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あるざっしゅけんのふあん
ぼくのおかあさんは、やっぱり「ざっしゅ」だった。
家のお庭につながれていたけど、
どこからかふらりとやってきた「おとうさん」と
恋におち、ぼくらがうまれた。
「おとうさん」は、ぼくらがうまれてからもしばらくやってきていたけれど、
おかあさんのご主人の「さいとうふじん」がひどくいやがって、
「おとうさん」をどっかにやってしまった。
「おとうさん」はもう生きていないのだと、
いつだったかおかあさんは涙をこぼした。
おかあさんは「さいとうふじん」に喜んでもらおうとおなかを見せたんだけれど、
「さいとうふじん」は、大きくなったおなかをみて、
「あらあらあらあら いやだいやだいやだ どうしようどうしようどうしよう」
と言うばかりだったそうだ。
おかあさんは、「ざっしゅ」のなかでは美人なほうで、
「さいとうふじん」はおかあさんにとてもよくしてくれていたのだけれど、
おなかが大きくなると、
きゅうに態度がかわってしまったのだと、ぼくらに話してくれた。
いやらしい犬だよ、ほんと。
拾ってやった恩も忘れて、この雌犬が。
どうしてそんなふうに、「さいとうふじん」が怒ってたたいたり、よこっぱらをけったりするのか、
おかあさんにはわからなかったそうだ。
いやらしい、ってどうゆうことだろうね、と
おかあさんはよくさみしそうに言っていた。
かあさんは、おまえたちがほしいと願ったわけじゃないのよ。
だけど、おなかが大きくなっていくうちに、なんだろうね、
こう、いとおしいっていうか…
まだ会ってもいないのにね、おかしいのだけど。
うまれてきたあんたたちは、それはそれはもうかわいくて、
玉のようで、
さいしょは目もあけらんなくて、なんにもひとりじゃできなくて、
ああ、あたしが守ってやりたい、って、そう思ったのよ。
おかあさんはぼくらのかおをべろべろなめながら、よくそう話してくれた。
おかあさんがゆいいつしんらいできると言っていた、
おとなりの、けっとうしょつきアフガンハウンドのピーコさん
(すいてい60さい。いつだったか真っ赤なちゃんちゃんこを着せられていて、おかあさんが「ピーコも、もう、かんれきなのね…」と、ためいきをついていた。)
が、ある日ぼくらのかおをみながら言った。
おい、そこのちっちゃいの。
とくに、その哲学的な顔した奴。
よくきいておけ。
おまえが生まれてきたのに理由なんかないさ。
これから先、
自分はなぜ生まれたのかなんて問うなよ。
卵はいくつもあったのさ。
たまたまお前の卵が孵っただけのこと。
だがな。
愛された記憶だけは失くすなよ。
なにより、それが真実だ。
ピーコさんは、ねつっぽく語っていたが、
ぼくには、むずかしすぎてよくわからなかった。
ぼくは、ばかなのだと、さいとうふじんも言っていた。
ぼくの兄弟は、うまれてしばらくしてから、よそへもらわれていった。
あまり「さいくのよくない」ぼくだけ、もらい手がなくおかあさんのもとに残った。
こんなばか犬、よそにくれてやればよかったのに!
「さいとうふじん」は、ぼくのよこっぱらをけって言った。
ばか、ばか、ばか!
「さいとうふじん」はなんべんも言ってぼくのよこっぱらをけった。
いっしゅん、息ができなくなって、ぼくはしんでしまうんだと思った。
ぼくなんて、いなくなったほうがいいのかな。
ぼんやりと、白くなっていくなかに、ピーコさんがいた。
ピーコさんは、5日前に死んだはずだった。
ピーコさんの周りには、きれいなももいろの花がたくさん咲いていた。
ピーコさん、きれいだね。ぼくもそっちへ行きたいよ。
ピーコさんは笑っていた。
ぼくはそのかおを見たことがあった。
お家のなかにあった、ぴかぴか光る「かんのんさま」ってやつだ。
その「かんのんさま」みたいなかおで、ピーコさんは言った。
どこも一緒だ。
どこにいても、自分は自分なのだから。
わからない。
わからないよ、ピーコさん。
目をあけると、おかあさんが泣いていた。
そのかおを見て、ぼくはこちらにもどってこれてよかったとしんそこ思った。
むずかしいことはわからないけれど、
ぼくは、ぼくのたいせつなひとを、泣かすのだけはいやだと思った。
おかあさんが死んだ。
「さいとうふじん」は生きている。
今日も、スーパーの入り口にぼくはつながれている。
ここにつながれているのは、ふあんだ。
「さいとうふじん」が買い物をしている間、ぼくはここにいなければならない。
ぼくにきづいたひとたちが、あたまをなでたり、むりにおてをさせようとしたり、
なんだかよくわからないものをなげてよこしたりする。
だれがいいひとで、だれがわるいひとかなんてわからない。
ぼくの尾っぽはしぜんと、またの下へはいりこんでしまう。
店の電気がきえた。
ぼくのご主人はあらわれない。
ぼくの尾っぽはちぢまったままだ。
朝になった。
ぼくはいつのまにか眠っていたようだ。
ご主人はどうしたのだろう。
さんどめの朝がきた。
おなかがすいて、たつこともできない。
「かわいそうに、捨てられたのね」
誰かの声がした。
ぼくは捨てられたのか。
どうでもいいや、と思った。
なによりぼくははらぺこだった。
ひとまず、ぼくをつないでいる紐をひきちぎった。
どこにいても。
ぼくはぼくなのだ。
ふあんはなかった。
とてもいいきぶんだった。
生きてやる。
生きてやる。
はじめての感覚だった。
胸のおくから、ふつふつとわいてくるものがあった。
かあさん、
ぼくをうんでくれてありがとう。
ぼくは生きる。
生きて、
生きて、
生き抜いてやる。
遠く、おかあさんやおとうさん、兄弟たちに聞こえるようにと
僕は
おおおおおおおおーんと、
遠吠えを繰り返した。
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