1946
年 7
4
日、アメリカの独立記念日に生をうけたロン・コーヴィックは、ロングアイランド州マサピークアでその少年時代を送っていた。ケネディ大統領の、自由の存続と繁栄についての演説の中、 7
歳のロン(ブライアン・ラーキン)は、野球に夢中になる一方、戦争ごっこにその愛国心を芽生えさせていた。
すっかりスポーツマンに成長した高校時代のロン(トム・クルーズ)は、ある日学校にやってきた海兵隊の特務曹長(トム・ベレンジャー)の言葉に感銘をうけ、プロムの夜、憧れていたドナ(キーラ・セジウィック)とのダンスの思い出を胸に、 64
年 9
月、子供の頃からの夢であった海兵隊に入隊した。そして 13
週間の訓練を経て、ロンはヴェトナムの戦場に身を投じるのだった。
67
年 10
月、軍曹になったロンは、激しい銃撃戦の後、部下を率いて偵察に出かけ、誤まってヴェトナムの農民を惨殺してしまったことを発見し、ショックをうける。そしてこの混乱に乗じて襲いかかかってきたヴェトコンの姿にパニック状態に陥ったロンは、部下のウィルソン伍長(マイクル・コンポターロ)を射殺してしまう。罪の意識にさいなまされるロンに、上官は口外を禁じるのだった。
そして 68
年 1
月、激しい攻防のさ中、ロンはヴェトコンの銃弾の前に倒れ、下半身不随の重傷を負ってしまう。ブロンクス海兵病院に運び込まれたロンは、怪我をしても人間らしい扱いをしてもらえないここでの苛酷な現実に、ただ絶望感を募らせるだけだった。
69
年、故郷のマサピークアに戻って来たロンは家族に温かく迎えられるが、ヴェトナム戦争を批判し、反戦デモを繰り広げている世間の様相に大きなショックをうけるのだった。
この年の独立記念日に、在郷軍人会主催の集会の壇上に立ったロンは、戦場のトラウマが蘇りスピーチを続けることができなかった。シュラキース大学にロンはドナを訪ねるが、彼女も反戦運動に加わっていた。世間の冷たい風当たりに、ロンは次第に酒に溺れ、両親(レイモンド・J・バリー)(キャロライン・カヴァ)の前でも乱れ続けるのだった。
苦しみから逃れるように、 70
年にメキシコに渡ったロンは酒と女で孤独を紛らわせる。しかしここで知りあったチャーリー(ウィレム・デフォー)の厳しい言葉に目が覚めたロンは、自堕落な生活と訣別し、ウィルソンの両親を訪ね罪を詫びるが、返ってきたのは優しい慰めの言葉だった。
72
年、苦しみの中で人生の意味を誰よりも強く知ったロンは、反戦運動の先頭に立ち、マイアミのニクソンを支持する共和党大会に乗り込み、戦争の悲惨さを訴えた。
そして 76
年、自らの戦争体験を綴った『 7
月 4
日に生まれて』という本を出版し、大反響を呼び、その年の民主党大会で彼は演説をするため、その壇上に立つのだった。
『 7
4
日に生まれて
』(原題 : Born on the Fourth of July
)は、
1989
年
制作の
アメリカ映画
。
ロン・コーヴィック
の同名の
自伝
的小説( 1976
年)を映画化した作品で、
ベトナム戦争
を扱った
戦争映画
。
オリバー・ストーン
監督。
主演の トム・クルーズ は役作りのため、約 1 年間 車椅子 に乗って生活した。
第62
回アカデミー賞
で 8
部門にノミネートされ、
監督賞
、
編集賞
の 2
部門を受賞している。
(ウィキ)
NHKBSプレミアムで7月4日に放送されました。
前にも観たことがある作品で、録画して後日視聴しました。
今回は ブロンクス海兵病院
のシーンが印象的でした。
医療先進国の米国でさえこの有様です。
傷病手当で物価の安いメキシコでの享楽的な暮らしは、一種の姥捨て山ですね。
戦争の負の側面でしょう。
私が子どもの頃は、戦争で身体のみならずこころを病んだ人を近くで見ましたが、そういった人たちも今は鬼籍に入ってしまいました。
前半の米国がまだ輝いていた時代の描写がまぶしいです。
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