ち姿も幻想のように霞んでいる。つまり、雲の中に入ったというわけだ。これでは展望台に行っても何も見えない。潔く諦めて山を下ることにした。途中、大きな橋があり、夜景を諦められない人たちがたくさんクルマを停めて、欄干に肘をつき、街の灯りを見ていた。Mizumizuたちもクルマを降りてみた。頭上をロープウエイが電光を煌めかせながら登って行く。ほぼ真下から見上げるロープウエイは大きく、そして速い。それが霧の中に突っ込んで行くさまは、不思議にシュールだった。香港の夜景は間近まで迫った高層ビル群が動的でドラマチックだった。函館はたおやかな扇の形が静的で美しかった。長崎の夜景の魅力は海と山に挟まれた狭い平地から、山の中腹までのぼっていく灯りの散らばり方にある。香港とも函館とも違うユニークな地形。山から街へ、輝くネックレスをあちこちに垂らしたよう。写真ではうまく撮れなかったのだが、実際には変化に富む素晴らしい夜景だ。山頂には行けなかったが、さほど残念ではなかった。三度目に来る理由ができたような気がしたからだ。次は、夜景の見えるホテルに泊まってもいいかもしれない。ワインディングロードを下るとき、大型の観光ホテルをいくつも見かけた。そういえば、匠寛堂のおじさんも、稲佐山エリアのホテルについて、「あのあたりは、だいたい2食つきでXXX円ぐらい(多少高めの相場)」と言っていたっけ。ゆったり滞在するなら、このエリアかもしれない。長崎の夜景を中心に考えたホテル情報は、こちら。
2011.06.14
休日に長崎でホテルを探すのは難しいこともある。だが、長崎バスターミナルホテルなら大丈夫。シングルにすれば、まずいつでも泊まれる(?)。たとえば2人で行って別々の部屋を取るとコストパフォーマンスはぐっと悪くなるが、長崎バスターミナルはもともと安いので、シングル2つでもダブルあるいはツインより「ぐっと高くなる」ということはない。シングルに1度、ダブルに1度泊まったのだが、ダブルの部屋は正直酷かった(ツインは未体験なのでわからない)。機械式駐車場のすぐわきの部屋で、クルマを出すたびに大きな音が響く(午後11時以降は静かになる)。ベッドはスプリングが最低に近いぐらい悪く、かつ狭い。これなら、シングルを2つ取ったほうがマシだと思った。シングルは、結論から言えば、「まあ1晩なら我慢できるかな」というレベル。部屋そのものは古いのだが、備品はそれほど使い古した感じはなく、掃除はちゃんとされていて、清潔感もある(←これは大事だ)。中華街に近く、だから、江山楼にも近い(笑)。あくまで、「泊まるだけでいい」という人たち向けだということは間違いないが、立地と値段のバランスを考えれば、積極的にお奨め・・・とは言えなくても(奥歯にモノがはさまったような言い方)、文句はないと思う。思うのだが、楽天トラベルのサイトを見ると、宿泊客はいろいろ文句を言っているようだ(苦笑)。確かにバスルームはえらく狭く(部屋ももちろん狭い)、とてもお湯を張って入浴する気になれないし、トイレは背が高い人は足をどうするのだろうかと思うくらいキチキチ。ドアもオートロックではない。機械式駐車場では外に出さないままトランクをあけると上部の出っ張りに当たってしまうし(それでクルマにエクボを作りました)、といって駐車場から出すとすぐに露天で、荷物が多い客は雨の日などは大変だろう。だが、Mizumizuが泊まったときのホテルの従業員の対応はよかったし、部屋でネットも簡単につなげたし、ベッドそのものはよくないがシーツ類は清潔だったし、タオル類も十分あった。個人的には、値段を考えれば(←しつこい?)十分に許容範囲のホテルだった。予約はやはりネットが安いよう。プランはいろいろ。朝食は予約時につけるとドリンクバーがついてくる(現地予約は値段は同じだが、ドリンクバーはなし)。朝食はつけなくても、コンビニがすぐ近くにある。便利な場所にあって安価――最大の長所はやはりコレ。長崎でホテルが取れなくて困っている方はどうぞ(最後まで微妙な言い方)。
