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法廷で証人が話している時は、書記官からもらった用紙にメモしながら聴かなければなりません。 裁判官と裁判員の全員でメモをすれば、後で評議室で話し合う時に、誰々がこう言っていた、ああ言っていたという事を間違えることがなくて済みます。 それでも、たまに、誰もメモを取っていないし、誰も記憶していないことがあります。その時は録画機でとった音声付き映像を再生して確認するということになります。 下の写真はそのメモ用紙と録画機です。
2020.03.19
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2020.03.19
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2020.03.19
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対馬放火殺人事件では、イカ釣り漁師のFさんとその娘で看護助手のS子さんがそれぞれ、金槌様のもので頭蓋骨を複数個所陥没させられた上、上半身の複数個所にも執拗な殴打を数十回受けて惨たらしく殺害されました。 その上、2人の体には、2人が完全に息絶える前にガソリンがかけられ、家屋もろとも放火されました。 放火前には家中の畳を剥し、風通しを良くして、全焼火災を実現させたものです。この放火に使われたガソリン携行缶は被害者宅のものではなく、犯人が持ち込んだものです。火事の跡地に置いてありました。 2人を殴打した凶器は発見されませんでしたが、頭蓋骨の陥没痕から、ハンマーのような工具であることは分かっています。火事の跡地から、そのようなものは見つかっていないので、犯人が持参して、犯行後、持ち去ったとした考えられません。 このような事件を起こした犯人が被告人であるとすれば、上記事実に加え、逮捕後、一貫して無罪を主張して反省の色がないことも併せ考えると、判決は死刑しかないとの前評判でした。 一方、この事件は被告人の自白がないだけでなく、凶器の発見や目撃証言などの直接証拠が皆無で、あるのは弁護側が、胡散臭く、改竄の疑いがあると主張する間接証拠ばかりでした。 ゆえに弁護側と有識者の一定数は無罪を主張していました。 結局、一審の長崎地裁の裁判員裁判の判決は無期懲役。その判決理由は概略、法廷で次のように朗読されました。 「人が2人惨たらしく殺されたとは言え、計画的でなく、突発的に犯行が行われた可能性があるし、放火行為も、それほど悪質であるとは言えないから、死刑を回避して無期懲役にします」 この判決には検察、弁護側双方が不満で控訴しました。 不満だったのは、検察と弁護側だけじゃありません。有識者や大多数の市民が裁判官と裁判員を叩きました。その要旨は次のようなものでした。 「死刑か無罪のどちらかのはずだ。無期懲役というのは可笑しい」 「評議で死刑と無罪に意見が割れたから、中間の無期懲役にしたんじゃないか」 「死刑判決を出すのが怖くて、結論を高裁に先送りしたんじゃないか」 「無期懲役に持って行くために、計画性がない殺人と悪質ではない放火に仕立てた んだろうが。凶器とガソリン携行缶を持って被害者宅に押し掛けているのに、計 画性がない殺人だなんて、裁判官と裁判員は気が狂っている」 「裁判官と裁判員の心の中に、被告人が犯人ではないという気持ちがあったんじゃ ないのか」 新聞記者はこれらに加え、次のように言っていました。 「極めて理不尽な判決だと思う。評議の際、裁判官、とくに裁判長の誘導があっ て無期懲役にしたんじゃないですか。本当のことを教えて下さい」 新聞記者の疑問は、世間の皆様方の疑問だと思う。 だから僕は苦しいのです。 守秘義務があるから、何も答えることが出来ないから。 はっきり言うと、懲役6月になるのが怖い。それで新聞記者には話が出来なかったんだよ。 でもね。今、それで本当にいいのか。僕は悩んでいます。それで余計に辛いんですよ。 ,
2020.03.19
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そもそも、最初に僕の不調を作ったのはK裁判長でした。だから、K裁判長が謝罪すれば、僕の心は救済されるだろうと考える人がいるかもしれません。 しかし、そんなことでは、僕は救われないのです。(まあ、K裁判長が謝罪するのは当然のことですが。) 最初にお話した通り、守秘義務があるので裁判員を務めていた当時の僕の見解は表明できません。また判決の内容、例えば事実の認定や量刑の当否についてもコメントできません。 ただ、僕は、K裁判長と地裁とのトラブルをメディア関係者や弁護士、医師、国会議員の秘書などに相談するうちに、この裁判の判決に不満を持つ人たちが多いことに気付き、また冤罪説を唱える人からは抗議を受けて、懊悩を重ねました。 そして、遂には、裁判所で一切触れられていない、つまり、検察側も弁護側も主張していない重大な事実を教えられ、一層、心の不調に悩まされています。 率直な話。この重大な事実を教えられたことで、自殺したくなりました。 それと、もう一つ。 新聞記者の半数ほどは「裁判員は裁判官の言いなりだったんでしょう?」と僕に言いました。裁判官が主導して「無期懲役」の判決に持って行ったと信じています。 このことは、事あるごとに記者たちから執拗に訊かれています。新聞社だけじゃありません。東京の大手出版社の人たち、知人たちも同じです。 このことも、とても辛く思っています。
2020.03.18
