九州出身者がつくる九州情報館。

九州出身者がつくる九州情報館。

2023年01月24日
XML
今日はソフトバンクホークスの宮崎キャンプの組分けの話を書こうとしたのですが、
それどころではないニュースが入ってきました。

南海ホークス時代のレジェンドで、ダイエーでも平和台最終年となる92年までプレーした
門田博光さんが死去 したことが明らかになりました。
享年74歳でした。

門田さんは1970年に南海入りし、2年目には打点王のタイトルを獲得しています。
しかし1979年2月に高知で行っていたキャンプ中に アキレス腱を断絶 し、
このシーズンは治療に専念しました。
現役を続けられないかもしれないくらいの大ケガをしたにもかかわらず、
翌年には41本のホームランを放ちました!

1988年、南海球団はダイエーに身売りされることが決まりましたが、
この年は 40歳で本塁打・打点の2冠王&MVP に輝きました。
当時の杉浦監督をはじめチームメイトが福岡へ移ることになりましたが、
門田さんはお子さんの学業に支障が出ることから単身赴任をせず、
同じ関西のオリックスに2年間在籍しました。

お子さんが高校卒業されたことをきっかけに門田さんはダイエーに移籍し、
再びかつてのチームメイトと2年間プレーした後、
平和台球場の最終年となった1992年、44歳で現役引退しました。

通算567本塁打・通算1678打点
いずれも王会長、故・野村克也さんに続く歴代3位、
(国内のみで) 通算2566安打 も歴代4位の記録で、
まさに 南海時代を代表するレジェンド にふさわしい成績でした。

これだけの成績を上げれば現役引退後は指導者としても活躍されるかと思われましたが、
翌年に糖尿病を、2005年には脳梗塞を患ってなかなか指導者のオファーがありませんでした。

その後福岡ドームで 2013年8月31日 に行われた試合では、
王会長・ノムさんと一緒に始球式に参加されていました。
プロ野球通算本塁打・打点の歴代TOP3が一堂に会した豪華なセレモニーでしたね。

門田さんはその後あまり表に出ることは無く、兵庫県相生市内で療養中でした。
23日に予定されていた通院治療に現れなかったことから、
かかりつけの病院から相談を受けた警察官が自宅を訪ねたところ、
倒れていた門田さんを発見したそうです。

今年ホークスは何としてでもリーグ優勝&日本一奪還を成し遂げ、
天国の門田さんに良い報告ができるといいですね。

最後に、門田さんのご冥福を心よりお祈りいたします。




人気blogランキング04 にほんブログ村 野球ブログ 福岡ソフトバンクホークスへ





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2023年01月24日 21時08分33秒
[福岡ソフトバンクホークス] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: