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ここの海は対面に天草諸島を臨み、故に天草がバリアになって非常に穏やかな水面になるのです。 夕日がまるで池に映っているようです。 海に面した斜面にはミカンの木が沢山植わっていて、収穫期は山肌が黄色い点々で覆われてとても綺麗です。 それにしても今回の旅、ダンナの疲れがドッと出たようで、まるで座ると寝るスイッチが尻に付いているように腰を下ろすとすぐ気を失い。 私が久々にハンドルを握って移動したりしました。 飛行機も離陸前に寝て着地してから起きるので、いつも「近いなあ」と。(^_^;) (まあ本当に近いんですが) 帰ったら病院で色々点検してもらわなくてはね!
2009.03.31
熊本内を更に動く。 ダンナの故郷熊本県芦北地方。 海山川に恵まれた「JR日本の夏休み」の景色がここにある。 写真は一応ダンナの土地だが近所の方の畑と化していて、たまに中身が詰まった異様に重いカボチャを送ってくれたり。 裏手には沢ガニが捕れる川。 川を見ていたらヤマセミが獲物をくわえて飛んで行った。 ああ呑気だなあ~
2009.03.31
ダンナの故郷熊本。 阿蘇からの水資源が豊富。 これだけ大きな市なのに水道が地下水で賄われているのは珍しい。 街中で飲む水も美味しい。 何度か行ったが熊本城を見るのは初めて。 近年「一口城主」という募金形態がヒットして修繕が着々と進んでいるので綺麗でした。 当たり前だがお城って大きくてすごい…。
2009.03.30
大浴場に神殿のミニチュアがあってお湯が階段を伝わって流れ出る趣向 結婚式を挙げて以来、9年振りに夫婦で出雲へ来た 玉造温泉の素敵な旅館に宿を取り ダンナが娘(3歳)と一緒に入ってくれるというのでお任せして ひとり大浴場の露天風呂に浸かる 夕食時なので他に誰もいない これを極楽と言わずして何を言うのだろう?(うっとり) と、しばらくして屋内の洗い場に、見覚えのある小さな塊と大きな丸い塊が転がりこんで来たのがガラス越しに見えた。 見紛うはずもない。娘とダンナだ。 え…… 娘とダンナ? 一瞬、私が間違えたのかと思ってタオルで前を隠し、内湯に続くガラス戸を開けると、私に気づいたダンナが笑って手を振った。 私「ねえ、ここ混浴だっけ?」 ダンナ「……(時が止まった模様)… えっ…?! うわぁ~っヤバいっ!!」 娘「何がヤバいの?」 ダンナ「いいから出ろ!!早く早く!」 私「ここはレディスだよ?」 ダンナ「間違えた!!まずい!!」 ドタバタガチャガチャ(マッハでパンツを穿きご丁寧に貴重品ロッカーにしまった物を鍵を開けるのももどかしく出す音) 娘「ねえ何で出るの?パパ、レディスってなに?!」 ダンナ「いいから早く来いっ!!」 その後、私があがる頃に最もシャレがきかなそうな年頃の若い女性二人が脱衣場に入ってきた。 危なかった! 危うく田〇ま〇しのように社会的地位を失うところだった。 因みに、駆け込んだ男湯にも誰も居なかったらしい。 全く運のいいダンナだ。 ダンナもこれ今度ブログに書こうと言っていたので、いずれ本人の目線からのあらましもお楽しみ下さい。
2009.03.29
で、仮面ライダー漫画家(造語)の島本和彦さんとダンナが初邂逅したわけですが・・・・先輩格の島本和彦先生と私は昔、女子プロレスにはまった頃に島本スタッフの方たちも交えての観戦仲間でした。当時のスタッフ君達の何人かは、今もほとんど家族のように付き合っていたり、村枝プロのスタッフになっていたり、HXLで組んでいたりしています。(^^)けれど、先生とは北海道へ行かれてしまってからは全く音信普通。島本さんの話では、ダンナが仮面ライダーを始めてから、「すごいなー」と思って感心して読んでいたのだが、掲示板などで感想を読むと、「村枝はすごい。島本はダメ。」と、必ず書いてあって、それを読むたびに、ムカムカしていたんだそうである。じゃあこちらは「ふふんどうだ島本」と思っていたかと言うと、全くそんなことはなく、今まで、仮面ライダーといえば、島本和彦、石森曼画の後継者と言えば島本和彦。そういって、そういう位置で、周りで持ち上げていたというのに、若手が出た途端に手のひら返し。明日は我が身世間て怖いという気持ちでした。