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ブログを始めて日が浅いのに、閲覧者の一部の方がネットに「似蛭田妖が言っていることは支離滅裂で話の趣旨が分からない」と書き込んでいるとの話を聞きました。 これは、全く見当違いのご意見です。 最初にお話した通り、僕は、皆さんがお知りになりたい事を伝えたいと思う。なぜなら、このブログを読まれる方は「ほぼ全員」が裁判員の経験者ではありません。しかも、その「ほぼ全員」の大部分は、家族や親しい友人などにも裁判員経験者がいない筈ですから、僕のブログを見なければ、一生涯、知ることが出来ないことが沢山あるはずなのです。 メディアの報道や裁判所の広報から「何となく裁判員のことを知っている」にしか過ぎない方々に、僕の所論を表明するだけではなく、経験者でなければ提供できない情報を差し上げようとして、便宜、このような展開になっているのです。 現に、この11日間、というか、たった11日間しか、僕は話していないのに、皆さんは裁判員業務の実態はこんなものか。裁判官の人となりはこんなものか、と驚かれたことかと思います。これまでの僕の記述内容に嘘はありません。 守秘義務を守らなけらばならないから、これでも、かなり手加減をして書き込んできたつもりです。今後も、ぎりぎりセーフになる程度のことを書きこんで行きます。 そうしないと、皆さんには、裁判員制度、裁判所、裁判官の本当の姿が分からないと思うからです。また、そもそも、皆さんも、そこが知りたいと思われるから、僕のブログを見ていらっしゃるのではないですか。 時に切実に、時に淡々と、また時にはシニカルに書き込んでいます。 僕が裁判員後遺症で苦しんでメンタルケアを受けている状態であることは考慮して下さい。 念のために、再度、僕が精神的にどうにもならない状態となり、このブログを始めるに至った状況を説明します。(1)そもそも裁判員就任時から裁判員退任時にかけて、長崎地裁とK裁判長から理不尽な目に数多く遭わされたが、それらについて、関係者から一切、謝罪がなかった。また裁判員退任後も、再三、謝罪を要求したが無視されている。 厳密に言うと、裁判員在任中から精神の具合は悪くなっていた。夜眠れないので睡眠導入剤の処方を受けていた。(2)判決後、上記のことを知人、メディア関係者に相談したら、対馬放火殺人事件の裁判員裁判の「無期懲役判決」に対して、不満の声が多く、お叱りを受けた。有罪無罪どちらの立場の人からも非難を受けた。 そして、冤罪を唱える人が多くいることを知って、その話を聞くうちに、さらに具合が悪くなって行った。 評議の秘密を話せないことが心の不調をエスカレートさせた。(3)メンタルサポート窓口と精神科医のケアを受けたし、今も継続中だが、メンタルサポート窓口のケアは今、ほとんど受けることが出来ない状態にあります。 その理由は今後、話していきますが、窓口が僕との電話相談を秘密録音していたことが原因でした。 この件では、新聞社、法務局の人権相談、国会議員事務所など多くの人に相談に乗ってもらいましたが、その結果、メンタルサポート窓口は秘密録音を廃止しました。 そしてメンタルサポート窓口は「裁判所と協議の上で秘密録音を廃した」と回答しました。この回答から、秘密録音には裁判所も関与していたことは確実です。 他にも、こんなことがありました。メンタルサポート窓口が「その件は地裁に連絡してK裁判長に相談に乗ってもらいなさい」と言うので、その通りにしたら、電話をK裁判長に取り次いでもらえず、地裁書記官から不愉快な言われ方をされて門前払いにされました。 このブログを目にされておられる皆さま方に置かれましては、以上のような経緯による僕の懊悩について、どうかお汲み取りくださいますよう、お願い申し上げます。
2020.03.18
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裁判員業務が終盤に差し掛かった頃、ランチ休憩で評議室を出て行こうとすると、歩きながら、ある裁判員から、評議の内容の守秘義務について、「一生涯、秘密を守らなければならないのは厳しすぎる」と聴かされました。 また、別の機会にも、他の裁判員から「守秘義務違反の6月以下の懲役または50万円以下の罰金は厳しすぎる」と聴かされました。 それで、この話に関連することで、おそらく裁判員全員が疑問に思っているであろう事を、僕が代表して、3月15日に評議室でK裁判長に質問したのです。 つまり、「裁判員とその経験者の守秘義務違反は6月以下の懲役となっていますが、職業裁判官の皆さんも、裁判員とその経験者と同じく、守秘義務違反は6月以下の懲役になるんですか?」と。 すると、K裁判長は即座に「裁判官の守秘義務違反の懲役はもっと長い」と断言しました。 しかし、この時、傍らで、僕とK裁判長のやり取りを聞いていたT右陪席判事が、突然、話に割って入り、K裁判長の発言を止めようとしました。 それでもK裁判長はお構いなしに言い切ったのです。 「裁判官は国家公務員法の適用を受けるので、守秘義務違反は1年以下の懲役になります」と。 僕はとても苦しくて悲しくなりました。 このことは、裁判員業務が終了した後でも、今なお、ずっと引き摺っています。 実は、このK裁判長の説明は嘘なのです。 裁判官には国家公務員法は適用されません。それで守秘義務違反の罰則はありません。裁判官を辞めた後も守秘義務違反の罰則はありません。 ただ、在職中に秘密を漏らすなどの不行跡があれば弾劾されることはあり得ますが、裁判員やその経験者に課されるような厳しい罰則は裁判官には無いのです。 評議室で左右陪席と全裁判員が揃っている場で、堂々と嘘を言いきったK裁判長。 この嘘が判明してから、何度も謝罪を要求しましたが、結局、回答がありません。 下の写真を見て下さい。評議室の壁に掲示されてあるものです。「嘘を言ってはいけません」「弁護人を個人攻撃することはいけません」等というものも追加で掲げるべきだと思います。
2020.03.17