2011.06.13
一般の観光客にとって、長崎には「寺」のイメージはないかもしれない。だが、崇福寺はその境内の建造物ほとんどが重文・国宝で、見ごたえ十分だった。寺の創建は1629年。長崎に在留していた福州人たちの手によるものだという。道路から見える門は「三門」(重要文化財)。竜宮門とも呼ばれ、朱塗りの堂々とした佇まい。この右側に(とてもそうは思えないのだが)ちゃんと駐車場がある。まさか車で入っていけるとは思えず、車を停める場所を求めて、何度か周囲をグルグル回ってしまった。長い階段をのぼった先にある国宝の第一峰門。唐門、赤門、海天門などとも呼ばれる。1644年創建、1696年改築。軒下の入り組んだ斗?(ときょう)は、極めてデコラティブで見事。長崎にいながらここだけチャイナな空間。不思議なことに柱や壁が朱色でなければ湯島聖堂にそっくりだと思った。境内に入ると街の喧騒が嘘のように遠のく静けさも含めて。♪ あの日 湯島聖堂の白い石の階段に腰掛けて~(さだまさし)♪ この日 崇福寺の紅い木の柱にもたれかかって~(←替え歌にもならないが・笑)韓国人旅行客の小グループと一緒になった。韓国人には興味深いのだろうか? 日本にある中国風の寺。日本人観光客は少なかったが、その分落ち着ける。もちろんメジャーな観光スポットを差し置いてまで行くほどではないが、二度目の長崎で訪ねるにはもってこいだった。さりげなくこういう異色の静謐も潜んでいる。それも長崎という歴史ある国際都市のもつ魅力の1つ。
2011.06.11
最初に長崎に来たとき、まっさきに行ったのがグラバー園だった。その近くのオランダ坂もセットで見ようと思っていたのだが、グラバー園が思いのほか面白く、時間を食ってしまったので、オランダ坂は次の機会にと取っておいた。「オランダ坂はタダの坂」という人もいる。確かにそうかもしれない。だが、非常にきれいな坂だ。「坂」には不思議な磁力がある。興味のない人には、どこもここもタダの坂かもしれない。だが、Mizumizuは坂の作り出す風景が大好きだ。大都会東京にも小さな坂があちこちに潜んでいる。谷中、湯島、本郷、あるいは三田などにも。そうした坂を歩くと、そこはかとない物語性を感じるのだ。長崎のオランダ坂は東京に散らばっているMizumizuの好む坂たちに比べるとずいぶんと巨大だ。そして手入れが行き届いていて美しい。坂は自然の地形の上にできるが、坂道を作り上げるのは人間で、その景観を守っていこうとするのは坂の美に魅せられた人の愛情だ。タダの坂をただならぬものにするのは、人智と自然のアンサンブル。長崎のオランダ坂は間違いなく、その最高傑作の1つだ。ここでは坂のもつ物語性が人に憑依する。観光客というのは、被写体としては一番「味」がない。だがここオランダ坂に来ると、タダの観光客が何ごとかを心に抱えた旅人に見える。あるいは現地の生活人に溶け込む。そんな魔力さえ、オランダ坂はもっている。ところで、さだまさしの名曲に「無縁坂」がある。無縁坂そのものは東京の台東区にあるが、あの歌は、さだまさしが長崎出身でなく、オランダ坂を知らなかったら、決して生まれなかったのではないか。あの曲を聴いたとき、現実の無縁坂は知っているが、オランダ坂は知らなかったMizumizuは、「無縁坂って車で通るようなところで、下は不忍池(しのばずの池)だし、老いたお母さんの手をひいて『いつも』のぼるような場所にある道ではないのに・・・」と首を傾げたのだ。母の手をひいてのぼるというなら、急勾配だが、坂の距離は短く、上にのぼれば長崎の街が少し見下ろせるオランダ坂のほうがふさわしい。少なくとも物語性を感じさせるという意味では、オランダ坂が創り出す風景のほうが、強くイマジネーションを刺激する。具体的にオランダ坂ではないにせよ、さだまさしが故郷のどこかの坂で見た日常のひとこまから想像した物語、そこに不忍池からかつてあった無縁寺に続く坂の、インパクトの強い名前のイメージが重なって、あの歌詞が生まれたのではないか・・・そんな気がした。