掲示板はまだそういう言いたい放題の場所なのでしょうがないかもしれないが、何かのイベントで島本さん本人に「村枝さんのライダーに座を奪われてどうですか?」と、聞く輩が居ると知って、とても悲しく、腹立たしく思いました。ほとんどは好意的なまともなファンの方達だと思うのだけど、中に、ライダーを描いていた先駆者に対して本当に失礼で無責任な心無い言葉をかける方たちが混じっていることが、大変残念でした。そういうわけで、本当に島本先生は嫌だろうな、申し訳ない、と思っていたのです。島本先生は初対面でいきなりダンナに「こいつぅ!俺よりライダーうまく描きやがってぇ!!」と、笑いながらどつき、明るく接してくださって有難く思いました。ダンナも笑いながら島本ライダーの載った本を大事にしている話をしたり、二人で仮面ライダーのマニアックな話をひとしきりした後、1号と2号のポーズで写真を撮っていました。ダンナはその件について何も触れてこなかったけれど、その後機嫌よく「島本さんに会えて良かった~」と言っていたので、やはり何かしらモヤモヤしていたのだと思います。ああ、よかった。 この後、打ち合わせのあるダンナと一時別れ、前から取材してみたいと思っていた文壇バー「クラブ数寄屋橋」へ流れ、名物ママにお会いできて感激。その他、大先輩の方たちのお話を沢山聞けたり、本当に内容濃い日で、きっと参加して「漫画家になってよかった!」と思った人たちも沢山居たんじゃないかと思います。夫婦で「行ってよかったね」と話しました。全体の感想としては、パーティーは漫画家&編集者限定で、色紙を持った素性不明の人達が現れてサインを頼まれ、知人と交友を深めたいのに話を中断してサインをしたり、一人すると次を断れずキリがなくなったり(しかも後にそれをまんだらけで売られて悲しい思いをしたり)しないで済んで、同業者、編集さんとガッツリお話できて本当に快適でした。名札があって誰が誰だかわかったのもとても良かったです。ですが、ステージに上がる漫画家さん達が、ちょっと大御所に偏りすぎている気がしました。漫画の地位が低かった頃からの、多くの諸先輩達がおられてこそ、今、私達は大きく成長した漫画文化を享受していられることに感謝しています。1冊1冊に全力を尽くして支えてきた漫画家さん達がいて、結果50年という長い歴史があって。今バトンを持っている方達、今と将来のサンデー&マガジンを支えていく若い漫画家さん達、特に、100周年に出席できそうな若手の方達にも、是非もっとスポットを当てて欲しかったなあと思いました。「大同窓会」というタイトルだし、私も帰宅してから思い当たったので意外な盲点だったのかもしれませんが。ではまた日常を頑張ります(敬称が先生になったり、さんになったりしていますが、他意はありません)
2009.03.21
会場にあった巨大Gペン柱に夫婦でサイン。当日参加した漫画家達全員がサインしているはずで、さながら漫画曼陀羅の様相を呈していました。私達の右上に「巨人の星」の川崎のぼる先生のサインがあります。(左上は藤田プロ出身の井上和朗くんのサイン)・・・・というわけで、全員集合写真に間に合わず遅刻して会場入り。いきなり、初めての担当氏(今は漫画部署にいない)が声を掛けてくれて感動。また後ほど・・・と言ったのに、それきり会えなかった。予想より人が多く考えが甘かった模様。混んでいる中を縫っていくと、同期が固まっているところがあったので落ち着く。そこで、青山剛昌さんに謝り(いきなり謝罪かよ)、楠桂さんが「女子が居なくて寂しかった~!」と突進してきたり、春風三太さんが「覚えてないと思うけど、春風です」と自己紹介したり。(覚えてます)久々なので、顔を見て無事を確認するだけで、みんなはしゃいでしまうんです。面白い感覚でした。夫婦して藤田(和日郎)さんを探す旅に出たのだが中々見つからず、右往左往していると、会場のど真ん中で反対側から本人が「村枝!良かった!いた!」と飛び出してきて、ステージの真正面で進行と全然違う話をしまっくったりしました。(進行の方、すみません。)「このごろ思うんだけど、若い頃の友達って本当、大事だよね。俺あの、小林さんの漫画読んで仲間がどうしてるか心配になっちゃって・・・。」 豆知識:小林さんの漫画とは?!「青春少年マガジン1978~1983」(小林まこと) のこと。小林氏のデビュー時~の話で、新人3バカトリオと言われた仲間が出てくるが、本人を除く二人が後に40代で病死と自殺でこの世を去る。