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僕たちは特別な事件の裁判員だったので、公判期間中は、朝、評議室に入ったら、夕方にその日の業務が終了するまで評議室があるエリアから出ることは出来ません。 トイレは評議室があるエリアを仕切る暗証番号ロック式扉のすぐ外にある刑事部職員専用トイレを使うので、部外者とは終日、全く顔を合わせません。ただ法廷内で関係者と顔を合わせるだけです。 昼食も公判期間中は、評議室で食べます。弁当を持参してもよし、朝、コンビニで買って来てもよしでしたが、多くの人達は、朝、刑事部の事務室で弁当を注文していました。 ただ、刑事部への出入りの業者は3店だけであった上、各店ともメニューが多くはありませんでした。 最初の1、2回は、K裁判長もみんなと一緒に出入りの業者の弁当を食べました。T右陪席判事とM左陪席判事は、全ての公判期日、裁判員と昼食を共にしました。 その昼食タイムと来たら、全然楽しさがありませんでした。そして御飯の味がしないこと。ほんとうに砂を噛むような感じでした。 午前の法廷で、証言台に立った証人の生々しい話だとか、検察側と弁護側の主尋問と反対尋問での壮絶な応酬だとか、鑑定人の吐きたくなるような死体の話などが覚めやらぬ中で、美味しく食べられるわけがなかった。 人が人を裁くという事は大変なことです。しかも、この対馬放火殺人事件は被告人が逮捕時から一貫して無罪を訴え、自白も直接証拠も全く無い事件だったのです。 被告人が犯人なら当然有罪だし、犯人でなければ無罪としなければなりません。どちらの判断をするにも大きな決断のいる裁判員裁判だと思いました。 それを考えると、途端に食欲は無くなりました。 率直な話、僕は裁判員期間中はお腹が減ったから食事をしていた訳ではありません。病気にならないように無理して食べていました。それでも体重が5キロは減りました。 外食がようやく許されたのは、結審後のことです。 下の写真は、その外食で「おすすめの店」を紹介するランチマップです。作成者はM左陪席判事です。まあ、一応、外れはなかったので感謝しました。
2020.03.16
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1月23日の初公判から3月9日の結審までは、メディアや事件関係者、野次馬などとの接触を避けるために、裁判員の出勤と退勤には特別な工夫が凝らされていました。 H書記官は、裁判員の出退勤にこんなに神経を使ったことは初めてだ、と言っていました。 それは、この対馬放火殺人事件がすべてのテレビ局で大々的に取り上げられ、特集が組まれて放送されるような事件であったからです。 通常の事件を担当する裁判員の集合時間である9時頃に、のこのこと出勤すると、地裁前はすでに人だかりが出来ているので、とんでもない事になります。 それで公判期間中は、もっと早い時間に長崎市内の某所の某部屋に集合して、そこから地裁の車で尾行がない事を確認しつつ、遠回りをして地裁に入り、正面玄関ではなく、特殊出入り口から出勤していました。 もし、朝寝坊でもして、某所某部屋での集合時間に遅れると、報道陣や事件関係者、野次馬などが密集している中を1人、サングラスとマスクをして強行突破しなければならなかったのです。 この朝の集合場所の某所某部屋は8時過ぎには開放されていて、ストーブがついていました。裁判員全員が集合次第、地裁に向かう訳ですが、最後に来た人でも、8時20分には来ていました。 集合場所では、みんな会話なんてありません。 「おはようございます」くらいは互いに言いますが、活力なんて感じられません。仕方なく、「さてと、今日も1日、やるしかないな。早く、こんなことからは解放されたいな」っていうような雰囲気でした。 地裁の特殊出入り口に到着しても、すぐには4階刑事部の評議室へは行けなかった。 そこにあるエレベーターは大人数用ではないので、2回に分けないと全員が乗れなかったのです。 退勤する際は、出勤時以上の神経の使いようでした。 公判廷が終了しても、なかなか、報道陣が立ち去りません。弁護士などをつかまえて質疑応答がなされ、地裁入り口付近では延々と大勢がたむろしていました。また報道陣以外の人達もなかなかすぐに帰ろうとしませんでした。 それで、本来の裁判員の退勤時間の夕方5時になっても帰ることが出来ず、地裁を後にする時間が遅れました。 帰りも簡単ではありません。 地裁の車に乗って、ぐるぐるとドライブして、尾行がないことを確認して、朝集合した場所近くで解散です。 解散した後でも気は抜けません。僕は裁判員であることを悟られないように、帰路何度も振り返りながら、長崎市内のホテルへ帰りました。 そもそも、僕は意図的に長崎地裁からかなり離れた場所のホテルに宿泊していました。
2020.03.15
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このブログを目にしている人には、本当に申し訳ない事です。 何度も話すように世間とメディアが大騒ぎしている凄惨な殺人放火事件の裁判員裁判にしては、裁判官と裁判員の裁判に向き合う姿勢には、真剣さの点において、至らない部分がありました。 既述の通り、この原因を作ったのはK裁判長です。 K裁判長がパチスロやネット競馬の話を再三するので、もともとパチンコが趣味だったある裁判員は、心が緩み、裁判員業務が終了後、パチンコ店に直行するようになりました。 その裁判員はパチンコ店の景品のチョコレートなどを評議室に持って来て、裁判官、裁判員の全員に配っていました。 K裁判長は「いいねえ、勝ったんだあ」と興味津々に訊ねていました。 ところで、K裁判長は「仮に仕事が早く終わっても、自分は勤務日はパチスロ店には行かない」と言いました。 実はこれには理由があるのです。ある程度、法律を勉強した者なら、みんな知っていることです。 労働者は労働災害に遭った際、治療費や休業補償などが労災保険から出ますが、その労働災害には、業務災害と通勤災害があるのです。 通常の勤務日に職場と自宅とを往復する際、事故に遭った場合、労災保険がセーフティネットになっているのです。 例えば、事故の加害者が任意保険にも入っていないし資力がない場合、労災保険から補償を受けることが出来ます。 しかし、この通勤災害に認定されるためには、職場と自宅とを単純に往復していなければならず、パチンコ店に立ち寄ったりすると、通勤の定義から外されて、労働災害と認定されないのです。 K裁判長は法律のプロだから、このことを良く知っています。だから、自分自身は仕事帰りにパチスロ店に立ち寄ることをしなかったのです。 K裁判長は、パチンコ店に直行する裁判員にこのことを説明すべきでした。 それに、そもそも、裁判員がその業務(通勤も含む)に関して被災した場合、裁判員が会社員であったとしても、公務員の労災保険が適用されることになっています。このことを一切、長崎地裁関係者は裁判員に説明していません。 対馬放火殺人事件の裁判員は就任日が1月22日、退任日が3月27日でした。 これだけ長い期間、裁判員を務めると、例えば、殺人や放火の痛々しい資料に触れてストレスで内臓が悪くなるとか、メディア関係者などから詰め寄られて揉みくちゃにされて転倒したりとか、地裁内部の階段を踏み外して怪我をするとか、労災が発生するリスクには無視できないものがありました。 K裁判長は、ギャンブルや高級食材、人の悪口を語る前に、本来、話すべきことが沢山あったように思うのですがねえ。