とはいえ、観光ルートとしてのオランダ坂を考えると、たいていはグラバー園の次に来ることになり、そうなると同じような洋館をまた見ることになるので、飽きしてしまうかもしれない。その意味では、グラバー園の記憶が薄れた2度目の長崎にとっておいてよかった。オランダ坂の下にある道で見かけた洋館。実はオランダ坂近辺で、これが一番心惹かれた洋館だった。瓦屋根に白とブルーで塗り分けた和洋折衷の洒落た外観、ピンクの花がこぼれ、手入れの行き届いた(と壁の外からもわかる)庭の植物。フリル(もしくはトリムかもしれない)付きセンタークロスのレースのカーテン。一般人の住居だとしたら、この良好な保存状態を保つには尋常ではない努力が必要だろう。
2011.06.08
オランダ坂の近くにも、小さなべっ甲店が並んでいる通りがあった。そのうちの1軒、「観海べっ甲店」に入る。職人のご主人と奥様の2人で切り盛りしている小さなお店。「甲」に比べると手ごろなデイリーユーズのアクセサリーも多い。入ったとたんに、べっ甲についてのレクチャーが始まり、お茶まで出てきて、またも何か買わないと出にくい雰囲気に(笑)。数千円レベルで買えて気軽に使えるアクセサリーが欲しかったのでちょうどよかったのだが。こちらがMizumizuお買い上げのチョーカー風ペンダント。表面が少し曇っていたような気がしたのでそう言ったら、すぐに磨いてくれた。ご主人の作業風景。こういうふうにショップで職人の仕事が見られる店は他にもあり、チェンマイの銀細工の店を思い出した。べっ甲はワシントン条約で輸出入が禁じられているから、こうした風景も徐々に消えていかざるを得ない。店内の様子。「写真を撮ってもいいですか?」と聞くと、快くOKしてくれた。長崎の店では、不愉快になるということがない。どこも客扱いがとても丁寧だ。ここまでどの店に入っても感じがよい街もめずらしいのではないか。
2011.06.07
最初の長崎ではあまり積極的に見て歩かなかった鼈甲。鼈甲というとなんとなく、高価だが古臭いイメージがあったからだ。だが長崎も二度目となると、記念に何か買ってもいいかなという気持ちになってきた。めがね橋のすぐそばの店、トータス・ジュエリー「甲」、前回来たときに、ここのおじさん(経営者なのか従業員なのかは不明)にお世話になったのだ。店の前でなんとなくうろうろしていたら、なんとなく声をかけられ、めがね橋の由来など聞いたついでに、「おいしいちゃんぽんの店はありますか?」「おいしいカステラの店は?」と聞いてみたら、江山楼と匠寛堂を教えてくれた。それでいて、別に自分の店に連れ込む(笑)でもなかった。興味を示したら案内したのかもしれないが、前回はまるで買う気がなかったので、それが態度にありありと出ていたのかもしれない。今回は自分から店に入ってみた。おじさんの姿はなく、売り込み上手な女性店員さんたちに囲まれて、逃げにくい雰囲気に・・・(笑)。いろいろ見せてもらったが、それがことのほか楽しい時間になった。期待していた以上にモダンなデザインのものも多く、「鼈甲って時代遅れ」などという偏見が吹き飛んだ。Mizumizu母が買ったチョーカー。身に着けると軽いのだが、見た目は重厚感がある。フォーマルなドレスなどにも合いそうな雰囲気。ふだん使い用に、中の円いチャームだけを下げる黒いカジュアルなチェーンもつけてくれた。他にも鼈甲店は見たが、「甲」は全般的に値段は高いがデザイン性に優れたものが多く、商品のクオリティは非常に高かった。いわゆる観光客向けの手ごろなお土産・・・ではなく、文字通り本格的なジュエリーとして使えるものをおいている。店を出たところで、バッタリおじさんに遭遇。店にもう1度入って観光用の地図などもってきてくれた。その態度は明らかにこの店の人間。しかし・・・「買ってくれたの。ありがと。何を買った?」と言われたので、「チョーカー」と答えたら、「チョーカーって何?」 えっ??本当にトータス・ジュエリーの店の人だったのだろうか?