私は働きすぎた漫画家は60歳で亡くなる(手塚先生、石の森先生、石川賢先生など)のだと思っていたが、40代でも亡くなるんだ?!というものすごい衝撃を受けた。同時期に読んだ他の漫画家からも衝撃の感想が次々述べられ、日本中の漫画家に「人事ではない」という震撼と衝撃を与えた名作である。この漫画が先立って発売されていた為に、このパーティーの盛り上がりに一役買っていたと考えるのは私だけ? 「でも今日確認したらみんな元気!良かった!」と言って大変安心したようだった。(でも、椎名高志さんが居なかったんだよね。忙しかったのかなあ?残念です。)又の再会を誓い別れる。集合写真は参加しなかったが、会場の放送によると、なんと、渡辺達生さんが漫画家一人一人を撮ってくれるという。渡辺達生さんはアイドルのグラビア写真で超有名な方である。 写真集↓を愛蔵している私は全盛期の宮沢りえ他のアイドルが満載 この瞬間整形して、最高の私を撮ってもらいたい!と思った。整形は無理だったが(当たり前)、夫婦で撮っていただいた。宝物にしよう。他の皆さんもポーズを取ったり、色々はじけて撮って貰っていたが、私もちょっと我を忘れていた気がする。狂喜してよだれをたらしていたかもしれない・・・。あの写真、どうなるんだろう?できればどこにも発表されないでこちらに渡して欲しい。そうそう、ダンナは島本和彦さんと初対面。これまでダンナと島本さんを会わせようという力が何度か働いていたのだが、いつもダンナは「だって俺何も悪いことしてないのに怒られたららやだもん。」とスルー。会ったらやっぱりいきなり怒られたのだが(笑)とても盛り上がって仮面ライダーの話をしてました。その話はまた気が向いたら書く、かもしれない。あまりに濃いパーティーだったので、まだあったことの半分しか書いてないのに長くなってしまった・・・。どうしよう。当日から日にちも経ってしまったし、もうこの辺で終わろうかなあ・・・?(弱気)
2009.03.20
サンデー&マガジン50周年大同窓会というイベントに招待されました。招待状を見て、「私一度も週刊本誌で連載したことないんですが??」と思ったので、これは相当裾野広く招待されているに違いないが、どう考えても私はかなり虫けらよねえ・・・・行っていいのかな?と相当迷いました。(どうも、一冊でもサンデーから単行本を出している人が呼ばれたらしいです。)ダンナに聞くと、パーティー嫌いなダンナは「面倒だから行かない」と言う。夫婦で欠席すると、なんかこの夫婦小学館と何かあるんじゃないか?とあらぬ噂など立てられかねないし、大分格下ですが、私が夫婦を代表して行くことに。で、服装も迷い・・・。あまり豪華にしてはオマエ主役気取りかよ、と勘違いはなはだしいし、地味すぎると招待してくれた方に失礼だし・・・ああ頭から煙を吹く!!(考えすぎか)結局着物で行くことにしました。着物は好きで何枚か持ってますが、種類はいろいろあって、こういうパーティーに来ていくのは普通訪問着という華やかな礼装なんです。が、うかつにそれを着ていくと、どこのホステスさん?という格好になってしまうし、じゃー地味だけど高価な大島紬など、とか選ぶと、ちょっと、仲居さん?と呼びかけられる羽目になってしまうので、大変難しい。それで選んだのが写真の小紋とネコの帯。これは以前、ダンナが選んで買ってくれたぜんまい紬という絹物です。ぜんまいが織り込まれているんですね!(・・・だから何だと言われそうですが、まあ、そこがかすかなポイントになっていて、趣きある生地なんでございます。)帯もこれなら仲居さんとは思われないでしょう。とかやっていたら、ダンナが私が自分が買ってあげた着物を着ていくと知り、「やっぱり自分も行く」と言い出しました。(感情の流れがよくわからない)ダンナ「俺も着物で行こうかな!・・・・いやまて、冷静になれ俺。」などと悩んだ末、普通のスーツにしました。(こう見えてダンナおしゃれさんなのです。昔メンズノンノの街角ショットに載った事もあるらしい・・・。信じられないが。)そういうわけで、めでたく夫婦で行くことになりました。普段、部屋の中と近所だけうろついている漫画家は、華やかな場所に出るのに着る物でこんだけ迷う、という内容でした。つづく
2009.03.18
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