2020.03.14
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結審後、評議室での議論だけとなってからは、K裁判長の専横ぶりが日に日に強烈になって行きました。 議論が熱くなって、時の経過を忘れがちになるのは分かりますが、最初にK裁判長自らが決めた「1時間議論したら、10~15分の休憩を入れる」という約束はきちんと守ってほしかった。 ある時、1時間を超え、1時間30分近く議論が続いて、ほとんどの裁判員がうんざり顔で時計を見ていたので、僕はみんなを代表して「あのう、そろそろ休憩を」と言おうとしました。 すると、まだ話してもいないうちにK裁判長は激高して叫びました。 「あなたには発言の許可を出していないから、喋らないで」 どうせ、こんな事になるだろうと察しを付けて、メモ用紙に「トイレ行きたいです。休憩させて下さい」と書いて、K裁判長の大声と同時に、提示しました。 誤解して怒鳴っておきながら、謝罪はしません。宿泊費の時と同じです。 そもそも、この1時間を超えて評議が長引いた原因はK裁判長が事件とは関係のない笑い話をするから、その分、ロスを作ったのでした。 またK裁判長が「今から10分休みます」とか「15分休みます」とか決めても、その時間が経過せず、全員が戻らないうちに評議を再開したことがあったり、評議が再開しても、だらだらと事件とは無関係の笑い話をして、実質は休憩時間の延長だったこともありました。 前にも述べた通り、僕たちは、父と娘が惨殺され、家屋が放火された重大事件の評議をしているのに、その割には、評議の最中に笑いが多く、しかも、その笑いを主導しているのはK裁判長でした。 その笑いが起こる前兆の把握が、真面目に事件と向き合っている僕にはできませんでした。僕もつられて笑ったことはありますが、毎回ではありません。よくこんな時に笑えるなと感じたことの方が多かった。 K裁判長は、議論が煮詰まって、各裁判員に有罪と思うか、無罪と思うかと訊ねる場面でも、笑っていました。
2020.03.14
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Kさんという弁護側の証人がいました。Kさんは被告人は犯人ではないことを証言する証人でした。 そのKさんへの弁護側の主尋問が始まると、K裁判長は露骨に体を左右に振ったり、首を大きく動かしたり、妙な行動をとりだしました。 そして、遂には、K裁判長は顔を証人から背け、「おまえの証言は信用できないんだよ。だから聞きたくないんだよ」というポーズを決めるに至りました。 そのK裁判長の行動を、呆れて見ていた傍聴席の記者の顔が裁判員の席からは、よく見えていたのです。 後日、その新聞記者から、僕は取材を受け、守秘義務に反しない限度で、率直に答えました。 僕はリアルタイムでも、その後でも、一貫して、このK裁判長の法廷での態度には大いに問題があったと考えています。 こんな姿勢をメディアの人達に見せれば、結審前に「すでにK裁判長は有罪の方針なんだな」と勘繰られてしまいます。 それだけじゃありません。 弁護側と被告人の残りの公判期日の活動に悪影響を与えてしまいます。被告人が犯人であっても、犯人でなくても、どちらのケースでも悪影響が出ると思います。 現に、被告人は、最後にK裁判長から「これが、この裁判であなたが最後に発言できる機会となりますが、最後に言うことは何かありますか」と訊ねられ、「何もありません」と答えています。 僕がもし被告人の立場でも、同じように答えたかも知れません。
2020.03.14
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ある公判期日に次のような出来事がありました。 主任弁護人のO女性弁護士の尋問を「時間が来ましたので止めて下さい」とK裁判長が遮りましたが、それはK裁判長の間違いでした。 時間はまだあったのでK裁判長が「続けて下さい」と言い直した所、O女性弁護士は「キリがいいから、もういいです」と断りました。 しかし、K裁判長が「続けなくていいのですか」と余計な確認を取ったので、O女性弁護士は「そちらが終われって言うし、キリがいいから終わります」と甲高くうんざりした声で返答し、書類を揃える音を大きく法廷に響かせました。 K裁判長はこのことを根に持ちました。 その翌朝、評議室で開口一番、K裁判長はO女性弁護士の個人攻撃のために数分間の時間を割きました。 また、それ以降も何度か、K裁判長は「ヒステリックな女弁護人」という用語を使い、O女性弁護士を個人攻撃しました。 それで、本来、O女性弁護士の私的なことなど、事件の評議とは無関係なのに、裁判員の間では、O女性弁護士が独身なのかどうなのかなどが話し合われました。
2020.03.14
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裁判員就任の宣誓後、評議室で互いに名前を明らかにして自己紹介をする際、K裁判長は言いました。(この名前を明らかにすることも、そもそもK裁判長が提案したことでした)(K裁判長曰く) 「これから、みなさんは裁判員として、長崎県では最長となる期間、この評議室で一緒に過ごすことになるので、名前の他に、皆さんが支障がないと考える範囲でいいですから、何か情報を出してみてはどうでしょうか」 この発言を受けて、大抵の裁判員は、大まかな職種、配偶者の有無、趣味などの個人情報を口外しました。中には、ずばり、勤務先を教えたり、出身高校、出身大学名を出す裁判員もいました。 T右陪席判事とM左陪席判事も結構深く、生い立ちや家族構成を含む個人情報を口外しました。 ところが、言い出しっぺのK裁判長本人は、自分の事を語らず、裁判員たちは、その人間像を掴みかねていました。 