2011.06.02
二度目の長崎でもやはり暖簾をくぐったのはカステラの匠寛堂。清潔な店内で、さっそく試食させていただく。座って食べられるので、まるでちょっとしたお招き気分。格子の丸窓の袂のディスプレイも、どことなく「長崎」。長崎の店は、どこに入っても非常に感じがいい。北関東あたりの有名観光地だと、「その接客態度は何? いくら放っておいても客が来るからって…」と呆れてしまうような店もあるし、地方の田舎に行くと、「なんか警戒してませんか? ワテラ、別に怪しいものじゃございませんが…」と言いたくなるような内向的な店員に会うことも多々なのだが、さすが国際都市として長い歴史をもつ長崎。それなりの店では、誰もかれも客扱いがうまい。しかも、いかにも「商売上手」と言うのではなく、丁寧にもてなしてくれている素朴さも残っている。だから、返って、いったん入ると何も買わずに出てきにくくなる(苦笑)。以前買って、心底うなったカステラの最高傑作「天地悠々」と普通の商品(?)「はちみつカステラ」を購入。「天地悠々」は桐の箱入り。これ…正直に言うとリピーターには無用なのだが(苦笑)。初めて食べて美味しいと思っても、二度目には、「あれ? こんな程度だったかな?」と思ってしまうものも世の中には多いが、「天地悠々」ではもう一度ちゃんと感動させてもらった。しっかりした味だが決してくどくなく、もっちりした食感には、「さっくり」と「しっとり」が同居しているよう。一口で何重にも美味しい。個人的には、匠寛堂の「天地悠々」がナンバーワン・カステラだと思う。とはいえ、長崎という街は本当にカステラのレベルが高い。東京で売られている長崎カステラって、わざわざ長崎で売れないものを選んで送ってるんじゃありませんか? などと邪推してしまうくらい、どのカステラメーカーのものも、それぞれにファンがいそうな個性がある。いろいろ買ってみたが、ひどく「はずれた」と思うものはなかった。あっさりしたカステラを好む人、卵の風味の強いカステラを好む人、どんな細かな嗜好にも必ず合うカステラがありそうだ。東京にいては知りえなかったカステラの奥深さ。それを知ることができるだけでも、長崎は何度も訪れる価値がある。匠寛堂の「はちみつカステラ」も、やや甘みが強く、ぎゅっと中身が詰まった味。これも好みだった。匠寛堂の過去エントリーはこちら。ちなみに、車で来た観光客の方は、店舗の裏に専用の駐車場があるよう(7番か8番だ…と聞いた気がするのだが、うろ覚え)。
2011.06.01
ミシュランの三つ星の概念は、「(遠隔地であっても)わざわざその店まで足を運ぶ価値のある店」だ。その店に行くために、その土地まで行きたい…とまで思える店は少ないが、Mizumizuにとっては長崎の江山楼が、まさにその概念に当てはまる店。長崎といえば、ちゃんぽん、皿うどん。それから、とんぽうろうなどの名物もある。江山楼では、そのどれもが食べられるが、Mizumizuにとっての最高の一皿は、実はありふれた中華料理であるスブタ。材料はいたってシンプル。肉のほかは、タマネギとピーマン、それにパイナップルとライチが入っている。このライチがめっぽう効いている(ただし、一度だけだが、夜遅く行ったときにライチが入っていないことがあった)。九州はだいたいどこもそうなのだが、料理の味付けがかなり甘い。江山楼のスブタもその例に漏れないが、果実が混ざることで、さわやかな酸味が加わり、かつて旅した東南アジアの味を思い出す。とろみ付けには何を使っているのだろう。普通の片栗粉とは思えない。葛だろうか? 透明感があり、ボテッとならずに、サラリとしているのだが、しっかりとろみが付いている。大きめの肉も二度揚げしているのか、中までしっかり火が通っているのに、表面が揚がりすぎているということもない。