ソンコ・マージュ

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ソンコ・マージュ




ソンコ・マージュ


生の演奏を聴くのは初めてなのでかなり楽しみにしていたライブ。

土日開催分チケットが取れなくて、とれたのが平日の柏開催だった。

神奈川→柏

酔狂ナリ。

それほど行きたかったのだ。

なのに、当日同行者の仕事が押し、しかも終ったら即会社に戻ると言うんで電車で行く約束が車に。

夕方の高速。大渋滞にはまる。

結果30分の遅刻。

ライブに遅刻したというのははじめて。


小さなホール。壇上にスポット。

ひとり、ギターを抱えて座る人。

あの人が。

胸が高鳴る。

他の人の邪魔にならないように演奏が終るのを待って、着席。


すごかった。


感嘆。

驚愕。


この胸の内から突き上げてくるものは一体なんだろうと思った。

一本のギターから奏でられる音とは到底思えなかった。

ギターは意志をもっているようだった。

多分、ひとりだったら涙を垂れ流していただろう。


ほとんどはスペイン語なので、詩の詳細は分らないが、

曲のはじめにソンコ・マージュ氏がこれはこういう歌ですと、シーンの説明をしてくれる。

曲が始まると、意識は壇上のただ一点に吸い寄せられ、

やがて見たこともない筈のアンデスの情景が広がる。

私はそこで、満天の星の下石ころだらけの道を歩くインディオであったり、

広大な畑で働く労働者であったり、牛車に揺られる孤独な年寄りであったりする。


魂を込められた歌。


彼は、人間が自然の中のひとりである自覚を忘れてはならないと云う。

故・師ユパンキが叫び続けた自然への畏敬を、自分なりに体現していくつもりでいると。


天明の大飢饉の頃の貧しい結婚を想い、詠った、

高木恭造氏の詩「結婚の晩(シュウゲンのバゲ)」。

「泣ぐな、泣ぐな、なんも恐(オカナ)ぐね。
あれァ風(カジェ)ァ吹いで、ドロの樹はジャワめでるんだネ…」

この詩にソンコ・マージュ氏は曲をつけた。

この詩を選んだ理由は何だったのだろう。


ときに人間は自然に翻弄され、その無力さを知る。

途方もなく強い力をもった自然のなかに生きる、ひとつの生命体。



アンコールで弾かれた「夜の祈り」は静かに哀しく平和をうたう歌だった。


 友よ 平和はどこにあるというのだろうか

 夜に祈る このギターと共に


人間とは、強くて、弱い。

賢者にも愚者にも、なり得る。


そして絶望はいつもすぐ傍にひかえている。


彼は「カオス(混沌・混乱)」という言葉をつかった。


混沌とした世の中。

そのなかにあって、絶望しない強さ。

それを彼はうたう。



彼の音楽・精神・背景、すべてを理解できた訳ではないが、

少なくともこのライブで私は、彼の心底にたゆたう

「ねがい」を感じとることはできたと思っている。



多くの人が彼の歌に耳を傾けてくれたら、と願う。

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