K裁判長の趣味が判明したのは、たまたま、公判廷の証人尋問で「パチスロ店に行っていました」という証言があって、その証人尋問終了後、評議室で「実は、僕もパチスロをやってるんですよ。1日で10万円以上儲かったことが何度もあるんですよ。パチスロ歴数十年ですから」とK裁判長自らが得意になって話したことをみんなが聴いたからです。T右陪席判事も「初めて知った」と驚いていました。 また、K裁判長はネット競馬も趣味だと別の機会に言っていました。 そしてK裁判長は2人の若い女性の補充裁判員と親しくなると、度々、「1食数万円する美味しいお店の○○に行った」との話を聞かせ、彼女達から「裁判長~凄い~」と驚嘆の反応を満足気に受けていました。 このやり取りを仄聞して、裁判員たちは高級食材を扱う名店巡りがギャンブルに並ぶK裁判長の趣味であることを知ったのです。 ところが、K裁判長は、親兄弟の事、配偶者ないし恋人の事、友達の事は、一切、語りませんでした。 T右陪席判事もM左陪席判事も「K裁判長の家族の話は、本人から聞いたことがないので、知らない」と言っていました。 ただT右陪席判事はK裁判長がいない時に、「これは私の想像ですが」と断った上で「たぶん、K裁判長は独身だと思います」と言いました。 みんなに個人情報を語らせたK裁判長自身が、妻帯しているのか独身なのかを語らないことを、みんな不思議に思っていました。中には離婚歴があることまで口外した裁判員がいるというのに。裁判長だから、特別だったんでしょうかねえ。 長崎地方裁判所4階刑事部の評議室があるエリアを仕切る暗証番号ロック式の扉です。番号は4桁の数字とアルファベット1文字の組み合わせでした。
2020.03.13
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不謹慎な話ですが、父と娘が残虐に殺されて家屋が放火された事件で、被告人が無罪を主張している裁判だということで世間が大騒ぎして、地裁前はテレビ局や新聞社の記者、傍聴希望者などでごった返しているのに、評議室内はそれに見合っただけの真剣さがありませんでした。 勿論、遊んでいた訳ではありません。でも僕は、全員がもっと真剣であるべきだったと後悔しているのです。 評議を脱線させるのは、いつも、仕切り役のK裁判長でした。それで頻繁に笑いが起きました。裁判員たちには、本当はこんな難しい裁判とは関わり合いになりたくないという意識があるから、つい楽な方向に走りがちだったのです。 K裁判長は、自分が雰囲気を壊して裁判員の議論を阻害しておきながら、議論が遅れ気味に感じたら、次のように言いました。 「もし予定通りに進まなかったら、その時は、皆さんに一か月でも二か月でも延長して裁判員を続けてもらいます。判決は何カ月先になっても構いませんから」 こんな発言をすると、早く裁判員業務から解放されようとする意識を高めるじゃないですか。K裁判長どの。
2020.03.13
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K裁判長は司法修習48期だそうです。この期には、最高裁長官候補と言われているエリート裁判官の前澤達朗さんや法務省エリートで学者肌の松井信憲さんなど、有名で立派な方々がいらっしゃいます。 しかし、K裁判長曰く、「48期の裁判官は、仲が悪く、嫌いだから、互いに付き合わない」のだそうです。 それが真実であるかどうかは分かりません。 ただ、仮にそれが事実であったとしても、評議室で裁判員相手に話すべきことではないと思うのですが。 ちなみにK裁判長は新聞記者にも同様のことを話したそうです。その新聞記者は驚き呆れていました。 下の写真は評議室のソファー横の雑誌ラックです。ここにある雑誌はK裁判長が私費で購入して読み終わったものだと、T右陪席判事が言っていました。
2020.03.13
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評議室では、結審前の段階でも、その日の、あるいは前日の公判廷に出廷した、各証人の陳述内容について、どう思ったか、裁判長から感想を聞かれることがありました。 しかし、証人の陳述だけでは、感覚的に、その時、その場所での出来事が明瞭に理解できないことがあるのです。われわれ裁判員は現場の地形を知らないからです。 この対馬放火殺人事件は、被告人が逮捕以来、一貫して無罪を主張しており、自白をしておらず、かつ直接証拠が皆無であるという特殊な事件でありました。 そのため、有識者の前評判は、有罪なら死刑、そうでなければ無罪と、判断が極端に分かれる事件でした。 こんな重大な事件の裁判員を務めるのだから、いい加減なことであってはならない。少なくとも僕はそう思っていました。 だから、僕はビジュアルな感覚として掴めない、証人が陳述した場所の特徴を理解することに躍起になりました。 それで、ある証人の証言にあった場所をパソコンで検索して、その形状を調べて、K裁判長から訊かれた際、それを話したのです。 裁判員たちからは「分かりやすい」と好評だったのですが、その日の業務終了前、K裁判長から居残るように言われ、他の裁判員達が帰った後、次のように説教を受けました。左右陪席判事も傍で聞いていました。 「検察側と弁護側が出した資料と証人の証言以外のことは、たとえ、真実であったとしても、評議室では話すな。あなたが言ったことは評議とは無関係の戯言だ。この注意も評議とは関係がない。だから、他の裁判員には関係がない」 僕は謝罪せず、そのまま、解任されてもいいと思った。しかし、謝罪しないと、延々と説教が続きそうな気配だった。僕とK裁判長はいいにしても、2人の陪席判事を付き合わせることに罪悪感を感じたので、僕は謝罪しました。 本当は謝罪したくはなかった。 この程度のことを注意するために、解散後、わざわざ1人残して説教する必要があったのか、はなはだ疑問に思いました。 この注意について、まず、最初に感じたのが、宿泊費の件で裁判所と揉めたので、その報復かと思いました。 僕を1人残して説教したのは、険悪な雰囲気を作り、僕を挑発して、僕に反論させて、「なんだ、その反抗的な態度は。それなら解任します」と言うためだったと思います。 つまらないことで解任する場面を他の裁判員に見られると困ると思ったのでしょう。 ちなみに、検察側と弁護側が出した資料と証人の証言以外のことを発言したのは、僕以外の裁判員にも大勢いましたが、居残れと言われて、注意されたのは僕1人だけでした。