どういう小技を使っているのかはわからないのだが、とにかく、その結果できあがったスブタというよくある料理が、めったにない逸品になっている。このスブタを食べるためなら、東京からの1300キロの距離もいとわないくらいだ(苦笑)。おまけに、夜この店に行きやすいように中華街の近くにホテルを取った(再苦笑)。スブタのほかに頼むのは、「ちゃんぽん」か「皿うどん」か、それが問題だ…と、ハムレット並みに悩む方には、迷わずちゃんぽんのほうをお奨めしたい。皿うどんは…いや、美味しいですけどね、個人的には衝撃的というほどでもなかったのだ。ちゃんぽんは、一口スープを口に含んだとき、「う~ん、美味しい」と思わせてくれるものがある。江山楼は、東京の長崎物産展でよく出店しており、食べたことがあるのだが、率直に言って、出張店のちゃんぽんは、長崎本店の味とはベツモノだった。今お台場のほうに、江山楼が臨時出店しているようだが、そういうわけで、東京では食べに行く気がしない。なにがどう違うのかはわからないが、あれほど味が違っては、逆に名店の名折れではないだろうか。東京で食べて、「こんなものか」と思われたら、長崎で来てもらえなくなるのではないかと思うのだが。だが、そんな心配は実際には無用かもしれない。長崎の江山楼は、いつも混んでいて、必ず名簿に名前を載せて待つことになるからだ。といっても、長くて30分ぐらいなので、あまり待つようだったらちょっと外をぶらぶらしてもいい。ちゃんぽんも皿うどんも、1人前といいつつ、東京の感覚だと2人分はありそうなボリューム。長崎ではあれが普通なのだろうか? 春巻きもなかなかだった。江山楼には、「ソー酢」という甘酸っぱい特製の調味料があり(いわゆる「ソース」ではありません)、それをかけるとまた一味違う。店内でもポスターを貼ってさかんに宣伝している「とんぽうろう」は、さほどのものとは思わなかったのが… 頼んでる人もあまり見かけない気がする。江山楼には車道沿いの店舗とその斜め向かいの店舗の2店がある。奥まったほう(車通りに面していないほう)にしか行ったことはないのだが、味は違うのかしらん??クルマで来た観光客の方は、車道沿いの店舗の真向かいに、えっれー狭苦しいコインパーキングがある(店の駐車場でも契約駐車場でもない)。ここの駐車場は狭くて高いので、ちょっと川のほうへ走れば、もっと広くて安い駐車場もある。長崎に行ったら、MUST GOの店。そして、是非ともスブタを試してみてください。 追記:こちらが東京のデパートの長崎展で食べた江山楼のちゃんぽん。見た目はほぼ同じ・・・? しかし、味はベツモノだった。長崎で王さんのちゃんぽんと呼ばれる鶏ガラ100%鶏白湯スープが味の命唐アク麺は長崎の特産品日本 ご当地1ヶ月常温保存非常食に可王さんの長崎ちゃんぽん1食ちゃんぽん・皿うどん発祥の長崎中華街の味ちゃんぽん麺 食べ比べ お土産 卓袱料理 佐世保バーガー 長崎県産 10P27May11 さだまさし ご当地ラーメンまち楽_九州特産品 ポイント10倍_九州グルメ【まち楽_B級グルメ_メディア】江山楼通は皿うどん太麺派が多いモチモチの食感!鶏白湯の旨味唐アク麺は長崎の特産品日本 ご当地1ヶ月常温保存非常食に可!特製ソー酢付き王さんの長崎皿うどん太麺1食ちゃんぽん・皿うどん発祥の長崎中華街の味ちゃんぽん麺 食べ比べ お土産 卓袱料理 佐世保バーガー 長崎県産 10P27May11 さだまさし ご当地まち楽_九州特産品 ポイント10倍_九州グルメ【まち楽_B級グルメ_メディア】
2011.05.23
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