ある青年のおはなし







25歳のその青年は、ある志をもって入社してきた筈だった。

青年は遠く地方から音楽活動の為に上京したが、じきに自分は音楽では食っていけないことを悟った。

正社員として働こう。

それはある一種の覚悟だと、周囲も彼の新たなはじまりを称えた。

ところが。

入った会社は思い描いていた理想とは程遠く、

「リアル」だった。

営業として配属された彼には毎日毎日プレッシャーが与えられ、

上司の檄が飛ぶ。

そして、3週間目。

彼は逃亡した。

電話には出ない。アパートにもいない。仕方なく上司は実家に連絡した。

間もなくして、青年は母親と妹に付き添われ、勤務先に顔を出した。

まるで「自首」だ。

妹のアパートに居たという。

親と妹にはさまれ所在無げにしていた青年は母親に促され、ぼそりぼそりと逃亡の理由を話した。


 …やめます。

 …僕、人をだますようなことはしたくないんです。

 …TVCMや広告でうたっているのと実情はちがうじゃないですか。


青年はたどたどしくもその心中を吐露した。

ただ、すべてを丸投げにし放棄し逃亡した後では、それらはただの言い訳・詭弁にしか聞こえなかった。

上司は彼の弱さと無責任さを責めた。

情けなかった。

なぜ辞めるなら辞めると言わなかったのか。

なぜひとりで出てこなかったのだろう。

うな垂れ、黙する青年を見かねて母親が口を挟んだ。


 あなたはお強いでしょうが、この子は弱いんです。


妹も涙を流しながら兄を庇った。


 おにいちゃんは、純粋なんです!


上司は、青年の投げかけた言葉については例え自分の行為を正当化する口実にしても幾許かの心当たりもあり、考える必要もあると思っていた。

自分もまた上からの達成圧力に疑問を感じてないわけではなかった。

また数字の為、利便の為、ときにはモラルを無視することも要された。

長くいると、それが社内での常識となり、通念となり、感覚が麻痺してしまうのかもしれない。


ただ。

この親子はどうしたものだろう。

自分の息子を、この子はあなたと違い弱いんです、と肯定し弁護する母親。

無責任な行動は純粋さゆえと泣く妹。

親、まして自分よりも年下の妹に庇われて平然としている青年。


いずれにしろ、いつか彼はここを去っていただろう。


 音楽はあきらめたのでしょ。
 もうお父さんも実家に帰ってきていいと言ってるから。
 帰るのよね。ね、帰るんでしょ。


こうやって、ずっと彼を庇ってゆくのだろうか。


 彼はいい歳した大人です。
 こっちで腹くくってやってくか、故郷に帰るかなんて、
 自分で決めるものなんではないですか。


母親はでも…とか何やらもごもごと反論を繰り返した。


いろんな親と子の在り方があるのだなと、思うよりほかなかった。


帰り際。

上司は青年の行く末を案じながら一行を見送った。


デスクに戻ると、思い直し、言った。


 奴が母親と妹と来てよかったよ。

 もしひとりで来てたなら、



俺は間違いなくヤツをぶっ飛ばしていた。




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