2020.03.13
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下の写真3枚を見て下さい。そもそも評議の秘密はリアルタイムで漏れているかも知れないのです。 これは僕がある日、朝8時半より前に評議室に入って撮影したものです。時計の時間を見ていただければ分かります。 早く出勤した理由は、ある事を確認したかったからです。 それは「どうせ、評議室内の掃除とポットの水入れ、ゴミ捨てなどは裁判所の正規職員がやらずに、誰かにやらせているんだろう」と察しを付け、そのことを確認するためでした。 案の定、掃除は見かけない人がやっていました。外見は掃除おばさんでした。朝8時30分より前のことです。裁判所の職員かどうかは確認を取らなかったので分かりません。 ただ、ポットの水入れについては、それより数十分遅れて入って来たM書記官がやっていました。 でも、これらのことって、かなり問題があるのです。 裁判官か裁判員が誰もいない時に人が出入り可能であるということが。 なぜなら、評議室のホワイトボードには評議する事件について議論した内容が書かれているし、裁判員が座る机の上には、公判廷や評議の記録やそれらに対して抱いた自分の感想などが書かれた書類が置かれているのです。 掃除おばさんや雑用の書記官が見ようと思えば、簡単に見れてしまうのです。また、ほんの数分で撮影可能です。 裁判官は、裁判員には貴重品はロッカーに入れるように口うるさく言うし、評議の秘密を守るように執拗に言いますが、自分達の足元にはかなり甘いようです。 評議室の隅に、ホワイトボードと裁判員の業務書類を収納する、暗証番号ロック式の保管庫を作らないと、安心できないと思うのですが。
2020.03.12
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宿泊予約をした後、僕はとんでもないことに気付いて冷や汗が出ました。 もし事故や疾患などで突然、裁判員を辞めなければならなくなった時、宿泊予約はキャンセルしなければならなくなりますが、その際、キャンセル料は誰が払うのか。 長崎地裁のU会計課長は「裁判員の日当を使えば、それで宿泊費は支弁できる」と言いましたが、キャンセルの際の対応については言及しませんでした。 キャンセルした際は、僕は裁判員として働いていないから日当はもらえません。 だから、キャンセル料は貰っていない日当からは払えないのです。 そもそも十分に後先のことを考えずに安易に「各自宿泊の予約を個人でしなさい」と言ったU会計課長に問題はありました。 僕は宿泊予定をキャンセルした場合の料金の負担を「僕が自腹を切るのか、裁判所が出すのか、U会計課長はきちんと説明しなかった」と抗議しました。 長崎地裁の書記官と会計課はなかなか自分達の非を認めようとはしませんでしたが、結局、最後は非を認めて、宿泊費を支給することになりました。 ただ、非は部分的にあるのであって、完全に非があるわけではない、というのが、地裁の見解でした。だから、謝罪はしないということだったのです。 この件に関わった長崎地裁の関係者は、K裁判長、H書記官、M書記官、U会計課長、K会計課長補佐の5人です。いずれも今から2年前、平成30年当時の役職名です。H書記官は、令和2年の現在は総務課にいます。 実は、僕は、この宿泊費をめぐる騒動で精神的に不安定になりました。僕は、精神的に不安定になると絶対ではありませんが、不整脈や不眠が起こりやすくなるので、健康不安を複数の医師に相談しました。 医師の先生たちも、この長崎地裁の対応には問題があると異口同音におっしゃいました。 それで元医学部講師の開業医S先生に診断書を書いてもらい、長崎地裁に提出しました。 のちに、別件で揉めた際、長崎地裁は、この診断書があるから、宿泊費を出すことになった、と嘯きましたが、僕以外の宿泊が必要な裁判員は全員「診断書なし」で宿泊費が出ているのです。 この宿泊費問題を巡る長崎地裁関係者との会話は途中からICレコーダーで録音しました。彼らの中に「そんなことは言っていない」と嘘を言う者がいたからです。 そもそも、K裁判長からして、嘘を言うので、まったく信用できません。また失敗しても非を認めて謝罪をしません。 人間は神様じゃないんですよ。誰だってミスは犯す。それは裁判官も例外じゃありません。僕は軽いミスを捉えて、目くじらを立てているんじゃないんだよ。ある一定限度を超えるミスは謝罪が必要だって言ってるんだよ。 この宿泊費を巡る問題を相談した、すべての人達が言っていました。 「長崎地裁とK裁判長は謝罪すべきだった」と。 結果的に、当初、K裁判長が約束した通り、宿泊費が出ることになったが、それは、僕が抗議したからであって、僕が抗議しなかったら、宿泊が必要な裁判員の人達は裁判員の日当を宿泊費に使い、裁判員として勤務する1月22日から3月27日まで、ただ働きをすることになっていた。U会計課長はこんな理不尽なことを要求していた。
2020.03.12
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それでは、前回の続きです。 K裁判長が宿泊費を出すと言ったため、態度を軟化させた僕たち12名は宣誓をして、正式にそれぞれ正裁判員、補充裁判員に就任しました。 就任後、評議室に異動した僕たちは、互いに自己紹介をした後、K裁判長、T右陪席判事、M左陪席判事の3名からいろいろな説明を受けていました。 その説明が終わる頃、評議室にH書記官とM書記官が来て、宿泊を希望する裁判員にその予定日の確認を取りました。 僕は、原則、全ての勤務日の前日から宿泊することを伝えました。僕の自宅から長崎地裁までは片道2時間30分かかるので、宿泊しないと、この対馬放火殺人事件の裁判員を務めることは無理でした。集合時間に間に合いません。 平成30年1月22日の裁判員選任手続きの日は、この宿泊予定日を書記官に伝えたことで業務が終了しました。 そして、その翌日、平成30年1月23日から公判廷での裁判員業務が始まりました。周知の通り、被告人は罪状認否で無罪を主張したので、大方の予想通り、波乱の幕開けでした。 とにかく、法廷一日目は精神的に疲れました。そんな中、2日目の業務が終わりかけた頃、評議室にH書記官がやって来て、言ったのです。 「昨日、K裁判長が、みなさんに約束した宿泊費ですが、出せないことになりました」 同じことはH書記官が連れてきたU会計課長も言いました。 U会計課長は謝罪した後で言いました。 「宿泊費は裁判員の日当から払ってください」 驚くことに、このやりとりを、K裁判長は悪びれた表情も見せずに近くで聞いていました。 この2人の言い分が通り、宿泊費が出ないことが決定すると、K裁判長は、裁判員就任の宣誓をさせるために、僕たちを騙したことになるというのに! もし、宿泊費が出せないことで決着をつけるつもりだったら、K裁判長もこう言うべきだったのです。「出来ないことを、言って、宣誓をさせてごめんなさい。もう、これで、裁判員を辞めたくなった方は、辞めていただいても結構ですよ」と。 悪いことをやっても、裁判官は頭を下げる必要がないという奢りを感じました。 U会計課長の発言も問題でした。裁判員の日当は薄給です。宿泊費に使うと消えてなくなります。 おまけにU会計課長は、さらに問題のある発言をしました。 「宿泊の予約は各自やってください」と。 それで、その言葉通り、僕は宿泊の予約をしたのです。 次回は、この宿泊予約を巡って、さらに揉めに揉めた騒動に発展した話をします。
2020.03.12
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この対馬放火殺人事件の特殊性については、最初に説明したよね。 自白や直接的な証拠が皆無で難しい裁判だから、公判が22回も開かれ、結審後の評議日数も10日程、その他に予備日まで予定されていたんだよ。 「死刑」か「無罪」かの何れかを選択するという前評判の裁判員裁判だったからね。 これまで長崎地裁の裁判員裁判では誰も経験したことがない、過酷な任務だったんだよ。質、量ともに。 平成30年1月22日に選任手続きで選ばれた6人の正裁判員と6人の補充裁判員は直ちに別室に案内された。そこには宣誓書を朗読する準備がされていたんだ。 しかし、みんな、無言だったが、「裁判員を引き受けたくないです」というオーラを放っていたんだよ。表情が暗いか、不満顔だった。 その上、この事件は主要メディアが注目する全国区の事件だったから、通常の裁判員の業務時間である午前9時30分から午後5時までの勤務ではすまなかったんだよ。 メディアの執拗な取材攻勢や事件関係者、野次馬などとの接触を回避するために午前8時30分集合、午後5時30分解散を長崎地裁は予定していたからね。 僕について言うと、僕の自宅は長崎市内にはないから、裁判員を引き受けると、1月から3月までの寒い中、朝6時前に自宅を出て、夜の8時過ぎに帰宅するという生活を2か月以上続けなければならなかった。 僕だけじゃない。正裁判員6名と補充裁判員6名の半数は長崎市外に居住していたので、ここが最大のネックになっていたんだよ。 なぜなら、規定によると、僕のように地裁まで片道2時間30分かかる距離では「宿泊料」は支給されないことになっていたからさ。 そこで、平身低頭のK裁判長は、裁判員就任の宣誓をさせるために策を弄したのだろうな。次のように言ったんだよ。 「今回、皆さんは特別な裁判を担当することになるから、地裁としても皆さんには特別な配慮をします。特別に全ての人に宿泊料を出しますから、裁判所に拘束される以外の時間は、長崎市内のホテルに泊まって、ゆっくりとお過ごしください。だから是非とも、裁判員就任をご了承ください」 これは有り難かった。僕は内心、長崎地裁とK裁判長に感謝しました。 誰かが「それじゃあ、引き受けます」と言ったら、雪崩を打って、みんな、裁判員就任を了承したんだよ。勿論、僕もね。 でもね。結局、このK裁判長の思いやり発言は裁判員を引き受けさせるための姑息な詐術だった。次回、その点を詳述するね。 僕は思い知ったよ。裁判所と裁判官を信用していた自分が甘かったってことを。
2020.03.11
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2020.03.11
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平成30年1月22日午前9時30分の選任手続きの集合時間に遅れないように、その日は朝6時に起きました。僕の家は長崎地裁から徒歩と電車で2時間30分の距離にあります。 集合時間までに長崎地裁に到着するためには、この時間に起きないと朝食抜きになってしまうのです。 その日、長崎は雨でした。しかも、とても寒い日でした。気温は優に10度を下回っていました。 僕は昔通っていた高校が長崎市に隣接する時津町にあったので、長崎市にもかなりの土地勘がありましたが、長崎地裁前の道路は通ったことがありませんでした。地裁の門もくぐったことはありませんでした。 裁判員候補者である以上、選任手続きに出頭するのは義務であることは分かっていましたが、それはそれは楽しくない一日でした。 正裁判員、補充裁判員に選ばれる過程は、これまで多くの経験者が語ってきた通りのものでした。運良く(悪く?)選ばれた時の「!」という何とも言えない感覚も、先人たちが体験してきたものと同じだったでしょう。 ただ、その時、僕はある事に違和感を感じていたので、補充裁判員に選ばれた驚きは半減していたのです。 なぜなら、挨拶をした刑事部の総括判事が変な事を言っていたので、そのことが心に引っ掛かっていたのです。 その総括判事(裁判長のこと)は「刑事部総括をやるように言われて来ました」とまるで着任の挨拶のような話をしました。この人が着任したのは、この前年の4月のことです。 このK総括判事はこの前年の4月に初めて総括判事に昇格して赴任した職場が長崎地裁刑事部であったわけです。 昇格から10か月経って、裁判員選任手続きの挨拶で「総括判事をやるように言われて来ました」って言うのはなあ。裁判員候補者達にはどうでもいい話なんだけどね。
2020.03.11
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2020.03.11
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「裁判員候補者名簿への記載のお知らせ」と題する書類その他説明の冊子入りの封書が届いたのは平成28年11月16日のことでした。 差出人は最高裁判所となっていましたが、開封すると、真実の差出人は「長崎地方裁判所」となっていました。 そして、それから1年以上経った、平成29年12月中旬には「裁判員等選任手続き期日のお知らせ」と題する書類その他説明冊子入りの封書が長崎地裁から届きました。 僕はその封書に入っていた「質問票」に辞退しない旨の意思表示をして返送しました。当然のことですが、国民の義務を果たそうと思ったからです。 ところが、それから暫らく経った12月下旬頃、時間は夕方でしたが、長崎地裁刑事部の女性書記官のNさんから、自宅に電話が掛かってきました。 そして「来月の選任手続きには必ず来てください」と僕に当たり前のことを言うのです。その時、思ったことは、『まるで、ホステスの営業電話じゃないか』 ちゃんと、辞退せずに出頭するって答えているのに、しつこいなあ、と感じました。 後から考えると、そうせざるをえなかった事情は理解できます。 対馬放火殺人事件は長崎地裁で裁判員裁判が始まって以来、最長となる審理期間となるから、長い拘束期間を裁判員に強いることになります。 主要メディアすべてが注目する全国区の事件であったので、選任手続きに相応の人数が集まらないと、正裁判員6名、補充裁判員6名が1日で決まらない懸念があったのです。 もし、そんな事にでもなると長崎地裁は立場を無くすので、躍起になったのでしょう。 これは、後で福岡地裁刑事部、佐賀地裁刑事部などから聞いた話ですが、普通、何処の地裁も、選任手続きに出頭すると答えた裁判員候補者の自宅に女性書記官を使って電話をさせるなんてことはしないそうです。 周知の通り、全国どこの地裁も、毎年、「裁判員経験者意見交換会」なる会合を催して、裁判員制度が参加した市民にとっても有意義であることをアピールしていますが、その甲斐もなく、裁判員候補者の選任手続きの出席率はどんどん低下しています。 しかし、ここ数年の長崎地裁刑事部に限って言うと、この全国的に顕れている一般的な傾向の他に、もう一つ、長崎地裁刑事部ならではのマイナス要因があって、その要因が選任手続きの出席率低下を大きくしているようなのです。
2020.03.11
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2020.03.10
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2020.03.10
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一昨日、話した通り、裁判員経験者は評議室内における、事件に関する話し合いの内容と裁判員個人が特定されるような話は、一生涯、守秘義務が課されている。だから、その評議室に僕がいた当時の、この事件に関する価値観を述べることは出来ないってわけです。 また、これは裁判所と裁判長から説明は受けていなかったことだけど、条文を調べると、裁判員経験者は、これまた、一生涯、判決において示された事実の認定と刑の量定の当否についても話してはならないこと、となっている。 でも、僕が今から述べることは、裁判所が決めた、事実の認定と刑の量定が正しかったとか間違っていたとか、あるいは正しいとか間違いであるとか、そんなことをコメントするんじゃないよ。だから法には触れない。 僕が評議室にいた当時、僕がどのような見解であったかをコメントするわけではない。かつ、裁判所が決めた事実認定と刑の量定に対してコメントするわけではない。 仮に裁判所が決めた、事実の認定と刑の量定が正しかったとしても、判決後、妄想でそうじゃないと思う場合だってあるだろう。逆に裁判所が決めた、事実の認定と刑の量定に間違いがあったとしても、判決後、妄想でそうじゃないと思う場合だってあるだろう。 僕は、裁判員の在任当時から、裁判所の心無い対応と裁判長から嘘を教えられていたことで悩まされていました。その上、判決後、心の不調を相談した、裁判所指定のメンタルサポート窓口との電話相談が秘密録音されていたことが発覚して、窓口とトラブったのです。これらの相談を新聞記者などメディアの人達にするうちに、彼らからこの事件の冤罪説と判決の不満を聞いて、胸が締め付けられるようになりました。 また、僕は、判決後、守秘義務に反しない範囲で、知り合いの弁護士、医師、理工系院卒などの人達と、この事件について議論しました。彼らもまたメディアの一定数の人達と同様、この事件の冤罪説と判決の不満を口にしました。 率直な話。メディアの一定数は、この事件の裁判員裁判の評議・評決に疑問を持っている。裁判官が誘導して有罪判決へと向かわせたんじゃないか、って思っている記者が多くいる。それでずっと「評議の内容を教えて下さい」と言われ続けている。
2020.03.09
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僕は裁判員の経験者。主要メディアのほぼ全社が報道した、全国的に有名な事件の裁判員だった者です。判決後、心が苦しくなって、裁判所指定のメンタルヘルス窓口と精神科医によるケアを受けているんだ。精神的にどうにもならないので、この度、生まれて初めてブログなるものを始めることにしたんだ。みんな知ってるかと思うけど、裁判員経験者は評議室内での事件の評議に関することと他の裁判員の個人情報に関することは生涯、守秘義務が課せられている。これに違反すると6月以下の懲役か50万円以下の罰金に処せられるんだよ。守秘義務の縛りがない評議室内での出来事および裁判所内での出来事は何でも話していいって、裁判長からも言われて許可を得たから、それらについては何でも話そうと思う。話したいことは沢山ある。それは、みんなが知りたいことと、ほぼイコールかと思う。これから宜しくお願いします。
2020.03.07
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